■ 第十一話 Black Gale AND Big Wizard AND Outsider Hero ■  右の鞭を尖塔に結びつけ、一気に城壁を駆け下りる。中ほどまで降りた――あるいは落ちた ところで鞭を解き、城の壁を蹴って横に飛ぶ。重力が加算され、斜め下に急速に落ちていく。  その体を支えたのは、左手の裾から伸びる鞭だ。左の鞭を城門の見張り所へと伸ばし、振り 子のようにハロウドは飛ぶ。地面すれすれを行き、再びぐんと空へ上がり、左の鞭を解いて前 へ、前へ、前へと。  ハロウド=グドバイは、空を駆ける。  ジュバのような圧倒的な身体能力を駆使しているわけではない。彼のそれは、あくまでも技 術だ。作用反作用応力重力遠心力慣性。その全てを経験で捉え、家から家へと飛んでいく。そ れでもまだ足りない部分を―― 「金の妖精よ此処へ!」  古く長く使われた宝石に宿る、晶妖精へとハロウドは語りかける。応じるように「ヤー・ ヴォール♪」と胸元で声がする。  胸ポケットから顔を出したのは、小さな小さな晶妖精だ。五行での金――総じて風を司る、 小さな友人。  金の晶妖精は、ポケットから上半身だけを出して、くるりと思いっきり腕を振った。同時に、 ハロウドの周りにだけ風が巻き起こり、地面に落ちかけていた体が再び空へと向かう。その勢 いを利用して、ハロウドは鞭を操る。  晶妖精による協力と。  自身の技術とを合わせて、ハロウドは跳び、駆ける。  ――戦場へと。 「……む?」  その足が、大分端にまで来た所で唐突に止まった。屋根の上で立ち止まり、ハロウドは城下 街を見下ろす。見ている先は大通りではない。パニックがおき始めた大通りから一本外れた路 地裏だ。魔物たちは徐々に街へと近づき、外側からなだれるように国民が逃走を開始したが、 裏路地は比較的人気がない。  その人気がない路地をゆく、見知った姿があったからだ。 「ふむ」  とひと声呟き、ハロウドは行く先を変えた。宿屋の裏から抜け出し、魔物たちがいるほうで はなく、路地裏をゆく二人組の元へと。  屋根から飛び降り、二人の前に降り立つ。同時に、片方――鎧を着用し白銀の剣を持つ少年 が、帽子を深く被った少女の前に、守るように立ちふさがった。  鬼気迫り、今にも切りかかってきそうな少年に対し、ハロウドは落ち着いた声で言った。 「待ちたまえカイル君。私の顔を見忘れたのかね? ひょっとしたらひょっとすると私だから 剣を向けたという可能性もあるが、それはこの際考えないでおこう」 「ハロウド――さん」  カイルは。  剣を抜いたカイル=F=セイラムは、焦りを隠しきれずに名を呼んだ。  名を呼ばれたハロウドは、すぐに後ろの女性へと視線をずらし、 「女の子連れとはカイルくんも隅にはおけないね。我が世の春が来たというやつか。まったく もって羨ましい限りだよ。よかったら私に紹介してくれないかね?」 「ハロウドさん! 今はそんな場合じゃ、」  いつものように冗長な言葉に、カイルは焦りを隠そうともせずに、ハロウドへと怒鳴りつけ た。  けれど。  その怒号を受けても、ハロウドは冷静に――先以上に冷静に、言葉を投げる。 「そんな場合じゃないからこそ、貴方がなぜ此処にいるのか私は聞いているのさ」  カイルではなく。  その後ろに立つ女性――リストリカ=クローゼンシールへと、ハロウドは問うた。 「…………」  その言葉に、俯いていたリストリカは、毅然と顔をあげた。  帽子の下に覗く顔は、ふざけた様子も、怯えた様子もなく、真っ直ぐにハロウドを見返して いる。  ――自分のやるべきことを、理解している目だった。 「ふむ。状況は把握しているね?」 「はい」  ハロウドの言葉に、リストリカは即答する。迷いのない頷きだった。  カイルだけが何のことか分からずに、それでも自分のやるべきことをこなすため、周囲を警 戒する。だんだんと、混乱の悲鳴が大きくなってきている。  その音を聞きながら、ハロウドはいつも以上の早口で続けた。 「騎士団、それにジュバくんが動いているが――正直、止められるかどうか分からない。でき ることなら、国民の誘導もやるといい。それが王家の義務だろう」 「……知っているんですか?」  リストリカの眉がつりあがる。何のことを言っているのかカイルには分からず、話にまった くついていけない。  けれど、当のハロウドは何のことか、を理解していた。首を横に振り、 「いいや、推測と考察だよ。こういう地形上――山の向こう側への抜け道が、城の地下にある だろうからね。包囲する魔物の裏へと抜けるならそれが最善だろう」 「……仰るとおりです」  それは、直接的ではない、間接的な――けれど明確な肯定だった。 「王家しか知らない以上、父母に何かがあった場合のために、私は戻らなくてはなりません」  意思を込めた言葉に、ハロウドは「それでこそだ」と頷き、視線をリストリカからカイルへ と戻す。  ようやく状況をつかめてきたカイルの瞳をのぞき込み、 「カイルくん。君はこの御姫様をお送りしたまえ。騎士なのだろう?」  微かな笑みと共に言葉が吐き出されたのは、帰ってくる答を知っていたからだろう。 「――はい」  ハロウドの想像通りに、カイルは寸分の時間もおかずに、強く、深く頷いた。  剣を収め、リストリカの手をとりながらカイルは言う。 「ハロウドさん。この先でソィルが足止めしています」 「分かった。そちらの方は私が手伝おう。ああ、北は心配しなくていい。ジュバくんが行った 以上結果は見えている。君は心配せずにその御姫様のことだけを考えていたまえ」  もう、これ以上情報を交換する必要はなかった。カイルは頷き、リストリカの手を握って走 り出す。  その背に、ハロウドは笑いと共に、別れの挨拶を告げた。  いつものように。  別れと、再開を願って。 「それでは――生きていたらまた会おう」  言って、ハロウドは駆け出す。外へと。街の外、戦いが行われている場所へ。 「死なない限り――また会うでしょうね」  苦笑と共にそう答えて、カイルも走り出す。目指すは王国の中央、王宮にある王家の間だ。  遠くから、戦闘音が聞こえてくる――         †   †   †  王宮のさらに奥、二人以外には誰もいない部屋で。 「どういうことだこれは!!」  貴族はそう叫んで、ソファでくつろぐ大魔道師――トイ=ヘスの足元へと、手に持っていた 宝玉を投げつけた。黒い球体はわれることなく、トイ=ヘスの足元まで転がって止まる。皹一 つ入っていない頑丈さだった。  レギナブラーフの涙、と呼ばれる宝玉である。  悪しき龍、黄昏のレギナブラーフ。不貞と裏切り、権威と道徳からの解放をもたらすといわ れる神獣。遠い昔、神話の中で暁のトランギドールと衝突し、破れて深い眠りについたと言わ れている事象龍。  三首と一切の光沢を持たない漆黒の体表を持ち、瞳から零れる光は黒真珠のような宝石にな るとされる。  その涙こそが宝玉であり――  ――『噂』の正体だった。  ありもしない噂を広め、権威と道徳からの解放を煽り、革命を起こす。  そのための、宝玉だった。  