――――その城は、まもなく崩壊する。  東国中央部は広い。八つの城に囲まれた領内には、城だの商店だの民家だのがなんの秩序も なく氾濫している。  それもまた、仕方のないことなのだ。  ファーライトが騎士の国であるように、西国が聖教会の国であるように、東国は戦士の国で ある。単一民族ではなく、地域の民を平伏しながら膨れ上がった、元は非常に攻撃的な国だ。 歴史を誇る東国騎士団、と呼ばれているが、その歴史は大抵が血に濡れている。ある意味では 皇国に似ているが、絶対主義であるあの巨大国家と違い、東国はファーライトにも似た三権分 立によって保たれている。その辺の曖昧さが、実に東国らしいとも言える。  騎士と王と貴族。  もっとも騎士の発言権はファーライトよりも強くはなく、貴族の腹黒さはファーライトなど 比べ物にもならない。  というわけで、東国はつねに内敵と外敵に脅かされている。それでいて国が崩壊しないのは 、外敵を倒しきるまで内部戦争が起きないからだろう。もし東国が世界を平定し、敵がいなく なれば、その瞬間東国は滅びるに違いない。  奇跡的なバランスを保っている原因の一つ、東国騎士団がある。  いや。  正確に言うならば――東国騎士団団長・ジュバ=リマインダスの存在がある。実力とカリス マの両方を備えた、東国一の騎士、The East One。彼がいるからこそ、周辺国家は簡単には攻 めてこられない。  彼一人で戦争を始めることはできないし、終えることもできない。  それでも、その存在感は無視できるようなものではない。彼が後ろにいるからこそ――否、 彼が先頭に立ち敵を切り開くからこそ、東国騎士団は全力で戦える。そして、彼と、その両脇 に立つ副団長の姿を見た敵たちは、勇気を挫かれ敗走する。  東国の切り札。それが、ジュバ=リマインダスだ。  そして今。  東国は切り札を切ってしまい――東国内には、ジュバはいない。  それを見逃さない存在が、一人いた。  その男は、ニ撃を必要としなかた。  ただの一撃。銀に光る日輪のような槍の一振りで、距離も人数も関係なく、城門前に集まっ た兵士たちを切り殺した。殺された兵士たちは、自分が何をされたかも気付かなかっただろう 。体が斜めに両断され、地面に崩れ落ちるその瞬間まで。  東国八城の一、西南を守る城門前に、血溜まりが出来る。  10を超える人間を切り殺して尚、男の顔には笑みすらなかった。どこか退屈そうな顔で― ―その黄金に光る一つ目で、敵がいないことを確かめるだけだった。  そもそも、男にとって、彼らは敵ではなかった。  ただの兵士など――門や塀と変わらない。崩して進む、それだけだ。  好敵手と呼ぶべき、戦うべき相手ではない。  命令されなければ――命令した相手が『アレ』でなければ――彼とて、こんなことはしなか った。無益な戦いなど苦手なのだ。  それは、人ならざる人、魔人にしては珍しい思考だった。もっとも、ある一定のレベルを超 えた魔人は、大抵が理知的になるのだが。理知的な上で破壊的かつ破滅的な者もいるが、その ような者はこんな、人間の戦争活動になど関わったりはしない。  そもそも、男は、自分が人間だと信じていた。  魔に堕ちたというだけで。  太陽のような顔には口も鼻もなく一つの目しかなく、その体が戦闘に特化した、人に見えな い姿だとしても――彼は、己を人だと信じていた。  だからこそ彼は、狂おしいまでに――友を求めていた。  戦うべき友を。  刃を交える相手を。  彼は名を、銀陽の魔刃と云う。自身の名前を無くした彼が、『彼女』に呼ばれる名だ。  日輪の槍が日の光に溶けるようにして霧散する。実体を持たない、日の光を圧縮し贄として 召還する、彼の名の元となった魔法の槍。本当ならばそれを使うような相手ではなかったのだ が、いちいち時間をかける気がなかったのだ。  早く済ませて、早く帰る。  それだけが、彼の望みだった。  銀陽の魔刃は、人の胴ほどもある手甲に包まれた手で、小さな城門を押し開ける。普通の人 間ならば数人がかりで開けるそれも、彼にとっては家の門と大差ない。  そもそも。  越えようと思えば、こんな城壁など、軽く超えられるのだ。  それをせず、あえて門から入るのは、彼なりの礼儀だった。  今から攻め込むぞ、という、一種の儀式だ。  そして――  開けた門の先に、本当の門番が待っている。 「――間に合わなかったか」  その女は、悔いを堪えた声でそう呟いた。悔恨の声は、敵を前にして隠そうとしているもの の、隠しきれずににじみ出ている。  全員鎧の内側からでも、銀陽の魔刃にはそれがはっきりと分かった。  声は女だった。ただし、声がなければ性別など分からなかっただろう。要所どころか、全身 を守る銀に光る鎧。女は長身で、細身である銀陽よりも巨きく見えた。  何よりも異彩を放つのは、手にもったその槍だ。  