ハロウド=グドバイという名の男 変人、奇人、偉人、苦労人、異端児、不精者、馬鹿者、愚者、エトセトラエトセトラ 彼の呼称は枚挙に暇がない。 冒険者、ルンペン、発明家、歴史家、芸術家、格闘家、等等 彼の肩書きもまた同様である。 だが、彼は誰がどんな風に自分のことを語ろうとも、 彼は必ず、自分はこうだと言うだろう。 彼の名はハロウド=グドバイ。世に名高き魔物生態学者の一人。 空に浮かぶ太陽からは陽光がさんさんと降り注ぎ、それを泳ぐ雲が遮る。 大地には地平線まで広がる緑野が広がり、所々に岩が埋まり、日陰を作る。 その日影に、熱を嫌うミドリトカゲや草闇蟲に混じって、彼の姿があった。 砂だらけ泥だらけの、白衣と呼ぶには異色すぎるコートには、 内外合わせ十数ものポケットが装飾のようにつけられ、 そのどれにも、彼の「探求」に必要な道具が、ぎゅうぎゅう詰めにされている。 瓶底メガネのように分厚い、双眼鏡と言うには不恰好な道具を手に持ち、 それを使って「目標」をじっと「観察」する。 それが彼の仕事であり、人生なのだ。 「うむ、実に素晴らしい。ラフダ砂漠で見つけた鏡大蟲の目玉がこんな所で役立つとは。  これぞまさに自然のライフサイクル。我ながら惚れ惚れするな」 岩から上半身を乗り出し、対象を観察しながら、自身の作を褒めちぎるこの男。 ヒゲも髪も伸ばし放題。ここ数日まともに食事を取っていないのか、頬がかなりこけている。 それでも、彼の眼からは、頭上の太陽のように、ギラギラとした生命の火が灯っていた。 「ふむ、なるほど。平時でも役割は個々で補うのか。  乳の出の悪い雌を、別の雌が助ける。常に子持ちの親が2体以上いるのはこういうわけか。  思った以上に合理的だ。となると、群れのリーダーはやはり雌になるのか?」 懐から手帳を取り出し、さっそくその様子を詳細に書きこむ。 図解をつけ、問題点を簡潔にまとめて書き記す。 芸術家とまではいかないが、その精巧な書き込みは挿絵には十分すぎる。 さて、今彼が観察しているものは何か? 「惜しむらくは狩りの現場を見られないことか。鹿の群れが南に移動したのを昨日確認した。  おそらく向こうもそれに合わせて動くだろうが……  できるならシュヴァルツ=レーヴェのことも観察したいが、今は彼らに集中しよう。  故人曰く、二龍を追う者は二龍に喰われる、だからな」 改めて双眼鏡を構え、対象に目を向ける。 視線の先には、狼の群れがいた。 だが、狼と呼ぶにはどうも変わった生物だ。 まず、足が6本ある。体毛も緑色で、横になるとただの草にしか見えない。 そして極めつけは、その額にある、目のようなものだ。 この生物――魔物の名は、ギャフィルアと言う。 この辺りの土地の言葉で、「駆ける者」という意味だ。 「あの足はおそらく、草原での走破能力を高めた結果だろうな。  現に6本足のペガサスも存在するしな。  あの体毛は苔によるものか? だとすると匂いを消すためと、擬態のためか。  直に触れなければ実際のところはわからないだろう。  しかし、あの眼は一体……視界の確保にしては不自然な位置だな。  カメレオンやフクロウのように範囲を広げる工夫でもあるのか?」 一通り思ったところを一人呟いてから、また同じようにメモに記載する。 そして、次は内ポケットから水晶を取り出した。 淡い碧色の透明な水晶の中には、同じく碧色の光がフワフワと飛んでいた。 「ううむ、今日は火の月の十七日めだったか?  まあいい、そういうことにしておこう」 水晶をしっかりと握り締め、光を見据えて、男は喋りだした。 「我が学友トゥルスィと、この素晴らしい品を渡してくれたガトーへ。  