■ 第14話 Crack Attack AND A Writing Oracle  ■  今朝はいつも以上に霧が濃かった。まるで、何かの前触れのように――のちに、ファーライ ト西部首都セライトの警備兵はそう語っている。見張り台の高くから見るリアス山脈は霧に覆 われていて見ることすらできなかった、と。  本当にそのような予感に覆われたのかどうか、今となっては判別することはできない。ただ ――その日の朝、ファーライトの西に濃い霧が発生していたことは幾数の証言からもはっきり としていたし、『何か』が起こったのも確かなのだ。  それは明け方、日が昇る直前に――霧と共にやってきたのだから。 「……ふぁぁあ」  警備兵を勤める若い男は大口をあけて欠伸をした。喉へと飛び込んでくるのは、新鮮な空気 というよりは、水っぽい何かだ。霧が多すぎて、空気すらも湿っている。吸い込んだ吐息は冷 たくて、清々しい朝とは言えようもなかった。 「おい、気を締めろ」  横に立つ中年の警備兵が、若い男の仕草をとがめた。腰にさしている剣はファーライト共通 のもので、カイルの持つ名もないロングソードを簡略化したようなものだった。中年の男はそ の柄に無意識に手をやりつつ、 「まだ仕事中だぞ」 「仕事ったって……もう交代の時間ですよ」 「まだ交代の時間じゃない。真面目にやるには十分な理由だ」 「はいはい……」  男は適当に頷き、こっそりともう一度欠伸をした。  目の前に広がるのは一面の霧景色だ。陽が昇り、霧が晴れれば――その向こうには、気高き 山脈が続いている。人の手が決して入ることのない、神聖にして邪悪なる山が。  ――リアス山脈。魔物たちの聖地。  言い伝えでは、その最奥には今では絶滅種となった『ももっち』などの魔物や、事象龍や古 代種などがすむと言われているが――そのどれもが眉唾物の噂話だ。そんな奥までいけるのは 、同じく存在が眉唾物の『勇者』くらいのものだろう。少なくとも、普通の人間なら脚を踏み 入れる必要のない山だ。  それでもその山は、ファーライトにとっては忌避すべきものであると同時に、決してなくな ってもらっては困るものだった。  西部の主要都市や主要道を守るようにして城壁が築かれているのは、リアス山脈から降りて くる魔物を警戒してのことだ。こうして彼らが夜警をしているのも、山から下りてくる魔物が いないかどうか確認するためだ。   その一方で、南北に長く伸びるリアス山脈は、大陸最大の国家『皇国』との壁になっている 。もしも皇国がファーライトを攻めようとすれば、リアス山脈を大きく北か南に迂回せねばな らず――南と北は諸国群が山とあるために通過は難しく――そうでなければ、無謀にもリアス 山脈中東突破を図らなければならない。  もっとも。  魔の聖地、と呼ばれる土地は伊達ではない。たとえ三万の軍を率いて攻め込んだとしても、 反対側のファーライトへと辿り着くころには三名にまで減っているだろう。それでは戦争が起 こせるはずもない。  だからこそ、ファーライトと皇国は、直接的な戦闘行為にいたってはいないのだ。  そのため普段は警戒する必要もなく、警備兵は一名程度しかいない。今夜この矢倉に二人も ――そして他の箇所にも人員が――裂かれているのは、皇国でも魔物でもない、国内で起こっ た事件が原因だった。 「しっかし本当なんでしょうかね……」 「なにがだ」  短く答える中年の男。手は柄から離れない。  目の前に広がるのは、多少霧が濃いとはいえ、いつも通りの光景だ。いつも通りの朝がそこ にある。もうしばらくすれば陽が昇り、警備を交代する。いつものことだ。  なのに、手は離れない。  男の本能は納得しない。かつて戦を経験した男の本能は、かすかな違和感を告げている。何 かが違う、何かがおかしい――わずかな気配の違いを本能だけが知っている。  理性がそれを信じることができない。ただの気のせいだと、理性は言う。  長く続いた平和が、男に本能ではなく理性を選ばせた。 「中央の方で、偽騎士が殺害事件を起こしたって話ですよ。今はどこだってその噂でいっぱい ですよ」 「さてな」  男は首を振り、 「ただ――手配書が出たのも、こうして警備が強化されてるのも、事実だ」  警備が強化されているのは霧のせいではない。  中央・ファーライト首都から、手配書が届いたのだ。