■ライオンハート・クロニクル  皇国領のぎりぎり外れにあるノックス高山は、現時点で、と前おくならば世界で一番高い山 だ。なぜそう前置くのかといえば、記録がただしければかつてノックス高山よりも高い山は存 在したし――魔王と勇者の戦いで崩落したと言われている――世界はまだ広く、人間の手が届 いていないところもある。大陸の外れまで探せば、恐らくノックス高山より高い山は存在する のだろう。  だがそれも、遠い未来の話だ。今現在この時点で言うのならば、ノックス高山は世界で一番 高い山なのである。 「……そんな山に、生身で昇るっていうんですから自殺行為ですよね……」 「勘違いしないでくれたまえよカイル君。私たちが用があるのは、何もノックス高山の山頂で はないのだからね。目指すべきは上ではなく奥だよ」  ぶつくさというカイル君――黒い鎧を身にまとったカイル=F=セイラム君をつれて私は歩 きつづける。かつては山道であったはずの道は、今ではただの獣道に成り下がっていた。山の 成長は早く、人が寄りつかなければあっという間にこうなる。ただ歩くだけでも消耗させられ るような道だった。こういうのに慣れてる私はいいが、獣道を歩くのが本職ではないカイル君 は少し辛そうだった。  まあ、いい。彼は体力的にも戦力的にも私よりずっと上なのだ。放っておいても死にはしな いだろう。いや――一度死んでいるけれど。  笑えない冗句だったので、わざわざ言うのは控えた。黙々と山進みを続ける。『上』に行く のではないので、格好は普段通りのロングコートだ。顔を上げて上を見れば、山頂が雲の向こ うに霞んでいる。雲よりも高いところに果てはあるのだ。  いつか、いってみたいと思う。よほどの準備をしなければ無理だろうけれど。  が、今用があるのは、先に言ったように上ではない。奥だ。  ――新種の魔物が出る、と噂が流れてきた。  もっともそれは噂というにはいささか大げさすぎるのだろう。ノックス高山麓の村、クシャ ーナに滞在した友人が、村人から酒のつまみに話を聞いたというだけだ。  曰く、ノックス高山の奥地に珍しい魔物が出た、と。  そいつは身の丈数メートルにも及ぶ巨大な魔物であり、空をふよふよと浮き、近寄ってきた 村人たちを殺すのだと。なら実際に誰か死んだのかと問うと、村人は笑って首を振った。慌て て逃げたら追ってはこなかったのだと。  魔物は決して村へと降りてくることはなく――近づいてくるものを、容赦なく襲うという。  興味が沸いた。  その、『珍しい魔物』という一点に、私の興味はひきつけられた。噂話が真実かどうかなど 問題ではない。わずかにでも可能性があれば、それは私にとって十分な理由になる。  私は――魔物生態学者なのだから。  自己紹介が遅れに遅れた。この本を始めて読むであろう誰かのために、私は自己紹介をして おこうと思う。私の名前はハロウド=グドバイ。この本の著者であり、生物学者であり、生態 学者であり、哲学者であり、教育者であり、同時に冒険者でもあるのがこの私、ハロウド=グ ドバイだ。ついでに私の後ろをついてくる黒い鎧姿の騎士は、わが友人カイル=F=セイラム である。元はファーライトの聖騎士だったが、一度死んで生き返ったあとは傭兵課業を嗜んで いる。そのため、こうした危険のある調査には同行してもらっている。  いつものように、いつもの如くといったところだ。 「しっかし、本当にいるんでしょうかね……ただの噂話なんでしょう?」 「いるもいないも関係ないさ。ただ行くだけだよ」 「いなかったらどうします?」 「そのまま山を突っ切ってエルドクリアにでも行ってみるかね? あそこの食べ物の美味しさ は筆舌に尽くしがたいね。北方とはいえど豊穣の国だけはある。この時期は何が美味しかった かな、何でも美味しいらしいが。ああもう全てを放り出して行きたくなってしまったよ。カイ ル君、ちょっとお遣いを頼まれてくれないかな」 「エルドクリアまで昼飯を買ってこいと!?」 