「勝ったのは十三人だった。一人の少女が死に、残った十二人で国を作った」                     ――皇国 <名のない墓に添えられた言葉より>    ―― カイルのディシプリン SIDE3[Providence] ―― 【discipline】  目的達成のための試練、  教育的な懲戒や意味を現すが、  ときには単なる逆境や困難、  もしくは厳しい制約、  避けがたい障壁というようなものを示す場合もある。 ■ 第十三話 Les Chevaliers Rendezvous ■  それがいつからあるのか、詳しく知るものは誰一人としていない。たとえいたとしても、そのもの は固く口を閉ざして、成り立ちを語ろうとはしないだろう。知れば知るほどに、それが忌避すべき集 団だと理解できるからだ。  集団。  果たして、そう呼んでいいものなのだろうか。  集団というには、纏りがなさすぎる。  群体というには、あくがつよ過ぎる。  仲間というには、信頼が足りてない。  彼らは彼らの内部ですらまとまっておらず――まとまっていないままに、それ以外の全てと敵対し ているのだから。  かつて、勇者がいた。  かつて、聖騎士がいた。  かつて、戦士がいた。  かつて、魔道師がいた。  かつて、聖職者がいた。  かつて、弓兵がいた。  かつて、盗賊がいた。  かつて、学者がいた。  かつて、祝福された魔物がいた。  ソレに対抗するために――集団となって立ち向かってくる人間に対抗するために――彼らは集まっ た。人間よりもはるかに強い能力を持つ彼らは、その上で団結することによって――人間の中から時 折現れる、神に祝福されたが如き能力を持つ人間に対抗した。  愚者。  魔術師。  女教皇。  女帝。  皇帝。  法王。  恋人。  戦車。  力。  隠者。  運命の輪。  正義。  吊るされた男。  死神。  節制。  悪魔。  塔。  星。  月。  太陽。  審判。  そして、世界。  それら大アルカナを模した二十一人の魔人と、配下の小アルカナを模した魔人を総じて――  ――魔同盟と、呼ぶ。  魔人による魔人のための同盟――その同盟の配下、『剣の女王』の名を授かる魔剣ビスティは妖艶 に微笑んでいた。ローブで顔の大半は隠されて、その表情は見えない。だというのに、わずかに覗く 口元だけで、彼女がこの上なく嬉しそうに微笑んでいることがカイルは分かってしまった。  挑発でも、嘲りでもなく。  女は――嬉しくて、笑っているのだ。  この状況を、好んでいるのだ。 「……面白い冗談だ」  カイルの前に立つジュバ=リマインダスが、殺気を押し殺した声で応えた。極端なほどに平坦な口 調。ほとばしる何かを、押さえこもうと努力しているのが気配で伝わってくる。  まずい、と思う。  カイルの知る限り、ジュバは愛と情熱の人間だ。根のところでは氷よりも冷たいが、行動や表面は 炎よりも暑い。今この瞬間も、魔剣ビスティの出方を観察しながら――動きさえあれば、一瞬で切り かかるだろう。  そうなったとき、まず最初に被害を受けるのは、間合い内にいるカイルとロリ=ペドである。ジュ バのクレイモアならば、この部屋ごと両断することすら不可能ではない。  全力で剣を振り回されたら、間違いなく巻き添えを食らう。 「ジュバさん、冷静に――」 「安心しろカイル、俺は冷静だ。どれくらいかといえば、笑い岩くらい冷静だ」  笑い岩――常に笑って転がっている、不愉快極まりない魔物。 「全然冷静じゃないじゃないですか!」 「ただの比喩だ」 「もっとマシな比喩にしてくださいよ!」 「あーうるせーなー。そこそこシリアスな場面なんだから黙ってろよ脇役」 「わ、脇役!?」  ばっさりとカイルを言葉で切り捨てて、ジュバは再びビスティに向き直る。先と変わらぬ位置で、 先と変わらぬ笑みを浮かべてそこに立っていた。  その笑みが気に喰わない、とジュバは思う。  ――まるで、見透かしたかのような笑みだ。  問題は、何を見透かしているか、だが。  ジュバは心中で目まぐるしく思考をめぐらせながら、 「それで? そんな冗談を言うために、わざわざ西の果てからここまできたのかお前は」  ビスティは答えない。