カイルのディシプリン 外伝 ■ そしてまた月が昇る ■  ――通信が、途絶えた。  双方向通信にマッドアイを使っている以上、四体のマッドアイを斬られれば通信が途絶えるのは道 理だ。もとより魔力をすうことでしか生きられないマッドアイだ、あのように使えばどのみち消耗し て息絶えるのだが――それにしても意外ではあった。ビスティは何もなくなった空間を見つめたまま 考え込む。  元より、今回の通信で仲間に引き込めるなどとは思っていなかった。東国と西国は正対している。 引き抜きなど、常軌を逸しているとしか思えない行動だ。たとえ彼にとって大切な女性であり、騎士 団の副団長であるクレセント=ララバイを人質にとってとはいえ――それでも、ジュバが首を縦に振 るとは思っていなかった。  振ればいいな、という希望くらいはあったが。  東国最強と、西国最強を手元に置く。その光景を想像しただけで絶頂に至りそうになる。  ――まあ。  虚空を見ながら、ビスティは思う。   ――いずれは、すべてを。  東国と西国だけでなく。  北と南と中央と。  そして、『外』を―――― 「…………」  だがそれはまだ先の話だ。そこは理想郷であり、理想郷でしかない。いつかは手が届く場所であっ ても、今手が届く場所ではないのだ。その前にやるべきことは山のように積み上げられている。  ビスティは自惚れない。  今の自分では――力が足りないことを、知っている。  そして。  だからこそどうすればいいのかも知っている。ビスティではなく、聖女と呼ばれた女が、人間の女 でしかなかった彼女が、思い知っている。  だからこそ。  だからこそ――長い腕の男と、手を組んだのだから。  ビスティは思う。 『聖女』ではなく。ビスティは思うのだ。  本当に恐ろしいのは。  本当に恐ろしいのは、魔人でも龍でもなく――人なのではないかと、深く人の中に食い込んで生き るビスティは、思わずにはいられなかったのだ。 「――さて」  されどそれもまた別の話。  今のビスティは、同時に、聖女だ。西国を裏から支配するクリス=アルクの、その半分だ。将来の 敵を気にする必要はあるが、今は目の前の相手に対処する必要がある。  すなわち――縛られ、武器を奪われ、身動きもできずに生殺与奪の権を握られている、東国騎士団 副団長を。  クレセント=ララバイは、首筋に剣を当てられても身じろぎすらしなかった。悲鳴をあげることも 、震えることも、泣き喚いて嘆願することもない。  真っ直ぐに、にらんでいる。  視線は微塵もブレない。ただ一直線に剣をあてるビスティへと向けられている。  それが、ビスティには不快に感じる。  強い意志を携えた、戦うものの瞳だ。  それが、ビスティには心地よく思う。  その強い意志が自分のものになったとき、どれだけの達成感があるだろうか。ましてや、実の部下 を敵として向けられたジュバ=リマインダスの表情を想像するだけで――至福とはこのことを言うの だろう。  そのためには、まず。 「調子はどうかしら? クレセント=ララバイ」  挑発するようなビスティの言葉に、ララバイは「は!」と笑い、 「最高の気分だ。目の前に、倒すべき敵がいるのだからな」  笑顔はどこまでも獰猛だ。屈服の気配などありえない。ララバイならば、たとえ首だけになったと ころで、その歯で首筋を噛み切ろうと試みるだろう。  嘘でも、比ゆでもなく。  それだけの覚悟を、銀の瞳は感じさせる。  それでもビスティはひるまない。  そんな覚悟など――彼女もまた、済ませている。 「敵はいないわ、どこにも。お友達になりましょう?」  ねとわりつくような――猫なで声で、ビスティが言う。わざとらしいほどにわざとらしすぎる甘い 声。