■学者たちの祭り■                 ■第一話「地を這うもの」                  1.ディライトの場合  魔導師トゥルーシィ=アキコの家は一人で住む分には相当大きい。どのくらい大きいか というと四人家族で使ってもまだ余裕があるくらいには大きい。それに加え家の隣に自分 専用のラボも建てているから敷地としては物凄い広さになる。ここが皇国の首都からかな り離れている辺境とはいえ、土地の値段もそれなりにするわけで、当然アキコの家を初め て訪れた大抵のものはその広さに驚くものだ。  といっても今ではその広い家に賢龍シャルヴィルト、蒼のいんぺらんさ、暁のとらんぎ どーるという三匹の龍っ娘が住んでいるので実際家の中に入ってみるとさほど広くは感じ られず、むしろよく動き回る二人の事象龍のせいで狭く感じられる程である。  が、そんな事情を知らない大きな眼鏡をかけた新米考古学者ディライト=モーニングと その助手である治療魔法を得意とする魔物――ゆかっちは家の門を前にして、その大抵の 人間がするように家を眺めて呆けていたのだ。というよりも正確に言うならばディライト は少々へこんでいたのだ。 「ねぇ、ゆかっち……ここ本当にアキコさんの家なのですか」 「えぇ。表札に書いてあるでしょう」  ゆかっちは門の端っこにかかっている木の板を指差す。  その木の板には綺麗な字でトゥルーシィ=アキコと書かれており、その右上にちょっと 小さめの字でシャルヴィルト、汚い字でいんぺらんさ、カクカクとした字でとらんぎどー る。と書かれていた。  それを見止めるとディライトは溜息を吐いた。 「これ十七歳の時に建てた家らしいのです。どう思います?」 「うーん、でもアキコさんの場合はかなり稼いでいるのでしょう。このぐらいの家を建て るぐらいは当たり前のことだと思いますけど……。まぁ客観的に見るならディライトの経 済力とは雲泥の差だなとは思いますが」 「やっぱりそう思うのですか……」  ますます陰鬱な顔になっていくディライトをゆかっちは横目で見て慰める。 「でも、アキコさんとディライトは違いますから。別にディライトがお金なくても仕方な い事ですよ。――ま、私は貧乏なのは嫌いですけどね」 「……。もういいのです」  もう一度溜息を吐いて脱力したままディライトは門を潜り、飛び石の上を歩いて玄関ま で行き、戸を叩いた。 「すみませーん、ディライト=モーニングなのです。アキコさんいらっしゃいますか?」  何度か呼びかけた頃にやっと戸が開いた。 「あぁ、すみません。どうぞ中へお入りください」  そう言って出てきたのは銀色の髪と漆黒のドレスが印象的な十五、六の少女だった。  少女の後ろにしたがってディライトはアキコの家に入る。  家の中は薬品のにおいと、少しだけ懐かしいにおいがした。 「それじゃここで待っていて下さい。もうすぐ来ると思いますので」  ディライトとゆかっちはダイニングのようなところに通された。  部屋の内装自体は全体的に落ち着いている感じで、ディライト達のいるダイニングのす ぐ隣にリビングがある。そこでは七歳ぐらいの青髪と金髪の二人の少女がソファーに座り 映像スフィアで何かを見ていた。ディライトが見つめていたのに気付くと青髪の少女は人 懐こい笑みを浮かべて手をひらひらと振ってきた。それにつられてディライトも笑顔を作 り手を振り返した。 「何やってんの……?」  その時ちょうど聞きなれた声がした。  声の方向に目をやると、桜模様の眼帯をつけ、こないだ会った時と同じ白衣を着た魔導 師、トゥルーシィ=アキコがちょうど階段を下りてきたところだった。 「ん、あぁ。そっちのは……、こないだ言ってた助手の?」 「え、あ、はい。そうなのです。私の助手のゆかっちなのです」  ディライトがそう紹介すると、ゆかっちは頭を下げ、 「こないだ私がいない間にディライトがお世話になりました」  そう言った。  アキコはそれを見てなるほどと呟いてクスリと笑った。 「それで、遺跡で別れて二ヶ月ぶりだっけ。どうしたのよ急に」  アキコは椅子に腰掛ける。 「あのですね、ちょっと困ったことがありまして」 「困ったこと?」  アキコが怪訝な顔をするとディライトは頷いて大変困ったことなのですと返した。 「実はですね、あの遺跡が壊れてしまったのです」 「は?」 「ですから、あの遺跡が壊れてしまったのです。原因は不明なのです。幸いほとんどの調 査は完了していたのでさして問題はなかったのですが、罰として調査の延長が命じられま して」 「つーても、ぶっ壊れちゃったんでしょ。どうすんのよ」 「そこです。そこが今回の困ったことなのです」  ディライトは人差し指を一本立て、くるくると回し始めた。 「あの遺跡の調査で分かったことなのですけど、あの石碑――アキコさんも読んだあれに 書いてある通りあそこには元天空人が住んでいたようなのです。それから、ちょっと奥の 方まで調査したところ石碑が幾つか見つかったのです。その石碑のひとつにですね、天空 城への行き方が書いてあったのです」 「それで?」 「つまり、ディライトはその天空城の調査してこいと言われたわけなんです」  ゆかっちはなかなか要点を得ないディライトの代わりに簡潔に答えた。  それを聞いてアキコはきょとんとした顔をした。 「……。天空城ってさ御伽噺でしょ。たしかに色んな人があるだの無いだの言ってるけど、 実際のところ見た人なんていないわけでしょ。蒼の塔が神聖化して勝手にそういう話が作 られただけじゃないの?」 「違うのです。私もあの地下空洞を調べるまではそう思っていたのです。でもどうやらそ う簡単なものではないようで、これを見てください」  そう言ってディライトは一枚の紙を取り出した。 「これって……?」 「これはあの地下空洞にあった石碑の拓本なのです。えぇとですね……。ゆかっちちょっ とよろしくなのです」  ディライトは読みにくそうにしてゆかっちにその拓本を手渡した。  はいはいと言ってゆかっちはその説明を始める。 「これにはとある場所にある天空城への昇降装置の使用方法とその場所が示されているん です。これが……リオン山脈を意味するんですよ。で、こっちがその麓にある大樹海です ね。そこにいたるまでの道と途中途中にある目印が全部書かれています。……もしこれが 御伽噺だのだったらここまで詳しく書きますかね?」 「……む、たしかにそうかもしれない」  アキコがそう言うと、ゆかっちはそれにですねと続ける。 「今まで天空城が無いとされていたのは誰もその存在を確認したことが無い事と、それを 表す記述が創世神話と今は紛失してしまった裏・創世神話の二つにしか無い。という事な んです。しかもその記述も甚だ曖昧で、御伽噺の域を出ませんでした。ただ、この石碑に 書いてあるぐらい詳しくなってくると、それを疑ってみる価値は……ありますよね」  うむむむとアキコは唸った。  ゆかっちの説明はかなり信憑性があり、一考の余地はある。しかし何故帰り方を知って いたのに地上の天空人は帰らなかったのだろうか――。 「それはですね、帰りたくなかったのか帰れなかったのかのどっちかなのです。昇降装置 の使い方と、その古代人と守り手の特徴――といってもこれは推測の域を出ないものなの ですが、それを考えると後者の方が確率が高いのです」 「使い方って?」 「あぁ、そうなのです。ずいぶん前置きが長くなったのです。実はですね、遺跡調査の延 長として天空城に行くこと自体はそこまで困った事じゃないのです。というかそれ自体は うれしい事なのです。今まで無いとされ、伝説上の代物と化した遺跡に初めて入り込むな んて考えただけでゾクゾクするのです。本当に困った事なのはですね、その昇降装置を起 動させるために魔力を持った人間がいないといけないというところなのです」  そこでようやくアキコは何故ディライトが尋ねてきたのか分かった。 「なるほどねぇ、そういえばディライトは魔力練れないんだったよね」 「恥ずかしながら……。どうにも苦手でして」 「ふぅん……、ゆかっちの方は出来るわよね。それじゃ駄目なの?」 「はい。これに書いてある手順が本当なのだとすれば起動させるのに必要な人間は二人と いう事なるんですね。その事を教授――ディライトの師匠に話したら、一人だけヘルプを 認めるとおっしゃりまして。知り合いに手伝ってもらおうと思ったんですが考古学者はツ テが命だっていうのにディライトは人付き合いがあまり得意でないもんですから――」  それで私に白羽の矢が立ったわけか。とアキコは理解した。 「別に、ついて行く位だったらいいんだけどさ……」  アキコは言葉を濁す。  何かをごにょごにょ言っているのを見てゆかっちははっと気が付いた。 「報酬のことなら心配しなくても大丈夫です。一応教授から謝礼金という形で……」 「いや、違くて。たしかに報酬のことなんだけど、お金は別にいいのよ。それなりに蓄え はあるし」 「じゃあどういうことなのです?」  首を傾げるディライトを見てアキコは笑った。 「私だって学者のはしくれよ。学者なんてものは好きな事をそのまま仕事にしてる連中な 訳よ。お金なんて二の次でね。つまり、自分がやりたくない事はどんなにお金つまれたっ てやらないし、逆に言えばやりたい事だったらお金払おうがやりたい訳よ。だから要はね、 その天空城に私をわくわくさせてくれる物はあるのかって事。それが一番大事」  その言葉を聞いてディライトは頷き、 「その気持ちは分かるのです。詳しいことは分からないですし、何があるのかすらもよく 分からないのです。でも必ずアキコさんの満足するようなものがあそこにはあるという事 だけは絶対なのです」  そう言った。  それをゆかっちはそれを横目で見てまたそんな事言ってと呟いた。 「ディライトが断定するときは大抵証拠なんて無いですからね。遺跡の外にいる時はまる っきり馬鹿なんですから。アキコさんがイヤだったら別に断ってもいいんですよ」 「ゆかっち、言っていいことと悪いことがあるのです。私だってたまには怒るのですよ」 「怒ったディライトなんて一度も見たことないですよ、堪忍袋があるのかどうかも怪しい です。っとそうじゃなかった。それでアキコさんどうします?」  ゆかっちが目線をやるとアキコは言うまでもないという顔をしていた。 「行くわよ。天空城に何も無かったとしてもその昇降装置の原理とかも気になるしね。人 を簡単に空の上まで飛ばせる装置なんて今はどこ探してもないからねぇ。オーバースキル のにおいがプンプンするわ。それに――あんた達見てるのも楽しいしね」 「じゃ、じゃあ早速――」  行きましょうとディライトが言おうとしたところ、ちょっと待ったとアキコに制された。 「私も早く行きたいって気持ちはあるわ。でもさ、ディライト。あんたね――臭いわよ」  笑顔だったディライトの顔が凍りつく。  凍りついた後、冷や汗だかなんだかよく分からない液体が顔を濡らした。 「え、えぇぇぇ!? そ、そんな事無いのです、嘘なのです! ゆかっち、私は臭いので すか!?」  そう訊かれてゆかっちは申し訳なさそうに、臭いですと答えた。 「そ、そんな……」 「あんた何日風呂はいってないのよ」 「え、えぇと師匠のところに行ってからずっと歩きっぱなしだったから……」 「二週間です。お金が無いから宿にも入れないし、ディライトは見られたら恥ずかしいと か言って水浴びすらしなかったんですから……まぁ仕方ないといえば仕方ないのですけど」 「……あんたねぇ、学者である前に女の子でしょうが。身だしなみぐらいきちんとしなさ いよ。