嘘騎士と瓦礫の国  瓦礫が散らばる道を男が一人、鎧が一つ、少年が一人歩いている。  その名前は、それぞれガチ=ペド、ロリ=ペド、ヘイ=ストと言う。  それに、道を行く一人の男が加わった。  彼の名前は、ロボ=ジェヴォーダンと言った。  煙草を吸う彼にガチ=ペドが顔をしかめたが、黒服の男は何も言わなかった。  事象の使いだとか、勇者だとか。  そんな物騒な連中が目指す先は何時だって決まっている。  恐ろしく不機嫌な顔をした子供は、腫れた足を引きずっていた。 「その汚ぇ餓鬼は付いて来るのかね」  独り言のように言った黒服に勇者は、鎧は答えない。  嘲笑する子供は唾を地面にはき捨てた。  自らが色街に売り飛ばされようがそこらで野垂れ死のうが仕方が無い立場と理解した上で、世界を侮蔑する笑みであった。  彼は、そんな言葉なぞいらない。生贄がいればそれでいいのだ。  ……もっとも、それが実現するのは暫し後の話なのであるが。  /  全ての悪性は、認識する者の内から生じる。  /  13日戦争、と呼ばれた戦いがかつてあった。  かつて、勇者と呼ばれる存在を擁したガチ家──その後継を巡って巻き起こった大戦である。  黒服の男もまた、残り二つの鎧と共にその光景を見ていた一人であった。  勇者とは、その時代の世界のあり方を定める楔とも観点しだいでは言えるだろう。  後に、『人魔大戦』と呼ばれる戦争が引き起こされるように、である。  最も、詳しく語ることはこの場に置いては省略し、結果だけを述べる。  勇者と呼ばれる者が死に、そして生まれ、彼は暁のトランギドールに導かれることとなった。  そしてそれに伴ってガチ家は滅び、関わった多くの者たちもまた死した。  ある意味で、それは当然とも言えるだろう。  新しきが生まれるならば、古きは滅びるようにこの世界は定められているのだ。  そして又、楔である所がミソであった。  それが関係の中にあったとするならば。少年の嘆きも、少女の悲しみも。  果すべきプログラムに影響など、億分の一も無かったろう。  そして、それは実質的には0と同じである。  そう。ガチ家は、滅びたのだ。  ガチ=ペドは勇者と言う言葉には全然似つかわしくもない顔をして、積み上げられた瓦礫の山を一瞥していた。  とは言っても、彼にはそれがかつては建物であった事程度しか解らない。  今となっては当の昔に失われた技法で作られた幾何学的な塔やら、軒やらも又、時の流れからは逃れられないと言うことだろう。  辛うじて残っている街道筋にそってすずなりに、それが幾つも幾つも続いている。  大陸の所々に存在する不毛の大地では良く目に付く光景であった。  彼らは、その道を歩いている。  『ら』が付くのは、勇者様が一人で道を歩いている訳では無いからだ。  三人の、恐らくこれ以上は無い程物騒極まりない連中が歩いている。  一人は黒服の剣士であった。勿論、ただの剣士ではない。  事象龍、と呼ばれる存在の代行者であり、刺客である。  そもそも彼が仕える者自体が間引きをも司る存在なのだから、その立場は押して知るべきだ。  ただ目的が同じであるから、成り行きの上で同行しているに過ぎない。  一人は黄金の甲冑であった。  こちらもまた、事象龍なるバケモノに仕える存在ではあるが、その化身と言った方がより正しかろうか。  事象龍。その詳細な解説は多岐に渡るが、要するに神々とも見なされる強力極まるドラゴンと理解すれば足りるだろう。  それが、歩いている。勿論、武装は完全である。  ガチ=ペドである。  勇者である。バケモノ殺しのバケモノ。毒を制する毒である。  彼は戦い、勝利するだろう。それ以上、どんな言葉が彼に必要であろうか。  そして、今一人。  彼は、哀れなほど矮小であり、卑屈であり、無力な少年に過ぎなかった。  比較の対象が悪すぎる、と言うのもある。ボタ山と黄金を比べるようなものだ。  ただ、それを差し引いてみても尚、その少年は病とでも言うべき影があった。  目に掛かりそうな程長い前髪。そして、酷く栄養不足らしいこけた頬。  後に、ガチ=ペドがとある少女へと述懐することとなる、衰弱した人間の具体まで後一歩であろう。  その癖、その目だ。見るも無残な嘲笑がこびり付いたそれは、心ある者が目にしたならば目を逸らさずにはいられまい。  子供には似つかわしくない、とそれを言うつもりは無い。子供とて人を殺しうるからである。  ──それでも彼は。  今、この瞬間に限って言うならば哀れむべき子供であった。  それはそうだろう。何せ彼だけはごく普通の人間であるのだから。  さて。説明のためにも、途切れていた風景の描写に戻ろう。  この世界には、各地に異物とも遺物とも言うべき物が点在している。  それらは現在は滅びてしまった旧い文明の、今尚残る遺産であった。  例えば北方巨人郷。エルダーデーモンの廃都ヴァナヘイム。   「どこ迄この廃墟は続くんだか、飽きちまう。なぁ、教えてくれよ犬っコロ。知ってんだろ?」 「俺がんな事知るもんかよ勇者サマ。知りたきゃ俺みたいな一介の殺し屋風情より、底意地の悪い賢者共にでも尋ねたらどうだ」 「つくづく使えねぇ野郎だな」 「手前ぇなんぞと馴れ合う積もりはねぇさ。それに、お前さんにとっちゃ俺ゃ犬ッコロなんだろ?  ハナタレ小僧みてぇな面下げて後ろ付いてりゃ目的地まで一直せ──」  びょう、と二つの轟きが一つになって響いた。  金と、鉄の剣風であった。のろまな音はその後に続いたのだ。  ロリ=ペドとガチ=ペドが一呼吸のズレも無く黒服目掛け剣を払ったせいであった。 「危ねぇな。初手から殺す気か」 「不和正義不在」  帰って来たのは危なげの無い声であったが、その顔は全く笑っていない。  それは如何な足取りか。必殺より逃れて見せて男は立っていた。  返事を返したのは黄金の騎士だ。勇者は詰まらなそうに鼻息を吐いている。 「まぁ。確かに」  と、黒服が言い、更に言葉を続けた。 「そう遠くはねぇだろう。精々、楽できるよう期待してるぜ」  『遺産』とは、何もいい意味ばかりで、とは限らない。  例えば、そいつ等がそうだろう。そいつ等、とは丁度底意地の悪いクイズの答えの様な奴だ。  人ではなく魔物でもなく、名前を知っていれば一言で言い切れる癖に、それ以外には形容のし難い連中である。  