度が過ぎて、逆に聞いているだけで不快感を感じさせる声だった。  遊んでいる。  たとえ気概が、たとえ覚悟がどうあったとしても――この場の絶対的な支配者は魔剣ビスティにあ るのだ。場は東国から遠く離れた場所であり、自由など封じ込められている。  事実――此処にいるのはビスティだけではない。奥にはララバイをつれてきた銀陽の魔刃も控えて いるし――何よりも。  切り札も、此処にはいる。  あとは、詰め将棋のようなものだ。確実に、一歩ずつ、外側から絡めとって行けばいい。  それだけのことだ。 「友達? 友達が自由を拘束するものだとは知らなかったぞ」 「つながりは人を拘束するわよ。関係性は蜘蛛の糸のように人を縛り付ける。貴方だって――あの男 に出会うまでは、ただの『銀』と呼ばれていたころは、自由だったでしょう?」 「――――」  満面の笑みを浮かべるビスティ。その顔を、ララバイは先よりもきつく、鋭く、にらみつける。  ――『銀』。  ジュバ=リマインダスに拾われる前の。  明日があるなど信じられなかった時代の、今この瞬間を生き延びることしか考えられなかった、世 界がすばらしいものだとは思えなかった――そんな時代の名前を、ビスティは呼ぶ。  それが――ララバイには、気に食わない。  確かに。  ビスティの言うように、人と人とのつながりは、その場につなぎとめる鎖となる。世界が誰ともつ ながっていないことを自由だというのならば、あの時代こそが自由だったのだろう。  ララバイは思う。    そんな自由など――要らないと。  ジュバがいる。ユリアがいる。ガーデニアがいる。多くの東国騎士団の仲間たちがいる。  そして――カイルのような、向かい合うにふさわしい敵がいる。  あの戦場こそが。  あの国こそが。  それが不自由だとしても――そここそが、己の生きる場所だと言うことを、クレセント=ララバイ は知っている。  だから。  心の中で、覚悟を決めた。  帰ってこいと、ジュバ=リマインダスは言った。  ――帰ります、団長。ほかの誰でもない、貴方の元へと。  覚悟の質が変わったのを見取ったのか、ビスティの眉がわずかに動いた。それでも笑顔を消すこと なく、 「それで――主人に見捨てられた気分はどう?」  縛られ、武器を奪われ、身動きのとれないララバイを見下ろしてビスティは言う。その声に優位性 は消えない。はるかなる高みから、見下ろすように、ビスティは言うのだ。  けれど、ララバイはひるまない。  それどころか。 「一つだけ教えてやろう、魔人」  どこか不適な笑みを浮かべて――答えた。 「東国騎士団を、舐めるな」  ここが、此処こそが戦場であると――その瞳が、告げている。 「…………」 「武器を奪った? 体を縛った? 主人に捨てられた? それがどうした。それがなんだというのだ 。そんなことで――戦いを止められるとでも思ったか。その程度のことで、戦が終わるとでも思った か。  よく覚えておけ魔人。  私が生きて此処にいて、貴様が生きて其処にいる以上――ここは戦場だ。  こここそが、戦場だ。  ゆえに、だ。魔剣ビスティ。私の前に敵として立ったお前に待つのは、敗北のみだ」 「……如何やって?」  どこか面白がるように、ビスティは言う。首筋に当てられた剣は揺るがない。今すぐ横に引けばラ ラバイの首筋をかききることもできるだろうに、そうはしなかった。  ララバイが何もできないと見くびっているのか。  何をしたところで、自分の優位は揺るがないと確信してるのか。  ララバイには、わからない。  わからずとも――やるべきことは、いつだってひとつだけだ。  すなわち。   「見せてやろう――切り札を! 『銀』の名の意味を!」  全力をもって、敵と戦う。  