■ 第十話 Black Gale AND Clausen seal ■  クローゼンシール王国は、山間に位置する平和な小国だ。大きな盆地に城と街を築き、周辺 の山岳部で狩りや農業をしながら暮らす単一国家。戦争によって領土を拡大してきた集合国家 、『東国』の戦火が届いていないのは、ひとえに後ろに控えるファーライト王国の存在がある 。クローゼンシール王国を打ち滅ぼせば、そこを橋頭堡に東国はファーライト王国へと攻め込 むことができる。そうなれば当然戦争が始まるわけで、戦争を始めたくない両者はそこを奇妙 な中立地帯と定めた。そうこうしているうちに王国連合へと東国が加入し――そこにはあの騎 士団長の誕生に連なる、いくつかの話が関わるわけだが――うやむやのうちにファーライト王 国は完全な平和を手に入れた。  その平和が。  皇歴2249年――ついに、壊れようとしていた。       †  †  † 「あんまり言っていい話じゃないんだけどね、こういうの。革命が起きそうっていうのは、本 当みたい」  15歳のカイルとソィルを前にして、リストリカ=クローゼンシールは深々とため息を吐い た。顔に浮かんでいるのは疲れの色。城内のぴりぴりとした雰囲気は、第一王女である彼女に とっては中々堪え難いものなのだろう。  かといって、城を出て街へ遊びに行く、というわけにもいかない。  王族である彼女にとって、今は街こそがもっとも危険な場所だった。革命を考えるような村 人がいる場所へ、王女が気軽に散歩していたら、殺されるか人質にされるかのどちらかだろう。  その危険性は、城内であっても零ではないが――そのために、今、二人の騎士が彼女の側に いるのだ。 「本当……だったんですね」  騎士の片割、カイル=F=セイラムが力なく呟く。心のどこかでは、『そんなはずはない』 と思っている自身がいた。国と姫君に忠義を捧げるカイルにとって、『革命』というう概念は 程遠いところにあったからだその僅かな望みを、他ならぬリストリカ自身の手で否定されたの だ。声に力がこもらないのも、仕方がないことだろう。 「ただの噂話で――念のために呼ばれたものだと、思っていましたよ」 「それはちょっと甘いかな」  リストリカは首を振って、 「それくらいだったら、わざわざ王国連合に助けは求めないんじゃないかな。うちの国って、 微妙な感じだから」 「微妙?」と、カイル。 「東国と挟まれてるからな」  答えたのはリストリカではなく、隣に座る騎士のもう片割、ソィル=L=ジェノバだった。 ここ数日、王宮の中庭でこうして三人で語り合うのが日課になっている。訓練を見て、少し離 して、お別れ。話す時間は、日にちが増すごとに長くなっていく。  それは、きっと。  王女に構っている時間が――減っているのだ。  裏で進んでいた事象が、ゆっくりと、表へ出てきているせいで。 「そう、ソィルの言う通り。東国が動けばファーライトも動いて、ファーライトが動けば東国 も動く。そうやってバランスを取ってるの。今回の『要請』だって、ファーライトと東国、両 方から来てるでしょ?」 「来てる――ね」  確かにそうだ。ファーライトからは騎士団が。  そして、東国からは。 「まあそれでも、団長さんがくるのは意外だったけど」  若き団長――ジュバ=リマインダスが。 「結局、会う機会ありませんでしたね」 「いやー、まだまだわかんないよ。この先幾らでも機会はあるって」 「そうだな」と、ソィル。「悪ければ、戦場で」 「……内乱が表面化すれば、嫌でも会う、か」  はぁ、とカイルはため息を吐いた。できれば、そういう事態に陥ることなく終えたかった。 戦う機会は、なければないにこしたほうがいい。戦争でもない、内乱ならばなおのことだ。  それでも。  戦わなければならないときは――戦うまでだ。  カイルは、若くとも、騎士なのだから。 「できれば、未然に終わらせたいんだけどね」  頬をかき、リストリカがぼやく。