■ 第六話 The East ONE AND Scorching Gold  ■  己に向かって跳んでくるロリ=ペドの蹴り足を、ジュバ=リマインダスはしっかりと確認し ていた。常人には捉えることなく、防ぐこともできずに蹴り殺されるであろう蹴撃。すらりと 伸びた足が、腹部に突き刺さろうと伸びる瞬間を、ジュバは捉えていた。  それでも、彼は避けなかった。  思うことは、ただ一つ。  ――ああ、いい脚だ。  最高だ。本気でシュバはそう思う。全力で掴んだら折れてしまいそうなほどに細いくせに、 その内に強靭な威力を秘めたしなやかな脚。貴族の脚のように染みや日焼けがないくせに、若 々しい生気に満ちている。  そんな脚を避けられるはずもない。避けるなどもったいなくてできるものか。ジュバは蹴り 飛ばされる瞬間まで脚を凝視し続け、蹴られた衝撃で落下しながら、名残惜しむかのようにそ の足首を掴んだ。  大剣を振り回す無骨な手が、ロリ=ペドの細い足首を掴んだ。 「――――え、」  蹴られても尚その行為に走ったジュバが予想外だったのか、ロリ=ペドは驚きの声を漏らす 。  そのせいで、対応が遅れた。  もう片方の足でジュバを蹴り飛ばそうにも、致命的なまでに姿勢は崩れていた。慣性と重力 に従って、二人はもつれるように落下する。逆さづりになったロリ=ペドの視界に、先までの 倍ほどの速度で民家の屋根が迫り、 「舌噛むなよ!」  着地より早くにジュバが屋根を蹴った。力の方向をずらされて、上ではなくジュバとロリ= ペドは横へとはね跳ぶ。馬鹿正直に着地していれば脚にかかるはずだった衝撃を、すべて空中 へと逃した。  二つ、三つと、滑るように勢いを殺しながら屋根を跳ぶ。家の中にいるものは突然ドン、と 鳴る天井に驚くが、屋根を見に行く頃には二人は遠くへと去っている。高くを忍者のように飛 ぶ二人組に、誰も気付くことはない。 「……軽いな」  跳びながら、ジュバがぽつりと呟く。足首だけで荷物のように持ち挙げているロリ=ペドの 身体は、自分が持つ大剣よりも軽いような気がした。少なくとも、こうして片手で吊り上げら れる程度には軽い。  余計なものが一切入っていないような気がした。  一方のロリ=ペドはといえば、そんなジュバの発言を聞いていなかった。逆さづりになって いるせいでめくれるスカートを手で押さえながら、冷静にタイミングを計っていた。ジャンプ 、空中浮遊、着地、ジャンプ、空中浮遊、  狙いは一点――着地の瞬間。  一際長い浮遊が終わり、着地が今か今かと迫り、 「よし……ようやく到着、」  だぞ、といおうとした瞬間。 「……離してもらえますか」  着地しようとしたジュバの脚を、ロリ=ペドの手が払った。 「ん――な、」  その瞬間を狙われてはどうしようもなかった。着地のために微かにまげていた膝を裏側から 叩かれたのだ。満足に着地することもできず、ジュバは尻餅をついた。片手にロリ=ペドを持 っていたせいで受身を取ることもできない。屋根の上に尻を強く打ち、  腹の上に、ロリ=ペドが着地した。 「――失礼」  先までとは逆の姿勢でロリ=ペドが呟いた。まったく失礼とは思っていないような声。言葉 だけの謝罪に、横隔膜を強く踏まれたジュバは返事をすることすらできなかった。  最悪なことに、慣性はまだ生きていた。  尻で屋根を蹴ったジュバとロリ=ペドは、今ままでほどの勢いと高さを確保できずに、対面 する宿屋の屋根まで辿り着けずに――その窓から対面の部屋へと突入した。  幸いなことに、窓は開いていた。  というのも――窓を開けたまま、今か今かと帰りを待ち望んでいた少女がいたからである。 いうまでもなく、ユリア=ストロングウィルだ。ジュバの言いかけた『ようやく到着だ』とは 、拠点であった宿屋まで辿り着いた、という意味だったのだろう。  運が良いのか悪いのか――二人はもつれあいながら、その部屋へと戻ってきた。  突如真横をすり抜けるようにして帰ってきた二人組をユリアは見遣る。すなわち、少女の足 首を掴んだ仮面の団長と、その上に馬乗りになった金髪の少女の姿を。  じっくりと見て、ユリアは一言で現した。 