それこそが――彼女の生き方なのだから。  声と共にララバイの体に変化が起きる。縛られた体は動かない。縛られた体は動けない。彼女は身 じろぎすらもしない。  ただ一点。  唯一自由になっていた、長く長く長く長い、美しく光る、月のような銀色の髪が――重力から解き 放たれたかのように、放射状に広がっていく。  銀の髪は銀に輝いている。  まるで、髪自体が、常ならざる力を持つかのように。 「まさか――」  ビスティが驚愕の声をあげる。何かをする、とは思っていた。  だが。  それは。  それこそは。    月の光を受けて放つ、クレセント=ララバイの奥義―― 「っ! 一突――」  ここにいたってようやく、ビスティの剣がひらめく。一突刺殺。防御も何もかも無視して、相手の 急所へと突き刺さる魔剣ビスティの奥義。  けれど、遅い。  銀の月を前にしては――何もかもが遅すぎる。  クレセント=ララバイは、自身へと迫る刃と、その先にいる魔剣ビスティをにらみ続けたまま、  ――奥義を、放つ。 「――――月斬・散!!」  銀の光が、疾けた。  散々に散らばるように広がった銀の髪から、一斉に銀の光が放たれた。髪の毛の一本一本に至るま で、ひとつのこらずから放たれた幾百万の光が、同時に――文字通りに光の速さでビスティを貫いた 。ララバイへと迫っていた剣が光を受けてこなごなに砕け散る。  体中に穴をあけられて――ビスティは、断末魔の悲鳴をあげることなく、後ろ向きに倒れた。  それきり――動かない。  魔剣ビスティは、動かない。  狭い室内には、沈黙だけが、降りていた。 「…………」  月斬。  彼女が持つ武器――月光で出来た武器が、月の光を反射して撃ちだす飛ぶ斬撃。  それこそが、月斬だ。  『散』は、長い時間、切ることなく伸ばし続け――月の光を耐え続けた『髪』を武器にした裏奥義 。髪は女の命であり、武器である――そんな慣用句を体言したような、最後の最後の、切り札。  ただし。 「使うことに……なるとはな」  自嘲げにつぶやいてララバイは立ち上がった。体を縛っていた縄は、『散』の衝撃ですべて切り落 とされている。  ただし。  立ち上がったララバイの、代名詞というべきその銀の髪は――今は輝きを失い、色を失い、銀から 白へと変わっていた。  ためてきた月の光を、残さず放ったのだ。  普通の月斬とは違い、ただの一度しか使えない。  だからこその――切り札だった。 「団長は……何て言うかな」  白髪のようになってしまった自慢の髪を見ながらララバイは小さくつぶやく。お前の髪はきれいだ 、とジュバ=リマインダスは言ってくれた。そのことはとてもうれしくて、だからこそ出来ることな らばこの技は使いたくなかった。  再び月の光に当て続ければいつかは戻るとはいえ――あの団長に、見せたくはなかった。  それは戦士ではなく、『女』としてララバイの呟きだった。  少女のように純真な、つぶやき。  けれど。  今はまだ――ここは、戦場だ。 「――――」  動かなくなったビスティを見下ろして、ララバイは顔を引き締める。当面の敵を倒したとはいえ、 ここはまだ戦場であり、敵地なのだ。本当の意味で武器を無くした今――なんとしてでも脱出しなけ ればならない。  もっとも。  素手とはいえ――そこらの雑兵に負ける気など毛頭ないが。  問題は雑兵ではないのが待ち構えていたときだが……そのときを心配しても仕方がない。  ――命ある限り、戦うだけだ。 「――去らばだ」  ビスティのなきがらに向かって戦士として別れを告げ、ララバイは外へと駆け出す。  その背後で、影がうごめいたことを、彼女はまだ知らない。    †   †   †     「――だ、」  れだ、といおうとした兵士の喉に手刀を直線的に突き刺す。