『ある酒場の風景・その2 前編』  月明かりの下、音も無く疾駆するその影に、野盗の群れは恐慌状態に陥っていた。  宵闇に紛れて街に向かう荷馬車を襲い、金品を強奪して乗っていた少女をさらったまでは良かった。  それは、日も落ちて森の中のキャンプに戻り、さあお楽しみ――と思った、その矢先の事。  一瞬、だった。  突如として吹き抜けた一陣の烈風が、野盗を次々と薙ぎ倒していた。  それを人影と認識できたときには既に遅く、手足を掠め斬られ、武器を取り落としたところを殴りつけて昏倒させられる。  十数名からなる野盗集団は、既に総崩れの様相を呈していた。 「い、一体、何が起こってるの……?」  つい先頃まで辱められそうになっていた事も忘れ、少女は目の前で繰り広げられる怪異を呆然と眺めていた。  少女が捉えることが出来たのは、風の音。  そして、それに混じって聞こえる鈍い音、悲鳴、倒れてゆく盗賊達の姿――  やがてそれも途絶え、夜の静寂が再び戻り始めていた。 「え……ッ!?」  少女がその状況を理解するよりも早く、彼女の目の前で小さな旋風が巻き起こった。  風圧で反射的に閉じた目を再び開くと、彼女の前には一人の人影があった。  漆黒のローブで足元までを覆い、フードを目深に被った長身の人物。  長い袖の先からは、返り血に染まった小剣の刀身が覗いている。 「あ、あの、貴方は……?」  困惑する少女に向かって、そのフードから覗く口元が薄く笑った――ように見えた。  その刹那。 「――――っ!!」  少女が声にならない悲鳴を上げる。  その人物のローブの腹から、長剣の切っ先が飛び出していた。  その背後には、必死の形相で剣を握り締める一人の盗賊の姿。  だが―― 「な……がぁっ!!」  腹を貫かれたはずのローブの人物は、振り向きざまに小剣の柄尻で盗賊のこめかみを殴打し、昏倒させる。  そして、腹に剣を貫通させたままで平然と少女の方へ向き直ると、その手を差し伸べた。 「…………あれ?」  しかし、その手は握られることなく、少女はそのまま音を立てて倒れ伏す。  ポリポリと、バツが悪そうに頬を掻くローブの人物。 「なにも、失神しなくてもいいのになぁ……」  発せられた声は、その長身に似つかわしくない少年じみたアルトの声。  同時に、ローブに覆われた下半身がぺしゃんと潰れるようにして身長が縮まる。 「はぁ……」  深いため息と共にフードが取られ、その素顔が露わになった。  さらさらとした金髪、薔薇色の頬。  どこからどう見ても少年そのものの容姿。  彼の名はアルバン=フリューゲル。 『旋風の双牙』の異名をとる、今年22歳になる青年だった。 「あーあ…穴、開いちゃったなぁ……」  脚の間に挟みこんでいた刀身を引き抜き、ローブの穴を確認するアルバン。  彼の『仕事着』には、彼の拳がすっぽり入り込むほどの裂け目が出来ている。  そして―― 「はぁ……」  彼はまた、大きなため息をつく。  そんな彼を見つめる一つの影に、誰一人気付く者は居なかった――  翌日、『旋風の双牙』の噂は早くも町中に広まっていた。  曰く、「刺されても血の一滴すら流さない不死身の男」  あまりにも予想通りの展開に、アルバンは少し辟易していた。  そして、そんな気分のまま、今日も彼は酒場の扉をくぐる――  その日、酒場はどよめきをもって彼を出迎えた。  客が彼に送る視線の中には、何処か彼を畏怖するようなものすらある。 「よぉ!来たな、不死身の男の『代理人』さんよ!」  そんな中で相変わらずな、店主のガルド=イダルゴの声。 『代理人』という部分に引っかかるものがあるのは、アルバンが『旋風の双牙』本人だと知っているからだろう。 「コレが今回の報酬だ。……しかし驚いたぜ。依頼が発生したその日のうちに『仕事』を終えちまうなんてな」  言いながら金貨袋を渡すガルドの目は、笑っていた。  この様子だと、『不死身の男』のタネもわかっているのだろう。  アルバンは無言でその金貨袋を受け取ると、半ば指定席と化している奥のテーブル席へと向かった。  いつも通りミルクのグラスを前に、彼は思索に耽る。  先日や今回の『仕事』で、ある程度『旋風の双牙』への関心や評価も高まっている。  そろそろ、『旋風の双牙』の噂を聞いて『仕事』が来てもおかしくない頃だ。  アルバンが『仕事』に置いて極力人殺しを避けるのは、『彼の趣味じゃない』ということもあるが、『生き証人を作るため』でもある。  生きて捕えられた者から語られる『旋風の双牙』の強さと恐ろしさ。  