予定が変わったので前編より更に以下が名前だけ出てきます名前だけ クレセント=ララバイ           東国騎士団 暁のトランギドール            事象龍 蒼のインペランサ             事象龍 大地の事象獣オリュドライザー       事象龍               『西国最強の――』                the West ONE                  後編  聖権(ソウシュキョウ)は膝を折り、俗権(コクオウ)はしがみついた。  では、聖女に囁く偽りの神託者。君臨するあの魔剣(マジン)こそが西国最強なのか。  否。  否だ。  俺はあの瞳を覚えている。  あの金色の視線を覚えて、いる。    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  ――東国騎士団、という集団が存在する。  これは西国騎士団にも言える事なのだが、東国騎士団は通常の、たとえば幻豚騎士団や しばらく前に一瞬だけ存在した皇国騎士団などの騎士団と決定的に違う点がある。それは 兵員を供出する領主たる騎士と、その頂点にいる王との軍事サークル“ではない”という 事だ。  高い練度と意識を有する統制された戦闘集団としての騎士団。  それはむしろかつての騎士修道会に近く、違う言い方をすれば特殊部隊。ある時ある場 所でのある男のように、東方の「ニンジャ」とまでは言うまいにしても。  事実として数年前の大戦争においても東国騎士団は連盟兵として参加した東国主力の兵 団とは別個の指揮体制でもって参戦しており、それ以前に出撃させるか否かで東国宮廷は 侃々諤々の有様だったのである―― 「東国騎士団の一隊を迎撃して欲しいの」  聖女の言葉に、自分で言うのもなんだが俺は素っ頓狂な声を上げた。  あの教会の二人を昏倒させたのが三日前の事で、ようやく呼ばれたと思ったらこれだ。 「いや、え?東国……?はァ?」  今俺達が居るのは礼拝堂の脇の聖女用の事務室で、だから彼女と自分以外には誰も居な いから、別に地を出す事を我慢する必要はなかった。 「いや、いやいや、ちょーっと待ってくれ。話が見えないんだが」  東国騎士団は強い。彼らと一戦交えたがる者はそうは居ない。その強さ故に狙っている らしい皇国第十二軍団と、あとは東国と言わず王国連盟・皇国全てを敵にまわせるだろう 破天帝国主力軍ぐらいのものか。  何より、そもそも彼らは味方だ。  そう、西国は王国連盟に加盟している。東国もだ。つまり二国は一応同盟国という事に なる……のだ。まあ無論それは表向きの話で仲が良いとは言わないが。  そもそも西国は王国連盟の殆どが皇国より東側にあるのに反して皇国とパシティナ砂海 を隔てるように西側に存在する。西国という通称自体が、中央部の西側に存在するせいな のだから。  おおざっぱに言うと地理的に遠い事もあってあまり信用されていないのである。西国の 中央集権化が進んでいる事も、東国や他の国が警戒する要員となっている。  実際、数年前にあった魔王ロイランスによる侵攻時も西国は出兵しなかった。そのうち 『戦車』が来たせいでうやむやにはなっているのだが、他国の不信を強めたのは間違いな い。  その上で連盟内でも武勇誉れ高き東国と何かやらかすなどしたら西国の立場は大変な事 になってしまう。西国がもし連盟から見捨てられるような事があれば、すぐさまあの皇国 がやってくるだろう。皇国にとって西国は配置的に己を挟みうちにしているだけではなく、 砂海への貿易ルート上にいて儲けを掠め取る盗人でもある。  聖女は俺の顔を見て笑みを零す。それは聖女としての微笑とは違って、不出来な子を見 て『しょうがないわねぇ』と苦笑する母親のようだ。 「別に表で事を構えるってわけじゃないわよ」 「当たり前だ!んな事出来るわけがない」  とぼけたような物言いに、机をガンと叩いて身を乗り出す。