それを可能にするための、宝玉だった。  逆に言えば、それ以外のことは何もできないということになる。まかり間違っても、魔物を 呼び寄せるような、そんな道具ではないのだ。  宝玉で民衆の心を操り、思うがままに国を操る。  そのための道具だと言われて、貴族は使ったのだ。  だと、いうのに。 「どうして――魔物が攻めてきている!? よりにもよって、このタイミングでだ!」  激昂し、詰め寄る貴族に対し、トイ=ヘスは退屈そうな欠伸を吐いた。貴族の顔が赤を通り 越して白くなる。怒りのあまり、口の端から泡が出ていた。  それも、仕方のないことだ。  貴族の望みは国家を支配することであり――国そのものを滅ぼすことではないのだから。  このままいけば、内乱と魔物によって、国は間違いなく崩壊する。  そんなものを貴族は望みはしなかった。望むとすれば、ただ一人、 「偶然、って奴じゃないんですか。いやはやまったく世界とは怖いですねぇ」  貴族の目の前に座る、おかしな大魔道師だけだろう。  ワイングラスを傾け、優雅に座るトイ=へスは、腰を浮かそうともしない。激昂する貴族を 見てすらいない。窓の向こうに見える、火の立ち始めた城下街を見ていた。  混沌の中に落ちつつある街を、おかしそうに、眺めていた。 「偶然、偶然だと!? 偶然でこんなことになるか! 王家を殺させ、その後で革命軍を討伐す るという手順も台無しだ! ――見ろ!」  言われるまでもなく見ていたが、ヘイ=ストは男の指先を追うように、窓の外を注視した。 火のたちあがる街、ここまで聞こえてくる悲鳴、魔物たちの雄叫び、  ――そして武器を手に、城へと突き進む国民の姿。  三方を魔物に囲まれ。  結果、国民たちは城へと向かっていた。逃げるために。そして、戦うために。  どこからともなく発生した、反乱軍を皆殺しにするために魔物を放ったという噂話を信じて、 逃げながら城の人間を殺すために。  暴走に近い域で、狂騒に届く勢いで、国民たちは城へと迫る。  もし彼らが辿り着けば――王家も貴族も関係なく殺されるだろう。狂走する国民に、その区 別が付くとは思えない。  貴族は確信している。半ば無理矢理な当てずっぽうであるにも関わらず、確信している。  その全てが、このにやにやと笑う大魔道師の、思い通りに動いているのだと。 「おやまぁ。これじゃあ皆殺しですね。困ったものですよまったく」 「なにが――困ったものだ! 貴様が、貴様が私の計画を、私の野望を!」  貴族の論理は、もはや冷静とはいいがたい。たとえトイ=ヘスがこの上なく怪しいとしても、 それだけで決定づける証拠は何もないのだ。  貴族は、ただ押し付けたいだけだ。  この現状の原因を全て、トイ=ヘスへと押し付けたいだけだ。自分が悪いのではないと言い 訳し、お前が悪いんだと弾劾できる相手を探しただけだ。それが、もっとも怪しい人間である トイ=ヘスだったという、それだけのことだ。  そのことに、勿論トイ=へスは気付いている。  気付いていて――笑っている。  全てはお前のせいだ、と言われること。  全てお前が悪いんだ、と言われること。  そんなことは――当たり前のことだから。 「貴方の野望?」  トイ=ヘスは、いかにも意外そうに、眼を見開いた。おどけたように手を広げ、足元のレギ ナブラーフの涙を爪先で転がしつつ、 「どこに、貴方の野望があるっていうんです?」 「? 貴様、何を――」 「は、は、は! 貴方の野望? 貴方の計画? 貴方の意思? 貴方の意図? そんなものが ――一体どこにあったっていうんです! まったくもって滑稽だ愉快だ爽快だ!」 「…………」  突然立ち上がり、高笑いをしながら捲くりたてるトイ=ヘスに、貴族はついていけない。目 の前のトイ=ヘスの笑いの意味が分からない。何も分からずにいる貴族を見て、トイ=ヘスは さらに笑う。 「レギナブラーフの涙は、権威と道徳からの解放をもたらして――不貞と裏切りを囁く」  いきなり。  前触れもなく、トイ=ヘスはそんなことを口にした。同時に、こん、と、爪先で『レギナブ ラーフの涙』と呼ばれる宝玉を押し出す。  床を転がった宝玉は、貴族の足にぶつかって、止まった。  真っ黒な宝玉を、思わず貴族は見下ろす。事象龍の涙と伝承で伝わる宝玉。トイ=へスから 与えられた宝玉。  国民を扇動するのに使用した宝玉。  そして――  トイ=ヘスは、にやにやと、にやにやにやと笑いながら、問いかける。 「さて、問題です。貴方が王家を裏切って不貞を働き、国家を支配しようと思ったのは―― 一体何故だったんでしょうね?」 「…………ッ!!」  その言葉に。  貴族は、答える術を持たなかった。  男は、貴族である。  いつの世も変わることのない、自身の保身と、富と、栄誉を求める貴族である。そういう貴 族が消えることはない。彼らが立場を守ろうと努力することによって、国というシステムが支 えられているからだ。もっとも――そのシステムを食いつぶすのもまた、貴族であるのだが。  彼は、その典型的な形だった。  ――ただし。  民衆を扇動して王家を殺そうなどと、馬鹿げたことを考えるような貴族ではなかった。彼は 国家に尽くし、王家と持ちつ持たれつして汁をすする寄生虫だったはずだ。  宿主が死ねば、寄生虫も死ぬ。  そんなことは、分かりきった道理のはずだ。  分かりきっていた、はずなのに。 「どうして……どうして、私は……、私は、……?」  がくり、と。  貴族の膝が折れた。うずくまり、男は蒼白の形相で頭を抱えた。  矛盾に、気付いてしまった。  望みがあるから、道具が与えられたのではなく。  道具があるから、望みを与えられたことに。  最初から最後まで――全て、この大魔道師の手のうちだったことに。  膝を折り、うずくまる貴族を見下して、トイ=ヘスは狂ったように高笑いをした。 「アハハハハ! ボクは何もしていないさ! 滅ぼしたのはキミだ、支配するのもキミだ!  さぁさぁ喜べよ喜んで支配しろよこの国を! もはや滅びるしか道のないこの国を、わずかな 時間楽しく支配するといい! ボクが呼んだ魔物たちは、全てを等しく滅ぼしてくれるだろう からさぁ!」  自分で騒動の種をまき。  自分で騒乱に火をつけ。  自分で跡形もなく消す。  全て――手の内にある。  子供が砂の城を作って壊すように。 「有難う。貴方のおかげで―――――――――――――――――ボクの暇は、潰れてくれた」  それだけの、理由で。  12時の賢者、トイ=ヘスは。  大魔道師、ヘイ=ストは――全てを、台無しにした。  ハ、ハ、ハ、と笑いながら、ヘイ=ストは貴族の部屋を去っていく。その高笑いが遠ざかる に吊れ、貴族の口元に笑みが浮かぶ。入れ替わるように近づいてくる、国民たちの声を聞いた からだ。  もはや、笑うことくらいしか、できなかった。         †   †   †  目の前に双頭の竜が一匹。蟻を模した少女が三匹散開し、巨大な蟲が一匹竜と対角線上に存 在している。その中心にいるのはたった一人、ただ独りの男であり――その足元には、すでに 数体分の死体が転がっていた。  