■ 第七話 The East ONE AND The longarm  ■  その日のファーライト王国は混乱の極みにあった。聖騎士を詐称する人物を捕獲しようとし たところ、逆に貴族を斬殺され、あやうく『姫君』を暗殺されるところだった。何に代えても 守らなければならない存在に、敵の剣をさらしかけたのだ。もしユメ=U=ユメが敵を迎撃しな ければ、何人かの首が実際に飛んでいただろう。  迎撃された侵入者は、騒動に紛れて王宮を脱出。まるで王宮の地形を熟知しているかのよう に、巧みに監視や警備の目をすり抜けて脱出しおおせた。内通者がいるのでは、と疑われたの は、そのあたりの事情があってのことだった。隣に立つ仲間を信じれないという、最悪な状況 すら引き起こした。  第三者である賢龍団が協力してくれなければ、侵入者の追跡は絶望的なまでに遅れていただ ろう。  賢龍団の長たる長腕のディーンは、傭兵の身軽さを生かして迅速に行動した。侵入者の処刑 を失敗したと悟ると同時に部下に手配、一斉に緊急配備をしいた。王宮の警備や兵の目が届か ないところに、弓兵のクライブ=ハーシェッドを中心とする目の良いものを配置。逃げていく 黒い鎧の男を捕獲し、独立部隊として追跡を開始。それに協力する形で、ファーライト王国か らも兵が送られた。  それから一時間と経たないうちに、真の混乱が、王宮に二本の足で踏みこんできたのだった 。 「――たのもう!」  はつらつとした声で挨拶をして、その男は何の気負いも気兼ねもなく宮殿に足を踏み入れた 。現場――そう、そこは未だ現場だった――は混乱のさだなかにあり、追うことに気をとられ ていた兵士は、堂々と入ってきた彼に、まったく意識を払っていなかった。  奇しくも、侵入者ことカイル=F=セイラムが、弓で射られた場所と同じ所。  その中心に立ち、男は、ぐるりと兵士と貴族を見回して胸を張った。我に窮するところ一つ となし、文句があるならかかってこいといわんばかりの態度だった。  不遜というよりは、悠然。  無礼というよりは、非礼。  まるでそこが自身の庭のように自然体で、金の髪の男はそこにいた。身につけているのは、 眼にも鮮やかな白銀の鎧だ。背よりも高い剣、長剣グラディウスを背負い、胸を張り、顎をひ き、宮廷すべてを睥睨している。  事項だけ抜き取れば、不審極まりない男だった。  それでも、彼が不審に見えないのは、まるで百獣の王のような、揺るがなき雰囲気があった からなのだろう。此処は彼の王国ではないはずなのに、この場で一番偉いのは自身だと物語っ ているような――そんな圧倒的な気配があった。  すなわち、強者の気配だ。 「貴様、何者だ!」  一番近くにいた兵士が、声荒く怒鳴りながら男に近寄った。ただでさえこんな忙しいときに 、歓迎してもいない闖入者がきたのだ。声が荒くなるのも無理はない。相手が不審人物なら、 ニ、三発殴ってでも追い返そうと心に決め、拳を握りつつ彼は大股で男へと駆け寄り、 「何――不審人物ではない」  はっきりとそう告げた男は、近寄ってきた兵士の後ろにいた。  駆け寄ろうとした男は足を止めた。止めざるを得なかった。正面にいたはずの男の姿が消え 、後ろから声が聞こえたのだから。  男の動きは、兵士の目には見えなかった。  横をすり抜けられた動きなど――見えはしなかった。  この王宮で真っ先に男の恐ろしさに気づいた兵士は、そのまま固まった。振り向けば、斬ら れる。相手の実力を、得たいの知れない実力をその身で味わっただけに、その妄想は現実のも のとして感じられた。  が、男は、兵士を歯牙にかけすらしなかった。  固まる男を放ってさらに奥へと歩く。そして、王宮の奥へと通じる階段の果てにいる、一番 偉そうな貴族を見据えて、男は。 「私の名前はジュバ=リマインダスだ。東国騎士団全権大使として――王国同盟憲章に基づい て協力しにきた」  東国騎士団長・ジュバ=リマインダスは、明瞭と告げた。 「――!!」  そのひと言で、王宮の雰囲気が一変した。殺気にも似た喧騒が一瞬で凍りつく。  一瞬が過ぎた後に、驚愕と、困惑がきた。  彼らの思考は一つだ。『あの』ジュバ=リマインダスか、という疑問。先の聖騎士モドキの ように、どこかの田舎騎士が詐称しているだけではないのかと、そう思うものすらいた。  無理もない。いくら国交があるとはいえ、いくら王国同盟に属する国家間とはいえ、ファー ライトと東国は決して近いとはいえず――そして何より。  