冒険者達異聞 時計塔物語/2.二つ白と、それから冒険者    アードヴァルタの夜。  幽かに街の火がわだかまり、きっかり一時間おきに時計の鐘が響く夜だ。  そこを人間が一人追われ、走っている。  街の人間と思しき男だ。恐怖に顔を引きつらせている。    走っている。走っている。  その後ろには、一匹のけもの。  闇に溶け込んで姿は見えない癖に。  鼻から、口から。生臭い息が吐き出されているのが解る。  さもなければこんな必死に逃げる事など無いのだ。    仕事帰りの、このように語るからには平凡な男であった。  そして、だからこそ獣に追われるような男でもなかった筈だ。  その男の首筋に、けものは喰らい付いた。  喰らい付き、引きずり倒し、食い破った。  血が吹き、死の痙攣が男を襲った。  そして、獣は彼の腸を引きずり出し、獣であるからには獲物のまだ暖かいそれを旨そうに食ったのだろう。  兎も角、瑣末事を別とすればその男は死んだのだ。  それはこの月に入ってからというもの、五人目の被害者の最後でもあった。  ぱさり、と新聞を閉じて青年は無表情に傍らに置く。  青年の名は、レオン=ラークハルト。『陽炎』と、綽名を与る(あずかる)白子の剣士であった。 「最近物騒ですよねぇ、兄(あん)さん。見たところ旅の方のようだけど、子供連れじゃあ大変でしょう?」 「そうでもない」  と、レオンは生返事を返しつまらなそうにあらぬ方向へと視線を向ける。  見える者、と言えば酒臭そうな顔をした連中と食事を取る者達と、見るからに向う脛に傷でもありそうな風体の連中。  それに幾らかの例外をトッピングすれば、レオンが見ている光景が完成する。  時刻は夕刻。うす明るく、金色と赤色を混ぜた時刻であり、それ故に街に幾つもある酒場兼宿屋と言った趣のこの店には 先程記述したような状況があらわれるのである。  そして、レオンもまたそういった有象無象の客の一人であり、夕食を摂っている。  酒は無い。体に会わないのだろう。彼は下戸で、その為だろうか酷く憂鬱な風でさえあった。 「レオン、食べないの?」 「いや……」  例外の一つの言葉に相槌を返す。白い衣服をすっぽりと体全体を覆うように身に付けてはいるが、声は幼い少女のものだ。  彼女にレオンはルビィ、と名づけていた。  ルビィの前に皿は無い。ここでは食べる事が出来ないからだが、かと言って客室への持込みも店の主が良い顔をしなかった。  これを食べたら何か買いに出かけるとしよう、とレオンは思い、そこで一瞬だけ忘れていた事を思い出していた。    さて。  冒険者とは、有り体に言えばお天道様に胸を張って顔向けが出来ない職業だ。  正直に言えばそうだった、と言った方が正しいのだが。  『昔ながらの』と言う形容詞が付く冒険者は、おおよそ放浪者と山賊と傭兵と山師を足して四で割ったような連中が殆どである。  しかし、現代の皇国、王国連合、東国諸国と言った国々では人間種族の版図拡大、と言った手垢塗れのスローガンでもって── 富国強兵政策、とでも言うべきか。ともかくその結果、一言で言うならば一見そうとは取れないような冒険者が増えた。  最も、変わらない事もある。冒険者と言った連中は仕事の口を求めて何かきなくさい臭いがする場所に群れる、と言う点である。  夜多鴉、と言う戦場を渡る巨大な鴉がいるが、ある意味では彼らにも似通う冒険者の習性であった。  レオン=ラークハルト。『陽炎』のレオンも又、そんな冒険者達の一人だ。  そして、この酒場と言う場所は冒険者達が仲間を求める場所でもあった。  最も、レオンは仲間の選り好みを、おそらくこれからやって来るであろう仕事に関しては厳しくする事に決めていた。  これからやって来るだろう仕事、と言うのは先程彼が読んでいたアードヴァルタの地域紙にも仰々しく記載されていた事件である。  