ジュバ・リマインダスという男は言わずとしれた東国騎士団の団長である。そしてその 座に見合う実力を持った彼は、お飾りではない。ではない、が、飾りとしての立場という ものもある。 「じゃ、警備行ってくる」  と言ってみても今この執務室には誰もいない。ララバイとユリアは――おそらく全速力 でこちらへ戻ろうとしているのだろうが、それでも奴らの方が早かった。  嘆息する。  しかし彼女らが戻ってきたところで別に役回りが替わったりはしないだろう。『東国騎 士団団長』というものが出張る必要がある仕事ならば。それが面子というものだ。               騎士が二人           Les Chevaliers Rendezvous  ルゥエンの大司教が東国へ来た理由ははっきりしている。  大司教とは無論のこと聖教会の定めた各大司教区または教会管区を裁治する聖職者であ るが、彼らはまた政治的な役割を多く担う存在でもある。当然と言えば当然の話だ。彼ら は少なからぬ土地を管理する領主層なのであるから。そして聖職者は相続がない。だから その叙任さえある程度コントロール出来るというならば、これは統治者にとって大変便利 な存在であった。世代を経るうちに義理や友愛や敬愛と言った人的結束力を失い土着の独 立勢力と化す俗界の領主に比べれば。  そして煌びやかな大聖堂壮観なるルゥエンは皇国から見て西方にあり、西国に属する。  つまりそういう事だ。  ルゥエン大司教は西国のブレーンである。  そもそも現ルゥエン大司教であるアザライという男は西国の現王家の……  などと言う筋があちこちに飛ぶ羅列が椅子のやや後方に立つジュバの脳内をだらだらと 流れているのは別にジュバが政に熱心だからではない。  気を紛らわせたいからだ。  何故?  『別に何するわけでもないが体面的に一応居なければならない』仕事が暇だからか?  それは否だ。  彼は今『視線』から気を紛らわせている。自分と同じく自陣営の代表が座す椅子のやや 斜め後方に立っている相手の視線から。  かれこれもう三時間は経ったのか。その間相手は一度たりともこちらから目を離しはし ていない。  満月のような金色の双眸は会談中ずぅっとジュバ・リマインダスを視ている。  少しずつ少しずつ、自分という外装が貫かれていくように感じる。魂の奥底、自らでさ え普段は見れぬような深海へ一筋の光が入り込んでくるかのような視線。それは何と温か く、そして何と恐ろしいことか。  ――ふざけた話だ。  ルゥエン大司教の警護役という事になっているその相手の、その彼女の、本性を誰が見 抜けぬというのか。  西国筆頭騎士。剣の聖女。ラミアンの娘。射貫く金色の瞳。  クリス・アルカ。  生きながらにして聖教会が聖女と認めた例外存在。絶対神託の女を、この教圏において 誰が気付かぬというのか!  だのにそれは素知らぬ振りで立っている。ルゥエンの大司教も何事もないかのように言 葉をつむぎ続けている。可哀そうに、うちの大臣は完全にあの視線にアテられている。直 接見られているわけでもないというのに。  何故、居る。  ルゥエンの大司教が東国へ来た理由ははっきりしている。  先だって東国は皇国領土を含む一定区内にて闘争行為をとった。その尻尾を、捕まれて いる。  ジュバは振り下ろされる大剣なれば、決定に口を差し挟む事はしない。とはいえ正直な ところアレは愚策だった、と思う。いくら目標がそれ一つで世界が左右されかねないモノ だとしても、あまりに杜撰な作戦だった。結果論で更に言うならば、その作戦自体も失敗 に終わり――皇国に戦端を開く口実さえ与えようとしているのだ。なんと無様な事か。  そしてその愚策の結果を、西国も皇国に並ぶほど早く掴んだ。  だから、来た。  それはいい。西国と東国は元より良い関係とは言えない。国家に真の友人は居ないと言 うが、それ以上の意味でだ。だからこうして、ハイエナ相手の駆け引きが行われる。  それはいい。それはジュバの仕事ではない。彼ら騎士はこうして突っ立って居ればいい だけなのだ。今のところはまだ、宮廷が拭う役だ。  だが。  だが――  何故、居る。  西国の切り札が、笑ってしまうほど白々しくも何故ここに居る。  何か手札があるというのか?今こちらの席にいる者が知らぬ手札が。  ジュバでさえそう思ってしまう。主役である大臣はどうだろうか。胃がねじ切れそうに 違いない。