ジュバ=リマインダスとは、こんなところに何気なくいていいような男ではないのだから。「ジュバ……」 「ジュバ=リマインダスだ……」 「……まさか……」 「金の髪と白の鎧……」 「……あの剣……」 「東国最強がどうして……」  兵士たちの声から断片的に声が漏れる。ひそひそとした会話が、王宮の中に巻き起こる。  年若い兵士は、半ば伝説に等しい噂話として。  年老いた兵士は、かつて肩を並べて共に戦った経験から。  その彼らを、ジュバは赤い瞳で一瞥した。全員の言葉尻にあがっても態度は微動だにしない。  東国の一。  王国連盟でも五指に入る実力者。  戦乱に次ぐ戦乱の中で成り立つ東国をまとめているのは、ひとえに彼の実力があってこそと の話だ。東国騎士団だけで、貴族と議会と渡り合っているという、正しく東国の一角、その主 。魔王エト・エーノと三度にわたり死闘を繰り返し、隠者イルトローデと剣を交えたことすら あると噂される――女好きの変態、ジュバ=リマインダス。  その彼が、完全武装で立っているのだ。騒ぎが起きないほうがどうにかしている。  そんな王宮内を見回して、ジュバは全員に届く大声を出した。 「どうした! 責任者はいないのか! いないのならば――私の方から挨拶へ行くぞ!」  それは、即ち。  お前たちの対応が遅いから、国王か、『姫君』に直接面会しにいくぞ、と脅しているような ものだった。  無論、ファーライトの側からすればたまったものではない。何の事前交渉もなくそんなこと をしては沽券に関わる――というよりも、そんなことの前例が存在しない。とはいえ、まだ混 乱から脱出しきってはおらず、ましてや対策議会すら開いていない今の段階では責任者など定 かではない。本来ならば外交に対する貴族の代表がいるが、その彼はつい先刻に切り殺された ばかりだ。  副官がいくか、内政の長がいくか、それとも聖騎士に出てきてもらうか。命令される側であ る兵士たちもが悩み始めた瞬間、 「おや、これは――東国騎士団長さんではないですか」  迷いのない、はっきりとした声が返事をした。  ジュバと、そしてその場にいた誰もが声の方を見る。そこに立っていたのは、他の誰でもな い――賢龍団団長、長腕のディーンだった。冷静さを損なわない平静な態度でジュバを見遣っ ている。  まるで、この騒ぎは自分には関係ないと言わんばかりの、平常さだった。  彼は浮き足立つ兵士たちの間をすり抜け、階段をゆっくりとジュバの元へと降りた。急ぎも しない。周りを落ち着けるかのような速度で階段を降り、ジュバより五つ上の段で止まった。  ぎりぎり、ジュバ=リマインダスの、拳の射程外だった。 「…………」  そのことを解ったジュバの眉ねが歪む。もちろん、彼が本気になればそんな距離など意味を なさない。ただし、その距離を埋めるには、一瞬以上の時間が必要だ。手が届く範囲ならば、 それこそ一瞬で殴り飛ばすことができる。  つまり――ディーンは。  その一瞬で、何らかの対抗策がうてるのだと、無言で主張していた。  明らかな、『敵』としての警戒。  それが解ってもなお、ジュバは態度を変えなかった。うさんくさい、ほがらかな笑みを浮か べ、 「貴公が責任者かな、ディーン、ディーン……」 「ディーン、で結構です。生憎と、家名はありませんので。長腕のディーン、と呼ばれていま すが。賢龍団の団長をしていますが、現在はこの事件にあたって、現場の指揮を一任されてい ます」 「それではディーン。私は東国騎士団団長・ジュバ=リマインダス。東国騎士団の全権を預か るものとして、この度、ファーライト王国に協力させていただこうと思い参上した次第です」  ことさら丁寧な、もったいぶった言い方をするジュバ。それは彼が、『公』としてこの場に 立っていることをあらわしていた。騎士団の鎧を着込み、全権大使として参上する。ここには 彼一人しかいなくても、実質的に『東国騎士団』が協力に参上した、と考えても間違いはない 自体だった。  ようやく混乱が収まった兵士たちが、別の理由でざわめき出す。  ――東国騎士団の協力。  それは、前線で戦う彼らにとっては何よりもの助けだった。東国騎士団といえば、辺境で魔 物と反乱族相手に一歩も引かず、龍とすら戦うと言われる勇猛な騎士団だ。たとえ侵入者が聖 騎士を騙れるだけの実力を持っていたとしても、彼らならばひけをとらないだろう。  が、ディーンは、周りの思考とは真逆に怪訝そうな顔をした。 「……この度の事態、と言いますと?」  