暗闇の中から伸びてきた手に鎧兜の隙 間から喉をつぶされて、兵士がうめき声も漏らせずに体をくの字に折り曲げる。すぐ真下にきた兵士 の首筋へと、手刀を落とす。意識を刈り取られた兵士が、受身も取れずに地面へと倒れ付した。  ち、とララバイは小さく舌打ちをする。『い』と言われる前に意識を刈り取るつもりだったのだ。 わずかながらにでも声を出されたせいで、居場所を知られてしまう。案の定、兵士たちが近寄ってく る気配がする。  状況は――悪くはなかった。ただし、よくもなかった。  捕らえられていた部屋から抜け出し、出来る限り隠密に行動した。武器も何ももっていなかったが 、いくつかの要素が幸いに働いていた。  ひとつ――魔剣ビスティは、『クレセント=ララバイを捕らえている』ということを公開していな かったこと。魔物には見えない、ごく普通の兵士たちが巡回していたが、とくに警戒態勢はとられて いなかった。おそらく、ララバイが逃げ出したことどころか、ここにいることすら彼らは知らないの だろう。  とはいえ――『クレセント=ララバイ』という存在は否応なく目立ってしまう。ここが味方国であ る保障がない以上、軽々と人の前に姿をあらわせるはずもなかった。  そして、もうひとつ。  捕らえられていた場所が、魔物たちの巣でも、どこかの首都でもなく――ごく辺境の砦だというこ とだ。警戒態勢の具合や砦の造りから見て、おそらくはどこかとどこかの国境線に位置する砦町だ。  砦とは、敵を内へと入れないようにするためのものだ。  最初から内側にいる敵に対しては――さしたる意味ももたない。  それらが、ララバイの生存率を上げていた。  もっとも。 「西国……なのか?」  倒れ付した兵士の鎧を見てララバイは呟く。外は夜闇で、判別はつきずらかったが――それは確か に、西国で一般的に使われている鎧だった。  魔人にさらわれ、てっきり魔人領土にでもつれていかれたのかと思っていたが――いざ外へと飛び 出てみれば、そこにいたのは人間であり、西国の鎧をきた兵士たちがうろついている。  西国。  立場上は王国連合の一国であり、東国とも交友関係があるにはある。  だが――  ジュバ=リマインダスが西国を警戒していることを、より正確に言うのならば西国の聖女を警戒し ていることを、副団長であるララバイは知っていた。  ――西国の裏切り? 魔人と何のつながりが?  考えてもこなかった。そもそもここは領土境であり、西国に敵対する国家の仕業という可能性もゼ ロではない。  考えても、答えの出ないことではあった。 「砂の気配はないな……皇国――いや、ケイヴとの境か?」  呟きながら、ララバイは倒れた兵士を放って駆け出した。  背後で兵士が倒れているのを発見したほかの兵士たちが騒ぎ出す。かん、かん、かん、と半鐘が鳴 り出し、にわかに砦の内部はざわめきたった。怒声と怒号が聞こえてくる。たいまつの量が増え、昼 もさながらに明るくなる。  それこそが――ララバイの狙いだ。  砦の内部にいる以上、外へと出なければならない。ジュバ=リマインダスが帰ってこいと言った以 上、何らかの対策を打っていることは疑いようもなかったし――魔剣ビスティの遺骸が発見される前 に砦から脱出しておきたかった。  そのためには、騒ぎを起こる必要があった。  砦を囲む、内外を区ぎる壁を越えるには――中で騒ぎを起こすしかない。通常ならば警戒されて通 れるはずもないそこを通るには、他の場所で騒ぎを起こして手薄にするしかないのだ。  問題は。  己の武器もなく、敵だらけのこの状況で、それが出来るかどうかだ。 「…………」  出来るかどうかわからなくても、やるしかない。  