かつては「フォーリアン」と総称されたそいつ等と、旧種族との古戦場にして王都が、草木も疎らなこの地だ。  彼らは、その生き残りを探しているのだった。  視点を少年へと移す。  当然ながら、彼は今語られた事など知る由も無い。  ただ、理解出来る事と言えば、瓦礫に埋め尽くされ、乾き果てた不毛の大地の光景ばかりである。  なぜこうなっているのか、とは彼は考えなかった。  凡そ全て現在のみが彼にとっては真実なのであり、過去は知識で未来は予定でしかない。  子供とも思えぬ、異様な程に干乾びた思考であった。  彼は水の入った水筒から僅か口を湿らせつつ、観察者の目で先を行く三人を見ている。 「──」  何事か聞き取れない囁きの様な声が、少年の口から零れた。  紡ぐに従い、手のひらの上には練り粉とも綿菓子とも取れる白い食物が形作られていく。  大気中と周囲にある要素から、口糧を作る魔法であった。  ヘイ=ストは魔法を得手とする少年だ。  今のそれとて、当の昔に失伝した呪の一つである。  奇跡だなどと今ではご大層な名前に変わってはいるが、少年に言わせれば魔法でありそれ以下でも以上でもない。  それに、たった一掴みのパンだけでは体は動けど飢えが癒される訳でもない。  彼が、ひどく衰弱しているように見えるのはその為だった。  彼は、そんな風にしながら見て、そして聞いている。  目の前には瓦礫と道と砂塵と三つの背中。太陽はゆっくりとひ弱な背を焼いていく。  恐ろしく殺伐としたやり取り。ガチ=ペドが退屈しのぎと投げた岩塊が、通りすがりの魔物の頭を打ち砕く音。  鎧が擦れる音。時折、黒いコートが風にたなびく音も聞こえる。 「その汚ぇ餓鬼は付いて来るのかね」   と、不意に顔を振り向けた黒服の男が言った言葉を彼は聞いた。  勿論、少年としてはその積もりだった。 「どう見ても足手纏いにしか見えんぜ」  勇者が肩を竦めるのが見えた。  多分、その顔は何がしかで歪んでいるのだろう。  ──ああ。それにしても苦しいな。  その時ヘイ=ストはそんな事を考えていた。  /    人の足で凡そ半日程歩き続けても行ける距離と言うのはたかが知れている。  別に示し合わせた訳でもあるまいが、そうなれば当然寝床、と言うのも自然と定まろうと言うものである。  詰まるところ地平線の下へと太陽が沈み、夜の帳がこの地にも又、訪れていたのだった。  少年を除けば睡眠も食事も必要無さそうに見える連中であるが、意外な事に彼らもそれらを必要とする。  或いは人間の形をしているからこそ、そうであるのかもしれない。 「相変わらず不味いパンだ」 「然」  と、口々に率直な感想を述べているのは勇者と金色鎧である。  彼らが口にしているのは、ヘイ=ストが生成したパン──マナと呼ばれる──である。  まぁ、それも仕方があるまい。周囲の諸要素から食物を作るだけに、その味は環境によって激変するのだ。  ものの見事に味気もへったくれも無いパンであった。  世の敬虔な聖職者諸氏が目にすれば激怒するか、悲嘆に暮れるか、はたまた卒倒するのでは無いかと言う光景ではあるが、 それを咎めるような人間はここには一人もいない。  敢えて文句を言い得る人間を挙げるとすれば、召使か従者よろしく黙々と世話を焼くヘイ=ストであろうが、 まさか彼は文句など言えまい。  そんな様子を少し離れた場所から見ているのは黒服の男、ロボ=ジェヴォーダンであった。  先刻はヘイ=ストの存在意義に疑問を呈した彼であったが、その理由について一人納得していた。  彼の見るところ、勇者と黄金鎧の自活能力は最後に見た時点と変わらずゼロである。  ピリついていたせいで失念していたが、あれではこの土地で二人旅などと言うわけにも行くまい。  成程、いわゆる少年従者と言う奴だ。勇者に騎士様と来ればお似合いだな、などと考える。  そのお陰で暇の一つでもできれば彼としては万々歳なのである。  一方の彼は、と言うとその辺で捕まえてきた小動物を火に掛けて齧りつつ、沸かした湯を啜っている。  こう言うと聞こえは良いが、要するにネズミやら蛙の丸焼きであった。  救いと言えば湯に出がらしの茶を突っ込んでいる事ぐらいか。匂い消し程度にはなるという物だ。  焚き火の赤は酷く目立つが、遭遇してしまえばやる事はさして変わらない。  見つかっても問題は無かろう、と判断しているのであった。 「……」  食事を終えると、そこらから拾ってきた棒っきれで焚き火の中を弄くり回しつつ、 彼は今現在の状況と目的と目標とを頭の中で整理し始めていた。  状況は索敵。目的は殲滅。目標は強大。  考えるだに代わり映えのしない事実である。今すぐにとは言わないが、この陣立てであれば遠からず達成されるだろう。  基本的に、彼は様々な意味で裏方周りの人間?である。  故に表立っての出番こそ少ないがこう言った事態には慣れきってしまっていて、それ自体に対して思うところは少ない。    彼にとってむしろ気掛かりなのはどういう星の巡りか今や勇名轟く勇者と再び、図らずも味方として同行している、と言う事である。  かつて黒服は、ガチ=ペドと刃を交えた事がある。  幸いにしてその時は水入りとなったのだが、本気でやり合う等間違っても御免蒙りたいのが本音であった。  だが、それだけに戦力として数えられるなら、頼もしくもある。  決戦などは通り越して、その先の逃げる算段までも考えていたりする。  この辺り、他人様に仕える身と言うのは悲しいもので未来の希望と言うものに過剰な期待を寄せてしまうのが常、と言うものである。 「でだ。何見てんだよ?」  と、今度は振り向かず黒服は言った。  ガチ=ペドは寝入っているし、ロリ=ペドは腰を下ろしたまま不動の姿勢である。 「いえ、邪魔でしたのでね」 「邪魔──ああ。そういう事か」  黒服は少年の挙措をちらりと見て見て納得した。彼が手にしている物は、僅かに濁った水である。  それを、丁度ガチ=ペドらを中心に円を描くようにして撒いている。  さて。感染魔術、と言う魔法の一形態がある。  最も基本的な魔法の式の一つであり、純粋な魔力のみを使って用いる事も多い。  それは 、接触した、と言った意味を持って他者と自己を接続し、魔力を流転させる、と言うプロセスを基本とする。  