曰く、この街に入り込んだ何者かが連日夜の街と死体置き場を賑わせている、と言う寸法だ。  同様に読み漁ったある新聞には──ある程度大きな街ならば、営利と個人とを問わず新聞を発刊する、と言うのが昨今の流行である──早々に時計塔の魔物が原因だの、街の警備当局の怠慢などと言う文字が大真面目に躍った紙面も見受けられたが、 レオンは彼らが正体不明の怪物の胃袋に納まる事を何処かで願いつつ、しきりに首を捻りたくなったものだ。  アードヴァルタ警備の兵達も決して馬鹿では無い。  やって来るだろう仕事を予期している賢明な冒険者がそうであるように、必死で市街を駈けずりまわっていた事だろう。  けれど、一月分程も見て解った事であるが、どれを見ても酒場での噂話と大差が無い  言い換えれば、夜の跳梁する何者かは『獣の様に人を襲い喰らう』以外には殆ど何も解っていないと言うのが現実であった。  (付随する出来事として夜中、徘徊する冒険者達も増えたようだった。犠牲者の内にも二人含まれている)   「だからこそ、か」  と、独り言を洩らす。  彼も、ここ数日と言うもの仕事の口を探す傍ら街を見、同じ状況に陥っていたのだ。  向けられる側としては余り良い気分では無いが、非難の一つでも言いたくなる人間が居たとしても解らないでもない。  だが、目下の問題は矢張り資金不足だった。  原因を言うならば、彼の様な流れの冒険者には未だ平和の痕が色濃く残るこの街では大した仕事が無いのである。  警護の連中にも勿論プライドがあり、金持ち達は自身の私兵に護衛の殆どを任せ、それ以外はと言うと 連日の事件に漠然とした不安を感じつつも普段通りの生活を営んでいる。  そこに戦の臭いか、はたまた金の臭いを嗅ぎ付けて集まってきたのだから当然の結果と言えた。  「明日こそは何か動きがあるに違いない」、「一山当てて遊び呆けてやる」などといった趣旨の声が聞こえるが、 そんな彼らが場末の用心棒や使い走りの警吏、借金の取立人に化けるのも時間の問題であろう。  溜め息を一つ。  幾ら人々の噂や、吟遊詩人のサーガに昇ろうと冒険者の実態はこんなものだ。  ましてや──  レオンがそんなとりとめもない思考を浮かべた瞬間だった。  ぴくり、と彼の白い眉が僅かに動き、一人の壮年の男が、彼の居座るテーブルに向かって真っ直ぐに歩いて来ているのを見た。  その男はテーブルの前で立ち止まると、レオンに言う。 「相席を願いたいが、構わないだろうか?私は連れが一人居るから無理にとは言わないが」 「──」  すぐには返事を返さず、レオンはやって来た男の風体を眺める。  髭面で、ボサボサの赤髪を紐で房に括った剣士だった。  その後ろには、もう一人。つまらなそうな顔でそっぽを向いている大盾を携えた男が居る。  彼らが纏ったある種の臭いで、すぐに解った事があった。彼らもまた、冒険者だと言う事である。  だからといって、この二人が彼にとって必要か否かは別であるが。  辛抱強く赤毛の剣士は彼の返事を待っている。去るも残るも返事次第、と言う事だろう。 「あんた方は一体誰だ?生憎、俺は名前も知らない人間の懐に入るのも、懐に入れるのも嫌なんだ」   それは、つまり目の前の二人がレオンを仕事の協力者として求めている、と言う事だった。  ならば、まず名前を聞かなければならない。呼び合うにも不便であるし、第一名前も知らない相手などとは誰も協力すまい。 「私はウォル=ピットベッカー。こっちが──」 「ゼフィリア=アースライトだ」  暗に求められて、冒険者二人が名乗る。   「レオン=ラークハルト。話だけなら聞く。どうするか決めるのはそれからだ」  応え、レオンも又自らの名を言った。  その名を聞いて、ふむ、と一瞬だけルビィの方に顔を向けてからウォル=ピットベッカーと名乗った男が顎鬚を摩った。 「陽炎のレオン、か。勇名は聞いているよ。