答えるかわりに、微かに唇の端を吊り上げた。  その意味が――カイルには分からない。  西の果てという意味が分かるのは、この場で、カイルとビスティだけだった。  魔剣ビスティは、単体では存在しえない。何かに寄生することによって生きる、『魔剣種』だ。  その寄生主こそが。  西の果て――西国における『聖女』だということを知るのは、世界でも数人しかいない。  そしてジュバ=リマインダスは、その数人のうちの一人だった。  クレイモアの刃先をわずかにずらし、 「……ふん。『マッドアイ四体の眼球水晶体における立体投射』か……あの馬鹿学者らがそんなこと を言ってたが、本当にできたのか」  独り言のようなジュバの呟きに、ビスティは「ええ」と頷いた。  ――馬鹿学者。  聞き覚えのある形容詞にひかれて、カイルは周囲を観測する。  目的のものはすぐに見つかった。ジュバの刃が指し示す先――部屋に入ってきたビスティの周囲を 囲むようにして、左右上下に四体の巨大な眼球が浮いていた。魔物・マッドアイ。奇妙な『手』が生 えてはいるが、その魔物には違いなかった。四体の視線は、すべて一点、ビスティに向けられている。 目から出た光が空中で焦点を結び、ビスティの像を空間に映し出しているのだろう。 「手間隙かけて――ご苦労なことだな」 「それだけの価値が、貴方にはあるんですよ」  ジュバは皮肉げに笑い、ビスティもまた笑う。  笑っていないのは、状況がまったくつかめていないカイルとロリ=ペドだけだ。 「……僕、本当に脇役?」  小声でそっと、横に立つロリ=ペドに囁く。黄金髪の少女は、剣を構えないままにこくりと頷いた。 「……うう……」 「ジュバ=リマインダス――東国最強」  うめくカイルを無視して、ビスティが話を続ける。  フードに隠されて瞳は見えない。けれどその目は、確かに、ジュバだけを捕えている。  熱く捕えて、離さない。 「私たちと手を組みましょう。それを言うために、私はここまできたのですよ」 「……きてないだろ、お前」 「あら、言葉のあやですわ」 「ふん――」  笑うビスティに対し、ジュバは粗く息を吐いた。クレイモアをくるりと回し、肩で担ぐようにする。 刃先が部屋の後ろ側へと周り、とっさに飛びのいたカイルの目の前で止まった。 「危ないですよ!」 「お前なら避けれるだろ」  振り向かずにジュバは言い捨てる。振り向くどころか、ビスティから視線を逸らしすらしない。相 手が立体映像だとわかってすら――視線を外さない。  気をそらせば、それだけで致命傷を負わされるかのように。 「…………」  それが、カイルには少しだけ気になった。  魔剣ビスティ。  魔同盟――と聞けば聞こえは恐ろしいが、その内実は完全にピンキリである。ピンである大アルカ ナ二十一名は、それこそあの外道勇者や――能力の相性にもよるが――『二十四時』のような伝説級 の人間でしか立ち向かえない。そもそも、個体数が少なすぎて普通に生きていればまず出会わない。  その配下、五十二名の小アルカナといえば、比較的出会いやすい。やはり普通に生きていればまず 合わないが、傭兵や騎士をしていれば戦場でめぐり合うことがあう。たいていは『××峠の主』や 『××城の王』といった風に魔物の群れを統率していたり、大アルカナ二十一名の配下として暗躍し ていたりする。  ごく稀に――人間側に立ち、人間と協力している魔同盟もいるが、それはあくまでも例外に等しい。  魔同盟とはいえ一枚岩ではなく、その内部にも複雑な派閥争いがあるのだ。  その中において、魔剣ビスティは小アルカナ『剣の女王』である。小アルカナの中では立場こそト ップクラスだが、大アルカナに届くほどの権限はなく、魔同盟全体の中でも実力は低い――そういう 立ち居地だ。  少なくとも。  東国最強である、ジュバ=リマインダスにとっては、単純な戦闘能力でいえば倒せる相手のはずだ 。魔同盟の詳しい能力などもちろん判然としないが、それでも、ジュバ=リマインダスとは、『二十 四時』に届く実力を持つのから。  だというのに、カイルの目には――ジュバが、必要以上にビスティを警戒しているように見えた。 「…………」  横に立つロリ=ペドも、それが納得いかないのだろう。