■ 第八話 SEI'S DISCIPLINE ■  男と女が、遠い距離を挟んで、話をしている。  距離を繋ぐのは水晶球。  仄かな会話は、誰にも聞かれることなく、暗がりの中で進んでいく。 「そちらの方は、どうなりました?」 「『銀月』は無事に手に入りましたわ――アナタの言う通り、団長さんがいなかったから」 「それはよかった」 「失敗するなどと、思ってもいなかったでしょう?」 「…………」  男は沈黙する。  それを肯定と受け取ったのか、女は満足げに続ける。 「アナタは、成功することが分かっていて、私に頼んだのですから」 「それが――俺の戦い方ですよ」 「負けない戦い。勝てる状況を作り出す戦い。そんなアナタの目的は一体何かしら?」 「極々、他愛のないことですよ。いや……他愛しか、ないのかもしれませんね」 「それはそれは、結構なことです。神に仕えるものとしては嬉しい限りですわ」 「神に仕える――ね。貴方が言うと、面白い皮肉だ」  向こう側で、笑う気配。  男も心中で笑う。確かに女は、神に仕えるモノではあったが、それと同時に――悪魔だった 。そして何よりも、女は何者にも仕えるつもりはないことを、男は悟っていた。  ただし、それを口に出すことはしない。  それは伏せ札だ。まだ、切るべき札だはない。 「そう、他愛です。俺の目的は、しいていえば――世界平和ですよ」  韜晦するように男はいい、女はおかしそうに笑う。  女は知らない。  男の言葉が、混じり気のない、本音であることを。  男は――本気で、世界平和を願っている。  そのために最善の手段を、男の信念と心情のもとに、行っているだけだ。 「まあ、どちらであろうとも、私たちからすれば――」 「東国を倒せるのならば、どちらでもいい、と」 「あはは、まさか。そんな大それたことは考えてませんわ。むしろ、あのステキな団長さんに 、一泡吹かせたいといったところですね」 「そうですか。それならそれで、構いませんよ」    男はあっさりと引き下がった。ここで話を長引かせるのは得策ではない。  というよりも。  すでにもう自体は、引き返せないところまで進んでいる。話す段階は、とうに通り過ぎてい るのだ。  もはや男の計画は失敗することはない。  あとは成功するか、より成功するかの違いだけだ。  できることならば。  望む形で、全ての作戦が、進んで欲しいと男は願う。  世界平和のために。 「では『団長』への通信はそちらへお任せします」 「ええ。そちらの手筈が、無事に済むことを祈っていますよ」 「それでは――そういうことで」 「神の救いが――あらんことを」  それを最後に。  挨拶もなく、通信は途絶えた。  男も、女も、最後まで自身の名を名乗らないままに。         †   †   † 「それでは――そういうことで」  そう言って。  男は、長い腕のディーンは通信を終えた。魔力によって遠隔地と繋がっていた球体の光が消 え、鈍い石のように変わってしまった。一度しか使えないのが難点だが、遠く離れたところに いる相手と話せることの便利さはそれを補っても余りがくる。  なにせ相手は、魔の山脈を越えた遥かに向こう、西の果ての国家にいるのだから。 「……狸だな、相手も、俺も」  誰にともなくディーンは呟いて苦笑した。先ほどの会話は、自分で思い出しても笑えてしま うものだった。敵と味方と味方と敵。手を組んでいても決して仲間ではない。手を組んでいた からこそ、仲間にはなりえない。  女は、ディーンにとっては、やがて敵となる存在だ。  あるいは――人類にとって、敵となる存在だ。  その相手と、長い長い手を結んでいる自分自身が、おかしくてたまらなかった。 「まあいい。利害の一致しているうちは、あの女は裏切ることはないさ」  自身に語りかけるようにそう言って、ディーンは笑う。  自信に満ちた笑みを。  本来、『長い腕の』ディーンとは、異常なほどの自信家なのだ。情報の扱い方を知っている からこそ、自身の立ち振る舞いをも『情報』として捉えているからこそ、その面を他人に見せ ないだけで。  自信に、満ちているのだ。  そうでもなければ、実現しようなどと思わない。  世界平和などということを、本気で、考えはしないだろう。考えるだけではない。ディーン は、その成功を疑っていない。  ――俺ならばやれると、本気で、思っているのだ。  