苦笑いを浮かべながらだったけれど、その言葉にふざけて いる様子はなかった。心のそこから、それを願っているのだろう。  それを叶える手段を、知らないだけで。 「そもそも、」  カイルは、ふと。 「どうして――内乱なんか、起きそうなんですか?」  この国を訪れたときから疑問に思っていたことを、訊ねてみた。  クローゼンシール王国は平和な国だ。  平和な国だった、ではない。内乱の危機が叫ばれている今でさえ、国内は平和なのだ。国民 が飢えて死ぬことも、悪逆な国王が暴虐の限りを尽くしているわけでもない。極々普通の、王 政の小国なのだ。  内乱が起こるのは、国民たちが『こんな国で生きてはいけない』と決意したときだけだ。不 満がなければ反乱は起きえない。命を捨てて内乱を成功させたところで、国がよくなるとは限 らないからだ。命を捨ててでも、この現状をどうにか変えたい――そういう思いが積もって、 初めて内乱というものは起こる。  クローゼンシール王国には、それがない。  部外者であるカイルが見る限り、クローゼンシール王国は、どこまでも平和なのだ。たとえ ぴりぴりとした緊張感があったとして、常に命の心配をしなくてはならないほどに追いつめら れてはいない。  だからこそ、不思議だった。  そんな国で、内乱が起きる理由が、カイルには分からなかった。  そして、それは。 「私にも――分からないのよね」  リストリカもまた、同じだった。 「分からない?」  ソィルが眉をひそめ、リストリカは「うん」と頷き、 「というよりも、私だけじゃなくて、みんな分かってないんじゃないかな。誰も理由を知らな いのに、状況だけが進んでいる感じ。ひょっとしたら――内乱を企んでる人たちすら、知らな いのかも」 「それは――」  それは、どうなんだろうとカイルは思う。  内乱を起こす本人たちが、なぜ内乱を起こしているのか分からない。  それではまるで、自由意志ではない。  それではまるで。  誰かに、操られているかのようだ。  意図のない人形のように。  糸の絡んだ人形のように。 「……考えすぎだ」  否定したのは、ソィルだった。俯き気味に顔を伏せ、ぼつりと、 「理由はあるだろう――あんたの立っている場所からだと、分からないだけだ」 「ソィル! そういう言い方は、」 「だから構わないって」  思わず立ち上がりかけたカイルの手を、リストリカは思いっきり引いた。立ち上がりかけた カイルの体が倒れ、その様を見てリストリカはくすくすと笑う。 「同い年、だしね。それに――私、まだまだ『御姫様』にはほど遠いからさ。色んなこと勉強 して、一人前になって、この国を本当に良くしていけるようにならないと」  まだまだ見習いなのよ――そう言って、リストリカは笑った。  同じく騎士見習いのカイルとソィルは顔を見合わせ、笑い合った。  笑う二人を見て、リストリカの笑みが少し変化する。恥かしそうな照れ笑いから、何か悪戯 を思いついた子供のような笑みへと。  そして、リストリカ=クローゼンシールは言う。 「だから、ね。――二人にお願いがあるんだけど」         †   †   † 「……お願いって、こういうことですかリストリカ」  ため息混じりのカイルの言葉に、隣を歩くリストリカは苦笑を返した。カイルとは反対側に 立つソィルは、呆れるのにも疲れたのか無表情で遠くを見ていた。  街中は予想よりも緊張してはいなかった。大通りに面した店々では普通に商売をやっている し、子供たちが走り回ってもいる。男たちは大抵山へと出たり遠くへ出稼ぎにいったりしてい るので、男よりも女の数の方が多い。  一見すると平和だった。  ただし――大通りから一本外れたところに明るさはなく、大通りでさえ、妙な緊張を隠せず にいたが。  その緊張した雰囲気を感じ取って、カイルはつい構えてしまいそうになる。街中で白銀の剣 を抜いてしまえば目立つので、そういうわけにもいかないが。  一方のリストリカといえば、カイルよりもはるかに町に溶け込んでいた。