東国の月は堕ち  後編  クレセント=ララバイは、名をもたない。  ユリア=ストロングウィルがそうであったように、彼女もまた、本名を捨てて生きる者だ。 こと東国においては珍しいことでもない。戦火が拡大されすぎて、己の生まれ故郷や親を知ら ぬ者は大勢いる。  戦争で親をなくした子供がいる。  戦争で親に捨てられた子供がいる。  一人だけで、生き抜くことを強要された子供たちがいる。  ララバイもまたそんな子供だった。騎士の娘でも、貴族の娘でも、商人の娘でも、平民の娘 でも、王の娘でも、魔族の娘でも、学者の娘でもない、ただの子供。誰の庇護を受けることも できずに、東国の隅で一人で生きねばならない子供だった。  そんな子供が、周りには大勢いた。  だから彼女は徒党を組んだ。長く生きるために。強く生きるために。生き抜くために。仲間 は決して一定数以上には増えなかった。新しい仲間が加わるころには、弱い仲間は息絶えてい たからだ。強い仲間も飢えと病気と不運で死んでいった。彼らの名前を、ララバイはもう思い 出すことすらできない。憶えていれば、とても正気ではいられなかっただろうから。  過酷なまでの生存競争。  銀の髪は目立った。けれど彼女は、その髪を切ることも、泥で染めることもしなかった。髪 は顔すら知らない親から受け取った唯一のものであり、何よりも抵抗のシンボルだった。ソレ を奪いたければ先に命を奪うがいい、という、彼女のプライドだった。  それこそが、東国辺境最大規模の自衛集団『銀』の名の由来であり。 「――いい女だ。俺がお前に、生きる場をくれてやる」  ジュバ=リマインダスと、出遭う切っ掛けになった。         †   †   † 「ィィィイイアアアッ!」  裂帛の気合を放ち、今や大人となったララバイは長槍を振う。己の背よりも長い超重武器を 、遠心力を存分に使いながら苦もなく振り回す。空気が割け、触れるものはすべて砕く一撃。  常人も、常人ならざるものも、区別なく砕いていく振りおろしを、銀陽の魔刃は斜め後方へ と跳んで避けた。空中で身を丸めてくるくると回り、サーカスのアクロバットのように着地す る。 「ソウカ、貴様ガ副団長カ!」 「如何にも!」  槍が伸びる。逃げ退った銀陽めがけて鋭い突きが跳ぶ。鋭く尖った三日月状の先が、銀陽の 首を跳ね飛ばすべく突き進む。  それを、銀陽は手にした日輪の槍で受けた。輪のふちに先を引っ掛け、ぐるりと回して槍先 をいなす。力を逸らしながらララバイの懐に飛び込み、左篭手に備えられた鋭い爪を繰り出し 、  その手を、ララバイの肘が叩きつぶす。  ララバイの右手が動く。突き出した槍を横に薙ぐようにして、棒の部分で銀陽の首を狙う。 銀陽は再び跳び、跳んだ後を石突が追い、逃げ切れなかった銀陽は空中でバク転しながら迫る 槍を蹴り上げた。  ララバイの体勢が崩れ――同時に銀陽が着地する。 「コノ偶然、アノ女に感謝スル!」  能面のような顔に隠れて見えないものの、その声は確かに喜んでいた。  強敵と出会えたことに。  強敵と争えることに。  ――あの女?  誰かの指示で動いているのか――頭に浮かんだその疑問を、ララバイは次の瞬間は無理やり 忘れることにした。今は、そんなことを考えている暇はない。  倒してから、聞けばいいだけのこと。  今は、目の前の敵に集中するだけだ。 「月斬――」  ララバイは、銀色の槍を振り上げ、 「――弧月ッ!」  叫びと共に、振り下ろした。  槍から放たれた銀色の光は、無規則な軌道で銀陽へと跳ぶ。十を超える小さな三日月。クレ セント=ララバイの奥義・月斬の派生技にして、対複数・広範囲の光斬。  物理的破壊力を持った光の刃。  迫りくるそれを避けようともせずに、銀陽の魔刃は大きく息を吸い込み、 「甞メルナ!」  一括と共に、金の瞳と、太陽のようなたてがみが輝いた。  輝きは光となり、ぎりぎりまで迫っていた月斬の総てを飲み込んだ。直視すれば目が潰れそ うな眩しさだが、兜をしているララバイにははっきりと見えた。  月斬が、光の中で、どろどろと溶けていく様が。  月の光を掻き消すような――強すぎる、太陽の光。  