「降水確率50%と聞いても傘を持たない、俺はそんな大人になりたいね。そうは思わないかユリア?」 「嫌ですよ、降ったら濡れますし。」 「何を言うか、確率1/2程度に怯えているようなら、団長は務まらんということさHAHAHA」 「大変なんですね団長も」 なんとはない、ただの雑談である。 私は団長の熱弁に適当に受け答えつつ、本来の目的である読書に意識を集中させていた。 一度火がつけば団長は語ることを止めない。大抵私には(否、恐らく団長以外の全ての者には) 理解不能ものであるし、内容自体も薄いので意識して聴く事もないだろう。 RPG世界観 東国騎士団番外編 『東国の春 ユリアとジュバの休日(前編)』 皆さんお久しぶりです、ユリアです。天候が変わりやすく体調を崩しやすいこの季節、 皆さんはいかがお過ごし―――え、お前は誰だって?……はい、ご存知無い方が殆どですよね。 それではまず私の自己紹介から始めましょうか。 私の名はユリア・ストロングウィル、東国騎士団の一端を担う片腕の剣士で、それ以上でもそれ以下でも無い。 ところで些細な事ではあるが、『それ以上でも以下でも無い』という表現はやはり少しおかしいと思う。 正しい表現は『それ超過でもそれ未満でも無い』だろうか? 誰もそれに指摘せずその言葉の定義や意味を越え、定着して行く過程は少しばかり興味深い。 仮に私のユリアという名前が、例えばユリアヌスとでも誰かに誤って伝わり、 また、誰もそれに訂正の手を加えずに世界にその名で定着したとしたら、 私は一生をユリアヌスとして振舞わなければならないのだろうか。 たとえどんなに私が、自分はユリアだと主張したところで、その時にはもはや手遅れだろう。 人々は既に私をユリアヌスと認識してしまっており、 それを訂正して回るのに果たしてどれだけの年月がかかるのやら。 その上どっちでも良いじゃないか、なんて言われた日には、些細な事では済まされないかもしれない。 ―――やはり、先の表現は個々人の手で訂正してもらいたい。 話題は逸れたが、とにかく私がユリアで東国騎士団の一人である事は伝わったと思う。 東国には「四季」というモノが存在する。このように季節が明確に四分化されている地域は珍しいらしく 東国の四季に憧れ移住してきたり、観光目的で訪れる冒険者も少なくない。 春、それはこの四季というモノの中で私が一番好きな季節である。 簡単に言ってしまえば、暖かくてついつい、うとうとしてしまうそんな季節で――― え、知ってるって?それは失礼を致しました。 兎に角、東国にもやっと春が訪れた。優しい日差しと透き通るような空気がとても清清しい。 翠の風が私の髪を優しく撫で、小鳥の囀りや木々のそよめきは安らぎの空間を創り出す。 まるで蒼色のペンキを一面に溢したような空には一つ二つと白い島が浮かび、 私が蒼色の世界に心を奪われていると、その白い島々をクラウドシェイカーの群れが四散させて行くのである。 残念ながら私の乏しい表現力ではこの程度が限界だ。もし私が詩人だったならば 彼等ならではの言葉の旋律で、眼前の風景をずっと美しく描写できただろう。 騎士であったことが少し悔やまれる瞬間である。 そんな風に春の訪れを堪能しつつ、私は城の庭園の木陰で独り読書に耽っていた。 今日は私の数少ない休息日なのだが、特に何処かに行きたいという気も起こらない。 そう、贅沢は言わない。青空の下での読書、それが私にとって最上の癒しの時間なのである。 「平和だ……このままとろけていっそ、ジェラード・グミにでもなってしまいた―――」 あまりにも平和で、ついつい漏らしてしまった言葉 「やぁユリア、相変わらず本の虫だね。ところで、降水確率50%と聞いて……」 それは突然の闖入者、東国騎士団長ジュバ・リマインダスに遮られ、 穏やかで静かな朝は終わりを告げるのであった。 「――斯くしてマシュマロは俺の非常食なのである、今日も御清聴有難う」 どうやらやっと団長の話が終わったらしい。何だか最初の議題と大きく外れているような気がするが 多分突っ込みをいれたらこちらの負けなのだろう。 