いつもの王女服で はない。市勢の者がきるような簡素な服に、つばの広い帽子を目深に被っている。近くから顔 を除きこまない限り、『王女』だとは分からないだろう。  それはカイルとソィルも同じことだった。ファーライト王国から支給された鎧を、二人は今 着込んでいない。鎧は城下町の宿に預けている。限りない軽装に、剣が一本ずつ。それが今の 二人の格好だった。  全体としては、駆け出しの冒険者三人組といった風貌だった。歳が若いということもあり、 街中ではまったく目立っていない。昼間の活気が溢れた街中を、三人はおしゃべりを続けなが ら歩いている。  もっとも――耳をすまして三人の会話を聞いてみれば、さらりととんでもないことを話して いるのだが。 「自分の眼で、ちゃんと自分の国を見ておきたかったのよ」 「でも、こんなときにしなくても……」  カイルの漏らした言葉は至極真っ当なことだ。  こんなとき。  国民が反乱を企てている疑いがあるときに、王女が街中に出るというのは――ある種の危険 を孕んでいる。『リストリカ=クローゼンシール』という個人は国内でも人気があるが、もし これが不遜な王女だったら、それだけで暴動のきっかけになりえない。  けれど、リストリカは、首を横に振った。 「こんなときだから、よ。平和なときだけ見てちゃ、何の意味もないもの。国が乱れたときに どうにかするのが――乱れる前にどうにかするのが――国の代表である、私たちの役目なんだ から」 「へぇ……」 「ふん」  まったく同時に、カイルとソィルが感心の声を漏らした。ここ数日話をし続けて分かってい たが、ただの『御姫様』の上にあぐらをかくような人間ではないらしい。自分のやるべきこと と、自分の立ち位置をはっきりと理解していて、その上で道を選んでいくような強さがリスト リカにはあった。  それは、どこか。  ファーライトの姫君を思い出させると、二人は内心で思ったのだ。 「豪華な椅子に座ってるだけじゃ分からないことって、一杯あるしね――父には話してるから 大丈夫よ」  あっはっは、とリストリカは心配げなカイルの顔を見て笑う。気をつかわれているなあ、と 思いつつも、カイルは一応質問をする。 「でも、僕達なんかでいいんですか、その……言いたくないですけど、僕らまだ騎士の卵です よ。正直、強さでいうなら東国騎士団長とかの方が、」 「それは駄目だろう」  ソィルがぼそりと横から駄目だしをする。リストリカの肩越しにソィルの顔を見ると、ソィ ルは遠くに聳える城の方を振り返りながら、 「目立つからな」 「……ああ、まあそうだね。確かにその通りだ」  遠くから見た東国騎士団長――ジュバ=リマインダスの姿を思い出す。長身かつ目立つ風貌 のあの男性と一緒にリストリカが歩けば、間違いなくヒトの目を引くだろう。いくらなんでも 一国の王女にセクハラはしないだろうが、してしまっては大問題になる。 「大丈夫よカイル。私、貴方たちの特訓を見て決めたんだから」  ん、とカイルとソィルが振り向く。  二人の顔を交互に見て、リストリカは笑顔と共に言葉を続けた。 「連合から派遣されてきた人って、結構やる気ない人が多いのよ。『ヨソサマ』だってことで 、何か起こるまではずっと宿にいたりね。でも、遠くに来てまで強くなろうって頑張るのを見 てて――あ、この二人なら大丈夫だな、って、そう思ったの」  リストリカは笑う。少しだけ恥かしそうな、本当の笑みを。  つられたように、カイルとソィルも、微かな笑みを口元に浮かべた。 「御姫様にそう言って貰えるなら、光栄の極みですよ」 「同感だな」 「いえいえ。それにね、」  言って。  えい、と気合を入れるように呟いて、リストリカは二人の腕を取った。左腕でカイルの右腕 を。右腕でソィルの左腕を。無理矢理に腕を組んで、リストリカは楽しげに笑った。 「こうすれば、絶対御姫様だなんてバレないでしょ?」 「…………それはちょっと」  笑顔を向けられて、頬を赤らめるカイルに対し、ソイルがぼそりと、 「恥かしいか」 「ソィル。