最も、最近は余り仕事をしなくなったそうだが──」 「だから目下求職中なんだ。何もしないと食べてはいけない」 「それは道理だね。二人分ともなれば尚更だ。が、私は世間話を長々と続けるつもりも無い。本題に入ろう」  交渉は彼の役目なのだろう。さらりと話題を切り上げたウォルはレオンの名乗りを一応の肯定とみなしたのか、 二人は椅子に腰を下ろし、ウェイトレスの娘に酒と料理とを頼む。 「食事中だったのなら食べてからでも構わないよ。冷めては折角の料理が台無しじゃないか」 「いや、別にいい」 「時は金なり、か。殊勝な心がけだね。それじゃ遠慮なくはじめるとしよう。ゼフィリア、君も良く聞いておいて欲しい」  レオンが頷くのを見て、ウォルは言葉を続けた。 「単刀直入に言おう。私は、腕の良いい冒険者が何人か必要なんだ」  「冒険者なら他にもそこらに幾らだっているだろう。この酒場にだって」 「私は『腕のいい』と言った筈だよ、レオン=ラークハルト。残念ながら、君が言うような連中には勤まらない仕事なんだ」 「人並み以上の精兵が必要、か。人づての武勇伝ほどあてにならない物も無いと思うが?  少なくとも俺は吟遊詩人連中が無闇に脚色した話や、噂に昇る連中ほど強くは無い」 「確かにね。だが、私には君は君自身が言ったほど頼りにならない男のようにも見えない。  これでも長年この職で食っている。それなりに人物鑑定には自信があるつもりだよ」 「……だからはいそうですか、と言うとでも?」 「まず無理だろうね。第一、それでは多分私は君の事を見込み違いだったと思うだけだよ。  そして私は誰か別の人間を見つける方法を考えるだけさ」 「随分と率直だな」 「君も似たようなものだろう。まぁ、語れる事は正直に話さなければ信用は得られるものじゃない」 「あんたが言ったのは、まだ一つだけだ。腕利きが、それも複数人欲しい──か。迷宮探索でもするつもりか?  別に、腕利きが一人増えなくとも、そんなじゃなければ並みの人間の数を揃えた方が余程やれる事も増えるだろうに」  ウォル=ピットベッカーが髭を擦り、給仕娘が先程頼んだ料理を四人が居座るテーブルへと運び、 黙っていたゼフィリアが退屈そうな様子でその娘を一瞥し、レオンはまるで料理に手を付けておらず、 ルビィはまるで人形か何かの様にじっとしたままだった。  湯気を立てる料理が並び、けれど誰一人としてそれに手を付ける者はおらず、ウォルが再び口を開く。 「君は──迷宮探索と言ったね。正解。私の目的はそんな所だ」  今度考えるような素振りを見せたのはレオンの方だった。  僅かに目が泳ぐ。それは勿論、迷宮の名前を探しての事では無く。 「てっきり、あんたもこの街の噂話に釣られた口かと思った」 「それもあるが、ついでだよ。障害の可能性があるならば、排除とは行かなくとも多少は情報収集ぐらいはする」 「随分と軽く言うじゃないか」 「直接関わる可能性も低いからね。──まぁ、君が何を考えているのかは知らないけれど、 この街に跳梁している魔物だか殺人鬼だかは、残念ながら私の管轄外だよ。  余計な人間を集めたくないから伏せていたがね」 「その癖には随分と慎重に見える。まるで、パレードの警護でもしてるみたいだ」 「……やれやれ、手厳しいな」  その原因はお前だろうに、とレオンは心の中で呟く。  まぁ、素直に受け取るならば、何がしかの組織(学術、軍事、商業etr...)の仕事をこの男は請け負ったのだろうが、 それならば幾つか腑に落ちない点がある。  例えば、それはこの街で直接、それも腕の立つ人間を集めようとしている点だとか。  仮に男と協力関係にある個人、もしくは組織があるとして、その手勢を全く借りないのは何とも手落ちの様にレオンには感じられた。  勿論、疑問はそれだけでは無い。  綺麗事だけで仕事と言うのが片付かないのが世の習いだ。 「──三つ、質問がある」 「ああ、何かね?