考えてみれば、いつだってそうだ。  いつだって――戦場では敵だらけで。  生まれてから、敵の数の方が多くて。  敵だらけの中で――ただ一人、背中を許せられる人を、得たのだから。  あの人のもとでそうしてきたように。いつものように、戦えばいいとララバイは思う。  ――ここは、戦場なのだから。  戦場である限り、『クレセント=ララバイ』の通り名は、常に死と同義であったはずだ。 「ならばこそ」  ならばこそ。  戦場は、此処だけではない。  ――あの人の戦うところこそが、私の戦場だ。  覚悟を心に、ララバイは駆け出す。影から影、人目のつかないところをかけていく。あの目立つ鎧 をきていないことが逆に幸いした。武器も持たず、まるで極東の忍者のような動きで進む。東国騎士 団の中には極東出身の忍者が数名いる。彼らの動きを、ララバイはわずかながらに会得していた。無 刀による戦いも、その一部だ。  たいまつの炎、鎧のかける音、剣のなる音。音は大きく二箇所へと分かれていく。  ひとつは、この砦の責任者たちの寝所付近。最初に指揮官をやられることを警戒してのことだ。  そして、もうひとつは――国境側の砦出口だ。硬い門に閉ざされたそこを、兵士たちが重点的に警 戒している。  ララバイがたどり着いたのは、後者の方だった。 「――――」  指揮所ほどではないにせよ、兵士のうろつく砦出口を物陰から見やり、ララバイは内心で己を毒づ いた。  砦の出口は、基本的に二つだ。  敵の正面へと向いた、堅強な入り口。高き壁と強く門で覆われた場所。  そしてもうひとつが、正反対に存在する、国内首都へと通じる道だ。こちらの方は、敵襲の心配も 薄く流通の関係で日ごろから開かれている。  ララバイはそちらの方を目指したのだが――この暗闇、加えてなれぬ土地で、正しくたどり着ける はずもなかった。とりあえずどちらかの出口を目指したのだが、その結果がこれだった。  門の前にいる兵士の数は、十と二。この砦の中に何人いるかは知らないが、もし彼らのうちだれか 一人でもララバイの存在に気づき、警笛を鳴らせば――瞬く場に三倍にはなるだろう。その数は、時 間が増えれば増えるほどに倍数になるはずだ。  十と二を一瞬で無効化し、なおかつ、閉じられた門をこじあける。  武器があるのならばともかく、今のララバイにそんなことができるわけもない。十二人を倒すのは 不可能ではないが、その間にそれよりも多くの数の増援がくる。  それでは、ジリ貧だ。   命をかける覚悟はあっても、命を捨てるつもりはない。  ここから反転して逆までゆくか。しかし、その場合リスクが高くなる。あるいはこの近隣に潜み、 期をうかがうか。  悩み込む、ララバイの目の前で。  空から――光が、堕ちてきた。    とっさにララバイの体は動いてた。身を伏せるようにして物陰へとすべりこむ。  それがただの光でも、衝撃でもなく――光の斬撃であることを、ソレとよく似た技を使うララバイ は心得ていた。  違いはひとつだ。  ララバイが使う光斬は、銀の光であり。  空から降ってきた光は――太陽の色だった。  ざん、という衝撃音と共に、門の前にいた数人の兵士の体が切り刻まれる。衝撃ではなく、斬撃で 以って兵士たちの命が奪われる。  わずかに遅れて、長い銀の槍が地面に突き刺さる。見覚えのある、どころの話ではない。奪われた はずの、ララバイの愛武器だ。  そして――その石杖の部分に降り立ったのは。  目にも鮮やかな、太陽のような頭部と銀の体を持つ魔人。そのただひとつの眼は、一直線に――ラ ラバイだけを見据えている。  銀陽の魔刃が、其処にいた。 「――魔物が出たぞ!」 「こいつが侵入者か――!」  