RPG系SS「愚者の微笑、隠者の知恵」  その男は、純白の鎧を纏い、闇の十字架を振るう英雄にして愚者。慈悲と狂気を等しく 胸に秘める勇者にして魔王。  しかし彼は、そのような風聞を聞いたとしても、ただ笑うだけだろう。その心中をわか らせないように。  彼の本性は反逆にある。そして、矛先は世界そのもの。触れれば世界は、硝子片のよう に粉々に砕け散る。  愚者の魔王、世界への反逆者フィリア・ペドとはそういう男なのだ。  深い深い森の中、霧だけが立ちこめ、一歩先すら何も見えず、生命の気配はない。その 中を、フィリアは歩いていた。通いなれた道を進むように、慣れた様子で霧の中を進んで いく。  彼が歩くたび、霧が道を開けるかのように消えていった。そしてそれは、そのまま一本 の道を形作る。  大地を踏みしめるごとに草花が死に、歩くだけで大気やマナが散っていく。  故に、フィリア・ペドは魔王と恐れられる。  進み続けるフィリアの視界が開ける。そこは森の中心の円形に開けた土地、太陽が差し 込む唯一の場所。  そこには庵があった。藁の屋根に木とレンガを組み合わせた壁、そして石造りの煙突。  戸が開き、中から一人の人間が出てくる。伸ばし放題の白髪と白髭で顔を覆った奇怪な 姿をした老人だ。ほそりとした腕を、老人はフィリアに手を振った。  その様子をみてフィリアは微笑みを浮かべながら、軽く会釈をする。 「久しぶりじゃな、フィリア」 「ご健勝でなによりです、ベルティウス」  この老人もまた、魔王の一人。ただの人間でありながら森羅万象全ての叡智をその脳髄 に記憶していると言わせしめる老人。  大賢邪ベルティウス本人である。 「ほっほ、実に三百日ぶりに外の空気を吸うわい」  ベルティウスは上機嫌で机を外に運び出し、椅子に腰掛けて茶を振舞う。こだわりと風 格に満ちたカップには、並々と紅茶が注がれ、湯気が上がっている。  だが、用意されたカップは一つだけ。客人であるフィリアの分はない。 「おいしそうですね。そんな香りがしています」  だが彼はそんなことは気にせず、立ったまま、まるで促すかのように相槌を打つ。ベル ティウスは、特に逡巡などをすることなく、口元にカップを運び、紅茶を飲む。  カップを放すと、口元の髭が、うっすらと赤茶色になっていた。それを見て、フィリア が笑みを浮かべる。 「おや、なにかおかしいかね?」  気づいていない様子でベルティウスがフィリアに話しかける。  フィリアは言葉で答える代わりに、自らの顎の辺りを指差す。 「この髭がどうしたのかね? 立派だとでも? よしてくれ、ただ不精なだけじゃて」 「いえ、そんなつもりでは」  苦笑しながらフィリアが返事をする。やれやれとため息をつきながら、ベルティウスは 顎鬚を指でしごく。  そこでやっと、自らの髭が湿っていることに気づいた。 「まったく、人の悪いヤツじゃ」 「申し訳ありません」  ローブの袖で髭を拭きながら愚痴るベルティウスに、フィリアは笑顔のまま頭を下げる。 「しかし、ぬしらに拾われてはや……何年じゃったかな? まあ時間はこの際どうでもよ いか」  ベルティウスが魔王になった経緯に、フィリアは深く絡んでいる。それ以前にも、ベル ティウスは魔同盟の魔王たちのとても親交が深い。  アドルファスは度々内政のためにその知恵を借りることがあれば、イツォルが唯一魔物 以外でチェスをしあう人物でもある。ルシャナーナと魔法の新しい構成を語り合うことも あれば、ユリエータには古くから伝わる化粧の方法も教授したりした。アルダマスとは様 々な書物について考察しあい、ヴァニテスタの占術にも一役買い、ロイランスと正義と悪 における哲学もしばしば語り合う仲である。  ここでは魔同盟の面々についてだけを書いたが、もちろん人間世界においても彼の交流 の幅はとても広い。  彼自身は偏屈な老人ではあるが、知識を求める、または知識を語らう者には常に素性 を問わず平等に語り合った。  だからこそ、彼は危険視された。  