私も、少々聞きたい事があったし丁度いい」  ウォルの言葉を待ってから、レオンは言う。 「それは割りに合う仕事か?」 「それは保障しよう。最も、それに見合う働きはしてもらうがね」 「二つ目。一体誰からの仕事だ?」  ふむ、とウォルは息を吐くともつかぬ言葉を呟いた。 「名目上は、私と言う事になるのだろうね。経費も出ているよ」 「成程。あんたは臨時の中間管理職って訳だ。けど、俺が聞きたいのはそう言う事じゃない」 「今、君に言うにはここまでで十分さ。訳あってこれ以上は話せない」 「何か話せないような理由でも?それだけでも手を引く奴は多いと思うが」 「……参ったね。益々君を雇いたくなった。だから、正直に理由を一つだけ言っておく事にするよ」  それはお互い、馬鹿でしかない協力者は要らない、と言う事か。 「何のことは無い、ただの保身さ。例え私が何者であろうと何処の誰の下にも付くつもりは無いからね。  そして必要でない厄介事を呼び込むのは断じてご免蒙るのさ」 「……」 「三つ目の質問はいいのかい?」  ウォルの言う保身とは二重の意味があった。彼を雇った何者かへ、そして彼が雇う何者かへ、である。  果たして男の言葉は本心か、それとも嘘か。  レオンがそう考えた所で、ウォルの言葉が挟まれる。  急かすような調子に僅か、顔を顰めた。 「いや──それじゃあ、三つ目だ」  果たして──ウォル=ピットベッカーの告げた言葉は彼の本心か。  自己保身。正直に言えば余り人聞きは良くない。レオンは、『たったそれだけで』顔を顰める人間を知っている。  だが。恐ろしい魔物。人同士の殺し合い。そんな場所に赴く人間に、最低限必要なのは生き残ろうとする意思である。  だからこそ、良い英雄は死んだ英雄だけだ、と言う言葉もある。   そんな事を考えていて、レオン=ラークハルトは三番目の質問に何を言ったか。  ウォル=ピットベッカーが何と答えたのか余り意識する事が出来なかった。 「質問はこれで終りかい?」 「ああ」 「それなら、そろそろ答えを聞かせて欲しい。そろそろ腹も空いてきたからね」    見れば、いい加減冷め始めている料理が皿の上から彼らを見上げているし、 ゼフィリアなどは完全に退屈し切ったらしく片肘をテーブルに突いて話半分と言った調子だった。  一瞬、レオンはルビィの方を向く。白い布の向こう側から、赤い目が彼をじっと見ていた。  結局、全ての情報が与えられる事など滅多に無い。  重要なのは危険の匂いを嗅ぎ付け、それで決断するか否かを決める事だ。  そう考えて、彼の腹は決まった。 「解った。その申し出を受けよう」 「成立、だね。正式に契約するかはともかく詳しい事は後でどちらかの部屋で行うとしよう」  そして、それで話は済んだとばかりに、ウォルは「それじゃあ今日の晩餐と行こうじゃないか」と言ったのだった。 …  食事とは言ってもそれに限って言えば別に楽しいものではない。  レオンは同席した彼らを完全には信用していなかったし、半分は頭の中に蠢く無数の疑問の答えを探してもいる。  そして、当のウォルはと言うと用事がある、と言って食事を終えると早々にレオン達を残して酒場を出て行っていた。  残されたのはレオン、ルビィ、ゼフィリアの三名であるが、残念ながらルビィには別に会話が無いのは何時もの事である。  と、なればこの陰気臭い食事風景の一番の煽りを食らっていたのは重装の鎧を駆るゼフィリア=アースライトであった。  彼はことさら味気なく感じる料理を口に運びつつ、酒を喉に流し込んでいる。 「──ふぅ」  全く。酒を注ぎながら彼は嘆息を一つ挟む。  何と陰気な男だ、とゼフィリアはレオンに対して評価を下していた。  彼は己が不器用な男だとは知っているし、雇われただけとは言え、まがりなりにも今は配下の身の上だ。  亡国のそれとは言え、騎士だったのだから分際を弁えると言う事は文字通りに叩き込まれている。  