そうしても聖女は相変わら ずにやにやというかへらへらとしたままだ。 「あらあら」  そうおどけて、今度は彼女がずいっと身を寄せた。 「西国騎士団副長ではなくて、貴方への頼みなのよ。『構えずの』スエイ」  間近にある顔から目を逸らさず、俺は更に顔をしかめる。 「そういう仕事は銀陽の受け持ちだろう」  銀陽……銀陽の魔刃。三日前の礼拝堂でゴスペルと槍を結んだ魔人騎士。彼はエルネス トのように魔の力を得て人間が化身しているわけではないようで、だから弓兵長をしてい る男とは違って正式な騎士団所属ではない。あんな、鋼のような体躯と一つ目の化け物を 表で使うわけにはいかない。ゆえに舞台裏での仕事が多い。彼自身も自分に並ぶだけの強 者を求めており、それはそちら側に居るほうが何かと出会える。 「ええ、だからあの子にはクレセント=ララバイを誘拐してきて貰うのよ」 「ブッ」  吹いた。吹き出した。事もあろうに目の前の女は東国騎士団の副長を強奪するとのたも うた。  この場で良かった。正直二人きりでなくても我慢できた自信がない。 「汚いわねぇ……」  俺が間近で吹いたせいでかかった唾をれろれろと舐めとりながら、クリス=アルクは気 の抜けた呟きを洩らす。  俺は大きくかぶりを振った。 「東国の副長を!?何の為に!?」 「ヒ・ミ・ツ・よ」  あーーこのオンナはーーー。こういう時だけそういう媚びた声を出しやがるんだから。  何を言っても無駄だと悟り、頭をかきながら半目で問いを変える。 「貴女が行かなくていいのか聖女」 「だってどうも団長は国内に居ないみたいなんだもの」  ――それが行かない理由ですかそうですか。  彼女は『東国最強』ジュバ=リマインダスにやたらと拘っている。つまりは東国騎士団 の団長に。まあそれ自体をどうこう言うつもりはない。俺は『西国最強』であちらは『東 国最強』だが、もとより剣技などに興味のない俺には特に意識する相手ではないのだ。  無論、警戒すべき相手ではあるが。 「……って、何で知ってるんだ」  はたと我に返る。公式な場でもなくば東国騎士団の長の動きは極秘だろうに。  が、そう聞いてから思いだした。目を凝らせば聖女の右肩の後ろにぼんやり見える、黒 き魔剣の女王を。 「彼がどこに居るのか、感じちゃうのよ」 「なるほど」  一つ、深く深呼吸。 「判った。銀陽が三日月の強奪に成功したら、その追撃部隊を排除すればいいんだな。エ ルネストを連れていけばいいのか?」  弓の魔人であるエルネスト……いやサイクロディアと呼ぶべきか。奴なら迎撃はお手の 物だ。  しかし予想に反し、聖女は首を横に振った。 「いえ、彼はちょっと私が連れていくからダメよ」 「じゃあどうしろというんだ。騎士団を動かすのか?」  俺はまた顔をしかめる。西国騎士団は東国騎士団ほどに高い統制力はない。規模はそこ そこデカいのだが、彼らのようにあちらこちらで工作するにはあまり向いていない。実際 に聖女が全てを掌握しているとしても、表向きの管理が整理されていないせいだ。 「……何言ってるの。何の為にアナタに水上大聖堂まで行ってもらったと思って?」  ……なるほど。 「洗脳が完了してるならいいがな、途中で元に戻るとか勘弁してくれよ?」 「大丈夫よ。世界というのは不可逆なもの。創られたモノは後は壊れる以外に先はないの よ。洗脳が解けたとしてそんな都合良く正気には……いえ、別に元から正気でもなかった かしら?」 「どっちでもいいよ、んな事は。奴らの洗脳が完全ならね」  言って俺は外套を掴んだ。銀陽もまだ出撃はしていないようだし、残る話は追っての事 になるだろう。 「心配しなくていいの。あの子達はもう私のモノ。教会も、この国も私のモノ……そして オマエもね?スエイ」  聖女の唇が、だらしなく緩む。 「……ああ」  それを見ないようにして俺は虚空を見上げる。虚空に浮かぶ魔剣の女王を。  