わずかに眉根を下げていた。  ――思えば、この子も『二十四時』なんだよな……  黄金鎧。二十四時。勇者の仲間。  恐らくは――普通に戦えば、この場にいる人間の中で、最強だろう。  けれど。  ――なんで、ジュバさんに連れてこられたんだろう。  負けたの、だろうか。  こんな状況だというのに、つい、そう考えてしまう。  こんな状況。  そう、こんな状況――目の前に明確な敵が現れた状況だというのに、ロリ=ペドはいまだ剣を握っ ていない。黄金色の大剣は壁にかけられたままで、ロリ=ペドは拾おうともしない。  迷っているのだと、カイルは思う。  正義について。  己が戦うべき、理由について。 「仲間、か」 「仲間、です」 「笑えない冗談だな。俺はお前にノコノコ付いていって、魔同盟に入ればいいのか? それとも――」  ジュバはそこで言葉を一度きり、時間を溜めてから、吐き捨てるように言った。    ・・・・・・・・・・・・ 「――お前の国につけばいいのか?」  ジュバと、ビスティしか分かりえない、その言葉に。  にぃぃ、と。  ビスティの唇が――細すぎる三日月のように、吊りあがった。 「お分かり、でしたか」 「カマをかけただけだ。お前が魔同盟を裏切ってる証拠なんざ、何一つとしてないからな」 「――んな!?」  驚いたのは。  真実を言い当てられたビスティではなく、後ろで聞いていたカイルの方だった。目を見開き、分か りやすい程に驚きを露わにする。否――驚いていないロリ=ペドやビスティの方が本来はおかしいの だ。  閉鎖的である魔同盟の内情を知らないものならば、誰だって普通は驚く。  その普通さが、『脇役』よばわりされる理由なのかもしれない。 「魔同盟を裏切るって――」 「いいから黙ってろ脇役」 「…………」  再び、沈黙。ぐぅの音もでない、とはこのことだろう。きっぱりと脇役呼ばわりされて、反論する 気すら失せてしまう。なんで僕こんなところにいるんだろうなあ、といつものように現実逃避を始め たカイルを親指で指して、 「なぁ剣女。なんでこいつらがいないときに来ないんだ? 脇役が鬱陶しくて仕方がないんだが」  本気で鬱陶しそうな声で、ジュバはそういった。 「仕方がないのですよ」  対応するビスティすらも気のない声で応える。 「そこの二人にも話を聞かせること――それが、貴方の居場所を教える条件だったのですから」 「条件……取引、ね。居場所……そうかそうか、んじゃあ多分、奴だな」 「聡いのですね」 「何、始めから疑ってただけのことだ」  肩をすくめるジュバの背を見ながら、カイルは考える。『居場所』『取引』。  ――魔剣ビスティは、誰かと取引して、ここにやってきた?  居場所を教える代わりに、この会話を全て聞かせる。それが、取引だ。  ならば、問題は。  誰と、取引したかだ。  今現在、カイルの居場所を知っているものはここにいる三人と、北部城主と、ユメと、ソィルだけ だ。  そして。  知ってそうな人間は――少なくとも、ジュバが行動していることを知っている人間は――あと一人、 いる。  その名を、カイルは口にしていた。 「……ディーン……」 「そういうことだ」  ジュバが頷く。 「あの男は多分――お前の居場所なんざ、とっくに把握してる」  こと情報においちゃ、あいつは異常だからな――そう、ジュバは言葉を結んだ。  ビスティは何も言わない。ただ、その微笑み続ける唇が、その事実を肯定しているように見えた。 「どちらにせよお断りだ。俺の居場所は、東国と、俺を待つ女の下だけだ」 「そこは東国だけにしときましょうよ……」 「嫌だ」  ジュバはきっぱりと言い放ち、不敵に笑って―― 「お前は俺の好みじゃねぇんだよ、聖女サマ」  クレイモアの柄を、両手で、つかんだ。  常人ならば両の手でようやく震えるような長剣を、普段から片手で棒きれのように振り回すジュバ が――両手で、クレイモアを握る。肩にかついだ剣の刃先がわずかに下がる。握りしめた指先が柄に 食い込み、ぎちりと音をたてた。  片足を前に出し、低く構える。比例するように腕が上に上がり、刃先は下へと下がっていく。構え としては滑稽な――笑い飛ばすことのできない、ジュバ=リマインダスの、構え。 