そういった理由もあって、私は黙々と手元の本に目を滑らせ続けた。 静かな静寂が再び辺りを包む、団長も喋り終えて暇になったのか私の隣でごろごろと寝そべって横回転をしていた。 勿論、そんな団長には脇目も振らずにはいたが、ここで私は重大な事態に気づく。 今私が読んでいるこの本、俗に言う冒険小説なのだが、とても盛り上がる展開で上巻を締めくくろうとしている。 下巻は残念ながら私の手元には無い上、その他の手持ちの本も全て読み尽くしてしまっている。 城内の図書館に行けば未読の書はそれこそ無限と呼べるほど置いてはあるのだが、 どうも図書館の本というのは古文書やら神秘学書やら、堅苦しい物が多く、 私には到底理解出来ない物が殆どで、なかなか手が伸びない。 色々と思案を巡らせたが、やはり導かれる結論は一つしかなかった。 「『よし』」 二人の声が重なった。もちろんもう一人の声の主は団長である。 「城下へ行くぞ!ユリア」 「ふぇ?は、はい」 ファーストストライクを取られ不意を突かれた私は、思わず腑抜けた返事をしてしまった。 そう、なんと珍しいことに私と団長の意見が一致したのだ。団長も暇に耐えられなかったのだろう。 ――城下町 皆さんは城下町といえばどのような町を想像するだろうか? 武器屋、鍛冶屋、道具屋、魔法商店、歓楽街多分その他にも色々と浮かんでくるだろう。 東国の城下町も勿論例外ではなく、確かにそのような建物は沢山建ち並んでいる。 石造りの街道に魔法照石による街頭、城と城下町を覆うようにして外敵からの襲撃を防ぐ魔法障壁。 割と洒落た町並みで、活気に満ちている為か頻繁にお祭りが開かれている。 近日、ウンディーネ祭が行われる予定なので、興味がある方は是非来てみると良い。 しかし、この町が他の城下町と大きく異なる点は、何と言っても 人間と魔物の交流が活発に行われているところにある。 町には魔物が経営している店舗も数多く存在し、我々東国騎士団も彼らには色々とお世話になっているのだ。 「着いたぞ城下だ。ユリアは久しぶりだろう。」 団長の言う通り、私が城下に来るのは久しぶりだった。 もし町が見知らぬ光景で埋め尽くされていたらどうしよう? 一瞬ヒヤリとしたが、町は良い意味で私を裏切ってくれた。 其処には何も変わらない懐かしい町並みが相変わらず続いていたのだから。 さて、重要な事であるが、私達東国騎士団が城下に行く際にはいくつかのルールがある。 一つ、自身が東国騎士団だと悟られないように、出来るだけ鎧の紋章刻印を隠すようにすること。 二つ、城下における庶民間の闘争には干渉しない 三つ、国家転覆を企てる者を発見した場合、直ちに報告し、その場で処分すること。 と、主にこの三つである。 その為、私は騎士団の刻印を隠せる黒いローブで身を包み、 また、本を大量に購入する為、かなり大きめの皮製ショルダーバッグを。 そして、団長が冒頭でも喋っていた様に、今日は夕方頃には雨が降りそうだという事で傘を持ってきた。 一方、団長も同じように黒装束装備をする事で騎士団である事を隠しているようだが、 彼の場合禍々しく巨大な彼の武器:黒剣クレイモアが目立ってしょうがない。 そして、本当に傘を持ってこなかったようで、 極めに付けに何故か無表情なピエロの仮面を携えている。 アレで子供達と遊ぶのだろうか、団長なら本気でやりかねない。 「団長は…」 「コラ!ユリア(きゅ〜)。公私混同するんじゃない、今は『私』だ。ジュバと呼びなさいジュバと(きゅ〜)」 怒られた。何故かこういう所にはこだわるフシがある。 団長を『ジュバ』と呼ぶのはやや抵抗があるのだが、あえてそう呼ばない理由も無いだろう。 「ではジュバ、これから何処へ行くつもりですか?私は本屋に行くつもりですが」 「そう急ぐこともあるまい、今はもう昼時だ。飯でも食いに行こう(きゅ〜)奢るぞ」 成る程、先程からきゅ〜きゅ〜悲鳴を上げているのはジュバのお腹の虫だったようだ。 斯く言う私も読書に夢中で朝食を抜いてしまい、何も食べていなかった事を今更思い出した。 そんなわけで私達は一路レストランへと向かうことにした。 