>>No.9161162 よし乗った。  続いては偽第九位。  『たった一つの冴えたやり方?』  ──視界の全てが、赤く染まっていた。  それは比喩でも何でもなく、ただ男の睥睨する全てが赤に染まっていたからだった。  城砦が死体に埋まっている。勿論それは人間の物だ。  付けられた傷には、圧倒的に刀傷が多かった。  なぜなら煌く駄剣の群れが、石畳に幾十と知れず突き立ってその男を取り囲んでいたので。  一本の剣に体を預け、床上にあるその男は黒い甲冑を纏っていたのだった。  やるべきは既にやり終えた、と甲冑の男は思った。  その結果がどのように転ぶかまでは彼には知りようの無い事ではあったが二十四時が倒れ、魔同盟も潰え、 『最悪の人間』も逝った今は凡そ満点を付けても良い結果だった。  それを下らぬと言う者も居よう。  たがが数百年。己にせよ彼らにせよ本質的ではありはしない。  その程度で解決できぬ問題など、一つや二つではない。  人の世を憂い、憎む者も現れよう。 「──」  何度、それを見てきただろう。  何度、それを断ち切ってきただろう。  我は剣であり、我は使徒であり、我は死である。  男は思うのだ。  空は遠い。  見る者とて、知る者とて誰も無く。  希薄な現実と停滞する時間の中を亡霊の様に流離う。  人の果てさえもがそれならば、元より人間など狂った存在であったのやもしれない。 「責任を取る者は必要だな」  けれど。  それも最早、関わりの無い彼岸であるかの様に希薄だ。   一太刀にて間引いた数は戦場にも似て、事実ここは戦場であった。  石臼の様に勤勉に、時計の様に無慈悲に。  何もかもが勇者の真似事だ。  雲よ霞と押し寄せる冒険者を切り捨ててのけた己には、最早人にも魔にも居場所などあるまい。  死に果てるまでこの場で戦い、英雄の末席を汚してやるだけの事。  軍靴の音が。旗が翻る音が聞こえる。  終わりは、もう近い。  己自身で知らない事など無い。  己は終に、一度とて心の底から願う事は無かった。  事象の騎士だったからだけでは無い。  恐らく、とうに狂ってしまったのだろう。  だからこそ、止めれば良い事を今の今まで続けてきた。  それで良い。全ては予定調和の内だ。 「しかし、終わりが死なら俺は何の為に戦い続けて来たのか」  ふと、血を拭うような紫煙を燻らせながら、解りきっていた筈の問いを自問した。  理由など忘れ果てた。ただ、在りし日の無念だけは覚えている。  救えなかった者達が在った。実る事の無かった夢があった。  そして。最早世界は遠からず己を殺すだろう。  事象は平等だが残酷だ。役割を終えた使いが生き続けて良い理由は何処にも無い。  そんな物に縋ったのは必要から。剣を振るうのは愛情と希望からだ。  そんな事を考えた自分自身が意外に思えた。  あの勇者達がそうだった様に、己もまた誰よりも人間の醜さを知っている。  犠牲を肯定し、繁栄を肯定し、神に縋り、悪魔に縋り、そんな物を持ち出してまで生存を肯定する。  それは無限に空転する不の永劫だ。  言い訳など出来る筈も無い。悪性こそが人間の本性だ。  見るがいい。ヒトと言う種は正義を偽って、今も自ら滅びようとしている。  ──だが。それでも尚。 「聞いていたのか?」 「ええ。聞いていました」  短く答えたのは、一人の冒険者だった。  剣を抜いていて、それだけでも己を殺しに来たのだと男には知れた。 「王国連合、北方方面軍指令代理。聖騎士代行の一。いや、暫く見ない間に、あの洟垂れ小僧が偉くなった物だ」 「……それはお互い様ですな。剣の三。グリュンベルト要塞の凶犬。