いっそ泡を吹いて倒れたいだろうが、彼とてそんなヤワではない。だからこそ その席に居る。嗚呼、無情なことよ。  あるいは何もない。ただの威圧という事は十二分にありうる。今身をもってその効力を 味わっているではないか。そこに――聖女でも魔女でもなんでもいいが――それが佇んで いるというだけの事で。  そんな圧迫感を忘れたいからこそ適当な事を並べていた。ユリアやララバイがどうして いるか、とか。ただそこからあまり昔まで掘り起こすと、それはそれで自滅になるのであ まり続けられなかったが。  まあどちらにしろ随分経った。後はそう長くあるまい。もし相手に何かカードがあると すれば、それを最後に切ってくるだろう。  そうならない事を一応願いながら、一瞬だけ、かたくなに伏せ続けていた眼を起こす。  金色の眼が微笑んだように見えた。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  結論から先に言うと特に何も無かった。今の所は。会談では。  つまりそれ以外で、何かあった。いや、今目の前にある。という方が正しいが。 「お久しぶりです。東国筆頭騎士」  館の外。庭というよりは建物と塀の間というだけの空間。蒼い蒼い緑の中。  さきほどの双眸が今目の前にある。出された右手が今目の前にある。  ジュバは、握手だけで答えた。 「寡黙ですね」  そんなわけはない。  という言葉も声にしない。  深く、深く、息を吸う。  深く、深く、息を吐く。  放っておくと指を絡められそうなので手を引いた。 「何故、居る」  今度はその黄金を真っ直ぐ見つめ、先ほど何度も反芻した台詞だけをやっと紡ぐ。渇い た声だと自分で思った。 「何故?」  甘い声。聖女のような微笑。熔けそうなその黄金がすっと細くなったと思った瞬間、鼓 膜を劈く風が来た。 「うふふはははははははははははは!何故?何故だと思うんだジュバ・リマインダス!何 故私はここに来たと思う!?」  身を乗り出すように寄せてきた女の顔は触れそうな位置にある。黄金の双眸の片方がど す赤く輝いたが、近すぎてジュバにはよく見えなかった。  存外背が高いな、とか関係のない事をふと思っただけ。 「安心しろよジュバ・リマインダス。別に何かお前の国に致命的な一撃を加えに来たわけ じゃない。ああ!それはこんな静かなところで振り下ろすものではないしな!ふふふ!あ はははははははは!」  嗚呼、とどのつまりこの女は完全にどうしようもないほど徹底的に壊れてしまっている のだ。戻る事などできない。ずぶどろのものを被って、そのままただ、もっと、もっと深 みへ向かってイくしかない。別に他人をそう言う事で自分は違うと主張するつもりなどな いが。  ひとしきり笑うと、女はまた微笑んだ。赤い舌が垣間見れるそれはもはや聖女ではない。 「お前に会いに来たのだよ。ジュバ・リマインダス」 「ジュバでいい」  そう何度もフルネームで呼ばれたくはなかった。こいつに。 「ジュバ。いや、本当のことさ。お前には借りがあるだろう。大きな借りが。返すまでは 息災で居て貰わねばなるまいよ!」  くるりと回りながら離れ、また笑いかける女。女。女。 「随分と礼儀正しいんだな。農民の出にしては」  生クリームに蜂蜜をかけて砂糖をまぶしたものを食べたような甘ったるさに、内心咽な がらひねり出したものは全く無様なものだ。呆れるほど安っぽい。 「挑発のつもりか?ん?」 「乗らないと言うなら無視したらどうだ」  なんてチグハグな事か。会話に乗ってきたのはそれこそ女の慈悲だ。無駄口でも叩かな ければその黄金に光る鏡をえぐり潰したい衝動も抑えられないくせに。  今は己の顔を隠す仮面もなく、壊れた女の瞳が映す自分は、真正面から向かってきてい て―― 「団長!」  その声に、無駄に体を震わせた自分がどんな風に見えたかはあまり考えたくはないが、 振り向いた先に居た女騎士二人は殺気を隠そうともしていなかった。  それを咎めようとして、誰より殺気立つ自分に気付いて力が抜ける。見返せば女はすで に背を向けて手を振っていた。 「そのうち清算しましょうね。東国筆頭騎士」  誤魔化しようもない安堵のため息でそれを送り出し、再度振り返る。  クレセント=ララバイ。ユリア=ストロングウィル。  帰還したばかりであろう二人へ踏み出し、独り、女へ言い返す。  今はまだこの鎖は千切れてはいない。  いつの日か、そちらにイく事になるとしても。 了