男に怪我はない。被る血はすべて敵の血であり、体の震えは恐怖ではなく武者震いである。 その上――敵の最中にあって。  男は、ジュバ=リマインダスは、不敵に笑っていた。 「どんなものかと思えば、この程度か」  ぶん、と剣を振って血を落とし、退屈そうにジュバは呟いた。彼が持つ武器・クレイモアは 、両手で扱うのにすら巨大すぎる大剣だ。それをマトモに使えるのならば、竜の分厚い皮膚す らをも切り裂くだろう。  ジュバは、まともになど使ってはいなかった。  マトモではなく、尋常ですらなく。  クレイモアを、ジュバは――片手で振り回していた。右手一本でクレイモアを振い、さらに 血を落す。ぶん、という風斬音と共に、わずかな風圧がありっちARMYのバランスを崩す。 二足歩行のありっちは、四足歩行のフラッシュハウンドや巨大竜であるアジ=ダズ=ゲイスに 比べてバランスが悪い。  とはいえ――わずかにバランスを崩しただけだった。  だというのに。 「まったくもってつまらないな――手ごたえが一切ない」  ギギギ、と。  袈裟懸けに二つに分断されたありっちARMYが、断末魔の悲鳴をあげた。十分な距離を置 いてジュバを囲んでいたありっちARMYが、姿勢を崩したその瞬間に――大剣の長いリーチ を最大限に利用して、切り殺したのだ。  一切の構えもなしに、誰に見られることもなく。  切られたありっちも、取り囲んでいた魔物にも、ジュバが何をしたのか分からなかったに違 いない。彼らからしてみれば、突然ありっちARMYが真っ二つになり、血を拭ったはずの剣 に再び血がついていたというだけだろう。  これで、五度目だった。  ジュバが戦場に飛び込み――同じように五度、ありっちARMYが切り殺された。最初に城 下街へ踏み込もうとしたものが切られ、ジュバに突っかかったものが切られ、ジュバを無視し て城へと向かおうとしたものが切り殺された。  事ここに至って、魔物たちはようやく気付いたのだ  ――この男を倒さねば、先へはいけぬと。  この男は、『敵』なのだと――魔物たちは、はっきりと認識していた。  その敵意はジュバにも伝わっているだろうに、彼はまったく焦っていなかった。こうして囲 まれても、怯む様子も惑う様子もない。  退屈そうに、自身を取り囲む魔物たちを眺めるだけだ。  こんなことは、慣れている――そう言いたげな目で、ジュバは剣を構えた。 「それでも仕事だ、これでも団長ってのは大変でな――早くかえって尻を見る重大な仕事が俺 を待ってるんだ。だから――」  笑いながら言いかけた、ジュバに向かって。 『――ギギギギグガゲガガガゴガ/ガゴガガガガゲガグギギギギ――』  双頭の竜、アジ=ダズ=ゲイスが、人間には不可能な発声器官で吼えた。人間には理解でき ない論理を持って世界が組みかえられる。大きく開いた二つの口の前に魔法陣が浮かび上がる。 体内の器官を利用した器官式の攻撃ではない、魔術を利用した魔法式の砲撃。  そして。  魔法陣が浮かび上がったその瞬間には――もう、ジュバはそこにはいなかった。  全長四メートルのアジ=ダズ=ゲイスよりも高くジュバは飛び上がる。魔砲の発射体勢に入 っていたアジ=ダズ=ゲイスはその動きについていけず、魔法陣から放たれた二層の光は、一 直線に伸びて何もない地面に突き刺さった。  地面が、爆発する。  その爆風に乗って――ジュバはさらに高く飛び上がる。 「――容赦なく、やらせてもらうぜ!」  アジ=ダズ=ゲイスと、フラッシュハウンドと、ありっちARMY。その全てを視界に捉え られる高さまで舞い上がり、ジュバは大きく、クレイモアを振り上げた。 「大――」  ようやくジュバの動きに気付いたアジ=ダズ=ゲイスが上を向く。再び顎を開き、砲撃の魔 法陣が浮かび上がる。三匹になったありっちARMYが足に力を込め、落下しつつあるジュバ を迎撃するように飛び上がった。 「――切――」  振り上げた剣を、普段は片手で振り回しているそれを、両手で強く握りしめる。ぎりりと、 ぎりぎりと、全身の力を込めてさらに振り上げる。ありっちARMYが迫り、そのありっちA RMYごと吹き飛ばすかのように、アジ=ダズ=ゲイスの魔法陣から二重の光が伸び、 「――――斬ッ!!」  裂帛の気合と共に――ジュバが、剣を振りぬいた。  一瞬の間もなく馬鹿馬鹿しいほどの破壊が巻き起こった。飛び上がったありっちが、口を開 けたアジ=ダズ=ゲイスが、その口から放たれた魔砲が、警戒していた二体のフラッシュハウ ンドが、敵ですらない地面までもが――両断された。  嵐が真下に落ちてきたかのように。  全てのものが――斬断された。防御力も何も関係ない、堅い鱗を持つ竜の体も分厚い大地も 区別なく、正しく丸ごと『両断』された。  ――大切斬の、技の名の通りに。  生きているものが、ではない。原型を留めているのは、剣を振り下ろしたジュバ=リマイン ダスその人だけだった。すべてを一剣のもとに分断した彼は、それが何事でもないかのような 顔をして、綺麗に着地した。  一拍遅れて、ぼたぼたと、ただの肉塊になってしまったものたちが地面に落ちる。  生きているものは、何一つとしてない。この光景を見て、彼が『東国最強』であることに、 異存を唱えるものは一人としていないだろう。  東国一、東国最強、東国騎士団長――ジュバ=リマインダス。  文字通りの、必殺技だった。 「さて」  片手でクレイモアを振い、ジュバは剣についた血と臓物を振り払う。切り殺した魔物たちに 目もくれない。  視線の先にあるのは、中央の城だ。 「思っていたより国民の動きが速ぇなあ――やっぱり、何か裏で動いてるなこりゃ」  聞くものは誰もいない。だからこれは、ただの独り言だ。  決意を固める、独り言だ。  ジュバ=リマインダスは、城と、その城へとわき目もふらずに突き進む国民たちを見ながら、 彼もまた駆け出した。  王宮へと。           †   †   †  王宮内には誰もいなかった。国王たちは既に逃げたのか、貴族たちは既に逃げたのか。明か りの途絶えたくらい通路の中には、人の姿は一切なかった。遠くから聞こえてくるのは混乱と 悲鳴であり、国民たちの気配は既に城の中へと差し掛かっていた。  誰も、いない。  だから――初めに『それ』に気付いたのはカイルだった。遠くからかつん、かつん、かつん、 と迫ってくる誰か。忍ぼうともしない、堂々とした足音だった。その音を聞きつけたから、カ イルは『それ』の存在に気付いたのではない。  存在感だ。  よほど昂ぶっているのか、圧倒的な気配を隠そうともしていなかった。  膨大な悪意の塊が、迫ってきている。  眼があっただけで殺すような、眼が合わなかったというだけで殺すような、そんなモノが迫 ってきている。それが人間なのだと、カイルには思えなかった。たとえ人の形をしていたとし ても――それは、人の皮を被った、別のナニかだ。  だから。  ソレが、目の前に姿を現しても。  カイルには、人間だとは、思えなかった。  