「いや、何も昼飯でなくてもいい。夕飯でも朝飯でもお八つでもかまわないとも」 「…………」  ちゃき、と無言で剣を構えるカイル君。まずい、最近彼は物騒だ。いったい誰の影響を受け たというのだ……私のように温厚に、全てを受け流せるだけの度量を持つにはまだ二十年は早 いというところだろう。私がカイル君くらいの歳の頃には――いや、思い出すのは止そう。色 々と思い出したくないことまで思い出してしまいそうだ。  閑話休題。  ともかく私とカイル君はえっちらほっちらと山道を歩いていた。リアス高原ほど物騒ではな い。ノックス高山は高さに応じて魔物の危険度が変わる地区だから、比較的低所を歩いている 今はそうそう危険な魔物に出合うことはないだろう。ただ単純に木や草が生い茂っていて歩き にくいだけで、実際村人が入ってこられる程度の場所だし――たとえ相当の魔物が出てきても 、カイル君がいればなんとかなるだろう。たとえば、おとりにして逃げるとか。 「何か物騒なこと考えませんでしたか今?」 「いいや、ごく普通のことを普通に考えただけだよ」 「ハロウドさんはごく普通に酷いことするからなあ……」  まあそれは最後の手段だ。出来る限り最後の手段は使いたくない――使うとしたら、本当に どうしようもないときだけだろう。  さて、珍しい魔物が一体如何なるものなのか、私は歩きながら考えてみる。ふよふよと浮く 、ということは竜種や鳥類ではあるまい。魔法による浮遊か空力学によってかは分からないが 、恐らくは三角形、ないしは球体の身体に手足が生えたようなものではないだろうか。空を飛 ぶ巨大なクラゲ――空水母――に似たようなものなのだろうか? しかしあれは群で流浪しな がら生きる生物だから、一ヶ所に縄張りを造ることはしないはずだが。  襲ってこない、という習性も興味深い。野生の生物というのは、それが可能ならば徹底的に 攻撃を加えることのできる生物だ。常に生き死にの中にいる彼らは、可能なときに可能な限り 餌をとらなければならない。わざわざ縄張りに踏み込んでくるようなモノを、生かして返す理 由はない。追い払うだけ――というのは、習性というよりはむしろ、出産期の生物の原理に似 ている。子供を生んだばかりの母親は、積極的にそこから離れることはできない。ただし、う かつに近寄るものならば相手が何であろうと命をかけて戦うものだ。  場合によっては近寄らない方が良いかな――そう思いながら、私とカイル君は歩き続け、 「これ……でしょうか」  しばらく歩く内に、開いた道に出た。今までの獣道とは違う。明らかに人の手で切り開かれ たと思しき道だ。ただし、今は時間の経過を経たせいか、両側から木々に浸食されつつあった 。  それでも、どこかへ通じる道であることには違いない。 「どっちにいきます?」  罠や敵襲などに備え警戒しながら、カイル君が私に問いかけてくる。なだらかな道は二つに 分かれている。即ち、上へ昇る道と、下へ下る道だ。傾斜はゆるやかだが、はっきりと高低差 があった。 「ふむ。下に行けば恐らくは大きく迂回しながら村に出るか、さもなければ街道につながって いるのだろうね」 「上へ行けば?」 「恐らくはそちらが目的の場所だろう」 「なら行くとしますか」 「そうしよう」  私とカイル君は歩き出し、獣道から広い道へと躍り出た。横に並んで歩けないほどに道は狭 いが、それでも先までの獣道よりは歩きやすい。手で枝を払わなくていいというだけで、歩調 はこうまで軽やかになるのかと驚くほどだった。石混じりの土は歩きづらいが、歩けないとい うほどでもない。いざというときには走れさえするだろう。 「友好的な魔物だといいですね」 「行動から察するに知性はあると思うよ。交友を築けるかどうかは……まあ、難しいところだ ね。くれぐれも、いきなり斬りつけたりしないでくれたまえよ」 「誰がいつそんなことをしたんですか……」  わざと、声を大にして喋りながら歩く。