聖騎士偽称、ならびに貴族殺害、王族 暗殺未遂の容疑でファーライト全土へと。殉教した黒い聖騎士・ファーライト=F=セイラムを 騙る不貞の輩が逃走してくる可能性がある――そのために見張りが増えているのだ。 「西にはこないでしょう。こんな山に逃げ込むなんて死ぬのと変わらない」 「山を越えるつもりかもしれないぞ」 「は? いやそりゃ無理ってもんでしょ」  若い男はそう言って笑った。中年の男もまた、真面目に言ったわけでもなかった。  ただの人間に、そんなことができるはずがない。  ――ただの人間でなければ?  そんな思いが、ふと、男の頭をよぎった。  ただの人間ではない。人間をやめたような人間。そうたとえば、世界最強の二十四人の魔法 使いであったり、欠けることのない十二の軍人であったり、比類なき守り手である聖騎士であ ったりするのならば――  越えることが、できるのだろうか。  この山を。  魔の山を。 「………………」  山は霧に隠れて見えない。それでも、その存在感だけは消すことができずにそこにある。  昨日もそうあるように。  明日もそうあるように―― 「……なあ」  中年の男は、横に立つ男へと話し掛ける。何か違和感がしないか、そう賛同を求めるつもり だったのだ。  そうならなかったのは、違和感の正体が、はっきりと現れたからだ。  ゆらり、と。  二人の男が見ている前で、雲のごとき分厚い霧が揺らいだ。そして、その向こうに隠れてい た――霧に多い尽くされていたものが、朝日のようにあふれ出てきた。  気配は、名を、殺意という。 「――がッ!」  最初は、若い男だった。  殺意にとっては、若い男でも中年の男でもどちらでも構わなかった。ただ眼があったから、 あるいは眼が合わなかったからという、それだけの理由で――若い男が先に死んだ。先まで談 笑していた口から上がねこそぎなくなっている。  高速で飛来した剣の断片が、男の顔半分を吹き飛ばしたのだ。  断片は一つではない。幾重にも幾重にも幾重にも切り離された『剣の欠片』が竜の神経を編 みこんで造られたワイヤーで連なっている。手元で操作することにより、剣を分解して鞭のよ うに操ることができる奇怪武器・ウィップブレード。その先端が霧を裂いて、男の顔を切り飛 ばしたのだ。  隣に立つ男の命を奪った凶器が何であるか、中年の男は遅まきながらに気づく。  気付くのは――遅すぎた。  気付いて何かをするには、何もかもが遅すぎた。たとえ男が世界で最速の男だったとしても 、全ては遅すぎたのだろう。  事態は、とうに止まることのないところまできていたのだから。 「――やぁ」  剣を追うようにして霧が爆発する。朝の静寂を掻き乱し――けれど音もなく――霧を砕いて 新たな男が現れる。天をつくかのように逆立つ青い髪をバックルでとめ、はだけた藍のジャケ ットからはたくましい筋肉が覗いている。  左手には子供の胴ほどもありそうなガンブレードを持ち、右手でウィップブレードの刀身を 回収する。奇妙すぎる二刀流。人ならざる武装。  そして何よりも、人間にはあえりないはずの――額に生えた角、後頭部から生えた羽、山羊 の如き青の脚。 「悪魔――」  警備兵の口を割って出てきた言葉は、的を射ていた。そうとしか呼び様がない姿。  けれども。  悪魔呼ばわりされた男は、にぃぃと口の端をつりあげた。そう呼ばれることを、誇らしく思 うかのように。 「残念。俺は『悪魔』の旦那ほどは――偉くないんだ」  警備兵には、何を言われたのかなど、分からなかっただろう。  言葉と同時に右手のウィップブレードが振われ、剣は断片となりながら警備兵の体へと蛇の ように巻きつき――男が手を引くと同時に、体を二十一の断片に切り分けられたのだから。  地面に倒れる若い男の体の上に、中年の男の『体の欠片』が降り注ぐ。  あとに残るは、二つの死体と、一人の魔人。  魔同盟小アルカナ『金貨』が『騎士』、クラウド=ヘイズは、二つの死体を見向きもしない 。今の彼は、『騎士』としてでも、『魔同盟』としてでも此処にいるのではない。  魔人・クラウド=ヘイズ。  魔剣ビスティが西国に深く関わるように――クラウド=ヘイズもまた、とある国に深くかか っている。魔王ジェイドの命令で、そしてそれ以上に自身の意志で、彼はその国の人間として 戦っている。  