■ 第四話 Black Gale AND Farr right ■  ――そして、カイル=F=セイラムは、ファーライト王都、王宮門にいた。 「……懐かしいな」  馬車から降りて、カイルは思わず呟いた。王都に来るのも、王宮前までくるのも、追い出 されてからはこれが初めてだった。まさか、生きてこの地を踏むことになるとは思わなかっ た。  けれど、心は常にここにあった。  この奥、ここからでもはっきりと見える塔――王宮の奥にある塔、『故国の姫君』がいる 塔が。  懐かしい。本当に、心の底から、そう思ってしまう。 「ぼんやりしてないで行くぞ」  後ろからぽん、とディーンがカイルの頭を小突いた。馬車から降り、カイルの前に立つ。 ディーンの姿を認めた門番たちが道を開く。王宮門から先は、馬車で乗り入れることはでき ない。  武器を持つのを許されているのは、ファーライトが騎士の国だからだ。剣は魂。それを奪 うことは誰にもできない。  その代わり、あの塔には、聖騎士がいる。  カイルの元同僚である聖騎士が。 「はい、ディーンさん」  頷いて、カイルはディーンのあとを追う。けれどその心は、遠い場所へと飛んでいる。  ――12の聖騎士。  12、という数を重視するのはそう珍しいことではない。ウサギの耳を持つ時の女神にあ やかって、12、あるいは24の数値を定めるものは意外と多い。有名なところでは12賢 者や12剣聖をあわせた二十四時の魔法使いがそれにあたる。逆に13は不吉とされており、 13の剣士が潰しあって一人の剣聖が生まれる――というのは、そういうところからきてい る。皇国の12軍団もそうだし、幻の13軍目の噂もそういうところからきている。  聖騎士も、例外ではない。  王国連盟から『名を授かる』聖騎士は、いつの時代にも12名しかいない。誰かが死んだ 場合や除隊された場合に、次の聖騎士が選ばれるようになっている。東国のジュバのように、 自ら事態するものもたまにいるが。  ファーライトは、その聖騎士の数がもっとも多い。  もっとも――その半数は、すでに除名済みではあるが。  カイルのように。 「さすが王都、立派なものだな」  そんなことをディーンが呟き、カイルは「そうですね」と生返事をする。  そこで、カイルはふと思う。  聖騎士ロリ=ペド。彼女の存在も、王国連盟記録に載っているのだろうか。それとも、王 国連盟が出来る前よりいるのだろうか。  彼女の『二つ名』――カイルならば『黒い旋風』――は、何なのだろうな、と。  すべては疑問だ。カイルは、そのことを問うのを躊躇っていた。今の彼女は、ひどく張り 詰めた、アンバランスなところがあったからだ。無意識に女性に優しいカイルとしては深く 問いただせるはずもない。  今、そのロリ=ペドは王都端にいる。  ここまで来ることを許されたのは、ディーンと一名だけだったからだ。  根回しが早いことに、カイルが帰ってきたときにはもう、『謁見』の準備が出来ていた。 『姫君から直接褒美の言葉を貰う権利』というやつだ。働きが増えれば爵位すらももらえる し、報酬が出ることも多い。  純粋に姫が見たくて戦っている者もいる。  今のカイルも、その類に入るのだろう。  ――正直、何て言えばいいのか、分からない。  それでもカイルは会いたかった。懐かしい姫に。帰ってきました、それだけでもいい。  そして、できることならば、戦争を止めさせたかった。  だからこそカイルは今、ここにいる。謁見の権利を使い、ディーンと共に。  しかし―― 「ディーンさん」 「何だ? 今更還りたくなっても遅いぞ」 「そういうことじゃないんですけど――」  カイルは言葉に詰まる。それこそ、何て問えばいいのかわからないのだ。  ――どうして、こうも簡単に事態が進んでるんですか?  カイルからすれば、それは良いことだった。   良いことのはずだった。  けれど、どうしても、不安を覚えずにはいられない。ここまでとんとん拍子に事態が進ん でしまうと。  ディーンの手回しのよさだ、と賢龍団の皆は言っていたし、カイルもその通りだと思う。  理性では納得している。  本能は、けっして納得するなと叫んでいる。  それでも今ここにいるのは、姫君と会いたいという気持ちが勝っているからだ。 「――なんでもないです」 「そうか。と、カイルはここで待ってくれ」  言って、ディーンは立ち止まる。