相変わらずヤツは、嗤っている。    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  鬱蒼と茂る木々に囲まれて俺は立っている。正確な時刻は分からないが、もう日付が変 わってから大分経っているだろう。月明かり、星明かりさえ葉に阻まれるここは一層暗く、 かつて邪悪な魔物が住んでいたという伝説を思いおこさせる。  ここオルピアンツは西国と皇国を隔てる深き森だ。東国騎士団の三日月を奪取したにせ よ失敗したにせよ、銀陽はここを通過し西国側領土へ戻る。  ルートはあからさますぎるのだが、銀陽の見た目が見た目なので疑念は抱こうと決定的 な問題にはならないだろう。恐らく聖女はそれも考えてあの魔刃を襲撃者に選んだに違い ない。  ――に、して、も。 「思い邪まなるものに災いあれ 思い邪まなるものに災いあれ」  ぐいと首を回すと、左手に目を伏して歌う女が居た。聖歌のディバイン=クァイトだ。  俺が連れてきた時と同じ、ぱっとしない修道服に身を包んでいる彼女だが、しかしその 声は良く響く。 『――右に杖 節制なきものを打ち散らし』  というか響き過ぎる。 「おい」 「え、あ、は、はい!」  俺に呼ばれて、ゴスペルは慌てて振り向いた。その様子も俺が連れてきた時と全く変わ りない。俺達の味方になった、という事以外は全く変わりがない。  魔剣の女王の一刺しは肉体に致命的だが、聖女の瞳は精神に致命的だ。俺はそれを良く 知っているから、まあ今更疑るわけではない。ただ、ちょっと少し前まではむしろ敵だっ た相手が普通に自分の横に居るのがなんともしっくりこないだけだ。  呼ぶだけで何も続けない俺を、修道女が不思議そうに覗き込んでくる。俺は一つ溜息を 吐いてから指を立てた。 「悪いが歌うのはやめてくれ。こんな場所でそんないい声で歌われると目立ちすぎるし、 物音が聞こえない」 「あ、そんなにいい発声でした?」 「聞けよ」  ついつい地が出てしまうのでこめかみを押さえた。とはいえコイツらが裏の人間だから さほど気を配る必要がないせいでもある。 「とりあえず歌はなしだ」  面倒になってぱたぱたと手を振る。すると修道女は不満そうに 「え、あ……でも御仕事中はいいんですよね?」  と首をかしげてきた。聖女がわざとするせいだろうが、こーいう仕草嫌いなんだよな俺。 「歌わないと戦えないのか」 「歌わないと戦えませんよ」  伊達にゴスペルの名ではないという事か。まあここまで言うのだから恐らく強化された 肉体を解放するスイッチになっているのだろうが……。 「……了解した。ただし、もし誰か関係ない者に聞かれたら全て始末してくれよ」  こんなところ通る奴は居ないだろうが一応念を押し、右手へ振り返る。  こちらに居る神父は修道女と違って静かなものだった。というか微動だにすらせず。目 を閉じて石のようになっている。 「神父ヘンストック」  呼ぶとかすかにまぶたを上げた。「何か」と言いすらしない。 「銃は万全か?」  問えば、すぐに頷く。瞑想か黙祷でもしていたのだろう。 「さてと……ん?」  手持ち無沙汰だなと思いつつ三度振り返ると、修道女がうずうずしていた。  とりあえず頭をはたいておく。 「いたっ」  修道女が小さく声を上げる。と同時に神父ががばっと立ち上がった。 「なんだ?」 「来ました。銀陽は何者かを担いでいます」  前を見据える神父に続いて前を見る。とはいえ俺はこの狙撃手やエルネストのような超 視力は持っていないので何も見えない。神父がそう言うならそうなのだろう。 「判った。射撃準備に入ってくれ。ゴスペルは……」  言う前に彼女は既に己の得物を両の手に握っていた。目の色が文字通り変わっている。 「……仕事は殲滅だ。よろしいか、シスター」  今回の任務、決定的な問題にならないのはあくまで我々が発見されない場合に限る。  ならば我々と出会うものが居てはならない。 