とん、とん、と扉がノックされる。ファーライト王宮内にあてられたディーンの仮説部屋に 訪れるものはそういない。ファーライトの人間や貴族は、わざわざ部屋を訪れようとはしない だろう。だから、ここに来るのは、彼が引きつれる『賢龍団』の各番隊長くらいだ。  相手が誰かも確認せずに、ディーンは言う。 「入れ」 「……それじゃあお邪魔するよ」  扉が開き、声と共に入ってきたのは、レイエルン・アテルだった。赤い髪の女戦士。先の偽騎 士襲撃の件でファーライト王宮内は警戒態勢に入っている。その影響を受けてか、レイエルン も街中だというのに完全武装していた。  その姿をディーンは一瞥して、 「どうした。何か問題でも起きたか?」 「問題はないさ。何も、問題は、ない」  言って、レイエルンは大仰に首を振った。赤い髪が左右に揺れる。 「ただ――これからどうするのか、アンタに聞いておこうと思ってさ」 「これから?」  首を傾ぐディーンに向かって、レイエルンは一歩歩み寄る。後ろ手で扉を閉めて、さらにも う一歩近寄った。その様を見ながら、ディーンは机に座り、腕を組む。 「そうさ、これから、アタシたちはどうするンだい?」 「どうするもこうするも――聖騎士を騙る誰かの討伐にいくさ。雇われ者だから、俺たちは」 「……騙る、ね」  ふぅん、とレイエルンは意味深に頷く。頷くだけで、それ以上は何も言わない。  レイエルンは知っている。  あのカイルが、本物の騎士であることを。  そして――本物の騎士だからこそ、偽称の容疑をかけられたことを。  そこにどんな意図が絡まるのか、レイエルンは知らない。自分では知りえないくらいの膨大 な意図が張り巡らされていることくらいには気づいている。  そんなことは、傭兵である自身が気にする必要はないことも。  だから、それについては、それ以上何も言わない。  ただ、心の中で思うだけだ。  あのカイル=F=セイラムと、黄金色の少女に、命を助けられたときのことを。  リアス高原麓での、あの一幕を。 「……ま、それはいいさ。そんなことを聞きにきたんじゃないのさ。アタシが言いたいのは、 居心地が悪いからそろそろ休むのも止めたいってこと」  ばっさりと切り捨てるようなレイエルンの言葉にディーンは楽しそうに笑った。レイエルン のそういう率直なものいいが気に入っているのだろう。 「居心地は、悪いか」 「最悪だね。おかたい騎士さんに囲まれるのはガラじゃないさ」  ハ、とレイエルンは嘲う。  おかたい騎士たち――それは、ファーライトが誇る騎士団の面子だ。ファーライト王宮を守 護する騎士だけではない。ここ数日、偽騎士事件が起こってから、騎士の数は増えつつある。  東西南北の領土から、自然と、集まってきたのだ。有名なところでは、東部領域で東国との 国境線を守っている聖騎士・ユルゲル=ジェイダイトが、つい先日宮殿入りした。  理由は単純な話で、彼らが剣を捧げた国家と、姫君の命が襲われたから。そして、その賊を 取り逃がし――いつ再び襲い掛かってくるかも分からないから。  騎士は集まりつつある。四方の領土から、中央へと。騎士である以上、そうするのが当然だ から。  姫君と国家を守るために。  そして、賊を討伐するために。  それは――ディーンにしてみれば、予想のできた行動だった。  そのために、あんな茶番劇を打ったのだから。 「一部じゃあ極潰しだの何だのといわれてるよ、アタシもアンタも」 「極潰しか。それはまた、酷い言い草だな」 「間違っちゃいないさ。今のアタシラは無駄飯ぐらいさね。働かざるもの食うべからず。マル タ=ロルカなんか、最近じゃあ猫みたいに寝てばっかりいるよ」  冗談のように言うレイエルンに、ディーンは微笑みかけた。  子供のように、無邪気な微笑みを浮かべ、ディーンは言う。                   ・・・・  ・・・ ・・・・・ 「安心していい、レイエルン・アテル。もうすぐ――嫌でも、出番はくる」 「…………」  確信めいたその言葉に、レイエルンは沈黙する。  ディーンが、何かを企んでいるのは知っている。  けれども――何を企んでいるのか知れるほどに、ディーンの底は浅くない。むしろ深すぎて 、溺れてしまいそうになるほどだ。  だから、何も問い返さない。  黙って、肩を竦めるだけだ。 