ちょっと、しゃる! ディライト風呂場に連れてって」 「はいはーい」  そう言って先ほどの少女――しゃるがぱたぱたと居間のほうからやってくる。 「いや、本当に大丈夫なのです」 「うるさい、しゃるディライト持ってって。ゆかっちも一緒に入っておく?」  アキコが訊くとゆかっちはディライト――しゃるに担ぎ上げられじたばたしている―― を見て頷いた。 「ディライトは一人じゃお風呂に入れないですから一緒に入らせてもらいます。ちょっと 長くなると思うのでその間にアキコさんは準備でもしておいて下さい」 「分かった。それじゃしゃる、後よろしく頼んだよー」 「はーい了解しました。ゆかっちさんこっちですよ。あ、ディライトさん暴れても意味な いですよ。私実は龍なんでディライトさんの攻撃力じゃ1しかダメージ与えられませんか ら」  しゃるはにっこりと笑ってさっさと風呂場へと向かっていった。  アキコはそれを見届け笑う。 「アキコちゃんたのしそーだね」  てとてとと居間からやってきて青い髪の少女――蒼のいんぺらんさがアキコの顔を見て そう言った。 「うん、天空城なんてそうそう行けないしね。それにあの二人も面白おかしいし」 「あー、でもさあそこは……」  何かを言おうとするいんぺらんさ。それを見てアキコは人差し指を口に当てる。 「あんた達なら知ってるでしょうねぇ。でもさ、それは言っちゃ駄目よ。先の分かったお 話ほどつまらないものは無いからね」  その言葉を聞いて金髪の少女――暁のとらんぎどーるは居間で映像スフィアを見ながら、 「そうだぞ、いんぺらんさだってこのアニメの最終回が第二話で分かったらつまらないだ ろう」  と言った。 「あー、そう言われてみればそうだね。まぁ、それはそれでいいんだけど……。その、ア キコちゃん。生きて帰ってきてね」 「まぁ、善処するわ。あんた達をあいつの元に帰すまでは死ねないしね」  そう言って笑った。 「さて、準備してくるわ。当分家空けると思うけど、しゃるの言うこと聞いていい子にし てなさいよ。それから夜更かししすぎない事とラボには入らないこと。分かったわね」 「はーい」 「了解した」  いんぺらんさととらんぎどーるが頷いたのを確認してアキコは二階へと上っていった。                              ■ディライトの場合(終)                  2.ガトーの場合 「ぶえっくしょん! ちくしょう!」  大きなくしゃみが王立魔法研究所、略して王魔研内に響いた。  所員たちは 驚いた様子もなくいつものように研究を進めている。言うまでもなくくしゃ みの主は所長であるガトー=フラシュルのものである。年をとるとでかい声でくしゃみを する。と言われるが、ガトーはまさにそれを体現していた。  今年で齢四十七。行動や発言はまさにおっさんそのものであったが、それでも魔術と魔 力量に関して右に出るものはおらず――といっても人間の中においてのみではあるが―― 皇国首都の結界は今もなお彼が張り続けているのである。 「えぇと……それでなんだったかな」  鼻の下を指でこすりながらガトーはそう言う。  目の前にいるのは二人。  一人はガトーのくしゃみによって唾まみれになった夢里皇七郎である。  この夢里皇七郎という人物はとにかく不思議な人物である。  魔物生態辞典の編集者で神学者という点においてはなんら不思議ではない。が。  エルフ種と人間種と妖精種と龍種のクォーターという時点で普通の人間から逸脱してい るのは間違いなく、その女顔にズレたサングラスをかけ、半ズボンからすらりと伸びた足 はニーソックスを履いている。その外見は子供である。どこからどう見ても子供である。 完膚なきまでに子供である。もうひとつおまけに子供である。それなのに実年齢は四十を 超えている。四分の三の人間以外の血がそうさせているのはまず間違いがない。が、誰一 人としてその事を彼から聞いた人間はいないし、両親の話を聞いた人間もいない。  そう言った点が彼を不思議な人物足らしめている点なのであろう。  さて、そんな不思議な皇七郎ともう一人。ガトーのくしゃみから逃れるために皇七郎の 影に隠れてどこから出したのか分からない紅茶をすすっている人間がいる。  その人物の名前はトゥルシィ=アーキィ。  彼もまた魔物生態辞典にかかわっている人間であり、その骨子を作り上げている人物で ある。彼はガトーと同じように王立の魔物生態研究所の所長を務めており、その論文や発 言は学会内でもかなり影響力を持つと言われている。つまり、すごい人物なのだ。  さて、その二人を前にしてガトーは鼻の下をこすり続けている。  くしゃみと一緒に二人を呼んだ内容を飛ばしてしまったのかもしれない。 「ふむ、フラシュル。どうも君は年を取りすぎたようだね。アルツハイマーになったら学 者生命は終わりだぞ」 「む、珍しくアーキィさんと意見が合いましたね。僕もそう思います」 「ずいぶん辛辣な事を言うじゃないか。君たちだってこういう事の一つや二つあるだろう に」  ガトーは情けない顔をして二人を見る。 「いや、私はそんな事はないな。皇七郎君はどうだね?」 「僕も特にはないですよ」 「うぅぅ……」  呻いてガトーは机の上にあった白字で『所長』と書かれた三角錐を手で弄び始める。  そうし始めてから数秒後、何かを思い出したようにあぁと呟いた。 「思い出したよ。今回君たちを呼んだ理由を」  弄んでいた三角錐をまた元の場所に戻してガトーは喋り始める。 「まぁ、事の始まりは皇七郎君が持ってきてくれたあの宝石だ。その宝石自体の働きと効 果はアーキィに報告したとおりの事だ」 「あぁ、つまりあれが『空に落ちる命』の浮力と考えて間違いないという話かい」 「うん。それであの後色々と調べてみたんだけど、どうにもあの宝石は怪しいんだ」  ガトーがそう言うと皇七郎もアーキィも声を揃えて怪しい? と聞き返した。 「怪しいんだよ。あれが生物の中で作り出されたものだとすればもっとあの回路が発達し て縦横無尽に張り巡らされていなければおかしいんだ。でもあれは違った。普通の人間に は絶対に分からない巧妙なダミーの回路が多くてぱっと見は複雑なんだけど、そのダミー を取り除くとたった一つの回路でしか構成されていないんだ。母体――この場合は『空に 落ちる命』だね――から魔力を補給して宝石のど真ん中を一本だけ通ってそのまま外に抜 けているって具合でね」  ガトーの言葉を聞いても二人は魔導関係なんて埒外の人間のため一体何の事だかよく分 かっていない様子だった。それを見てガトーは笑って、じゃあひとつ質問だと言った。 「皇七郎君。こういった魔法具は一体どういったものか分かるかな?」 「えぇと、魔力を流し込むことやそれ自身に込められた魔力によって何か特殊な効果を得 たりするもの……でいいんですよね」 「その通り。さて、アーキィ。その理屈は知っているかね?」 「私も答えないといけないのか……。たしかあれだったな。まず媒介となるものを普通に 作るんだったな。それでその後儀式やら何やらで既成のものにその特殊な効果を生み出す 回路を埋め込む。埋め込まれた回路のパターンによってその効果は変わる。と」 「正解。その回路のパターンは強力な効果になればなるほど複雑なものになる。炎属性を 武器に付与する回路より、一撃死の効果を付与する回路の方が複雑なようにね。さて、こ こで問題となるのはあの宝石の効果、空に浮く。と言う効果だ。あれはどの程度の効果な のかと言われれば、ものすごい効果だ。としか言い様がないんだよね。で、だ。本来浮力 を持つようなものは尋常でない回路の数を持っていなければいけない。さて、さっき言っ たけどあの宝石にあった回路はどうなっていたんだっけ」  ガトーのその問いで二人ははっと気付いた顔をした。  それを見て彼は分からなかった問題がやっと解けた生徒を見るような嬉しそうな顔で二 人を見た。 「理解できたかな? つまりはそういう事なんだ」 「なるほど。……む。そういえば皇七郎君。空に落ちる命を調査しているときに何か違和 感を感じなかったかな。なんと言えばいいのかは分からないけど」 「あぁ。僕も感じましたね。うーん、人工物臭いと言うか……」 「そうそう。そんな感じだね。って、ちょっと待ってくれ。フラシュル。その宝石は明ら かに自然物では無いのだよね」 「そうだね。儀式によって作られた回路は何年もかけて洗練され、どんどんその回路数は 少なくなっていく。でも自然によって作られる回路は無駄が多いから儀式によって作られ る回路数よりも少ないなんてことは有り得ないんだ」 「ってことはなんですか? あの『空に落ちる命』は人工生物だってんですか?」 「その可能性はある。でも『空に落ちる命』は卵を産むからなぁ。人工生物は雌雄の区別 が無くて、しかも生殖活動をする事は無いという事が今の定説だから、すぐにそうとは言 い切ることは出来ないね」 「でもですね……」  二人の魔物生態学者の会話を放っておいたら自分の話が全然進まない事を知っていたガ トーは机の下で足を組みなおして無理矢理会話に入り込む。 「その話はまた後にしてくれ。今重要なのは私の方の話なんだ。で、だ。こないだ皇七郎 君にはチラッと言ったんだがね、もしかしたらこの宝石天空城まで昇ってくんじゃないか なって思ったんだよ。裏・創世神話の二十三節と二十四節って言えば分かるだろう」 「あぁ、『天空城の双子石、片割れが地に堕ちた』と『堕ちた石は砕けたが、天空を夢見 て空を舞う』というやつかな」 「そう。その片割れの破片ってのがさ、あの宝石なんじゃないかなぁって思ったんだ。し かも『空に落ちる命』って遺体が見つからないんだろう? だからその片割れが『空に落 ちる命』に変化して天空城に戻っているんじゃないかな。って考えたわけなんだ。で、だ。 あの宝石にちょいと細工を施したんだ」  ガトーは立ち上がり、窓を開けて空を見上げる。 「……ガ、ガトーさん。もしかして」  ガトーは振り向かない。 「フラシュル。もしかしてやってしまったのか」  ガトーは何も言わない。  何も言わずただ震えている。 「……飛ばしたんですね」 「飛ばしたんだな」  二人はガトーの態度から確信した。  あの青い浮力を生み出す宝石はガトーの好奇心の所為で大空の彼方に飛んでしまった。 という事を。 「し、仕方ないじゃないか! 気になったんだもん!」 「だもんじゃないですよ! アンタ何やってんですか!」 「そうだぞフラシュル。やっていい事と悪い事ぐらいあるんだぞ」 「だ、大丈夫。あの宝石に手紙もくっつけておいたから」 『どこの夢見る少女だ!!』  二人して面白い突込みをする。  おそらく風船に手紙をつけて飛ばすのをイメージしてのことだろう。 「とりあえず、ここの研究所の位置を記憶させた転移石を一緒につけておいたからもしも 天空城に人がいたらもしかしたら此処に来るかも……」  ガトーはそう言うが、二人ともまったく聞いておらず深刻な顔をして話している。 「どうします? あの宝石が浮力の源っていう説でいいと思うんですけど、実物が無い限 り信用しませんよね」 「そうは言ってもだね、こちらにはある程度の資料が揃っているわけだし……」 「あぁ、そういえばハロウドさんが馬鹿みたいに記録を撮ってましたね。あれにあの宝石 の記録って残ってましたっけ……」 「おーい」 「確かいくつかあったね。それで通るかな」 「通らなかったらガトーさんに責任とってもらって一筆添えてもらいましょう」 「あぁその手があったか」  二人に無視され、ガトーは相当こたえたようでとぼとぼと自分の椅子に座り黒い三角錐 をまたいじりだした。 