今更、責任を取る人間が何をしようが部下としてはそれに対して文句を差し挟む気にはなれない。  が、戦列を共に並べるかもしれない立場からは別であった。 「飲まないのか?」 「いや。飲まないな」 「んだよ、つれない野郎だな。人が折角酒を勧めてるってのに」 「違う。俺は酒が飲めない。体が受け付けない」  酒、とはゼフィリアにとっては命の水の異称である。  一日の終りに焼け付くような熱を草臥れた体に流し込む、と言うのは使い古した鎧と盾に油を塗り、磨き上げるのにも似ている。  それを断られたとなると陰気と言う印象だけではなく、 このレオン=ラークハルトと言う男がまるで自分とは違う生き物のようにさえ、酒の回った頭では感じられた。  どうも、こういう若い世代の冒険者と言うのはこの騎士くずれの冒険者には馴染めない存在であった。  ウォル=ピットベッカーと言う男にしろ得体の知れない所はあるが、あちらの方がまだ馴染みやすい。  酒に弱いくせに自分に付き合って酔い潰れ、訳の解らない演説をし始める点など最高だろう。  彼にとって、酔っ払っても無害な人間は隣人と言うカテゴリに一括されるのだった。  ぐ、と更に酒を煽り、何故だか酷く不味く感じられて、彼はこれ以上は止めておこう、と空になったコップをテーブルに置く。  何にせよ、勿論彼を雇った男が握っている情報を口に出すことは勿論できず、 それを匂わせて相手を伺うような器用な真似もできない以上、赤髪の剣士が帰って来るまでは退屈な時間を過ごすことだろう。  そこでゼフィリアは初めて気づいたようにルビィの方を向き、胡乱げな顔を浮かべてからレオンを見た。 「よぅ、レオン。その白い服着た子供は何だ?」 「連れだ」 「連れぇ?聞いた話じゃあんたは流れらしいが、よくこんな子供を連れ回して旅が出来るな。  馬や馬車ばかり使える訳でも無いだろうに」 「別にあんたには関係の無いことだろう。俺は今までもこうやって旅をしてきた」 「関係が無い、じゃないだろうが」  と、目前の若造に少々いらついた風を見せながらゼフィリアは言う。  年嵩の連中と違って、若い者の言う旅とはまるで意味が違うものだ。  人の噂など下らないと断ずる彼にとって、それは当然の思考であった。  そして、騎士であったからこそ、まるで他人事のようなレオンの言葉は殊更、彼の神経に逆ねじを食らわせていた。   「仮に、お前が加わるとする。そうすりゃ当然そこの餓鬼もくっ付いて来る。  知っての通り何をするかは話せないが、俺達のやる事はおままごとじゃない」 「……」    ぎゅう、と掌を握る。  レオンが押し黙ったのを見て、ゼフィリアは更に言葉を続けた。  彼は、レオンの連れている子供に対して口を開いているが、意思の向いている所はむしろ白子の剣士にこそあった。  それはそうだ。彼は、交渉役を一切人任せにする事からも解ると思うが、戦いと騎士崩れらしい実直さ以外には余り取り得の無い男だ。  だからレオンの『陽炎』なんてご大層な綽名なんて知った事ではないのだった。  そんなモノは戦ってみて初めて解ると言うだけだ。  この四十絡みの大男にとっては、未だ三十にも届かないと見えるレオン=ラークハルトは小生意気な若造に過ぎないのであった。  傍らにちょこん、と座ったまま唖(おし)のように黙り込んだルビィに睨む様な目を向ける。 「手前みたいな小僧が何を好き好んで餓鬼を引き連れてるのかなんぞ知らんし、知りたくも無い。  が、一つだけ言っておいてやる。手前勝手の下らない理屈で人死を出してみろ、その時はお前を──」  それはゼフィリアが『下らない理屈』と言う言葉に差し掛かった辺りだった。   「下らない?」  とレオンがいきなり言った。  今の今までまともに取り合っていたとも思えない男に全くの出し抜けに言葉を挟まれて、 ゼフィリアが丁度、何か喉に詰まったような妙な顔をする。  