■一つ目の夢を見る(ジョバンニ=ベンリ×更葉=ニードレスベンチ)  ザー、である。  ザー以外の何でもない。ザーであり、ザーでしかなかった。シャー、でもサー、でもない。  ザー、だ。  それが何かと言えば――言うまでもなくシャワーの音だ。決して雨の音じゃない。窓の外は 雲ひとつなく、紫色の月が綺麗に見えている。少なくとも夜が明けるまでは雨が降ることはな いだろう。  だから、さっきから聞こえてくるザー、という音は、シャワーの音なのだ。  そう。  シャワーの音、なんだ。 「うー……くそー」  意味もなく俺は天井に向かって唸ってみたが、天井はうんともすんとも返してこない。自分 の声でシャワーの水音が途絶えたのはわずかな間だけ。すぐにザー、という音が聞こえてくる 。仕方がないのだ――お世辞にもこの宿は上等とはいえないし、木造の扉一枚隔てればそこは シャワールームだ。浴槽のない、せまっちい立てた棺桶みたいなシャワールーム。わずかに歪 んだ扉の隙間から、湯気さえ見えてくるような気がした。  とてもでないが、平静ではいられない。  扉一枚隔てた近くで――更葉がシャワーを浴びていると考えたら、平静でいられるはずはな い。 「いくら俺が冷静沈着を常とし、狙った獲物を外すことはない平原一の弓取り、ジョバンニ= ベンリだとしても――平静ではいられないってもんだ」  ベッドの上をごろごろと転がってみる。相当古い安ベッドはそのたびにぎしぎしなったが、 シーツの清潔さは気に入った。この感触、昼に干したと見た。こういう安宿は『そういうこと 』に使われるのが多いので、清潔さはある意味では何よりも大切なのだ―― 『そういうこと』。  それは言うまでもなく―― 「……くそ、意識しちまった」  ごろごろ転がるのをやめて、俺は天井を見た。天井以外を見たら、余計なことを考えてしま いそうな気がしたからだ。たとえばそれはあのドン臭い地属性斧戦士の少女がシャワーを浴び てることだったり、彼女の頬がちょっと赤らんでいたり、俺の方も意識していたりすることを 。  弓兵だから、待つのは慣れてる。  慣れてるが……正直、しんどい。誰かに代わってもらおうとは少しも思わないが、一秒でも 速く更葉に出てきてほしかった。  が、そんな俺の心を読んだかのように、すぐ横から声がした。 「女のフロは長いってもんだぜ、うん」 「…………」  いきなりの声に、ぎくりとした。いつのまにか更葉がシャワーからあがっていたのかと思っ たからだ。いまだシャワーのザーという音が途切れてなかったから、その思考はすぐに捨て去 ったが。  言うまでもないが部屋には二人しかいない。あいにくと俺には乱交の趣味はないし――死ぬ までに一度くらいならやってもいいとは思っているが――更葉にだってないだろう。いや、な いと思いたい。あったら俺はきっと泣く。  なら、答えた一つしかない。 「おい、ダート。なんでお前がいるんだ?」  俺は『ソイツ』の名前を呼びながら身体を起こした。  案の状――いた。  枕元に小さな、手のひらに乗るサイズの少女がいた。宝石から生まれる妖精、泥の晶妖精の ダートだ。普段は石の中で眠っていて、必要に応じて召還することになる。なるんだが―― 「決まってんだろ? お前が変な顔して変なことぶつぶつ言ってるから、からかってやろうと 思ったんだよ」  くけけけけ、とダートは底意地の悪そうに笑った。というか、悪そうに、じゃない。こいつ は本当に底意地が悪いのだ。むしろ底のほうから意地が悪い。必要なときに呼んでも出てこな いし、必要じゃないときには呼ばずにもでてくる。そのあたりが、こいつが晶妖精として低級 扱いされている理由なんだが……本人には改善意識なんてまったくない。  それを捨てずに扱っている俺こそ、心の広い真の男というもんだろう。 「なんか言ったか、ジョバンニ=ダケ=ベンリ」 「だけ、は余計だだけは! 人が何げに気にしてること言うんじゃねえ!」 「あ、気にしてたんだ、やっぱり。ハゲるなコレは」 「それも気にしてるんだから言うんじゃねえ――!」 「生え際危ないもんね」  くけけけけけ、とダートが笑う。くそ、石をハンマーで叩き割ってやろうか、本気で。だが 、石を五つくらいに割れば、ダートが五人に増えるかもしれない。そんなことになったら俺の 耳と能はまず間違いなくやられてしまうだろう。  愉快な妄想を脳内のゴミ箱に捨てて、俺はダートに向き直った。この際だ、ずっともんもん と悩んでいたことを相談してしまえ。 「なあ、ダート。俺は悩んでるんだよ」 「……何を?」  答える声はいぶかしげだった。ダートの立場からすれば『嫌な予感がした』というやつなん だろう。残念だがダート、その予感は極めて正しい。お前の立場からすれば、だが。  だが、俺の立場からすれば、それは命をかけるに相応しい真剣な問いなんだ。  それ即ち―― 「このまま部屋で待ってるのと、今すぐ風呂場にダイブするの――どちらが俺に相応しいと思 う?」 「…………」  あ、やっぱり沈黙した。  そうだよな、黒歴史ノートなんて書いてるこいつには、少しオトナすぎる話題だと思ったん だ。だがまあ、いつまでも悩んでいるわけにもいかない。俺も男だ、男らしくばしっと決めて しまおう。 「このままずっと悩んでて待つのアレだしな。ひょっとすると更葉だって、俺を待ってるのか もしれない」  耳をすましてみると、ザー、というシャワーの音はまだ聞こえてくる。確かに長い。不自然 に長い。ひょっとするとシャワーとリンスを間違えたり風呂場でこけたりとドジを連発してい るだけかもしれないが――そっちの確率の方がはるかに高いが――なきにしもあらず、という ことだ。  というか、単純に。  このままだと俺、暴発するかもしれん。  みっともないからダートには言わないが。 「そういうわけで、ダート。俺はどうすればいいと思う?」 「自分の胸に聞けバカ!」 「俺の胸か。俺の胸は――」  俺はそっと、右手を自分の心臓にあててみた。  弓をかまえ、矢をつがえ、今にも放とうとしているときと同じように――俺の胸は高鳴って いた。それはまるで、俺にこう伝えているかのようだった。 ■選択肢が発生しました。 → 1・俺は矢、的を貫くために走る矢だ! 『風呂場へ』。    2・俺は弓、敵が訪れるのをキリキリと待つ弓だ! 『このまま待つ』