そばにいた兵士たちが、目の前で惨殺された仲間たちの敵を打つようにいっせいに踊りかかった。 警笛の音が高らかに鳴り響き、にわかに緊張感が増幅する。  自身へと迫りくる人間の兵士たちを、銀陽は見てすらいない。  見ることすらせずに――無造作に、銀色の日輪のような槍を振るった。  太陽の如く太刀筋がきらめき、一斉に迫った兵士たちの体が、その同期を証明するかのように寸分 の差異なく斜めに崩れおちる。永遠の別れを告げた上半身と下半身が、吹き出す血の上で重なり合っ た。  これで、八名。  残った四名が警戒し後ろへと飛びのき、包囲の輪を作ろうと、 「意外だな――貴様は仲間ではないのか」  自身の方へと飛びのいてきた二人を、ララバイは一撃のもとに叩きのめした。  相手が存在に気づくよりも先に、主張を兜で守られていない首筋へと打ち込む。二人の兵士は地面 に倒れ、その音に驚いた残る二人の元へ、 「己ノウケタ命ハ、貴様ヲココヘ連レテクル事ダケナノデナ」 『日輪』が、跳んだ。  銀陽の武器の先端についている日輪、それが槍からはずれ――複雑な軌道を描きながら、離れたと ころに立つ二人の首を跳ね飛ばしたのだ。  これで、十二。  わずかな間に――西国兵士は、全滅していた。  その速さこそが、彼らの強さだと言わんばかりに。  それでも、警笛を鳴らすのを止めることはできなかった。たいまつの炎は遠くから近づいてきてい る。あと数十秒もすれば、新手がここへとやってくるだろう。  それらを確認するように遠くを眺めた銀陽が、再び宙を跳んだ。大きく退き、ララバイから間を取 る。  跡には、ララバイの武器だけが残った。 「……どういうつもりだ」  距離をとり――門ではなく、追っ手側へと身をさらした銀陽へとララバイは問い掛ける。銀陽は迫 るたいまつを見たまま、振り返らない。  振り返らずに、魔人は答えた。 「アノ女トノ遣リ取リ――拝見サセテ貰ッタ」  ――あの女。  それが、魔剣ビスティであると思いつくよりも早く、銀陽は言葉を続ける。  高笑いと共に。 「嘗メルナ、嘗メルナ、カ! 最高ダ、己ノ目ニ間違イハナカッタ! 敵ノ前デ身動キモ出来ズ、武 器モナク吼エルカ! ――ヒトツ聞キカセロ、銀ノ戦士」  笑いながら、銀陽はララバイへと問い掛ける。たいまつの光が迫ってくる中で、そんなものよりも 、この短い会話のほうが彼にとっては重大だといわんばかりに。  だからこそ、ララバイも答える。  己の武器をここまで持ってきた、銀陽の心根を、漠然と感じ取りながら。   「――なんだ」  問い返すララバイに対し、銀陽は振り向くことなく――けれど笑いをとめて。  問いではなく。  確認するかのように、ララバイへと、問うた。 「貴様ハ――アノ『切り札』ガナクトモ、同ジ事ヲシタノダロウ?」  その問いに。 「ふん。真逆、だ」  ララバイは、即座に答える。  万感の自負を込めて。  万全の覚悟をこめて。  東国騎士団副団長、クレセント=ララバイは、銀陽の魔刃へと、答えた。 「手足を切り取られようとも――私は同じことを言っただろうよ」 「――キ」  その答えに。  銀陽の魔刃は――   「キキカカカキカ! コノ女! コノ女コソガ己ノ敵カ! 此処マデダトハ思ワナカッタゾ! 己ハ ――己ハ今、喜ンデイル!!」  声も高らかに、笑った。  空にかかる月へと届かせるかのように、高らかに、銀陽は笑う。  笑って、笑って、笑いながら――日輪の槍を、構えた。  ララバイではなく。  迫りくる、西国兵士に向かって。 「お前は――」 「サァ武器ヲトレ女! 否――クレセント=ララバイ!」  振り返ることなく、銀陽は言う。  その顔が、後ろを向いて見えないその顔が、笑っていることが、なぜかララバイにはわかった。  彼は、今。  