ソロモン72姫SS「旧約メカトロン書」  物質と魂の原質である光が煌々と降り注ぐ中、彼の大天使は満面の笑顔でその身をぐぅ るりと舞わせている。 「いやぁあ、ははは、メカトロン、今日も良い天気だねぇ」             天使の座  物質界に程遠いここAtziluthに天気も何も無い。強いて言うならこの大天使が 今日も能天気なのだ。  その能天気な大天使の足元で犬が一匹嬉しそうにじゃれ付いている。  犬と言ってもまぁ曲がりなりにも天使の眷属ではあるのだが、舌をだらりと垂らして先 程から大天使の太股に果敢にパンチを繰り出している様は、彼の生物がいくら高潔な次元 に属していようと「犬」という他表現は無い。  私はメカトロン。……の、それそのものでは無いが、その一部である。外装を外して オーバーホールを受けているが、地上界に現存するどの聖堂よりも神聖且つ荘厳で比類な く霊験あらたかな威容は隠し通せるモノではない。 「聴いてくれ給えよ、メカトロン。私はねぇ、今日、とても愛に溢れた体験をしたんだ よ」  先程からこちらに語り掛けてくるこの大天使、名はマイケル。地上的に見ても天使的に 見ても、客観的にはクネクネと回りながら犬と鉄塊相手に独り長口上をぶっているのだが、 それを咎める者は居ない。と言うか半径1Km圏内に近寄ってすら来ない。  この、バベルの石塊なぞ足元にも及ばない規模から見れば1Kmの距離など眼と鼻の先 だから解る。明らかにこちらを迂回している。いつもの事だった。 「イスラエル王国の西の海を渡った所にだね、緑豊かな美しい大地があるのだがねぇ」  朗々と響く声は流石大天使。何処か歌うような響きもて、空間に伝播するその様は真珠 を砕いて散りばめた様な彩を感じさせ、知覚を優しく愛撫してゆく。 「そこの民は少々変わった趣向を嗜むんだよ。なんと言ったか、そう、トバッコと言う植 物を焼いてその煙を吸うんだ」  奇態な事もある。大天使の話を興味深く私は拝聴しているが、わざわざ相槌を打つ事は 出来ない。当然の如く返答を期待できない対話に、しかし彼は一拍を置いて一語一語丁寧 に謡っていく。 「ははは、聴いてくれ給え、その民は私にその趣向を共にするよう薦めてくれたんだよ。 こう、煙を吸う為の管の吸い口を此方に向けて、だね」  まるで話し好きの小うるさい輩がするように、身振り手振りを交えて話す彼の仕草はそ れなりの愛嬌を伴っている。仕事の時であれば喜んで彼と共に主を賛美する天使達が多い のもこの為だろう。 「どうもそれは友愛の仕草らしいんだよ。ははは、羨ましいだろう?メカトロン。地上に 降りんと翼を広げた所を弓矢で以って迎えてくれた彼らが、だ!」  私は問いたい。何故そこで怒らぬのかと。  余程困窮していたんだろうね見れば彼らの土地には畑も無い家も貧相な布地で出来た借 家で着るものも必要最低限といった風情だだがしかしだねその困窮の中でも彼らなりに鳥 の羽根や岩を砕いた顔料で化粧などをして彩りに配慮する麗しき知性を持っていて一見し て堕落した荒野の野党とはすぐに峻別できる程だ、云々。  「彼等」に対する美辞麗句は止まない。そこには純然たる興味と畏敬、そして文化への 賛美と愛がある。大天使が大天使たる所以。神の意思を全身全霊で体現した天使の中の長 者。  だからこそ、我々は本来かの堕天使を憎む。それは、ここ数千年で見ればいよいよ顕著 になってきた我々天使のある種の傾向だ。一番の古株である彼等ならば、尚更。  なぁマイケル、大天使よ。その足元の犬の名前を今は一層意識している筈ではないか。 先程からそのたくましい右の掌で慈愛を以って犬の頭を撫でているのだから。  