『魔王の休日』 <1> 「お待ちください、旦那さま」 「うぉふゃぁ!?」  死ぬほど驚いた。 「まぁ! 魔王ともあろうお方が『うぉふゃぁ』とはなんですか『うぉふゃぁ』とは!!」  速攻で怒られた。  自分でも「ヤベっ、変な声出た」と思っていたので、ちょっと傷つく。  ただ、聞きなれたお説教口調で声の主がわかったので、その点は安心した。 「メイド長さん?」  それでもどこかオドオドと、コウは玄関ホールを見回した。  実際、不気味な場所である。思いがけないタイミングで声をかけられたなら、コウでな くとも驚くだろう。  なにしろ魔王の城だ。玄関ホールとはいえ舞踏会がひらけそうなほど広く、調度品は豪 華で照明も充分なはずなのに、どこか黒い雰囲気がただよっている。  もっとも、その調度品というのがロクなものではないのだから、邪悪な感じがするのも 当然かもしれない。  歪んだ壷に奇怪なオブジェ。猟奇的な彫刻に、赤と黒の絵具がやたら多用された絵。そ のすべてにいちいち忌まわしい由来があり、本にまとめれば百物語のロングラン公演がで きるほどだという。 「メイド長さん?」 「ここです」  応えた声に振り向くと、人の背丈ほどもある置時計のてっぺんから、女の生首がコウを 見下ろしていた。 「うわぁ」  いちばん奇怪なオブジェだった。  この生首こそ他でもない。  魔王城の奥向きすべてをとり仕切るメイド長、その名も「デュラハンメイド長さん」で ある。  結いあげた金髪に碧の瞳。凛とした中にも少女のような清楚さをのぞかせる、魔物メイ ドを率いる要職にあるとも思えない可憐な生首だ。  一風変わった金属製のプリムが、首だけの姿でもかろうじてメイドであることを主張し ていた。  しかし――デュラハンとは本来、首から上がない女(あるいは騎士)の姿をし、片手に 自分の頭を持った魔物のこと。  もちろんメイド長さんにも、首を持ち運んでくれる立派な胴体があるハズなのだが……。 「な、なにやってるんですか、メイド長さん」 「は? その……そ、掃除です」 「え、でも――」首だけで? 「時計の掃除です」 「いや、だって」 「大切な時計ですから」 「はい?」 「この時計だけは、他の者に任せず自分で管理するようにしております」 「……えーっと……」 「…………」 「そ、そうですか」 「はい」  言い切ったメイド長さんは、微妙に目をそらしていた。  挙動不審、といえば首だけで時計に乗っている時点でこの上なく不審だが、コウの知る メイド長さんらしくもない態度である。  ただ、時計を自ら掃除していたというのは、おそらく本当だろう。  歌にでてくる「大きなのっぽの古時計」のようなそれは、「終末の世界時計」と呼ばれ る、城に山ほどある呪われたアイテムの中でも特に縁起が悪い一品だった。  コウの目には壊れて止まっているようにしか見えないが、なんでもこの世の終わりをカ ウントダウンしていて、針が零時を指し示したとき「光は消え、秩序は消え去り、闇と混 沌の新世紀が訪れる」という。  ちなみに現在の針の位置は10時49分。  魔王とはいえ、メンタリティはごくふつうの高校生にすぎないコウとしては――そう、 彼コウ=ツシ=ギコウトこと鋳掛屋 渡(いかけや わたる)は、何の因果かこの(彼か ら見れば)異世界で、魔王などという物騒なものになっていた――世界の未来が心配になっ てくる時刻である。  針は進むばかりでなく戻ることもあるそうなので、せめてそこに希望を見出したいとこ ろだが、メイド長さんが嬉しそうに教えてくれたところによると、コウが新たな魔王とし て登極した瞬間、針が一気に13分も進んだらしい。  実に欝な話だった。  魔王としての貫禄にも覇気にも欠けるコウを心配し、近所の暗黒神社に「旦那さまが立 派な魔王になれますように」とお百度参りをしているとも噂されるメイド長さんのこと。  コウにとって数少ない「魔王らしいエピソード」にまつわるこの時計を、部下に任せず 自分で、というのはいかにも彼女らしい心遣いである。  ものすごくありがた迷惑なのだけれど。  それにしても、首だけでは掃除どころではないだろう。  まさか、時計の針を進めるために念力を送っているわけでもあるまいし――いや、それ 自体はいかにもメイド長さんがやりそうなことなのだが、普段ならこの時間帯、メイドた ちは厨房で忙しくしているはず。