楽しそうに、笑っている。  背中が、それを何よりも雄弁に物語っていた。 「己ニ殺サレル日ヲ待ッテイロ! コンナ馬鹿ゲタ策略ノ中デナク――遥カニ馬鹿ゲタ、戦場ノ中デ 貴様ト己ハ対峙スル!」  前に笑う銀陽。迫る松明と兵士。  後ろには、外へと通じる、固く閉じる門。  その向こうにあるのは、帰るべき土地と。  戦場が、待っている。  ララバイは。  クレセント=ララバイは、地面に突き刺さった己の武器を引き抜いた。降り注ぐ月の光を浴びて、 槍は銀色のに輝いている。柄を握るだけで、力が湧いてくる気さえした。  長年使い続けてきた、クレセント=ララバイの代名詞。  月のように輝く、銀の長槍。三日月を模した戦うための武器。  それを、ララバイは構えた。  銀陽の魔刃にではなく。  銀陽へと背を向けて――固く閉ざされた扉へと、ララバイは武器を向けた。銀陽へ背を向けること への抵抗がなかった。この魔刃は、人ではない。人ではないからこそ――その言葉にうなずけた。  何かのためにではなく。  戦うために戦おうという、銀陽の言葉は、ララバイには権謀算術に比べればまだしも理解しえるこ とだった。背負うもののない、その快活さは心地よくすらある。  だから、彼女は答えた。 「そのときは――迷うことなく殺してやろう」 「キカカカカカ!」  ララバイの言葉に銀陽は笑う。その笑みを聞いているララバイの口元にもまた、かすかな笑みが浮 かんでいた。  背中あわせで、銀色の月と陽は笑いあい。 「月斬――」 「日輪――」  声が、重なり。 『――全!』  二条の光が、西国兵士らと、砦門を同時に吹き飛ばした。         †   †   †   「姉さん、自力で抜け出してきたんで?」  開いた砦門の前にいた天城狗頭丸が、門を潜り抜けてきたララバイを見るなりそういった。さすが と言うべきか――頑丈に作られた門は、月斬を受けても崩壊しなかった。一部がきり落ち、開いた穴 をくぐるようにしてララバイは外へと出たのだ。  出た先に、田舎からきた観光客のような有様で立っていたのが――天城狗頭丸である。  極東の侍をそのまま持ってきた着物姿にポニーテール。右肩を露出させ、素手をぷらぷらとあそば せていた。腰にも手にも、武器はない。  東国騎士団に所属する、無刀の剣士。それが天城狗頭丸だ。  当然のごとく普段は東国にいる。そのことをララバイはいぶかしみ、 「チョッパー。何しにきた」  狗頭丸のあだ名を呼びながら、立ち尽くす狗頭丸の横を通り過ぎる。そのまま砦を離れるために全 速力で駆け出した。 「ちょ、ちょっと姉さん置いてかないでくださいよ!」  その後ろ姿を、狗頭丸は慌てて追った。身軽さのせいか、もともとの脚力の違いか、あっという間 にララバイの隣に並ぶ。極東出身ということもあり、『忍者』の技術を得ている狗頭丸は、元より速 力だけでいうならジュバにも届くかもしれない脚の持ち主だ。  隣に立つ狗頭丸をちらりと見て、 「最近姿を見ないと――」 「思ってくれてたんですね?」 「いや、今気づいた」 「…………」  姉さん……と小さく呟き、呟き声は小さすぎてララバイへは届かない。もっとも、たとえ届いてい たところでララバイは眉ひとつ動かさなかっただろう。  それがわかっているからこそ、狗頭丸はわざとらしく肩を落として見せた。   「団長に姉さんの救出を頼まれたんですよ。まあ、姉さんのことだから大丈夫と思ってたんですけど ――まさにその通りでしたね」 「……助けられたからな」 「え? 何か言いました?」  問い返す狗頭丸に、ララバイ「なんでもない」と答える。  人に言うべきことではない。  ――借りは返す、必ずだ。  そう、心に固く誓うだけだ。 「それよりも急ぐぞ。