これは、それを応用した簡易警戒装置、と言った所だろう。  撒いた水は触媒であり、うかつにそれを踏むと……と言う訳だ。  最も、相手が人型をしているとは限らない以上、万全とはとても言い難いのであるが。    とは言えあると無いとでは大違いであり、この辺りは黒服とてもよくよく承知済みの事である。  丁度、彼をよけるように、彼我と内外を区別する境界線を引いていく。 「──」  詠唱。その間も目を一度も合わそうともしない。  黒服は懐から煙草を取り出すと火を付ける。  煙草の煙が、夜闇に筋を描いた。  ヘイ=ストは作業を終えると直ぐに立ち去っていく。 「ガキがガキを連れる、か……」  黒服の男はそう嘯いた。  まぁ、無い話では無いだろう。当人が一体どういう人物なのか、を除けばであるが。  勿論、全てが全てそうであるとは限らないが、在るべきモノが欠けている、と言うのはそれだけで不幸なのだ、と男は思う。  何れにせよ、あの少年の身の上が途轍もなく不幸である事だけは確かであるが、係わり合いも無い話であった。  さて。一方で考えるべき事はごまんとあった。  それは例えば、明日の食料や水といった事であり未だ姿を見せぬ敵の事であった。  fallien.それは、太古に飛来した、とされる強大な異界の魔物である。  昆虫の如きヒエラルキーを有し、巨体と尋常ならざる戦闘能力を有したそいつ等は、かつて世界を滅ぼしかけた、とも考えられた。  時折、ガラスの如き表面を有する特殊な鉱物を採取する遺跡で見つかるその化石の形も、非常識なものばかりである。  黒服などは何とも壊れ易い世界であるな、と揶揄したくもなるが、 危うくそんな所へたった一人で放り込まれる所であったのだからそれも無理も無い意見であった。  そいつらの形態は一つでは、まぁ、無かろう。明確な調査が出来る程にサンプルが無い、と言うのもある。  であるからには最早大量に生息している訳でもあるまい。  出所は酒場の噂話。その証明は空を行く三角錐じみた影。それを追って一路南へ。そして鉢合わせという経緯だ。  まぁ、やはり、楽やら暇やらができる事。それが今現在は最も重要な事である。  中身が子供だろうが女だろうが戦力には代わりが無い。図太いだとか言う奴も居ない。  物思いは続く。とは言っても残念ながら色気など何処にも見当たらないのであるが。  そんな事を考えながら── 「余計なお世話かもしれンが。寝る時にゃ寝た方がいいぞ?」  去っていく少年が居るだろう背後に声を投げた。  二本目の煙草に火をつける。  返事は返らないが、言葉は続ける。 「魔法使いに夜更かしは天敵だろうに」  精神統一、と言うのは魔法使の基本中の基本である。  そんな事を言って見るも全く相手にもされない。実に殺伐としたものだ。  余りにも余りであるし、つい、言葉を続けてしまう。  言葉は返らない。 「アレだぞ。集中力を欠いた状態で魔法を使うと、恐ろしい副作用が出るって聞いてる。  例えば、火ぃ起こそうとして制御しくじった挙句、手前ぇを焼いちまったりとかな。  ここはただでさえヤバイんだ。お前も勇者(あんな奴)のツレなんざしてるからには重々承知だとは思うが」  以前のリアン高原にも比するだろう。  最も、危険度で語るならば、勇者なんてバケモノが行く場所なんて何処も似たり寄ったりだ。  と、言うよりも勇者がそれを運んでくる、と言っても間違いではないかもしれない。  発想の転換である。勇者ある所に又災厄も在り、であった。 「フォーリアンとか言う連中の事も碌に解かっちゃいないしな。まあ、こんな状況だ。  頭の狂い切った、そうじゃなけりゃ人間なんざ何とも思わないバケモノだろうさ」  周りの瓦礫を眺めながら幾つも幾つも、お前などお前など、とか言う言葉を繰り返す。  間違いでは無かろう。事実として、少年は完全に戦力外であったし、 今ここで問題とされるべきは勇者の公式、つまりはどうやって魔物を殺すか、それだけである。  飽きもせずボロクソにあげつらってるだけあって返事はこれっぽっちも帰ってこない。  そもそも、そこに未だ留まっているかどうかさえ定かでは無いけれども何とはなしに続けている。  気まぐれの類、とでも言うべきか。  退屈も極度に至ると無意味と解かってはいても、何がしかをやりたくなるものだ。 「犬っコロ、でいいですかね、おじさん?」  と、大人を舐め切った口調で少年は言った。  男が振り向くと、笑い顔のヘイ=ストが立っていた。  ヒュウ、とロボが口笛を吹く。これで少しはからかい甲斐と言うものが出てきたと言うものではある。  狼は、戯れに羊の群れを殺すと言う。実に名は体をあらわす、であった。 「ほぅ。ただの根暗かと思ってたらいい顔するじゃねぇか」  からかい半分の暇つぶし、と言う事に気づいているのだろう。  それである、と言うのに態々ヘイ=ストを選ぶと言う辺り、性根の悪さがにじんでいる。  ヘイ=ストは笑みを崩さず切り返す。 「畜生風情が言葉を操るならもう少し丁寧なやり方を学んだらどうです?」 「性分でな。今更どうにもなんねぇ」 「それはそれは。思わず躾けてやりたくなりそうですよ」 「むしろ手前ぇは自分の脳みその事考えるべきだろな。多分、スでも入ってるぜ?それぐれぇものの言い方を知らん」 「はぁ。随分と自意識過剰なようで……あれですね、ぶっちゃけ、居ても居なくても良い人の台詞とも思えません」  二人してははは、と笑う。ヘイ=ストの指が持ちあがり、ロボ=ジェヴォーダンは目の前の焚き火に一足で土をかけた。  キィ、と。子供のまま土に殺されたサラマンダが悲しげな声を上げる。  勿論、遠慮なしの攻撃魔法であった。 「本当、ガキの割りにはいい性格してるな。思わず殺したくなってくる」 「それは困りましたね……勇者殿はあれで好き嫌いが激しい。畜生の食べる餌なんて口にする気にもなれないでしょうから」  だから、私が必要なのだ、と少年は言った。   それで会話は途切れてしまった。弄ぶにしても面白くも無い手合いだと気づいたせいか。  不動の姿勢をとり続けていたロリ=ペドがふと呟く。 「龍尊黙沈」  /  十三日戦争、と呼ばれる戦争があった。  『それ』が起こった理由は何の事は無い。  ただただ、力を得た者達が、力を求めて争っただけ、と言う余りにも無為な争い。  