「――変態ですね」  ばっさりと切り捨てるような言葉に、ジュバは馬乗りになったロリ=ペドを抱えるようにし て跳ね起き、慌てた様子で――もっとも、仮面をしていたから表情は分からないが――ユリア へとつめよった。 「違うんだユリア! これは別に尻を触った結果とかじゃねえんだよ!」 「触ったんですか……やるとは思っていましたが、やっぱりやりましたね」  ちらり、とロリ=ペドを見てユリアは言う。金の少女と瞳があうが、ユリアはわずかに怪訝 そうに表情をゆがめるだけだった。かつて自分を殺しかけた黄金鎧の人物だと、頭では理解し ている。しかし、あまりにもの容貌の差に、気持ちの方がついてこないのだ。  黄金鎧の聖騎士――ロリ=ペド。  湧き出る疑いを無理矢理に遮って、ユリアはジュバに向き直った。ジュバは「うむ」と頷い て、  「ああ、期待に応える男だからな、俺は」 「だれもそんなことは期待していません」  親指を立てて自慢げにいうジュバを、ユリアは再び言葉で切り捨てた。見る間にジュバが肩 を落とす。一連のパフォーマンスはとても団長らしい、とユリアは思うが、今はそんなことを 思っている場合ではない。  窓から入ってきた、ジュバと、ロリ=ペド。  ユリアは団長の脇を通りぬけ、念のために窓を閉めた。右手は欠損しているため、左手で丁 寧に閉める。誰かに見られているとも思えないが、窓を開けっぱなしにしておくのはまずい。 敵地ではないとはいえ、ここは自国ではないのだから。 「それより――その人を、どうして連れてきたんですか」  振り返り、詰め寄るような声でユリアは問うた。  たとえ相手が絶対の主でも――主だからこそ、ユリアは団長に問わねばならなかった。  どうして憲兵を倒し、あまつさえロリ=ペドを連れてきたのか、と。 「その女は紛れもなく『火種』です。厄介事の元となるだけです。団長、私たちは――ファー ライトに敵対しにきたのではありません」  ロリ=ペドを匿うということは、聖騎士を偽る男の仲間を匿うということだ。それは、ファ ーライト王国への反乱の意思アリと思われても仕方がない。  ジュバとユリアは、ファーライトへ敵対しにきたのではない。むしろ、同じ王国連盟の中に おいて、最近きな臭い噂がたっていたファーライトを調べにきたのだ。噂が本当ならば、それ をどうにかしろとの密命まで下っている。調査を請け負ったユリアは、そのことをよく思い知 っていた。  だから、問うた。  なぜだ、と。 「納得のいく理由をお聞かせ下さい」  ユリアの真摯な瞳に見据えられ、ジュバは沈黙したまま、ロリ=ペドを下ろした。  小さな体は、猫のように脚から着地する。ロリ=ペドを下ろしたころで自由になった手で、 ジュバはかぶっていた仮面を外す。  正義の味方・マスクマンJの仮面をすてて。  東国騎士団団長にして、東国最強の男、ジュバ=リマインダスは、真面目な顔つきでユリア を見返した。 「なぜ、か」  落ち着いた、尻を触っていたときからは想像もできないほどに落ち着いた声で彼は言う。 「ユリア。俺たちは何だ?」  そしてジュバは、唐突にそう訊ねた。ユリアはいきなりの質問に沈黙し、そして考えること なく、答える。 「東国騎士団です」  そうだ、とジュバは頷き、 「俺たちは何のために戦う?」 「東国と、騎士の誇りのためです」 「俺たちの剣は、誰のために振う?」 「東国と、騎士たちのためにです」  いつもの――戦の前に繰り返される、決意の表明の言葉。  本来ならばこの後も幾つか続くはずの言葉を、ジュバは遮った。見つめてくるユリアから視 線を外し、かつ、かつ、と壁に歩み寄る。  壁に立てかけてあるのは、ジュバの愛用する武器、黒いクレイモアだ。両手もちの大剣であ るクレイモアを、ジュバは片手で何なく持ち上げる。  鞘から抜くことなく、クレイモアを見つめ、ジュバは言う。 「そう――東国のためだ。東国の平和のために俺たちはここまできた。そして、騎士の誇りを 以って戦うことになる」  そして、ジュバは。  狭い部屋の中、天井にぎりぎり届きそうなほどに長いクレイモアを持ち上げた。ぶん、と振 われたことで室内の空気がかきまわされる。重いはずのそれを片手で振り回し、彼は肩に乗せ るようにして振り返った。  その視線の先には、ユリアはいない。  その視線の先には、ロリ=ペドがいる。  