それが広まれば広まるほど、いい『仕事』にありつける確率が高まるというわけだ。  しかも、この街は街道沿いにある。  隊商や旅人が他の街にも噂を広めてくれる可能性は高い。  その腕が確かなものであることが知られれば、今後訪れる街でも『仕事』を取りやすくなるだろう。  だがそれは、不貞の輩に目をつけられやすくなるということでもある。  現に、今こうしている間にも、彼に不穏な視線を送る者もいる。  ――そろそろ、寝首をかかれない様に気をつけないと。  そんな事を考えながら、いつもそうするようにグラスを呷るアルバン。  だが―― 「っぐ……げほっ、げほっ!」  ここに来て二度目、勝利の美酒混じりのミルク。  アルバンの恨めしげな視線の先には、にこやかに親指を立てるガルドの姿があった。 ――1日目――  アルバンが最初のミルクを飲み干して少し経った。 「うぅ……」  アルバンは、まわり始めた酒がもたらす酩酊感と格闘していた。  妙に熱い顔を水の入ったグラスに押し付けて冷やしながら、水やミルクのおかわりで体内の酒を薄める。  いくらミルクで薄まっていたとはいえ、彼の小さな身体にラム酒は強烈過ぎたらしい。  前回と全く同じ症状に苛まれながら、アルバンは酒が抜けるまで茫洋と時を過ごすしかなかった。  それは、日も傾きはじめ、アルバンの酒も抜けてきた頃だった。 「……?」  アルバンはふと、近くからの視線に気付き、テーブルに伏せていた顔を上げた。 「…………」  周囲を見回すと、テーブルの横から彼をじっと見つめる一人の少女の姿があった。  ウエーブのかかった長い銀髪がランプの光をきらきらと照り返し、大きな瞳が彼をじっと見つめている。  服装は、街を歩けばそこかしこで見かける子供とさほど変わりない。  歳は、おそらく10歳には届いていないだろう。  唯一、その小さな背中に背負った小剣が、服装とは酷く不釣合いに見える。  アルバンもそうだが、その少女は彼以上にこの酒場という空間には似つかわしくない、異質な存在だった。 「え、えーっと……こんにちは」  アルバンが挨拶すると、少女はスカートの端をつまんで恭しくお辞儀した。  どうやら、言葉は通じているらしい。 「え…と、キミ、一人?お父さんとか、お母さんは?」  アルバンのその問いに、少女は答えない。  ただ、じっとアルバンを見つめている。  ――もしかしたら、迷子かもしれない。  彼の脳裏をそんな思考がよぎる。  少なくとも、この歳で一人立ちしているとは思えない。  仮に旅人だとしても、保護者が居るのが妥当だろう。 「あ…良かったらチーズ食べる?チーズ好き?」  とりあえずは話を聞かないと始まらない。  アルバンがチーズが盛られた皿を差し出すと、少女はそこから一切れだけ手に取った。 「いいんだよ。食べて」  無言のままで手元のチーズを見つめる少女に向かって、アルバンが促す。  その言葉に少女は小さく頷くと、一口にチーズを頬張った。 「…………」  味わうようにたっぷりと時間をかけて咀嚼し、嚥下されるチーズ。  アルバンは、少女の瞳が輝いたのを見逃さなかった。 「美味しいでしょ?……良かったらもう一切れ食べる?」  アルバンが再び差し出した皿に手を伸ばす少女。  だが―― 「こぉら、オリガ」  少女の手がチーズに触れようとしたその瞬間、重厚な手甲に覆われた巨大な手が彼女の頭を掴んでいた。  アルバンが見上げた先に居たのは、ガルドに負けず劣らずの巨漢だった。  一目で重戦士とわかる、プロテクターや部分鎧に包まれた筋肉隆々の肉体。  光り輝くスキンヘッド。  手にはビールのジョッキ。 「人様にたかって物貰うのはやめろって言っただろー?」  言いながら、その巨漢はオリガと呼ばれた少女の頭を揺さぶった。  その手つきは乱暴なように見えてしっかり加減されているらしく、少女の首が嫌な音を立てることは無かった。 「あ、あの…」 「ああ、すいませんね、コイツがご迷惑かけたみたいで……」  ふらつくオリガをよそに、巨漢が軽く頭を下げる。 「あ、いえ、ボクは別に…」  突然の事に戸惑うアルバン。 「あの、え…と、その子のお父さん…ですか?」  巨漢のあまりの迫力に気圧され、恐る恐ると言った感じでアルバンは訊ねた。 「ああ、こいつは失礼。俺はアラム。アラム=グストフ。で、こっちが娘のオリガだ」  紹介され、オリガが再びお辞儀する。  ――似ていない。  アルバンは素直にそう思った。 「へぇ…『旋風の双牙』の代理人ねぇ」  同席してアルバンの話を聞きながら、ビールのジョッキを傾けるアラム。  