最初にそれを口にしたのは『勇者』に仕えた戦士であった。  『あなたの為の国を。我々の為の国を』と。  そう。それは理想であり願いだった。  無理も無かろう。幾つもの敵を、勇者は滅ぼした。  だが、それでも救われない者は居た。  路傍で果てる幼子は居た。  それを助けよう、と願う事は、間違いではなかったのだろう。  一言で言おう。そんな物は、胸の内に秘めたまま朽ち果てれば良かったと言うのに。  しかしながら、彼らはそれを願った。まるで、御伽噺のように、である。  それを知る者は、笑う。観測者と、愚者はそれを笑う。  願うべきでない願いがある。祈るべきでない祈りがある。  彼らは、それを求めてしまった。  だが、履き違えた理想は届かない。  月を追い。星を目指し。地の果てまで走り続け、それに至るとも。  彼は所詮は例外であり、その肩に背負うには、未だ人類と言う意味は重すぎた。  ヘラクレスは、幾ら足掻こうとも世界を支えるアトラスにはなれない。  風が。風が吹いて、耳の奥でむなしいメロディを奏でていた。  理想など、捨ててしまえば良かったと言うのに。  争いが起きた。争いが起きた。争いが起きた。  皇国が。王国連合が。西国が。  勇者を『魔王』と呼び、その国を攻めた。  二十四時の魔法使い達が。十二時の聖騎士達が。  生まれたばかりのその国を滅ぼした。  ──二人の幼子が居る。  一人は少年で。一人は少女だった。  火の手の上がる城の奥深くで。互いに抱き合って震えている。  何故、こんな事になったのか。  どうして、こんな目にあっているのか。  その答えは、彼らには決して与えられまい。  その代わり、都合三組の目が彼らを無機質に見下ろしていた。  金と、黒。そして灰色。  そのどれもが、嫌味な程強壮極まりない存在だと知れて少年は何故彼らが、自分達を『勇者』を助けないのか、と疑問に思ったものだ。  助けないのが、当たり前であると言うのに。  勇者は誰かを助けるだけで、誰にも助けられる事など無いと言うのに。  何故助けてくれないのか。彼はそう、救いを求めていた。 『喜べ、少年。そなたの願いは叶う』  アトラスが嗤う。人を背負う愚かなヘラクレスを嗤う。   『選ぶが良い、伴侶を。最早そなたは勇者となった。己が進むべき道を決めるが良い』  嗤い、余りにも過酷なその選択を突きつけた。  世界は何も知らぬ少年に勇者と言う呪いを与えたのだった。  ──そんな、厭な夢を見た。  随分と昔の、思い出したくも無い夢だ。  魘されては居なかったろう。そもそも、そんな弱さなど当の昔に枯れ果てた。  太い腕。鍛えれば鍛える程、殺せば殺す程に強くなると定められたこの体。  誰をも救う事の出来ない、この役目。  自覚した余りに無力で孤独な自分を埋めようとするように。  殺して、殺して、殺して、殺して、殺した。  偶像と化した、を道連れにして。  今でも時々思う。  俺は、今も悪夢の中に居て。目を閉じて、又開けば醒めるんじゃないか、と。  だが、この悪夢は未だ醒めない。    /  さて。  以外に思われる向きもあるかも知れないが、人一人を刃物で解体するのは結構な手間が掛かる。  筋やら骨やらをまかり間違って強引に切り裂けば、刃なんぞ案外簡単に欠けてしまうものだ。  人でない、つまりは魔物などと総称される存在に対しては尚更であろう。  一般的に、魔物が多い地域では鈍器や斧、と言った頑丈な獲物が好まれるのはこの為である。  何匹切り倒そうが刃毀れ一つ無い業物というのも無いでは無いが、凡そ一介の冒険者や傭兵が持てるようなものでもない。  実際、ロボの持つ刀には幾つか刃毀れが出来ていた。 「……」  マントと帽子を脱ぎ、得体の知れない生き物をじっくり解体しながら、それを凝視している。  足と蝕腕を全て切り落とされ毒で動きを封じられ、それでもなお身悶えを繰り返すそいつは実に恐ろしい生命力と言う他無かろうが、 今現在で言うならば、それは余り関係が無い。  その生物は、『兵卒級』のフォーリアンである。  一言で言えば幾つもの足と、武器としか思えぬ蝕腕を持つ異形の怪物であった。  黒服の男はつい先刻捕獲してきたばかりのソレを、生け作り宜しく一心不乱に切り刻んだり、いじり回したりしている。  勿論食べる為ではない。身体の構造を調べつくす為である。  木の幹の如き体躯の末端にある大きな口からは、引っ切り無しに耳を覆いたくなるような叫びが発せられている。  筋肉の構造。内臓の位置。皮膚の硬さ。体の各部位の繋がり、etr。  ナイフで突き刺し、切り裂き反応を見れば見た事の無いような臓器だろうと、その反応で重要さぐらいはわかる。  そして幾ら未知だ、とは言え相手の体が多少なりと理解できればその刻み方と言うのもおのずと理解できると言うものだ。  1.6mの体躯の何処にこれだけの血があったのか。辺りは既に、汚らわしい血にまみれていた。  ビクビクと痙攣している化け物を尻目に、ナイフや衣服に付いた血を清めると、帽子にマントを身に纏う。    少し、眩暈がした。酷い匂いの血のせいかも知れない。  辺りに目をやるが、当然のごとく誰もおらず、あるものと言えば瓦礫ばかりであった。  勇者一行は、死にかけた化け物に構う彼に構わず、何かに引き寄せられるように行ってしまった。  まぁ。これは、残党征伐であり、主な役目と言えば探索である。  ヘイ=ストを連れている以上、そう遠くに行っているとは彼には思えない。  その足跡でも追う事にしよう、と男は歩き出す。そうした方が一人で当て所無く荒野を行くよりは堅実であるように思えたからだ。  強い風が吹いている。一瞬、忘れたフリをして逃げ帰ろうか、とも思う。  愚痴に思考の半分を使う。足を動かしていると、男の思考のもう半分は近い記憶に考えが及び始めていた。  彼がここに来る事となった理由は相変わらず一つ──つまり、彼の主たる灰鱗の王、つまり永久き灰色の神託に従って、であった。  曰く、『南に在る異界の魔物を背から刺せ』である。  勇者や聖騎士とニアミスする事などしょっちゅうであり、出来る事ならば無視を決め込みたいものだが、 彼の首輪は完全に件に握られており、逆らおうものなら何をされるか知れたものではない。  