「旦那がそう云うなら、アタシは剣を研いで待ってるさ」  そう言って、レイエルンは踵を返そうとし、 「レイエルン。ダリス=グラディウスはどうなってる?」  その背中に、ディーンは問う。  意外な問いに、レイエルンはもう一度、肩を竦めた。 「相変わらず、処置なしさ。例の偽騎士騒動以来、廃人も同然。ずっとうずくまってブツブツ 言ってるよ。ありゃよっぽどショックだったんだろうさ――自分の信じた相手が、まさか自分 の仕えた姫を殺そうとしたことが、さ」  皮肉を織り交ぜたレイエルンの言葉に、ディーンは「そうか」とだけ頷く。さして興味のな さそうな、質問したくせにどうでもよさそうな返事だった。  想定の範囲内、なのだろう。  ふと、レイエルンは思う。  なら――ディーンは一体、何を期待していたのだろう、と。  ディーンの長い腕の中で、ダリスの負うべき役割は、一体何なのだろう、と。  気になったが、それは自分の知るべきことではない。  レイエルンはため息を吐いて、 「それじゃ、もういくよ」 「ああ。体を休めておけ、すぐに忙しくなるからな」 「そうさせてもらうさ」  今度こそ、踵を返してレイエルンは部屋の外へと出て行った。  再び――室内に、沈黙が満ちる。  王宮の端にあるこの部屋に寄るものはいない。  ディーン以外には誰もいない。  誰もいない、はずだった。  けれど、ディーンは、自身しかいない部屋の中で。 「さて――そろそろ出てこい、紅の流星」  床に向かって、そう、声をかけた。  一瞬の沈黙の後。  がたん、と足元で音がして――足元の一部、端の目立たぬところが開いた。タイル模様の床 のため、継ぎ目がまったく分からなかった。  知らなければ気付かない、脱出用の抜け道。  そこから出てきたのは。  紅の流星と呼ばれる闘弓士――クライブ=ハーシェッドだった。一瞬前まで気配すらなかっ たというのに、今はやや憮然とした表情で、室内に立っている。 「気配遮断は、弓兵の必須スキルなんだがな。まさか気付かれるとは思わなかった」 「いるのは、気付かなかったさ」  先のレイエルンのように肩を竦めて、ディーンは言う。 「来るのを、知っていただけだ」 「…………」  ちっ、クライブは舌打ちした。地下の隠し通路を探していたときか、それ以前か。あるいは、 行動を全て把握されていて、情報を繋ぎ合わせて、現状を推理したのか。  ディーンの手は――どこまでも、長い。 「だから、いつからいたのかは、正直俺にも分からないんだがな。なあ、クライブ=ハーシェ ッド。お前はどこから話を聞いていた?」 「…………通信球で会話するところから全部だ。一体誰と話してたんだ?」  観念したように、クライブは正直に答えた。ディーンの言葉を信じてなどいなかった。恐ら くは、知ってて訊ねてきたのだろう。  それを証明するように、ディーンは「やっぱりか」と呟いた。  顔は笑っている。  皮肉でも何でもない、楽しそうな、純粋な笑みだった。  勿論、クライブはディーンに命令されて地下に待機していたわけではない。自身の処世術と して、生きるための術として、彼なりに動いているだけだ。密偵、偵察は、東の特殊職業・忍 者ほどではないにせよ、弓兵の得意分野だ。  それ以上に。  近頃賢龍団に入ったクライブは――未だ、ディーンを信じきってはいなかった。  ディーンの人格を信じる、のではない。思想を信じる、のでもない。そんなことは、どうだ っていいのだ。雇い主が正義の味方であることを望むほど、クライブは甘くはない。可愛い女 の子だといいな、とたまに願う程度だ。  問題は。  こいつの側にいても生きられるか、それだけが、問題だった。  もしも雇い主が、誇大妄想の破滅主義者ならば――逃げなくてはならない。  そんなクライブの不安に対して、ディーンは。 「別に大した相手でもない。西国の支配する女と、裏取引をしただけのことさ」  あっさりと。  とんでもないことを、口にした。 「んな――支配、だと!? 西国って、」 「ロンドニアじゃない。宗教大国の西国だ」  西国。  女。  その言葉がクライブの頭の中で響く。連想される人物は一人しかいない。  西国の一。  あの、聖女だ。  何かとんでもないことを話しているのだ、とは思っていた。しかし、その相手がまさか聖女 だとは、夢にも思わなかった。『聖女』という存在は、陰謀やら何やらとは、まったくの無縁 のところにいるものだと思っていたからだ。  