光が消えた後には、何事もなかったかのように、傷のない銀陽の魔刃がいた。槍の柄で首を とんとんと叩きながら、銀陽はララバイを睨みつける。 「ソノ技ハ――夜ノ技ダロウ。月ノ光ガ足リナイ今ニ満足ニ使エルモノカ」  言って、彼は日輪の槍を構えた。円状の先をララバイへと突きつけ、 「本気ヲ出セ! 本気デ私ヲ殺シテミセロ! 全力ダ、全力デ戦エ!」  挑発的というよりは、懇願するような銀陽の言葉にも、ララバイは眉一つ動かなさい。ただ 黙って、槍を構えなおすだけだ。  彼の言う通り――月斬は昼間に使えるような技ではない。月斬は月の形状によって威力が変 わるララバイの奥義であり、今のは、先の一撃で残っていた光を払ったようなもので、全力に は遠く及ばない。そんな技が、魔刃に通用するとは思えなかった。  牽制程度にはなるが。  ララバイは重心を低く取り、地に触れるぎりぎりの下段に槍を構え直す。  対照的に、銀陽の魔刃は高く高く、太陽に届かせるかのように槍を振り上げ、 「ソシテ私ハ、ソノオ前ヲ叩キフセル――!」  高らかに宣言して、飛び込むことなく、間合いの外から槍を振り下ろした。  ――光撃?  さっきの仕返しとばかりに、同じような技を使うつもりか――ララバイはそう思い、  それどころではなかった。  奇妙な形をした銀陽の槍。先端についている日輪のような輪が、槍の柄から外れて飛んで来 たのだ。空気との摩擦できゅいんと音を立てながら、ジグザグと揺れ動きながら触れるものを 切り払う円盤が飛ぶ。 「跳び道具か!」  不規則な軌道で襲い掛かるそれを、ララバイは槍の柄で受ける。一度は弾いた日輪が、ジグ ザグと周囲を旋回して再びララバイへと襲い掛かり、 「本命ハコチラダッ!」  日輪をオトリに跳びこんできた銀陽の魔刃が、ララバイの銅を前蹴りした。たまらずたたら を踏んだララバイへと、銀陽は左手の爪を繰り出し首を狙う。 「貴様こそ――私を甞めるなッ!」  よろけ下がりかけた足を、逆に踏み足としてララバイが前へと跳んだ。身体を斜めにし、爪 の中へと入りこみ、銀陽の細い胸板へと思い切り肩を入れる。  今度は、銀陽が吹き飛ぶ番だった。  銀陽の巨体が宙に浮き、それを追いかけるようにしてララバイはさらに前進し、 「砕けろ、金の魔人!」  袈裟切りに、その体へと槍を振り上げる。その槍を追い抜くようにして、さらに後ろから日 輪が戻る。急接近した日輪は槍の先と合体し、銀陽は空中で反転し、 「ヌカセ、銀ノ騎士!」  上から下へと、ララバイの槍を圧し潰す。三日月の穂先が地面へと突き刺さる。銀陽は着地 し、着地した瞬間を狙ってララバイの足払いが跳ぶ。  横に崩れる姿勢で、銀陽は無理やりに日輪を切り離した。垂直に跳びあがった円盤を、ララ バイは上体をそらして避ける。鎧の一部がけずれ、ギリギリと嫌な音をたてた。  銀陽は地面を転がって立ち上がろうとし、その時間をかせぐべく円盤が再びララバイへと襲 い掛かる。  その時にはもう、ララバイは槍を手にしていた。 「ハァァァァアァァァァアアアアッ!」  三日月状の穂先。そこで跳んできた日輪を捕らえ――力任せに、地面へと円盤を縫い付けた 。 「馬鹿ナ、武器ヲ!?」 「武器なら――ある」  すかさずララバイは槍を手放し、いまだ間合いにいた銀陽へと、腰にさしていた剣を抜き放 った。  ――一閃。  もとより、ララバイは槍術を主とする騎士であり、剣は得意ではない。得意ではないが―― まったく使えないわけではない。  驚愕により反応が遅れた銀翼は、紙一重でそれを喰らった。  すかさず飛び退いたものの――その胸元が、ぱっくりと割れる。  深くはないが、浅くもない傷。そこから、ゆっくりと血が流れ出す。魔人の血が。 「……ふん」  ララバイは深追いはしなかった。剣をおさめ、三日月状の槍を掴み抜く。地面に縫い付けら れていた日輪が、これ幸いと銀陽の持つ柄へと戻る。  くるりと槍を回し、その穂先を再び銀陽へと向けて、ララバイは言う。  「ここを生きて通れると思うなよ」  その言葉を聞く魔刃の瞳が、何かを覚悟するかのように、ゆっくりと細くなっていった。           †   †   †  もとより、銀陽の魔刃に、ここを通るつもりなどなかった。  