そこは王宮の入り口で、カイルたちが模擬戦をしたり、 受任式をしたりする時に使われる広間だった。見晴らしがよく、少し高地になったそこから は王都の大体が見渡せた。 「根回しをした相手に挨拶をしてくる。それから、一緒に拝謁だ――身だしなみに気をつけ ろよ」  冗談めいてディーンはいい、カイルも苦笑する。黒い鎧に二本の剣は、カイルにとってこ の上ない正装だ。  ディーンは奥、太い柱によって支えられた王宮内へと消えていく。  その後ろ姿を見ながら、カイルは思い出す。  あの日、帰り道で、レイエルンが言っていたことを。 『――旦那に気をつけな』  馬車の中、疲れて寄り添って眠るダリスとマルタに聞こえないように、そっと言われた。 『何考えてるかわからないけど――何かは考えてる。気付いたら、長い腕の上で踊るはめに なるよ』  そのことは分かっていたので、カイルは真剣に頷いた。  それを見てレイエルンは満足そうに笑い、カイルの背を叩いて、豪快に笑った。 『あたしらがここにきたのは内緒ね』  そう言って、レイエルンとマルタは賢龍団に一足さきに戻っていった。  ロリ=ペドとダリス、カイルは三人でゆっくりと戻り――戻ってすぐに拝謁が認められた のだ。  正直、カイルにとって、ディーンは謎だらけだ。  なぜ自分を呼んだのか。なぜこんなにも手回しがいいのか。  なぜ疫の存在を知っていたのかも。 「いや、彼は知っているとは言わなかったか……」  あくまでも『怪物を倒してきて』としか言わなかった。  ――それはつまり、謁見を行うための口実を得るために、ということなのではないだろう か?  そんな疑心めいた疑いが頭に浮かぶ。  人を疑いたくはない。カイルはそう思って、ぶんぶんと首を振り、  その瞬間――弓矢が肩当を弾いた。  ぐらり、と姿勢が崩れる。  黒い鎧が壊れることはないものの、その衝撃がカイルの肩を直撃し、否応なしに仰け反ら される。肩にあたった矢は軽い金属音を立てて斜めの方向へ去っていく。 「……え」  斜めになりゆく視界の中、カイルは見る。その矢の鏃は、反しのつかない円錐状の槍で、 殺傷というよりは鎧の貫通を目的とした矢で――つまるところ、対騎士用の矢で。  物陰から、十数人の弓兵が現れ、その矢を一斉に番えたのを、カイルは見た。  何が起こったのか、まったく把握できなかった。命の危機、という単語だけが漠然と頭に 浮かぶ。 「――射てェ!」  誰かが命令する。年老いた、けれどはりのある男の声。数年前に聞いたことがある、そう 、あれは大貴族子飼いの軍団長で――  カイルが思考できたのは、そこまでだった。  号令と同時に、数十の弓矢が一斉に飛び掛ってきたのだから。  視界が黒く染まるような光景。  横殴りの矢の雨。  受けることのできる量ではない。  避けることのできる量ではない。  本来ならば、なす術もなく串刺しになる矢の数々。  そして、カイルは――術を持っていた。 「――双剣――落鳥――」  飛ぶ鳥を落すかのごとく、跳び道具を切り払う騎士の技。  けれど、それでは足りない。  足りなすぎる。一つの刀で三本の矢を斬りおとそうとも、双剣で九本の矢を落そうとも、 矢は次から次へと飛んでくる。  だからこそカイルは止まらない。剣を振い、身を捻りながら駆け、 「――巻風ッ!」  黒い風が、王宮に吹いた。  黒い鎧と双剣が風を巻き起こしながら駆け抜け、矢がその進路を強制的に動かされる。そ の微かな隙間を、カイルは剣を振いながら突き進む。かつて賢者がひと声と共に海を割り進 んだという伝説があるが、今のカイルはさながらそれだった。  矢よりも早く逆走する。  矢の海を抜け――抜けた先には、騎士がいた。  三叉槍を抜き放ち、カイル目掛けて雄叫びと共に襲い掛かる騎士、騎士、騎士。  そしてその奥には、貴族風の男と、偉そうな騎士と――長腕のディーンの姿。  鎧と剣ごしに、カイルと、ディーンの瞳が絡み合う。  ――どういうことですか!  叫ぶ暇すらなく、カイルは瞳で問う。  ディーンは、その瞳から目を逸らすことなく、王宮中に響くような大声で答えた。 「見ろ! あれが――聖騎士カイルを殺し、その鎧を奪い、あまつさえ名を騙る皇国の手先 だ!」  ――――。  一瞬、思考が固まる。  そして、固まった思考の隙間を縫うようにして、ディーンが以前に言った言葉を思い出す。 彼に言われるまでもなく、カイルはそのことについて知っていた。  ――聖騎士の名を騙ることは死罪である。  何よりも、誇りを重んじる騎士たちは、その行為を許しはしない。王国連盟は威信をかけ て手配を出すだろうし、ファーライト王国にいたっては、国家規模での動きが起こりかねな い。  そこに隙ができる。長腕のディーンという情報を使う男が、がっちりと食い込む隙が。  記憶に伴って、ディーンの言動が、次から次へと一致していく。一部の聖騎士崩れを呼ん だ理由。皇国にいるカイルを呼び戻した理由。トューリューズ付近にまで行かせ、王宮から 離れさせた理由。その他、数知れぬ、あるいはその言動すべてが策。  ――すべては、この瞬間のために。  わずかな隙間でカイルは夢想する。この後の展開を。カイル=F=セイラムの『偽者』は 追い立てられる。戦渦を挙げている賢龍団はその討伐に使われる。いや、それ以前に、『疫 』の一件を利用して、ディーンはすでに反騎士派の貴族や議会と繋がっていて、もはやその 腕は長く長く長く伸びてファーライトの心臓を掴もうとしている。  内部クーデターによる、王宮の乗っ取り。  さらに思う。そこで、ディーンの動きは止まるのだろうか? 周到に用意し、カイルとい う生贄を使い、ファーライトの戦意を高めて皇国との戦争側へと国を傾ける。その時に、デ ィーンはどこにいる? ファーライトの王宮か。それとも――王国連盟の中枢か。  階段を上り詰めるための、第一歩。足がかり。  踏み台として、カイルとファーライトが、選ばれたのだ。 「ディィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンッ!」  叫ぶ。力の限り、魂の限りに叫ぶ。  ディーンは笑わない。あくまでも真顔で、カイルを見ている。その姿はどう見ても、国を 憂う人間にしか見えない。隣に立つ貴族は笑っている――それを見て、カイルは悟る。本物 だと知っていても、手を結んだのだと。  ――はめられたのだ。  もう、どうしようもないほどに。 「この――大罪者が!」  一人の騎士が、大槍を振りかぶってカイルに突撃する。カイルの二倍もありそうな体躯か らの一撃が唸り、地面を砕いた。  地面しか、砕けなかった。  カイルはディーンを見たまま一歩だけ横にずれ、その槍を避けたのだ。地面に槍は撃ち落 とされ、騎士は「ぬぅ」と唸って槍を振り上げようとし、  振り上げられなかった。  カイルが、槍を踏んでいた。細身のはずのその足に踏まれて、槍は少しも上に持ち上がら ない。 「この――」 「どいてください」  それだけを、言った。  その瞬間、騎士はカイルの瞳を見た。黒い瞳を。  昏い瞳を。  吸い込まれてしまいそうなほどに、黒く燃える瞳を。  ――殺される。  騎士はそう確信する。何を持ってしても、これには適わないだろう。先までそこにいた優 男は、もはやいない。  抜き身の剣が、そこにある。 「僕は――こんなことのために――帰ってきたんじゃ、」  そこまで、言って。  カイルは気付いた。  聖騎士を統括するのは姫君であり、本当に内部クーデターが起こったのならば、その姫君 はもはや邪魔でしかなく―― 「クソ――ッ!」  彼にしては珍しく、なりふりもかまわず悪態を吹いて駆けた。騎士の後ろから矢が跳び、 しかしすぐに剣と槍に切り替わる。カイルが一瞬で矢の間合いから内へと入り込んだのだ。  慌てて武器を持ち帰るころには、もう遅い。  厳重に守られたディーンたちを迂回するようにしてカイルは王宮内へと突入する。その後 ろ姿を見るディーンの目が笑っていることにカイルは気付かない。ただ、一刻も早く姫君の 安否を確認しに行く。それだけしか頭がなかった。  王宮を抜け、姫君がいる塔に辿り着く。塔の回りには、数名の貴族派の騎士がいて、 「貴様ら――!」  カイルは双剣を構えて風の如く突き進み、 「あの傭兵の言ったとおりだ! あの男、姫を暗殺しに来たぞ!」  そう、言って。  騎士たちは、塔の入り口ではなく、カイルめがけてかけてくる。 「――な、」  再び、カイルは悟る。これすらもディーンの手のうちだったのだと。カイルが姫君を心配 するのは予想できることであり、それに別の意味を与えることによって、自らの首を絞める ようにしたてあげたのだと。  気付いても、もう遅い。  騎士たちはカイルに踊りかかり、カイルはまさか騎士を切り殺すわけにもいかず反撃がで きない。ここで切り倒してしまえば、それこそディーンの思うつぼだ。