黄金色の剣を持った、ロリ=ペドが、じっとジュバを見ている。  その黄金の瞳から目を逸らすことなく、鋭い目つきで、ロリ=ペドを見たまま。  ジュバ=リマインダスは、告げた。 「そのために、この子を利用させてもらう」 「ジュバ! 貴方はまさか――」 「ユリア!」  一瞬で真意に気づき、言いかけたユリアの言葉を、ジュバが鋭い声で遮った。口調の強さに 、ユリアは思わず口を噤む。  ジュバは、ユリアを見ない。  剣に手をかけたロリ=ペドから、視線を離そうとしない。鞘から抜きはしないものの、クレ イモアの柄を強く握り締める。 「詳しい話は後だ。頼むから、下がってろ」  お前を怪我させたくはないんだ――そう言って、ジュバはにやりと笑った。余裕ぶった笑み 。  しかし――ユリアには、分かっている。  もし彼と、彼女が本気でやりあった場合、この部屋には安全域など存在しないということを 。それでもユリアは、団長の意志を汲み取り、ぎりぎりまで下がった。閉めた窓をあけ、いつ でも窓枠から飛び出す。 「私を――利用しますか」  剣を抜くことなく、ロリ=ペドは言う。 「協力してもらう、と言ってほしいな」  剣を抜くことなく、ジュバが答える。  二人の距離は動かない。動くまでもなく、互いが互いの必殺圏内だ。一度剣が抜かれれば、 床も壁も関係なく敵ごと両断してしまうだろう。  死の間合いで、ロリ=ペドは言う。 「力ずくで、ですか」  声には焦りも何もない。無表情のまま、無感動な声で、ロリ=ペドはいう。利用しようとす るものも敵対しようとするものも過去には大勢いた。その全てを、彼女は剣で両断してきた。  言外に、貴方にそれができますか――そうこめたつもりだった。ジュバの思惑が何かは分か らないが、それでもろくでもないことは確かだろう。その思惑を、簡単に喋ってくれるとは思 わない。  ふと、ロリ=ペドは思う。  そういう意味では。  あの黒色の聖騎士は、とても優しかったのだな、と。 「敵ならば老若男女問わず、ってのが俺の主義だ。それが東国のためなら、俺はなんだってや る。だが、な……」  脅しに近いロリ=ペドの言葉に、しかしジュバは余裕をもって答えた。どこか軽佻浮薄な口 調で彼は言う。 「俺のララバイが好きな言葉を、お前にやろう」  何ですか、と言おうとした。  そう、ロリ=ペドは言おうとして――言えなかった。 「――東国を、舐めるな」  言葉と共に――ジュバ=リマインダスの拳が、腹部に深く突き刺さったからだ。  右手で剣を握ったままの姿勢で前へ飛び、死角となる左手の拳で殴られたのだと、殴られて から気づいた。肺から空気がしぼり出され、呼吸もできない。意識がぐるりと揺さぶられ、頭 の中でジュバの言葉が幾重にも響き渡った。  殴られるまで、殴られたことに気づかなかった。 「警備兵相手に剣を抜くこともできなかったのに――俺に勝てると思ったか。今のお前は、敵 ですらない」  言って、ジュバは剣から、崩れ落ちるロリ=ペドの身体を抱えた。物を取り扱うような手つ きではない。先の攻撃からは考えられないような、女性をエスコートするような優しい手つき だった。  くの字に抱えたロリ=ペドを抱え、ジュバは言う。 「……そう、敵じゃあ、ない」  その言葉に、何か悔やむ雰囲気があることに、ロリ=ペドは朦朧としかけてきた意識の中で 気づいた。  ――この人も、きっと。  ジュバに抱きかかえながら、ロリ=ペドは思う。  ――何かのしがらみで、思い切り戦えないのかもしれない。  思考は言葉にならず、形にすらならなかった。拳の一撃は思ったよりも強く、意識がどんど ん薄れていく。  その、薄れていく意識の中。 「さて、ユリア。時間が惜しい、行くぞ」 「どこへですか、団長」 「決まっているだろう?」  どこか楽しそうな、ジュバ=リマインダスの言葉を聞いた。 「腕の長い傭兵さんの顔を、おがませてもらおうじゃないか」  その言葉を最後に、ロリ=ペドの意識は、完全に途絶えた。 ◆     ◆     ◆     ◆     ◆  眼前に大剣《噴射怪奇》を突きつけられて、カイル=F=セイラムは指先一本動かすことが できなかった。鋭い剣の先端は目と鼻のすぐ先にあり、『少しでも動けばブスリと行くぞ』と 無言で主張していた。  