いつだって始まりは唐突だ――なんて、陳腐なことを言うつもりはない。私が《彼》と出会 ったのは、偶然などではなかった。必然、と言い換えてもいい。さすがに運命、とまで言い換 えるつもりはない。ディオソンブラスの二つ名を借りて物事を語るほど、私は不遜な人間では ないし、無粋な人間でもない。  あくまでも、必然だ。  パシティナ砂海は広い。広大と一口で言い切るには広すぎるほどに、広い。それでも、それ が砂海である以上、その上で行われる全てのことはきっと彼の知り得ることなのだ。  なにせ――彼は。  いまでは伝説となった、砂海賊ジャン=H=サウスバーグは、砂に愛された男だったのだか ら。  場所が砂海である以上彼が知りえないはずはなく、大騒ぎをしながら逃げていた私は、さぞ かし彼の注意をひくことになったのだろう。場所がパシティナ砂海である以上、彼と私がめぐ り合ったのは、必然といえる。  けれど、そのとき私は――その必然が神の助けのように思えてしまった。それくらいに、私 は追いつめられていたからだ。  もっとも。  神の助けが、必ずしも良いものとは限らないということを、私は知っていたのだけれど。     砂海の覇王 「やあお嬢さん! なにかお困りかい!」  第一声が、それだった。  きらりと白く輝く歯を見せて、タキシード姿にマント、砂色の長い髪をバンダナでまとめた 彼は、男らしい笑みを浮かべた。男らしい、というのはほめ言葉ではない。少なくとも、この 場合は。笑い方は男らしくても、本人は、まだ少年をようやく終えて青年になった感じの顔立 ちだったし――体はどこかなまっちろくて、皇国の大音楽堂で指揮棒でも振っていそうな、そ んな風貌だった。  ようするに、ありとあらゆる意味で、彼は《ちぐはぐ》だったのだ。 「今、何て言い返すべきか困っているわ」  正直に私は告げると、彼の《にかり》とした笑みが固まった。急速冷凍、という言葉が相応 しい、見事なまでの固まりっぷりだった。そんな答が返ってくるとは、夢にも思っていなかっ たのだろう。  ……なら、どんな答を期待していたというのだろう?  少しばかり考えてみたが答えはでなかった。私如きの浅学者では、この目の前の奇妙な青年 の考えなど、分かるはずもない。それこそユーレイシアのような演算応力を持っていれば別だ けれど――いや、よそう。自分に持っていないものをねだるのは無意味だ。  出来る範囲で、できる限りのことをする。  最善と、最良と、最高を。それが私の信念だ。  とはいえ、今私に返しうる返答はそれしかなかった。それ以外に何を言えばいいというのだ ろう? 場所が例えば街中で歩いているときに声をかけられたら「ナンパはお断りよ」とだけ 言えばいい。しかし――こんな、人間が誰もいないような砂漠の真ん中で、突如として現れた 帆船に乗った男に声をかけられたら、返しうる言葉なんてそんなに持ってはいない。四方八方 、見渡す限りに砂の海が広がっているのに、この男は街中で「やあ、久し振りだね」と声をか けるかのように現れたのだ。  困惑するに決まっている。  場所が場合、だ。  困っているのは確かだけれど――色々な意味で、対応にも、困る。 「そういうときは黙って僕の手を取るといいよ!」  男はめげずに笑顔を浮かべて、さっと黒手袋に包まれた手を私に差し出してきた。船に乗っ てくれ――という意味なのだろう。あるいは単に、『助けの手を求める』という比喩をそのま ま実行しただけかもしれない。  悩んだ。  困っているのは、確かなのだ。今ここでこの手をとっていいものか、素性の知らない相手を 信用していいものか、迷う。けれど本当は、迷っている暇なんてないのだ。  なにせ。  