彼の名は、クラウド=ヘイズ。  皇国12軍団が10、『裂攻軍団』が軍団長――クラウド=ヘイズは、この日、ファーライ トへと脚を踏み入れた。  まごうことなき、敵として。 「さて、さて――」  高速で振り切ったために血の付着していないウィップブレードの腹で肩を叩き、クラウドは ぐるりと視線をめぐらせる。敵地に侵入し戦ったばかりだというのに、その態度には緊張も気 合も感じられない。食前酒すらまだ平らげていないと、彼の剣が物語っている。  廻っていた視線が、一点で止まった。  見る先にあるのは、大きな鐘だ。敵襲に備えて造られた鐘。兵士二人は鳴らすことすらでき ずに殺されたが――本来ならば敵が来ると同時にこの鐘を鳴らし、砦全域で警戒態勢に入る。 そのための鐘であり、そのための見張りだった。  その鐘へと、クラウド=ヘイズは。 「――仕事と行こうか、相棒」  左手に持つガンブレードの銃口を向けた。  微塵のブレもない。銃口は鐘の中心を捉えている。ひとたび引き金を引けば、大砲の如き大 玉が発射される。その結果どうなるのかは、考えるまでもないことだ。  本来ならば、それは警備兵たちがやることだ。  けれど。 「戦いの狼煙は――こちらの手で、だったな」  鐘の中心を見据えて。   クラウド=ヘイズは、謹厳実直に引き金を引いた。  音が重なる。  ガンブレードの発射音と。  金が砕けながら鳴り響く音と。  クラウドの合図と共に――百人規模の大魔法が、城門を吹き飛ばす音が。           †   †    「一斉砲撃!」  鐘のなる音と同時に、『神童』エレム=P=エルンドラードの手が振り下ろされた。軍団長で ある彼女の命令に従い、扇形に展開していた魔道師たちが一斉に声を揃える。 『――砲!!』  長々とした呪文は、最後はそう纏められていた。同時に――エレムたちの前に展開されてい た、十メートル大の魔法陣から光が伸びる。十五人の魔法使いを五組。計七十五人の魔法使い を使用した長距離砲撃魔法の――ゼロ距離射撃。  霧で姿が見えないのを逆手に取り、ぎりぎりまで接近し、本来ならば離れて使うはずの砲撃 魔法を、近々距離から打ち込んだのだ。  ひとたまりもなかった。  城門にかけられた防護魔法を軽々と突き破り、補強された城門を伸びた光が『消滅』させる 。跡も形も残らない。円状に、門は文字通りに消滅していた。  ――凄いものだ。  内心でエレムは感嘆する。魔法の威力に、ではない。集合魔法を使えるほどに鍛え上げられ た、クラウド=ヘイズの部下たちに対してでもない。  正確に砦、そして城門の位置を調べ上げた――手元にある地図に対してだ。  出撃の前にもらった地図には、正確に城門や地形などが記されていた。本来ならば、最高級 の機密である情報を――しかも敵国のそれを――あっさりと手渡されたときには、さすがのエ レムも鼻白んだ。  考えなければ良いと分かっているのに、考えていまう。  ――一体どんな人間が、この地図を?  いや。  そもそもそれを言うのならば、この作戦を、リアス山脈を中央突破するという無謀すぎる作 戦を実行まで持っていったのは――一体どんな人間なのか。  国家において、詮索は死となることがある。  それでもエレムは思わずにはいられないのだ。これは人の仕業だ、と。  悪魔には決して出来ない――悪魔の如き人の戦い。  情報。  情報による――一方的な戦術。  ――考えても仕方がないことだ。  仕方がない。全ては動き出している。クラウド=ヘイズは一足早くのりこみ、今、こうして 城門は吹き飛び、敵陣は丸裸になった。  此処は戦場だ。  ならば――やるべきことは変わらない。  エレム=P=エルンドラードは、クラウド=ヘイズと立場を同じとする――皇国12軍団が第 3軍団、『神記軍団』の軍団長なのだから。  300の兵卒を率い、ファーライトへと攻め込む一番槍となる命を、皇帝直々に授かったの だ。  戦うときは、今しかない。  エレムは顔をあげ、城門を見据えた。雪よりもなお白い髪と剣。彼女のために生まれたかの ように白い白馬にまたがり、エレムは剣を掲げた。  剣の色もまた、白だ。  不純なものがない――白く燃える、炎の剣。  炎剣を掲げ、エレムは、敵地へと届かんとばかりに高らかに叫んだ。 