ディーンの言葉もまた、丁寧に、丁寧すぎる言い回しで答えた。彼の場合は、公の場という よりは――恐らくは、狂言回しのような立場なのだろうと、ジュバは推測した。  歓迎されていないのは、明らかだった。  というよりも――タヌキと狐の化かしあいだ。 「貴公のいう、『この事件』だ」  言って、ディーンは抱擁するように両腕を広げて笑い、 「解りやすく言おう。貴族殺害と姫君暗殺未遂の犯人を追うのを手伝おうと、そう言ってるん です」  今度は、兵士たちにざわめきはなかった。内心でざわめいたのは、奥にいる数人の貴族と、 眼前に立つディーンの方だった。  事件が起きて、まだ一時間と経っていない。これでも、ディーンたちは迅速に行動したつも りなのだ。当然、街に交付を出す時間などありはしない。噂話に上るのも、まだ少し先の話だ ろう。  現場にいる人間にしか、知りえないことだ。  それを、ジュバは、国の人間ではない、いつかは敵国に回るかもしれない相手が、告げたの だ。驚かない方がどうかしている。  ディーンは右腕で頬の無精髭をさすり、感心したような顔をして、 「貴方の騎士団には、優秀な方がいると見える」  その言葉は、『スパイ活動ご苦労様』という、一種の皮肉だった。が、ジュバの対応は、デ ィーンが予想していたものと大きくことなった。恥かしそうに頭をかき、 「いやなに――俺の可愛いあの子が頑張ってくれただけだ」  公を忘れたように、惚気そのものの発言をジュバはこぼした。はっ、といきなり真顔になり 、こほん、と咳を吐いて、同じくらい急に真顔に戻る。真剣な顔でディーンを眇め、 「珍しいことではない。十年前のあのときも、私は後始末を協力した。もっとも、その頃の話 なんて傭兵である貴方は知らないかな。いや、それこそ――貴公なら知ってるだろうな、なん せ情報に聡いのだから」  今度はジュバが皮肉を返す番だった。賢龍団の長腕のディーン、といえば、ジュバほどでは ないにせよ名の通った存在だ。情報の大切さを理解する傭兵、という認識が、ジュバの中には あるのだろう。   ジュバも、ディーンも、微笑んでいる。  けれども、その内面で何を考えているかは、周りの兵士は伺いしれない。  そう――これは、戦場での戦ではない。  戦場を街にした、東国とファーライトの代表による政戦なのだから。ジュバはともかく、現 場責任者でしかないディーンがそれをするのは限りなく越権行為に近いのだが、ディーンはっ これを『現場の対応』として処理してしまうことだろう。  ディーンは微笑みながら尋ねる。 「つかぬことをお伺いしますが、どうしてこの国に?」  ジュバは、笑うことなく、真顔で答えた。 「世界平和のためだ」 「…………」  あんまりといえば、あんまりすぎる回答にディーンが閉口する。ジュバは手を振り、 「いや、言い過ぎだな。王国連盟の平和と、それに連なる我が祖国の平和のために、とでも思 って欲しい。最近不穏な雰囲気が広がっているので調べているだけだ。そのついでに、同盟国 であり友好国であるファーライト王国まで足を伸ばしただけだ」 「…………」  ディーンは答えない。ジュバの言っていることは、あくまでも正論だ。  正論というだけで、あきらかに誤魔化されている部分がある。  とはいえ、ディーンの立場からではそれ以上突っ込んで聞くこともできない。なにしろ、彼 ら賢龍団も、この国所属の騎士団ではないのだから。もしディーンにいずれその位置にたつ策 略があったとしても、それは先のことだ。今この場でこれ以上我が物顔でうろつけば、当の騎 士団からの風当たりが強くなる。  あくまでも、現場責任者。  今はまだ、長腕のディーンとしてその位置から抜けることはできない。  今は、まだ。  今が、いつまで続くのかは、誰もしらない。  そのディーンから視線をそらさず、ジュバは言葉を続けた。 「それに、だ。その侵入者と縁……いや、怨恨がある少女を保護している。その子に侵入者の 行きそうな場所を提供してもらう。情報が信用できないというなら――東国騎士団だけで行く までだが」  少女。  それが誰か、ディーンはすぐに察しがついただろう。名前こそ聞いていないものの、賢龍団 において『侵入者』と共に行動し、今回切り捨てたつもりだった少女。  そして、確保に失敗した少女だ。  その原因をディーンは心得ていた。警備兵からの報告は、もちろん入っている。原因は、今 まさに、彼の目の前に立っているのだから。  