魔物生態学者ハロウドより、今回の観察報告だ」 夜空には満天の星空、それを草原に横になって眺めているハロウド。 焚き火は既に消えているため、空の星以外に灯りは何もない。 彼は眠っていなかった。それは襲われる危険を避けるためではなく、 思索に耽っていたからだ。 「今回の観察でわかったことと言えば、群れの役割は流動的であるということくらいか。  警戒する者と子供を守る者は、常に入れ替えていたな。疲労を蓄積させないためか。  本来は狩りにおいてその有効性は示されるべきなのだが、獲物がいなければな。  いっそ私が獲物になるという選択肢もあるが、  まだはっきりしていない部分が多過ぎるから危険だ」 はぁ、とため息をつき、意識を脳内から星空に向ける。 星が瞬くたびに、彼は少しだけ胸が締め付けられるように、切なくなった。 「私は、君にもこれを見せたかったな……なかなか吹っ切れんものだ」 目を瞑り、ハロウドは眠りにつこうとした。 そのとき、ふわりふわりと、彼の耳元に、小さな光がやってくる。 「ん、随分と早いな。ここからだとかなりの距離のはずだが」 懐から、昼間に使った水晶を取り出す。 光はその水晶に入ると、淡く輝き、何かを映しだした。 小奇麗な服装を着た、いかにも紳士らしい男が、手に持つ水晶に現れる。 「やあ、ハロウド。トゥルスィだ。君の観察眼にはいつも驚かされるね。  やはり君は、一所でデスクワークをしているより、その方が向いているようだ。  なぜなら、君の論文はいつも長すぎる。もう少し簡潔に書きたまえ。  編集する人間のことも考えるべきだな」 映し出され、話はじめた男を見て、ハロウドはクスリと笑う。 長い付き合いのある友人の顔は、いつ見ても心和むものだ 「しかしガトーはすごいな。晶妖精による遠距離会話なんて、そうは思いつかないぞ。  風精霊による通信と違って映像があるというのはありがたいが、さすがに速度では劣るな。  まあ君の場合、速度より正確性や画像添付の方が適しているだろうな。  実際、君のスケッチは実にわかりやすい。一度画家になってみたらどうだい?」 「画家ではこれほど面白おかしくはないな」 会話の届くはずのない相手に、相槌を打つ。 半ば癖のようなものだ。 「しかしやはり、肉食生物だとするなら狩りの様子が必要になるな。  そちらに届く頃には夜になるだろうが、朝になったらしばらく張り付いてみてくれ。  ああそうだ、そんなに細かく連絡してくれなくても大丈夫だぞ。  纏まってから連絡してくれても問題ない。なにより、私も毎度出られるわけではないしな  それと、たまにはちゃんと食事を取るんだぞ。  いつもより頬がこけてるぞ。しっかり腹ごしらえしないと、いつか倒れるぞ。  以上、長くなったが通信終わり」 そこで、トゥルスィの映像は消え、水晶に元の光が宿った。 仕事を終えた晶妖精が、ふわりふわりと中で踊っている。 「そうだな。そろそろ保存食の残りも少ないし、一度補給も兼ねて街に戻るか」 今度こそ、眠りにつくために、ハロウドは目を閉じた。 できることなら、夢で彼女が出るようにと、星に祈って。 「ぬぅ、やはり動かんか。どういうことだ? 何か理由でもあるのか?」 次の日も、ハロウドはギャフィルアたちの観察を続けていた。 群れにはいまだに大きな動きはない。むしろ、昨日の場所から全然動いていない。 「相変わらず円陣を組んで周囲を見渡すばかりか。  獲物がいないのは既にわかりきっていることだろうに。  いったい、何がしたいんだ?  それとも私の知らない何かが、彼らにはあるのか?」 岩場に隠れながら毒づくハロウド。 