「……」 「……」  二人は何かを話している。  でもガトーにその声は届かない。  というよりも聞かないようにしている。  なんとなく言葉を喋っているのは分かるが、その内容は理解できていない。  ――仕方ないじゃないか。やってみたくなったんだから。  心の中でそう呟く。  やりたい事をやってみる。それが学者と呼ばれる人種ではないだろうか。  そう自己弁護してみたところで二人の大事なものを失ってしまったという事実が消える ものではないけれど、そうでもしないとガトーは何か見えないものに押しつぶされてしま いそうだった。  さて、そんな風に三角錐を弄る事数分。  その行為にガトーが飽きてきた時の事だった。  微量の魔力粒子の乱れを彼は感じ取った。  それは通常の人間なら気付かずそのまま見過ごしてしまいそうな前兆で、このレベルの 乱れを感じ取ることができるのは世界広しと言えどそうそういないだろう。 「ちょっと二人ともこっち! そこ危ないよ」  アーキィと皇七郎に声をかけるものの二人は議論に熱中してそのことに気付かない。  しょうがないなぁと椅子から腰を上げた時いっそう魔力粒子が乱れ、そして空間が裂け た。しかもアーキィと皇七郎の上の空間が。 「あ、危ない」  そう言うものの、その言葉はなんら効力を発せず、その裂けた空間から現れた少年―― といっても年は十七、八ぐらいだ――は重力に従って下へ落ちる。  少年が出てきたのはアーキィと皇七郎の真上。どすん! と大きな音を立てて少年は当 たり前のように二人を下敷きにした。  どうやら二人の上に乗っている少年は未だ何が起こったのか理解できていないようで周 りをきょろきょろと見回している。その少年は極東の民族衣装を動きやすくしたような服 を身に纏い、腰には少年の小さな身体には不似合いな剣を下げている。  ガトーが近付き大丈夫かね? と尋ねるとこんがらがった脳みそがやっとすっきりした のか、意外としっかりとした声で 「大丈夫です。ご心配おかけしました」  と答えた。 「ちょっと下の二人が辛そうだからどいてもらってもいいかな?」  二人を指差してガトーがそう言うと少年は顔を赤くして立ち上がった。  その時すこし勢いよく立ち上がりすぎたのか、アーキィと皇七郎はグェと蛙が潰れたよ うな声を出した。 「す、す、すみません!」  少年は慌てて二人に謝る。  何度も繰り返し頭を下げるのを見てガトーは水飲み鳥というおもちゃをなんとなく思い 出した。 「その二人にそんなに謝らなくてもいいよ。何せ人の話を聞かないような連中だからね。 それはともかく君は……一体どうしたんだい?」  ノビている二人を尻目にガトーはそう問う。 「えぇと……。クズ石についていた手紙を読んで同封された石を使ったらここに……。こ こって王立魔法研究所でいいんですよね」 「……ッ! もしかして君は――」 「はい。地上の――貴方たちが言うところの天空城から来ました」  その言葉を聞いてアーキィと皇七郎はガバッと身を起こした。  それを見てガトーは勝ち誇った顔をする。 「ほらどうだ! やっぱりあの宝石は天空城に行くように仕組まれていたじゃないか! 罵って、私を無視した結果がこれさ。やはり何か新しいことを知るためには冒険が必要だ とそういう事だよ。分かったかね、アーキィ、皇七郎君!」  その言葉を聞いて二人はぐぅの音もでないようだった。  が、しかし 「いや、その事については悪かったと思う。しかしだね、今はそんな事を話している場合 では無いと思うんだ。目の前に天空城からやってきたという少年がいるのだぞ。そちらか ら話を聞くのが先決だと思うのだがね」 「僕もそう思いますよ。謝罪なら後でいくらでもしますから」  学者というのは得てして自分の非を認めないものである。  苦し紛れとはいえ、そうはぐらかして自己紹介も何も無く、二人はその少年に対して質 問をし始める。ガトーはというと情けない顔をして、少年に対して矢継ぎ早に質問する二 人の後姿を眺め、とぼとぼとその輪に加わった。 「つまり天空城は本当にお城な訳か!」 「そうですね。といっても城内で階層が別れていまして、身分の高い人間ほど上層部に住 めるんです。最下層に住む天空人をクズ石、中層部に住む天空人を玉石、上層部に住む輝 石と呼び別けているんです。この身分は所持している石の純度で別けられるんです」 「なるほど、じゃあアンタはどの身分に――?」 「自分は天空人ではありません。あなた方と同じ地上人です」  その言葉を聞いて三人の思考は一気に停止する。 「……」 「……」 「……」  三人が一様に黙り、何かを考え、その少年の言葉を脳内で反芻する。  そして数十秒してからようやく理解し、 『はぁぁぁぁ!?』  と三人揃って声を上げた。  少年はその声に多少驚いてビクっと肩を竦めた。 「ど、どういう事だね。天空城にいるのは天空人だけじゃないのか!?」  アーキィが少年の肩をつかみガクガクとゆする。 「お、お、落ち着いてください。順を追って説明しますので」  少年がそう言うとアーキィは我に返り揺する手をぱっと止めた。 「す、すまないね……。どうも興奮すると過激になってしまうようだ」  コホンと咳をしてアーキィはどこからともなく紅茶を出し、啜る。それを見て、ガトー も皇七郎もそれぞれに深呼吸をし、自らを落ち着ける。  三人が落ち着いた時を見計らい、未だ頭がぐらぐら揺れているような感覚を覚えながら も少年はここに至るまでの経緯を喋りだした。                                ■ガトーの場合(終)                 3.ハロウドの場合  新月の夜はあまりに暗い。  空に瞬いているはずの星も何故か――今は見えない。  前に手を伸ばしてみてもその手は見えない  漆黒の闇。  それなのに、その町は朱と橙に染まっていた。  パチパチと火が爆ぜる音がして、ガラガラと建物が崩れる音がする。  人の断末魔が聞こえたかと思うと、魔物の断末魔が上から被さりそれを掻き消す。  これは、この光景は――地獄絵図だ。  漆黒の闇の中、それよりもさらに黒い鎧、ディオギニスを纏った元聖騎士のカイル=F= セイラムは白と黒の二本の剣を振るいながらそう思った。  火の臭いと、血の臭いと、死の臭い。  それらを肺一杯に吸い込んで、何匹目になるか分からないゴブリンを倒した。  ――クラクラする。  周りは火の海で、人間が活動するには明らかに酸素量が少なすぎる。自慢の速度も段々 とキレが無くなりかけていたその時、後ろに殺気を感じた。  しかし、酸素の足りていないカイルは即座に反応ができず、振り向くだけ。  そこにいたのはゴブリンの上位種であるゴブリンナイト。  カイルは目を瞑り、そのままバッサリと切り捨てられた。  はずだった。  しかし、痛みは全く感じなかった。恐る恐る目を開けると物凄い形相をしたままそのゴ ブリンが目の前で絶命していた。それをやったのは、ウィッグをつけたリザードマンの女 性、尾長のエピリッタだった。 「大丈夫かい。ボーっとするなんてアンタらしくないじゃないかさ」  カイルは朦朧とする意識の中でエピリッタを見上げる。  汗は掻いていない。むしろちょうどいいと言った顔をしている。人間と魔物の本来持っ ているスタミナの差というのもあるだろうが、リザードマンの特徴である周りの温度に自 らの体温を適応させるという能力もきっとあるのだろう。 「どうも酸素が足りないんです……。ところで、後の二人は?」  カイルは辺りを見回す。  騒がしい二人の少女がどこにもいない。 「あの子達はこれ以上火が移らないように燃えるものを片っ端から潰してってるよ。さっ きちょっと見てきたけど二人ともアンタに褒めてもらうんだって張り切ってたねぇ。もて る男は辛いねぇ。あとあと大変だよ」 「まぁ……、ハハハ」  カイルは乾いた笑みを浮かべる。 「それはいいとして、エピリッタさん……。あちらの様子は……どうなって……ますか?」 「うーん、もうそろそろ打ち止めと考えて大丈夫だろうね。ゴブリンナイトを投入してき たってことはあちらさんもかなりイライラがつのってる頃だと思うから。それにしても… …あんたもなかなか大変な依頼持ってくるねぇ」 「僕だって……、こんな……、大変な仕事だとは……思いませんでしたよ」  本格的に酸素が足りないのか、カイルは途切れ途切れに話す。 「あっはっは、こんなんだったらハロウドの旦那の依頼について行った方がよかったん じゃないかい?」  カイルは思い出す。  首都で羽を伸ばしていた頃二つの依頼が彼の元にやって来た。  一つはいつも厄介になっている冒険者の宿からの依頼で、ゴブリン軍団の掃討をしてく れないかという内容。  そしてもう一つは言うまでも無く、あの魔物生態学者――ハロウド=グドバイからの依 頼だ。内容は簡潔に『砂漠の街に来てくれ』とだけ書かれていた。  本来なら返事も出せず、そちらに行くしかないのだが、今回は少々違った。  その依頼を持ってきたのが、鳥系の小型魔物だったので、今回はもう片方の依頼を受け るという旨を書いて、ハロウドに送り返せたのだ。 「いえ……、こっちは体力的に疲れますけど、あっちは精神的に疲れるんです。だから、 休めば治るこっちの方が幾分かマシです」  きっと、あちらを選んでいれば数年前のあの事件のような大事に巻き込まれたに違いな い。あの事件はあの事件で何かしらの物を得たが、それ以上に精神的疲労が大きすぎた。 あれぐらいの大事件にかかわるのは人生で一、二回で十分だ。  そう言うとエピリッタは笑った。 「そりゃそうだね。ま、あんたが巻き込まれなかった分、きっとどこかの誰かが巻き込ま れてるに違いないだろうけどね」  エピリッタが言ったちょうどその時、周りが一気に暗くなった。  ――影だ。  そう気付いて、カイルが影の主に眼をやる。  鎧をつけた山のような巨体が二人の前に立ちはだかっていた。 「っと、そんな話をしている場合じゃないねこいつは――やばいよ」  その巨体の正体はゴブリンロード。  きっと、このゴブリン軍団の長である。 「戦えるかい?」  愚問だ。  カイルはそう思った。  確かに脳に酸素はいっていない。しかし、この程度のハンデは常に経験してきた事だ。 「大丈夫です」 「そーかい。じゃあ行くよ」 「心は故国の姫の元に。剣は己の信念の元に。行きます!」  そう言ってカイルはゴブリンロードに向かっていく。朦朧とする意識で戦いながら彼は 自分の代わりにハロウドに巻き込まれた何処かの誰かに対して心の中で謝った。                ■ ■ ■ ■ ■ 「ん、ハロウドさん。アンタ今なんか言ったか?」 「いや、何も。空耳かね」  がやがやとうるさい砂漠の街の酒場で二人の男が顔をつき合わせて座っている。  一人はこの暑さの中涼しい顔をして長いコートを着ている魔物生態学者ハロウド=グド バイ。  そしてもう一人――こちらもまた大きなマントを羽織り涼しい顔をしている――はおも しろそうな事にはなんでも首を突っ込みたがる在野の学者ハイド=ガーベラである。 「そうそう、こないだ面白い魔物を見付けてね。あぁ、あれは魔物といっていいのかな。 というか生き物といっていいのかも怪しいがね、とある地方の信仰対象になっていた石の ようなもので、満月の夜にそれの目の前でこれがこうだったらイヤだなと考えるとだね、 その思った事を実際に引き起こすんだ。