彼にとってみれば為政者への評価をただ歴史や情報から分析しただ伝えることも、余り に率直過ぎるために反感を買う。さらにまた彼は、人間の一般人からみれば、魔物にもそ の知識を授ける。敵にすら手助けをするのだ。だから、この武術も魔術も知識だけで扱え ない老人は、同じ種族であるはずの人間に追われ、そして人類の敵である魔王に助けられ たのだ。  皮肉とも取られそうな境遇の彼だが、それほど悲観していない。それどころか、彼はこ う考えている。 「おぬしらが助けてくれたおかげで、わしの研究生活が百年は延びたわい」 「それはちょっと大げさすぎますよ」  二人で和やかに笑いあう。ベルティウスとの付き合いは、フィリアが一番長い。  魔同盟にベルティウスを呼ぶように頼んだのは、他ならぬフィリアだ。 「さて、お前さんに頼まれていたことに対して、一次報告させてもらおうかのぉ」  彼はあることを調べるためにベルティウスに接触していた。それは彼の根幹にも関わる ほどの重大な事柄である。今日ここにきたのは、彼が依頼していたものに対して報告でき るだけの情報が集まったと連絡があったのだ。 「しかしお主も無茶なことをわしに押し付けてきたもんじゃ。勇者のあの力はどこからく るものなのか……むつかしすぎるわい」 「それでも、面白い題材ではあったでしょう」 「否定はせんよ」  紅茶をまた一口飲んでそう返答するベルティウス。フィリアは相変わらず立ったまま微 笑を浮かべているだけである。  そんな彼をベルティウスはちらりと見てから、こう彼に質問した。 「お前さんは何も知らんのか?」  その言葉を聞いて、フィリアの口から笑みが消える。だが、すぐにその顔に微笑が浮か ぶ。 「残念ながら、なにも」  フィリアは力無く答えた。目を瞑り、首をゆっくりと左右に振る。 「初めて自分の家が変な事に気付いたのは、曽祖父が死んだ時ですね。私は彼が死ぬまで ずっと、彼が自分の兄だと思っていました。父より祖父より若かったですから」  目を瞑ったまま、フィリアが話し続ける。やはりベルティウスは、黙ったまま彼の発す る言葉を聞き続ける。 「そして次は私でした。あの頃の私はまるで強迫観念に突き動かされるように、血と鉄の 入り混じったむせ返るような匂いの中でこの剣を振るい続けてきました。正義や理想、平 和なんて私はどうでもよかった。恐ろしい何かを忘れるために、忘れようとして狂気に身 を任せ、ひたすら突き進んだ」  両手を上げ、肩を竦めてため息をつく。その顔には、自嘲の笑みがあった。  フィリアがその目を開く。その目は言葉と口に反して笑っていなかった。ベルティウス はそんなフィリアの目をしっかりと見ながら、言葉を放った。 「だが、ペド家については謎が多い。お前さんに調べろといわれたが、残念なことにいつ 生まれ、なにをしたのか正確なことは何一つわからんかった。古文書の多くにその名が書 かれてはいるが、ペド家の血筋だと思われる者が残した文書は皆無。そして肝心のペド家 は、二百年前のある日を境に、ペド家は滅んでおる」 フィリア=ペド……おぬしの手によってな  轟々と炎が燃え盛っていた。火の粉が舞い踊り、異常な熱気が全身を包む。だが、彼を 包む熱は、それとは別のものがあった。 「これで、全てが終わる」  十字の形をした奇怪な剣が振りかぶられる。高々と頭上に掲げられたその剣は、まるで 水面の揺らぎのように不安定だった。だが、これは世界が壊されている証明だ。彼の力は 世界を直接破壊するもの。同じ魔同盟の魔王達にも真似できない、彼にしか行使できない 恐ろしい力。  憤怒と狂喜の入り混じる視線の先、そこには放心して何かを呟き続ける幼い少女を、背 に隠して立つ少年の姿があった。その手に握られているのは、真ん中で折られてしまった 剣。魔王を相手にして戦うには、心許ないものだ。 「震えていますね。正常な反応です」  ブルブルと怯えで震える少年を見ながら、フィリアが甘い声で語りかける。だがこの甘 さは安心を与えない。逆に恐怖を煽り立てる。 