■ RPG世界観SS ■ ・選ぶべき道  聖騎士の塔は五階建ての塔であり、例にもれず一階につきひとつの試練が待っている。その 階の試練をこなすたびに次の階に進むことができる。つまり、全部で五つの試練を乗り越える ことによって、『聖騎士』の称号を得ることができる寸法だ。  聖騎士。  それは、剣士たちの誰もが目指す果てにある12剣聖の称号のように、騎士のだれもが目指 す究極の果てだった。騎士の中の騎士のみが名乗ることができる称号。それは、望んだからと いって得られるようなものではない。真に名乗るに相応しいものなら、あとからでもついてく るような――騎士とは、斬っても切り離せない称号だった。  何かに剣を捧げたものの行き着く果て。それが、聖騎士だ。騎士である限り、誰もがそれに 行き着く。行き着くことなく、死なない限り。  そして、皇歴2253年。ファーライト王国騎士団所属、カイル=F=セイラムは、聖騎士の塔 に挑んでいた。身にまとっているのは、黒い鎧でも、双剣でもない。白を基調に金の紋様が走 る王国騎士団の鎧に、『姫君』から授かった、古く名もないロングソード。  当年とって19歳。ようやく顔から幼さの抜け始めた、若い騎士だった。  とはいえ―― 「……これで、残りは一階……」  その実力に、驕るところはなかった。  息が多少荒くなったとはいえ、四階までの試練をカイルは大きな怪我もなくこなし終えた。 そのいずれもが困難極まりない試練だったが、カイルは人智を尽くし、力を出し切って乗り越 えていった。そしてようやく、残るところはあと一つ、ついに最期の試練だ――というところ までたどり着いたのだった。  階段を昇り、五階に辿り着く。正直に言えば、体力は限界が近かった。この試練が終われば 、恐らくは気絶する勢いで倒れることだろう。剣に刃こぼれこそないものの、鎧は所々にキズ が入っていた。  疲れはある。  けれど、それ以上に、達成感があった。  ――ようやく、ここまできたのだ。  その思いが、カイルの心を満たし、疲れた手足を動かす原動力になっていた。 「龍が出るか、悪魔が出るか……」  覚悟を決めながら、カイルは五階に足を踏み入れた。ここまできたのだ、蛇などという小さ なものが出てくるはずもない。この先に待ち構えているのは、間違いなく最悪や最強に部類す る難関だ。事象龍や魔王が出てきても今のカイルは驚きはしないだろう。  五階は、広かった。それは、面積が拡大しているのではなく、単純に何もないからだった。上ってきた側と反対側に、小さな台座があるだけで、それ以外にはなにもない。継ぎ目一つな い床と、窓一つない壁と、比較的高くにある、球状の天井。それ以外に、物という物は存在し なかった。  何かに似てるな、と思い、すぐに気づく。  囚人たちの闘技場や騎士団の訓練場――つまり、戦うために作られた場所に共通する『何も なさ』が、そこにはあった。  それが、逆に安心できた。 「どうやら、分かりやすい試練みたいだな」  ここで誰か、あるいは何かと戦う。頭を使う必要もない、正真正銘の実力勝負、ということ だろう。  そして、その相手は―― 「貴方が、最期の相手ですか?  カイルは、奥の台座――その上に置かれたふかふかのクッション――に腰掛ける、エプロン ドレスをきた少女に向かって問いかけた。  少女は、ウサギの耳をぴょこんと揺らして、  ――いんや? わたしは違うよん。わたしはただのお手伝い。  くすくす、と楽しそうに笑う。その姿は、どこにでもいる少女にしか見えない。とてもでな はないが、聖騎士の相手となる強者には見えなかった。 「でも、人は見かけによらないしな……」  頭の中で、一見スケベなチンピラにしか見えないくせにやたらと強いグラディウス使いや、 思慮深そうな中年男性に見えるのに頭のネジが一本外れているような学者といった、突拍子も ない知り合いの顔を思い浮かべながらカイルは一人ごちる。  人間、外面だけでは中身は分からないものだ。  このウサギの少女だって、その実、とんでもない実力者なのかもしれないのだ。 「……ん? ウサギの……少女……?」  頭の中でひっかかるものがあって、カイルは少し考え込んだ。その言葉を、誰かから聞いた ような気がしたのだ。いや、どこかで読んだのかもしれない――そう考える間にも、少女は笑 い続けて、  ――貴方はどうにかここまできた。だから、これが最期の試練だよ。  言って、右手を高く突き上げた。  空を掴むように伸ばされた手には、白い手袋が嵌められている。何を掴んでいるわけでもな い。武器を持っているわけでも、魔法を放つわけでもない。  それでも、その腕が。  カイルにとっては、一瞬、何よりも恐ろしいものに見えた。 「――ッ!」  その気配をカイルは信じた。この聖騎士の塔において油断などできるはずもない。剣を抜き 放ち、たちまち臨戦態勢に移った。少女との距離が離れているとはいえ、素早さに定評のある カイルならば、三秒と経たずに距離を詰めることができる。  少女は、そのことが分かっていても、カイルが剣を構えても、笑いを止めなかった。  それどころか、ぴょんと台座の上に仁王立ちになり、まっ平らな胸を偉そうに張った。自信 満々の表情でカイルを見下ろして、カイルは元気よく告げる。  ――我が名は因幡! 時の契約において、騎士に試練を与える!  その言葉に――カイルは、ようやく思い出した。  ウサギ耳の少女。  それは誰でもない、あの魔物生態学者から話を聞き、彼が持ってきた『神学論』という本で 読んだ――女神イナヴァと事象存在!  