その村ではその石のことをマンジュ・クォワイと 呼んでいて、こうだったらやだなぁと考えた事を想像を現実に起こすその性質を利用して 『お金が空から降ってくるのが怖い』だの『女の子が全員俺のことを好きになるのが怖い』 などと言っているんだね。ただそういった即物的なものはあまり叶えられる事は無くて もっと抽象的なものを――まぁつまりは願望なんだが――そっちの方が叶えられる確率の 方が高いようだね。かく言う私もだねちょうどその村に立ち寄った日は満月の夜だったも んだから物は試しにとやってみたんだよ。そうするとだねいやぁ、びっくりしたよ。正直 なところ半信半疑だったんだがねいやはや、本当にあぁ言うことが起きるのだね。ふむ、 本当に、よかった……」  そう言ってハロウドはハイドから目を外し遠くを見た。 「ハロウドさん。ちょっといいかい」  その長広舌に辟易して、ハイドは話しかける。 「なにかね」 「実はな、こないだ行った遺跡で面白いもの見つけたんだよ。真実の剣って言うんだけど 知ってるよな?」 「あぁ、どんなものでも一度だけ切り離すことが出来、斬った後は砕け散るという剣だろ う? 元々は対魔王用に何本も作られたものだったか」 「その通り」  にこりと笑ってハイドはマントの下から長い長い剣を取り出す。これが件の真実の剣で あろう。 「おぉ、これがその剣か。なるほど、確かこれは魔王討伐だけじゃ無くエルダーデーモン にも使われたと言われているなそもそもエルダーデーモンは……」  自慢の口がぺらぺらと動き出す。  それを見てハイドはドスの聞いた声で 「いい加減にしないとその思考と口の関係切り離す」  とそう言った。  あまりにも突然の事に一瞬だけ思考の止まるハロウド。それを見てハイドは笑っていつ もの通りの声に戻ってやだなァと言った。 「そんなマジな顔になっちゃって、冗談だよ冗談。ハロウドさん話長いんだから。それで、 本当は何の話だったっけ」 「あ、あぁ……閑話休題。私が君を呼んだのはだね天空城に関することなんだよ。君も学 者なら一度は聞いたことがあるだろう? 空の上に浮かぶ城だよ」 「あぁ、学会じゃ存在しないというのが定説ですわな。まぁ俺はそうは思いませんがねぇ。 それがどうかしたんですかい?」 「うん、面白いことを思いついてしまったんだよ。『空に落ちる命』という魔物を知って いるかね?」 「あぁ、生まれた瞬間から空に飛び上がって卵を産む以外は地上に降りてこない――って やつですよね」  ハイドの言葉を聞いてハロウドは嬉しそうに頷く。 「そう、それだ。『空に落ちる命』はその生態が全くの謎に包まれていたんだがね、こな いだひょんな事から調べる機会があってね。もしかしたら天空城に行けるかもしれない」 「……マジっすか?」 「あぁ。『かもしれない』だけどね。でも学者なんてのはその場のノリと勢いが重要だろ う。思いついた事をすぐにやらなければ誰か他の人間に先を越されるかもしれないしね」 「それで――」  その方法は? とハイドが聞こうとしたときくいくいとマントが引っ張られた。ん? と呟いてその引っ張った人間を見るとそこにいたのは――十五、六の少女。  黒く長い髪と透けるように白い肌がとても印象的で、ハイド達のいる場末の酒場におい てその存在はとても浮いている。 「どうしたのかな?」  話を中断された事に少しだけ不快感を感じながらも出来るだけ優しくハイドはその少女 に声をかける。  少女はごにょごにょと口の中で言葉を転がして、こう言った。  私を天空城に連れて行ってください――と。  天空城という言葉に反応したのか、ハロウドは身体を横にずらしハイドの陰に隠れて見 えなかった少女を見る。そして、溜息を吐き思った。  また少女か――。  何かと少女と縁のある男ハロウド。数年前もこんな感じでとある陰謀に巻き込まれた事 があった。それを境に少女がハロウドに近付いてくることは無くなったが、これは――何 かの前兆なのかもしれない。そうハロウドは考えた。そもそもあれは―― 「ハロウドさん、おーい、聞いてます?」  ハイドに声をかけられ思考の海に沈んでいた意識を引き揚げる。 「ん、な、何かね」  ハロウドが顔を上げると、ハイドは自分の背中の向こう――入り口の方を親指で指して いた。その先にいたのは男。ローブから覗く顔は派手な金髪に赤い目をしており、見た目 はこの酒場にいる人間たちとほとんど大差が無いが目を血走らせ何かを探している。とも すれば今にも暴れだしそうな気配。  分析力が自慢のハロウドはその瞬時に彼の探し物が分かった。  彼らが探しているのはいつの間にかハイドの膝の上に乗り、縮こまって小さく震えてい るこの少女に違いないと。 「ハロウドさんやっぱりあいつらの狙いはこの子……だよなぁ」  やはり、ハイドも気付いていた。 「多分、そうだと思う」 「畜生、めんどくせぇなぁ。俺面白いことは大好きですけどめんどくさいこと嫌いなんで すよ。この子をあいつに引き渡すってのは――」 「駄目に決まっているだろう」 「分かってますよ。あぁ、めんどくせぇ。けど――それ以上に面白そうだ」  にやりと笑って、机の上の剣をマントの中に仕舞うハイド。 「ハロウドさん、この子をお願いします。合図したら後ろの窓からすぐに外に逃げてくだ さいね」 「お、おい……ハイド君。一体何を考えて――」  そう言い切る前にハイドは叫んだ。 「そこの金髪ボケ! てめぇが探してんのはこの嬢ちゃんだろう! こっちにいるぞ!」  その大声を聞いて酒場の人間は一斉にハイドの方に目をやる。男はゆらりと振り向きハ イドの方にその赤い目で殺気のこもった目線を送った。  そして、ハイドの姿と一緒に今まさに窓から外に出ようとするハロウドと少女が目に入 る。 「……縛」  ボソリと呟いた瞬間、ローブの下で何かが蠢いた。  瞬間――ローブの布を突き破り、常人の目では追いきれない物凄い速度で何かが伸びる。  それは一直線にハロウドに――正しくはハロウドの抱えている少女に向かう。  その目に見えない何かがハイドの横を通り過ぎた時。それは壁に叩きつけられた。 「ナイ……フ?」  呆然とした顔で男が言った通りそれはナイフで壁に串刺しにされていた。 「残念だったなぁ。てめぇの相手はこの俺だ」  ハイドは嬉しそうな顔をしてそう言った。この状況を心底面白がっている。 「お前の相手が俺だとしても俺の相手はお前じゃない。そこを退け」 「いいじゃねぇか。ちょっとばかし運動不足でイライラしてたんだ。ここを通りたいんだ ったら力づくで通るんだ――なッ!」  言うが早いかハイドはまたナイフを投げた。  飛んでくるナイフを男は素手で掴み取った。 「こんなものが効くとでも?」  しかしハイドは焦らない。ナイフ自体はフェイクだ。重要なのはそのナイフに括りつけ られたもの。  弾けろ――。  ハイドのその言葉をキーとして、ナイフに括りつけられていたものが作動し、煙を噴き 出した。煙幕弾だ。  それを見て酒場にいた人間は煙から逃れるため外に転がり出る。 「てめぇ、逃げるのか!」  男が叫ぶ。  しかし、ハイドは逃げていなかった。  煙の中、どこに隠し持っていたのやら、何十にものぼるナイフを男に向かって投げる。 投げる。投げる。投げ続ける。  手持ちのナイフがつきかけた頃、ようやく煙が晴れてきた。  ハイドはもう終わってるものだと思っていた。  しかし――違った。  「……何だこりゃ。ちっとばかしビックリしたがこの程度か」  煙の向こうには、かすり傷一つ負っていない男の姿。  突き刺さっているはずのナイフは全て男の手に収まっていた。 「お前の運動不足解消にはなるかもしれねぇが、俺の運動不足解消にはならねぇようだな」  そう言って男はローブを脱ぎ捨てた。  その下にあったのは腕。  当たり前である。しかし常人と違ったのはその腕の数であった。 「驚いたか? 驚いただろうな。これはうち特製のもんだからな!」  生身の腕二本に、背中から四本の腕が生えている。  そのうちの一本は先ほどナイフで串刺しにしたはずのもの。  ――空繰義手か。  ハイドは昔一度だけ聞いたことがあった。魔法の力を借りず、身体を流れる微量の電気 を使用して、自らの腕の如くそれを動かすという一族の事を。 「スカした野郎かと思ったら面白い顔しやがんじゃねぇか。名前はなんつーんだ?」 「ハイド……ガーベラだ」 「なるほど、いい名前だ。俺の名前は阿修羅崎。第三十三代目当主阿修羅崎眼九郎だ。お 前に何の恨みもねェがそこをどかねぇならどかすまでよ!」  そう言って男――眼九郎はハイドに向かって飛び掛った。  ――夜はまだ続く                               ■ハロウドの場合(終)                 4.深い森の中にて  ギャアと鳥が鳴いて、ばさばさと音を立てながらディライト達の頭上を飛んでいった。  現在ディライト達がいるのはリオン山脈の麓――といってもトゥーリーズとは反対の方 角にある樹海、帰らずの森だった。  この樹海は帰らずの森というその名が示す通り、一般人が立ち入れば容易に抜け出す事 は出来ない森である。といっても、この地域の危険度はCで――世界一の安全地帯と言わ れる皇国首都は危険度Eである――ある程度熟練した冒険者なら散歩代わりに歩き回る事 も可能である。何故なら、この森を帰らずの森たらしめている最大の要因はそこらかしこ にある強力な磁鉄鉱が方位磁石を狂わせるというとてもシンプルなものだからだ。一定時 間ごとに今いる場所が変わるだとかそういった魔法の類はかけられてはおらず、そのため 風景を覚えてしまえば簡単に動き回る事ができる。  とまぁ、冒険者の中ではそう言われているがそれは森の九割の場所がそうであるという だけで冒険者たちの知らない、ともすれば誰も知らないかもしれない残りの一割の場所は 違った。とある方法で道をしっかりと進まなければその奥へと進めないという秘密の場所 があったのである。  さらに言えばそれが――ディライト達の目指す天空城への道でもあった。  その場所へ至る方法というのが帰らずの森の様々な場所にある目印の石一つ一つに魔力 を込めなければいけないという最もシンプルでありそして最も面倒くさい方法であった。 その理由として、帰らずの森は大気の流動が起きないため高濃度の魔素が森を満たしてお り、それは大型の魔物が跋扈していることを示している事に他ならず、異常に高い魔物と の遭遇率を合わせると長時間の探索が困難を極めること。それに加え目印の石はそれぞれ が離れており、全てを回るためには帰らずの森を長距離歩かなければならず、魔物との戦 闘を何度も繰り返すはめになるということの二つが挙げられる。その二つの理由故に今の 今まで天空城への道が知られていなかったと言っても過言ではない。  ちなみに言えば帰らずの森が持っているこの一種異様な雰囲気も封印の一種であり、奥 にある昇降装置の隠蔽に一役買っている。  その異様な雰囲気も気にせず――アキコのお香の効果であるが――樹海探索を始めて数 時間が経つ。 「ねぇ、ディライト。本当にこの道で――?」 「いいはず……なのです」  そして見つける目印の石。 「あ、あったのです。これが目印なのです」  ディライトは持っている拓本と見比べながらそう言った。 「……あー、そうだね。目印の石だ」  しかし大きな箱を背負ったアキコの返答は素っ気ない。それもそのはず。その目印の石 を見たのはこれで八度目だからである。 「ディ〜ラ〜イ〜ト〜」  低く、くぐもった声でゆかっちはディライトを睨む。 「私さっき聞きましたよね。