彼の目的は東国へ攻め込むことではない。そんなことを大っぴらにやれば、大問題になる。 彼は西国の人間であり、王国連盟という立場上、『弱み』を見せるのはまずい。とくに東国の ような好戦的国家を相手に、攻め込む口実を与えるのは絶対にまずい。  だから、ここに彼がきたのは、あくまでも極秘任務だ。  彼の目的は――クレセント=ララバイ本人である。  魔人であるということを言い逃れにつかった、要人確保の任務。  あくまでも魔物の襲撃として済ませると、『彼女』は言っていた。  彼をここに送ることを命令した、あの騎士団長の女は。 『――銀陽の魔刃。貴方は東に行きなさい。あの男がいない今が絶好の機会です』  あの女の声を、銀陽の魔刃は思い出す。  西国で女騎士団長を務めている女の声を。  立場上は、彼女と銀陽は同じ魔同盟であり、横一列ということになっている。もっともそれ は建前のみで、魔同盟の中にも格差はある。  あの女は――人間であるあの女は、その中でも一種異彩な立場にいた。  実力的には、最強には程遠い。  大アルカナのメンバーとまともに戦うことすらできないほどに弱いだろう。小アルカナの中 でも、お世辞にも強いとも言えない。必ず相手の急所を貫く、という『一突必殺』という技を 使えるものの、それだけでは弱すぎる。急所がない者、急所をさしても死なない者。そんな化 け物が、魔同盟の中にはありふれている。  それでも、なお――あの女に勝てるヤツはそういないと、銀陽の魔刃は思うのだ。  あの女の恐ろしさは、実力などではない。 『副団長を確保しなさい。それが無理ならば――殺してきなさい』  その存在、そのものだ。  人間であること。勝利に対してどこまでも貪欲で、生存に対してどこまでも獰猛で、ありと あらゆる手段という手段を使う。口先三寸で勇者をけしかけ、魔王を脅し、龍をもたぶらかす 。  囁き声こそが、彼女の武器。  それを以って、彼女は西国の騎士団長までなりあがった。天啓を受け神の力を授かったと呼 ばれる彼女は、西国でも特別な位置にいる。  人間の中に紛れる、魔同盟の魔人。  名目上は同等であり、実力で言えば倒しきれる銀陽ですら、彼女を殺すことはできない。今 こうして、彼女の手先として、わざわざ東国まで足を延ばしたのがその証拠だ。  なぜなら――  『そうすれば――』  銀陽は思い出す。あの女を。  クリス・アルクの聖女のような微笑みを。  そして、彼女の後ろに見える、魔物が笑う。フードをすっぽりとかぶった修道女のような姿 の、邪悪なまでに歪む桃色の唇を思い出す。  記憶の中で、剣の魔人――魔剣ビスティが、笑って、囁いた。 『そうすれば――貴方の本当の名前を、私が教えてあげましょう』 「…………」  選択肢は、なかった。  目的のためならば何でもする。そう誓ったからこそ、あんな気に食わない、ビスティの使い 走りなどやっているのだ。今更、それをやめるわけにはいかなかった。  たとえ相手が――好敵手に成り得る相手だとしても。 「どうした。こないのか」  クレセント=ララバイが、ぷっと血の混じったタンを地面に吐き捨てて構えた。今までとな んら変わりのない、地にどっしりと深く構える姿勢。幾度砕かれても、幾度弾かれても、その たびに立ち上がり立ちふさがる、鎧騎士としての宿命。  憧れてしまうほどに――ララバイは、騎士だった。  勝てるも負けるも関係なく、自らの敵を屠る。その在り方を、彼女は全身で示している。  昼ならば銀陽の方が有利だと分かっているだろうに。  助けを呼びにいったほうが得策だと知っているだろうに。  ララバイは、一歩として退かなかった。  槍を構え、必殺の覚悟で銀陽へと挑む。  真っ向から挑めば――どんなに良かろうが、悪かろうが、相打ちに終わるだろう。  命を捨ててでも、銀陽を止めることだろう。  それは、銀陽の魔刃の望むところではなかった。 「……使イタクハナカッタガ、使ワセテ貰オウ」  ララバイにぎりぎり聞こえる程度の声でささやきながら、銀陽は右手の大篭手の中央に、赤 い宝石をはめ込む。硬いはずのそれは、ずぶずぶと、泥に沈むように篭手に嵌った。  