暗殺容疑、騎士殺害、 詐称。世界のどこに逃げても追っ手がかかる。  二本の剣で五本の武器を防ぐ。その手並みに騎士たちは焦るが、それでも『姫君を守る』 ために捨て身で切りかかってくる。 「俺が止める! ラク、カーク、その間に両側から切れ!」 「了解――」  斧を持った男がつめより、細身の男二人が両側に展開し、カイルは囲まれ逃げることも適 わずに、 「――おどきなさい」  女の声と共に、煙が振ってきた。  塔の中ほど。姫君を守るために居た、12の聖騎士の一人が、さっそうと飛び降りてきて ――斧を持った男を踏み潰した。  その義足で。 「失礼」  言って、聖騎士はつぶれた斧使いの上から降りる。煙は、その両義足から漏れ出していた。 足だけではない。その両手も、そして剣も、煙を吐いている。  姫を守るために四肢を奪われ、それでも姫に仕えて戦う道を選び――蒸気を内蔵した手足 と武器を持つ聖騎士。  灰の演舞、ユメ=U=ユメが、そこにいた。  驚く四人の騎士に向かって、ユメは冷たい声で言う。 「お退きなさい。姫を守るのは、私の役目」  言って、大剣『噴射怪奇』を振った。煙がたなびき、銀のポニーテールが円を描く。  その迫力に騎士たちは一歩引く。夢は、細く閉じた目で、カイルを見た。 「――お久しぶりですに、ニセカイル卿」  カイルはぐ、と言葉に詰まり、 「ユメ、矛盾してる。ニセモノにお久しぶりはないだろう」  ユメは笑うことなく、 「答えはノーですカイル卿。貴方はニセモノ――ということになっています。けれど、久し いことに変わりはありません」  じり、とカイルは一歩退く。  ユメ=U=ユメとは元同僚であり、その実力を知っている。彼女が姫を守っているのなら ばある程度は安心できる。  問題は、そのユメが、どう見ても戦う気であり――ここはすでに、彼女の間合い内だと言 うことだ。 「久しぶりなら、戦う必要は無い、よね」  イグニファイを前に構える。そうしている間にも、後ろからは騎士たちが迫ってくる。カ イルの足の速さに追いつけないとはいえ――いずれは、来る。  もうここにいる必要はない。逃げたかった。けれど、四名の騎士たちは逃がそうとはせず に、ユメとカイルを遠巻きに見守っている。 「答えはノーですカイル卿。私はここを守るためにいます」 「けど、それは――」  貴族派の主張であって、違うということはわかっているだろう。  その無言の問いを、ユメはやはり否定する。 「答えはノーですカイル卿。私は『公務』のためにここにいます」  そして、一拍だけ間を置いて、さらに目を細め、 「別に昔の模擬戦の結果が負け越しで終わっていたな、とか温泉宿でハプニング、とか、ソ ィル卿と貴方の後始末を私が毎回やらされていたとか、そういうことを怨んでいるわけでは ありません、ええ。決して」 「いいがかりだ――!」 「答えはノーですカイル卿。無くした心臓に手を当てて考えてみてください」  手を当てずに、カイルは考えて見た。  ……。  色々と、思い当たるふしがあった。  それが理由で切れてはたまらないので、一つだけ、思いついたことを問う。 「僕が――僕らがいなくなったこと、君はまだ気にしてるのかい」  ユメは。  聖騎士ユメ=U=ユメは、ほんの一瞬だけ、聖騎士ではなく人間としての感情を顔に表し た。  一滴だけ、雫が漏れる。  わずかに一滴だけ、蒸気ではなく、涙がこぼれた。 「答えはイエスですカイル卿。――なぜ、貴方は死んでしまわれたのですか」  そして涙は、すぐに蒸気に消える。  先ほどの言葉など吐いていないと言いたげに、ユメは噴射怪奇を上段に構え、 「よって、ここを通すわけにはいきません。なぜならば」  手をひねる。柄が捻られ、剣の背についた噴射口が一斉に火を吐く。  それでも剣は動かない。手の力で、ためているのだ。解き放たれる時を待ちながら。  「私の名はユメ=U=ユメ。姫の夢をお守りする攻城兵器。それが私なのですから」  カイルは構えを解く。あれは防げるものではない。どうにかして避ける。煙を切る風にな る、それだけを考えた。  ユメは、ふ、口元に笑みを浮かべ、 「存分に戦ったくださいませ、カイル卿。イエス・オア・ノー?」  返事は、待たなかった。  王宮外から騎士たちが一斉に踏み込んでくる、まさにその瞬間にユメが跳んだ。両足の義 足から煙が噴出し、その数倍の量の炎と煙が火から漏れた。  