本当にこの道で合ってるのかって。そしたらなんて答えまし た?」 「え、えーと……」 「言いましたよね、大丈夫なのですって。しかも物凄い自身ありげな顔して」 「う、うぅぅ……」 「唸っても駄目です! ほら、さっさとそれ私に渡して下さい!」  ゆかっちはディライトが持っている拓本を取ろうと手を伸ばす。  が、その手は空を切った。ディライトがさっと身体を引いたためである。 「さ、最後にもう一回だけ! これでまたここに戻ってきたら渡すのです」 「……分かりました。ほんっとうに最後ですよ」  そんな二人の口論をにやにやと聞きながらアキコは腰元の香炉にガユラ草を加えていた。                ■ ■ ■ ■ ■ 「ディライト。貴方は壊滅的なまでに方向音痴だということがこれで分かってくれました か?」 「申し訳ないのです……」  これで九度目のご面会となる目印の石の前でディライトは申し訳なさそうに謝った。 「本当に……、地図があるのに迷うってどういう事ですか」  すっかり説教をする態勢に入っているゆかっちをアキコはまぁまぁとなだめる。 「ディライトだってわざとじゃないんだから……」 「わざとじゃないから余計始末が悪いんです。大体ディライトはですね……」  そう言ってくどくどと説教を始めた。ゆかっちは完璧におかんモードに入っていた。  アキコはねちねちと責められるディライトを気の毒に思い何度か助け舟を出したが、ゆ かっちの前でそれは何の効力も持たず、数分後には背中に背負っていた箱を下ろして彼女 の説教を流し聞きながら我関せずといった顔をして目印の石の上に座っていた。 「空……見えないな」  アキコはひとりごちて今から行くはずの天を仰ぎ見る。鬱蒼とした木々が邪魔で本来見 えるはずの青空は見ることが出来なかった。  そこでふと思う、何故天空人はこんな所に昇降装置を作ったのか――と。  見つけにくい場所、と言うのなら何もここでなくても良い。大体ここには封印が張って あるのだから他のもっと便利なところに昇降装置を作って封印をより厳重にすればよいだ けの事。それなのに何故?  そう思ってアキコはま天を仰ぐ。そして気付いた。ここにあって他のところに無いもの の存在に。そのほかのところに無いものとは―― 「リオン山脈か」  聖山とも魔山とも言われるあの山であった。 「あの山の麓ってだけで魔力は濃くなるからなぁ。それで昇降装置作ったのか。でもなぁ 正直なところ他にもあるだろうに。なんでここなんだろう……」  などとぶつぶつ呟いていると、ガサガサと草むらが揺れた。  アキコはどんどんと進んでいく思考を一旦停止させ音のした方を見る。  ガサガサと音は鳴り続けている。ゆかっちはディライトへの説教に夢中でまったく気付 いておらず、ディライトもまたその説教を聞くので精一杯だった。  ならば、とばかりにアキコはその草むらへと近付いて行く。  魔物が出る、と言う意識は無かった。 「何かな……?」  アキコが草むらの目前にまで近寄ったとき、その奥にいた何かの目が光った。  その数――八つ。 「くッ!」  うしろに飛び退いて距離をとり、それが何かを確認する。  がさがさと音を立てながらゆっくりとそれは草むらから姿を現した。 「……蜘蛛?」  それは、アキコが呟いたとおり蜘蛛だった。八つの目に八つの足。鋭い鋏角に膨らんだ 腹部。どこからどう見ても普通の蜘蛛。しかし、そんな普通の蜘蛛にアキコが驚くはずも ない。なら何故驚いたのか。理由は簡単である。その蜘蛛は帰らずの森の魔素にあてられ 異常成長を果たした地蜘蛛、フラッシュハウンドであったからだ。 「ディライト、ゆかっち! そんな事してる場合じゃないわよ!」  大声を上げて二人の下に駆け寄った。 「な、なんなのですかあれは」 「魔物よ魔物! お香焚いてた筈なのになんで!?」  そう言ってアキコは腰元の香炉に目をやる。  本来そこから出ているはずの煙は出ていなかった。 「うっわ最悪、さっき追加するの忘れてたわ」 「い、今から追加すれば……」 「駄目ね、見つかってからじゃ効果ないわよ」  アキコはフラッシュハウンドを睨みつけながら悔しそうにそう言った。 「逃げるのですか?」 「三十六計逃げるに如かずと東国の策士も言ってることだし、そうしようか」  アキコとディライトがフラッシュハウンドに背を向けた時、待ってくださいとゆかっち は二人を止めた。 「なんなのですか、ゆかっちもさっさと――」 「それは――無理なようです」  ゆかっちは動かないままフラッシュハウンドを見据えている。  それにつられて二人も見るとそこにいたのは―― 「……増えてる?」  先ほどのフラッシュハウンドに加え、五、六匹ほど数が増えていた。 「それにまだ増えてます」  アキコとディライトは耳を澄ませるとゆかっちの言うとおり他の所からもがさがさと音 が聞こえてきた。 「囲まれてるって事?」 「そうですね」 「ど、どうするのですか」  三人は顔を見合わせる。 「戦うしかないでしょう」 「だよなぁ……」  アキコは項垂れ、ちらりと箱を見た。 「温存したいけど……仕方ないな。ディライト、あんた戦えんの?」 「え、あ、その」 「駄目です。ディライトはまったくセンスがありません。役立たずです」 「分かった。邪魔になるならそこら辺に隠れてなさい。ゆかっちは回復専門だったっけ?」 「いえ、ディライトと一緒に訓練しましたからフラッシュハウンドぐらいが相手なら私も 戦えます」  ゆかっちは鞄から取り出した手甲をはめ、ガキンガキンと両手を打ちつけながらそう 言った。 「分かった。それじゃあ……」  アキコは箱を開いて黄色い液の入った試験管を地面に突き立てる。 「この周辺にあいつら集めてもらってもいいかな。殺しちゃ駄目よ」 「了解しました」  頷いてゆかっちはフラッシュハウンドの群れに向かった。                ■ ■ ■ ■ ■ 「うっし、四本目!」  アキコは白衣の下から青い液体の入った試験管を取り出し、地面に突き立てた。  その瞬間、フラッシュハウンドの前脚がアキコの頭部を薙ぐように動く。それをしゃが んで避けてまたアキコは走る。その後姿めがけて飛んできた糸をゆかっちが手甲で受け止 め、その手甲『カグツチ』の効果で焼き払う。 「アキコさん、あとどのくらいですか!」 「あと一本! いける?」 「大丈夫です。忘れてたカンもようやく取り戻してきました」  ゆかっちは腕をぐるぐる肩を回し、腕を下ろす。  そして手が燃えた。実際は手甲が火を発しているだけだがではあるが。 「さぁて、死なないように加減するのが難しいですね……」  少しだけ笑って飛び掛ってくるフラッシュハウンドをその燃える手で払う。見た感じで は軽く払っているだけなのに、二メートルを越す巨体が大きく吹き飛んだ。 「おぉ……」  それを見てアキコは思わず感嘆の声を漏らした。  そして五本目の試験管を地面に突き立てる。 「ゆかっち、そこ退いて!」  今度は赤い試験管を取り出し、一ヶ所に集められたフラッシュハウンドに向けて投げよ うとした時、アキコはその群れに何か違和感を感じた。何がとは言えないけれど、何かが 足りない気分。  そのなんともいえない違和感の所為で一瞬だけ動きが止まった。  そしてアキコは自分の周りに黒い円が出来、それがだんだんと大きくなっている事に気 が付いた。それはまるで影のような―― 「アキコさん、上なのです!!」  木の陰からディライトが叫んだ。  アキコは上を見る。相も変わらず木は茂り、空は見えない。  そんな中に一つ、ぽつんと黒い円形のものが見えた。だんだんと大きくなっている。そ の自分に向かって落ちてきているものがフラッシュハウンドだと気付いたとき、それはも う目前にまで迫っていた。 「――あ」  アキコは自分でも信じられないほど間抜けな声を出した。  それから後数秒で自分はあの巨体の下敷きになって圧死するんだなぁと思った。  ただ、今まで魔物を殺してきた自分にはお似合いかもな。とも。 「バカァァァァッ!!」  ディライトの叫び声とともにアキコはわき腹に衝撃を感じ、自分の足が地面から離れた 事が分かった。そして吹っ飛ばされた勢いのまま地面に身体を激しく打ち付けた。  急いで状況を把握する。さっきまで自分のいたところにはフラッシュハウンドがいる。 そして身体の上には――ディライトがいた。 「何やってるのですか! 戦ってる時に呆けるなんて私にも出来るのです! 私に出来な い事が出来るから私に隠れてろって言ったんでしょう。というか私の目の前で死んでも らっても困るのです。どの顔下げて私はあの子達に貴方が死んだことを言わなきゃいけな いのですか!」  アキコの脳裏によぎる三人の龍娘。 「――ッ」  ――死なないと、約束したはずなのに。  アキコは自分に腹が立った。 「いいですか、私の目の前では絶対に殺さないのです。ほら、さっさと立ってあいつら やっつけてください」  ディライトはアキコの上から退いた。 「言われなくても――どっ、せい!!」  アキコはすぐに立ち上がり、ディライトの真後ろでカチカチと鋏角を鳴らしているフ ラッシュハウンドを両足で蹴り飛ばして青い液体の入った試験管で出来た五角形の陣の中 に無理矢理押し込んだ。 「ゆかっち! そっから退いて!」  その声に反応してゆかっちはバックステップでフラッシュハウンドの群れから離脱する。  アキコは一ヶ所に集まったフラッシュハウンドに向かって先ほど投げようとして止めた 赤い試験管を三本ほど取り、今度こそ群れに向かって投げる。 『弾けて混ざる』  古代語でアキコがそう言うと宙を舞う試験管が弾けた。  それを契機として、青い液の入っている試験管が次々と割れてゆき、最後に中央に突き 刺さっていた黄色い液の入った試験管が割れた。  それらは色を撒き散らし、五角形の中にいるフラッシュハウンドを包み込む。グネグネ と三つの色が蠢いた。そして赤、青、黄はゆっくりと混ざり、やがて純白変わっていった。  アキコはその色の変化をしっかりと見届け『此処より彼方へ』ともう一言。  それで、終わり。  純白の何かに包み込まれたフラッシュハウンド達は大きな光を放って、その光が消えた 頃には何処かに消えていた。  アキコは腰を落した。 「あー、終わった。ゆかっちー、ありがとうね」  とてとてと駆け寄ってくるゆかっちに笑顔を向けアキコは手を振る。  ディライトは――と振り向くと怒りの目でアキコを見つめていた。 「どうして……、さっき動こうとしなかったのですか?」  低い声でそう問うディライト。 「私、聞きましたよ。あの子達に生きて帰るって約束したんじゃないのですか」 「……ごめん」 「私に謝られてたって困るのです、そんな事私に言うぐらいだったら本当に生きて帰って あの子達にしっかりと謝ってください」  ディライトはアキコに背を向けた。  それから少しの間ディライトは喋らなかった。  その沈黙がアキコには痛かった。                ■ ■ ■ ■ ■  魔物とは総じて周囲の変化に敏感である。  それは種の繁栄の為に長い年月をかけて培われたものであり、その能力は魔物と共に冒 険するものたちにとってとても重宝されるものでもある。  もちろんゆかっちとて例外ではなく、その鋭い感覚で幾度もディライトとピンチを潜り 抜けてきた。だから、この人間からかけ離れているこの感覚も嫌いではなかった。  無かったのだが―― 「……」 「……」  この時ばかりはもっと愚鈍でいたかったなぁと思った。  