そのお陰ですっかり神様という奴が嫌いになったロボ=ジェヴォーダンではあるが、毎度の知らせがそんなだけであるが故に、 勇者や黄金の聖騎士などとは違い、割と頻繁に街へと立ち寄る必要があった。  思い出す。  そして彼がハヤテに乗った行商に道を尋ねて──そう言えば、その時何やら鈍そう、かつ馬鹿でかい斧を担いだ娘を見た気がする。 直後、ハヤテに甘噛みされて悲鳴上げてたあれは、明らかに武器に振り回されてるのだろうなとも思ったが関係の無い話── 兎に角、幻豚騎士団で有名な商業国の辺境の街に辿り着いたのだった。  今、彼が居る荒野からは北西に四日ほどの場所だったはずだ。  名は、何と言ったか。確か、『ダスティン(ゴミ箱)』だったような気がした。  この廃棄された荒野の淵にあるのだから、それなりにぴったりな名前である。  そこで持ち運んでいたミスリル塊を貨幣に換え、薬に保存食を買ってから、賑やかそうな酒場へ足を運んだ。  黒尽くめと言う、気温も高いこの地方では奇怪な格好の男の入店に胡乱な顔をした者が居ないでは無かったが、 特に後ろめたい事がまだ無い以上は、得に声を掛ける様な者も居なかった。  見れば、何人かの武装した男女──冒険者か、傭兵と見える姿があった。  少し考え、それから食事の注文がてらに店主に尋ねると、『ああ、あいつらなら』。  出されたベイクドソーセージを齧る。『見ての通りですよ。東国ほどじゃ無くともここらは『焼野』が近いせいで魔物が多いんでさ』。  成程。食うには困らない、と言うわけであった。焼野、とは彼が今いる場所である。  耳を傾けていると、彼らが口々に何やら話しているのが聞こえる。  それは凡そ冗談やら雑談やらの類であったが、少しばかり気になる単語が耳に入ってきた。  『最近、空を妙なのが飛んでた、って噂が多い』。『近くの村で、一夜にして人が居なくなったらしいけど、そいつらの仕業かな』。  それで、男は一気にソーセージを食い切り、勘定を済ませると席を立って彼らのテーブルに足を運び、声をかける。  『ちょっといいか?』  黒服に驚いたのは、話し込んでいた青年達だ。その様子に黒服は気安げに手を振って言葉を続ける。  『そう身構えなさんな。俺もお前さん方と同じで冒険者って奴だ』  言いつつも視線の端で目の前の連中を値踏みする。  男が二人。女が一人。多分パーティだろう。年は若い。僅かに才気走った色はあるが、気にする程でもあるまい。  警戒の色は消えていない。黒服の男は椅子を引っ張って来て座ると、遠慮も無く腰を下ろす。  心づけ、とばかりに人数分の酒の注文を店主に飛ばした。勿論、オゴリである。  傍若無人を詫びると、遠慮なく飲んでくれと言って、真っ先に自らエールの杯を傾けた。    暫し冒険者の夕べが続く。多少の具体的内容を交えようと思う。  青年とも少年とも思えるのが二人。未だ少女の面影を残す者が一人。これは前述である。  聞けば、彼らは王国連合から流れて来たのだと言う。  と、言うのもその場所では今現在冒険者の数が多すぎて、とても競争していては食ってはいけないらしい。  青年の内一人に言わせれば、彼らはそういう大規模な空気が気に入らないんだそうだが、その隣では 少女が『単に棒にも端にも引っかからなかっただけじゃない』、などと言い、その上青年のもう一人は、 『ニ=イトが呼んでるぞー?』などと口走っているのだから形無しである。  腹を抱えてそりゃいいやと大笑いしているロボ=ジェヴォーダンにその青年が、 『そう言うアンタは何なんだぁぁぁっ!!』と、腰をピストンしながら絶叫。  完全に酔っ払っている事をじかに確認して、黒服は『腕の良い冒険者ってな何処でも必要だからな!』などと、 更におちょくる事を決定する。半分本当で、半分が嘘である。  熱意に溢れる年若い冒険者は『確かにそれは凄いと思います!だけど、僕の胸には夢とロマンが溢れているんです!!』と喚き出す。  仲良き事は良き事哉。一方の娘は色気より食い気であった。  酔漢共の世界はぐるぐると大回転していく。月の王も形無しであった。  さて。  喚き散らした後、さんざラムを一気飲みしたせいで、ぎっくり腰を友達に吐瀉物の海に沈んだ男を娘が介抱し始めた頃。   男は『少し聞きたい事がある』、と改めて、もう一人の青年に硬い声で尋ねた。  彼は余り酒を口にしては居なかった。何でしょう、と返事が返るのを聞いて言葉を続けた。  娘が重い足取りで、潰れた青年に肩を貸しつつ上階の客室へと運んでいくのが見える。  青年が鼻息を吐いて、『済みません。随分奢って貰いました』と言った。  『いや、そりゃいいんだ』と言い、『兎も角、ここらで村から人が消えた、とか言ってたよな。その話を聞かせちゃくれないか?』 と続けた。  『最初から言えば良いのに随分な出費を……』と、言った青年に少々気まずそうに黒服は頬を掻いた。  『俺達が聞いてるのも噂話の域を出ませんが』  青年は一呼吸置いてから、言葉を続ける。  『少し前に、ここの近くの村が丸ごとやられました。幻豚騎士団からの派遣組も着てましたね。  何がやったかはさっぱり出てませんが恐らく──』  『得体の知れん魔物の仕業、か?』  『俺はそうだと睨んでます。野盗の類にしては状況的に変なんで。  いや、この前、一人で見に行ったんですけどね。騎士団が封鎖してて入れませんでしたけど、 あの惨状は一山幾らの雑魚が出来ることじゃ無い、とだけは賭けてもいいです。  何せ、石作りの家が幾つも土台から根こそぎだったそうでしたからね』  ふむ、と黒服の男が髭を擦った。  『でも、そんな事聞いてどうするんです? これだけの被害が出れば正規の騎士団も動きますし、 俺達みたいなのには手出し無用じゃないですか』  『ん。確かにそうだな。が、情報収集ってな重要だからな。まだ、何か他にないか?』  青年は染みでも探すみたいに天井を見上げ、考え始める。  『幻豚騎士団の知り合いが居たんで尋ねてみたんですけどね……正体までは下っ端に知らされて無いって。  どうにも物騒って言うか、正直、もうちょっと北の方に行こうかとも思ってます』  『賢明な選択だぜ』  『そりゃどうも』  『でもよ。そこまでとなると、下手人は龍か何かか?』  『俺が知ってるのはそこまでですよ。ものの話によると、焼野の方に飛んでく影を見た奴もいるみたいですが』  俺も見たよ、とは黒服の男は言わない。