「両手で構えた以上、お前に待つのは死だけだ。憶えとけ魔剣ビスティ、俺の前に立つというのは、 そういうことなんだよ」  飛び掛る寸前の猛禽獣のような仕草のまま、ジュバは歯をむき出しにして笑う。触れれば、食い殺 されてしまいそうな獰猛な笑い。  脅しでも何でもない。それは、ただの『事実』だった。  話す余地もなく、敵対するという――彼の、意思表示だった。  けれど。  明確な拒絶を受けて尚、ビスティの表情に変化はなかった。薄く、薄く微笑んでいる。死人のよう な顔色の中で、不気味なほどに唇だけが赤い。  血を啜る悪魔のように。 「貴方は――断ることはできない」  そして、ビスティは言う。 「貴方の大切な彼女は、こちらの手にあるのだから」  剣先が。  僅かに――揺らいだ。  剣を握りしめていたジュバの手が、わずかに震えたのだ。その微かな動揺を見取って、ビスティの 喜色めいた表情が強まった。 「……アレは、お前の手先か」 「聞き及んでいたのですね。ならば――話は早い」  得心するジュバと、微笑むビスティ。  まったく話についていけない、蚊帳の外だったカイルが、 「アレ?」 「機密事項だけどな――数日前にうちの副団長が攫われたんだよ」 「副団長って……クレセント=ララバイ!?」  驚愕するカイルに、ジュバが「ああ」と頷く。肯定されたせいで、驚きは余計に深まってしまった。  クレセント=ララバイ。  東国騎士団の副団長をつとめる女性。半年前には、南の果てで剣を交え、最後には共闘した。彼女 の強さは、直接戦ったカイルが良く知っている。  だからこそ、驚いた。  そのララバイが、攫われたという信じられない事実に。 「追跡団は反撃にあって全滅。足取りは消えていたが……お前の仕業か」 「ええ、ほら――」  言って。  ふ、と魔剣ビスティの姿が描き消えた。そこにいたはずのビスティが、蜃気楼のように揺らめいて、 消滅する。逃げた――と思う間もなく、立体映像はすぐに元通りになる。  ただし、完全に同一ではない。  先まで立っていた場所に、ビスティはいなかった。一歩下がった場所に立ち、変わらない笑みを浮 かべている。代わりにその場所にいたのは、 「――ララバイ!」  武器と鎧を奪われ、縛り付けられた東国騎士団副団長の姿。 「団長……」  ジュバの言葉にララバイは顔をあげ、弱々しい声で応えた。喉元まで完全に縛り付けられていて、 顔をあげるだけで縄が肌へと食い込んでしまう。声に力がないのは、喉を圧迫されているからなのか ――それとも弱りきっているからなのか。  いつもは一つにまとめられている銀色の髪は、今は手入れのない雑草畑のような有様になっていた。 体もところどころが土で汚れている。攫われてから、一度として縄を外されていないのだろう。  そんな、悲愴な姿を見て――ジュバは。 「良かった。思ったより元気そうだな、ララバイ」  言って、笑った。  縛り付けられ、弱りきった部下の姿を見て、いつものように笑いかけた。  その笑みに―― 「……ええ、貴方もお変わりなく」  ララバイの瞳に、僅かながら力が宿る。  まだやれると。  こんなもので終わりはしないと、強い意志を灯した瞳が物語っていた 「ご覧の通りです。クレセント=ララバイの生殺与奪は私のもとにあります」  そのやりとりを静観していたビスティが、二人の邪魔をするかのように口を挟む。彼女からしてみ れば、ララバイを確保していることが真実だと証明できればいいのであって、長話をさせるために姿 を映し出させたわけではないだろう。  す、と。  ビスティは一歩前に踏み出し、両の手をうごめかした。  右手の手――細く鋭い剣を、縛り付けられたララバイの首元へ。  そして――  左手を、真っ直ぐに、前へと差し出した。  遠い距離を置いて――ジュバへと、手を差し出す。  指先をジュバへと向けて、ビスティは言う。 「だから私の手を取りなさい、ジュバ=リマインダス。そうすれば貴方は、東国どころか――  ――人類最強になれる。  だから、ねえ、ジュバ? 私たちと――世界を得ましょう」  悪魔のような、誘いの言葉を。 「…………」  ジュバは。  