最悪の始祖―序章 ハロウド/アイシオン 絶壁に囲まれた山脈、その中に一つだけ、塔が存在していた。 塔の表面には赤い色で「超危険・立ち入り禁止」と書かれている。 その塔の最上階にいたのは複数の人。 だが、どれもこれもまともな人の形を取っていない。 獣耳だったり、額から角が生えていたり、腕が翼だったり。 亜人とも人間ともつかない容姿の少女達。 それは全て、一人の賢者が作り出した存在だった。 「ますたー、お茶がはいりましたでございますのです」 「あい、ありがとね」 言葉使いが破綻した犬耳少女が差し出したお茶を受け取り、ますたーと呼ばれた女性が微笑む。 彼女こそ、人外の少女達を作り出した存在であり、12賢者の一人―アイシオン・レシオンその人だった。 いや、性格には半人半魔と言うべきか。 「んー、レリィはいい子だねぇ」 レリィと呼んだ犬耳少女を抱き寄せ、その頬を何度も舐める。 どこか背徳的なものを感じさせ、尚且つあらぬ誤解を生みかねない光景だった。 「いやぁ、朝から百合百合とは見せ付けてくれるねぇ」 部屋の奥から現れたのは、眼鏡をかけた、細身の若い男性。 その姿を見たアイシオンの動きが止まり、犬耳少女はそそくさとその場を離れた。 「うるさいぞ、ティニス。大体誤解を与えるような原因を作ったのはお前だろうが」 「ああー、でも少女ばかりを量産しているのは、君の趣味じゃないかなぁと思うんだけど」 「その趣味を植え付けたのはどこの誰だい?」 「ああ、俺だったねぇー」 ははは、と笑う青年。その正体はアイシオンの先代―八代目レシオン・デイズである。  レシオンの名を持つ賢者は、代々変態である。 それは初代が面白そうだから、と言う理由で後継者にも変態的な教育を施した事から始まった。 それは代々受け継がれ、八代目である彼もまた、例に漏れず変態となっていた。 彼は元々魔物だったアイシオンに惚れ、わざわざ彼女を人間に変えてしまった位なのだ。 そして、そのレシオンに魔術の基礎から色々な事を仕込まれたアイシオンもまた、変態と言えた。 彼女は魔物を次々に少女へと変えているのだ。 「で、アンタはそれを言いに来ただけなの?」 「ああ、忘れてた……。君も知っているだろう?始祖の島」 「始祖の島―ねぇ、アタシ的には素晴らしくガセの匂いを感じるのだけど」  デイズはアイシオンに、最近発見されたとある島についての情報をもってきていたのだ。 始祖の島―ごく最近に発見された、始祖種が生存していると言う島。 送り込んだ調査隊の報告は一日目の後半で途絶え、それ以来音信不通。 立ち入って行方知れずになった冒険者も数知れず。 未開の地、というに相応しい島だった。 「実はね、24人達に誰でも良いから島に行けって通達が出たらしくてね」 「確かに出ていたね。剣聖―クゥと悪逆の子ぐらいしかやる気が無かったらしいじゃないか」 本人達も、忙しくてそれどころじゃないみたいだけれど、とアイシオンは付け加えた。 「うん、だから俺が君を推薦したよ」 「待」 抗議の言葉を発しようとして開いた口は、強引に重ねられたデイズの口にふさがれる。 抵抗する間もなく口内に侵入され、一方的な愛撫を受けさせられた。 顔に紅みが差し、全身が弛緩する。 声が出るか出ないかのところで、ゆっくりと口から舌が引き抜かれた。 「はふ……」 「口答えはなし、之は既に決定された事なんだよ?」 意地の悪い笑みを浮かべて、デイズはアイシオンを諭すように言い聞かせる。 「ん、わかった。わかったからもう少し……」 完全にとろけた表情のアイシオンがねだるが、デイズは人差し指を彼女の口に当てた。 つまりは「おあずけ」だ。 「それは帰ってきてからのお楽しみって事で一つ」 アイシオンは「あうー……」と情けない声をあげて、落胆の表情を浮かべていた。 が、そこで何かに気付いたように我に返り、デイズに今回の事を確認する。 