その傍らでは、オリガがミルクを片手にチーズをつまんでいる。 「…でも、俺にはアンタがただの子供には見えねぇんだが……気のせいか?」  ジョッキを開けてテーブルに置いたアラムは、ニヤリと笑って見せた。  どうやら、『巨漢には正体を見破られる』というジンクスでもあるらしい。 「は、ははは…買いかぶりすぎですよ……」  乾いた笑い声を上げながら、アルバンはミルクのグラスを呷る。  と、アルバンはふと視線に気付き、オリガのほうを見た。 「……っ」  アルバンと目が合った瞬間、オリガは気まずそうに目を伏せる。 「…ほぉ」  そんなオリガの仕草に、アラムは口角を持ち上げた。 「オリガ……お前、アルバンの事、気に入ったな?」 「……!!」  アラムのからかう様な口調に、オリガは俯いたままで耳まで真っ赤になった。  そんなオリガを見て、アラムは豪快な笑い声を上げる。 「はっはっは!!こいつはいい。お似合いだぜ、お二人さん」  立ち上がったアラムにアルバンの隣まで椅子を押され、ますます赤くなるオリガ。  当のアルバンは、かなり複雑な心境だった。  いくら好かれているとはいえ、彼に童女趣味は無い。 『十歳程度に見える容姿の男』と『十歳程度の少女』では、見た目は近くとも大きな隔たりがある。  だが―― 「なぁ、アルバン。頼みがあるんだが――」  先程とはうって変わって、アラムは真剣そのものの表情でアルバンに語りかけた。 「頼み――ですか?」  アラムの態度の変わりように、アルバンは唾を飲み込んだ。 「ああ…急な話で何だがな、オリガを貰ってやってくれねぇか?」 「え……っ!?」  それはあまりにも急すぎる話だった。  アルバンの行き当たりばったりな人生計画が、一気に混乱し始める。  当のオリガも、頬を染めたままで何か言いたそうに父を見上げ、口をパクパクさせている。 「え…えっと、それは、その――」 「いや、なぁに、今すぐにってワケじゃねぇ。……ただ、な」  再び椅子に腰掛けたアラムは、遠い目をしていた。 「俺もこうして傭兵をやっちゃ居るが……万が一って事もある。母親ももう居ねぇし、こいつ一人残されたら…と思うと、な」 『死』というもの。  それは、こうして自分の能力を売る傭兵や兵士、冒険者といった職業には隣り合わせの概念。  アルバンにとっても他人事ではない。  だが、アラムのように家族を持つ身としては、それがさらに不安な要素でもあるのだろう。 「……えーっと、その、ボクでいいなら…」  なまじその感情が解るだけに、アルバンは断りきれなかった。 「そうか、貰ってやってくれるか!恩に着るぜ!ありがとうよ……」  その瞬間、アラムのゴツい手がアルバンの手を取り、ぶんぶんと大きく上下させる。  アラムの目には、うっすらと涙すら滲んでいた。 「あ、えと、その、一つ、条件、がっ」  身体ごと持っていかれそうなシェイクハンドに振り回されながら、アルバンは言葉を継いだ。  その一言に、アラムの手がぴたりと止まる。 「……条件?」 「え、ええ…その、この子が一人になった時か、10年後……その時、ボクより良い人が居なかったら…で、どうです?」  アルバンの苦肉の策。  流石に年端もいかない少女が一人になるのは忍びなかったし、10年後といえば結婚しても良いくらいの年頃にはなっているだろう。  …もっとも、10年後には彼は32歳になっているのだが。  アルバンの提案に、アラムはポンと手を打った。 「なるほどな…それなら安心だ。オリガ、お前はどうだ?」  アルバンがオリガの方を見遣ると、オリガは唇を噛んでじっとアルバンを見上げていた。  頬を染め、口元を震わせ、今にも泣き出しそうにも見える。 「……っ」  しばらくして、その手が意を決したようにアルバンの袖を引っ張った。 「えっ?何――」  アルバンが思わず顔を近づけたその瞬間。  柔らかな感触がアルバンの唇に触れた。 「え……!?」  軽く、触れただけ。  ただ、それだけの、軽いキス。  オリガはすぐさま顔を離すと、再び耳まで赤くして俯いた。 「はっはっは!!浮気する気は無いってよ!」  再び、アラムの豪快な笑い声が店内に響く。 「よぉし!未来の旦那に祝杯だ!マスター、一番良い奴を持ってきてくれ!」  店内のどよめきが冷やかしの口笛交じりの拍手に変わる頃、アルバンは自分がどれだけ重い約束をしたのか、ようやく実感し始めていた―― ■後編へ■ キャスト ・アルバン=フリューゲル ・ガルド=イダルゴ ・アラム=グストフ&オリガ=グストフ 〜オリキャラ大全より〜 書くうちにどんどん長くなっていったので、前後編に分割です…