先ほどの戦闘の後からディライトとアキコの様子がおかしかった。  ほんの数十分前まであんなにも仲良く話していたと言うのに今ではお互い一言も発せず、 ただぴりぴりとした雰囲気だけが二人の間を流れていた。  ――うぅ、胃が痛い。  そんな事を考えてゆかっちは先ほどディライトから奪い取った拓本に目をやり、現在地 と比べる。 「あぁ、ありました。アキコさん目印です」  ゆかっちの指差す方向には先ほどまでずーっと探し続けていた二つ目の目印があった。 「ディライトはなんでこんなところにあるのが分からなかったんですか」 「あぁ……、ごめんなさいなのです……」  明るく振舞うものも見事玉砕。 「あ、アキコさん目印に魔力込めてもらってもいいですか」 「あいよ……」  聞いているのかいないのか良く分からない声を出してよろよろと目印に近付いていくア キコ。 『此処より其処へ』  魔力を体内から目印へと移す。数秒後、魔力が満ちた証拠として石に刻まれた翼が赤く 発光した。 「ほ、ほら、元気出して! この調子であと六つ探しますよッ!」 「……はい」 「……うん」  ――教授、私くじけそうです。                               ■深い森の中にて(終)                 5.夜陰に紛れて  しゃおんと金属が硬質の物の上を滑る音がする。  それに次いで炸裂音。  酒場の壁が爆発するかのように弾け、崩れ落ちた。  む――。  と唸ってハイド=ガーベラは眉間に皺を寄せた。 「てめぇの所為で酒場がぶっ壊れただろ!」  右手に持った『宝剣ビフロンズ』を振るいながらそう叫ぶ。 「うるせぇ、俺の所為にするんじゃねぇ! そもそもお前が避けまくってるのがいけない んだろうが!」  対する阿修羅崎眼九郎も背から生えている四本の空繰義手を操りながらそう叫ぶ。 「馬鹿、てめぇの腕まともに受けてたら俺死んじまうよ!」  言ったと同時に迫り来る腕をハイドはビフロンズで捌き、受け流す。  軌道を逸らされた腕はその勢いのまま壁にぶち当たり、また酒場の壁に大穴を開けた。 「まーたやりやがったな! もう勘弁ならねぇ!」 「だからお前の所為だろうが!」  会話だけ聞けばただのコントであるが実際二人はかなり次元の高い戦いをこの酒場の中 で繰り広げている。 「シッ!」  眼九郎の腕が伸びる。  その四本の腕をしゃおんという音と共に全て受け流し、地を蹴って一瞬で眼九郎の前ま で移動してビフロンズで薙ぐ。  が、眼九郎はしゃがんでそれをかわし、先ほど受け流され床に突き刺さった腕でその下 の地面を掴んで、腕を縮ませて一気にハイドの背後へと移動して残りの三本の腕でがら空 きになっているハイドの背中めがけて正拳突きをかました。  眼九郎はそれが完璧に入ったと思った。  しかし、またしゃおんという音がした。  左手にはいつ出したのやら、小さなナイフが握られていた。 「……それ、いつ出した」 「企業秘密。学者のマントは秘密が一杯なんだぜ」  クソッたれ――。  心の中で眼九郎は毒突いた。                ■ ■ ■ ■ ■  ハロウドは少女を抱えながら街中を走っていた。  後ろに気配は全く無い。  だからといってハロウドが気付いていないだけでもしかしたら大勢の手練れが自分を― ―自分の抱えている少女を追っているのかもしれない。  そう考えて、ハロウドは走り続ける。  街の外にある山へ向かって。 「ねぇ、おじさん」  腕の中から少女の声が聞こえる。 「まだおじさんと言われる年では……」 「おじさんは皆そう言うの。それよりも今私を連れて逃げてるって事は天空城に連れて 行ってくれるっていうことでいいのよね」  嬉しそうな声で少女はハロウドに話しかける。  その顔を見てハロウドは溜息を吐いた。 「うぅむ。いや、確かに私は君を連れて逃げてはいるがね、それはそう言うことではなく て、自分の目の前で少女が拉致されようとしていたら連れて逃げるだろう?」 「うん、それはそうだとは思うけど、じゃあ私を連れて逃げて、追っ手がいないって分 かったらどうするの? そのまま山の中に置いていくの?」 「さすがにそんな事はしないさ。しっかり街に送り届けるよ」 「それでもし貴方たちの見えないところで私が攫われたら貴方はどうするの? 助けに来 てくれるの? くれないでしょ」  少女の言っている事は正しい。  言っていることが正しいからこそハロウドは閉口した。 「だったらさ、話は簡単よ。最後まで面倒見てよね。ハロウド=グドバイさん」  笑顔で自分の名前を呼ばれ、ハロウドは驚いた。  この少女に自分の名前を教えた覚えは無い。もし、ハイドと自分の会話を盗み聞いてい たとしても下の名前まで知ろうはずが無い。ならば――何故?  気付かないうちに動揺が顔に出ていたのだろう。  少女はハロウドの顔を見てえへへと笑った。 「私、実はハロウドさんの事知ってるの。教えてもらったんだ」 「誰にだね?」 「黒い鎧を着たお兄さん。私があの街に行く前、首都で天空城に関するお話聞いてたらね、 きっと力になってるから。って教えてくれたの」 「なるほどね、彼が――ね」  ハロウドはそう呟いて不運な聖騎士の顔を思い浮かべる。  思い浮かべて、今度ハロウドと愉快な仲間達で秘蔵のネタを放出することを心に決めた。 「ところでハロウドさん、もう山の頂上なんだけど……どうするの?」  少女に言われて気が付いた。ハロウドはいつの間にか街を出ており、そのまま山をかけ 上がって頂上の少し開けた場所に着いていた。もしも少女が何も言わなければそのまま山 を駆け下りていたかもしれない。 「すまないね、少々考え事をしていたんだ。……ふむ、此処からならあの街が良く見える ね。あぁ、あそこが私たちのいた酒場か。ハイド君は全く手加減を知らないから困るね。 酒場が原形をとどめていないじゃないか」 「あー、本当ね。あの、ハイドさんでしたっけ――はどこのどちらさんなの。私が聞いた 話だとあそこにいるのはハロウドさんだけっていう話だったんだけど」 「彼は僕の友達でね。その黒い鎧のお兄さんが依頼を断ったから代わりに来てもらったん だ。色々知ってる男で、優秀な学者なんだけれど血の気が多いのが玉に瑕でね。今回も多 分悪い癖が出てるんだろうなぁ。こないだなんか料理に髪の毛が入ってたという理由で店 を破壊するところだったしね。誰が弁償するんだろうなぁ」 「ハロウドさんじゃないの?」 「何で私が……」  そう言って言葉を継ぐ前に大気が揺れた。  それを感じてハロウドは悟った。 「そろそろあっちも終わるなぁ。さて、それじゃあハイド君が来る前に情報の整理をしよ うじゃないか。と、言いたい所だけど私は君の名前も知らないのだよ」  ハロウドは少女を見つめる。  少女はそれに応えるかのように口を開いた。 「まぁ、私も手助けしてもらうからには自己紹介しないと駄目よね。……私の名前はティ ルメール・ウル・ライアス。ティルって呼んでくれて十分」 「わかった。さて、ティル……ティルなぁ。そう言えばティルメールという名前は裏創世 神話に出てくるね。たしかあれは――どこだったか。一度読んだだけだから詳しくは覚え ていないなぁ。あ、といっても私の記憶力が衰えただとかそう言うことではないからね。 その証拠に裏創世神話中のエルダーデーモンに関する記述ならそらんじる事は出来る。興 味が薄かったからその部分に関する印象が薄かったと言ってもいいね。そういえばその事 で皇七郎君に怒られたなぁ。と、閑話休題。いくつか聞きたいことがあるのだけれどいい かな」 「私に答えられる範囲なら」 「じゃあまず一つ目。君が天空城に行く目的は?」 「そこに用事があるから。大切な人を取り戻しに行くの」 「大切な人……」 「そう、私にとって一番大切な人。その人がそこにいるの」 「なるほど。では二つ目、君を追ってきたあの男の目的は? それから君を狙っているの はあれ一人かね」 「多分……あの人だけだと思う。でも分からない。私が見ていないだけで他にもいるかも 知れない……。私が狙われる理由も全然分からない。首都でも一回襲われたんだけど、そ の時はうまく逃げられたの。それでうまく撒いたと思ったんだけど……」  少女は――ティルは肩を抱き、小刻みに震えている。ハロウドはその肩に手を乗せた。 「落ち着きなさい。ここは大丈夫だから」 「う、うん……」  うまく逃げられたと言っているが、実際は相当酷い目にあっていたのかもしれない。  ハロウドは腹の底が何故か熱くなる感じがした。 「三つ目。君のそれはもしかして……」  ティルが腰から下げている宝石について訊こうとしたが、その言葉を引っ込めた。  それを不思議に思いティルは首を傾げた。 「何? どうしたの?」 「い、いやなんでもない。三つ目、君はその大事な人に会いに行く事が自分の生命を危機 にさらすかもしれないと分かっても行くのかね?」 「当たり前。命よりも大切な人だから」  一瞬の迷いも無く、ティルは即答した。その返答を聞いてハロウドは若いなと思った。  そして同時にこの若い者の望みを叶えたいという思いにも駆られた。 「よし分かった、ならば行こう。私は未知の物をこの目で見るために。そして君は自らの 大切なものを取り戻すために。空の上へ、天空城へ!」  ハロウドは声高にそう言った。                ■ ■ ■ ■ ■  眼九郎の腕が四方八方から飛んでくる。  左手のナイフ――自称勇者からパチったドラゴントゥースなる物――で全て受け流す。  きぃぃんとビフロンズを使ったときよりも高い音が鳴る。  俺はこの音が好きだ。風の音とは全く違うのにそれを彷彿とさせるこの音が。  それ故に、魔法よりも気功よりも他の何よりも数段危険度の高いこの技を使うのである。 「いい加減にしやがれ!」  すがすがしい気持ちになっていた所に眼九郎の声が響く。正直なところ奴の相手も飽き てきた。最初の投げナイフを全て掴み取ったのも眼九郎の力ではなく、腕そのものが持つ 危険回避の能力だろう。奴自身の戦闘能力はかなり低い。それに俺が学者で、元々から観 察力が鋭いという事を差し引いても眼九郎の動きは単純すぎる。達人と切り結べば数合で その癖は看破され、眼九郎は地に伏すことであろう。  そんな事を考えながら眼九郎の動きを見る。  右から二本の腕から繰り出されるストレート。  それをサイドステップで避け、今度は右腕が床の下から現れ、顎に向かってアッパー。  それもかわす。  もはや、受け流すまでも無い。  先の動きも全て手に取るように分かる。  四本の腕が伸びきった事を確認し、一歩踏み込んで眼九郎の頬をドラゴントゥースでわ ざと掠める。 「お前……」  何か言おうとする眼九郎。しかし俺はその言葉を言うのを許さない。 「てめぇ本当にあの戦闘種族、阿修羅崎家の当主か?」  わざと怒りを誘発させる事を言う。 「あぁ!?」 「これだったらそこらのゴブリンと戦りあっていたよっぽど面白い。あぁ、それとも―― 戦闘種族ってぇのは蟻かなんか相手に戦うって事なのか」  挑発するだけ挑発してバックステップで一気に眼九朗と距離をとる。  すぐに俺の元へ来る――かと思ったがそうではなかった。  眼九郎は下を向いていた。 「そうだよ、俺は……まだ一人前の当主じゃねぇ」  そう言った。 「親父が急に逝っちまってこの腕の扱い方の極意を知る前に当主になっちまったんだよ。 だから、まだ俺は当主としても戦人としても半人前だ。だがな、こんな俺でも慕ってくれ る人間はいる。俺の事を言われるのは良い。でもな俺の一族をそんな風に言われて黙っ ちゃいられねぇんだよ!」  