ディーンが嘘をついている様子はない。  それどころか。  さっきまでの笑みが消え、今やディーンは、真顔で、驚愕するクライブを見据えていた。  金の瞳が、真っ直ぐに、クライブの瞳を覗きこむ。 「クライブ=ハーシェッド。俺は、お前に期待している。カイル=F=セイラムに対するよう に、ジュバ=リマインダスに対するように。次をになう人間として、俺は前から目をかけてい た」 「……それは買いかぶりすぎだな」  首を振るクライブ。けれどディーンは、視線を逸らさない。 「なあ、紅の流星。お前は、英雄という存在をどう思う? 勇者ではなく――英雄を」 「…………」  突然の問いに、クライブは意図が分からず、何も答えられない。  ディーンは答を期待してはいなかったのだろう。待つことなく、言葉を続けた。 「英雄とは状況が作る。そして今、押し上げられるべきは俺だ」  自信のある、声。  それを、疑っていない、態度。  クライブは思う。  ディーンは、誇大妄想なのかもしれない。  けれど――破滅主義者ではない。誇大妄想を、実現するべく、動く人間なのだと。  今見せているこれこそが、本性なのだと。  そして。  本性を見せられた今――もはや、引き返す道は、ないのだと。  ディーンの態度は、それを如実に告げていた。  クライブがそれを分かっているからこそ、ディーンは。 「紅の流星。俺の目的を、俺の作戦を、聞きたいというのならば残らず教えてやる。ただし――」  『長い腕の』ディーンは、悪魔のように、告げた。 「――聞き終えた時、お前の進むべき道は、もはや一つしか残らないだろう」         †   †   † 「神の祈りが――あらんことを」  そう、告げて。  西国の一にして。  聖女にして。  西国騎士団騎士団長のクリス・アルクと――魔同盟が剣の女王、魔剣ビスティは通信を終え た。  終えて、笑う。   遠く離れた長い腕の男を、嘲う。 「うふふはははははははははは! 愉快だ愉快な男だなまったく! よりにもよって世界平和 ときたか! まったくもって可笑しい限りだ!」  笑って、笑いながら、クリス・アルクは振り向くことなく。 「お前もそう思うだろう、西国最強?」  いつの間にか部屋にいた、西国最強――『構えず』のスエイに、そう問うた。  壁に背をかけて経つスエイは、構えない。  目の前に、この西国を裏から支配する女を前にしても、構えることはない。  二度と、彼が構えることはないのだ。  笑い返すこともなく、表情を変えずに、スエイは答える。 「その笑みは、人前では止めた方がいい。聖女のイメージが崩れる」 「人前?」  くるぅりと。  クリスは振り向いて、おどけるように、笑った。 「この部屋のどこに、人がいるのかしら?」 「…………」  皮肉めいた言葉に、しかしスエイは眉一つ変えない。  そんなことは――分かりきっている。  もはや、自明の理だ。  西国の上層部に、人間などいはしない。  裏から支配するのは、教皇ではなくこの女であり。  魔人と化した、モノたちなのだから。  西国。  ロンドニアと覇権を競う西の大国。宗教国家。  ただし現在、その内情は――――  ――――魔人ビスティとクリス・アルクによる、魔人国家だ。  今はただ、なりを潜めているだけで。  決起の時を、窺っているだけで。  そのことに、スエイは何も言わない。  もはや――引き返さない。  地獄への道を、突き進むしか、ないのだ。  西国のために。  西国のために。  西国最強として、生きて――死ぬのだ。 「……銀陽は待機させている。誰にも見られてはいない」  だから、淡々と。  目の前にいる女への恐れをかくして、スエイは言う。 「西国の仕業だとは、誰にも知られていない」 「上出来です」  短く答えて。 「では、次の手を打つことにしましょう――あのステキな団長さんへ、連絡を入れましょう」  クリス・アルクは、笑いながら。 「世界を支配するのは、長い腕の男でも、皇国でも、王国でも、帝国でも、連邦でもなく」  魔人ビスティは、笑いながら。 「魔同盟ですらなく―――――――――――――――――――――――私たちなのですから」  急所を一刺しするような、裏切りの言葉と共に、高く高く、笑いをあげた。 ■ 第八話 SEI'S DISCIPLINE ... END ■