砂時計を模した杖と、ローブを被った男。中がどんな姿なのかは見えない。  ただし。  口元だけは、はっきりと見えた。  にやにやと笑う、悪意に満ちた、口元だけは。  大魔道師、トイ=ヘスが、そこにいた。  「――――!」  見ただけで、分かった。血に濡れていたわけでもない、武器を構えていたわけでもない。ど こにでもいそうな、ただの魔道師だ。  それでも、その笑みを見ただけで、カイルにははっきりとわかってしまった。  ――コレは、『敵』だと。  絶対に相容れることのできない、倒さなければいけない敵なのだと、カイルの騎士としての 本能が叫んでいた。  だから、カイルは。 「ファーライト流……ッ、単剣・飛矢!」  警告も忠告もなくいきなり飛び込んだ。腰に構えていた剣を引き抜きながら左足で飛び込み、 右足で地を蹴って肩に剣を構える。三足目を放ちながら引いた剣を一気に伸ばし、間合いの外 から矢のように剣の先をトイ=ヘスへと突き出す。目的は右肩、杖を持つ手の関節部分。魔道 師で一番怖いのは魔道具であり、真っ先に潰しておかなければならないのもそれだ。体力に依 存しない魔道師たちは、何時如何なる状況下でも反撃の手段を持っているのだから。  先の先を取れば、基礎体力で劣る魔道師が反撃する前に勝負を決められる。こと近距離戦に おいて、呪文を唱える暇もない近距離戦において――騎士が魔道師を圧倒する。  はずだった。  カイルの判断は、間違ってはいない。  違っただけだ。  目の前にいる相手が、常識の通用する相手と、違っただけだ。 『――空へ』  聞き覚えのない言語、一音節がトイ=ヘスの口から放たれる。その言葉の意味はカイルには 分からない。たとえ意味が分かったとしても、その意味を理解する時間はカイルにはなかった だろう。 「がぁ!?」  音が聞こえると同時に、カイルの体は叩きつけられたのだから。  地面に、では無い。  重力を無くしたかのように、天井に叩きつけられたのだ。体を強烈に打ちつけ、肺が押され て空気が飛び出る。呼吸困難に陥りかけ、それでもカイルの手は剣を放さない。  ――なんだ、今の。  朦朧としかける意識を歯を食い縛って食い止める。必死で、今何が起こったのかをカイルは 考察する。魔道師が呪文を唱え――いや、唱えることなく、呟いただけで、空へと跳ね飛ばさ れた。斧戦士に思い切りかちあげを喰らったかのような威力だった。  ――魔法、なのか?  それすらも分からない。敵の動きがなさすぎて、何をされたのかもはっきりとしない。  それでも、分かることはあった。  眼下の魔道師は、間違いなく敵であり。  こちらに攻撃してくるということだ。 「単剣、」  天井から剥がれ落ちる。重力が戻り、落下しながらカイルは剣を握り直し、上を向こうとも しないトイ=ヘスの肩へと一撃を振り下ろし、 『――彼方へ』  振り下ろしかけた姿勢のまま、今度は横方向に吹き飛ばされた。空中で体を入れ替える暇も ない。受身を取ることもできずに、右肩から壁に衝突する。轟音と共に壁がへこみ、握ってい た剣が地面に落ちる。  呪文詠唱を必要としない――神代言語での魔術。  現代では失われた、真なる魔法。  それでもカイルは立ち上がろうとして、 「あ、……」  立ち上がれなかった。  右手が泳ぐ。がくがくと腕が震え、体を起こすことすらできない。二連続の衝撃が、全身か ら力を奪っている。  動くことすらできないカイルを見下ろして、トイ=ヘスは「ふん」と息を吐いた。 「まったくもう危ないじゃないですか。いきなりヒトに襲い掛かっちゃ駄目だとパパかママに 教わらなかったんですかねこの子は。――ま、ボクは教わった覚えも、ソンナモノがいた覚え もないんですが」  ハ! とトイ=へスは笑う。まったく楽しく無さそうに笑って、カイルから視線を外した。  もう、そんなモノに用はないとばかりに。  カイルを無視して――クローゼンシールの姫、リストリカと向き合う。 「おやおやまあまあこれはこれは! 誰かと思えばオヒメサマじゃあありませんか――まった くもって御会いできて光栄の極みですよ、ええ」  朗々とそう言って、トイ=へスは仰々しくお辞儀をした。格式をバカにしたような、見てい ても尊敬心など感じられない、皮肉に満ちたお辞儀だった。  その証拠に、トイ=ヘスの顔は笑っている。  にやにやと、にやにやにやと、皮肉と悪意に満ちた笑顔を浮かべている。 「てっきりもう死んだと思ってたんですがね……いやこれは幸いの極み。生きていてくれて嬉 しいとボクは思いますよ。王家で残ってるのは貴方だけなんですから。もっともまあ、生きて いて喜ばしいことなんて、何一つありはしませんけどね」 「…………」  笑うトイ=へスに対し、リストリカは動けない。  喋ることも、動くこともできない。  王女として生まれ、王女として育った、年頃の少女とは比べ物にならないほど強い少女は、 完全に見竦められていた。  敵意を向けられたことなら、あっただろう。  悪意を向けられたことも、あっただろう。  しかしそれはどれも、『王女』へと、『リストリカ』へと向けられたのだ。悪意も敵意も、 その個人が存在するからこそ向けられる感情だ。  けれど、今、トイ=ヘスから感じるものは違う。  個人の尊厳など踏みにじるかのような悪意だ。  捕食者が食料の人格を気にすることがないように。  道端に転がる石を蹴り飛ばすときに、石が痛いかどうかなど考えないように。  トイ=へスは――『リストリカ=クローゼンシール』を、見ていない。  ただのモノとして見ている、そんな、悪意と皮肉と諧謔に満ちた目つきだった。  そんな、笑いだった。  それを前にして動くことなどできるはずもない。それでも、逃げなければならないというこ とくらい、リストリカにだって分かっている。このままここにいれば、まず間違いなくろくで もない眼にあう。けれど、体は動かない―― 「逃げてください、リストリカ!」  叫んだのは、カイルだった。  危機的状況に陥る姫を助けるのが、騎士の役目。その役目を果たすべく、カイルは動かない はずの体を動かした。これで死んでも良いとばかりに体に鞭をうち、離れた剣を拾う。 「……ッ!!」  カイルの声で心の呪縛が解けたのか、リストリカは一目散に逃げ出した。カイルを助けよう、 ともトイ=ヘスに立ち向かおう、とも思わなかった。全ての非情を以ってして、逃げることこ そが自分の役割なのだと、リストリカは知っていたから。  残っているのはお前だけ、とトイ=ヘスは言った。  それは、リストリカの家族は、残らず死んだということであり。  彼女が死ねば――クローゼンシール王国は、真に滅びる。  だから、逃げなくてはならない。  せっかくできた、友人を犠牲にしてでも、逃げる義務がある。  それが分かっているからこそ、カイルは逃げろと叫んだのだ。  守るのが、己が役目。  たとえ、命を捨ててでも。  そう信じるカイルは、迷わず逃げろと叫んだ。リストリカが逃げる間の時間を、命をはって 稼ごうと思ったのだ。  