■ 第八話 Black Gale AND The Past Battle  ■  ――それは、遠い遠い御伽噺。  十五歳になったカイル=F=セイラムにとって、父親とは威厳の象徴だった。昔から厳格な 人間だったが、騎士団に入ってからは余計にそう思うようになった。家の外だろうが内だろう が関係なく父は騎士であり、息子だからといって甘やかすような人間ではなかった。  そのことに対してカイルは特に不満を憶えたことはない。むしろ、リオン高山から時折思い 出したように攻め込んでくる魔物に対して、常に戦闘にたって戦う父の姿は、尊敬の的である と同時に頼もしくもあった。  そう云う意味では、カイル=F=セイラムとは、生まれながらにして騎士であることを決め られ、騎士である以外に道はなく、それがゆえに――《裏切り》と共に死ぬのだろうが、それ はこの時点ではまだ遠い先のことだ。  十五歳のカイルは聖騎士ですらない。それなりに頭角を現してきたものの、ただの有望なた だの一騎士に過ぎないのだ。  だからこそ、経験を積むために――この国へと送られてきた。 「で、どうなんだ」  訓練用の木剣を振いながら、ソィル=L=ジェノバがぽつりと言った。彼もまた、同年代で は頭二つぬきんでている騎士であり、今回カイルと共に修行へと送り込まれてきたのだった。 「どうって、何が」  振り下ろされた木剣を斜めにいなし、手首を返して横に薙ぐ。ソィルは難なく後ろへ退いて それをかわし、踏みこみながらカイルの腕を蹴り上げた。二人とも鎧を着ていないので動きが 速い。それでも息を切らすことなく会話を続けているのはさすがと言うべきなのだろう。  手を狙う足の先を、木剣の尻で受け、 「ユメのことだ」  受けようとした手がソィルの言葉で一瞬止まった。その隙を見流さず、ソィルは爪先をあげ てカイルの木剣を蹴り飛ばす。カイルの右手から木剣が離れ、 「連れてくるわけにはいかないだろ。ユメはまだ五歳だよ」  次の瞬間には、風のように左手に収まっていた。  逆袈裟に振り下ろし、ソィルはそれをどうにか受け止める。カーン、と木のぶつかる良い音 が響いた。 「五歳でも俺達よりしっかりしてる」 「違いないね」  自嘲気味に言うソィルに、カイルは笑って返した。  ユメ――ユメ=U=ユメは、騎士団の秘蔵っ子だ。騎士の家系に生まれ、男として生まれて くるのを望まれていたのにも関わらず、生まれてきた子は女の子だった。ユメ家の人間は深く 沈んだが、数年後その意識は正反対になった。女であるユメが、男よりも練達な騎士であるこ とがわかったからだ。今や五歳にして木剣を振り回す末恐ろしい女の子である。  流石に実戦にこそ出られないので、カイルやソィルと稽古をする日々だ。別名:厄介払いの 子守なのだが、二人は特に気にせずに引き受けている。 「……それも、帰ってからの話だ」  言って、ソィルは右腕につかんだ木剣を振った。その手にも、その顔にも、奇妙な紋様は刻 まれていない。ソィル=L=ジェノバが呪われ、聖騎士を止めるのは、まだ先の話だ。  それと同様に――木剣を受けるカイルも、鎧を着ていない。未来のカイルは、鎧を着ていな ければ魂が消えてしまう、不安定な身体だが――今のカイルは違う。  未来に燃える、若き騎士だ。  かん、かん、かん、かん。木がぶつかる良い音が、晴れた空の下に響く。  ソィルが強く踏みこみ、カイルへと木剣を振り下ろし、 「単剣――巻風!」  その場でくるりと半回転して、木剣で木剣を受け流す。力の方向をずらされて、ソィルの木 剣が斜めに流れ、これがチャンスとばかりにカイルは笑い、 「甘い」  下から跳ね上がったソィルの足が、カイルの鳩尾に突き刺さった。 「が、うあ」  嫌な位置に突き刺さった爪先が、カイルの中の酸素を無理矢理に奪い去る。足から力が抜け て、カイルは地面に跪いた。  息も絶え絶えに、カイルは言う。 「剣術練習じゃ、なかった、のか……」 「実戦練習だ」  あっさりと答えて、ソィルは木剣を地面に突き刺した。勝負はこれで終わり、と言わんばか りの態度だった。 「卑怯だ――」 「言っとけ」  これで今日は五勝四敗だ、と、無表情のまま、それでも少し嬉しそうにソィルは言う。その ソィルを恨みがましい目で見つつ、カイルは木剣を杖代わりにして身を起こした。  空は蒼く、晴れ渡っている。どことなく肌寒く感じるのは、ファーライト王都よりも北東よ りにあるからなのだろう。  ファーライト王国と、東国の間にある小国――クローゼンシール王国。主だった名産物もな く、だからこそ平和であり続けた小国だが、最近になって黒い噂が囁かれていた。  ――市民革命の気配がある、というものだ。  