珍妙な儀式を行っている暇などないはずだ。  時計をよく見ると、文字盤をおおうガラスには曇りひとつなく、たしかに掃除したてと いった風である。  してみるとこれは―― 「……自分の身体に、置いてけぼりにされた?」 「な、何を仰います旦那さま!」  コウの言葉に、メイド長さんは器用に首だけで跳びあがった。 「ここここの、魔物メイド訓練校、第666期主席卒業のわたきゅしが、自分の身体に置い て行かれるなろ――」  メイド長さんには、動揺すると呂律がまわらなくなるクセがあった。 「ありえまふぇんっ。ええ、ありえまふぇんとも! 魔ももメイド技能コンテつト全国大 会三連覇のわたきゅしに限って!!」  噛みまくりである。  どうやら図星らしい。必死で否定しているものの、見え見えすぎて気の毒なほどだった。  しかし、思いもよらない激しい反応ではある。普段のメイド長さんは、(滅多にないこ とだが)ミスを犯したときには、素直に己の失敗を認められるヒトなのだが……。  もしかするとデュラハンにとって、自分の身体に置き去りにされるというのは、絶対に 認めるわけにはいかないほど不名誉で恥ずかしいことなのかもしれない。  だとすると、これ以上この件を追求するのは可哀想だろう。ここは自分が退いて、話を 打ち切ってあげようと思うコウだった。 「そもそもぢュラハンというものは、首と身体がふたちゅでひとちゅ! うっかり忘れる などと――」 「す、すいませんメイド長さん、ごめんなさい」 「――まぁ! 魔王ともあろうお方が軽々しくメイドに謝るだなんて。もっと魔王として のお自覚をお持ちください!!」  いきなり恩を仇で返された。  いったいどうしろと言うのか……。  さすがにコウがげんなりしたとき、暴れまわっていたメイド長さんが、当然というべき か、勢いあまって時計の上から転がり落ちた。 「あ」――ぶない! と言う間もあらばこそ。「きゃっ」とちょっと可愛らしい悲鳴をあ げて落ちてゆく首へ、コウは反射的に手を伸ばす。  ヒトの頭は意外と重たい。掴んだ指がすべり、とり落としかけてお手玉になる。ひやり と全身の毛が逆立った。  が、それも一瞬のこと。とっさに両膝をついて、抱えるようにしてガッシリと受け止め た。 「…………」  固まったまま、しばらくの間。  ホッと安堵のため息をついて、腕の中をのメイド長さんを覗きこむ。  コウの指が、メイド長さんの鼻の穴に刺さっていた。 「うわぁ」  急いで持ち替えた拍子に、今度は耳に触れてしまう。 「あンっ」 「うわぁ」  メイド長さんの色っぽい声に、思わず手を離しそうになる。  メイド長さんは耳が弱いようだった。  弱点発見。このことはしっかり憶えておこうと、コウはドキドキしながら心に刻んだ。 「だ、大丈夫ですか、メイド長さん?」  コウが尋ねると、メイド長さんはハッと表情をかえて、 「わたくしのことよりも、旦那さまの指が!」 「いや、それよりメイド長さんの鼻が」  鼻血でも出たら大変である。なにしろメイド長さんは首だけの状態だ。結局、コウが世 話をする羽目になるのだから。 「旦那さまの指の方が大切ですっ」  コウの手をふりほどかんばかりの勢いで、メイド長さんが叫んだ。 「ああ、どうしましょう。旦那さまの指を汚してしまうだなんて」 「そんな、大げさな……」  むしろ美女の鼻粘膜とかご褒美です。  と、さすがにコウもそこまでマニアックではなかったが、汚れたと大騒ぎするほどのこ とでもない。 「やっぱりメイド長さんの鼻――」 「そうですわ! せめて口できれいに……」 「大丈夫ですから! そういうのは結構ですから!!」  全力で断った。 「はぁ……さようですか」  コウの剣幕に驚いたのか、きょとんとした顔で、少し不満げにメイド長さんが頷いた。  メイド長さんは、たまに変なスイッチが入っておかしなことを言う。  もちろん他意はないのだろうが、コウからすれば、女性に指をなめてもらうというのは かなり「レベルが高い」イベントだ。  ましてその指が直前まで女性の鼻の穴に入っていたとなると、想像すらしたことがない ディープなプレイである。  