「よろしいです、サー」  二本の矛槍が打ち鳴らされ、小気味よい金属音が響いた。  そして前から突風が、後ろへと抜けていくのを確認して俺は宣言する。 「この森から生きて返すな!」  駆け抜けていく銀陽とは真逆の方向へと、狂徒が地を蹴る。 『――霊魂は天にありて』  修道女が吐き出す息と共に、俺の横でも音が破裂した。祝詞を叩きこみ精神を一時的に 支配する神父の洗脳弾『神意』だ。 「一射目、命中」 「待ち伏せだ!方陣を……なッ!?」  ヘンストックの声に追跡者の声が重なって……そしてそれは驚愕で打ち切られた。  俺は眼を細めて向こうを見やる。追跡者達の一人が、仲間に斬りかかっているのがギリ ギリ確認出来た。 「二十以上居るな……いや三十ほどか?」  予想よりも多いな、と思っている間に修道女は奴らのど真ん中まで突っ込んでいる。 『――我ら苦き死のとげを恐れる事なく』  矛槍を二本持った修道女。仲間の暴走に被さるようにわけのわからない相手までが出現 し、追跡者はざわめいた。 『――偉大なる人々の主にただ伏す』  詞を継いだのは神父の方だった。その声と共に聖書が輝き、銃に吸い込まれていく。  エルネストと打ちあった時とは違い、詞を込めているので連発は出来ないようだった。 『――地のもろもろの国びと』  クァイトの声に再びを目を戻すと、最初に神意を受けた騎士は既に地に伏していた。残 る者たちもすでに動揺の熱は引き、銃撃を警戒するように木の多い方へ移動しながら唸る 矛槍をいなしている。 (……流石か、東国騎士団)  仲間と言えどもすぐさま排除する判断力、行動力は目を見張るものがある。更にクァイ トの人間離れしたぶん回しへの対応が、彼らがどれほど戦闘術の訓練をしているかを示し ている。  強い。東国騎士団は強い。 (……だが)  それはやはり人間の強さだ。それは尊いものかもしれないが、しかしそれは所詮それだ。 クァイト一人仕留める事も出来ず。暴風の前に立ち往生している。 『――地のもろもろの国びと』  二射目の閃光が走った。  木々の合間を縫って飛ぶそれは、修道女の矛槍を受けて下がった騎士の腹部へと吸い込 まれていく。 「ぐあ……!」 『――たとえ騒ぎ立てども』  細めの木を、クァイトの斧がバターのように切り裂いた。このような場所では長物の武 器は不利だ。普通ならば。そしてヤツは普通じゃない。  俺はただそれを見ている。 『――古の祭儀は捨て去られ』  かつて古代は、インペランサ、オリュドライザーと言った自然現象を表す事象龍が信仰 の対象だったらしい。少し時代が進むと、トランギドールがもてはやされた。今でも暁龍 派の残滓は未だ根強いし、そうでなくともトランギドールに関する施設や道具は多い。 『――新しき信仰が 願わくば』  聖教会は原初の朱を唯一の神と、事象の統合者としている。それは数百年以上続いてい るものだが、比較の上ではそれなりに新しい信仰形態とも言える。 (……まあ創造と破壊を司るものなら、正義や寒波などよりは確かに……)  ところで現在、東国騎士団は四人死んでいる。 『――民の蒙昧に光挿し』  と、そこで騎士団が動きを変えたのに気付いた。  八人が別行動をとりはじめて離脱の様子だ。流石に修道女もそちらまでは対応出来そう もない。 「ここは任せる。別働隊は私が叩く」  言うと、返事の変わりに硝子のような銃声が響いた。 『――全てのひと』  返事はないが、俺も待たずに外套を翻す。 『――全ての罪を贖わん事を』  修道女の歌に、金属のスタッカートが走っている。  俺はそれを聞きながら走った。    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「オマエは……!」  別働隊には簡単に追いついた。というよりは向こうから来た。  彼らは別に逃げ出したのではない。あくまで副長を浚った謎の襲撃者の行方を確かめる べく別れたのだ。  