こちらを見ようともしない、リストリカだけを見ていたトイ=ヘスに向かって、カイルは剣 を振り上げる。倒そうとは思っていない、狙いは代わらず武器破壊。杖を持つ手目掛けて剣は 走り、  あっけないほどにあっさりと、トイ=へスの腕が斬り離れた。  剣を振ったカイルが困惑してしまうほどに――あっさりと、目的は達せられた。  肘の下あたりから切れたトイ=ヘスの腕が床に落ちる。握っていた杖が床とぶつかり堅い音 を立てる。  一拍遅れて、断面から、血が噴き出た。  赤い血が――噴き出る。 「決まった、のか……?」  半信半疑に呟くカイル。腕が切れても、トイ=ヘスは痛みの悲鳴をあげなかった。それどこ ろか、斬ったカイルを見ようともせずに、千切れた腕の先をリストリカへと向けて、 『――血よ』  三度目を、唱えた。  ぬるり、と。  腕の断面から噴き出ていた血が意思を持った。無秩序に垂れ流れていた血が止まり、影より も赤く形を持つ。血は、赤い蛇のように意思を持って疾った。呪文によって形を持った血は、 もはや液体ではない。  列記とした、武器だ。  距離も速さも関係なく、赤く伸びる血は一直線に疾り、逃げようとしていたリストリカ・ク ローゼンシールを瞬く間に射程のうちに捉えて――  斜めに、血が走る。  トイ=ヘスの腕が切り落とされたように。    リストリカの右足が――切り落とされた。 「あ……」  がくりと体が傾ぐ。走っている最中に右腕が欠損したリストリカの体は、支えを失って斜め に転がり倒れる。あまりにも血の斬撃が早すぎて痛みはない。自分の体が『軽くなった』とい う妙な実感だけがそこにあった。  熱いとすら、思わなかった。  ばん、と。  聞くも痛そうな音を立てて、リストリカの体が地面に崩れた。堅い床に受身も取れずに倒れ こみ、走ってきた慣性を殺せずにごろごろと転がった。回転する足から噴き出る血が、線状に 床を赤く染める。壁にぶつかって体は止まり、  止まったまま、起き上がってこなかった。 「リストリカ!」  気付けば、カイルは叫んでいた。体の痛みも何もかもを忘れて叫び、振り切った剣を回して 背負い投げのように振り下ろす。武器破壊でも何でもない、手加減のない急所狙いの一撃。雷 のように落下する剣はトイ=ヘスの首筋へと振り下ろされる。  トイ=ヘスは振り向かない。  倒れ伏すリストリカを見たまま、唱えた。 『――空へ』  何と言っているのかは分からない言葉。  けれど、一回目と同じことを言われたのだとは分かった。  だからこそ間に合った。天井へと叩きつけられたカイルは、今度は受身を取ることに成功し た。威力はあるものの、備えていれば致命傷になるほどではない。剣を持った手は動く。重力 を利用しての単剣怒槌を放つべく、天井から零れ落ちたカイルは剣を握りしめ、 『空へ』  もう一度、きた。  今度は――防ぐことができなかった。振り下ろそうと構えた瞬間に、トイ=ヘスは上を見る こともなく再度唱えたのだ。天井から離れかけていたカイルの体が空へととび、受身を取るこ ともできずに天井と衝突した。  視界が揺れ、暗くなる。  魔法が解け、カイルの体が落下を始める。剣を放さないようにするので精一杯で、構えるこ とも、攻撃することもできなかった。  その、カイルに向かって。 『空へ』  三度、同じ呪文を、トイ=ヘスは繰り返した。三度で終わることはなく、カイルが落下する と同時に、四度目の『空へ』と呪文をはく。  落下し、『空へ』と唱え、天井へ打ちつけ。  落下し、『空へ』と唱え、天井へ打ちつけ。  落下し、『空へ』と唱え、天井へ打ちつけ。  弾遊びの球であるかのように、カイルの体は天井を撥ねる。陸にうちあげられた魚が跳ねる のを『逆』にしたような、異様な光景だった。ある程度落下するたびに、カイルの体が天井へ とぶつかり異音を放つ――その繰り返しだった。七度目で剣が手から離れ、頭を抱えて防ぐこ とすらできずに、カイルは天井へと叩きつけられる。  十二度目にして、ようやく。 『――地へ』  呪文が変わり、カイルの体は、床へと叩きつけられた。  人型に床が窪み、放射状に皹が走る。  それきり、動かない。  カイル=F=セイラムは、動かない。  動かなくなって、ようやく――トイ=ヘスは、カイルを見て。 「……ハ」  感想は、それだけだった。  バカにしたように笑い、トイ=ヘスは身を屈めて地面に落ちた杖を拾う。切り離されたはず の右腕は、いつのまにか元どおりになっていた。噴き出て形を作っていた血が肉を得たらしい 。  地面に転がる、元自分の腕をこつんと蹴って、トイ=へスは笑う。 「まったく――死んだらどうするんですか。死んでしまったら大変なことになるじゃないです か」  あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは と笑い、笑いながらトイ=ヘスは歩き出す。倒れ付し、動かなくなったカイルを見ようともし ない。向かう先にいるのは、分断された足から血を流し真っ青な顔をしたリストリカだ。  斬られたショックで泡を吹き、今にも死んでしまいそうな顔をしたリストリカの側に、トイ =ヘスは座り込む。 「な……な、」  何をする気、と言いたかった。  けれど、リストリカの口から漏れたのは、わけのわからない音だけだった。言葉にすらなっ ていない。たとえ言葉が出たとしても、目の前の存在にそれが通じるとは到底思えなかった。  リストリカの目には。  笑う大魔道師は――人間には、見えなかった。  同時に、これ以上なく――人間に見えた。  自分とは分かり合えないものだと、わかってしまったのだ。 「血がこんなに出てるじゃないですか。ああ酷い、一体誰がこんな酷いことをしたんでしょう ね、ええ!」  千切れた足の断面をつかみ、トイ=ヘスは笑う。 「今――血を止めてあげますよ」  言って。  指先をちょい、と傷口に当て、トイ=へスは、神代言語で呟く。  ――焼けろ、と。  絶叫と――肉の焼ける匂い。  人の声とは思えないような絶叫がリストリカの口からほとばしりでた。先とは逆の意味で、 それは言葉になっていなかった。ただの悲鳴でしかなく、これ以上ない苦痛の叫びだった。じ ゅうと肉の焼ける音、肉の焼ける匂い、その全てがリストリカの精神を焼いていく。焼け爛れ る肉の匂いが辺りに立ちこめ、ただそこにあるだけで焼かれた神経が激痛を送り続ける。口は 叫びを上げ続けるが、耳が異音として全て弾いてしまう。  発狂しそうになる。  痛すぎて――狂うこともできない。  焼かれた右足をつかまれたまま悶えるリストリカを見下ろして、トイ=ヘスはそれでも笑っ ていた。 「おやおや、これは申し訳ありませんねえ。呪文を間違えてしまいましたよ。あははは!」  焦げた足に手をつけ、再びトイ=ヘスは神代言語の魔法を解き放つ。  治れ、と。  その言葉の意味は判らずとも――効果は劇的だった。焼け爛れ、見るも無惨だったリストリ カの皮膚が一瞬で治っていく。若々しい皮膚すらも再生し、火傷の跡も傷のあとも残りはせず ――足が生えてくることも、なかった。  