もっとも、そうでなくても、カイルは動くことができなかった。  空を飛んできた、かつての同僚にして聖騎士たるユメ=U=ユメ。長い剣と人工の手足、灰色 の髪を持つ、ファーライト有数の実力者。  幾日か前に、カイルと刃を合わせた相手。  ただしその時は、カイルを逃がすための芝居だった。彼女が助けてくれなければ、カイルは 反逆者の汚名を着せられたまま、その場で処刑されていただろう。相手が《敵》ならばともか く、かつての同僚たちであり、純粋に使命に燃える兵士たちを切り殺すようなことは、カイル にはできなかった。  ――そう。  彼らには罪はない。  彼らは、敵ではない。  彼らを扇動した者こそが、真の敵だ。  ユメも、それを分かっているはずなのに――その思いが、カイルの動きを縛っていた。 「さよなら……?」  カイルの口が自然と動く。口だけしか、動けなかった。剣を突きつけてくるユメの瞳を、カ イルは覗きこむ。  ユメの瞳は――少しも揺らぐことなく、真っ直ぐにカイルを見据えていた。 「答えはイエスです、カイル卿。再開は喜ばしいですが――貴方とは永いお別れになります」  はっきりと、ユメはそういった。澱みのない、躊躇いのない言葉。《イエス》と《ノー》を はっきりと伝える彼女の癖に、カイルは微笑みそうになる。  ――ああ、昔から変わっていない。  が、この状況で笑えるほどカイルは達観していない。視線を外さず、真摯な表情を保ったま ま、カイルは問う。 「君が、僕を殺しに? その……ファーライト王国からの、命令で?」  言葉を一つ一つ慎重に、探るようににしてカイルは問う。ユメ=U=ユメは、ファーライト王 国の聖騎士だ。命令ともあれば、たとえかつての同僚であっても切り捨てるだろう。  が。 「答えはノーです、カイル卿。それが姫の命令ならば、私は迷いなく惑いなく貴方を両断しま す。ですが――」 「ですが、だ?」  答えたのは、カイルでも、ユメでもなかった。この場にいる、三人目の《元》聖騎士。ソィ ル=L=ジェノバだった。紋様の入った右腕で、薪に火をくべながら、 「あの人が、《元》とは言え騎士を殺せとは言わないだろう」  炎に照らし出されるソイルの表情は淡々としていた。赤の照り返しで、紋様の入った頬がは っきりと見える。  悪魔憑きの、確固たる証が。 「言うならばこうだ――《自害しなさい、誇りに背くのならば》」  言って、ソィルは薪をぱきんと二つに折った。割れた薪を炎の中に放り込むと、ぱち、ぱち と炎が弾けて強くなる。ユメの着地の衝撃で消えかけていた火が、ようやく温まれる程度には 強くなってきた。  炎を見ながら、ソィルは続けた。 「カイル。お前は、自分に背くようなことをしたのか?」 「まさか!」  思わず――カイルは声を荒げた。  荒げなければならない理由があった。誇りを、自分自身を、祖国の姫君を。裏切るような真 似など、するはずもなかったから。しようと思ったことすらない。  ――騎士が死ぬときは、主を裏切るときだ。  ファーライト王国はとくにその傾向が顕著だった。だからこそ外に攻め入ることなく、広大 な土地を生かして平和に生きていた。積極的にせめて出らず、外から攻められたならば、騎士 たちが国を守るために立ち上がる。それが、ファーライトという国だ。  その頂点に立っていた聖騎士が――裏切れるはずもない。 「僕が暗殺するような人間に見えるか!?」  声を荒げるカイルに対し、ソィルはぼつりと、 「――間抜けには見える」 「…………」 「はめられて、裏切り者の汚名を着せられる程度には、な」  馬鹿にしたようすはなく、むしろ呆れたような声だった。  その仕草を見て、ユメは小さく微笑んだ。その笑みは、長い付き合いであるソィルとカイル にしかわからないような小さなものだったが――それでも、彼女は笑った。  けれど、笑みもすぐに消える。彼女は《噴射怪奇》の握り手に力を込め、 「カイル卿。騎士の汚名は、自身で削がねばなりません。ですが――」  夜の空気を裂くようにして、剣を振った。  カイルの首を跳ね飛ばした――のではない。剣は虚空をくるりと回り、時計の針のような仕 草で一回転し、地面に突き刺さった。 