■ライオンハート・クロニクル (中編)  そう古い話ではない。『獣王』(ライオンハート)といえば、当時頭角を現してきていた若 き東国の覇者・ジュバ=リマインダスに引けをとらない戦場の代名詞だった。『それに出会っ たら死を覚悟せよ』というのはどこの地域にもいるもので、皇国の北端では『獣王』がそれだ った。  狂戦士、ライオネル・クランベルク。それが、獣王の名前だった。もっとも――敵はその名 を知るよりも早く彼の斧に潰されたし、彼の味方は決してその名前を呼ぼうとしなかった。そ もそも、厳密な意味では彼には味方などいなかった。  第八軍団、「怒裂軍団」 。皇国十二軍団のうち、もっとも荒々しく死を恐れることなく突き 進む突撃部隊。彼らの前に立つものはなく、彼らの後ろは死体の山で出来ている。  自身と、敵の死体だ。  敵も味方も関係なく、全てを破裂させるように突き進むのが「怒裂軍団」軍団であり、その 意味ではライオネルは軍団に相応しいと言えた。  彼は――正真正銘の、狂戦士なのだから。 「ウオオオオオオッ!!」  獣のような咆哮と共に、ライオネルは斧を振りかぶったまま突進した。総重量は百キロを越 えるだろうに、その突進が衰えることはない。どんなに鈍重な獣でも、本気を出せば軽く時速 六十キロは出すというが――それを体現しているかのような姿だった。巨大な体と巨大な斧が 突進してくる様は、敵にとっては圧巻だっただろう。気の弱いものならば、それだけで失神し ているはずだ。  だが、敵は引かない。ライオネルの姿を見ても、身じろぎもしない。  それもそうだ。彼女には、恐怖などという余計なものは付属されていない。感情など、初め から持ちあわせていない。無表情のまま、両腕のガントレッドを構えるだけだ。  戦闘型魔法人形少女型・汎用型である。  遠い昔、皇国が成立するよりも以前の時代の遺物だ。人の形をした、少女の姿をした、重装 甲の機械人形。心など持ち合わせおらず、歯車仕掛けの力を容赦なく振う今では失われた技術 だ。  北方の戦闘国家・ケイヴは、分厚い氷の下からこれを掘り出し、戦線に投入し始めた。まず は国境間際、小競り合いに出して運用方法を確めようというのだろう。  彼らの思惑通り、一体の人形に皇国から派遣されていた駐屯部隊は壊滅させられた。隣接す る村に駐留する他部隊に助けを求めに行く暇もなかった。雪に紛れ、暴風のようにケイヴの部 隊は攻め込み――小さな村を蹂躙した。  駐屯していた部隊に、『獣王』がいなければ、壊滅ではなく全滅だっただろう。 「グガァァァァァァァッ!!」  さらに叫ぶ。叫ぶことによる体力の消費など、ライオネルは考えていない。  前に敵がいる。  だから、吼える。  ただそれだけのことだ。本能に従い、敵に向かって吼え猛りながら、ライオネルは少女の姿 をした人形に向かって容赦なく斧を振った。  機械仕掛けの鎧によって補強された少女は巨きく、重く、早く、強かった。 「――――」  少女は無言のまま、猛ることも吼えることもなく、素早く最善の動きをとった。斧が最大の 威力を発揮する部位――刃――を裂け、内側へともぐりこんだのだ。打点がずれてしまえば、 最大の威力は発揮されない。自身の間合いへと入り、拳を握って、斧の柄を上へ掃おうとした。  できなかった。  ・・・・・・・  払おうとした拳を、斧の柄が砕いた。衝撃で少女の握りこぶしは爆散し、左手の肘から先が 衝撃で反対方向へと折れ曲がった。絶対的な隙が生まれた少女の左半身に、ライオネルはその まま斧を振り込む。  めしり、と。  機械の鎧が、丸ごとへしゃげた。人工性の少女の皮膚をちぎりながら柄が食い込む。  そして――ライオネルは、そのまま、更に斧を振り切った。  見かけの数倍は重い少女の体が、柄が食い込んだ腹を支点に、上へと飛ぶ。コマのように回 転しながら、少女は逆様に宙を舞った。  機械仕掛けの少女の顔に痛みはない。致命的な衝撃をくらった今でさえ、最後まで反撃の方 法を考えている。痛みも傷も関係なく、最後の最後まで敵を殺そうとする機械仕掛けの少女。  そして。  そんなものは――ライオネルとて、変わらない。  振り切った斧を後ろへと回し、柄を肩に乗せ、テコの原理で一気に振り切る。一撃目の速度 と威力を完全に切っ先に乗せ、今度こそ、最大の威力を少女へと叩き込んだ。  機械仕掛けの体。  鉄よりも堅いそれが――袈裟懸けに、真っ二つになる。