相手が生首という時点で、たとえノーマルな行為であっても、客観的にはディープとか いうレベルをはるかに超えた猟奇的プレイにしか見えないのだが、それはさて置き――意 識しすぎだとわかってはいても、思春期真っ盛りのコウにとって、今回に限らないメイド 長さんの無防備さは悩みの種だった。  魔物の年齢は外観からは判断し辛いし、怖くて直接も訊けないが、どう考えてもメイド 長さんはコウより年上のはず。  自分の言動が、解釈のしようによっては――いや、リビドーあふれる青少年であれば 「そっち方面」に解釈するに決まっている類のものだと、どうして気がつかないのだろうか。  知識が欠けているということはないはずだ。コウの「そっち方面」のセリフにはちゃん と、というか過剰なほどに反応するのだから。  そう、たとえば―― 「本当に大丈夫ですよ。だって……」 「はい?」コウの手のなかで、メイド長さんの重心が右に片寄った。首を傾げたらしい。 「メイド長さんの身体に、汚いところなんてないですから」 「…………」 「…………」 「……なにゃぁっ!?」  メイド長さんの顔が、火がついたように真っ赤になった。コウの手に頬の熱さが伝わっ てくる。 「ななにゃにゃにゃ、にゃにを仰います旦那しゃまっ。そのようなおたたわわわむむむむ れれれれれ!?」  ものすごく動揺していた。メイド長さんは意外とウブなのだ。 「ほほほほかのメイろに聞かれちぇ、あらぬ誤解でもされてはっ」 「そそそうですね。け、軽率でチた」  コウも一緒になって動揺していた。しかも釣られて噛んでいた。  メイド長さんの照れように、コウの方まで恥ずかしくなってきたのだ。  たまに変なスイッチが入っておかしな事を言うのは、メイド長さんだけではなかった。 「その……とにかく、たすけていただいてありがとうございます、旦那さま」  とり繕うようにコホンと咳払いして、メイド長さんが言った。 「あ、いや。別にたいしたことじゃないですし」  条件反射のように謙遜しつつも、内心、悪い気はしないコウである。  床には毛足の長い絨毯が敷かれているし、デュラハンといえばそれなりにレベルの高い 魔物。二メートル弱の高さから落ちたぐらいでどうにかなるはずもなく、本当にたいした ことではないのだが。 「重たいでしょう? どうか元の場所に戻してくださいまし」  申し訳なさそうな上目づかいで、しおらしい態度のメイド長さん。応えたコウは、馬鹿 セリフの動揺を引きずっていたのだろうか。深く考えもせず、 「ぜんぜん軽いですよ」 「……私の頭は、軽いですか」 「え? あ、いや、そうじゃなくて……お、重い! すごく重いです!!」 「重い!?」  首だけとはいえ、女性に対して決して言ってはいけない禁句に、メイド長さんの眉が急 角度で跳ね上がる。  思わず「ひぃ」と叫んで放り投げたくなるほど恐ろしい形相だった。  ――自分で「重いでしょう?」って訊いたのに。「軽い」って言ったらイヤそうな顔を したくせに。というか、どう答えても怒られるって、これは何かの罠? 「あー、あはははは」  馬鹿みたいなのを自覚しつつ、あいまいな愛想笑いでその場をごまかそうとするコウ。 とにかく一秒でも早く「爆弾」を手放そうと、急いで立ち上がったところに、 「……旦那さま。あごの下に、ヒゲの剃り残しがありますね」 「えっ?」  コウの腕の中から、その部分が見上げた視界に入ったのか。予想外の攻撃、思いがけな い話題の変化だった。 「今日の朝当番は誰だったかしら」  仕事に関しては妥協のないメイド長さんだ。眉間にしわを寄せ、真剣に不機嫌な表情に なっている。  ちなみに「朝当番」とはその名の通り、日替わりでコウを起こしに来ては、着替えや洗 顔を手伝うメイドのことである。  中には「口を使った」特殊な起こし方を試みるメイドもいて、コウの方でもそういうお 約束を期待していた部分がないではなかったのだが、いざ実際にされそうになってみると 怖気づいてしまい、朝から必死でお断りしたりと気苦労が絶えない。 「ち、違うんですメイド長さん。ほら僕、他人にヒゲ剃ってもらうのってどうしても馴れ なくて。無理言って、自分でやらせてもらったんです」  ここはしっかりフォローしておかないと、当番の娘がメイド長さんに叱られてしまう。  実は今日の当番はヴァンパイアメイドさんで、コウのヒゲを剃りながら首筋に熱い視線 を注ぎ、興奮してハァハァと息を荒げていたので、怖くなって代わってもらったのである。  