その代わり、心中深い深いため息を付いた。  今回の旅も、酷く過酷になりそうだったからだ。  出来る事ならば、彼とて幸せに、しかし退屈に暮らしたいのであるが。  『そう言えば』、と言う青年の言葉で男は目を覚ました。  『その時、凄い鎧を着た奴を見たなぁ』。独り言みたいにそう言った青年に、男は目を剥いた。  驚いた青年に『あ、ああ。ちょっとそいつの顔知ってるんだよ』と曖昧な答えを返したものの、気分は全く優れない。  酷く嫌な予感がしていたからだ。男のそんな予感は、予知めいた確実さで大抵的中するのだった。  思えば、この瞬間から今に至るのは必然であったのかもしれない。  恐らく騎士団も事態を黙殺し、そいつ等に任せるに違いなかった。  そして、現在に至る。   黒服の男はひたすら続く瓦礫の国を、点々と転がる兵卒フォーリアンの死体を目印に歩いている。  照りつける太陽が酷く暑い。 「全く、何が顔見知りだ、っての」    実際の所、ロボ=ジェヴォーダンはロリ=ペドに会ったのはこれで二回目でしかない。  その実力が噂に違わないモノだと知ったのは今回が初めてだった。  ぼやいている所からも見て取れるが、彼は勇者とその一行が極めて苦手である。    いや、生きとし生ける尋常な生物であれば、好き好んで関わりあいたいと思う者はおるまい。  何故なら、彼らとの間には余りにも大きな壁がある上に、ガチ=ペド達自身にしてもそれを取り払う努力など皆無であるからだ。  意思の疎通も、相互理解も不可能な間柄の者達と共に居て愉快と思う人間は少なかろう。  彼らはたった一人で孤独に、好き勝手に生きるのだ。  それは別としても男は勇者ガチ=ペドと言う人種が大の苦手であり、そして嫌ってもいた。  元々好き嫌いの差が激しい性質ではあるが、ここまで決して相容れないと思う相手は彼ぐらいであろう。  人間の関係とは不思議なもので、相手を嫌えば相手もまた嫌った人間を嫌うものである。  不倶戴天の敵同士、と言う訳では無いにしろ、こんな状況でもなければ顔も見たくは無い。  が、今彼が辿っているのは紛れも無く勇者の歩いた道である。  どれだけ強大だろうが、ただの腕力で無理やり真っ二つにされていたり、体の一部が不自然に消え去った死体であったり、 逃げようとした所を後ろから無数の剣で針山にされたと思しき死体であった。  こんな異常な残骸を残せる連中は、世界広しと言えども勇者達ぐらいしかおるまい。  黒服自身、数百年の長きを生きながらえてきたのではあるが、戦いの後には大抵はもう少しマトモな死骸が残されるものだ。 「このままだとあいつらの手柄になるだろなぁ」  独り言。それも良かろう。  どこぞの巡礼者か天啓を受けたキチガイ宜しくうろつき回った自分自身が間抜けではあるが十分に我慢の範囲内であった。  人間、寿命の概念が無くなれば、自然と気も長くなると言うものだ。  丁度、きっかり半日前の事を彼は思い出す。  今が真昼であるから、朝方夜明け近くの出来事だ。  瓦礫の山。廃墟の群れ。  そんな場所の夜明け、と言うのは人が生きるべき世界では無いだけに、一種異様な暁を迎える。  冷えた空気。冷えた空気。その癖、まるで黄昏のような血色の光が辺りを染めていた。  その時、黒服の男が真っ先に目を覚ましたのは、蛇のような奇妙な気配を感じたからだ。  ロボ=ジェヴォーダンは、凡そ生き残る事にかけては決して人後に位置する事は無い男であり、 彼自身、あらゆるしがらみを度外視したならば、例え魔同盟の王宮の底で虜になろうが生還する自信があった。  その男の危機感が、感じた気配に一気に意識を覚醒させた。  その目で見ては居ないが、勇者達も気づいたに違いない。  弾かれた様に飛び起き、一息に剣をすらり抜くと退きながら背後を振り返る。  そこに、そいつらは居た。  『ひゃは、こいつは面白い奴らじゃねぇか!』、とガチ=ペドが哄笑を上げるのが聞こえる。  そいつらは、黒服の男をして並ぶものが無い、と言わしめる程出鱈目な連中であった。  狂人がデザインした巨大ナメクジに、吸盤を持った足と大口、無造作に図太く長い蝕腕を一つくっつければその生き物になるだろうか。  サイズは小柄な青年男性程もある。それが、一体何処に潜んでいたのかゾロゾロと物陰から這い出してくる。  そいつらが何をしたいかは言うまでも無かろう。  見つけた生き物をバラバラにしてみたいのだ。  『ゴキブリみたいですねぇ』、と場違いな程のんびりとヘイ=ストが言った。  その意見には黒服とて同意するが、返事を返した所で埒もあかないだろう。  薙ぎ払われた鏃みたいな先端が着いた蝕腕を横手目掛けて潜り避けつつ、残した刀で引き切り、返す刀で撫で切った。  上段下段袈裟に払いに突きに返し。剣閃百般翻り、しかしながら様子見や牽制のそれらは浅く裂くばかり。  恐ろしく硬い手応えに、彼は思わず『永久き灰色!!永久き灰色!!』などと、古事にあやかり祈りの叫びを上げたくなったが止めておく。  どの道、今の状況では彼の主が助けてくれる事など全く期待できないのだ。  足は決して止めない。敵の数が多すぎるからである。  狙うは針の穴の如き隙と──唇を歪めた。笑みの形だ。  そして。 『幾ら勇者サマとは言え、獲物がねーと様にならねぇよなぁ』  ぎゅるん、と。一瞬空中に銀色の真円を描いた二振りのザ・ブレイドの柄をはっしと両の手でガチ=ペドが捕まえた。  金色の炎を吹き上げる湾曲剣(シミター)と、白く輝くロングソードであった。  血色の暁が、裂ける様なガチ=ペドの笑みを殊更残虐なものにしていた。  勇者の口が、魔物の死刑執行礼状を読み上げる。   『ヒャハハハハハハハ、糞共、纏めて打ち殺されちめぇ!!』  宙でトンボを切りつつ、黒服の男が兵卒フォーリアンの、人間で言えば眉間に当たる部分に刀の切っ先を着地と共に叩き付ける。  半ばまで沈んだ刃を一呼吸で抜き取ると、化け物の背を蹴って真上から振り下ろされた蝕腕の一撃を避け── 男に突き刺されていたフォーリアンは同種の一撃で倒れた──実に恐るべき事に、 ロボ=ジェヴォーダンは木の葉か何かのように蝕腕に着地し、あまつさえ綱渡り宜しくその上を走り出した。  が、そんな黒服の男の技量とてガチ=ペドの力には決して勝ち得まい。  その男は、正に嵐であり鉄槌であった。