断面からは血のように赤い液体と、 切れたチューブや骨組みがばらりと零れ出す。衝撃で斜めに折れた少女の顔から、生体反応を 示す赤い瞳の光が消えた。  血によく似た液体が、ばしゃりと、ライオネルの顔にかかる。それでも、ライオネルの表情 は変わらない。  表情と、言ってしまってもいいのだろうか。  ライオネル=クランベルクは、到底人間の表情と言えるようなものを浮かべていない。獣の ように、荒々しく吼えているだけだ。その顔に、その態度に、理性というものは存在しない。  痛みも。  恐怖も。  逡巡も。   理性も。  そんな不要なものは――『獣王』には、存在しないのだった。  彼が斧を振うとき。彼の理性は、彼の中にはない。彼が左手に構える、愛用し続ける魔盾の 中にすべて封じ込められている。  理性。  それは、保身だ。  この戦いが終わった後も、人生は続いていくのだという、当たり前の常識を持つものだ。  ライオネルには、それがない。  自身の身の守りを、文字通りに『盾』に預けている。  全てを捨てて、獣性だけで戦う狂戦士。  それが『獣王』ライオネル=クランベルクであり――彼が敵と味方から恐れられた挙句、皇 国第八軍団に拾われて、こんな辺境にまで送られた理由だった。   それでいい、とライオネルの理性は思う。  戦っている間は、戦い以外のことを考えずに済むのだから。理性を捨て、斧を振えば、その ことにのみ没頭できる。  なぜ戦っているのかを、考えずに済む。 「うわああああああああぁぁぁああああぁっ!!」  血まみれのライオネルを見た兵士――ケイヴ国の下級兵卒だろう――が悲鳴をあげた。駐屯 群が壊滅し、少女人形が壊れた今、残っている人間は彼ら二十名程度とライオネルだけだ。  責任者と思しき、見るからにそこそこ偉そうなのがニ人と、研究者が六人。純粋な兵隊は残 る十二人ということになる。  責任者や研究者たちはともかく、今日護衛として無理矢理連れてこられた兵隊たちは、血に 濡れる斧戦士のことを、いやというほどに知っていた。 「『獣王』だ! ヤツだ、ヤツがどうして!」 「だからいやだったんだこんな辺境に来るの! あんなのと戦えっていうのか!?」 「あのガラクタのお守りじゃなかったのかよ!! 無敵の機械人形じゃなかったのか!?」 「いや、しかしアレはだな、理論では――」 「理論なんか知るか! いやだ、俺は死にたくな――」  頼みの綱の機械人形が目の前であっさりと殺され、ケイヴの一部隊は混乱の極みにあった。 圧倒的な力で、皇国軍を蹂躙した戦闘型魔法人形少女型の姿を見ていたからこそ――それを撃 破したライオネルの姿は、それ以上の脅威として感じられていた。  一部隊と、研究者で倒せるような相手ではないのだ。  そのことは誰にだって分かっている。だからといって、見逃してくれるような相手ではない ことも、兵士たちは実感として知っていた。  相手は狂戦士だ。  戦う相手がいなくなるまで――戦闘をやめないに決まっている。 「グガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」  ライオネルは雪の降り始めた空に向かって咆哮した。空気をびりびりと振動させる声に兵士 たちは耳を押さえ、気迫に押された研究者が一人尻餅をついた。二人の責任者は兵士たちに足 止めを命令し、自身は撤退をしようとしていた。  そのどれもが、無駄だったのだろう。  ライオネルは相手の様子に構うことなく――突撃を開始した。地面を猛烈に踏み鳴らし、斧 を全面で構えて突撃する。兵士たちはある者は構え、ある者は逃げようとした。その只中に、 ライオネルは躊躇なく飛び込んでいく。  後に残ったのは、戦いではなく虐殺だった。         †   †   †  皇国の支援部隊が駐屯部隊に辿り着いたのはそれから一日の後だった。 「しかし、まあ、まあ、まあ!」  その光景を見て、皇国『研究室』の若き研究員――“ドクター”と呼ばれる八歳の少年は、 呆れたように、それでいて関心したように拍手をした。彼が見ているのはライオネルではない 。ライオネルと少女人形が争いを行った、かつては駐屯部隊が野営をしていた平原を見て笑っ ているのだ。  そこにはバラバラになった人体や、少女人形や、死体や争いの後はない。ただし、そこに広 がる景色を見て、ドクターと共にきた数人はう、と息を呑んでいた。  墓、である。  墓標としかいいようがなかった。