何かを待っているのか、とも考えて周囲を見渡したが、別に獲物らしい影は見当たらない。 「もしかしたら、彼らは光合成で栄養を補給しているのか?  あの見た目は周囲を欺くためのカモフラージュなのか?  だとすれば少し興味深いな。  ならばあの姿は威嚇か? それとも毒でもあるのか?  いや、それならもっとケバケバしくなるだろうから、毒とは考えにくい。  やはり光合成の線でいいのか?」 気になったことはすぐにメモを取る。それがハロウドの癖といえば癖だ。 岩陰に隠れ、メモを取るハロウドを、優しく風が凪いだ。 だが、この風は、ギャフィルアたちの方にも向いていた。 もし、彼がこの時も観察していたとしたら、 あの群れの一体と、目が合っていた。 「今回も特に収穫はナシ。進展もなし。  やはり、魔物の考えることを理解するのは難しい」 ため息をつき、星空を眺める。昨日と同じく、満天の星空が広がるばかりだった。 「狩りの様子、狩りの様子さえわかれば……ぐうう!」 悔しそうに草を掴み、ブチリと引き抜く。引き抜いた傍から、すぐに捨てた。 ガサリと、落ちる音が夜闇に響く。 「……いかんいかん、落ち着け。さすがに植物に当たってはいかん。  大人気ないと思え、ハロウド」 自分の口で自分に言い聞かせ、平静を保つ。 ある意味、それが幸いした。 ガサリと、もう一度草が鳴った。 「!!」 ハロウドは、ゆっくりと上半身と、片足を起こした。 音を出さず、身を屈め、いつでも逃げられるように。 「…………」 息を潜め、周囲の闇に感覚を向ける。 そして、闇を切り裂いて、白い牙が、ハロウド向けて飛んできた。 「シッ!!」 すぐさま足に力を入れ、その場を飛び退く。 ごろごろと地面を転がって、飛びかかってきた相手に視線を動かす。 「グルルルルルルルルル!!」 はっきりと敵意と殺意を見せて、牙を剥きだしにして涎を垂らす、ギャフィルアがそこにいた。 間近で見てはっきりわかったが、彼らの眼は金色だった。額の、第三の眼も。 だが、ハロウドを見ているのは通常の双眸だけで、第三の眼は別方向――彼の後ろを見ていた。 (どういうことだ? あれには視力がないのか? だとすれば飾りか?  いや、その可能性はない。ならば夜でも見える目か? いや、それも違う。  おそらく鼻で嗅ぎつけるはずだ。どうやら、気づかぬ間に匂いを覚えられたらしい。  だが、だとすればあの眼は何だ? なんだというのだ?) 脳内で素早く情報を整理し、疑問点をはっきりさせるが、今まで得た情報では答えがでない。 「ギャウァーーー!!」 すぐ背後から、別のギャフィルアが牙を剥いて飛びかかってくる。 狙いは、ハロウドの首。 「ちぃ!」 ポケットの一つに手を突っ込み、何かを握り締め、それを振り向きながらギャフィルアに投げる。 いや、投げるというより撒き散らす、といった表現の方が適切だった。 「キャイン!」 撒き散らしたのは、干し肉の味付けようにと思って突っ込んでおいたコショウだ。 それを目と鼻にモロに喰らったものだから、空中で体勢を崩して、そのギャフィルアは地に落ちた。 すぐさま、ハロウドは立ち上がって走りだした。 その後ろを、最初に飛びかかってきたギャフィルアが―― いや、ギャフィルアの群れが、追いかけてくる。 バラバラにではなく、群れを成す肉食獣特有に、統制された動きで。 (後ろに2、いや3。横に4づつ。このまま包囲するつもりか?  よくある肉食獣のパターンだが、まだあの眼の謎がわからん。  何かあるとみるべきか) 全速力で走りつつも、ハロウドは観察を欠かさなかった。 彼の経験が成せる技といったところか。 