眼九郎が地を蹴る。  ヒュンと風を切る音がして俺は風を感じた、そして目の前に四本――否、六本の腕があ ることに気が付いた。 「うぉら!!」  四本の空繰義腕をドラゴントゥースで受け流し、残りの二本――眼九郎の腕をビフロン ズの刀身で受け止め、そしてその手を上に弾く。眼九郎はバンザイ状態になり、がら空き になった腹部めがけてドラゴントゥースで突く。  が、そこにいたはずの眼九郎は俺の頭の上を越えていた。  先ほど一度だけやった移動法を駆使して一瞬で俺の背後を取る。  それが本当に一瞬のことで、振り向くことも出来ない。  きっと、今回もさっきと同じように背後から攻撃してくる。が、ドラゴントゥースは前 に出しており、ビフロンズは重すぎて防御には間に合わない。ならば――  突くために前へかけていた体重にさらに体重を乗せそのまま前へ転がる。  ヒュンと風を切る音がまたして、眼九郎の舌打ちが聞こえた。 「少しは動きが良くなったな」  起き上がり、眼九郎を見る。その不自然な赤い目は光っている様に見えた。  後ろにある四本の腕は――違う! 背には三本しかない! 残りの一本は―― 「空繰義腕一の型――爆裂」  気付いたときには遅く、眼九郎は先ほどの移動法で一瞬のうちに俺の目の前に現れ、義 腕二本と自らの腕二本で俺を連続で殴り続ける。先ほどまでの単発の攻撃と違い、威力は 低いが怒涛のように腕が襲い掛かる。それを捌くので精一杯で残りの二本を忘れていた。 「がっ――」  頭に強い衝撃。  眼九郎は残りの二本の腕を鞭のようにしならせ、上から俺の頭を叩きつけた。  脳が揺れ、一瞬意識が遠のく。それを見逃さず、眼九郎は攻撃を続ける。 「二の型――飛燕」  俺の身体を二本の腕が上に放り投げた。  酒場の屋根はすでに崩壊しており、俺は暗闇の空に上っていく。  眼九郎は二本の腕を伸ばし、パチンコのゴムのようにしていた。  もちろん弾は眼九郎である。  眼九郎はぎりぎりと狙いを絞り――飛んだ。  ぐんぐんと迫ってくる眼九郎。  俺は空中で体勢を整えることが出来ない。受け流すにしたって地に足がついていなけれ ばそれも出来ない。ならばよけるよりも防御に専念する方が得策だ。  そう考えて俺は集中する。  腹の底に泥のように沈殿している気を丹田に力を入れてゆっくりと動かす。  全身に行き渡らせるイメージ。 「フンっ!」  気合一喝。  身体中が熱くなるのを感じた。  そして数秒もせずに眼九郎は物凄い速さで俺に突っ込んだ。  殴るでもなく、蹴るでもなく。それは自らを弾丸とした体当たり。 「かはっ!」  声が漏れる。 「三の型――流星」  眼九郎の体当たりで悶絶する俺を六本の腕で掴み、頭を地面に向けたまま物凄い勢いで 落下する。  物理法則にしたがって落下する速度は速くなる。この勢いで地面に激突したら待ってい るのは――  その先を考えてはいけない。暗い考えは必ず実現する。  ならば今この状況を抜け出る方法を模索しなければ。  しかし、それも土台無理な話で俺の両手両足は眼九郎の六本の腕で完璧に固められてい る。マントの中から何かを出す事も出来ない。  そうして何も出来ないまま地面が近付いてくる。  あと五秒、四秒……  ――グッバイ俺の人生。  その刹那、身体を固く締め付けている腕の力が一瞬だけ抜けた。  眼九郎は完璧に勝利を確信した。その一瞬の気の緩みがいけなかった。  俺はその瞬間を見逃さず、腕を振り払う。  自由になったのは左腕一本。それで十分。  あと三秒――。  ドラゴントゥースをマントに仕舞い、代わりに氷の結晶を取り出す。  あと二秒――。 『  此処にあれ  』  古代言語で唱える。  あと一秒、間に合うか――ッ。 「氷がね 来るよ ハイドは 助かる」  少女の声が聞こえ、足に衝撃が走ったかと思うと世界が回った。 「――は?」  眼九郎の呆けた声が後ろから聞こえる。そりゃあ当たり前だ。今まで下向いていた頭が 急に上を向けば誰もが驚く。そうして驚いている眼九郎から俺は完璧に解放される。何は ともあれ距離をとり、そして俺を助けてくれた妖精に礼を言った。 「ありがとうな。ただ、もうちょい良い助け方あるんじゃねぇのか?」 「無理 ハイドは 死にたかった?」  きらきらと光る氷の羽を動かしながらその氷の妖精――リセッタ=スノーブランドは 言った。 「足を叩く 身体は回転する 最適」 「あーあー、そうだな」  俺とリセッタの会話を見ていた眼九郎が訝しげにこちらを見ている。 「それは――なんだ」 「それじゃ 無い 私は リセッタ=スノーブランド 氷の 妖精」 「と、言うわけだ。さて、眼九郎。俺は魔法も気功も使えるし、近接戦闘も出来る。言っ ちゃ悪いが完璧人間だ。さて、その俺がなんでその二つを使わなかったと思う?」  俺の質問の意図が分かっていないようで眼九郎は首を傾げる。それの動作が可笑しくて 俺はつい笑ってしまった。 「簡単だ。俺はお前をなめていた」  そう言うと眼九郎は顔を真っ赤にして何! と返してきた。 「動きは単純。浅薄な考え。最初のほうは暇つぶしにもならなかったさ。でも――その後 の動きは良かった。しくじれば俺が殺される。だから決めた。お前は俺の総力をもって潰 すに値する人間だ」  右手に下げたままの宝剣ビフロンズを構える。 「はん、そのなまくらで何が出来る。俺にだって分かったぜ。それは俺の皮一枚だって斬 れやしない」 「別に俺はお前を斬らない。この剣は元々戦闘用に作られたものじゃないしな。リセッタ」 「はい はい」  めんどくさそうに返事をして俺の前に出るとリセッタの体が弾ける。  かと思えばそれは氷で描かれた魔法陣となった。  その中央にビフロンズを差し込むと、空間が歪んだ。 「これは――最高の召喚デバイスだ」  差し込んだビフロンズを鍵の様に回した。 『  彼方より此処へ  』  俺の呼びかけに答えるかのように歪んだ空間が裂け、大気が震える。その奥は暗闇を越 えた闇の――混沌と呼ぶにふさわしい――世界が広がっている。  そしてそれはゆっくりと姿を現す。混沌の奥より出でし氷精。その名をドゥ・メイズ。 全てを凍らせ自らその氷を飲み込むといわれる悪魔。 「眼九郎。これで終わりだ」  俺はドゥ・メイズの肩にひらりと乗る。 『世界は止まる』  古の言葉を紡ぐ。  それに呼応してドゥ・メイズは啼いた。そして、世界は凍った。  眼九郎を含む半径五十メートル全てが氷に包まれている。 「……まぁ、こんなもんか。すまない。ありがとう」  俺はドゥ・メイズに礼を言って肩から降り、眼九郎へと近寄る。眼九郎は氷の中でアホ 面を浮かべている。 「そのコンタクトを外せば勝てたかもしれないのにな」  そう呟いて眼九郎に背を向けた。ちょうどドゥ・メイズが帰るところだった。 「ありがとう、また頼る時があるかもしれない。その時はよろしく頼むよ」  俺の言葉が分かったのか分かっていないのか。ドゥ・メイズは一言モヒッと啼いて自ら の巣へと帰っていった。  魔法陣としての役目を終えて、リセッタは元の妖精の姿に戻る。それと同時に中空に突 き刺さっていたビフロンズがカランと乾いた音を立てて地面に落ちた。 「あー、お前俺が引き抜くまで待てよ。ビフロンズぶっ壊れるだろ」 「これ 辛いの だから 仕方ない うん 仕方ない」  仕方ないなら仕方ない。  俺は溜息を吐いてビフロンズを仕舞う。  それにしても―― 「ずいぶん派手にやったもんだね」  俺が思っていた事を後ろから誰かが言った。  振り向くとそこにいたのはハロウドさんと先ほどの少女。  そして三匹の六本足の竜――ハヤテ。  二人はそのうちの二匹に乗っていた。残りの一匹は多分俺が乗るためのだろう。  そういえばハロウドさんは竜笛とか言う便利なものを持っていて、これを使うとクラウ ドシェイカーかハヤテを呼び寄せられるとか言っていた。多分今回もそれを使ったんだろ う。うぅむ、少しうらやましい。 「全く、もうちょっと穏便に済ませられないのかね。酒場なんか全壊じゃないか」 「そうは言ってもだな……」 「それにこんなに凍らせ――ん、これは氷に似ているけど氷じゃないね。魔界の氷かな。 それに冷たくないところを見るとドゥ・メイズのブレスだ。もしかしてさっき召喚したの はドゥ・メイズだったのかね? あぁ、召喚するならすると言ってくれよ。見たかった なぁ、ドゥ・メイズ。『混沌の奥より出でて世界を止める』ね。なるほどこの光景はまさ にその通りだ。世界が止まってる」 「あぁ、ハロウドさんは本当に博識だ。博識なのはいいんだけど早くこの場を離れよう」  滾々と出続けるハロウドさんの話を切って俺がそう言う。 「ちょっと魔力の分量ケチりすぎて三十分ぐらいしかこの氷もたないんだわ。しかもこれ 足留め用だからこいつにダメージも皆無なの」  こんこんと眼九郎が封じ込められている氷を叩いた。 「と、いうわけで時間がたてばこいつまた復活するからそれまでに逃げろって話」 「む、むぅ……なるほど。分かった。じゃあハイド君も早くこれに乗りたまえ」  あいよと返事をして後ろの方にいるハヤテに跨る。 「少しの間よろしくな」  そう言って少しなでると気持ちよさそうな顔をしてクルルルル……と啼いた。 「よし、私についてきたまえ。空の上に行くぞ!」  ハロウドさんはハヤテの手綱を操って走り出す。  俺とさきほどの少女もそれについて走り出す。  月は無く、星も無い。  そんな暗闇に向かって俺らは紛れ込んでいった。                                ■夜陰に紛れて(終)                 6.陽光を浴びて  何から話しましょうかね。あ、そうですね。じゃあまずは自分の事から。  自分の名前はグレイシアです。  え、あ、はいそうです。ファミリーネームはありません。  元々住んでいたところが少人数でしたから必要なかったんです。  それにもう一族は自分しか残ってないですしね。  場所ですか?  えぇと……、南東の方にあるスカイラ砦って知ってます?  騎士見習いとかが……、そうですそこです。  どうでもいいんですけど、あれ砦なのって外観だけですよね。中は普通の街ですし。  え、そうなんですか。あれってもともと蛮族用の砦とは聞いてたんですけど……。  へー。  と、それはおいておいて。  そこの近くに森があるじゃないですか。  そうそう。トレントの森です。  あの森のちょっと入ったところに自分の生まれた集落があるんですよ。  んー、やっぱり知りませんか。  まぁ、四方が断崖で囲まれてる上にここ最近は自然結界が張られたみたいですから仕方 が無いといえば仕方ないですけど。  生まれたところはそこです。  うちの一族に関して話しますと、といっても物凄い昔の話で、しかも耄碌してるじいさ んが言ってた話なんで真偽は分かりませんから話半分に聞いてください。  元々どこかの国の騎士がご先祖様だそうなんです。  で、その由緒正しい騎士様がですね、ここから見て西の方へ遠征に出かけたときに一つ の部族を見つけた訳です。その具合があまりに酷かったんでご先祖様が保護してお城に連 れ帰ったんですけど、王様の怒りを買いまして。  はい、ご想像通り城を追い出されました。  その時放っておけば良かったのにお人よしというかなんと言うか……。ご先祖様はあん な酷い状態だったんだから何か事情があるに違いない。って一緒に出てっちゃったんです よ。馬鹿ですよね。  ……といってもその馬鹿はやっぱり自分たちにも受け継がれてるみたいで。  