東国騎士団長、ジュバ=リマインダスは―― 「ララバイ」  語りかけてきたビスティを、  剣を油断なく構えるカイルを、  立ち尽くすロリ=ペドを、  全て無視して――囚われのクレセント=ララバイへと、呼びかけた。 「我々は、何だ?」  その、問いに。 「東国騎士団です、団長」  喉よ枯れよとばかりに、声を振り上げて――ララバイは、寸分置かずに答えた。  幾十幾百幾千幾万と繰り返した、誓いの言葉を。 「――ジュバ、貴方は、」 「我々は何のために戦う?」  問い詰めかけたビスティの言葉を遮り、ジュバはなおも続ける。  ララバイもまた、止まらなかった。 「東国と、騎士の誇りのためです」 「我々の剣は、誰のために振う?」 「東国と、騎士たちのためにです」 「我々の味方は、果たして誰だ?」 「東国と、己が剣です」 「我々の敵は、果たして誰だ?」 「剣の前に立つ者です」  うむ、とジュバは満足げに頷き、呆気にとられる三人を放って、最後の問いを放つ。 「ララバイ――東国とは何だ?」  そして、ララバイは。  泥と土に汚れた顔で――晴れ晴れとした笑みを浮かべて、最後の答を、返す。 「我々です。我々そのものです」  それは。  紛れもない――誓いの言葉だった。  彼らの中でのみ生きる、力ある言葉だった。折れかけた心を、折れかけた剣を、再び奮い起こすた めの誓約の言葉だった。戦うための力だった。  苦境も、  困難も、  逆境も、  死すらもを――ともに乗り越えていこうと誓った、言葉だった。 「そうだ。我々のいるところが東国の在り処であり、我々のいるところが戦場だ。嗅ぐ空気は血と鉄 に塗れ、踏む大地は血河に濡れる――それこそが俺たちだ」  ジュバ=リマインダスは言い放ち、両の手でつかんだ剣を振った。ゆるやかに降られた刃先が、孤 を描いてララバイの横に立つビスティを指す。  ジュバの剣の前に、ビスティが立つ。 「ララバイ、クレセント=ララバイ! お前の剣の前に立つ者が、お前の敵だ!」  言って――ジュバは。  先とは比べ物にならない速度で、剣を振った。後ろから見ていたカイルには、ジュバが一歩前へと 出て、それから後ろへ下がったところしか見えなかった。  瞬間――天井と床にへばりついていた四体のマッドアイが、同時に両断された。左右に体が別たれ たマッドアイが地面へと落ちる。立体映像にノイズが走り、姿が消えていく。  消え行くララバイとビスティに向かって、ジュバは――どこかやさしげな表情で、言った。 「――さっさと倒して俺のもとに帰ってこい」 「もちろんです、我が団長」  褒められた子供のような、嬉しそうな顔でララバイは答えて――  それを最後に、映像は途絶えた。         †   †   † 「いいんですか、その――」  そこから先の言葉は、先走りになって消えていった。いくらカイルでも、正面から問いただせるわ けがなかった。  ――クレセント=ララバイを、見殺しにして。  カイルにはそうとしか思えなかった。相手の要求を利くどころか聞きすらせず、一方的に会話を打 ち切ってしまった。問答無用で人質が殺されてもおかしくない状況だ。いくらクレセント=ララバイ とはいえ、武器を奪われ縛られている状況では、満足に戦えるはずもない。 「いい――」  ジュバは振り向かずに、カイルの言葉に答えた。 「――わけねえだろうが糞ッ!」  ララバイに向けられた表情など残っていなかった。憤怒そのものを体現した表情で、ジュバは開か れたままだった扉を蹴り飛ばす。一撃で戸は壁から外れ、そのまま吹き飛んで壁に衝突した。衝撃で 扉が砕け割れる。足跡の形に穴が開いた蝶つがいが、壁に跳ね返ってカイルの足元に転がった。  それでも、ジュバの表情から苛立ちは消えない。 「あの糞女、俺のモノに手ェ出しやがって――!」 「落ち着いてくださいジュバさん! ここで八つ当たりしたって――」 「わかってるから黙っとけ通行人B!」 「格下げされた!?」  落ち込むカイルを無視して、ジュバはクレイモアから手を離し、あいた手を懐に突っ込む。中から 取り出したのは、一枚の符だった。極東言語である『漢字』が紋様のように描かれた一枚の符。それ を口に当てて、ジュバは言う。 「――聖女が銀月を奪った」  それだけだった。  