だが、楽観できる状況でもなかった。 (安全に遠方から観察出来るとばかり思っていたのが、我が身の不幸だな。  足を止めて使うような道具しか用意していない。  隠し棒しかり、煙幕しかりだ。  皇七郎君から教わったバリツは、ほぼ人型生物を相手とした格闘術だ。  それに、走りながら戦うとなると私の体力の問題もある。  ええいくそ! 運命の女神は試練を与えるのが大好きなようだ!) 「ギャウァーー!」 左右から同時に、ハロウドに向かって二匹襲いかかる。 一匹は上から首を狙って、もう一匹は足を狙ってだ。 「ちぃ!!」 前に強く一歩踏み出し、急加速して射線上から逃れる。 大幅にスタミナを消費するが、食われるよりはマシだ、という判断からだ。 着地の衝撃が、彼の両足を容赦なく襲う。 「ギャウッ!!!」 だがそのすぐ後ろから、先ほど襲いかかった二匹と、さらに一匹が前から、 ハロウドの首、腹、足を狙ってくる。 (行動が早すぎる! 示し合わせてでもいるのか!  ならばサインは、合図はなんだ!) 右手でコショウを、もう一つ別の手で、通信水晶を取り出す。 「いけ!」 ハロウドの叫びと共に、光り輝いて晶妖精が飛び出し、後ろのギャフィルアたちの視界を奪う。 そしてすぐに、前方から来るギャフィルアにコショウを浴びせかけ、撃退する。 そのとき、一瞬だけ、ギャフィルアたちの足が止まった。 (……どういうことだ?) 光を失った通信水晶をポケットに仕舞って、再度加速をかける。 一瞬遅れてから、ギャフィルアたちはすぐにハロウドを追いかけてきた。 包囲は少しだけとけたが、依然として危険なことに変わりない。 (最初にコショウを振りかけたときは気づかなかったが、  もしかして、ギャフィルアには何か特殊な合図があるのか?  声や音を立てずに行える合図が。もしそれがわかれば……大発見だ!) 自身の魔物生態学者の血が騒ぐのを、直に感じるハロウド。 だが、それが少しだけ油断を招いた。 本当に、ほんの少しだった。 「ギャゥアアアアアアアアアア!!!!」 「!!」 ザクリ、と、痛みよりも先に、熱さが彼の首筋に走る。 致命傷、ではないが、少々深い。 いつの間にか前に回りこみ、そして素早く反転して、 彼の首めがけて飛びかかった、ギャフィルアの一撃。 本来なら首に喰いつかれていたが、なんとか避けた。 だが、爪までかわすには、遅すぎた。 「ぐぅッ!」 激痛が走り、地面に転げる。 熱さと痛みが同時に全身を駆け巡った。 なんとか立ち上がろうとする彼の周囲を、ギャフィルアたちが隙間なく取り囲む。 「グルルルルルルルルルル!!」 どれもこれも、牙を剥いた、まさに怒りの形相で、徐々に、徐々にその包囲を狭めてくる。 (なぜ、そんなに怒る?私が獲物だからと言って、ここまで怒る理由はないはずだ。  ナワバリに踏み込んだことがバレたからか?) 痛みと出血と、急に足を止めた疲労と戦いながら、意識を総動員して、 ハロウドは観察を続行した。 (だが、それにしてはおかしい、おかしすぎる。まるで全員、赤い布を追う闘牛のようだ……  怒りが伝播してい――) そこで、ハロウドは一つの答えを見つけた。 検証していないために仮説だが、限りなく正解に近い仮説だ。 (まさか、あの眼は発達した脳器官の一つで、全員で意志の疎通をしているのか?  かつて人間の頭に風精霊を封じた宝石を埋め込んで、さらなる統制を図った騎士団がいた。  それは精霊との相性の関係で断念せざるを得なかった、悪魔の所業だったが、  もし、このギャフィルアたちが、それを進化の段階で成長・発展させていったとしたら……!) 「ウゥオオオオオオオオオオオオ!!!」 