「全軍進撃! 敵の混乱さめやらぬうちに、一気に本丸を落すぞ!」  剣が振り下ろされる。白馬がいななきとともに駆け出し、それを追うようにして、剣士と魔 術師、暗殺者と僧侶による第三&第10混合軍約300名が、霧の中を突き進む。  向かう先にあるのは、ファーライト西部首都、セライト。  こうして。  皇国は――ファーライトへの侵攻を開始した。           †   †   † 「――以上が数日前の顛末だ。何か質問はあるか?」  通信の内容を語り終えたジュバ=リマインダスは、聞き耳を立てていたカイルとロリ=ペド に向き直ってそういった。その顔には、いつもの楽しげな好戦的表情はない。苦虫を噛み潰し たかのような――心底嫌がっている顔つきだった。 「数日って……どうしてそんなにかかったんです」  真っ先に思い浮かんだのはそんな疑問だった。あまりのことの大きさに、脳がついていって いなかったのかもしれない。  ジュバは吐き捨てるように答える。 「三百人での電撃作戦だ、抵抗どころか気付く間もねぇ。おまけに都市機能を麻痺させると同 時に、あいつら街を封鎖しやがった。命からがら脱出した兵士が、隣町までどうにかたどり着 いて連絡した――んだってよ」 「…………」  カイルは想像し、絶句する。  ――リアス山脈をこえて皇国が攻め込んでくる。   それは、ありえないことだ。  ありえるはずのないことだ。  越えられないはずの山をこえ、攻められないはずの国が攻めてくる。  そんなものに――対応できるはずがない。  東国とのわずかな緊張を含む関係、小競り合いが絶えない北部、半年前までは交流が盛んだ った南部諸国――それらに比べて、西部はある意味では平和だったともいえる。  隣にある魔の山から散発的に下りてくる魔物にのみ対応していればいい。本当に恐ろしい魔 物――或いは魔人――は、山の奥から自発的に降りてこないのだから。山を挟んで皇国と向か い合う、というのは、ただの建前でしかなかったはずだ。  その建前が、崩された。  わずか三百人の手によって。 「でも――どうして――」  自問するようにカイルは呟く。信じられるはずがなかった。魔物生態学者を友人に持ち、幾 度となくリアス山脈に挑んだカイルだからこそ、信じることなどできはしなかった。  道などどこにもない。強力な魔物が雑魚のように存在する。万全の装備を固めた学者三人組 や、二十四時クラスの人間ならばともかく――『軍』としての行動でできることではない。   おまけに完全なる奇襲ということは、皇国側の軍事行動がまったく伝わっていなかったこと になる。軍団長クラスの人間ともなれば、その動きには絶えず注視がいっているはずなのに― ―  ――情報?  何かが引っかかった。 「来てるのが『神童』だからな……さすがに民衆に手ェ出すようなことはしてないらしい。ど ころか国境の一般人なんざ、一部の支配階級以外は所属国意識なんて無ぇから――」  苦々しいジュバの言葉を聞きながらカイルはなおも考える。おかしい。ありえないはずのこ とがありえた。  前提条件がおかしい。  いや、そもそも。  ――前提条件が、最初から狂っていたとすれば?  情報。  情報。  情報――そう、例えば。  道があるとすれば?  道なき道――けれど道があるとすれば? 「――ジュバさん」 「なんだ脇役」 「脇役って――いや、今はそんなことよりですね、皇国軍は、霧の中を山の方からきたんです よね?」 「…………」  じっと。  ジュバが、カイルの顔を見つめてくる。厳しい顔つきが、いつのまにか表情が抜け落ちたよ うな真顔に変わっている。心根を見透かされそうな目つきに、カイルは眼をそらしてしまいた くなる。  けれど、そらさない。  そらさずに――逆に、見返した。 「――そうだ」  瞳をずらさぬままに、ジュバは言葉だけで頷いた。 「――――」  カイルは答えない。答える間もなく思考をめぐらせる。  ――セライトの奥、霧の出やすい所には『還らずの森』がある。  そして。  ――山の反対側にはトゥーリューズ。以前に出たデット・バッド・エンドによる『災害』か らの復興支援を、皇国はしていたはずだ。  そして。  そして  そして――長い腕のディーンは言った。秘密の作戦だと。