自分を含めて一族皆馬鹿らしいです。  祖父が死んだ理由は巣から落ちた鳥のヒナを戻したはいいんですけど実はレッドスティ ングで、しびれて木から落ちた事らしいですし。親父が死んだ理由はスカイラ砦に買出し に行って女の子を助けたら実はその女の子もグルで身包み剥がされてリンチされた事です し。きっと自分もろくな死に方しないんでしょうねぇ。  おっと、脱線しちゃいましたね。え、慣れてる? 皆によく酷いと言われてましたが自 分よりも酷い人がいるんですか。へぇ……。  あ、それで結局保護した場所に戻りましてね。  戻ったはいいんですけどに西の方って砂漠地帯じゃないですか。  暮らすに暮らせず、ご先祖様は途方にくれてたそうです。  そしたらその一族の一人が結構な魔法を使えるようでして、一夜のうちにその砂漠地帯 に住めるところを作ったといわれています。  構造としては上がダミーの建築物で、下に大空洞を作って其処に暮らしていたってじい さんは言ってました。  その後ご先祖様は一族の人間と子供を作って、自分はその一族の守り人に成る事を決め たそうです。保護した時の酷さは明らかに自然になったものではなかったらしいですから。 ま、そうは言ってもほとんどやる事は無かったみたいですけど。  えぇ、その役目は未だに受け継がれてます。  つまり……えぇ、そうです。  その一族ってのは天空人です。  何の因果か知りませんが天空城から落ちてきたみたいです。  で、かなり長い年月其処に住んでいたみたいですけどどこかの国にそれがばれまして。  立ち退くならよし。もし立ち退かなければ……推してはかるべしってやつです。  ちょっ、いっぺんに質問しないでくださいよ。  一つ一つ答えますから。  えっと……。  そうですね。その通りです。  天空人には不思議な力がありました。だから領土内から追い出したそうです。  強力な力は手に入れればそりゃ便利ですけど、物じゃないから反抗することも有り得ま すしね。そこが怖かったんでしょう。  具体的に……?  んー、簡単に言えば異常な魔力量と学習能力。それからほとんど死なないことですか。  これは多分天空人の特性ですね。  先ほどのダミーの遺跡を作った天空人の様にかなり大規模な魔法を一人で行うことが出 来るんです。  ですから、それが怖かったんでしょうね。  自分は魔法を使わないから分からないんですけど、魔力ってあればあっただけいいんで しょう? 基本的には? てことは他にも要因があるんですか。  あぁ、そういうことですか。  そりゃ魔力があっても魔法に使うための構築方法知らなきゃ意味ないですもんね。  でもその部分もあの学習能力でカバーしてますから。  完璧に魔法を使うための種族ですね。  ……え?  それは違いますよ。  天空人自体が魔力を持っているわけではないんですよ。個人としての魔力は皆無らしい です。  その膨大な魔力量は石に込められているんです。  そうです。飛行石にです。  クズ石、玉石、輝石の順で魔力量は多くなっていきます。  といってもそれに込められている魔力を使うこと自体はあまり良しとしていなかったみ たいです。  それというのも天空人自体が石と密接な関係で結ばれているようで――というか天空人 自体が石から生まれるんです。信じられないでしょうねぇ。自分も未だに信じられません よ。何度もこの目で見てるって言うのに。  そう、それで自分を生んだ石を肌身離さず持っています。それから石は魔力が尽きると 砕けます。石が砕けるとその天空人も死にます。というか活動を停止してこの世から存在 しなくなるんですね。だから、あまり魔力行使をしたがらないみたいなんですね。  ん、あとは石が輝きを失うと死にますね。  輝きを失うことは人間でいうところの寿命と考えてもらって構いません。  回路しか無かった?  あぁ、あれは……未完成品でしたからね。  詳しい過程は良く分からないんですが、たまに魔力が保存されずに回路だけ残るものが あるみたいです。  で、二つ目の質問ですが。  『空に落ちる命』は天空人です。  やっぱり信じられないですよね。  自分も信じてません。  これもじいさんの与太話なんですが、先ほど自分の先祖が天空人を保護したと言いまし たが、その保護する前にやっぱり天空城に帰りたいと駄々をこねた人たちがいたんですね。  で、帰還派のリーダーは輝石に属していまして、魔法も使えたそうです。  ですから、帰還派の天空人の飛行石を一つに固めて、そこらにいる鳥に埋め込んだそう です。そしたら、その飛行石で鳥に変化が起きまして、今の『空に落ちる命』の原型が出 来たそうです。  その核の大部分は卵を産むたびにそっちに移動します。  ので、ゆっくりと時間をかけて天空人は空に帰っていると考えてもらって構いませんね。  あぁ、そうですそうです。  『空に落ちる命』は元が生き物だから卵を産むんですよ。  半人工生物ですね。  で、最後の質問ですね、自分が来た天空城にも天空人は住んでいますし、生まれた場所 にも天空人はいました。  はい。いました。です。  今は下の天空人はいません。  天空人は石から生まれるといいましたよね?  でも石が生まれるのは『空に落ちる命』の体内だけなんです。  そして全ての『空に落ちる命』は天空城に向かって落ちていくんです。  学者先生なら分かりますよね。  そうです。  新たに生まれる天空人は下にはいません。  ただ一人例外がいましたけど。  五、六年前この話をしてくれたじいさんが逝ったあと、遺品整理でそのじいさんの家を 掃除していたらですね、一つの宝石を見つけたんです。  はい。紛れも無く飛行石でした。  飛行石単体で存在することは有り得ません。  もしも存在するとしたならそれは未完成品の回路だけのものです。  でもそれは違いました。  魔法が使えない自分にも分かるぐらい莫大な量を保有してたんですよ。  大きさですか? このぐらいですかね。  だからビックリしてね、こう……落しちゃったんですよ。  そしたら生まれたんです。  新たな天空人が。  それが本当に最後の一人ですね。  それと二、三年一緒に暮らしてたんですがね、ある時ふっといなくなりまして。  代わりに何故か上の天空人がいて、自分を天空城に連れて行ったんですよ。  もう何がなんだか分からなくて、気付いたらさっき言った最後の一人とそっくりの天空 人が自分の前にいて、『我の守り人となれ』とか言うんですよ。  最初は断ってたんですけど、下に帰してくれなくて、結局その天空人の守り人になる事 になったんです。  守り人といっても下と同様に敵なんていないわけですから、諸雑務――天空城に来る空 に落ちる命を看取って、新たに生まれた天空人を階級分けしたり、下水の管理をしたり― ―してました。  まぁ、下の最後の一人は結構逞しいから自分がいなくても大丈夫でしょう。  え?  名前ですか?  ティルメール=ウル=ライアスです。                ■ ■ ■ ■ ■  天空城は今おかしいんです――。  力を貸してください――。  グレイシアの最後の言葉を反芻しながらガトーは誰もいなくなった部屋で深く椅子に腰 掛けながら窓の外を見ていた。  彼は隣の部屋で喋り疲れと空間転移酔いで寝ている。  皇七郎とトゥルスィには来客用の部屋を貸してそこで泊まっていってもらう事にした。  窓の外には皇国の町並みが広がっている。  それは活気にあふれ、窓を閉じているにもかかわらず、声が聞こえてくるようである。  ガトーは何も言わない。  ただ、陽の光を浴びて活気付く街を眺めている。 「所長」  コンコンというノックの後、聞きなれた声が聞こえる。副所長ティラルの声であった。 「どうぞ」  ガトーがそう言うと失礼しますと細い声がして扉が開いた。 「所長、被検体A−23についてですが……」 「なぁ」 「はい?」  ガトーはティラルの報告を遮り、問う。 「この街は何でこんなに平和なんだろうな」  背を向けたままそう言うガトー。  それを聞いてティラルは笑う。 「何を言ってるんですか所長。自分でこの街に結界張ってるからでしょう」 「あぁ……。そうだったな」 「所長はすごいと思いますよ。この街全体を覆う結界を張ってなお余りある魔力があるん ですから」  ティラルの声は純粋な尊敬に満ちている。 「でも張り続けている限り私はこの街から出ることは出来ない。これは……ただの呪いさ」 「……」  ティラルは黙って答えない。 「行きたい所が、できてしまったんだ。きっとこの機会を逃がせば二度と行く事が出来な い場所なんだ。私はこの時ほどこの役職を呪った事は無い」 「行くんですか? この街を放って?」  ティラルは極めて冷静に話す。が、それには微かに軽蔑が混じっていた。 「そんな事が出来るわけ無いだろう? 私個人の知的欲求とこの街全員の命を比べたら私 の欲求なんて紙っぺらみたいなもんだ。むしろ比べるべきものでもない。といっても若い 頃であれば分からなかったけどね」  ガトーは笑った。 「そんなに……行きたいんですか」 「行きたいともさ。私は王立魔法研究所所長だが、その前に学者だ。知らない魔法構築式 があれば知りたいし、見たことない魔法具があれば見たい」 「……そうですか」  それきりティラルは何も言わなくなった。  ガトーも何も言わず窓の外に広がる街をじっと見続けている。  ティラルは部屋の外へ出ず、ずっとガトーの前に立っている。  どれほどの時間が流れただろう。  太陽がゆっくりと落ちていき、その速度と同様に白い太陽光線がゆっくりとオレンジ色 へと代わっていった時、ようやくティラルは口を開いた。 「所長。私たち所員が、所長の代わりに結界を張ります」 「は?」  ガトーは椅子を回してティラルを見た。 「代わりに張るって……」 「いくら所長の魔力量が莫大とはいえ、所員何人かが集まればこの結界を張ることも出来 るでしょう」 「そんなこと……」 「出来ますよ。私たちは所長が自ら選んだエリートなんですよ」 「いや、確かに君たちがエリートで全員を合わせたら私十何人分ぐらいになるのは認める が、通常業務はどうするんだね。今でも進行一杯一杯なんだから大変だろう」 「何言ってるんですか。言いだしっぺは所長でしょう? 帰ってきたら所長にも手伝って もらいますからね。最近全然働かないじゃないですか。所長ひとりでこの研究所の1/5 の仕事はすぐ終わるのになんでですか?」 「それは……」 「それは?」  年寄りが先頭に立って死んだ時が大変だからだ。  若いうちから沢山の経験をつまなければいけない。  そう言おうと思ってガトーは口を噤んだ。 「う……ん。面倒臭いからね。君たちが頑張ってくれてるから私がやらなくてもいいかな と思って」 「そんな事だろうと思いましたよ。全く。それで行くんですか? 行かないんですか?」 「ふむ。君たちがそう言ってくれるのなら……。というか君一人で決めてもいいのか? 他の所員が怒りそうだが……」 「大丈夫ですよ。所長のわがままだって言えば皆渋々ながらも手伝いますから」  ティラルは笑ってそう答えた。  その無邪気な顔を見て自分は本当にいい所員に恵まれたとガトーは思った。 「分かった。ならばそうさせてもらおう。出発は明日。今日中に全ての支度を済ませて結 界の行使権を全て譲渡する。あぁ、楽しみだ。楽しみだ!!」  椅子から立ち上がって笑うガトー。  窓から差し込む陽光が部屋に染み込んでいた。                                ■陽光を浴びて(終)