《噴射怪奇》が、薪ごと炎を押しつぶす。  炎を剣で押し消し、まるで儀式の時のように両手を添えて、ユメは厳粛に言った。 「私がここにきたのは、貴方に助言するためです。――今すぐファーライトを去りなさい、と 」  ふ、と。  炎が消える。夜に、真の暗闇が立ち戻る。星と月だけが唯一の光源だった。かろうじて相手 の顔が見える程度の、どこか心を不安にする暗闇。  灯りが消えれば、遠くから、ここに三人がいるということは分からなくなる。  灯りが消えれば、外側から、ここに三人がいるということは分からなくなる。  他人を厳重に警戒しての行為。  あるいは――灯りの元では話せない、秘密にしなければならない会話。  ごくり、とカイルが唾を飲む。ソィルがちらりと視線を向ける。  二人分の視線を受け止めて、ユメははっきりと告げた。   「ファーライト王国は、貴方を指名手配しました」 「――――」  わかっては、いたことなのに。  それでも、カイルは一瞬言葉を詰まらせた。かつて自分が所属していた所から、首に金をか けられる。犯罪者として扱われるという事実に。  痛い。  心が――痛い。  それでもカイルは、どうにか口を動かして、ユメに問うた。 「それは……聖騎士詐称として、かい?」  その罪に問われたのなら、王国連盟の存在するところで生きていくことはできなくなる。皇 国にでも亡命するか、それこそどこかの魔物生態学者のように、人のいない山奥で生きるかだ 。たとえ傭兵としてでも、王国側に雇われることはできなくなる。  今までの《死亡扱い》も、傭兵として生きていくことくらいはできた。《誰かが死んだとい う誤報》はこの世界では多いことであり、望みさえすれば、他の国で騎士にもなれたかもしれ ない。そうしなかったのは、ひとえにカイルの心が未だ祖国の姫君のもとにあったからだ。  しかし、今は違う。  公的に指名手配されてしまえば――もう、どこへいくことも、できなくなる。  が、そんなカイルの悩みを余所に、ユメは首を左右に振った。 「答えはノーです、ソィル卿。聖騎士詐称ではなく、姫の暗殺未遂、並びに貴族の殺害疑惑と しての国内指名手配です」 「――殺害!?」  思わず、カイルは声を荒げて立ち上がった。聖騎士詐称で指名手配された、といわれても驚 きはしなかっただろう。暗殺未遂、もまだ分かる。実際は違うにせよ、そう間違われても仕方 がない行為をしたのは確かだ。  だが――貴族の殺害。  そんなものに、心当たりは少しもなかった。そもそも、誰が殺されたかすら、カイルは知ら なかったのだ。  その思いを読み取ったかのように、ユメが補足を入れる。 「殺されたのは参戦派の貴族です。これにより、《黒鎧の侵入者》の目的は反戦であるとの見 方を強め、反戦派か、あるいは敵国の差し金と懸念されています」  敵国。  魔物の聖地を越えた先にある、超巨大国家、皇国。  あるいは、他の幾つもの国家からの刺客なのではないかと疑われているのだ――ユメの言葉 で、カイルはそう理解した。  理解すると同時に、疑問が湧いた。 「僕は殺してなんて――」 「その通りです、カイル卿」  カイルの言葉を遮って、ユメが続ける。 「貴方は殺していません。けれども、貴族は実際に死にたえ、それは貴方の仕業ということに なりました」 「……どういうことだ?」  疑問を挟んだのは、ソィルだった。カイルと同じように立ち上がる。少しだけ、カイルより も背が高い。彼もまた、真剣な顔でユメに話を促した。 「カイル卿の進んだ道筋に、ニ刀遣いに殺されたような死体があれば、そう判断するでしょう 」  その言葉の裏にこめられた意味を、カイルは理解する。  たとえ、本当に殺してはいなくとも。  そう疑われる可能性は高い。  何よりも――そう疑われるように、仕向けた誰かが、王国の中枢にいるのだ。 「……ディーン……」その名を無意識でカイルは呟き、「……待った、ユメ」 「なんでしょう」 「えっと……君、国内指名手配って言ったね」 「答えはイエスです、カイル卿」  頷くユメに、カイルは頭の中で事例を整理する。  聖騎士詐称は、王国連盟全てに関わる問題だ。一度そう認定されてしまえば、連盟の手が伸 びるところどこへも行けなくなる。  