まったく同じタイミングで、カイルも前へと駆ける。  巨大な爆煙が駆ける。黒い旋風が駆ける。  黒と灰が交差する。  ユメ=U=ユメは、噴射怪奇を振り下ろし――  ――大爆発が起こった。  地面が残らず抉れた。剣に叩かれることで巨大なクレーターができあがる。穴にぶつかっ た炎と煙が空へと伸びる。騎士たちの視界全部が煙に染まる。煙の向こうでさらに爆発音が 続く。噴射の続く限り、あたりの大地ごとユメが抉っているのだ。あの剣にかかれば、白の 城壁とてジェラード・グミのように両断されてしまう。  見えない脅威に、迫力に、誰も煙の中に踏み込むことができない。  煙は、風に流されて、ゆっくりと晴れる。  煙が晴れた、そこには。  剣を地面に突き立てるユメ=U=ユメの姿がある。無傷の『塔』がある。穴だらけの地面 がある。  カイル=F=セイラムの姿は、どこにもなかった。        †   †   †  その数分後。人気のない、王宮の陰に、ディーンの声が響く。  声には感情がない。喜びも哀しみもなく、生徒に説明する教師のような声だった。 「これは人と人のくだらない逃走に過ぎない。胸躍る冒険ではない。驚くべき神秘との出会 いもない。息を呑むような全世界の危機でもなければ、伝承にも伝説にもかかわりが無い」  淡々、淡々と、ディーンは言う。  その言葉を聞くのは一人しかいない。  それ以外の者は、この場にはいない。カイル=F=セイラムの脱走に対して慌しく動いて いる。城の目のほとんどは外へと向き、内へと向ける目はどこにもない。  そこに、長腕のディーンの、長い長い腕が滑り込む隙があった。  たった一人の相手――貴族派の主流である老人に向かって、ディーンは淡々と説明する。 「だからアレは……人類の守護者は現れはしない。アレに出てこられると少々厄介と言うの もあるが、ね。伝説の傭兵、勇者。ま、俺の脚本に出番はない。そもそも呼びたくても誰も 呼べないさ。世界の機器など何処にもないのだから。ましてや、『正義』などというもので 動いている聖騎士については――ま、試練だな。どうにかしてもらうしかない」  伏した男は、淡々と告げる彼の、その左腕を見つめていた。  彼の前にいるのは、人間のはずだ。  ファーライトを掌握するために手を結んだ相手、そのはずだった。  その手が、文字通り、異質になっていた。  全てを終わらせる者はこない戦だと、ディーンは言った。  人と人の争いだと、そう言ったのだ。  では。  では、何だというのか。眼前のそれは。  人のものとは思えない腕は。 「……ああ、これか?」  と、その視線に、今更気付いたかのようなふりをして、 「俺は正しくヒトだよ。ヒトが、そしてヒトであることが好きだし、ヒトをやめる気なぞ欠 片もない」  そう笑って、一歩踏み出す。  巨大に膨れ上がっていたはずの左腕は、いつの間にかシンプルな剣を持ったただの腕へと 戻っていた。肥大したつめも、ささくれた外皮も、奇妙な紋様もそこにはない。ただ擦り切 れた戦士の手があるだけだ。 「だから、君を殺すのも」  そして、ゾクンと音がして。 「まったくヒトらしいヒトである俺さ」  人の手で、人が死んだ。  それはさながら、ニ剣を使う騎士がその技で切り殺したような――そんな死に方で、貴族 は死んだ。  その死体に向かって、ディーンは呟く。 「……できることならば、姫君をカイルが殺したように見せたかったが――まあ、それは望 みすぎというものだ。こちらで代用するしかない」  カイルに、さらに罪を重ねるための一手。  本当である必要はない。情報が世界を支配することを、ディーンは知っていた。  そのことを、誰にも話すわけにはいかない。長い腕こそが彼の武器なのだから。  それでも、自慢したくなることはある。  だからこそ彼は男に話して――話してから、殺したのだから。  誰もいない場所で、ディーンは笑い、王宮の外を見た。騎士たちが編成の準備を始めてい る。山狩りが――否、国狩りが始まろうとしている。 「――さて」  その景色を見て、笑いながら、ディーンは思う。    KYLE'S DISCIPLINE  ――彼には、過酷な試練を、是非乗り越えて貰いたいものだがな。 ■ 第四話 Black Gale AND Farr right...END ■                    To Be Continued SIDE 2