色々と――大変なことになりそうだ」 「いえ姉さん、すでに大変なことになってるようですぜ」 「何――?」 「何せ、あの皇国が――」  二人は情報を交換しながら、西国の領土を抜けてかけていく。  空に浮かぶ月が、二人の行き先を照らし出していた。  行く手には、新たな戦場が待っている。 ■ そしてまた月が昇る ... END ■  END …… AND 「包囲しろ! 魔物を逃がすな――」 「油断するな、あの光が――」  西国兵士たちが叫び、松明の炎が複雑に入り混じる。銀陽の魔刃は幾重もの剣に囲まれてなお、笑いをとめなかった。  こんなに面白いのだ、笑わずに要られるはずがない。  敵がいる。戦うに値する敵と、戦うべき約束を果たした。  いつか訪れるその戦を想像するだけで、自然と笑みが浮かんでしまう。  ――今宵ハ、ソノ前哨戦ダ。  笑いながら銀陽は刃を振るい、 「――――――」 「――――――」 「――――――」  ざわめきが、遠くから、順に消えていった。 「…………?」  怒号と悲鳴と怒りに燃えた西国兵士たちの声が、波をひくようにおとなしくなっていく。本来の夜の静けさを取り戻したかのように、音がどこかへ遠のいてく。  不可思議な自体に、銀陽は首をかしげた。  しかし――  すぐに、理由は判然とした。  もっともわかりやすい形で、銀陽の前へと現れたのだ。包囲網が崩れ、兵士たちが左右に割れて、ソレの前に道ができる。  そうして。  銀陽の魔刃は――西国最強と対峙した。   「ス――」  反射的にスエイ、と呼ぼうとしたのだろう。銀陽の魔刃は、西国最強――構えずのスエイのことを知っているのだから。  それどころか。  東国に攻め入るように指示したのがビスティならば――それを伝え、同時に身柄を受け取りにきたのが、スエイなのだから。  言うまでもなく、確認するまでもない、共犯。  それを。  それを知れれてはまずいと考えることも、スエイと呼ぶことも、銀陽には叶わなかった。  なぜならば。 「最早――構えることはない」  独り言のような呟きに答えるように、銀陽の魔刃が、地へと倒れ付した。  スエイは構えていない。剣を振るってすらいない。『構えず』という二つ名を体言したかのように、ただ対峙しただけで魔物がやられたように、取り囲む西国兵士たちには見えただろう。  西国兵士たちの間に、ざわざわと畏怖の声があがる。魔物をまたたくまに切り伏せた『西国最強』を目の当たりにして、恐怖すらしているものもいた。  ばたりと、どこか間の抜けた音がする。  西国最強は、味方であるはずなのに。  誰よりも強くたよりになる味方であるはずなのに――それがまるで、『別』のものであるかのように感じたからだ。  人の本能へと訴える、強き『魔』を。  その場にいた人間たちは、本能の中でのみ、知っていた。  その恐怖を、ごまかすかのように。 「ご苦労です、構えずのスエイ。わが国、わが命を狙う魔物を――よくぞ捕らえてくれました」  西国の聖女は、スエイと、倒れ付したまま動かない銀陽を見て微笑むのだった。  西国最強は茶番に黙って付き合い。  銀の魔刃は茶番の仕掛けに組み込まれ。  聖女は、銀月の下――艶やかに微笑んでいる。  己が世界を、愛するかのように。                                    END. 報告書――     十六日。ケイヴ・皇国領土境の砦にて魔物の襲撃に遭遇。密命で視察に訪    れていた聖女クリス・アルクの命を狙ったものと思われるが、居合わせたス    エイ氏によって捕縛。     尋問の結果、魔物はXXによる刺客だということが――――――――――                           ――XXXXX