「死の恐怖と敗北の屈辱にまみれて……この世界から消えろ! 勇者の血よ! 永遠に!」  全てを塵に変える十字剣が、振り下ろされた。希望を絶つために。 「それが私の最初の目的でしたからね」  思い出したように、フィリアがフッと笑った。 「魔王になった私の襲撃でペド家は滅んだ。いや滅ぶ筈だった……」  そのままの笑みで、だが冷たさを纏わせてフィリアは喋り始めた。 「本来の器は壊れたんですがね……まあどちらにしろ失敗には違いない。そして現に…… 恐らく歴代最強の勇者と我々は相対している。だからこそ知りたいのですよ、勇者とは如 何なる存在なのかを、ね」  フィリアがその目を開く。その瞳の奥には、全てを焼き尽くしかねない憤怒の色で満た されていた。ベルティウスの身体に寒気が走り、ぶるりとその身体が震える。 「さ、さて、それじゃわしの仮説を喋らせてもらおうか」  慌てた様子でベルティウスは話題を元に戻す。フィリアも自らの感情をなんとか落ち着 かせて、彼の言葉を待つ。ふぅと、ベルティウスは深呼吸してから、こう切り出した。 「事象存在をおぬしはどう定義する?」 「……この世界の数多の属性の象徴、でしょうか?」  フィリアはベルティウスの言に率直な意見を述べた。目の前の老人は頭を縦に一回振り、 「半分正解じゃ」  と答え、話を進める。 「属性というものは様々なもので決定される。日常で多く関わるものの属性に染まると考 えてもらってよい。鍛冶師ならば火じゃ……少し水も混ざるがの」  ベルティウスは、次々と自分の知識を口から放ちはじめる。フィリアは黙ったまま話を 聞き続けた。 「そして事象存在は、属性の総和量でその力を決定する。計算範囲は世界全土じゃ。自分 で属性を直接食すなりして取り込む事象亜存在とは違って、事象存在は世界と繋がってい るために、世界の属性総和をそのまま力に出来る」 「我々、魔同盟の事象魔王も同様ということですね」 「その通り、属性と言っても別に木火土金水などといったものだけではないからの。そし て属性の力は魂の欠片の総量によってまた変化する。現実世界でも魂の欠片を多く有する 者は強いじゃろ? 属性の受け皿となる魂の欠片が多ければ多いほど、その者の属性の力 もまた強くなる。それはそのまま事象存在たちへの影響力に繋がるのじゃよ」  魔同盟の魔王は、全員事象存在である。事象魔王とも呼ばれ、位置づけとしては事象龍 と同じだ。もちろん、事象を司る者として、彼らも属性の影響を受ける。  ここまで説明したところで、ベルティウスは覚めてしまった紅茶を飲んで一息ついた。 「さて、長々と説明したが、ここからが本題じゃな。ヴァーミリオンは火、インペランサ は水という具合に、事象存在はそれぞれ司る属性が決まっておる。では勇者の司る属性は なんじゃと思う?  勇者も事象存在である。なればこそ彼らは何百年と活動できる。  元勇者であるフィリアは、自らの記憶を掘り起こすように目を閉じて考え込み、そして 自分の考えをベルティウスに告げた。 「人類、ですか?」 「それは種族になってしまうの。わしは人類の生き延びようとする無意識の意識、生存本 能じゃと考えておる。もちろん、人間限定のな」 「生存本能ですか」  返事の代わりにベルティウスは首を縦に振った。 「人類が敵対する生物からなんとしてでも生き残ろうとするその力が、勇者に集中するこ とで恐ろしい力を発揮する。だから勇者は恐ろしいのじゃ。勝てるもんかね」  椅子に深く腰掛け、ベルティウスは溜息をついた。おおよそ魔同盟らしからぬ発言では あるが、これが彼のスタンスである。魔同盟の一員だが、彼はあくまでただの知恵袋。先 頭ではなく知識でサポートするのが彼の役割だ。 「長くなってしまったの。ではおぬしの質問に答えよう」 「勇者の力はどこから来るものなのか」 「そうじゃ」  ついに本題に入ったことで、フィリアの顔も自然と引き締まる。ゆっくりとベルティウ スは喋り始めた。 「フィリアよ、シャーマンや巫女は知っておるな」 「精霊や事象龍などと魂で共感することが可能な人間あるいは職種、という認識でよろし いでしょうか? 