君は恥かしくないのかい?」 「慣れてる」 「それは初めて知ったな。一体どこの誰と?」 「――ユメとだ」 「…………」  はぁ、とため息。そんな二人のやり取りを見て、リストリカの笑みは深まっていく。  歳相応の、少女のように。  その笑顔を見ながら、カイルは思う。繋いだ腕はこんなにも細いのに、自分とは比べ物にな らないほどこの人はしっかりしているのだと。  どうして戦っているの、とリストリカは聞いた。  先日、王宮での訓練が終わったあとのことだ。今にして思えば、あの会話こそが、今回のお 忍びでの観察を決める要因になった気がする。  国と姫君を守るためです、とカイルは答えた。  けれど。  どうして守りたいのか、カイルは――答えられなかった。  騎士だから守る、そうとしか答えることができなかった。  生まれたときから騎士だったから。  誰かを、何かを守るのが当然だと思っていたから。  騎士だから。その言葉だけで、全てを表せると思った。  けれど、リストリカは『それでは駄目だ』と云った。それが分からないと、試練に直面した ときに、剣が折れてしまうとも。  それが、どういう意味なのか、よく分からなかったけれど――リストリカの言葉は、不思議 と頭に残っていた。  夜中、訓練を終えたカイルとソィルを前にして、リストリカは言った。 『――だからね、カイル。君は誰かを好きにならなきゃ』  誰かを好きになることが、どう話に繋がるのか分からなかった。 『――強いくせに弱いなんて、酷いアンバランスだよ。なんで戦うのか分からないのに剣を振 ってたら、いつか自分を切っちゃうよ?』  たしなめるような、心配するようなリストリカの言葉が、理解できなかった。  理解できなくとも――忘れてはならないと、カイルは思った。  きっとそれは、大切なことなのだから。 「……カイル?」  声をかけられて、カイルはようやく記憶の中から抜け出した。ふと見れば、リストリカとソ ィルが、揃ってじっとこちらを見ていた。 「あ、いえ――なんでもありません。大丈夫です」  首を振って、思考を追い払う。今は、思い出しているときではない。  今の役目は――リストリカを守ることなのだから。 「それより、実際に間近で見てどうですか?」  話を逸らし、元に戻すためにカイルは問う。リストリカは「んー」と考え込み、 「自慢じゃないけれど、私の父って良くも悪くもない中庸な国王なのよ」  あっけらかんとした口調で、そういった。 「…………」 「…………」  自分の父親に対してそれはどうかなあ、と思うが、他人であるカイルがどうこういうことで もないので特に何も言わなかった。ソィルも同じように沈黙し、リストリカだけがぶつぶつと 独り言のように呟いた。 「だから、おかしいのよね。どう考えても内乱が起きる理由も必然性もない。戦争が迫ってる わけでもないのに、反乱を起こす理由が、見当たらない」  納得がいかない、と呟いて、リストリカは顔をあげて、町の中を振り返る。城からだいぶ歩 いてきたせいで、城下町の南端まで辿り着いてしまった。このまままっすぐに進めば盆地から 山道への変わり目がある。  振り返って見えるのは、平和にしか見えない、城と町だ。  その光景を見つめながら――リストリカは呟く。 「ないはずなのに、何で――こんなに緊張してるんだろう? 何か、違和感がある」  ――起こるはずのないものが起こっている。  そう、リストリカは言葉を纏めた。  カイルにもソイルにも、その『違和感』は感じ得ない。それはきっと、長くこの国を見てき たリストリカだけが知りえるものだ。  それでも、おかしいとは思う。  こんな山間の、隔離されたように平和な小国で、反乱が起こるなんて。  ここから景色を見ているだけでは、とても思えなかった。 「リストリカ――」  肩を落として街を見るリストリカに、何を言えばいいのか、カイルには分からない。