一方的にそれだけを言い放ち、ジュバは符を空中へと投げ捨てた。ジュバの手から離れひらりと待 った符は、何もない空中で、誰も触ってはいないのに自然発火した。瞬く間に炎は符全体へと燃え移 り、地面に落ちるころには――消し炭も残っていなかった。 「……なんです、今の?」 「向こうに待機させてあった忍者に連絡したんだよ。あの女を見張らせてたんだがな――糞、事前に 防げなかったのが痛ぇ……っておい、何さらっと機密聞いてんだよ」  げし、と。  振り返りながら脚を伸ばし、周り蹴りをカイルへと叩き込む――寸前にカイルは後ろへと飛びのき 、ジュバの長い脚の射程距離内から逃げ出した。  足はむなしく空気を切り、ジュバは振り返るだけに留まった。 「……むかつく餓鬼だな」 「いきなり蹴らないでくださいよ!」 「チッ」 「舌打ちされたよ……」  はぁ、とカイルはため息。いつだってそうだが、状況は自分を置き差って進行してしまうと思う。 いや、ここ最近が異常だったのだ。自分をメインにした出来事など、数年前のアレ以来起きえないと 思っていた。  だからこそ、傭兵なんてやっていたのに。  何の因果か――この事件の中心には、カイル本人がいる。  なくしてしまった過去と、立ち向かわなければいけないのかもしれない。 「……ララバイさんは?」  その思いを今は隠して、カイルは問いかける。やらなくてはならない順番というものがある。全て がわからない以上、当面の危機から順に片付けていかなくてはならない。 「あいつなら問題ない。あれの強さは知ってるだろう。狗頭丸も動くしな……」 「でも、いくらララバイさんでも、あの状況からじゃ――」 「そのときは」  カイルの問いを遮って。  ジュバは、きっぱりと、言い切る。 「――死ぬだけだ」 「…………」 「子供のお守りやってんじゃねえんだよ。勝てなくてもいいが負けりゃ死ぬんだ。言っただろう―― 俺たちがいるところが戦場なんだよ」 「それは――そうですね」  ジュバの言うことは、わかる。  戦場でまければ死ぬ。それは、その人が弱かったということに他ならない。守るべき一般人ならば ともかく、戦場に自ら脚を踏み入れた以上、その生死は自らの責任のもとにある。  己の命を守るのが自身ならば。  他人の命を奪うのも、また自身だ。  そこに他者の介入する隙間はない。最後の最後は、結局のところ自分次第なのだ。  己のための戦い。  武器を持たない者を守るための聖騎士とは違う、生き馬の目を抉るような、戦場の中で生まれた ――東国騎士団の理。  全ては、東国のために。  東国に生きる者のために。  東国のために戦う、自身らのために。  彼らは――戦い続ける。 「まあ、ララバイなら大丈夫だ。それよりも、だ。問題は――」  ジュバ=リマインダスは、より深く顔をしかめて言う。 「どうしてそんなことをするか、だ」 「……どうして、ですか?」 「そうだ。わざわざ山脈越えて東国まできて、攻め込まずに副団長一人攫って帰るだなんて――理が 通らん。俺ならそのまま首都まで攻め込むぞ」 「攻め込むには人数が足りなかったんじゃないですか?」 「部下の話じゃ責めてきたのはたった一人の魔人だったそうだから、その通りなんだろうよ。だが、 余計に納得できん。それじゃあ、何のために?」 「何のため――ですか」  ジュバの言葉に、カイルは考え込む。  何のため。  何のために、東国騎士団の副団長を攫ったのか。  ジュバ=リマインダスを味方に引き込むため――と魔剣ビスティは言った。その言葉に恐らく嘘は ないのだろう。  嘘はなくても、全てを語ってはいないだろう。  それだけのためにララバイを攫うのは、理由が足りない。 「……ララバイさんを仲間にするため、とか?」  思いついたことをカイルは口にしてみる。魔剣種が人間に乗っ取るようにして生きることはカイル も知っている。有名なところでは――もっとも彼の場合は、強靭な意志で魔剣種を逆に支配している が――皇国の軍団長ブラックバーン・アームがそうだ。  それと同じように、クレセント=ララバイに魔剣種を与えて、無理矢理仲間にしようとしているの かもしれない。  そう思ったのだが、 「いや、」  ジュバは少し考えてから、首を横に振った。 