大男の言葉は火薬に落とした火花みたいなもので、爆発したのは勿論、次の瞬間だった。  いきなりレオンは座っていた薄っぺらいテーブルをゼフィリア目掛けて蹴り上げた。  テーブルの上に載っていた皿やコップが滅茶苦茶に踊りながら転がり落ちる。  一瞬怯んだゼフィリアを、レオンが思い切り殴りつけた。  ゼフィリアは殴られて尻餅を付く。が、当然そんな事ぐらいで怯む根性をしている訳では無い。 「何しやがんだ手前ぇ!!」  啖呵を切って、いきなりいきなり喧嘩を始めた二人組に俄かに店内が騒がしくなる。  言葉を発するでも無く、拳を握って間合いを取ったレオンにゼフィリアが反吐を吐いてから徒手空拳の構えを取った。  何だ何だ?喧嘩か?年嵩と白んぼとがだ。ヒュウ、そいつは良い。しかし、あんなヒョロヒョロ野郎が喧嘩なんて出来るのか?  じゃあ賭けだ、と誰かが言い、野卑な笑い声がじゃあ俺はデカいのに100だ、と言った。    そうなれば、荒くれ者の多い冒険者の酒場のことだ。風向きが一つに纏まるのは目に見えていた。  デカイのに200!!いやいや、白助に300!!さぁ、張った張った!!乗り遅れた野郎は間抜けだぞ!!  何時の間にやら現れた胴元もどきが声を張り上げ、夕暮れ時は天下御免の退屈漢どもを呼び込もうと身振りする。  ルビィは、そんな彼らが存在しないかの様に、矢張り二人を──より正確に言えば、レオンのみを無感動なその目に捉えていた。  そして、丁度そんな時だ。  隅っこのせせこましい席で我関せずと騒ぎに無視を決め込んでいた一人の老人が、 先程レオンが読んでいた記事を見ていたある男が。それぞれ、店の外から聞こえてきた絶叫に一番最初かその次に目を剥いたのは。  レオンは、と言うとそんな事は知ったことでは無かった。  ルビィに死なれる事の次ぐらいには目の前の男を殴れない事は不都合なのだった。 「おいっ、一体何が起こった!?」  ゼフィリアが大声で言った。その間に地面を踏んで、相手の拳を顎目掛けて思い切り拳を叩き付けた。  鈍い音がした。見れば、ものの見事にレオンの右拳が顎を打ち抜き、相手の顔面が仰け反っていた。  レオンには確かな手ごたえがあったし、二つ名だって伊達では無い。  剣を振る筋肉は拳を突き出すのにだって使える。  文句も言えないぐらいに叩き込んだ、と確信しても良かった。  だが。  仰け反っていたゼフィリアの目は、今や真っ赤な怒りを湛えてレオンを睨み据えていた。 「うるせぇってんだよ馬鹿がッ!!」  どごん。丁度、ハンマーで思い切りぶっ叩いたみたいな音の拳骨だった。  上から振り下ろすように腰と体重と腕とを使って繰り出したそれは見事にレオンの脳天を捕らえ、 たった一撃でもって白く小奇麗な面に遠慮仮借なく埃っぽい酒場の床を舐めさせる。  まぁ、当然と言えば当然。  腕力と体重、それから場慣れと根性に限って言えば亀の甲より年の功、と言った所であった。 「ぐ……」 「おら、この糞忙しい時に伸びてる暇なんぞねぇぞ!!おい、釣りはいらないから勘定置いとくぜ!!」 「何を」  怒号一閃。それから銭投げ。  店の中はいきなりの事態にごった返し、店の外からも通行人が逃げ込んで来ていて、しかしその中で大男が一番早く動いている。  一方で喋る時間も惜しいとばかりに、投げ出していた大盾と彼の首根っこを引っつかんだゼフィリアにレオンはそう言った。 「良いからとっとと立って走れ!!街の話が本当なら、奴さんはすぐに逃げちまう!!」    そして、店内のパニックに掻き消されそうなその一言でレオンも又、何故この男がこうも急いでいるのかを理解した。 「仕事の時間だ、拳骨一発分ぐらいはしっかり働けよ!!」  人の津波をぶち破る勢いで突撃するゼフィリアと引きずられたままのレオンの後ろで、 押し合い圧し合いになりながらも、ルビィが彼らの後ろに続いていった。  next.....