重すぎ るものを背負い、泣くこともできないような少女に、何を言っていいようにも思えなかった。  見ているものが、きっと違う。  同じ風景でも――まったく別のものを、リストリカは見ているのだと、カイルは思う。  それでも。  リストリカ=クローゼンシールにそんな顔をして欲しくないという一心だけで、カイルは何 かを言いかけ。  その気配を察して、「なんでもないのよ、大丈夫」と言いながら、リストリカがカイルとソ ィルの方を振り返った、その瞬間に――――   ――王国中に響く、爆発が起きた。         †   †   †  爆発が起きた瞬間――ジュバ=リマインダスとハロウド=グドバイは王宮中央にいた。若き 東国騎士団長であるジュバは文字通り『最後の壁』であり、平時は奥にどっしりと構えている 必要があったからだ。  そういうことは性に会わない、とジュバは思う。  東国は東の国々との戦乱の中で巨大になった国であり、多種民族・多種文化を併合して存在 する火薬庫のような国だ。そんな国の中で騎士団長を張るジュバは、常に先頭に立って戦って きた。おかげで、こうして座っているだけで言いも知れぬ不安感に襲われる。  普段ならばマスクマンJに変身してパトロールでもするのだが、他国に出張っている今、そ んなことをするわけにもいかない。ただでさえ、クローゼンシール王国騎士団の面々からは邪 魔者扱いされているのだ。  王国連盟に助けを求めるというのは、『自分たちだけでは無理だ』と言っているようなもの だ。いくら王家の命令だとはいえ、騎士団たちのプライドは簡単には納得いかない。おまけに 相手はあの『東国一』なのだ。皮肉を投げるわけにもいかず、ジュバとクローゼンシール騎士 団の間には微妙な間があった。  その間を気にしないのは、ジュバと同じように『外』からやってきた者だけだ。  もっとも。 「なあジュバくんジュバくん、なにか不穏な気配がするとは思わんかね」  その男は、王国連盟でもなければ要請されたわけでもなく、そもそも以って騎士でも戦士で もないのだが。 「わざわざ言うまでもなく気付いてるさ。不穏な気配なんて、今に始まったことじゃねえだろ う」  王宮中央へと繋がる階段に座り、伸びをしてジュバはため息を吐いた。直ぐ側に置かれてい るのは、巨大な黒い剣、クレイモアだ。身にまとう白銀の鎧といい、完全に臨戦態勢である。  隣に立ち、柱に背を預ける男性は、ジュバと親子ほども歳が離れている。完全武装のジュバ とは違い、王宮中央にいるには相応しくない古びた白衣のようなコート姿だった。  彼は騎士でも、戦士でも、魔法使いでもない。  学者である。  魔物生態学者・ハロウド=グドバイは、長い付き合いであるジュバ=リマインダスのつむじ を見下ろしながら言った。 「そういうことではなくてだね。今日は特にというか、ざわざわと総毛立つような感覚がだ ね、」 「痴呆かおっさん」 「百年早いな」  言って、ハロウドは迷わずジュバの背中を蹴り飛ばした。ごろごろごろごろと転がり落ちる 東国最強。指を差して笑うハロウド。遠巻きに唖然と見るクローゼンシール王国騎士団。  きっかり三秒後、ジュバはむくりと立ち上がり、 「何しやがる!?」  ずかずかと階段を駆け登りながらそう怒鳴った。怪我をした様子は一切ない。階段を落ちな がらも受身を取ったのは、さすが東国最強――ということなのだろう。  胸倉をつかまれてもハロウドは平然とした顔で、胸倉をつかむジュバの手を握り、 「落ち着きたまえ」  言うと同時に、ジュバの体がくるりと反転した。階段の段差部分に背中から叩きつけられ、 ジュバが「うえ」と声を漏らす。東国よりさらに東、極東から伝わる『バリツ』という技術だ。 「年上を大切にしなさいと、エデンス先生も言っていただろう?」 「あの婆さん、年上なんてもんじゃないだろ……」 「あ、いいのかなジュバくんそんなことを言って。私は迷わずエデンス先生に告げ口する人間 だよ?」 「うわ、人間小さいなおい!」  