「それなら、近場の皇国やロンドニアから漁ったほうが早い。ララバイは確かに強ぇが――俺ほどは 強くないからな。危険をおかしてまで、ララバイ個人に狙いをつけて攫いにくる必要がない」 「自信家ですね……」 「現状を正しく認識してると言え」  はぁ、とため息。馬鹿につける薬はないが、馬鹿以外につける薬も色々不足している気がした。 「それで――どうするのですか?」  問いかけたのは、カイルではなく、ロリ=ペドだった。  ビスティが現れたから消えるまで、ずっと黙っていたロリ=ペドが、気付けばカイルに側によりそ うようにして立っていた。  そういえば、とカイルは思う。  黄金鎧の聖騎士であるロリ=ペドにとって、魔剣ビスティ――しいては魔同盟は宿敵のはずだ。  その相手を前にして、いくら無駄だとはいえ、剣を握ることすらしなかった。  できなかった、のかもしれない。  一体どんな心中なのか、想像することすらできなかった。 「…………」  気付けば。  どこか寂しげな、そのロリ=ペドの頭に。  まるで兄妹のように、カイルは手を置いていた。撫でる、というほどでもない。あの学者がよく少 女に対してそうしていたように――やさしく、頭部に手を添えていた。  意識してのことではなかった。だから、 「……なんですか?」  上目遣いにロリ=ペドが問いかけてきたときも、カイルは答えを持ち合わせなかった。 「いや……」  言葉を濁すことしかできない。  ロリ=ペドは、しばらくそんなカイルの顔を見上げ続け――ふい、と視線をジュバへと戻した。そ の表情は微塵も変わらない。  けれど。  手を振り解こうとは、しなかった。  二人のやり取りを横目で眇めつつ、ジュバはクレイモアを壁に立てかけ、 「とりあえず首都に残したユリアと連絡を取る。お前の首を撥ねるのか、このままファーライトを放 って西へと向かうからは――それ次第だな」 「あ、まだやる気なんですね……」 「当たり前だろ。いくらビスティの邪魔が入ったとはいえ、本筋に変化はないからな」  言いながらジュバは懐をあさり、先ほど通信符を出したところから一つの水晶球を取り出した。符 とは違い、鈍く光るそれにはカイルも見覚えがあった。音声だけが使える、通信用の水晶だ。 「……さっきのとは違うんですね」 「さっきのは使用回数一度で傍受されにくて長距離使える非常連絡用。こっちは複数回使える定期連 絡用だ」  通信球の表面を指でなぞり、ジュバは球体を顔にツ化付け、 『――大変です団長!』  通信を繋げようとする前に、向こう側から通信がきた。 「……耳元で大声を、」  慌てて球を遠ざけ、ジュバは耳元を押さえる。少し離れたカイルたちにでさえ大きく聞こえた声だ、 すぐ耳元で聞いたジュバには辛いものがあったのだろう。  声が大きすぎて、カイルはすぐには、知り合いの声だとは気付かなかった。 「ユリア、どうした?」  通信球に向かってジュバが語りかけるのを聞いて、カイルはようやく思い出す。  ユリア=ストロングウィル。  クレセント=ララバイと共に、東国で戦った東国騎士団の人間だ。片腕のない単剣使いの少女。黒 い髪と、操る単剣のように鋭い気配。  声がユリアのものだと気付かなかったのは、声量のせいだけではなかった。  焦りだ。  あの命をかけた南国の戦いでさえ――ユリアのそんな声は、聞いた憶えはなかった。 『だ、団長、団長――!』 「落ち着けユリア! 状況を分かりやすく説明しろ! こっちも十分に大変なんだ!」  ユリアに負けないくらいの大声でジュバは怒鳴り返し、 「――何が、あった?」  慎重な。  どこか――予感を孕んだ声で、ジュバは問う。  その予感は。  厭な予感と、虫の知らせと、俗に言われる――直感だった。 『だから、大変なんです団長、ですから、今、今――』  ユリアは。  ユリア=ストロングウィルは、団長の言葉に落ち着くことなく。  ――――そして。  危機を、告げた。 『ファーライトが、皇国に攻め落とされました』           ――――戦争が、始まる。 ■ 第十三話 Les Chevaliers Rendezvous ... END ■ 外伝:「そしてまた月が昇る」へ続く。