ディーンは心持ち睨むような顔で、 「マスクマンJ、と名乗る男に奪取されたと、警備兵から聞いていますが?」 「ああ、私も彼から話を聞いている。なんでも女が兵隊に暴行されかかっているのを見咎めて 救ったそうだ――なんとも物騒な話だな」  ジュバは「嘆かわしい」と首を左右に振り、 「だが、彼女は今わが東国騎士団が保護している。その『侵入者』を追うのに協力してもらう ことになっている」 「こちらに引き渡していただけませんか?」  ディーンは即座に言い、 「その義務はないな」  あらかじめその言葉を予期していたかのように、ジュバは即答した。 「どうしてですか?」  当然のように吐き出された質問に、ジュバは大仰に肩をすくめ――けれど、まったく笑わず に、真顔で答えた。  ナイフを突きつけるような、鋭い声だった。                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「その侵入者が例えば、そう――聖騎士の偽称でもして指名手配されているのであれば、王国 連盟の元に貴国の指揮下に入るのもやぶさかないのだがな」  ディーンは薄く微笑んでいる。  その微笑みが硬直したように見えたのは、きっとジュバの見間違いではないのだろう。 「しかし事件は殺害と暗殺未遂。あくまでファーライト王国内で片付けるというのなら、こち らとしては対等の立場として『協力』するだけだ。情報の提供こそすれ、身柄を引き渡す必要 があるとは思わないな」  ジュバの口調は、もはや丁寧とは言い難かった。ディーンとの会話のうちに、自身なりに事 態を把握したのだろう。  今、この状況が、誰の手によって動いているのかを。  交渉相手が誰なのかを。  お前が知っていることを、俺も知っているぞと、ジュバは暗に告げているのだ。  もっとも――彼は、知らなかったが。  その手が、その腕が、はたしてどれほど長いのかを、ジュバは知らなかった。そのことがい ずれ彼を致命的な極地に追い込むことになるのだが――今の段階では、神ならざる彼の身では 知りようもなかった。  すべては、先の話だ。  ジュバは、眼前に立つ、歪な鎧をきた傭兵長に朗々と問う。 「それとも――協力を断るか? されば東国騎士団は独自の行動をとらせてもらうだけだが。 どうする、現場責任者殿?」  ディーンは、少しだけ顔を伏せて沈黙して。  悩むかのような姿を見せて。  顔を上げて、穏やかに微笑んで、ジュバに次げた。 「東国騎士団の団長が」  言うディーンの顔は、微笑んでいる。  敵対する意志はない、というように見える。  何かを企んでいるようにも、見えた。 「武政両道だとは知りませんでしたよ」  お前のヘラズ口は大したものだ、と褒められて、ジュバは呆れたように笑った。 「いや何――貴公には負けるさ」 「いいでしょう。出発の前に、少女から得た情報の提示をお願いします。それから日に二度の 定期連絡も。それ以外は行動を制限しません」  交渉は終わった、とばかりに、ディーンは早口でまくしたてた。ここまで事態が進んだ以上 、腹の探り合いはもはや無意味だと悟ったのだろう。ジュバも同意権なのか、「了解した」と 答え、踵を返す。  その背中に、ディーンは告げた。 「ああ、それと」  ジュバは立ち止まり、振り返らずに「なんだ」と答える。  ディーンは笑うことなく、険しい顔つきで、言葉を続けた。 「侵入者の確保は――生死を問いません。捕えたらこちらに必ず引き渡してください」  殺してでも、『侵入者』を連れてこいと、長腕のディーンは言った。  生かしておく必要はない、と。  それを、解った上で。  かつてのカイル=F=セイラムの「ちょっとした因縁」の相手であるところの、ジュバ=リマ インダスは、振り返ることなく答えた。 「もとより、そのつもりだ」  次げて、ジュバは歩き出す。今度こそ誰も止めはしない。兵士と貴族と見守る中、ジュバは 何ら臆することもなく、堂々と大股で去る。その後ろ姿を見送ることもなく、ディーンは宮廷 の中へと戻る。次なる策のために。ジュバに対応するために。  そしてジュバも歩き出す。侵入者を、カイル=F=セイラムを追うために。  事態は、もはや止めようがないほどに動き出していた。  こうして、東国騎士団と、ロリ=ペドは、ファーライト王国首都を離れた。  そして――  再び彼らが戻ってくる時――この街は、戦火の嵐に襲われることになる。 ■ 第七話 The East ONE AND The longarm.....END  ■