王政を主とする王国連盟からすれば、それは望ましいことでははない。市民革命は、ある意 味では皇国との戦争よりも防ぐべきことだった。そんな理由で、王国連盟に所属するこの小国 に、カイルとソィルは来ていた。王国連盟規約に従った兵士の貸し出しだった。貸す側は兵士 や騎士の訓練のため。貸される側は戦力不足のため。その他色々の利権も絡まりあう、相互協 力だった。  もっとも、実際に『切り札』となるべく人間が送られてくることはない。この場合も、ファ ーライトから送られてきたのは、ソィルやカイルといった、あくまでも若手で有能な騎士だっ た。  とはいえ、若手であることに変わりはない。責任者は大人であり、事件がおきなければやる こともない。暇を持て余した二人は、こうして日中日、たわいのないことを喋りながら延々と 王宮のはずれで剣術訓練をしているのだった。 「東国からも何人か来てるそうだぞ」 「ああ、うん。あれだろ? 東国騎士団の若い騎士団長――」 「ジュバ=リマインダス」 「そう、その人。珍しいよな、騎士団長がくるなんて」 「東国は戦乱国家だからな。常に実力を示さないといけないんだろう」 「そういうものかな――一度会ってみたいけど、会う機会もないか」  はぁ、とカイルはため息。あってみたいような、あってみたくないような、複雑な気分だっ た。ジュバ=リマインダスといえば色々な噂を聞いている。  曰く、龍を片手で投げ飛ばす。  曰く、夜な夜な街を徘徊する。  曰く、女の尻が大好きだ。 「……ろくな噂があんまりない気がするんだけど」 「情報操作かもな」 「いやな情報操作だなあそれ……」  はぁ、と再びため息。騎士団長といえば、品性のあり、人格が優れ、人の上に立つというイ メージがある。そういったものと、噂は真っ向から対立していた。興味半分、恐怖半分という ところだ。 「まあ、そういう人は王宮の奥にいるからさ――会う機会もないだろうけど」 「そうでもないわよ。会おうと思えば、案外あっさりあえるものよ」 「「…………!?」」  カイルでもソィルでもない声が、突然話に割り込んできた。  その存在の唐突さに驚いたのではない。その相手が近づいてきていることを、カイルもソィ ルも気付いていた。驚いたのは――話しかけてきたことだった。  相手は、軽々しく話しかけてくるような身分ではなかったのだから。 「あら。何驚いてるの? わたし変なこと言った?」 「いや――」 「そんなことは、ありませんけど――」  戸惑う二人に、その少女は、笑って手を振った。軽い足取りで庭へと降り立ち、二人の前へ と近づいてくる。  にっこりと、軽い笑いを浮かべて、少女は。 「あ。ひょっとしてかしこまってる? やーね、気にしなくてもいいのよ。オヒメサマって言 っても、こんな小国なんだから」  リストリカ=クローゼンシール王女は、明るい笑顔を浮かべたのだった。  まったくもって、軽い笑いだった。  一国の姫君とは思えないほどの気さくさで、リストリカが笑っている。そこには、自分と同 じくらいの年である、カイルやソィルへの親しみが如実に現れていた。 「しかしクローゼンシール王女――」 「こら」  言いよどむカイルの頭を、リストリカはあっさりとはたいた。予想以上に力がこもっていた のか、訓練の疲れのせいか、カイルは地面に叩きつけられる。  べたんと、変な音がした。 「…………」 「…………」 「大丈夫?」 「……何とか」  立ち上がるのも億劫で、カイルはそのまま地面に座る。ソィルもそれに続き、最後にリスト リカが二人の間に座り込んだ。スカートの丈が短いせいで、カイルとソィルは揃って赤くなっ た顔を逸らした。  灰色の長い髪、スカート丈の短い漆黒のドレス。肩と腋はむき出しになっていて、代わりに 長手袋が二の腕のあたりまで肌を隠している。 「あ、ごめんごめん」  二人の視線に気付いて、リストリカは頭をかいてスカートをばたばたと直した。二人はそれ でも、微妙にそこから視線を避けてしまう。 「言ったでしょ、リストリカでいいって」 「……リストリカさん」 「さん、ね――同じ年だったいうのに。ま、いいけど」  リストリカは肩を竦めてそう言った。騎士二人相手に気後れする様子も、偉ぶる様子もない 。  いつだってこうだった。  カイルとソィルがここに赴任してから一週間、リストリカは、毎日必ず王国連盟から派遣さ れた人間のもとに訪れていた。それは、自分が守られている側だということを自覚した、ある 種の仕事だった。カイルとソイルの元も毎日訪れていたが、近くから訓練をするのをじっと見 ているだけで、話しかけてこなかった。  まさか、こんな風に話しかけてくるとは、カイルもソイルも思っていなかった。 