相手に警戒心を持たせるわけにはいかない――そし て、こっちが近づいて来てることを警戒してもらわなければいけない。戦に挑むのならば兎も 角、この場合は『音を殺して』近づくのはまずい。そんなもの、はっきりと私は敵ですと名乗 っているようなものだから。  私たちは魔物退治の旅をしているのではない。必要ならば時に戦うが――そうでなければ争 う必要はない。平和的な共存、適度な緊張を保った関係。それが、我々が望むべきものだ。  争わずにすむのならば、それにこしたことはない。私は心中で平和に終わることを願いなが ら坂道を登り続けた。進めば進むほど、少しずつ道幅が広くなっていく。  だから――ソレと出会ったときには、二人楽に並んで歩けるほどに、道は広くなっていた。  騎士が、仁王立ちしていた。 「…………」 「…………」 「……どなたでしょう?」  カイル君が間の抜けたことを言う。いや、彼の気持ちもわからなくもないのだ。山奥に山賊 がいるならば納得できる。山奥に魔物がいてもごく普通だ。だが、山奥に振るプレートの重戦 士がいるとなれば別だ。足の先から顔まで隠す全身鎧は、山道の行軍にお世辞にもむいている とはいえない。  その上――見るも物騒な、巨漢の背よりもなお巨大なハルバード。左手には半身を隠せるほ どに巨大な盾を構えている。  山に斧と聞けば、否応なしにきこりを想像するが、生憎ときこりが全身鎧を着て木を切ると いう話は過分にして聞いたことがない。  全身鎧で斧を持った戦士が――仁王立ちで、立ちふさがっていた。 「……魔物?」  カイル君がいぶかしむように呟く。見た限りでは、魔物には見えない。確かに巨漢ではある ものの、別に宙に浮いてもいない。皇国のブラックバーン氏のような例もあるが、一概に人間 だ魔物だと断定するわけにはいかない。  と。  ずっと黙っていた戦士が、黙ったままに、動きだした。兜に隠されているため、どんな表情 をしているのかは見えないが、ともかく彼は、スッと静かに、斧を持ち上げた。  長身の戦士が長い斧を持ち上げる姿はある種壮観でもある。 「……ねえ、ハロウドさん」 「……なんだねカイル君」 「僕、凄い嫌な予感がするんですけど」 「奇遇だな! 私もまったく同様に嫌な予感を感じていたところだよ」 「笑ってる場合ですか!」  言い合うぼくらに構わず、戦士は無言のままに、 「――――ッ!」  無言の圧力と共に、斧を振りかぶりながら襲い掛かってきたのだ! 「やっぱりこうなると思ったんだどうせこうなると思ったんだ!!」 「嘆いてないでよけたまえ!」  私とカイル君はとっさに後ろへと跳ぶ。幾つもの危機を乗り越えてきただけはあって、この 辺りはさすがに慣れたものだ。戦士が飛び込んでくるよりも、よけるのは速い。結果、戦士の 猛攻は空振りに終わり、思い切り振り下ろした斧は地面に突き刺さり、           ・・・・  轟音と共に、地面が爆発した。  抉れるのでも斬れるのでもない――衝突の瞬間の衝撃で文字通りに爆発したのだ。接点を中 心に半球状に地面がへこみ、土砂と衝撃が私達に襲い掛かる。コートをひるがえしてそれを避 け、着地と同時にさらに後ろに跳ぶ。  とてもではないが、相手の間合いに入る気にはなれない。たしかに斧使いの破壊力というの は群を抜いているが、それでもこれは――! 「ハロウドさん下がってください!」  さらに一歩退いた私とは対照的に、カイル君は着地し、衝撃をいなすと同時に前へと跳ぼう としていた。この辺りの切り替えの速さはさすがというべきなのだろう。思い切り後ろに跳ん だせいで『一瞬後には』とはいえないが、それでも一秒と掛からずに体制を立て直して前へ跳 ぼうとする。  前へ跳ぼうとして――後ろへ吹き飛ばされた。  振り下ろした斧をくるりと回し、戦士は前へと突き出したのだ。