十を優に超える──その一つ一つがプレートアーマーさえも貫く暴力の塊が 津波のように押し寄せているにも関わらず──それを視認し、圧倒的な腕力で悉く粉砕した。  黒服の男とても、この状況ではまず撤退を試みるに違いないと言うのに。  文字通りである。  押し寄せた津波は、ガチ=ペドへと届く前にその半ばから先が空中へと刎ね飛んだ。  津波は鼻を突く血液の濁流へとあっと言う間に変わる。  悪鬼であった。群れ目掛けて突き進む。その後ろには、背中を守るかの如くに黄金の騎士が続いていた。  騎士が、何事か口ずさんだ。  喚んだ、のであった。軍勢を、である。  それは刃だ。暁に照らされ、林立する刃が声無き声を唱和させる。  ツーハンドソードが動きを止めた兵卒フォーリアンの首を刎ねた。  長槍が数匹纏めて串刺しにし、幅広の大斧が胴体を脊椎と思しき機関諸共、二つに分断する。  レイピアが手槍が群れを成して蜂の巣を作っていった。    ロリ=ペドも又、黄金の大剣を抜かずに払った。  その太刀筋は、兎にも角にも真っ直ぐであった。  真っ直ぐであったけれども、それは一切合財の反論を許さず、兵卒共を分断していく。  釣瓶打ちに乱射される剣が逃げ出そうとした者さえ許さず掃討していく。  矢張り、と言うべきか。  黒服の男が予想していた通り、それは戦いと言うよりは虐殺か、さもなければ処分であった。  それから、殺戮は一時間ほども続いた。  これ以上解かりきった事を記すまでも無かろう。  息を一つ吐き出して、黒服の男は記憶の引き出しを閉じる。  道程は未だ遠いのだ。  世界中を巡る下働き、と言うよりもむしろ奴隷は、かくも過酷な職業であった。  そんな折、かれはふと顔を上げ、無数の名剣魔剣の類で瓦礫に貼り付けにされたフォーリアンの姿を見つけた。  その瓦礫には、見慣れた汚らしい血液で、何やら文字が書き付けてあった。  曰く、『戦力不足。故望来』  それは、あの黄金の騎士の手による物に違いなかった。  /  少年が勇者と出会う前の話である。  この時間、少年がまだ少年であるからには余り意味の無い話であるが、どうか語る事をお許し願いたい。    寒々しいその教会は、有り体に言えば廃墟のように見えた。  揃えられた信徒席は酷く古ぼけ汚れ壊れているし、玄関口の扉からして傾いているのだから言い訳のしようも無い、と言うものだ。  そこが、少年のかつての住まいであった。  一昔前の貧しい寒村では、比較的良く見られた光景である。  神父はおらず、形ばかりにシスターが一人。一年程前までは神父も居たが、彼が死んで以来、この有様だ。  村人達は、冬に餓死者が出る度に彼女を頼った。  形ばかりとは言え、死者に弔いは必要であったからだ。  そして、彼女は又、少年の姉と母の役もかっていた。  と、言うのも彼らは共に教会の孤児であり、幼い頃から姉弟同然であったのだ。  ──少年が最初に気づいたのは何時だったろうか。  ベッドに彼女が現れなくなった日かも知れない。  何時かの食卓で彼女がこけた頬をして、疲れたような笑みを浮かべていた時かもしれない。  或いは。  ランタンの薄い光が、朽ちかけた聖堂の中を照らしている。  蝋燭一本分程の、僅かな明かりだった。  女の喘ぎが聞こえる。男の荒い息が聞こえる。  聞いているのは、少年だ。呆然の体で。扉の影からそれを。  じっと、見ている。    だが。  その女を、この世の誰がなじれるだろうか?  彼女が仕えていた神の教義に曰く、不貞は罪であると言う。聖職のそれは尚更に。  神様も無茶を言ったものである。  そんな言葉で、一体どうして飢えが癒されるだろうか。  一体どうして、真に苦しむ者が救われるだろうか。  本当に必要なものは、在り難い言葉などではなく今日を生き延びる為のパンであり、水であり、銅貨であった。  生き延びなければならないのだ。  少年は、シスターに間違ってもそれを問いかける事は無かった。  彼は彼女に心の底から感謝していたからだ。  今でもそれは変わるまい。  一言で言えば、彼の不幸はそのような境遇に生まれた事そのものであり、彼の幸運は女のような人間を持った事であった。  そのような境遇に生まれさえしなければ、かくも苦しむ事も無かったろう。  そして、女のような人間が居なければ、とっくの昔に死んでしまっていたに違いない。  最も、それが覆るのも又、時間の問題と言えば確かにそうであった。  さて。  話は変わるが、一般には梅毒と言う名前で知られる病は、幾つかの段階に症状が分かれている。  最初は僅かな変調を体にきたすのみである。続いて全身に発疹が生じ、やがて世にも醜い腫瘍が体のあちこちに生じる。  そして、最後には気を違えて死んでしまうのだ。  女は、その病を患った。  未だ完治の業は知られず、その貧しい村に医者、などと言った人物もいる筈も無く。  不幸、と言うのは重なるもので、それは女の生業が主な原因であった。  以下、少々の行を裂き、事実のみを記す。  女は結局、狂い果てて死んだ。そして、彼女が残した物、と言えば少年のほかは寒村に蔓延る疫病のみであった。  人の口に戸は立てられないもので、その後で少年がどのような扱いを受けたのかは語るまでも無かろう。  多くの噂が立ち上り、直接の相手を失った有形無形の悪意の数々は大抵、少年の元へと降り注いだ。  どちらにしろ、働き手の多くを失ったその寒村が遠からず死に絶える事だけは、夜の後に朝が訪れる程確実であったろうが。  そんな折である。  辺境の土地柄には、良きにつけ悪きにつけ人と魔物との距離が近い。  悪い事には、その村はただでさえ過酷な北方にあった。  その自然は、勿論ながら万物に平等である。  森に潜む雪トロールの群れがじっと、その村を見ていたのだった。  彼らは人間には確かに知能で劣る。  劣るが、その村の状況を見定められない程ではあるまい。  自然の摂理は、弱肉強食がごく当然の事。  よって少しばかり、村落の滅亡は早まる事となった。    少年が、聖堂の中の自らの狭い部屋に閉じこもってガタガタと震えていた。  恐ろしいのだ。  不幸にも、その日は冬にしては珍しく良く晴れた日だった。  だから、空気に乗って。風に乗ってメロディが聞こえてくる。  それは例えば、『助けて助けて』と叫ぶ声で。  