死んでしまった兵士たちの、全ての武器が、地面に突き刺 してあったのだ。その数は五十を越える。それはつまり、皇国駐屯兵と、ケイヴの兵士たちの 両方分の墓だと言えた。  それ以外には、何もない。  争いの跡は何も残っていない――ただただ、そこで人が死んだことを、無言で主張するのみ だった。 「まあっっったく派手にやりましたね!」  感心したように言って、ドクターはぱん、と最後に一度大きく手を叩いて拍手をやめた。演 技ぶった動きで振り返る。まだ幼いせいで、その動作は滑稽にしか見えなかったが……だから こそ、周りの兵士には不気味に見えた。  彼らは、十も下の少年に従って、この皇国領土の端にいるのだから。 「べーつに墓なんて作る必要なんざないでしょーに。よっっくもまあ面倒なことしましたねぇ ……」 「死んだ者は……等しく死んだだけだ……敵も味方もない……」  感心したように言うドクターに、煉瓦の上に座ったライオネルはぼそぼそと小さな声で応え た。視線は地面へと固定されている。顔を上げて、ドクターや、その向こうに広がる平原を見 ようともしない。  戦の時のような覇気は、そこにはいない。  今のライオネルは理性を自身のものとして持っている。そうでなければ、味方としてきた皇 国兵たちすら切り殺していただろう。  理性があるから、殺さずに済む。  反面――理性があるからこそ、彼は二十以上年下の少年に話しかけるのが苦手だった。いや 、ドクターに限ったことではない。その周りにいる兵士にだって、彼は話しかけない。  話すのは、苦手なのだ。  人付き合いは――苦手なのだ。  そんなライオネルをドクターはふん、と鼻で笑い、 「違う違うちーがーう。僕様が言ってるのはねぇ、敵だろうが味方だろうが、墓を作る必要な んざあありゃしないってことですよ。彼らは死んだ、死んだだけでしょうに!」  ハ、とドクターはさらに笑う。そのドクターを、ライオネルはちらりと見上げて一瞥し、何 も言わずに視線を下ろした。  何を言えるはずもない。  狂戦士と研究者で――分かり合えるはずもない。  それは当人にもわかってるのだろう。ドクターはそんなライオネルの態度にとくに追求せず 、再び平原を振り返りながら言った。 「それで? 話に出てた機械人形とやらはどこにいったんです? まさかもう撤収回収されち まったんじゃねーでしょうね」 「……彼女は……土に埋めた……」 「埋めたァ!?」  素っ頓狂な声をあげるドクター。ライオネルは変わることなく淡々と、 「彼女も……また、死んだ……その魂は土に還り、事象へと還る……」 「ハ! 事象論ですかい。まったく現場の人間は毎度毎度龍なんざを信仰してやがりますね。 トカゲの親玉なんざぁ意味ねーと言うのに――それにあんた」  ドクターはもう平原を見ようとはしなかった。そこにもはや興味はないのだろう。ライオネ ルのもとへ数歩戻り、座ってもなお背の高さが変わらないライオネルの巨体を見つめて、 「人形ごときに――魂なんざ、あるわけねーでしょう」 「…………」  はっきりと断言するドクターに、ライオネルは黙り込んだ。何を言い返す気にもなれなかっ た。  戦場で生きる彼に、魂があるかないかなど、わかるはずもない。  彼にとって全ては生きているか死んでいるかでしかなく……獣性のままに、彼女たちを殺し たのは間違いのない事実だった。  だから、埋めた。  それだけのことだ。 「ま――いいでしょう」  そう言って、ドクターは腕を組んだ。その様子を、兵士たちは不安そうに見つめている。十 二名の兵士たちは、ドクターと『荷物』を皇国中央まで護衛するために連れてこられた者たち だが――彼らは、ドクターがこうも誰かと会話をするのを見たことがなかった。むすっと押し 黙って、馬車の中に『荷物』と座っているところしか見たことがない。  話はかみ合っていないように見えるが――変人同士、話があうのかもしれない。 「そんなこたぁどうだっていいんです。そんなことより、獣王――あんたさんがただ一人生き 残ったってんなら、ちょいとばかし僕様に協力してもらいましょうか」 「……協力……? 己がか……」 「テメエさん以外に誰がいるってんですか」  ドクターは深々とため息を吐いて、 「極秘任務っつーんで人数足りてねーんですよ。十二人の兵士と一人の騎士と僕様だけであの お荷物を運ぶのはちょいと面倒でしてね。