吃驚した、と言うような仕草をつけて言うジュバに、ハロウドはにっこりと笑い、 「あのヒトに折檻されるくらいなら、私は小さい人間であることを選ぶよ」 「……決め台詞っぽいけど全然決まってないぞ」 「そうかもしれないね。ほら、さっさと立ちたまえ」  は、とジュバは空笑いし、倒れた姿勢から背筋だけを使って一気に飛び上がった。狭い階段 の上でもよろめくことなく着地し、おきっぱなしにしていたクレイモアを持ち上げる。普通の 人間ならば両手で持ち上げるのがやっとなそれを、ジュバは片手で軽々と担いだ。 「不穏当な気配――ってんなら気付いてるさ」  担いだクレイモアをくるりと回し、腰溜めに構える。視線の先にあるのはハロウドではない。 盆地の中心にある城、そのさらに中央から見えるのは、このクローゼンシール王国の全てだ。  山の中の美しき小国を見晴らしながら、ジュバは暗雲とした声で言った。 「空気が張り付いてる。今にもはじけそうだ。誰かが押せば、それだけで壊れるだろうよ」  ふむ、とハロウドが頷く。ジュバの側に並びたち、 「きっかけさえあれば暴動は起こる、か。正論だね。いついかなるものでもきっかけに成り得 ることも含めて、だな」 「何かが起こったときのために、俺らは呼ばれたんだけどな」  肩を竦めてジュバはそういった。悲愴ぶってはいない。それが自分たちのやるべきことだと、 理解している口調だった。そんなジュバを、ハロウドは暖かい眼差しで見つめている。  子の成長を喜ぶ親のように。  二人の付き合いは――二人を含めた幾人かの付き合いは遠い昔から続いている。誰からも一 目おかれる『東国最強』に、平然と付き合っているのはそういう背景があった。 「しっかしハロウドさん、あんたなんでここにいるんだ?」 「ふむ? 何故、とは何故かね。私はいつだってどこにだって参上するが」 「……迷惑極まりないよなあほんと」 「何か言ったかね?」 「いいや別に。俺が言いたいのは――あんた、別に王国連合の人間じゃないだろ」  ジュバの言うことに間違いはない。ハロウドがかつて魔物研究所を開いていたのは皇国であ り、現在はどこの国家にもつかずに大陸中を飛び回っている。特別王国連合の要請にこたえる 必要は一切ないのだ。  不思議がる重場に、ハロウドは楽しそうな笑みを浮かべ、 「古い古い友人たる御姫様のお願いでね。どうにも不甲斐ない騎士くんのお守りさ」 「……騎士くん?」ジュバは少しの間考え込み、「ああ、そういやいたな。ファーライトから 来た『未来の聖騎士候補』って言われてるガキ二人か」 「ガキといっても、君とそう年齢は大差ないよ」 「俺より年下の男は全部ガキで、年上の男はオッサンだ」 「……女は?」 「決まってる」  その問いに、胸を張ってジュバは答える。 「愛でるべき対象だ」 「……。そうまではっきりと言いのけてもらえるといっそ清々しいものがあるね」 「ああ……尻が触りたいな……乳でもいい……」 「冗談でもそういったことを考えるのも呟くのも勝手ではあるがね、私以外の人間がいるとき にはやらないほうがいいぞ。いや、できれば私の前でもやらないでくれ。蹴り飛ばしたくなる から」 「冗談? 本気に決まっているだろう!」 「君がそういう人間だとは知っているつもりだがね……いやはやどうにも」  呆れたようにため息を吐くハロウドに、ジュバは笑みを浮かべたまま、 「あんたがあのファーライトの姫様と知り合いだとは知らなかったな」  あの、にアクセントを置いて問いかけた。 「あの、とは?」 「決まってるだろ。聖騎士の前以外に姿を見せない、秘密のヴェールに隠されたファーライト の姫。色んな噂には事欠かないが――聖騎士の行使権を持ってるのと、実質的にファーライト の象徴であることだけは確かだな」 「詳しいのだね」 「任せろ。それで――」ごくり、とジュバは唾を飲み込み「可愛いのか?」 「君はまずはそれなのだね。もちろんそれこそ国家機密だよ。