ギャフィルアたちが、一斉に遠吠えをあげた。 捕食の合図――ハロウドにとっては、死の宣告だった。 「ぬ、ぐうううう!」 首の傷を押さえ、疲労で動くのもままならない身体を、気力で引きずり起こす。 別のポケットから短い棒を出し、それを軽く振る。 中からシュカンという音といっしょに、鉄の棒が飛び出す。 (私は、死ぬわけにはいかん。もとはといえば私のせいなのだが、  今はそこを開き直ってでも、ここから逃げなくてはならない!  だが相手にはテレパス能力がある。複数同時に、私の死角を狙って攻撃してくるだろう。  凌ぎ……きるしかない!) 棒を片手で構え、周囲を警戒する。特に、もっとも危険な背後と側面を。 ギャフィルアたちは、一足飛びで狙える位置に立ったまま、動こうとしない。 ハロウドが失血して倒れるのを待つつもりらしい。 (根比べ、といきたいところだが、完璧に私の不利だな。  煙幕では逃げきれんし、何よりこの傷では逃げてもすぐに倒れてしまう。  すぐさま包帯で止血したいところだが、それを彼らが許すはずもない。  いっそ諦めて食べられるのもありかと思うが、あいにく私は死後の世界を信じていない。  だから、なんとしてでも生き残る!) 「ウォオオオオオオオオオ!!」 前後左右から同時に八匹――半分は上から、残りは下から、ハロウドを狙って飛びかかってくる。 ハロウドも覚悟を決め、棒を振り回し、襲いくる敵を撃退しようとするが、数が多過ぎた。 (万事……休すか!?) 「ガオォオオオオオオオオ!!」 あと一寸で牙を全身に突き立てられる、というところで、彼の目の前を風が通った。 その風は、実体があった。吼えた。 通り過ぎたときには、彼に襲いかかってきていたギャフィルアたちが、横になって倒れている。 風は、彼の目の前に止まった。 黒くたくましいその艶やかな毛並み、自らの威を示すその鬣、燃えるように赤い眼。 「シュヴァルツ……レーヴェ?」 混濁する意識で、ハロウドは目の前の魔物の名を呟く。 「ガオォオオオオオオオオオオ!!」 もう一度、シュヴァルツ=レーヴェが吼え猛る。 「グルルルルルルルル……」 倒れていたギャフィルアたちが弱弱しく立ち上がり、負け惜しみのように唸ってから、 包囲を解き、闇に消えていく。 ハロウドは、それを見終わってから、ゆっくりと視線を、 目の前のシュヴァルツ=レーヴェに向ける。 だが、そこで意識が途切れ、視界が夜闇以上の黒に染まる。 (ああ、気絶か。私も運が悪い。せっかくもう一つの観察対象がいるというのに) ハロウドは、意識が途切れる最後まで、魔物生態学者であった。 最初に眼にしたのは朝日だった。 地平の先から昇りくる、真っ白な光が、彼の眼に刺激を与え、意識を覚醒させる。 「……朝、か?」 混濁する意識のまま、ハロウドは身を起こす。 チクリと、首筋が痛み、手で抑える。 そこには、あるべき傷が消えていた。 「ふむ、これが死後の世界と言うやつか? 緑が鮮やかに見えるし、太陽も眩しいな。  しかし昨日までいた草原とほぼ同じだな。これは興味深い。  もしや死後の世界とは、通常の世界の別位相の事をいうのか?  なるほど、それなら霊媒師やエクソシスト、  果てはスケルトンなどのアンデッドがいる理由にもなるな。  そうか、私は死んだのか。しかし死んでも感覚があるというのは不思議な気分だ」 「残念だが、お前は生きているぞ。学者よ」 背後から、ずんぐりとした重い声が響く。 バッと振り返ったハロウドの視界に、黒い獅子の姿が見えた。 その獅子は、赤い瞳でじっと、ハロウドのことを見ている。 「子供を抱えたギャフィルアの群れは、ひどく苛立つものだ。  