この辺にゃーケイヴの野蛮人や魔物もいるし――そ れ以外が出てくる可能性もあるんでね。ほら、命令書」  言って、ドクターは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。そこにはセルフィア・M・アルバロン と研究長、二人の書名と命令内容が書かれている。正式な、命令書だった。  ライオネルは、それを見ない。  顔を伏せたまま、ぽつりと吐き出すように問う。 「……己は、何を……やればいい……?」 「敵に突っ込んで死んじってください」  ライオネルの問いに、ドクターはあっさりと、そう答えた。 「…………」 「別に死ななくてもいーんですけどね。ま、用は死んじまうまで戦っちまって敵の足止めてく ださい。テメエさんが死んでる間に、僕様らはさっさと中央に戻りますから」  そのための――狂戦士なんでしょーに。  そう、ドクターは言葉を結んだ。  それは身も蓋もない、『囮になって死ね』という命令だった。理性のない獣性そのものの巨 漢が暴れ、敵の目を引き、その間に本隊は帰路を急ぐ。手段としてはそう珍しいものではない 。珍しくはないが、それはあくまで頻度の問題で――ドクターのように、真っ向から『死ね』 と命令するような人間は、兵隊にはいない。研究者と兵隊の性質の違いなのだろう。  そのことについても、ライオネルは特に何も思わない。  正直に言えば、腹芸は苦手だ。回りくどく言われても分からない。  戦え。  戦って死ね。  そんな命令は――いつものことだ。  分かりやすくて、自分にあっててちょうど良い。 「……他に……やることもない」  その言葉を肯定と受け取ったのだろう。ドクターは「よしよしよし!」と高らかに笑い、踵 を返して馬車に近寄りながら兵隊へ「いきますよあんたらがた!」と全員に声をかけた。  ライオネルも立ち上がり、馬車に併走するようにして立つ。十二人の兵士のうち、二人は馬 の手綱を握り、九人が三、三、三に別れて周囲を警戒、ライオネルと残る一人が馬車の両脇に ついた。  集団行動は苦手なので、その方がライオネルとしてもありがたい。  ドクターは馬車の扉を開け、中の暗幕を取り除いた。彼の小さな体の向こうに、馬車の中身 が見える。  そして――その中身を見て、ライオネルの僅かな理性は凍りついた。  馬車の中にいるのは、ドクターの他に二人だった。一人は、ライオネルと同じような全身鎧 の男。体格もライオネルと変わらない。ただし持っているのは長剣であり、鎧の色は紫だった 。フェイスガードを下ろしているので表情は分からない。  アレが、騎士なのだろう。  恐らくは、アレこそが本当の護衛のはずだ。残る十二人がただの露払いでしかないことに、 ライオネルはすでに気付いていた。  見てるだけで、分かる。  あれは――強い。  けれども。  ライオネルの理性が固まったのは、紫鎧を見たからではなかった。  その対面。  椅子に腰掛けて、端整な姿形の少女が座っていた。ロングヘアーのストレート、ゆったりし ているが肩辺りの露出の多目のドレスを着ている。ライオネルとは親子ほど歳の離れた、小さ な少女だった。  少女は――手足に枷をつけられ、首輪をつけられていた。魔道の紋様が刻み込まれた首輪は 、少女から声という声を奪っていた。  荷物。  それが、少女のことを指すのだと――いくらライオネルでも気付いた。  もっとも、ライオネルが目を奪われた理由は、荷物だからではない。  少女が、ライオネルを見て――誰からも恐怖される、恐ろしい顔を見て。人相が悪く、全身 が傷だらけの、彼を見て。  優しく――微笑みかけてくれたからだ。 「ああ、コレですか」  ライオネルの視線に気付いたのか、ドクターはなんでもないことのように言った。そのとき には、少女の笑みは、既に消えていた。  少女を、人間として扱っていない。  少女を、物として扱うように言う。  それも、仕方のないことだ。  なぜなら―― 「面倒っちーことにですね、こいつを皇国まで極秘裏に持っていかないといけねーんですよ。 なんせこいつは――」  ドクターは。  皇国『研究室』――それは、人間以外のものを研究し、創り上げようとする部署だ。その部 署に所属する、若き天才科学者。 “ドクター”ストレイ=ストレインジは。  ・・ 「あの道楽のマクラミンが造った人形ですから」  少女――クロナ・Oを冷ややかな目で見下ろして、そう告げた。 ■ライオンハート・クロニクル 後編へ続く