『痛いぃぃ痛い』と言う悲鳴で。  棍棒が斧が。木で出来た粗末な家々の戸を叩き壊す音で。  咀嚼する音であったり、引きずり出す音であったり。  耳を塞ぐが、手のひらを突き抜けて拍動する心臓がその音楽を拾い上げる。    そう。少年には、その声が訳もわからず恐ろしいのだった!  彼は、彼のような境遇に置かれた人間によくあるように、実に正当な理由でもって村人達を憎んでいたと言うのにだ。  それは何故なのか。実に解かり易い理由だ。  憎しみを晴らすべき復讐は彼自身の手によって成し遂げられなければならないのであり、 それは極々ありきたりの、そうであるからこそ実に腹立たしい理不尽や偶然によって成し遂げられてはならないのだ。  そして何より、その事を成し遂げる為に彼は殺されたくなかったからだ。  憎悪と恐怖と怒りとに塗れ、それらがぐるぐるねばねばと掻き混ぜられているだろう少年の顔は、笑っていた。  笑みの形に似た、何か別の表情を作っていた。  楽になろうとか、外に出て戦おうとか、そう言う意思は微塵も無かった。  ただただ、己の内で荒れ狂う意思を。  ──瞬間、少年の内界が。  まるで卵の殻の様に呆気なく割り開かれた。  事実もまた、その通りに。  粉砕された聖堂、その瓦礫を踏みしめて。  勇者が──ガチ=ペドがそこに立っていた。  驚いたように目を見開いている少年に、彼は言葉一つかける事も無い。  少年も、また彼を見てはいたけれども──  その顔は、歓喜に歪んでいた。  そう。歓喜にだ。  理不尽が。恐れていた者が。まるで塵芥の如くに吹き飛ばされ八つ裂きにされていく。  意味も力も生も意思も全てが否定され尽くされて、死滅していく!!  おおよそ世界にこれ以上に喜ばしい光景など他にあろうものかよ!!  だが足らない。ただそれだけでは、全くと言って良いほど足らない。  少年が辺りを見れば。  誰も彼もの目が勇者に釘付けになっていた。  彼にとっては、忌々しくまた見慣れた顔ぶれであった。  トロールの襲撃によって簡単にぐちゃぐちゃの肉片と化した肉親や友人に恋人と言った人間に思いを馳せている者もいない。  彼らが言葉を発する暇などまるで無く、かつ、まるでそんな事は関係も無く、 全くの些事だ、と言いたいかのように、勇者は黄金の鎧を伴に雪トロールの群れを薙ぎ倒していく。  両手でトロールの棍棒を受け止めた騎士がそのまま化け物の胴体を抱えると、ぐるぐると振り回して空高く投げ飛ばす。  素手の勇者の両腕が、剣か槍かの如くに、腸をくり抜きそして真っ二つに分断する。  前者は地面にぶち当たって爆発四散し、後者はトロールよりも尚化け物らしく駆逐作業を行っていく。  だが、その顔は。まるで、何か超常の物で出来ているように(実際に彼らはそういう代物だ!)、視線を引き付けて離そうとしない。  ああ。勇者。勇者。  少年にとってそれは正に、救世主だったに違いない!!  村人達にとっても同じだ。  ただヘイ=ストはそれに嗤い、村人はそれに涙したと言う違いだけがあったに過ぎない。  少年は、瞬時にこの滅びかけた村を捨てて勇者と行動を共にするという選択を選び取っていた。  そこに躊躇などあろうはずも無かった。  胸の内に残るものと言えばどうすれば彼について行けるかと言う打算であり、一抹の憎悪の残滓ばかりである。  群れを殺し尽くすのには、正直に言えば五分も掛からなかったに違いあるまい。  特筆に値する速さであり、凄まじいの一言につきる戦である。(それは又、この村の価値をも明確に示していた)  早くも、勇者が立ち去ろうとしているのが見えた。  だから、彼は彼に哀れっぽい声をすぐに掛けざるを得なかった。  『勇者様』と、それは今からしてみれば吐き気を催させるような媚びた声であった。    つらつらと述べるのでは行けまい。  頭に思い浮かべるのは遥かな昔何度も何度も繰り返し読んだ物語の一場面であり、 繰り返し繰り返し学んだ、たった一冊の魔術書の一説。  その物語に曰く。  勇者は一人の騎士と、もう一人の道連れを得るのだという。  母が息子に、兄が妹や弟に語って聞かせる、誰でも知っているよくある御伽噺だ。  少年は彼らは今、その中に居るのだと自らに言い聞かせる。  思えば、それは彼の前半生で一番の大芝居だったに違いない。  その魔術書に曰く。  己を騙し、他者を騙す術を魔術師は持つのだと言う。    少年が立つ場所は、まるで何か物語の最中のそれのようだった。  瓦礫の中。聖堂の中でおびえていた哀れな子羊が、歩み出て救い主へと感謝の言葉を述べるような。  感謝の言葉を言った気がする。しかし、彼は心中湧き上がる圧倒的な喜悦と充足を押さえ込むのに必死であった。  村人達は、言葉も無い。まるで、聖画を見る犬連れの少年画家の様な目で、少年と勇者を見ている。  ヘイ=ストは勿論彼らのそれが錯覚に過ぎないことを知っていた。  と、言うのは人間の心理とは意外にも単純なもので、一時に受けた余りに大きなショックや長期の激しいストレスは やすやすと頭から冷静な思考やら論理能力を奪っていくものなのである。  飴と鞭とでも言うべきか。  ヘイ=ストが利用したそれは実に単純ではあったが、今この場と言う余りに豪華な舞台の上では 少なくとも村人達に対してはこれ以上無い演出となっていた。  その瞬間──村人達からは見えなかったろうし、見えていたとしても別なように捕らえただろう──勇者が嗤った。  少年の考えている実にちっぽけな思考を見透かしたような、勇者というよりは鬼畜生、悪鬼外道の類の貌を浮かべた。  見透かした上で、かれは少年の申し出に構わない、と答えた。  今更のように、目の前の人物が雪トロルなどとは比較にならない程凄惨極まる化け物なのだと少年は思い直した。  しかし矢張り又、それを見て、理解もした上で少年は『ありがとう』と応じたのだった。  そして少年が、勇者と共に旅立ったのはその翌日であり、死に掛けた寒村は真夜中に、 彼が自ら得手とする魔法の数々で、ねじくれた村人の死体ばかりを残して完膚なきまでに絶滅させられたのであった。    少年ヘイ=ストに関する話は以上であり、 こうして村落の廃墟には萎れない花束と結界を守とする一つの墓ばかりが残されることとなったのである。  next