城に仕えるほどの魔物メイドが、まさか本能に負けて主人の首にかぶりつきもしないだ ろうが、いい気分がしないのは確かだし、コウが他人にヒゲを剃ってもらうのが苦手だと いうのも嘘ではない。 「困りますわ、旦那さま。メイドの仕事をとられては」  呆れられてしまった。「着替えやヒゲ剃りぐらいは自分できる」と言いたいが、魔王に とってそれはワガママになるらしい。魔王とはいえ好き勝手できるわけではなく、案外と 窮屈なのである。  いっそ「ええい、メイドごときが口うるさい。ワシは魔王! やりたいように生きるの よ。とりあえず乳揉ませろ!!」  とか言えば、逆にメイド長さんも「さすがは旦那さま、それでこそ魔王です!」と拍手 ぐらいしてくれるのかも知れないが、口を滑らせて馬鹿セリフは言えても、そんな強気な 言葉は冗談でも吐けるような性格ではないのだった。 「すいま……気をつけます」  また「簡単に謝るな」と怒られないようとっさに言い換えるあたり、実にいじましい魔 王である。  それでも、どさくさまぎれにメイド長さんを時計の上へと戻している辺り、意外とちゃっ かりしていると言うべきか。  個性の強い魔物メイドたちとのつきあいを通して――ワインディーネメイドさんに酔い つぶされたり、ディプライバーメイドさんに脱がされたり――コウもこちらの世界へ来た 当時よりは、少しはたくましくなっているのだ。  魔王としては明らかにダメな、セコい方向への成長ではあるが。  ちなみに、あれだけ激しい動きを経たにもかかわらず、メイド長さんの頭にのったプリ ムは微動だにしていなかった。  そういえば、メイド長さんがプリムを外したところは見たことがない。もしかすると身 体の一部なのだろうか……。  などとバカなことを考えているコウに、自分の置かれた位置が気に入らなかったのかメ イド長さんは、 「旦那さま、もうちょっと右で」 「あ、こうですか?」  主人をあごで使っていた。 「行き過ぎです。少し戻して……あ、そこで。あとは角度を正面に――」  注文が細かい。右だ左だ前だ後ろだと、旦那さまを働かせて数十秒。ようやく時計の上 での位置が決まったところで、メイド長さんはおもむろに口をひらいた。 「ところで旦那さま。今日はたしか、『視察』にお出かけになられるご予定でいらっしゃ いましたね」 「あ――」言われてみればそうだった。コウは外出するつもりで玄関ホールまでやってき たのだ。ドタバタしていて自分でも一瞬忘れていた。  反射的にメイド長さんの乗っかっている時計を見るが、当然ながら10時49分。役に立た ない。どちらにしろ、けっこうな時間をとられたことは間違いなかった。 「あの、じゃあ、行ってきます」  たぶん無理だろうなぁと思いつつ、一応そう言って立ち去ろうとすると案の定、 「お待ちください、旦那さま」  振り出しに戻ったのだった。 (つづく)  * * * ・登場人物設定 ■異邦神コウ=ツシ=ギコウト■ 『 節制 / 蝋燭接ぎ 』 命と流れを象徴する魔王。 真名は鋳掛屋 渡(いかけや わたる)と言い、 自分の「死」と他人の「生」を入れ替える点を除いては 体格、肉体能力、思想言動どれを取っても多少気の弱い普通の少年。 何の因果かどこかの世界に召喚され、そのままその世界での魔王となり魔同盟へ。 その厄介な能力のためか、魔同盟の中では安全なポジションにいる。 魔王としての名前は召喚時のエネルギーで破裂した生徒手帳から 青春真っ只中なため、配下の妖魔や色魔、他の色っぽい魔王などに からかわれては顔を真っ赤にする生活を送っている。 ■デュラハンメイド長さん■ 冥王さまの居城で働いているデュラハンのメイド長さん。 漆黒のメイド服の上に、レース風の透かし彫りがはいった鉄のエプロン。 凛々しい顔立ちで、結いあげた髪にはやはり鉄のプリム。 頭は首から外れていて、たいてい小脇に抱えられている。 性格は謹厳実直。主に対しても言うべきことは言うコワいお姉さん。 頭と身体のチームワーク(?)が微妙に悪く、頭はよくあちこちに置き忘れられている。 「コシュタ・バワー」と名づけたノラ猫にエサをあげたりして可愛がっているが、メイ ド長の威厳を守るため皆には内緒にしている。