鋭い爪先が、一瞬だけ赤く光った。  その輝きを、銀陽は金の一つ目でじっと見つめた。  ――どこか、悔しそうに。  一歩も動かない上に、余所見までした銀陽を見てチャンスだと思ったのか、 「ならば私から――行かせてもらうッ!」  重戦車の如く、ララバイが駆けた。触れれば砕ける勢いで突進する。槍を振り上げるような 真似はせず、前に構えたまま突撃する先の後をとる構え。たとえ銀陽がどんな技を繰り出そう とも、突進の勢いをすべて乗せ、その攻撃ごと銀陽の首を狩るだろう。  勝利を確信などせず、着実にララバイは迫り、 「シィッ!」  銀陽の魔刃が――間合いのはるか外から、攻撃した。  日輪の槍を、投げたのだ。  先の部分を切り離しての攻撃ではない。柄ごと、槍を放り投げたのだ。魔人の力で投げつけ られた槍は、空気抵抗などものともせずに一直線にララバイへと迫る。  が――ララバイにとって、御せない攻撃ではない。 「――ハァ!」  気合一閃、飛んできた槍を横に弾こうと槍を突き出す。その先にいるのは、唯一の武器をな くした銀陽の姿。  勝てる――一瞬だけ、ララバイはそう思った。  その意識の隙間に、 「陽刃、銀爆」  銀陽の魔刃の囁きが忍び込んだ。  そして、声の速さを追い抜く、光の爆発が起きた。  太陽が爆発した。ララバイがそう思ってしまうほどの輝きだった。日光が極縮されて出きた 日輪の槍、それに力を無理やり加えて、逆に爆発させたのだとララバイが気付いたのは、後に なってからだった。  今、その瞬間には、文字通りに光の速度で目と思考が潰された。  それでも騎士の身体は動いていた。瞑れた瞳を固く握り、気配だけを頼りに槍を繰り出す。 これだけの光だ、自分と同じように相手の瞳もつぶれているはずであり、退くことなど考えら れなかった。  その思考は、正しい。  光の爆発は、本来逃走のための手段であり――銀陽の魔刃自身も、その瞬間、視力は奪われ ていた。  相打ちか、逃走か。それしかないはずだった。  それを覆す呪詞を、何も見えないままに、銀陽は呟いた。 「魔剣――ビスティ」  言葉と共に、右手を軽く振う。  槍よりも短い爪はララバイに届くはずもなく、つぶれた視界では当たるはずもない。  そのはずだった――のに。 「――な、」  槍を繰り出そうとした姿勢のまま、ララバイの体が崩れ落ちた。その鎧の隙間から血が流れ でる。鎧には、傷一つないというのに。  重い音を立てて、鎧ごと、ララバイは地面に垂れた。手から離れた槍が、慣性に従って遠く へ転がる。  ようやく回復してきたぼやけた瞳で、銀陽はララバイを見下ろして、感情を押し殺した声で 呟く。  「ビスティの『宝石』ダ。剣ホドデハナイガ、効果ハアル。急所ハ刺セナイモノノ、鎧ヲ無視 シ、敵ヲ貫ク」  ビスティの魔剣。  針金よりも細い刀身だが決して折れることはなく、どんな鎧を着込もうと防御魔法をかけよ うと必ず相手の急所を貫く、呪われた剣。  逆に言えば、目を瞑って適当な場所にふろうが――急所に突き刺さる、最強ならずとも、最 強の穴を突く、魔剣。  その剣にはまっている宝石が、彼が東国に行く際に、『彼女』から切り札として受け取った ものだった。  そうして、今、銀陽は倒れ付したララバイを見下ろしている。  金の一つ目で、表情なく見下ろしている。  怪我はある。死にはしないだろうが――意識は遠ざかっているだろう。  勝った。  勝てたというのに、感慨は、何もなかった。  こんな勝ち方など――望んでは、いなかった。  聞こえないことを承知で、銀陽の魔刃は、倒れるララバイへと呟いた。 「出来レバ、何時カ――全力デ、ヤリアイタイモノダ」  それが叶うときは、もう何もかもが取り返しのつかない時だろうと思いながらも、銀陽は気 絶したララバイの体と抱えあげ、  少しだけ悩んで。  彼女の手から離れた槍も反対の手に持ち抱え、光のような速度で、東国を去った。   それが何を意味し、銀陽の魔刃の運命がどう動くのか――すべては、先の話だ。  自分の名を忘れた彼は、己の運命も、また、知ることはない。    東国の月は堕ち ―― 了 【カイルのディシプリン 3rd へと続く】