はじめからなかったかのように、右足は、中ほどから途切れたままだった。  トイ=へスは、ぽい、と足を離し、 「はい、治しましたよ。生やすのは面倒だから勘弁してくださいね。いえ、方法自体は面倒で もなんでもないんですけどね――貴方にそれをやるのは面倒極まりないんですよ」  その言葉を、リストリカはぼんやりと聞いていた。  ぼんやりとしか、聞けなかった。激痛と、激痛からの回復が、意識を根こそぎ奪っていた。 今にも闇に沈みそうになる。意識を完全に途絶えさせなかったのは、ひとえに王女としての意 地と誇りだった。  ――やらなけらばならないことがある。  その一心だけで、リストリカは意思を必死で引き止める。  その一心を持つリストリカを、ヘイ=ストは、にやにやと、にやにやにやと笑いながら見下 ろしていた。 「さて。時間も圧しておることですし――さっさと、本当の目的を果たすことにしましょう」  ――本当の目的?  その言葉に倒れたまま動けないリストリカの腕がぴくりと動く。けれど、そのことについて 深く考えるほど頭はまだ動いていない。  トイ=ヘスの右腕が、杖を握りしめる。左手には、何時の間にか現れた本を手にしていた。  そして。 「お嬢さん、貴方には、『実験』に付き合ってもらいますよ」  にやにや笑いが――消えた。  真剣な、真剣極まりない、三人と見たもののいない真剣な顔をして、トイ=ヘスは杖の先を リストリカへと向ける。砂時計の杖が差すのは、リストリカの短いスカートの奥、ショーツの 上だ。秘所にぎりぎり触れるところに杖を置き、トイ=ヘスは呪文を唱える。 『昨日より今日へ。  今日より明日へ。  明日より昨日へ』  誰にも理解できない、神代言語。  ただの一言で奇跡を起こす魔法。  一言で十分なはずのそれを――トイ=ヘスは、『詠唱』した。  長く連なる文節を唄うように続ける。その顔の真剣さに、にやにや笑いの混じるものはない 。言葉と共に本から飛び出した文字が、宙を舞いながらトイ=ヘスの周りを一周した。  一本だけではない、二本だけではない。三本だけではない。四本、五本と、文字の輪が生ま れ出ては、トイ=ヘスを取り囲む。 『一より零へ。  零より一へ。』  杖の先につけられた砂時計が――物理法則を無視して、ゆっくりと逆回転を始める。下から 上へと、砂が昇りだす。  時間を無視したように、砂が動く。 『有るよりも無いよりも在るゆえに亡く、右は左とつながり、天は地へと続いている。  君はボクで、ボクは君で。誰でもない彼女は誰にもなれない』  杖の先に光が灯る。生まれた光は、ゆっくりと、リストリカの秘所へと移って行く。あ、あ、 あ、あ、と熱っぽい悲鳴をリストリカが漏らし、それでもトイ=ヘスの杖がぶれることはない 。 『時の女神は働かない。イナヴァは何も動かない。  ただその力が其処にある。時間の流れは此処にある』  宙を浮かんでいた文字たちが動きを変え、杖の先にあるリストリカの秘所に凝縮していく。 そのたびにリストリカの艶声は高まり、びくんびくんと体がエビのように撥ねる。 『十二の長針と十二の短針を重ね合わせ連ね繋げ二十四と成す。  二十と四の時間よ――』  言葉が止まり。  ぐいりと、杖を圧しながら――トイ=ヘスは、呪文を最後まで、括り終えた。 『今――止まらんことを願う』  言葉と同時に。  舞っていた文字が、形となった。輪と、鎖と、紐。リストリカの秘所を覆い隠す貞操帯へと、 文字は姿を変えていた。表面に浮かんでいた魔術文字が、貞操帯の中に溶けるように消える。  見た目はただの貞操帯にしか見えない。それが何なのか、リストリカにも分からない。股間 だけでなく、全身に強烈な違和感が走ることしか分からない。  自分が――自分でなくなったかのように。 「な、何……これ、何よ、な――」 「煩いですよ」  先までの真剣さはどこへいったのか。  本をぱたりと閉じ、にやにや笑いを取り戻したトイ=ヘスはそう言って立ち上がった。杖を 引き戻し、リストリカの秘所にあてていた部分をローブの端で拭う。  魔法から解き放たれた砂時計は、ぴくりとも動かなかった。  体に走る違和感を必死に堪えて、リストリカは顔だけで上を見て、 「私、私に――何を」  最後の力を振り絞って、そう訊ねた。  質問を受けてようやくその存在を思い出したという風にトイ=ヘスはリストリカを見下ろし た。「ああ、ああ、ああ!」と納得したように笑い、 「何もしていないませんよ、何もしていませんとも。貴方に感謝されるようなことならしたけ れどね。そうさ、ボクは彼女に感謝されるべきなんだ。貴方ににボクは――不老を与えたのだ から」  不老? そう聞き返したつもりだった。  けれど言葉は出ず――トイ=ヘスは、返事を筆ようとしなかった。 「今のは不老不死の呪文さ。ただし不完全だけれどね」 「…………」  返せるのは沈黙だけだ。僅かな沈黙を楽しむように、トイ=ヘスは次の言葉を発するまで、 少しの時間を開けた。  間を取り、にやにや笑いと共に、トイ=ヘスは言う。 「その貞操帯がある限り、君は歳老いることなく行き続けられる。けれど――もしも貞操帯を 外せば、一気に時間の反動が訪れるよ。時の女神は平等だからね」  笑いが深まる。  歪な形に。  歪な笑みに。  本当に楽しそうに――狂った笑みを浮かべて。 「好きな人に抱かれたら――君はしわくちゃのお婆さんになって死ぬのさ」  トイ=ヘスは、そう告げた。 「――え」  その意味を、リストリカが、理解するよりも早く。 「さぁおやすみ。目を覚ましたらそこにあるのは地獄さ。今までと何も変わらない、いつだっ て世界は地獄に満ちているのだから!」  笑いながら言って、杖の先で、リストリカの首筋をとん、とトイ=へスは叩いた。ぎりぎり のところで保っていた意識が、その一撃で完全に失せた。  深い闇の中へと、リストリカの意識が沈んでいく。  最後に見たのは、にやにや笑いの大魔道師の顔と。 「何が――目的なんです」  剣を杖に立ち上がる、カイル=F=セイラムの姿だった。 「生きていたんですか。ちょっとだけびっくりしましたよ」  意識を失ったリストリカから杖を放し、トイ=ヘスはカイルへと向き治った。立ち上がった カイルは、どう見ても立っているので精一杯にしか見えなかった。よろよろと崩れそうになる 体を、床に突き刺した白銀の剣でどうにか支えている。  けれど、その瞳だけは、揺らがない。  まっすぐに、トイ=ヘスを睨んでいる。 「貴方の長広舌の間に、どうにか回復しましたよ」 「あらまあそれはそれは。長く喋って良いことはありませんね」 「その通りです」  ある学者のことを思い出しながら、カイルは答、 「どうして――こんなことを?」  弾圧するように、問いかけた。  カイルの問いに、トイ=ヘスは目を丸くし、それから常のにやにや笑いを浮かべた。 「普通にやったらつまらないからですよ。こういった出し物の方が楽しいでしょう? 彼女の 反応も行為も動悸も意思も、生きているだけで実験データになりますしねぇ」 「そういうことを……言ってるんじゃない! お前はなにが目的でしてるんだと聞いてるん だ!」  