「島に行くのは、アタシ一人なのか?」 「ああ、今回はそうなるね。でも、もしも不安だったら誰かを連れて行くといい。 たしか下の方にある宿に、それなりの冒険者が集まっていたはずだから。  そうそう、君の愛用する辞典の作者も来ていると聞いたよ」 「む……?まさか」 「運がよければ会えるかもね」 最後に、彼は含みのある笑みを見せて呟く。 「そうそう、始祖の島は危険かもしれないから、君の魔術に関するヒントを出そう。 全は一、一は全。その言葉の意味を考えておくといい」 「一応、覚えておく」 そう言って手早く支度を整えると、アイシオンは窓から身を投げ出した。 靴底に重力球を発生させ、賢者が宙を滑っていく。 「いってらっしゃい。……無事でいてくれよ」 遠ざかる銀髪を見送って、デイズは再び部屋の奥へと消えた。 ※  山脈麓の町―宿屋。 冒険者達がその体を休める場所が宿屋である。 その宿には幾人もの冒険者達が宿り、その体を休めていた。 酒を飲むもの、料理に口元をほころばせるもの、同じ冒険者仲間と会話するもの。 その会話の中に出てくる話は一つ。 「始祖の島」の信憑性について。 ―俺の友人はあの島へ向かったきり帰ってこない。 ―アルビノのももっちを連れた剣士が島に向かうのを見た。 ―島に幾つもの白い雷が降り注いだらしい。 ―私の仲間があの島に行きたいと言い出して困っている。 様々な噂や、愚痴とも取れる会話が飛び交っていた。  そんな中に、考え込む男が一人。 魔物生態辞典の執筆者にして学者にして冒険者、ハロウド=グドバイである。 「始祖の島、か。噂が全て本当だとしたら危険きわまりない島だな」 だが、と彼は思う。 それが本当だとしたら、貴重な存在である始祖種が生きている。 見てみたい。そして触れてみたい。 それは彼にとっては極自然な願望だった。 けれど、冒険者が帰らぬような危険極まりない未知の島に行って無事でいられるのか。 今回は情報も何も無い状態で挑まねばならない。加えて、相手は遥か昔に絶滅したはずの始祖種。 一体どんな手段で侵入者を排除しにかかるのか、全く想像がつかないのだ。 龍ならばブレスだろうが、果たしてどんな種類のブレスを放ってくるのか。 それがわからなければ対処のしようも無いのだから。 未開の地に、何もない状態で飛び込むのは愚かというものだ。 友人である「黒い旋風」の彼がいればいいのだろうが、生憎彼は忙しいのか連絡もつかない。 「困ったものだな」 呟いて、ため息を吐いた。  そんな時、不意に声をかけられた。 「隣、いいかしら」 そう言って隣に座ったのは、一人の女性だった。 黒いロングコートを羽織り、下には同系色のレザースカート。上はなんとさらしのみ、という奇抜な格好。 腰まである長い銀髪が、黒によく映えていた。 その女性は彼を見て微笑を浮かべ、意味ありげな視線を送る。 形の良い唇から発せられた言葉は「始祖の島、行ってみたいと思いません?」というもの。 その問に対して思わず「是非とも行ってみたい。しかし同行者がみつからなくてね」と言えば。 その女性は思わぬことを口にしたのだ。 「なら、アタシと一緒に行きません?これでも賢者やってるんです」 ※ 海の上を、賢者と学者が疾走していた。 「いや、しかし驚いたね。まさか生身で空を飛ぶことができるとは」 「これがアタシの得意とする魔術―重力制御。楽しいでしょう?」 二人が向かう先は、言うまでもなく始祖の島だ。 靴底に発生させた重力球で宙に浮き、背面の重力球で前方に進む。 船など要らない、それにこちらの方が早く着く。 「まさか君が12賢者の一人―圧壊のアイシオンだったとはね」 「意外でしたか?」 風を切り、髪をなびかせながら彼女と彼は会話していた。 それはとりとめもない事。 それはこれからの事。 風に乗り、声は流れ、そして消えていく。 果たして、二人は島で何を見るのか。 序章 ハロウド/アイシオン―了