山脈に入りかけた低地に『いるは ずの』怪物を倒してこい、と。  結果、ドレイコ・マキーネは倒され。  決して表に出てはいけない魔道兵器『疫』もまた、消滅した。 「いや、違う、その前からだ――」 「……カイル? おい、お前――」  問いかけてくるジュバを無視し、カイルはさらに思考を潜らせる。もっと、もっと前から始 まっていたはずだ、思い出せ。そう記憶へと呼びかける。  記憶は、あっさりと零れ出てきた。  一ヶ月ほど前、カイル=F=セイラムが、銀龍団に加わりファーライトへと還ってくること になった理由を。  そう――あのとき。  団長である長い腕のディーンが、わざわざカイルを迎えにきたのだ――――――皇国へと。 「あの――男!」  思わず。  思わず――叫んでいた。頭の中で、数々の欠片が繋がりあって、一つの答を出していた。  全ての事象から導き出される結論は一つだ。  初めから。  文字通りに最初から、そのために――カイルは呼ばれたのだ。  長い腕のディーンのために。 「あの男って……ディーンか?」  流石というべきか、鋭く察したジュバが問いかける。カイルは興奮も冷め遣らぬ態度で、 「そうですよ! 畜生、そうか、そのための『僕』だったんだな!」 「落ち着け馬鹿! 一人で納得してねぇで俺に分かるように説明しろ!」 「だから――!」  叫びかけて。  視界の端に――金の瞳を捉えた。 「――――」  見れば。  金の瞳が。  ロリ=ペドが、真っ直ぐにカイルを見つめていた。真実に気付き、激昂仕掛けるカイルの一 挙手一投足にいたるまでを見遣っていた。そのために此処にきたのだと、ロリ=ペドの瞳が継 げて胃る。  貴方の正義は何ですか、とロリ=ペドは問うてきた。  ――もし、事態が想像通りなら。   カイルは思う。  ――それを、体現しなければならなくなる。  それを思うと――金の瞳に見られていると、それだけで先までの激昂はどこかにいってしま った。ゆっくりと、冷静さが戻っていく。頭に上っていた血が、全身へと帰っていく。 「……有難う」  自分にすら聞こえない小声で呟いて、カイルはロリ=ペドの頭を撫でた。なぜ撫でられたの か分かっていないのか、カイルの手を頭に載せたまま、ロリ=ペドは微かに首を傾げた。その 仕草に、彼女が最強の聖騎士であると分かっていても和んでしまう。  が、和んでいたのは一瞬だけだ。  カイルはすぐに真顔でジュバへと向き直り、思い至った真実を口にする。 「この状況――多分、いえ、ほぼ確実にディーンさんの仕業です」  唐突なその言葉にジュバは困惑顔で、 「仕業って言っても――やってきたのは皇国だろ? 第一、今ディーンの奴はファーライトに 宮仕え――」  そこまで言って。  困惑顔が、納得へと、変化した。 「――ああ、そうか、そういうことね。最初からそのためだけにこの国へきた、と」  納得するジュバに、「ええ」とカイルは頷いた。  銀龍団のファーライトへの接触。 『カイル』を手駒として使うために呼び寄せ――それすらも表向きで、ディーンは皇国へと一 時的に渡る。計画を詰めるために。 『カイル』を得たディーンは、最初の任務としてドレイコ・マキーネ対峙を『極秘』で命じる ――恐らくはそれもまた表向き。本題は、ドレイコが守るようにして存在する『疫』の消去だ 。  長い腕のディーンは、カイルの性格を知り尽くしていた。  カイル=F=セイラムが、もし『疫』を見たのならば――聖騎士と魔物生態学者の両方から 、『疫』のことを知りえていたカイルが、それにめぐり合ったのならば――まず間違いなく 『疫』を放っておかないことを。  条件は三つだった。  ドレイコ・マキーネを倒せる実力を持ち、『疫』のことを知りえた上で放っておけない正義 感であり、どこにも所属していない人物。  その条件を埋めるのが、カイル=F=セイラムだった。  そうして――『疫』はなくなり。  道が、開けた。 『疫』がある以上、使うわけには、公開するわけにはいかなかった――ディーンの切り札とし ての情報。  皇国とファーライトを結ぶ、リアス山脈を貫く道が。  全ては、想像に過ぎない。  けれども事実として――皇国軍は、三百名足らずながらも――山を越えてきたのだ。  道が無い山を越えたと考えるよりも、道があった山をこえたと考えたほうが腑に落ちる。  