直接触れていないのに、風 圧で軽くカイル君の身体が吹き飛ぶ。風が渦を巻いて眼に見えるほどの威力だった。 「うわ、うわぁ!」  悲鳴をあげながらカイル君の身体が私へと吹き飛んでくる。もちろんたまったものではない ので、受けようとすら考えずに私はさっと横へ避けた。結果、カイル君は背中から思い切り地 面にぶつかる。ああいたそうだ。 「大丈夫かね?」 「普通受け止めてくれるものじゃないんですか!?」 「何故私が鎧騎士でさらに男を受け止めなければならないのかね」 「うわあ友情って素晴らしいなあ!」  などと言いながらカイル君は器用にも手を使わずに立ち上がる。先までは黒いロングソード ・イグニファイだけをつかんでいたが、左手に古く名もないロングソードを抜き放った。  二刀遣い。それが、今のカイル=F=セイラムだ。  二刀を構え、カイル君は油断なく戦士を眇める。戦士もまた、斧と盾を構えなおし、カイル 君に相対していた。 「……どうします?」  視線をそらさぬままにカイル君が言う。決定的を私に委ねる、ということだろう。彼は傭兵 で、私はクライアントだ。あくまでもその意向に従う、とカイル君は言っているのだ。  即ち、戦うか、退くか。 「――中身が気になるな」 「中、ですか?」 「そうだね。人が入っているのか人以外が入っているのか。そして何より、彼が何故この道に いるのかを知りたいね。ただの野盗なのか、それともこの道の向こうに何かがあるのか」 「実力で、通りますか?」 「可能ならばさけたいがね。――そこの君!」  私は一度話を斬り、眼前に立ちふさがる戦士へと呼びかける。まったく反応していないが、 聞こえていないということはないだろう。 「私たちは何も君と争いをしにきたのではない! 当方には話し合いの覚悟があるが如何だろ うか!」  私の平和的な問いかけに。  戦士は――戦士として、応えた。斧を深く構え、突撃してきたのだ。 「私は平和主義者なのだがね……!」 「今はそんなこと言ってる場合ですか!」  カイル君と私は、言いながらも今度は前へと跳んだ。先と違い、今度は来るのを完全に予期 できた分だけ攻勢に出れた。カイル君が前、私が後ろだ。間合いは瞬く間に埋まり、 「――――――ッ!!」  戦士が、斧を繰り出し。 「二度も通じると思うか!」  繰り出された斧を、眼に残像が残るほどの速さでカイル君は左によけた。そう――彼の素早 さならば、たとえ相手が繰り出してからでも避けることはできるだろう。私は伸びきった斧を 避けるようにして右へと分かれる。これで、簡単な左右挟撃の形だ。  カイル君は私に先行し、斧を持った右手を狙いイグニファイを斬り上げ、  戦士が持っているように見えた斧が、宙を舞ってカイル君を弾き飛ばした。 「んな――!」  驚愕の声を残しながら、バランスを崩したカイル君が後方へと流れていく。成る程、噂話に 出ていた『ふわふわと浮くもの』はこの盾のことらしい。  カイル君をいなした戦士は、狙いを私をつけようとしていた。  だが、それこそ甘い。 「学者が弱いと思ったら――大間違いだよ」  斧を持たない戦士の左手をつかみ、彼が斧を振おうとしたその勢いを利用して――  思い切り、投げ飛ばした。  バリツ、という東方より伝わった私の技だ。全身鎧は重く、『飛ばす』ことは実際にはでき なかったが、重いからこそ重心を利用して投げることはできる。力の方向性をずらされたこと により、戦士は自身の力と重みによって地面に叩きつけられたわけだ。 「大人しくしたまえ! こちらに命を奪う意志はない!」  うつ伏せに地面に伏せる戦士の上に馬乗りになり、彼の腕を逆にひねった。こうすることで 、相手の動きを封じることができる。  普通ならば。  そして、相手は普通ではなかった。  ――ばきん、と。  乾いた音を立てて、戦士の腕は、あっさりとありえない方向に曲がった。鎧の関節部分から 、九十度逆に背中側へと折れ曲がる。  