私の知り合いだと、皇七郎くん とアーキィくんくらいしか知らないはずだ――」  何かを言いかけて、そこでハロウドは言葉を切った。  そこから先は、言うべきではないと思ったのだ。  ――本当の秘密を知っているのは。  そう言葉にしてしまうには、確信も確証も足りない。何よりも言うべきことですらない。  ハロウドの態度からその逡巡を読みとったのだろう。ジュバはそれ以上何を聞こうともしな かった。  二人黙って、クローゼンシール王国の景色を眺める。  そのまま、幾ばかりかの時間が、ゆっくりと過ぎてく。  先に何かを言おうとしたのは、どちらだったのか。後になっても、明瞭とは分からなかった。  二人が口をまったく同時に口を開き、何かを言おうとした、まさにその瞬間に。  ――王国中に響く、爆発が起きた。 「――何だ!?」  誰よりも早くジュバが剣を抜き放ち、その背を守るようにハロウドが反対を警戒した。二人 の脳裏に真っ先に浮かんだのは、魔道師系の攻撃か、爆撃系を使用した襲撃――つまり、警備 ごと王宮を吹き飛ばす攻撃だった。爆発音は余りにも大きく、そうとしか考えられないほどに 耳から脳へと響いていた。  爆発ならば、音に続いて、構える間もなく衝撃が来る。 「…………ッ!」  ハロウドの手の中には、魔法のように水晶が五つ握られている。ジュバの背に付きながらポ ケットから取り出した五つの晶妖精。宝石に宿る五人の妖精。  ――間にあうか!?  結界を張ろうとハロウドは腕を掲げ、ジュバもまた剣を斜めに構え、 「な、」 「――に?」  そして、二人は見た。  爆発が起きた場所を。  爆発は、確かに起きていた。大爆発といっても良い爆発だった。立ち昇る白い煙が、山の上 まで届こうとしている。  煙が昇るのは、王宮でも、城でもない。ましてや、城下町でもなかった。  クローゼンシール王国は、山間の盆地上に存在する。  その盆地をぐるりと取り囲む山肌――その全てから、煙が上がっていた。  王国を囲むように、爆発が起こったのだ。 「……攻撃、じゃないのか?」  ジュバが剣を構えたまま、いぶかしむように言う。直接攻撃でなかった分だけ声には余裕が にじんでいたが、それでも不可解であることには変わりなかった。   対照的に。 「いや――違う。よく、見たまえ」  ハロウドの声には、先よりも更に、緊張が満ちていた。  五つの水晶を握ったその手で、山肌を指し、ハロウドは言う。  首を傾げつつも、ジュバは煙の晴れたその先を見て。 「なんだ――あれ」  ハロウドと同様に、絶句した。  王国の領土を取り囲むように爆発が起きた山肌、白い煙が消えかけた其処に。  ――巨大な、魔物の姿があった。  双つの頭を持つ巨大な翼竜。魔法式のブレスを餅、二つの頭で二種の魔法を放つ強力な竜。 得意なワイバーン。生半可な冒険者たちでは容易く餌食にされてしまう。  魔物生態辞典を作った男の一人、ハロウド=グドバイはその竜の名を知っている。  自然と、口からその名は零れ出ていた。 「竜種・多頭竜類……アジ=ダズ=ゲイス、だと?」  そして、その名を知っているからこそ――魔物生態辞典を作った人間だからこそ――ハロウ ドの頭に、不信感が芽生えた。  その不信感を隠すことなく、ハロウドは叫ぶ。 「なぜアジ=ダズ=ゲイスが、こんなところにいる? いくら東部棲息だといっても、彼らの 主たる生息地は平原のはずだ! こんな山奥に群れて出てくるはずが――」 「――竜だけじゃないみたいだぞ」  ハロウドの叫びを遮って、ジュバが小さく呟く。声にもはや余裕はない。緊張と戦意を孕ん だ声でジュバは言う。 「見てみろ、竜の周り」  竜、だけではなかった。  雪山にしか存在しない巨人、ホワイト・タイタンが七人。  体長二メートルほどの毒蜘蛛、フラッシュハウンドが十二体。  ももっちの亜種、甲殻種であるありっちArmy型が三十人以上。  確認できるだけで――それだけの魔物たちが、ぐるりと、盆地を囲むようにして存在してい た。 「完全に――囲まれてやがる」はき捨てるように、ジュバが言う。