その視点から考えれば、その後の行動も辻褄があう。 『偽騎士カイル』の出現により、ディーンはファーライトの中で一時的ながらも地位を得て― ―同時にファーライト国内が混乱する。情報が錯綜し、錯綜した情報は一人の男の手で効果的 に運用される。膨大な書類の中から、皇国側の動きが抜き取られる。あるいは、誤魔化される 。  皇国軍は一切の情報を漏らすことなく、電撃の如き速さで西部へと現れる――暗殺事件に対 応するために『王都』へと戦力が集まりつつあるせいで、手薄となった辺境首都へと!  全てが。  全てが――測ったようなタイミングで行われている。少しでも時間がずれれば、それだけで 失敗しかねない計画だ。  それが可能なのは――情報があったからだなのだろう。  全ての情報が揃っていれば――あとは、結果が出るだけだ。 「――そうして、皇国はファーライトへの橋頭堡を手に入れたんです。一度に大勢が送り込め ない道でも――一度少数精鋭で占領してしまえば、補給路さえあるのならば人員は増加できる 。ファーライトと戦争するための拠点を、皇国はほぼ無傷で手に入れました」 「一人の男の手で、か」  答えるジュバの声には、苦渋の色はなかった。むしろ、どこかその手際のよさを感心するか のような声。  確かに、わがことではなければ凄いと思う。  国にも規律にも縛られない――傭兵だからこそ出来たようなものだ。たとえそれが裏切り者 と罵られるような行為だとしても、勝者であることには変わりは無い。  何よりもカイルが恐ろしいと思うのは、この計画にとって――『聖騎士詐称者』の行動は何 ら意味をなさないということだ。カイルが逃げようが逃げまいが、捕まろうが捕まるまいが、 一度動き出した以上ディーンにとってはどうでもよかったことだ。カイルの生死さえも、ディ ーンは別段構わなかっただろう。  内乱の疑いから始まり聖騎士詐称まで――徹底的に『内側』で起きていた事件を、横なら思 い切り殴りつけるような作戦。  最終的に勝者の側にいるという――目的のない戦いだ。 「きっと、皇国である理由なんてなかったんだと思います。ただたまたま、皇国が一番目的に かなったから――」 「まあそうだろうな」ジュバは頷き、「そもそも――あいつの目的がわからない以上、皇国す らも過程に過ぎないだろうしな」 「…………」  長い腕のディーンの目的。  思えば――それが何なのか、カイルは知らない。  一体あの男が、何を考えてそこに立っているのか――カイルは、知らなかった。  知ろう、と思う。  戦場で――剣を交えることになったとしても。 「しかし――そう考えるとマズいな、これ」  ジュバが頭をかきながら、いいにくそうにつぶやく。  まだ悪いことが重なるのか――そう思いながらも、聞かずにはいられなかった。こうなって しまえば落ちるところまで落ちて這い上がるだけだ。 「……何です?」  問われ、ジュバはなぜだかほがらかに笑い、 「聞いて驚け、驚くべき手際の速さでセライト奪還作戦が開始されたそうだ。なんでもな、各 地から集まってきた兵員を臨時責任者たるディーンが『偽騎士討伐』ために編成していたもの を、そのまま西へと向かわせるそうだ」 「それって――」  聖騎士偽称者を倒すために各地から人数が集まり。  集まったころを見越したように、皇国が攻めてきて。  結果――国を土足で踏みにじられたファーライト首脳部は、進撃を許可する。皇国がこれ以 上占領する前に、皇国から援軍がくるよりも前に、圧倒的多数で奪い返す作戦。  兵法としては、間違っていない。  間違ってはいないのだ。肝心のファーライト王都の中に、すでに敵が入り込んでいることを 除けば。  長い腕のディーンは――既に、王都にいるのだから。  カイルは言葉を失う。  ジュバの笑いがひきつる。  眼の奥は、まったく笑っていなかった。  口だけに笑みを浮かべ、真剣のような瞳でカイルを見据えて、ジュバは言う。 「三百に対して兵力一万。『騎士の誇り』ほど馬鹿げたものはないな。だが――その馬鹿さは 馬鹿に出来ない。数日後には、ファーライト王都が最も手薄になる。お前の考えが正しいなら ――ディーンの野郎は、まず間違いなくそのときに動くだろうな」 ■ 第14話 Crack Attack AND A Writing Oracle .....END ■