「こ…これは…」 「ああ、珍味ジェラード・グミだ、遠慮無く食え」 巷では食べれば胸が大きくなると噂のアレ。 そう、そのお陰で大量に捕獲され一時期絶滅の危機に瀕したという例のアレが 目の前のテーブルにちょこんと配膳されている。 水分をよく含み、スプーンでつつくとぷるぷる震える。これは鮮度が良いということを意味するらしい。 「えっと…」 どうにも箸が、否、スプーンが進まない。 折角だし高級料理店に行こうとは誘われたが、まさかこんな物を注文されるとは… しかし、シュバの奢りである以上は文句を言う事もできないし、 何時までも睨めっこをしているわけにもいかないだろう。 「勝負!」 そのゼリー状の物体を口に含んで一体どれだけの時間が経ったのだろうか? 気が付けばスプーンは手からこぼれ落ちていた。そう、頭の中の整理が追いつかない程の――絶品である。 ぷるんっと口の中でとろけていくこの食感、そして仄かな海の香りが口中に広がっていく。 これは凄い確かに凄い。もう凄いとしか言葉に出せない。 人は圧倒的な出来事に遭遇した時、ただただ言葉を失うしかないと云うが、どうやら本当だったようだ。 ありがとう海の恵み。ありがとうジェラード・グミ。 こうして思いがけぬ海の幸を堪能し、満腹になった私達は満面の笑みでレストランを後にするのであった。 「さて、次は本屋だな。場所は分かるのか?」 「はい。以前と町並みが変わっていない様なので大丈夫だと思います」 私達は一旦近くの広場へと身を移し、食後の一休みを取っていた。 あまり大きな広場ではないのだが、待ち合わせ場所としては最適なのだろう。 周りをきょろきょろと見回し、まだかまだかという表情を浮かべている人々が多く見られる。 さて、本屋の話に戻るがそれにはやはり何の心配も無かった。 というのも、以前城下に来たのも今回と同じく本屋が目的だったからである。 城下に行くと云う事は私の頭の中では、本屋に行くと変換されているのだ。 しょっちゅうララバイ副団長の目を盗み、城下へ繰り出すジュバだが 普段から本をあまり読むような人ではないので、そんな彼が進んで本屋に行くとも思えない。 恐らく、城下の本屋に関しては私の方が詳しいだろう。 「俺はちと別な用事があるから、ここでしばしお別れだ。泣くんじゃないぞユリア」 「泣きませんよ。それより夕方に鐘が鳴るのは知ってますよね、それまでにここに戻ってきてください」 ぐっと親指を立て了解を意味するジェスチャーを見せ、ジュバは人ごみに紛れていった。 嵐が去ったような気分である。 さて、これが二度目の余談になるのだが、ここまでの一連の行動から 私は団長が嫌いなのではないかと思われた方も、もしかするといるのではないだろうか? それなら私は断固としてNOと答え、こう補足するだろう。団長は私にとって死んだ兄と同じぐらい大切な人だ、と。 彼は右腕を失い身も心もボロボロになっていた私を救ってくれた、いわば命の恩人である。 当時の私は腕を失った悲しみから、あまり感情を表にしなくなり、周囲の者を全く寄せ付けようとはしなかった。 その所為もあって、一人を除き、皆は私を腫れ物を扱うように振舞うようになったし、陰口を叩く者も中にはいた。 ――――そう、一人を除いては。 彼だけは、団長だけは私がどれだけ彼に冷たい態度を取り、どれだけ彼を傷付けてしまったとしても私を励まし続け、 私の笑顔を見たいと云うたったそれだけの理由で毎日私の前に現れたのだ。 正直、私は彼の優しさが辛かった。心が痛いという表現はあながち間違ってない、 本当に身を抉られるように痛かったのだ。 そんな生活は何ヶ月も続いたが、彼の優しさに絶えられなくなった私は終に彼の前で初めて涙を見せてしまった。 溜まった感情の爆発というのは本当に怖いものだ。 声が枯れ、涙も枯れ、最後には嗚咽が漏らすのみであったが、何とその日は一日中ずっと彼の胸で泣き続けた。 泣きじゃくる私に彼は戸惑いながらも、優しくその温もりで包んでくれた。 後に、アフターケアとして私の東国騎士団へ加入を薦めてくれ、 「ストロングウィル」という名を与えてくれたのも全て、団長なのである。 