皇国の秘匿しているあの巫女姫のような」 「その通り。そしてわしはこう思うのじゃよ。勇者とは、人類の無意識を背負って戦うシ ャーマンじゃとな」  勇者がシャーマンである。ある意味新説に近いこの仮説を、ベルティウスは自信たっぷ りにフィリアに発表した。そしてその根拠となり得るものについても、彼は説明した。 「あの暁龍の聖騎士はペド家の名を関している。そして同じ家名を持つ勇者がいる。これ は証明になるはずじゃ」 「その根拠は?」 「演繹と経験からなる論理的思考の結果じゃ。平たく言えば勘じゃよ」  この言葉を聞くや否や、フィリアはすぐさま大声で、腹を抱えて笑った。それを見てベ ルティウスは、むっとして眉間に皺を寄せた。だがそれは、傍目にはただ髪の毛がピクリ と動いた程度の変化しかないので、とても見分けづらかい。 「あなたらしくないですね」 「なにを言うか。知識を知恵に変える基本は己の勘じゃよ。伊達に元人類最大の頭脳では ないわい」  プリプリと怒りながらもベルティウスは胸を張って、己の勘の正当性を主張した。だが そんな彼の有志も、すぐにしぼんでしまった。うなだれてテーブルの上に突っ伏しながら 彼はもう一つの考えを告げた。 「だが、それだけでは説明できんものがある。なぜ人の意識だけが事象となりえるほどに 強固で強大なものになったのかじゃ。そしてそれはなぜ人か人いがいで判断するほど極端 な性質を持ったのかも」 「それは確かに」  人間もこの世界の一員であることには変わりはない。だが、ならばなぜ他の魔物の意識 が事象とならないのか説明がつかない。いかに原始的な生物であってもそこには確かに意 志が存在するからだ。 「数や知恵だけでは説明がつかんしの。ところでエルダーデーモンを知っておるか?」 「始祖の悪魔ですか?それが?」  きょとんと目を丸くして、首を傾げながらフィリアはベルティウスに問うた。ベルティ ウスはその反応をみてから、今自分が考えていることを言葉にしていく。 「仮説どころか夢物語のレベルではあるが、人も魔物も起源はエルダーデーモンにあると 唱える学者もおるのじゃよな。要はそう言ってしまえるほど、人類と魔物に差異はないと いうことじゃ。生物には違いないとな。ならばなにが人と人以外を違えたのか、それこそ 始祖の悪魔に聞いてでも見なければ判らんのかもしれんな」  既に滅んでこの世に存在しない者に聞くなど、まさに水が下から上に流れるほどに不可 能なことだ。子孫と思われるももっちに聞くという考えもあることはあるが、望む答えを 得られるとは到底思えない。  と、ここで思い出したかのようにフィリアが天を仰いだ。 「そろそろ時間ですね」 「おっと、もうそんなに経ってしまったか」  慌てたようにベルティウスが顔を上げる。 「久方ぶりの魔同盟の集会。それも全員が揃いますからね」 「全員に会うのは何年ぶりかのう……まあ、わしは少し遅れるがの」 「わかりました。それでは私は一足先に現地に向かいます」  そう言ってフィリアは踵を返し、森の入り口に向かって歩きだした。空こそ見えるが出 口ではないため、もう一度あの濃霧を超える必要がある。 「ベルティウス老」 「……なんじゃ、あらたまって」  途中で足を止めて、フィリアはベルティウスに優しく語りかけた。虚飾に彩られていな い、慣れ親しんだ友に話すような口調で。 「今日は、ありがとうございました」  それだけ言い残して、フィリアは霧の奥に消えていった。それを唖然としたまま、ベル ティウスは眺め続けた。 「……フォッフォ、何年ぶりにあのように話すフィリアを見たかのう」  嬉しそうに笑いながら、ベルティウスはテーブルと茶器を片付けにかかる。その途中に 彼はこう呟く。 「次はエルダーデーモンについて調べてみるかのう。フォッフォ、やはり知識を得るため に奔走するのは楽しいわい」  魔王らしからぬこの老人は、そんなことを楽しそうに呟きながらまた庵の中に消えてい った。