「よりにもよってこんなと きに、魔物の侵攻かよ……」 「いや、違う」  苛立ち紛れにいったその言葉を、しかし、ハロウドは否定した。 「それはない。見たまえジュバくん。ホワイトタイタンは北部だし、アジ=ダズ=ゲイスは平 原だ。ありっちもフラッシュハウンドも、こんなところに群れをなしているはずがない」  それは、魔物生態学者らしい確信に満ちた言葉だった。それだけはありえない、ハロウドの 口調はそう断言している。  その言葉をジュバは疑わない。事魔物に関して、ハロウドたちの言うことほど信用になるこ とはないからだ。  残るのは、疑問だけだ。 「じゃあ、そんな奴らがどうしてここに?」 「恐らくは召還系の魔法だろうね。先の爆発といい煙といい、山肌に無理矢理召還したのだろ う。もっとも――こんな高等かつ異端な魔法を仕える人間など、私はそうそう知らないがね」  召還術は、長い儀式と的確な手順、加えて道具を使用することによって可能にする高等魔法 だ。こんなにも多くの数を、一斉に、広範囲にわたって召還させる術師など、世界を探しても 十二人といないだろう。  多くのものを一度に遠くへ運ぶ魔法。  応用すれば――戦争を容易く仕掛けることができるのだから。 「俺にも心当たりはないな。ただし……これをやった誰かさんの悪意だけは、十分に感じ取れ るけどな」  言って、ジュバはクレイモアを握りなおす。視界の先では、召還からようやく魔物たちが動 き出していた。  国を囲むように現れた魔物が。  中へと。  国の中へと――攻め込んでくる。  誰が召還したのかは分からずとも、なぜ召還したのかは明らかだった。  国を滅ぼすために。  クローゼンシール王国を滅ぼすために――魔物たちを呼んだのだ。 「――まずいぞジュバくん」 「ああまずいさ。だからさっさといつものように魔物退治だ」 「そうじゃない。外から追い囲むように魔物がくれば、国民たちは内へ内へ――城の方へと集 まるぞ。反乱を志す国民たちが」 「――――!!」  ハロウドの言葉に、ジュバは劇的な反応を返した。飛び跳ねるように魔物から国内へと視線 を移す。一街分の大きさしかない小国、クローゼンシール。盆地の境目に魔物は今にも達そう としている。そこにすむ国民は、いきなりの襲撃に驚き、中へと逃げてくるだろう。  間違いなく、パニックが起こる。  今日は不穏な気配だ、とハロウドが言った。  何かきっかけがあれば爆発する、とジュバは言った。  これが――そのきっかけなのだ。  がけっぷちに立つ国民たちの背中を、無理矢理押すような――強引過ぎる、きっかけ。  魔物の襲撃と、国民の内乱。  恐らくは。  そのどちらもが、『誰か』の手によるものだと、二人は気付いていた。  そして。  気付いたところで、もはや状況は――止めようがないほどに、動き出していた。  放っていても、魔物は攻め込み。  放っていたら――国は滅びる。  ジュバも、ハロウドも、内心では思う。  ――もはや、手遅れかもしれない。  完全にごてに回っている。ただの内乱ではない。何かの陰謀の匂いがする。  それでも、何もしないわけにはいかなかった。 「クローゼンシール王国騎士団!」  遅まきながら装備を整え、陣形を作り出した騎士団に向かって、ジュバが叫ぶ。 「俺たちが突撃する――貴様らは国民の誘導と防衛線の設置を頼む!」  叫び、返事も聞かずにジュバは南へと駆け出す。竜が二体存在する、最大の激戦地へと。混 乱しはじめた街中を見下ろすように、屋根から屋根へと飛びながら、矢よりも早く飛び退る。  その姿を確認して、ハロウドは真逆の南へと駆け出す。両手から鞭を取り出し、  城から飛び出す前に、一度だけ振り返って。  騎士団の面々に向かって、ハロウドは忠告の言葉を投げた。 「気をつけたまえ。『敵』は恐らく、中にいるぞ!」       ■ 第十話 Black Gale AND Clausen seal ... END ■