その原因を排除するためなら、狩りを中断するほどにな。  次からは気をつけることだ」 口を動かすことなく、シュヴァルツ=レーヴェはハロウドに語りかける。 耳よりも頭に響く事から、念話に近いものだと、ハロウドは判断した。 「昨日の夜、私を助けてくれたのは、君か?」 「君ではない。私にはシュトゥルムという名がある」 「魔物でも、名をつける風習があるのか?」 魔物が自らの名を告げたことに、ハロウドは興奮した。 名を持つ魔物など、飼われた者以外では珍しいからだ。 多くの場合、魔物は地名を自らの名とする。 「生憎だが、そのようなものはない。自らでつけた。  私より早い者がいなかったからな。君たちでいうところの、区別のための名だ」 どこか誇らしげに、目の前の魔物――シュトゥルムは自らのことを語る。 ハロウドはすかさずメモを取り出し、ペンを手に持った。 「素晴らしい! 素晴らしいぞ! 自ら名をつける魔物なんてはじめてだ!  シュヴァルツ君! 君にいろいろ話を聞きたい!」 「……は? あ、い、いやちょっと待て。  私はシュヴァルツではない。シュトゥルムだ。名前を間違えるとは失礼だぞ」 興奮しているハロウドの気迫と言葉に、シュトゥルムは少しばかり戸惑い、唖然とし、 文字通り目が点になった。 「おッと、それはすまんかったシュトゥルム君。失礼なことをした、すまない。  さて、君が私を学者と言ったのは正解だ。私の名はハロウド=グドバイ。  君たち魔物のことを調べている者だ。  理由? 簡単だ。魔物を調べて世界の美しさを知ることが、私の至上の喜びだからだ。  人間の歴史や感覚だけでは測れない世界の素晴らしさを、私は知りたいのだ」 「い、いや、自己紹介と君の気持ちはわかった。わかったが少し待ってくれ」 熱い視線を浴びせかけてくるハロウドにたじろぎ、シュトゥルムは足を半歩引く。 さすがのハロウドも、まくしたてすぎたと反省し、コホンと咳払いを一つする。 「これは失礼。ついつい興奮してしまった。すまない」 「そ、そうか。しかし、君は変わっているな。よく言われるだろ?」 「大丈夫だ、私と並ぶ変人があと二人いる」 「…………」 その言葉を聞いて、シュトゥルムは絶句した。 目の前にいる男が、彼の理解を遥かに超えていたからだ。 (……そこは、誇るべきところではないだろう。つくづく人間というものはわからんな) 半ば呆れ、半ば興味を持って、彼はハロウドを見た。 昨日まで半死人だった男が、今自分の目の前で、子供のようにはしゃいでいる。 普通の人間なら、まず逃げ出しているような、この状況でだ。 (よっぽどの大うつけか、大器だな) 人間と同じように、シュトゥルムはにやりと笑った。 それに気づかぬまま、ハドウロはさっそく、インタビューを始めた。 「さて、いろいろ聞きたいことがあるが、まずは君たちの活動範囲と主な獲物だな。  やはり街の者が言っていたように、ワイヴァーンでさえも君たちは食べるのか?  あと、その際に聞いた話なのだが、君たちが羽根を使って空を飛んだというらしいじゃないか。  それはやはり、魔法を使うということでよろしいのか?」 「まあまあ待ちたまえ。まずは私たちの魔法の種類から話そうじゃないか。  私たちは魔法を使って獲物を追ったりするからな。  それに、この魔法の師匠についても、話さねばならんしな」 「おお! それは願ったり叶ったりだ! さっそく聞かせてくれたまえ!」 こうして、ハロウドの辞典に、新たな一ページが加わっていくのである。 その名はハロウド=グドバイ。魔物生態学者であり、 世界の美しさを探求する者。 でめたしでめたし