銀に光るそれは、女の背よりもなお長い三日月状の矛だ。  奇しくも――銀陽の魔刃のそれと、対になったような、異形の槍だ。  彼女が何について悔やんでいるのか、銀陽の魔刃はわずかの間思考してみる。  仲間たちを殺してしまったことにか。  門を開けさせてしまったことにか。  分からなかった。分かる必要もなかった。  銀陽の魔刃にとっては、男だろうが女だろうが、ただの障害物に過ぎなかったのだから。先 の兵士と同じように切り殺して進むだけだ。彼の技を前にしては、鎧など何の意味も持たない 。 「――退ケ」  優しさではなく、ただ倒すのが面倒だと言う理由で、銀陽は言う。 「退くのは、貴様の方だ」  鎧の中の女が、静かに答えた。声は、蒼く燃える炎のような怒りに満ちていた。銀の鎧から 戦意が立ち上る。  ――為ラ已ム無シ。  銀陽の魔刃はそう判断し、手を空に――空に浮かぶ太陽へと掲げる。一拍ののち、その手に は槍が握られていた。  銀色の日輪。  振り上げた手で槍を握りしめ、彼は一気に振り下ろし、 「――斜陽」  銀鎧を両断する光が奔り、 「月――」  その光を。  女が持つ、銀の矛が受け止めた。 「ナ、ニ――?」  槍を振りぬいた姿勢を直すこともできず、銀陽の魔刃の口から驚愕の声が洩れる。  防がれることはあるだろう。  避けられることもあるだろう。  よほどの者ではないとそんなことはできないが――逆に言えば、よほどのものならばそれが 可能なのだ。実際のところ、彼の同僚ならば、この一撃で片がつくということはない。  一撃。  そう、一撃だ。 『斜陽』。  陽の光を槍に集め、鋭い刃のようにして薙ぎ払う、正しく露払いの光撃。  受け止められるだけならば、こうも驚きはしなかった。  けれど、女は。  銀の女の持つ槍は――その光を、吸収していた。三日月の矛が銀色に輝く。彼女が何をしよ うとしているのか、ようやく銀陽は悟る。その技は、恐らくは自分が放った技と同じ性質であ り、陽の光を反射して輝く月のように――  考えられたのは、そこまでだった。  銀陽が行動を取るよりも早く、女の技が、放たれる。 「――斬ッ!」  月斬の声と共に、女は三日月の矛を前に突き出した。  光の奔流が、銀陽へと伸びる。  物理的な圧力を持った光が、一直線に銀陽の魔刃へと突き進んだ。避けることも叶わず、ぎ りぎりで両腕の手甲を前にして直撃を避ける。致命傷は避けれても、慣性の法則は殺せない。  銀光に圧され、銀陽の魔刃は再び、門の外へと吹き飛ばされた。 「何トイウ、真逆ニモ程ガアルナ!」  痛みの悲鳴ではなく、嬉々とした声で銀陽の魔刃は吠えた。吹き飛ばされながらも姿勢を直 し、両足から着地する。ずるずると地面に足跡を残しながら、なおも銀陽は門から滑り離れる 。  開いていた門が、再び、ゆっくりと閉まっていく。  そして、門が閉まりきるよりも早く。 「光の技は、貴様だけのものではない」  銀の女が、外へと歩み出た。ゆっくりとした歩みで閉まる門の隙間を抜け、その前に立ちふ さがる。彼女の後ろで、門が重い音を立てて閉まった。  三日月の槍をくるりと回し、石突の部分で地をどんと叩いた。  触れることも躊躇うような、真の門番。  銀鎧の女は、一歩も退くことなく、銀陽の魔刃と対峙した。  その姿を見て、銀陽の魔刃は笑う。  まさか――頼まれてきただけの、この東の地で。  自分の光をそのまま跳ね返すような、自分の異形を前にして少しも怯むことのない、そんな 女に出遭うとは、思いもしなかった。  それがおかしくて、魔刃は笑った。 「カカカカカカカ! 面白イ、面白イナ!」  笑って、銀陽の魔刃は、両の手を空へと掲げる。  片手ではなく。  ニ本の手を、空へ。  銀色の日輪が分解され、再構成される。先ほどよりも、さらに多くの光を集めて、先ほどよ りも、さらに強い槍へと。極限まで日光を凝縮し、折れることも曲がることもなく、最高の光 撃を可能とする槍を、銀陽の魔刃は作り出す。  露払いでも、雑事でもなく。  本気で、戦うために。  金色の一つ目が輝く。銅色の髪のような後光が、さらに輝きを増す。手に持つ槍が、銀に光 始める。  まるで――太陽のように。  全身で輝きながら、魔刃は笑った。 「気ニ入ッタ――気ニ入ッタゾ、銀ノ女! 名ハ何ト言ウ!?」 「ふん――名など既に捨てた」  その言葉に、銀色の鎧に身を包み、三日月の矛を持った女は、低く押し殺した声でそう告げ た。くるりと矛を回し、その鋭い切っ先を、不安定な場所に立つ銀陽の魔刃へと向ける。  低く低く不動の構えから、空に浮かぶ月を落すかのように。  不敵に見上げて、銀の女は吠えた。 「呼びたいのなら、断末魔の声で叫べ!  貴様の敵は、クレセント=ララバイ!  東国騎士団副団長――――――仕る!」  ララバイが吠え、銀陽の魔刃が笑う。  銀の光が二乗、東国の片隅で交錯する―― (後編に続く)