こんな曲がり方は――ありえない。腕が折れただけでは生易しすぎる。腕がちぎれない限り 、こうはならないだろう。 「これは……」  私の驚愕の隙をついたのだろう。重戦士は――ああ、信じ難いことに――私を背に乗せたま ま、無理矢理跳ね起きたのだ!  荒馬が主人を放り落すようなものだった。  私の身体は宙高くへと投げ飛ばされた。離れた地面では、立ち上がった戦士が斧を真上へと 構える姿が見える。このまま落ちたら私は串刺しになるというわけだ。  そして――戦士が塞いでいた道の続く先に、小さな小屋が、見えた。  見ていられたのはそこまでだった。私の身体は重力に従って落ち、落ちるその先には戦士が 待ち構えている。  まずい、死ぬ。  私が死なずに済んだのは、普段の僥倖でも何でもなく、私を助けてくれる愛すべき友人がい たからだった。 「この――デカブツめ!」  体勢を立て直したカイル君が、全力で駆けてとび蹴りを繰り出す。速度がそのままに威力に なるため、巨漢の戦士も堪え切れなかったらしい。巨大な身体がぐらりと揺らぎ、私はその脇 に着地してすかさず距離を取る。私に追従するように、カイル君もまた距離を取った。  その間に戦士は斧と盾を構え直す。これでまた、振り出しに戻る、だ。  ただし……先と違って、今は情報が増えていた。 「……カイル君、この先に小屋があった」  一応、戦士に聞こえないくらいの小声で言う。 「小屋?」 「そうだ。そこに行かせたくないからこそ彼はここにいるに違いない」 「……つまり、僕は足止めを?」 「そういうことだ。彼に一撃を喰らわせ、その隙に私は駆け上がる。その際だが……カイル君 。殺す気で、ではない。彼を殺してみてくれ」 「!? 相手の事情もわからないのにそれは……」  驚愕し、否定するカイル君。うむ、彼がそういう人間だからこそ付き合っていて楽しいのだ 。私は首を振り、 「多分――いや、間違いなく、彼は死なないだろう。先の手ごたえで分かった」 「なら……信頼して、やってみますよ」 「信用して、信頼してくれて構わないとも」  言って、私はコートのポケットに手を突っ込んだ。そこにある様々なもののうち、手探りだ けで目的のものを取り出す。鈍く黄色に光る、小さな石だ。晶妖精が宿るほど立派なものでは ないが、魔法が仕込んである便利な道具だ。 「それじゃあ行こうか」 「いつも通りに、いつものように、ですね」  私とカイル君は同時に戦士へと向かい合う。話し終わるのを待っていてくれたのか、戦士は その場から一歩も動かなかった。  彼が誰なのか、私は知らない。  彼がなぜそこを守っているのか、私は知らない。  彼には彼の理由があって、そこに立っているのだろう。  ならば私は――私の信念によって、そこを通るだけだ。 「この剣は友人のために! カイル=F=セイラム、参る!」  カイル君は、双剣を構えて吼え。 「愉快で素晴らしい世界を知り尽くすために! 学者、ハロウド=グドバイ、いざ往かん!」  順ずるように私も叫んだ。  そして私たちは駆け出す。カイル君が前、私が後ろ。いつものように、いつもの如く。たと え相手がどんな存在でも――怯むことも惑うこともなく、私たちは行く。  重戦士は速い内から勝負をしかけてきた。まだ間合いに入る前から、斧を思い切り前へと突 き出してきたのだ。先ほどカイル君は吹き飛ばされた例のあれだ。  今度は、からくりがしっかりと見えた。手をひねりながら高速で前へと突き出すことによっ て、物理的な破壊力を持つ風の渦を発生させているのだ。まったく、なんて力だ! さすがは 斧戦士だと褒めさせてもらおう。元来斧戦士とは強力な存在なのだ。斧で敵の攻撃を弾き、相 手の防御ごと潰す。防御も何も関係がない。斧戦士との近距離戦は死を意味する。一部例外を 除けば。が、目の前の戦士はどう見ても例外には見えなかった。一流の斧重戦士、その上でこ んな技まで使うとは手がつけられない、というものだ。  