珍しく――堪えきれずに激昂するカイルに。 「決まっている! そんなことは決まりきっているだろう!」  トイ=ヘスは、更なる激昂を持って返した。  突如として叫び出したトイ=ヘスに、カイルは呆気に取られる。カイルの反応に構わず、ト イ=ヘスは、自身に向かって叫ぶように言葉を吐いた。 「ボクは追いつかなくてはいけない。ボクは置いていかれてはいけない。ボクは追い越さなけ ればならない。ボクは置いていってはいけない。あの子供のような勇者と聖騎士に――紛い物 のボクがついていくには、手段なんて一つとして選ぶことはできない」  呪いのような言葉は止まらない。カイルに理解できない、トイ=ヘス自身にしか理解できな いような言葉の羅列。  もはやトイ=ヘスは聞き手を必要としていない。それでも反比例するように、声の強さは、 高まり続けていく。 「勇者! 聖騎士! 事象の騎士! ハ・ハ・ハ! とんでもないとんでもないとんでもない ものさ! ボクみたいなただの人間が触れることもおぞましい素晴らしく最低な存在! 不老 不死に永遠の存在! アハハ! 馬鹿げてるほどに狂ってる! そんなモノがあるなんて、信 じられないモノがあるなんて滑稽じゃないか!」  トイ=ヘスは笑う。高らかに。  それが目的なのだと。  ヘイ=ストは笑う。  勇者と。  騎士と。  人間でない彼/彼女と共に生きようとする、人間でしかない大魔道師は、にやにやと笑い続 ける。笑うことこそが、人間の証であるかのように。 「ボクはただの人間だ。君と同じ矮小な人間でしかないんだ。だから――何でもやるさ。そう、 何だってやる。  魔法の実験のために国を滅ぼすことも。  彼らのような不老不死を得るためにも。  手段なんて目的なんて選ぶはずがないじゃないか。暇を潰さなくちゃいけないんだ。彼らと の間にある暇-キズ-を、人と人以外の大きな欠落を埋めなければならないんだ」  笑いながら――ヘイ=ストは、言う。          パーティ 「ボクは――彼らの仲間なのだから」  誇りをこめて。  全てをこめて。  ヘイ=ストは、きっぱりと、断言した。  潔いまでの断言に、強い意志がこもった言葉に、カイルは反論の言葉を持たない。  反論など、できるはずもない。  できることは、ただ――自分の意志を、貫くことだけだ。 「……何のために戦うのか、リストリカに聞かれました」  突然の言葉に、ヘイ=ストが眉根をひそめる。それでもカイルは言葉をやめない。  言葉は、ヘイ=ストへ向けられてはいない。  倒れ伏すリストリカにすら向けられていない。  自分自身の中にある大切な何かにあるように、カイルは全ての意思を込めて言う。 「正直、まだ僕には分かりません。けど、今は。今だけは、騎士とか任務とかじゃなくて――」  力はない――敵は強い。  体はぼろぼろで、今にも倒れそうだ。  それでも、剣は手から離れない。  それでも、負けるわけにはいかない。  それでも、戦わないわけにはいかない。  なぜならば。  それは、たった一つの、単純な答え。  守るべき姫君から授かった、誰かを守るための名もないロングソードを構えて。   「リストリカのことが好きだから、守りたいんです」  仲間になるために何でもする、というヘイ=ストの瞳を、真っ直ぐに捉えて。  カイル=F=セイラムは、恐らくは産まれて初めて――自分の意志で、戦う理由を告げた。 「………………」  ヘイ=ストもまた、何も言おうとはしなかった。  吐くべき言葉は尽きている。  交わすべき意思は終えた。  後は。  どちらが――自身の意思を、貫き通すかでしかない。  きりきりと、一触即発の雰囲気が高まっていく。どちらかが動いた瞬間最後の決着がつく。 今にも弾けそうな空気が充満し、遠くの喧騒が意識の外へと逃げていく。対面する二人以外に は、何もないような空間。  ヘイ=ストはカイルを。  カイルはヘイ=ストを。  互いから視線を逸らすことなく―― 『――此処へ』 「単剣――巻風!」  ――同時に、二人の叫びが王宮に響いた。  効果が先に現れたのはヘイ=ストの呪文だった。地面に魔法陣が出ると同時に、巨大なフラ ッシュハウンドが床から煙と共に飛び出してくる。クローゼンシール王国へと魔物を呼び出し た召還術。呼び出されたフラッシュハウンドは一切のタイムラグなく鋭い爪を繰り出し、  最初からカウンター技を繰り出していたカイルは、その爪を難なく切り落とした。単剣巻風 ――ファーライト流剣術のカウンター技。敵が繰り出した技を巻き返しながら本体を攻撃する、 カイルの得意とする剣術。不用意に繰り出された爪は切り落とされ、剣はフラッシュハウンド を両断するべく振り下ろされ、 『――爆ぜろ』  振り下ろした先のフラッシュハウンドの肉体が、カイルの目の前で爆散した。 「ッ――!」  ぎりぎりの判断で後ろへと飛びのく。召還者であるヘイ=スト自身の手によって爆発したフ ラッシュハウンドの肉体と臓物と血が飛び散る。爆発の威力から逃れられても飛び散るそれか らは逃げ切れない。カイルの元に臓物と血が降りかかり、 『――鎖よ』  臓物と血が、空中でいきなり軌道を変えた。死体の欠片でしかなかったそれが、鋭利な血色 の鎖となってカイルを封じるべく踊りかかる。召還と爆発を同時に行う拘束術。回りくどい、 術者の性格そのものの魔法連鎖。  逃げ切れない。  一瞬でそう判断し、カイルは後ろでも上でも右でも左でもなく、前へと跳んだ。 「――逆風!」  巻風からの派生技――一度吹いた風が逆から襲ってくる――カウンター返し返し。振り下ろ されていたはずの剣が、孤を描きながら斜め下から鎖を弾く。弾きながらカイルは更に前へと 跳び、臓物が振り落ちるよりも早く下をすり抜けて疾走する。  一回目の会合と、奇しくも同じような形だった。  けれど――今は、覚悟が違う。  一秒でも早く。  一瞬でも早く。  全てをこめて、カイルは疾る。  瞬きをする間もなく迫るカイルに対し、ヘイ=ストはそれでもにやにや笑いを消すことなく、 『――空へ』  呪文と共に、全てのものが、天井に叩きつけられた。  落ちかけていたフラッシュハウンドの肉体が、血が、臓物が、砕けた床と壁の欠片が、最初 の倍以上の速度で天井へと突き刺さる。深くめり込んだそれらは落ちてすらこない。ぱらぱら と、天井の砂欠片が舞い降りるだけだ。  正面から突っ込んだカイルは―― 「――多重残影ッ!」                   ・・・・・・・・・  呪文を唱え終えたヘイ=ストの体を、真後ろから両断した。  多重残影。  速度のみを追求した聖騎士のみが使える、奥義と呼ぶに相応しい技。本来ならば二人に分身 しての二人同時攻撃だ。今のそれは、多重残影と呼ぶには不完全すぎた。分身はヘイ=ストの 攻撃を受けるよりも先に消えたのだから。攻撃を喰らった瞬間に消滅し、気を抜かれた間に切 りつける――それこそが多重残影の真髄だ。  それでも。  不完全であろうとも――攻撃が決まったことに、代わりはなかった。  