よって、彼らの迂回するだろう先に立っていればそれでよし、ということだ。 「どうして東国騎士団が我が領土に居るのか説明して頂こうか」  相手の上げた声を意に介さぬように、冷めた視線で彼らをなめる。軽量化された兜の中 にある怪訝な顔が、数拍して驚愕に変わった。 「せ、西国騎士団の!」 「スエイだが」  間髪入れずに答えると、不躾に踏み出した。向かう八人は後ずさり……そして散開した。 「西国騎士団副長が何故ここに居る!」 「それは私がした質問だろう……?」  あくまで冷静に、相手の問いが終わるか終わらないかのうちに返す。そうしている間に も、騎士たちは俺を取り囲むようにじりじりと移動していた。 「とぼけるなよ、貴様らが副……」  一人が言いかけた言葉を、別の騎士が遮った。 「悪いが答えられない……機密である」  万が一、万が一俺が関係ない可能性。そして関係があると証明できない可能性を考えて の事だろう。事実など、不用意には言えぬというわけだ。 「そうか。では私がここに居る事も機密だ」 「こんな場所にこんな時刻、たった一人で貴方が立っている事がか!」  声を張り上げた騎士に軽く流し目を使って、頷く。 「まさしく秘匿すべき事だろう?この『西国最強』がこんな時刻こんな場所に一人で突っ 立っているなどという事は」  もはや俺は八人の騎士に完全包囲されていた。だが俺はそれを気にした風は見せない。 「悪いが」  騎士の一人がそう言って、剣を構えなおした。続くように四方で金属が音を立てる。  それでも俺は、片眉を吊り上げて 「ふむ」  それだけ言って、息を吸った。 「見るか我が秘剣の領域……」  空手のまま、腕を無造作に放り出して一歩前に出る。俺は腰の剣に手さえかけておらず、 敵対者達は『構えずの』スエイにたじろいだ。だが彼らも剣を持つ者だ。すぐに心を奮い 立たせ、この俺めがけて剣を突きつける。  それを俺はただ見ている。何もせずに。 「本当に構えないつもりか」 「……来い」  一人の問いに、低い声で答えソイツを真っ直ぐに見る。わずか視線を結び、そしてその 男が一人前に飛び出した。 「お、お、お、おッ!」  振り下ろされる剣。大振りの一撃だ、流石の俺でも躱す事が出来るし、相手もそれは承 知だろう。そして本命が来た。ギリギリ横へと躱した俺に放たれる追撃の二斬目。切り上 げようとする男の下腕は、しかし振り上げられる事なく肘から離れ下へと落ちる。 「な……え」  ぐるりと、何とかターンしながら振り返った。男は斬りかかる勢いのままに、更に腹を 真っ直ぐ横に通る断面を作って崩れ落ちる。全員の視線が俺の腰へ集い、そして剣は何事 も無かったかのようにそこにある。 「どうした、剣は既にあるぞ」  自分の動きに内心満足しながら、俺は外套を捨てて吐いた。 「これが……これが『西国最強』か」  空気が、止まる。  …………戦後処理の中、西国騎士団が、第四次魔族侵攻の際に魔王『戦車』黒雲星羅轟 天尊を撃退した聖女クリス=アルクの元で再編制された時、俺はその副長にと周囲から望 まれた。  その頃には既に俺は十分な名望を得ていた。具体的に例を挙げれば皇国の騎士団を壊滅 に追い込んだり――まあそれは皇国内の権力争いに一部利用された形ではあったが――し ており、西国最強の名は十分に広まっていた。  いかに魔王を退けるという奇跡をなした聖女とはいえ、言わば素人だ。聖女を象徴とし て西国最強と名高き『構えず』のスエイが実質的な指揮官に就くというのは、なるほど確 かに常識的には道理だった。  残念ながら彼女が活躍した天尊本隊との戦場に俺は居合わせていなかったし、それなり の地位にある以上戦後も様々な後始末に忙殺されていたせいで、彼女とは実際に王から使 命を賜る場が初顔合わせとなった。人々の噂話だけが先行し、もはや何とも掴めない聖女。 俺は今までで最も気を引き締め、感覚を研ぎ澄まして王城へと向かった。 (……何だ、これは)  入れなかった。強烈な圧力。幾度となく訪れた城が地獄の門に見えた。激戦を挟んで一 年以上空けて訪れたそこは、何か別のものになってしまっていた。  息が詰まりそうになりながら泥のような空気を掻き分けた。謁見室に入る。そして俺は 全てを理解した。  何て事だ。だだっぴろい部屋の中央に立つ女性の、こちらに向けたその背に、黒いモノ が居る。強烈な魔の臭気。栗色の髪に絡んだそれを見て俺は人並みに絶望した。仮面も忘 れ、力なくただ呆然と立ちつくすしか出来ない。 (既に……掌握されている……魔神か、あれは)  贋物の聖女。背に浮かぶ魔の眷属。奥に座る王を差し置いて、彼女があからさまに君臨 していようとそれを場の誰もが何とも思ってはいない。いや多分誰も何も見えてないのだ ろう。俺が来た事すら。  そして俺は誘い込まれたネズミで、しかし構える事も出来ない。構えたとしても、俺は 何も出来ない。出来ないんだ。 (冗談じゃ……ないだろ)  全てを欺いて生きてきたが、俺は別に人の世を嫌ってはいなかった。好きな奴も嫌いな 奴も居たし、人並みに思い出や愛着があった。だからこそ己が生まれた国に仕えていたの じゃないか。ちっぽけな虚栄心を満たすと共に。  その俺が生きた世界も、どうやら崩れる運命らしかった。視界が歪む。  しかし膝もが崩れ落ちるその直前、『彼女』が振り向いた。 「――――あ」  輝く炎を纏う女性――唯一の創造神にして全ての事象と同一たると聖教会訳の創世記に 記されし原初の朱(はじまりのヴァーミリオン)の映し身――をかたどったステンドグラ ス。そこを通って赤みがかった光が、『彼女』を照らしている。  その視線に射抜かれたように俺は動きを止めた。崩れ落ちる事すらなく、ただ固定され たかのように。 「剣が足りないのですね、スエイ」  聖女がこの西国最強の騎士を前にして初めて発したのはそれだった。俺が守りぬいて来 た虚飾は一瞬で剥がれてしまった。  剣持てぬ騎士。構えられぬ偽りの最強。 (違う。だが違う……そんな事はこの部屋に入った瞬間に判っていた事だ)  そう、俺の薄っぺらい仮面が人外の魔剣に対してもつわけがないのだ。だから魔が居る 事に絶望した俺が今更そんな事に驚いたりはしない。  だから、そう、俺が今動けないのは、その奥を、更に奥を、突き刺すその視線が、熱く、 来いと、吸い込まれるように、だから、俺は、柄を――取った。  構えぬ事は俺の誇りで、俺の生命線だった。だが、いやだからこそ俺は剣を抜きたかっ た。好きに振るいたかった。全てを、薙ぎ払いたかった。  そうしろと、彼女の瞳が言うから。  刹那の後に剣は鞘に無い。白銀の煌きが聖女に伸びて、そして切っ先は地に突き立った。  剣を手放し、俺は膝をついていた。 「オマエに振るう剣をあげましょう」  声が朱い輝きのように暖かい。 <<魔剣の女王ビスティより……剣のIX・柔鏖無刃。魔剣ギライファを貴方に>>  かぶさるように冷ややかな声が聞こえる。眼前に漆黒の剣が浮かび上がった。 「さあ、剣を。スエイ」 <<受け取るがいいわ、西国最強の騎士>>  畳み掛けるように来る声。ああ、ビスティ、お前は邪魔だ。 「……さあ」 <<さあ!>>  うるさい。もっと聖女の声を。聖女の声を。聖女の、声を。 「さあその剣を、ヌいて、スエイ」  そして、掴んだその剣は黒く、それを俺は振りかぶる。 「突き立てて、そう……それでいい」  肉の裂ける音。俺の腹に飲み込まれていく剣。ミチミチと音だけが響き、血の暖かさは いつまで待ってもやってこなかった。 <<これで貴方は名実共に西国最強ね。おめでとう西国騎士団副長>>  最後の声はもはやはっきりと、聖女の背後から聞こえていた。聖女の後ろに見える黒い 影は薄く笑っている。魔剣の女王ビスティは笑っている。聖女の肩越しに俺を見下ろして 嗤っている。  だが知っているのか?  