「いや」ソィルが、言葉少なげに口を挟む。「確か、あんたの方が、一つ上だ」 「おいソィル、あんたってお前――」 「いや、別に気にしてないわよ」  ソィルをいさめようとしたカイルを、逆にリストリカ本人が止めた。あんた呼ばわりされて も、気を悪くした様子もない。むしろより一層楽しそうに笑っていた。  歳相応の、少女のように。 「それくらいあっさりしてくれた方が、わたしの方も嬉しいし。どうにも――偉い人たちとい ると、肩が凝るのよね」  肩を竦めて、リストリカはそう言った。カイルは納得できそうになかったが、ソィルはまっ たく気にしていなかった。その辺りに、性格の差異が出てるのだろう。 「リストリカさん――」 「ん? なになに?」  嬉しそうに答えるリストリカに、カイルは問いかける。 「こんなところにいて、いいんですか?」  今、クローゼンシールは市民革命の脅威にさらされている。大きな動きこそはないものの、 緊張を孕んでいるのは確かだ。  市民革命とは、王政を打破することに他ならない。  ならばその目標は――王や、王女であるリストリカへと向けられるはずだ。  いわば、最大の目標である、リストリカ。  命を狙われているかもしれないというのに、リストリカは、怯んだ様子もなかった。  それどころか、満面の笑みを浮かべて。 「大丈夫よ」  リストリカは、あっさりと答えた。 「だって、貴方たちが守ってくれるんでしょう? 若い騎士さんたち――」  その言葉に、カイルは――迷うなく、頷いて。  からかうように笑う、それでいて信頼した眼差しを向けてくれる、この明るい王女を守ろう と、心に誓って――けれど、その誓いは、結局守られることはなく――          †   †   †  そこで、カイルは夢から醒めた。  随分と長く、随分と古い夢だった。もう十年も前の夢だ。死ぬ前。死んで、生き返る前の夢 。あまりにもの懐かしさで涙が出そうだった。  今更こんな夢を見たのは――向かった先が、ファーライト北部領土だったからかもしれない 。領土の端からは、旧クローゼンシール王国の跡が見える。  今は亡き、あの王国の跡が。 「…………」  いやなことを思い出してしまった。  夢を振り払うように頭をかぶり、カイルはようやく目を拭う。  目の前に、ソィルが座っていた。刺青の入った顔が、じっとカイルを見ている。夢の中のソ ィルの面影は、もはや微かにしか残っていなかった。 「……老けたな」  正直にそう云うと、無言で蹴られた。  椅子から仰向けに転げ落ちる。それを助け起こそうともせず、ソィルはぼそりと、 「老けたのは、お互い様だ」 「あっという間に三十路を過ぎるんだろうなあ……」 「いきなり嫌なことを言うな」 「正論だろ」 「俺は正論は嫌いだ」  ソィルはため息を吐き、カイルもため息を吐いた。二重奏が部屋の中に消えていく。  三人目は、いない。  リストリカも、ユメも、ここにはいない。リストリカはいうまでもないが、ユメ=U=ユメ の姿がいないことにカイルは驚く。 「……ユメは?」 「帰った」 「帰ったって――」 「だから、帰った。王都の守護が、あいつの仕事だ」 「それも、そうだよな……あれ、いつ帰ったんだっけ?」 「…………寝惚けてるか?」 「いや、ちょっとまって、思い出すから。お願いだからそんな目で僕を見るなよ」  冷めた目で見てくるソィルから顔を逸らし、カイルはどうにか思い出す。  ――合流地点でユメとソィルと合流して、状況を聞いて、体勢を立て直すために北部領域へ と行った。到着と同時に、疲れが一気に襲ってきて、倒れるように眠った。  言葉にしてしまうと、それだけだ。  それだけが――やたらと疲れた。  ほぼ一日走りとおしだったせいもあるし、行き先を隠すために道なき道を使うしかなかった からだろう。普通の戦いよりも疲れていた。もう一日は、このまま寝て過ごしたい。  北部領土は、保守派だ。長腕のディーンが内乱を狙っているのならば、最大の反抗勢力にな りえるのは北部であり、穏健派の領主に匿ってもらおう――そういう理由で、北部領域まで逃 げ込んできたのだった。領主が受け入れてくれた以上、長くはいられないだろうが、もう少し の間は、ここで休めるはずだ。  追っ手がくるまでは。  事件が――起こるまでは。 「……なあソィル」 「なんだカイル」 「……寝ていいか?」 「勝手にしろ」  ソィルが呟くが、カイルはその声に、彼の温かみを聞き取っていた。狭い部屋の中に彼がず っといるのは――もしも北部領主が反旗を翻した場合、カイルの命を守るためのだと、カイル 自身も気付いていた。  恥かしがり屋な無口な男は、それを言葉に出さない。  