しかし、姫の暗殺未遂と、貴族の殺害なら、国内での問題だ。 「内々で片付けるつもりか――だからこその、《さよなら》か」  ようやく解答へと辿り着いたカイルにユメは頷き、 「答えはイエスです、カイル卿。王国連盟に頼ることなく、ファーライト内の問題として片付 けることになりました」 「この時期に外に敵を作るのは止めといた方がいい、ということか」 「答えはイエスです、ソィル卿。現在、南の事件により、連盟は不安定になりつつあります」 「…………」  カイルは口を噤んだ。東南の事件。東国と皇国が絡んだあの事件に関係するものとして、カ イルは何を言うこともできなかった。  その様子を眇めながら、ユメは続ける。 「だからこそ、ファーライトから出てしまえば、カイル卿は今まで変わらぬ生活を送ることが できます」 「汚名をはらさずに、一生逃げろと? それは、御免だ」   カイルは、問う。  そんなことができるわけがない、と。死んだ聖騎士として追放されるならばいい。だが、永 遠に咎人として生きることは、彼には堪えられなかった。  彼の誇りが、それを許さなかった。  それは愚かな答えかもしれないが――愚かでも、それこそがカイル=F=セイラムなのだか ら。  ユメ=U=ユメも、それは承知していた。分かっているからこそ、彼女は言う。 「答えはノーです、カイル卿。たとえ今だけでも、貴方は逃げるべきです」  その言葉は、宣言でも、勧告でもなく。 「厄介な男が加わりました」 「厄介な男……?」 「答えはイエスです、カイル卿。そう――」  聖騎士ユメから、聖騎士カイルへの、戦友としての、忠告だった。 「貴方の命を、東国騎士団団長・ジュバ=リマインダスが狙っています」  カイルとソィルが、同時に息を呑んだ。  ――ジュバ=リマインダス。東国最強の男。  戦いの中に生きる彼らが、その名前を知らないはずもなかった。とくにカイルは、最近に、 彼の部下であるクレセント=ララバイと刃を交えたばかりだった。ララバイでさえ相当に強か ったというのに――その上に立つジュバの力量など、考えたくも無かった。  噂では、世界最強の剣士集団、12剣聖と肩を並べると言われているほどだ。彼一人で、東 国の軍事位置を左右しているといっても言い過ぎではない。  その男が――追討軍に加わったのだと、ユメは言っているのだ。 「カイル卿、貴方の選択肢は二つです。今すぐファーライトを去り、機会を待つか。それとも ――」 「それとも、東国最強と、一戦を交える覚悟を決めるか、か……」  ユメの言葉を引き継いで、カイルは言った。  ジュバ。  勝てるか負けるかと聞かれても、カイルには答えられないだろう。正直なところ、実際に戦 ってみるまではどうなるかは分からないし、そもそも勝てる気がしない。  けれども。  勝てる気がしなくても。  勝てるかどうか分からなくても。  退けない戦いというものは、あるのだ。 「――戦うよ」  カイルは、悩むことなく、即答した。 「ジュバ=リマインダスだけじゃない。その後ろに、ディーンや貴族がいるとしても、僕は戦 う。――それが、この国と、姫君のためになるのなら」  言って、カイルは剣を抜いた。  黒のイグニファイではない。かつて、姫君から貰った、古いロングソード。長い間、彼と共 に戦い続けてきた剣。  闇夜になお煌く銀の剣を抜き放ち、カイルは目の前に掲げる。  それを見て、ソィルは小さくため息を吐き。――仕方ないな、と言いたげに。  ユメは、小さく微笑んで。――変わりませんね、と言いたげに。  同じように――剣を掲げた。  そして、三人は、申し合わせたかのように、声を揃えて言う。 『心は故国の姫の元に。剣は己の信念の元に』  誓いの言葉を、彼らは告げた。  それが――姫と、信念のためならば。  命をかけてでも、戦う意味があるのだと、灯りの無い闇夜の中、剣は無言で主張していた。 「それに……」  剣を掲げたまま、ぼそりと、カイルは付け出す。 「彼とは……少しだけ、縁もあることだしね」  そういったカイルの顔は、泣き出しそうな、笑いかけたような、複雑な表情をしていた。  遠く、辛い過去を思い出すかのように。 ■ 第六話 The East ONE AND Scorching Gold.....END  ■