お前が唯一見えぬ貌がどんな風に笑んでいるのか。お前が憑いた彼女の眼が、どんな風 に輝いているのか。  スッと。彼女の白い手が俺の頬に触れた。  俺は西国最強などではない。西国最強にはなれない。西国最強でなくていい。  ――そして俺は、西国最強で居よう。  彼女の唇が僅か緩んだ。今にも舐めとられそうで、頭を垂れた。もしそうなったら俺は 蕩けて無くなってしまうに違いないだろう。そしてそれを俺は今、恐怖していない。 「嗚呼イイわ、スエイ。とても。オマエなら沢山戦える。  ――沢山、壊せるわ」  頭が、上がらない。 「聖女」  それだけ呟く。  ビスティが鼻で笑うのが頭上に聞こえた。この俺を、後ろに浮かぶお前を理解せず聖女 に酔う愚かな敗北者と断じたか。  そうだな……俺も、お前もな。     西国を掌握しているのは聖権ではない。俗権ではない。魔剣ではない。            西国最強の『女』はいずれでもない。              もっと、恐るべき、何かだ。  …………。  数秒の静寂。あの時の事を思いだして笑みが零れた。  その姿は、全方位から突き刺さる殺意を薄笑いで流す西国最強に見えるだろうか? 「バカな……貴様は、貴様は一体何だ!」  誰かの叫びと共に一斉に襲い来る剣、剣、剣、剣。  だがしかしそれはがむしゃらな突撃では決してない。流石はかの東国騎士団、四方から 迫る者らは脇の方へしっかりと腕を構えて、真っ直ぐ俺の方へと切っ先を向けて突撃して くる。そして残る三人が少し遅れて彼らの斜め後ろからめいめい別の構えで続く。四方同 時の突撃を更に後方がカバーする陣形。俺がどのような超技でもって四方を処理しようと も更に続く剣が待ち構えているというわけだ。先の四人もそうだが、後の三人もまた相打 ち覚悟だろう。絶妙な距離は、俺が何らかの魔法を行使している可能性も視野に入れてい ると判る。  つまりこの騎士たちはこのスエイの命を最悪七人と引き換えにしてでもとらねばならぬ、 いやそうでもしなければとれぬ、と判断してくれたのだ。それは少し、気恥ずかしいもの がないでもない。  だから俺はただ棒のように突っ立って、問われた言葉に答える事にする。 「――ただの西国最強、だ」  そして、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼らは、全滅した。  無数の切っ先がその鋼を、肉を、骨を、貫いている。  たとえば俺の右掌から右へと。左上腕から左へと。喉から前へと。両のふくらはぎから 後ろへと。後頭部から。左肩から。右わき腹から。肘から。腰から。膝から。くるぶしか ら。胸から。  月明かりに輝きもせず、漆黒の刃が穿孔している。  柔鏖無刃ギライファ。血を浴びる間もなく身体に戻るそれは目に留まる事なく。数拍遅 れてきた崩れ落ちる音の後で、俺は鮮血を吹きはじめた肉塊の中心でそれらをただ見下ろ している。  ふと、まだ死に切れていない誰かの唇が動くのを見た。 「か、構えずの……ス、エイ……」  ああ、そうだ。  この身は二度と、構える事はない。                                    END. 報告書――     四日。副長を強奪した襲撃者を追跡に出た第三分隊がハングレームの衛星    都市ハングラからの連絡を最後に消息を立つ。     八日。我々第五分隊によってハングラから更に北西へ三十五qの国境付近    西国側領土内にて第三分隊の遺体を確認。その殆どが刃物による傷を負って    おり、何故か同士打ちの形跡が見られる。また、うち八つの遺体は巨大な穴    が無数に穿たれていた。     襲撃者の手がかりは掴めず、遺体を回収し一時撤退する。     回収された遺体の数は三十二。     第三分隊に生存者なし。                           ――ガーデニア=ローデシルト