そして――手がつけられないのは、黒い旋風、カイル=F=セイラムもまた同じである。 「双剣――巻風!!」  風を巻く、という名の通りに、カイル君は双剣を下から上へと――渦巻く衝撃波に沿うよう にして跳ね上げた。微妙な力加減によって、衝撃波そのものが上へと吹き飛ばされる。本来な らばカウンター技だが……使い手によっては、こんなことすらできるわけだ。  狙いを大きくそれ、上へと飛んでいく衝撃波をくぐるように、地面すれすれに駆ける。それ でもまだ、戦士との間合いは残っていた。戦士は前へと突き出した斧を手元に引き、今度は力 いっぱいに、  地面へと、突き刺した。  はっきりと見えた――上から下へと突き刺さる斧の衝撃によって、地面が空気ごと上から下 へと吹き上がるのを。風と衝撃波の壁が吹き上がるのを、舞い上がる砂によって私は見た。  それを最後に、私は目を瞑った。  目を固く閉じたまま、手に持った石を後ろに投げ、叫ぶ。 「陽石よ力を現せ!」  太陽が、生まれたように見えたに違いない。小さな石に圧縮されていた太陽の光が、一瞬で はじけたのだから。ただの光ではない、陽光という概念を辺りにばらまく、目がないものにさ え通用する事象魔法だ。もっとも後ろに投げたお陰で、前へと進む私とカイル君の目はくらん でいない。目を瞑っているので余波さえこない。  だが、間違いなく重戦士の視界は潰されたはずだ。  一瞬後に瞳を開き、硬直する戦士の側へと飛び込むようにしてすりぬける。地面でぐるりと 前周りをして受身を取り、  逆様になった視界で、私は見た。  重戦士が放った衝撃波に乗るようにして、上へと跳んだカイル君の姿を。そして彼はそのま ま空中で回転し、上下逆さになったまま重戦士の頭上を飛び越える。右手に持ったイグニファ イは、重戦士の左肩に添えられている。左手に持ったロングソードは、重戦士の右肩に添えら れている。交差するように重戦士の首に剣を添え、 「双剣――落首」  カイル=F=セイラムは両腕を振りきり――重戦士の首が、跳ね飛ばされた。  堕ちる首にあわせるようにカイル君はさらに半回転し着地する。一拍遅れて、からんと、ど こか軽い音を立てて兜が地面に落ちる。  なくなった首を求めるように、重戦士の身体が揺れる。  そして、血が、  血が――噴き出なかった。  兜の中も、鎧の中も――何も入っていなかった。斧戦士の中は空っぽであり、空っぽのまま 、動いていた。 「――やはりか!!」  それだけを見届けて、私は振り返らずに全力で山道を駆け上がった。後ろからから再び剣戟 音が聞こえてくるが、カイル君ならば大丈夫だろう。それよりも私の頭は、先ほど見た光景が 占めていた。  空っぽの鎧。  リビングメイル――なのだろうか。いや、違う。彷徨う鎧にしては、彷徨っていない。死し てなお魂の定着した鎧は、死んでしまった自分の身体を求めてさ迷い歩く。  先の斧戦士には、それがなかった。  明確な目的があって、あそこに立っていた。  その理由は、恐らくこの先にある。  私は全力で道を駆け抜け、空を跳んでいた際に見た小屋へと辿り着く。すっかり錆びれ、あ ちこちが壊れかけている小屋。扉はすでに傾ぎ、半分ほど開いていた。恐らくはあれ以上閉ま らないのだろう。私は逸る好奇心を押さえながら小屋の中へと飛び込む。いくらカイル君が凄 腕だといっても、明確な意思を持つ存在を永遠に押さえつけられるとは思わない。ならばこそ 、急がなくてはいけない。  だからこそ、私は何の心がまえもなく小屋へと跳び込み、 「――――なんだ、これは……」  小屋の中に広がる光景に、私は意識を根こそぎ刈り取られた。  ……私の前に広がっていた光景。それが――勇気のない獅子、『獣王』(ライオンハート) ライオネル=クランベルクと、心のないブリキ人形、クロナ-0(null)の――物語の果ての姿だった。 ■ライオンハート・クロニクル 後編へ続く