時を司る、白いウサギの少女! 「貴方は……ッ! 最期の最期にこんな、!」  いくらなんでも神様と戦うとは思わなかったカイルは怯む。が、因幡ましろはへへんと笑い 、  ――だからわたしじゃないよん。貴方の相手は、  言って、因幡は拳を振り下ろした。その瞬間、黄金色の風としか言いようのないものがカイ ルに襲い掛かる。光り輝く障風、ともいうべきものに、カイルは押し流されないように堪える ので精一杯だった。それが、時空流の解放による衝撃だと知るものは、この世界でもごく僅か しかいない。  目も開けていられないような圧力の中、カイルはたしかに見た。  因幡ましろが手を振り下ろした空間が、ぱっくりと裂け。  空間が、裂け。  その先に深遠が覗き込んでいるのを――そして、その深遠から。  一人の男が出てくるのを、カイル=F=セイラムは、その瞳で見届けた。    ――貴方自身だ!  空間が、閉じる。   風が止み、カイルはすぐさま構えた。障壁の中で誰かが現れるのが確かに見えたからだ。そ の誰かが、敵だというのは間違いない。ならば、構えない理由は存在しない。  けれども、その敵は。  いきなり襲い掛かってくることもなく、剣を構えることもなく、悠然と立っていた。  男、だった。歳の頃は、三十の中ごろといったところだろう。老いは見えず、むしろ生気に 満ちていた。鋭いところのない、優男風にも見えるが、そのくせ隙というものがない。どこか ら打ち込んでも揺らぐことのない、確固とした意志と実力を感じた。  身にまとうのは、黒い鎧。  そして――手に持つは、二本の剣。  黒い剣と。  白の剣。  二刀を携え、男は、なぜだか楽しそうに口元を小さく歪ませて――カイルを見ていた。  その姿に、カイルは見覚えはない。見覚えはないというのに、どうしようもない親しみを感 じていた。誰よりもよく知っている、生来の友人のような―― 「……ッ!」  そして、気づく。  因幡ましろの言った言葉と、その事実が、結びつく。  そのことをカイルが言うよりも早く、男が、はっきりと告げた。 「我が名はカイル=F=セイラム。契約に基づき参上した。――さぁ、構えなさい、若きカイ ル=F=セイラム」  言って、35歳のカイル=F=セイラム――黒い旋風は、にっこりと笑った。 「時の……女神……、遠い未来の、僕……」  黒い旋風の言葉どおりに構えながら、カイルは知らず知らずに呟く。  ――敵は、自分自身。  その言葉を、カイルは別の場所でも聞いたことがある。騎士団に入る際に、父親から、騎士 団長から、そして姫君からすらも聞いているのだ。  それは、騎士の常識だ。  騎士は強い。守るべきもののために、剣を捧げたもののために、強くなる必要があるから。  そして、その騎士にとっての最大の敵とは――自身に他ならない。  守るべきもの。  剣を捧げたもの。  そのものを一番殺し易いのは、すぐ側にいる、騎士本人なのだから。だから常に騎士は戦わ なければならない。勝つために存在する軍人とも、戦うために存在する剣士とも違う。主を変 えて戦い続ける傭兵とも、算術権謀に生きるものとも違う。守るものを裏切ってはいけない騎 士だからこそ、その悪魔の誘惑には、けっして乗ってはいけないのだ。  騎士は、負けてはならない。  他の誰でもない、己自身には負けてはならないのだ―― 「……なるほど。最期の試練に、相応しいですね」  口元に浮かぶのは、笑みだ。もちろん、余裕の笑みではない。余裕などあるはずない。  相手は遠い未来の自分自身だ。見知らぬ剣に、見知らぬ鎧。年齢と格好から見るに、恐らく は、  ――人生で最も強い時期の『貴方』だよん。  カイルの思考を読んだかのように、因幡が付け加えた。その声はいかにも楽しげで、これか ら行われる最期の戦いを心待ちにしているようにも聞こえた。  口端の笑みが深まる。 「最強の自分自身、ですか……相手にとって、不足はありません」  その言葉に、嘘はなかった。  勝てるだなんて思わない。  自分はまだ発展途上であり、そして相手は、間違いなく最強の『自分』なのだから。  それでも。  それでも―― 「敵から逃げるわけには、いきませんからね」  そう告げたカイルの顔を、黒い旋風は、嬉しそうに見つめた。 「いい瞳だ、いい覚悟だ、いい闘志だ。だからこそ私も、全力でそれに応えよう」  言って、黒い旋風は剣を構えた。  右手に持つ黒い剣、オリハルコン製のイグニファイを上段に。  左手に持つ白い剣、名前の存在しないロングソードを下段に。  二刀を構えて、黒い旋風はカイルをにらみつけた。それだけで、その気配だけで、カイルは 圧倒されそうになる。  思わず後ろに引きそうになる足を、意志の力で堪えた。  引くわけにはいかない。  騎士の後ろにいるのは、守るべきものなのだから。  一歩たりとも、引くわけにはいかない! 「心は故国の姫の元に。剣は己の信念の元に! カイル=F=セイラム――参るッ!!」  裂帛の気合を放ち、カイルは跳んだ。  前へと。  遠い未来の己へと、戦うべき自分自身へと。  飛び向かう先、黒い旋風は。 「だが、若き騎士、若きカイル=F=セイラム――」  剣がわずかに動く。イグニファイとロングソードが、わずかに交差するように動く。その間 から覗く黒い旋風の瞳は、真っ直ぐにカイルを見据えている。 「【黒い旋風】の名が伊達ではないこと、その身で味わうといい!」  裂帛すら凌駕する渇と共に。  黒い旋風もまた、風よりも速くカイルへと駆け出した。 ■ 後編に続く ■