あの時は本当に色々と苦労をかけてしまった。そんな彼を嫌いになんてなれるはずがない。 恋愛感情を越えた絶対的な忠誠、それが団長と私を繋ぎ止める絆でなのである。 ただ、団長がそういう堅苦しいのは勘弁してくれ、自然体でぶつかって来い、じゃなきゃ解雇しちゃうぞ と脅迫するので、しぶしぶ彼の言葉に従い今に至るのだ。 思えば、今となっては何もかもが懐かしい、時が経つのは速いものである。 けれど団長との日々は一日も忘れたことは無い。 いかん、回想に浸っていたら何だか目頭が熱くなってきた。とりあえず昔話はここで終わりにするとしよう。 よっこらせっと石造りの階段から重い腰を上げ、私は目的の本屋へと足を運ぶのであった。 先程の快晴とはうってかわり、空はいつの間にか灰色の島々に埋め尽くされていた。 城下町の立ち入り禁止区域、バステルユと呼ばれる下水道に彼はいた。 「―――ストロングウィルか」 彼、ジュバ・リマインダスは咄嗟に彼女の名を呟いた。 それはジュバが彼女に与えた名であり称号である。 彼女はその名の如く強い意志を持つ少女であったし、勿論それは今尚変わらない。 黒い復讐心の塊、それがジュバにとっての彼女の第一印象だった。 彼女は過去に、自分の『影』の手によって兄を殺されている。 彼女を突き動かすのはまさにその復讐心。そこにはララバイの様に大衆を護ろうとするような正義は無い。 その黒い感情は、自身の『影』を殺す為に、たったそれだけの為にあるのだ。 しかし、彼女も東国騎士団の一端を担う存在である以上、 自分とは無関係の人々を殺めなければならない時もあるだろう。 自分は戦士だから。そう割り切ってはいるが、やはり時々彼女の表情には何処とない哀しみを感じさせる。 だがジュバとっては、そんな彼女達でさえ羨ましいと思えてしまうのである。 「俺はどうして闘っているんだったかな?」 ジュバにとって戦場とは戦士達の死と生を分かつ場では無い。 台本を与えられた役者が、アドリブも無しに演技を忠実にこなす……。 そう、彼は始めから騎士などではなかった、彼はただの役者に過ぎない。 差し詰め戦場は劇場と置き換えても良いだろう。 彼は定められた敵を殺し、定められた勝利を手に入れるだけである。 だが、そこには一貫して彼の意思は無い。 「そして、俺が一番恐れているのは……」 彼は持ってきた無表情な仮面へと目をやる。 彼は城下でやむなく戦闘に巻き込まれる場合には、これを装着して闘うことにしている。 子供達にはマスクマンJとして人気であるのだが、本来の目的はこれで子供達と遊ぶことでは勿論無い。 「微笑う事だ」 人を殺めた時の自分の表情を一度でも想像したことはあるだろうか? その表情が怒りや悲しみに満ちているのは大変人間らしいと云える。 だが、笑みはどうであろうか?自嘲とは違う快楽としての笑み。 ジュバには闘いの最中の記憶が殆ど無い、気が付けばいつも肉塊の山が目前に転がり、全てが終わっている。 もしかしたら自分は笑いながら人を殺しているのではないか?国を賭けた戦場で仮面を着けて闘うわけにはいかないが、 せめてそれ以外の場所では…。そのような悲痛な願いが彼に仮面を着けさせるのである。 「俺はいつもどんな表情で人を殺めている?」 当然そんな事が聞けるはずが無い。 幸い誰も戦場のジュバについて触れることは無いのだが、逆にそれが彼を苦しめる原因でもある。 台本通りの生気の無い闘いを嫌ったジュバは、 クレイモアを片手で、しかも逆手で扱うと無茶な戦闘スタイルで闘うようになった。 東国騎士団長としても、自由奔放で型ハズレな団長として振舞うようになった。 そして多くの人間に優しさと笑いを振り撒く事で自身の人間性を皆に見せ付けた。 「そうだ、俺が闘い続けるのは……」 それは火を見るよりも明らかであった。そう、彼は自身の劇の幕を降ろしてくれる誰かの出現を待ち望んできた。 そしてその劇が終わる時、彼に待ち受ける運命が―――『死』である事を知っていてもだ。 天からは涙が零れ落ちているかのようだった。 [to be continued]