長い付き合いで、言葉にしなくても、分かるだけだ。 「ありがとう、ソィル――」  礼を言って、カイルは身体をベッドに投げる。起きたばかりだというのに、睡魔は絶えずに 襲ってくる。枕に顔を埋めるだけで、夢の世界にいきそうになる。  ――きっとまた、夢を見る。  あの日の夢を。十年前の夢を。  助けたい人を助けられなかった夢を、きっと見る――  核心と共に、カイルは眠りにつく。  ――起きたときには、次の戦が待っていることを、カイルはまだ知らない。         †   †   †  ――十年前。  クローゼンシール王国の一室で起こったことを知るものは誰もいない。知り得るのは当事者 だけであり、その当事者も、革命の際に命を落としている。  だから、そこで行われたことを知っているのは。  ――全てを吹き込んだ、魔道師だけだ。 「……これで、アレを使えるんですな?」  魔道師の前に座る男は、声を顰めてそう言った。顰める必要はどこにもない。部屋の中には 男と魔道師の二人しかいないし――王宮の奥であるこの一室へと訪れるものなどいない。人払 いは済ませてある。もしくるとしたら、それは彼らの企みが王国へとばれたときだけだ。  男は、貴族である。  いつの世も変わることのない、自身の保身と、富と、栄誉を求める貴族である。そういう貴 族が消えることはない。彼らが立場を守ろうと努力することによって、国というシステムが支 えられているからだ。もっとも――そのシステムを食いつぶすのもまた、貴族であるのだが。  彼は、その典型的な形だった。  ――ただし。  その魔道師が手を貸した貸したせいで――男の歯車は、狂っていた。本人が気付かぬうちに 、本人すらも気付かぬほどに、男の企みは、逸脱していた。    貴族が、市民革命を起こし、その後に制圧する。その際に、国王とリストリカを殺し――傀 儡政権を創り上げる。  そんな、途方もないことを吹き込んだのが魔道師であり。  それを可能にするだけの力を与えたのも、魔道師だった。 「ええ。それが貴方に与える力です。貴方のための、貴方のために与える力ですよ。それさえ あれば、貴方はきっと、望みをかなえることができるしょう!」  魔道師は楽しそうに、楽しそうに笑う。  年齢も分からない。  正体も分からない。  砂時計を大きくしたような杖を肩にかつぎ、椅子に尊大に腰掛けて、魔道師は笑っている。  にやにやと、にやにやにやと――笑っている。  この国の行末を、嘲うように。  貴族はそれを見ていない。顔を上げることができない。男の異様なる気配に、顔を上げるこ とができない。男の顔を直視してしまえば、男の瞳を見てしまえば、何か取り返しのつかない ことになるような気がしたからだ。  それは――正しい。  魔道師の男は、貴族の命など、どうとも思っていないのだから。  事件が成功することにも失敗することにも興味はない。  彼が興味を持つのは――己の愉悦にのみである。  だから、魔道師はにやにやと笑って。  笑ったまま、手に持った宝玉を、貴族へと差し出す。  市民革命の、引き金を起こせる道具を。  この国を滅ぼすための、手段を。 「……ありがとうございます」  貴族を伏せたままそれを受け取り、逃げるように部屋から抜け出す。本来の部屋の持ち主で ある貴族が逃げる必要はない。  それでも、少しでも早く、この男から離れたかった。  ――自分が仕出かしたことが、恐ろしい。  ――恐ろしい。  ――もう、止められないことが、恐ろしくて仕方がない。  貴族が何をどうしようと、止められない。事態は動き出している。市民の間には革命の気配 が満ちている。もはや、止めようとしても止められないだろう。  だから、できることは――市民革命を成功させるか、失敗させて、国を手に入れるかだ。  どちらにせよ、王は死ぬ。  どちらにせよ、リストリカは、死ぬ。  それは分かっている。  それでも、恐ろしさは拭えない。  それで一体、魔道師は何を得るのか――それを考えると、恐ろしくて、死んでしまいそうに なる。  だから貴族は、それを考えることは、決してしなかった。  たとえ考えたとしても――何の意味も、なかっただろうけれど。 「…………」  貴族がしめていった扉を見たまま、魔道師は、にやにやと、にやにやにやと笑っている。  全ては、彼の思い通りに動いている。  革命の日は近い。  魔道師は――それを見て、楽しむだけだ。  国の滅亡も。  人の死も。  全てを知りながらも、魔道師は笑っている。  十二時の賢者は――大魔道師は、にやにや笑いを、浮かべていた。 ■ 第八話 Black Gale AND The past battle.....END  ■