今後ろから迫って来ている相手は、素性が世界中に知られている、信用も信頼もならない相 手なのだから。  結局、私は悩んで。 「それなら――遠慮なく」  男の手を、取った。  私が手を握ると、男は嬉しそうに笑って私の身体をひっぱりあげた。船の上からオーエス、 オーエス、という掛け声が聞こえてくる。声と共に、男がつかまっていたロープが、船の上へ と引きずられていく。  パシティナ砂海で行き倒れかけていた私を、どこからともなく船がやってきて、拾ってくれ た――ということになるのだろう。状況だけを抜け出せば。  幸運だと言える。  大陸西部へと渡るための最大の難関、パシティナ砂海。準備を整えた冒険者ですら命を落と してしまう圧倒的な砂の世界。大型のキャラバンだろうと、魔物だろうと、砂は容赦なく命を 吸い込んでいく。広大な土地で、他の冒険者と会うことなど稀だ。  助かったのは万に一つの僥倖なのだろう――これが、偶然ならば。  意識した必然で、これは助かったのでもなんでもないのかもしれない――そう思いながら、 私は男に話しかけた。 「とりあえず、訊きたいんだけど。あなたは誰?」 「ん? ああ、自己紹介が遅れていたね!」  男はロープをつかんだまま、器用にマントを翻して、 「僕の名前はジャン! ジャン=H=サウスバーグさ!」  ほがらかに言う彼の笑顔はなかなか魅力的だ。だが、油断をする気にはなれない。こんな砂 の世界で出会った相手がまともである確率は、恐らくゼロより低いだろう。どこかで聞いたよ うな名前だったが、今のこの状況では思い出せなかった。 「そう。それでサウスバーグさん――」 「ジャンと呼んでくれ、美しい人!」 「……。ジャン=H=サウスバーグさん? 貴方は一体」  どうしてここに、と問おうとしたのだ、私は。  言葉が口から出なかったのは、言うよりも先に、ロープが船の上まで引き上げられたからだ 。砂の上を歩いているときには見えなかった船の上を見て、私は絶句した。  船の上には、男たちがいた。   ただの男たちだったら、私は絶句したりはしない。船に乗る男たちは、片腕が義手のカギ爪 になっていたり、片目がなかったり、傷があったり、湾曲刀を持っていたり、ラム酒を飲んで いたりした。おまけに、とどめとばかりに、船の帆には、でっかいでっかい――髑髏マークが かかれていた。  絶句する私に、何を勘違いしたのか、ジャンは『安心しなよ!』とばかりに笑顔を浮かべて 、 「僕? 僕は見ての通り善良な海賊さ!」  そんなことを、飄々と口にした。 「どこの世界に善良な海賊がいる!」  思わず――蹴り飛ばしてしまった。  回し蹴り。船の縁に立つと同時に回し蹴り。普段学院で生徒たち相手にやるような、遠慮の ない一撃をやってしまった。初対面の相手にやるにはきつかったかな、とか思う暇もあればこ そ、 「あ、」  なんて呟いて、ジャン=H=サウスバーグは見事にかかとを胸板で受けて、 「ああああ!」  抵抗もせずに、あっさりと堕ちた。  船の外へ。 「ああ! おかしらがやられた!」 「お頭が無様に船から落ちた!」 「お頭が頭から砂に突き刺さってる!」  方々に言いながら一斉に船縁へと駆け寄る海賊たち。……ふと思うけど、あんまり尊敬され てないような気がする。それとも海賊ってそういうものなのだろうか。これじゃあ、学院より も上限関係が甘い気がするけれど。 「安心したまえ仲間たち! 僕は無事だ!」  堕ちたはずのジャンはあっさりと復帰した。多分、堕ちるのに慣れているのだろう。証拠は ないがそんな気がした。 「いいキックだったお嬢さん――よかったら名前を聞かせてくれないかな?」 「褒める前に怒るべきだと思うけど……ま、いいわ」  私は髪をかきあげて、胸をはって海賊たちを見返した。相手がどんなモノだとしても、一歩 たりとも引かないというのは私の信念だ。