ずるりと、両断されたヘイ=ストの体が斜めに崩れ落ち、振りぬくことで最後の最後まで力 を使い果たしたカイルも折り重なるように倒れ、 「言ったでしょう? 不老不死は不完全で――不完全ながらも使えるのだと」  上半身だけになったヘイ=ストが、浮かんだまま、杖でカイルの側頭部を殴り飛ばした。  受身を取る、どころの話ではない。殴られるよりも早くカイルの意識は完全に消失していた。 もし大魔道師の弱い筋力でなければ、首の骨を折って死んでいただろう。  不完全であろうとも――攻撃が決まったことに、変わりはない。  それはカイルも、ヘイ=ストも、同じことだった。  けれど不安定な姿勢からの一撃に、そこまでの威力はなかった。カイルはごろごろと床を転 るだけですみ――けれど、起き上がることはなかった。  殴られたことで、無理矢理に意識は戻った。その意識は今にも消えそうであり、たとえ意識 があっても、指一本動かすことはできなかった。  決着は――ついたのだ。 「ふう」  ため息を一つ吐き、ヘイ=ストは、自身の下半身を杖で手繰り寄せる。それ以上何をする必 要もなく、傷口から伸びる血が蛇のように絡まりあい、呪文を唱えずに――別たれた体は、瞬 く間に一つに戻った。  傷跡すらない。  斬られたのが嘘だったかのように。  斬られる前に時間が戻ったかのように――ヘイ=ストは平然と立ち上がった。  にやにや笑いを取り戻し、動くことのできないカイルを、ヘイ=ストは見下ろす。 「まさか斬られるとは思いませんでしたよ。いつだって突破をするのは若い人ですね――ボク があの人たちにあったのも、そういえばキミよりもずっとずっと年下の頃でしたよ」  にやにや笑いが近づいてくる。それがわかっても、逃げることも戦うこともできない。  全力は出し切った。  勝った、と思った。  けれど――今立っているのは、ヘイ=ストのほうだ。  それが、全てだった。 「どうにもキミは――この先、脅威になる気がする。今のうちに潰しておくか、呪っておくか 、あるいははてさて――」  悔しさで泣きたくなる。けれど、涙を流すことすらできない。視界がゆっくりとぼやけてく る。  近づいてくるヘイ=ストの顔が見える。にやにや笑い。リストリカに対して興味を持ったよ うに、今、カイルに対して興味を持っているという笑い。  きっと、ろくでもない眼にあわされるのだろう。  それでもいい、とカイルは思う。  ――リストリカを守れなかったのだから。  にやにや笑いがゆっくりと近づくのが、ぶれる視界でも捉えられる。  はっきりと、見えた。  にやにやと笑う大魔道師と。 「殺してしまう、か?」  その背後で笑う――金色の男の姿を。 「……きていたんですか」 「探したぜ。なんたってパーティだからよ。いい響きだな、オイ」 「聞いていたのですか勇者殿?」 「悪趣味ってか? お前ほどじゃねぇよ」  金色の男は笑い、ヘイ=ストはばつが悪そうに頬をかいた。  ジュバ=リマインダスかと思った。けれど、遠くから見たジュバは――こんな笑みを浮かべ るようなニンゲンには見えなかった。  世界全てを敵に回すような、修羅の如き羅刹の如く、金色の男は笑っている。  ――ああ。  わかってしまった。  それだけで、わかってしまった。その姿を見るだけで、理解してしまった。  これが――勇者なのだと。  ヘイ=ストの言った勇者がコレなのだと、わかってしまった。  自分とは。  人間とは、決定的に違う存在なのだと――カイル=F=セイラムは、薄れ行く意識の中で悟 っていた。  ヘイ=ストの言った言葉の意味が、少しだけ分かる。確かに、こんなものの側にいれば、こ んなものの側にいることを選ぶのならば、他の全てを捨てる必要があるのだろう。  ――怖い、と思った。  異質すぎる、勇者という存在が。  金の勇者はひゃはははははははははははははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは ははははははははははははははははははははははははははははははははははははと高笑いし、 「さて、行くぞ。オレとアイツだけじゃ移動が面倒なんでな、アシのお前がいなけりゃ誰が転 送すんだよ」 「おやまあ! 聖騎士殿まで今回はご一緒ですか。さぞかし大変な戦いなのでしょうな勇者 殿!」 「そうでもねえ。いつものめんどっちいことさ。つまんねーから、暇潰しに受けてやるだけさ」  肩を竦め、勇者は踵を返し歩き出す。ヘイ=ストの同意を聞こうともせず、小国の反乱など 構いもしない。  ――見ているものが、違いすぎる。  国が一つ滅んだことなど、金の勇者にとっては、何でもないのだろう。 「では、この少年に始末をつけて――」  言葉と共にヘイ=ストの手がカイルへと伸び、 「オマエがどこで何しようがオレァ気にしないがな、目の前でニンゲン殺すのだけは止めとけ」  伸びた手を、金の勇者がつかんでいた。 「…………」  踵を返し、見ることなく立ち去ったはずの勇者が、時間を無視したようにそこにいた。  移動したところも、つかんだ瞬間も――カイルはおろか、ヘイ=ストにすら見えなかった。 この距離の移動など、勇者にとってはないも同然なのだろう。  これが――勇者。  薄れ行く意識の中、カイルは最後の力で、その姿を眼に焼き付けた。  金色の勇者と、闇色の大魔道師の姿を。  突如として現れ。  自分が命をかけたことも、自分たちが命を懸けた戦いも、大勢の人の生も死も、その全てを ――『どうでもいいことだ』と切り捨てられる存在の姿を。  戦争を止めるためにきた。  戦争を止められなかった。  リストリカを守ろうと思った。  リストリカを守れなかった。  誓いも、戦いも、意志も、命も。  全てを蹂躙する存在を――カイルは、初めて知った。  ――忘れない。  忘れてたまるか、と思う。  こいつの存在を、こういう存在が世界にはいることを、絶対に忘れるものかとカイルは固く 思う。小さくても大切なものを、なくても変わらないだろうと言ってしまう存在があることを 、忘れてはならないと。  騎士として。  そして、カイル=F=セイラムという人間として――ソレに抗い続けようと、カイルは、誓 った。  心中で誓いを固めるカイルを見下ろし、ヘイ=ストは、にやにやと、にやにやにやと笑みを 浮かべなおした。 「なら、記憶くらいは奪っておきましょう。まだボクの正体がバレるには、貴方との繋がりを 知られるのには、少しばかり時期が早いのでね――」  笑いと共に、ヘイ=ストの杖が、目前へと迫り、  強制的に、カイル=F=セイラムの意識と、誓いと、記憶は。  全て閉ざされ――消滅した。           †   †   †  皇歴2249年。  こうして、山間の小国・クローゼンシール王国は――その長い歴史を終え、滅亡した。  消すことの出来ない瑕を、それぞれの心のに残したままに。 ■ 第十一話 Black Gale AND Big Wizard AND Outsider Hero ... END ■