ガブリル。名付けたのは、誰あろう、飼い主である貴方ではないか。                                 ガブリエル  私が今ここでエノクと言う名で存在していないのも、彼の麗しの、託宣の大天使が、一 切の消息を失っているのも。全て彼女らとその眷属に原因があるでは無いか。  貴方がその犬の名を、今と同じように私に語って聞かせた時、私はてっきり復讐を誓っ たのかと、そう思ったぞ。                  ソ ロ モ ン   7 2 の 姫  それがどうしてか、貴方は今頃、イスラエル王国の王とその傀儡どもに手を差し延べる のか。私にはその一切が理解できない。     主よ何処へ行き給うた          何 故 我 ら を 見 捨 て 給 う  おお、 Quo Vadis.Eli,Eli,Lema Sabachthani.  私は主の在居も、貴方に最も近しい者の心も、その一切を見失ってしまった。 「まぁ聴きたまえよ、何故それが友愛の印足りえるのか。よく考えてみたまえ、彼らの味 わった吸い口を私が再び味わう訳だよ?ヒントは愛」  話を聴くのに何故ヒントが必要なのかは解らない。何時の間にかクイズになったのだろ うか。 「チッスだよ、チッス!そう、くわぁんせつチッスだよ!!正に愛だよ、愛だねぇ!年若 い少年少女がたった一つきりの山羊革の水袋を抱えて赤面する!これもまた愛の成せる業 だよ!おお、初恋の切ない痛みよ!!」  何を想っているのか、滑らかな髪を宙に泳がせて倒れ伏す。その瞳から光るものが一条。 また地上の街角で見つけた男女の仲に要らぬお節介をして破局にでも追い込んでしまった のだろうか。いつもの事だった。 「で、だ」  くるりと身を反転、表情も一転真面目腐った顔で此方を見上げる。地上2mそこらの地 点からこのメカトロンの顔面を見定めようとでも思っているのだろうが、そこまで首を曲 げてこの大天使は痛みを感じないのだろうか? 「間接よりも直接の方が愛が伝わると思わないかね?思うだろうとも、そうだとも。愛の 前では一切の頓着は必要ない!今日の私の本題はまさにソレなんだ」  この身の何処にでも、彼が口付けをしようと言うのなら、迷わず踏み抜いて根本原因を 消去して後、エラーメッセージログに一行「考え能う限り汚猥で有害な生物学的汚染を被って いる可能性がある為問題を解決するにはレベル5相当の徹底的な対生物消毒を行う必要が あります」と書き加えてやらねばならない。そう思ったが、この大天使はその斜め上を走 っていた。 「ソロモン君に熱いチッスを差し上げれば、彼が私に親愛の情を示す事甚だしくなると思 うだろう?このチッスが、チッス一つが上手くいけばだねぇ、彼が私の言う事に耳を傾け てくれる可能性もやぶさかでは無いだろうとも!!」  彼の考えは我々天使にしても理解する事が出来ない。彼が仕事以外で敬遠される理由は ソレだ。それは彼が単に度外れた変態だからか、或いは主の御考えに近付きつつあるのか。 私は可能ならば、後者だと思いたい。 「さあ、そうと決まったら大事なのは練習だ。まずイメージトレーニングから始めねばな らないよねぇ。あぁ、こう言う時はソロモン君、君をなんと呼べばいいのだろう」  私は可能ならば後者だと思いたい。 「おお、ダーリン!……いやいや、ハァァァニィィィ!!……ううん、些か愛が足りない ね。ここはストレートに。んこほん。……ソォロモンくぅぅぅん!!!!」  後者だと思いたい。  私は、かつてエノクと呼ばれた魂。今は、大天使ショタトロンが操る超巨大機動メカ天 使メカトロンの、中枢制御システム。