常に威風堂々と、私らしく生きること。この先何年 生きるかわからないけれど――最後の瞬間まで、絶対に貫いてやる。  惑うことなく、私は彼らに告げた。 「学院教師――魔法使い・エル=エデンスよ」          †   †   † 「これが、私――“最良の賢者”、12時の賢者の二時、エル=エデンスとあの人の出会いだ ったわけよ。おほほほほ」 「年甲斐もない高笑いは止めたまえ――痛い痛い痛い痛いすいません私が悪かったから止めて くれないかね!?」 「お黙りバカ生徒」  手に持った杖で幾度となく“バカ生徒”――ハロウド=グドバイを殴り飛ばしてエル=エデ ンスは鼻息も荒く言った。もう高齢だというのに、その覇気が衰えることはない。とはいえ、 話の中で出てきた『絶世の美少女』(自称)はかつての名残を残すだけで、今はきちんとした 老いを感じさせる女性だったが。 「……ふと疑問に思うのだが」  机を囲む幾人かのうちの一人、トゥルシィ=アーキィが恐る恐る、と云った風に口を挟んだ 。エル=エデンスが「発言を許すよボーヤ」と笑い、アーキィは冷や汗を拭おうともせずに、 「その話は一体何年前の出来事――ぐあッ!?」 「お黙りバカ生徒二号」  さっきまでハロウドをぼこすかに殴っていた杖が一直線に跳んで、アーキィの臓腑に突き刺 さった。魔法使いの象徴たる奇妙な形の杖は、その重量も十分で――トゥルシィ=アーキィの 冷淡な顔が苦痛に歪み、一瞬の後には机に倒れ伏した。  ぞぉ、と生徒たちの間に寒気が走る。  談話会――というやつだ。授業が終わり、エル=エデンスの昔話を聞くために一部の生徒が 集まっているのである。はるかな昔から冒険と実験と学習を続け、今では24時の魔法使いと なった彼女の話は、実際に冒険をしたもの特有の面白さに満ちている。それは、普段から勉強 付けの学生にとってはたまらない魅力だった。  ハロウドやアーキィ、皇七郎といった、いずれは魔物生態辞典を作る男たち――いまはまだ 若い学生だ――にとってもそれは変わりない。  対魔法戦闘において王道を極めた、世界最強の腹黒姑、愛すべきブラックストマック。  それが、エル=エデンスという老婆だった。  もっとも、年の話をすると先のアーキィのような眼にあうが。 「ジャン=H=サウスバークっていえばあれでしょ、『砂上の船軍』を率いた、伝説の――」  二人の友人の姿を呆れたように見つつ皇七郎が言った。エデンスは満足そうに頷き、 「その通り。よく勉強してるじゃないね。幾度となく魔同盟と衝突した、風化する大地こと砂 の魔法使いよ」 「魔法使い――? 海賊じゃなかったんですか」 「海賊で、魔法使いさ。もっともそんなくくりはあの人にとっては、何の意味もなかったけど ねえ……」  しみじみと、昔を思い返すようにエル=エデンスはいった。今この場にいる生徒の何倍も生 きる彼女にとっては、忘れられない記憶の一つなのだろう。 「それで――長老は一体パシティナ砂海で何をしていたんだね?」  ようやく復帰したハロウドが口を挟む。相槌をうつ――というよりも、話をうながすのはお 喋りな彼らの役目だった。まんざらでもない様子でエル=エデンスは話を続ける。 「何をしてたからは重要じゃなかったねえ。あの時問題なのは、そこでナニと出会ったのかと いうことさ」 「出合う? それは砂海の覇王のことか?」  アーキィが腹をさすりながら問い、エル=エデンスは黙って首を横に振った。  そして――昔を思い返すかのように。  遠い眼をして、エデンスは、 「私はね、砂海で魔王に追われていたのさ。だからねえ――魔同盟と覇王をめぐり合わせた原 因の一つは、私にもあるんだろうね」  どこか嬉しそうに、そう言った。 ■後編に続く。