正直、らしく無いと思いました」  面頬の下からたった一人に全てを押し付け、怯えた調子の兵達が遠くに見えた。  無理も無い事ではある。敵にしろ味方にしろ、残っているのは殆ど敗残の兵ばかりと言った調子なのだ。  たった一人の人間に、危機の全てを押し付けようとする者達は確かに醜い。  だが、この状況下では非難など誰にも出来まい。 「用件は聞くまでもなさそうだな──が、少し話をしないか? 時間も余ってるんだろう」 「それは──」 「俺の事なら心配など要らん。どうせ此処には俺しか居ないし、まともな奴は逃げるか死んださ」  甲冑の下の男の顔は、きっと笑っているのだろう。  男にとっては全てが平等で──それ故に元来全てに価値を見出せぬ、とも言える。  それを与えるのは意思自身。彼は、会話を欲していた。 「──」  欲してはいた。だが、語る言葉はすぐには思い浮かばなかった。 「死に水、か。酒の方が良いんだがな」 「師よ。何を……」 「いやなに。俺の死について考えていてな。少しも影響を及ぼさない無常さが酷く滑稽だ」 「……少なくとも、貴方が大人しく死んでくれれば私の部下達が死なずに済む」 「この要塞を無視して進軍したとしても、な。英雄……いや、違うな。単に力瘤がでかいだけの奴がのさばる時代は終わった。  あんなを見せ付けられちゃ、誰も支持する気になんざなれないさ。  それにお前に限って言えば、ここを落とす必要など微塵も無い。そうだろう?」 「──はもう墜ちました。包囲を敷かれた貴方が知らぬのも、無理なからぬ事ですが」  男の声はそれでも揺らがなかった。 「あの男も死んだか。これじゃあ大勢は決まったようなもんだな」 「ええ。これ以上抵抗を続けても何の意味もありません。更に言えば、それはもう二月も前の話です」 「だがそれでも、俺にはまだ戦う理由がある」 「意地、ですか?」 「意地でもあるが、最後の勤めでもある。幕まで残った以上は、引き際ってのも作らないとなるまいさ」 「そんな物の為に、部下に死ねと?」 「ああ、そうだ」  男は冒険者を前に一度言葉を切った。 「悪魔の仕事は悪い事って相場が決まってる」 「またはぐらかす積りですか、師よ」 「いい加減な事は言うが嘘はなるべく言いたく無いんでな」 「その言葉自体が大嘘でしょうに、だから貴方には供の一人も居はしない」 「どう言う訳か、皆俺より早く死ぬんだよ。ペテンにかけた積りはねぇさ。理不尽に気違いは戦の華だしな」 「引く積りは無く理由を話す積りも無い、と言う訳ですか。何時になっても貴方は貴方らしい」 「理由なら話しただろう? 幕を一つでっち上げるんだよ、この時代の、な」 「それは」  冒険者は、大きく顔を歪めた。 「そんなに価値があることなのか!師よ! 一体何人が死んだと思ってる!皆だ!皆死んでしまった!  未来有る若者も恋人のいた娘も、子供も、老若男女皆死んだんだぞ!  一人と二人を殺すのは倍違うんだ! 貴方がやろうとしている事はそれほど価値がある物なのか!」 「──あるさ。少なくとも、今よりはずっとマシになる」 「そんな戯言を今更!」  しわがれた声で冒険者が怒鳴り声を上げる。 「なぁ。今までの世の中がそれほど自明な事だと思うか?」  だが、男は不意にそう言った。 「俺はそうとは思わない。この『大戦』は遅かれ早かれ起こるべくして起こっただろうよ。  力を持ちすぎた個人。肥大し続けた武力。対立を深めた魔物にヒト。だと言うのに旧態依然とした体制。  世界中がそうなりつつあった以上、結局破滅的な対立は避けられん。そんなに踊らされ続けた哀れな子供を一人、知ってるしな。  ……かく言う俺も振り回された口だが何れにせよ、もう手遅れだ」 「下らない。どちらかを勝たせればそれで終わる。そんな風にまともで居たいなら、その後にでもゆっくり楽しめば良い」 「だが、それでは負けた方は滅びる。人間がそうならなかった、って保障は何処にも無い。思い出せよ、皇国は一体どうなった?」 「……そんな事は」  冒険者は嘆息した。 「そんな事は解っている。解りきっている。私は貴方ほど古強者でも無いし、別に学が有るわけでもない。  けれど、戦場学校が随分と沢山の事を教えてくれましたよ。選べる事はここではさほど多くも無い、って事も」 「お前は自分の部下を、戦友を選ばざるを得なかったって訳だ。出世なんざするもんじゃねぇな。言いたい事も言えなくなっちまう」 「それ以外に選ぶ価値がある物なんて、何一つありません。こんな世の中です。今を生きる事だけで精一杯ですよ。  だから決して、貴方の生き方を容認する訳には行かない。それがどうなのかなんて知った事じゃない」 「否定するために、か。欠陥だらけだぜ、その論理は」 「ええ。欠陥だらけだとしても今を生き延びる為に、貴方を斬らせてもらう。  どちらをも生かす為に仲間を殺せと言うなら、僕は僕としてそれを否定する」 「──ヒトと天使(バケモノ)との決闘って訳だ。介添えは剣と死体のみだが、作法に従って行こうじゃないか。  正直、魔物扱いされての下らん喧嘩や花火の火遊びにゃいい加減うんざりしてた所だからな」 「いいえ。師と弟子との決闘ですよ。何処までもね」  甲冑の男の声には喜色が、冒険者の声は月の様に冷たい。  そして冒険者が剣を構えた。 「誓いは遠く、望みは遥かに」  答え、男が言う。 「主命既に在り、以って逆賊誅すべし」  剣を取り、互いの言葉が意味など成さぬと知って尚、そう言った。  余りにも立場の相違は明白であり、奇しくも男の言葉通りにその対決は避けられぬ物であった。  人と魔の大戦。  それは間違いようも無く、ある種の価値観の対立に起因する戦いでもあった。  少なくとも、名も知れぬ兵卒達にとってはである。  だが、何れにせよ彼らの多くは死を得、生き延びた者も荒野に棄てられている。  ──全く同じ構えの二つが、まるで石像のように直立していた。  それは一言で言うならば全くの器物にも似ていた。  立っていると言うよりは魔法にかかったように置かれている。抜き身の刃を構えた像が二つばかり、だ。  筋は弓のように撓んでいる。今しも射られんとしているようであった。  老冒険者の肌には汗が伝っていた。眼前の存在から、一秒でも早く逃げ出せと全身の神経と細胞と霊とが叫んでいたからだ。  だが、逃げぬ。鼻息を噴く。逃げれば、背に華が咲くだけだ。  異様と言えば余りに異様な戦いである。  目が乾きひり付く。ただの一動作を半刻にも引き伸ばしたような錯覚に歯噛みしそうになる。  冒険者が前にした鎧は、一つところならぬ血がこびり付いている。  人だ、と。そう割り切るには全てが余りにも刀にも似て凶器じみている。  老いた目には黒い甲冑は酷く判別が付き辛い。  ──みしり、ぎりぎり。みしり、ぎりぎり。  軋む音が。一度ならず。  みぢり、と。一際大きい音が。  それは直ぐに、轟と言う音に代わった。  全く鏡写しの軌道を進んでいた刀と剣とが打ち合わされて火花が咲いた。  冒険者が目を見開いた。クルクルと回転しながら、甲冑の剣先がへし折れ宙を舞っていたからだ。  赤く腫れた目には、その切り口には駄剣特有の不純物が混じっているのが見えていた。  不利とばかりに背後に僅か後ずさり、地面に突き立った剣へと手を伸ばす師へと、小細工無しに刀を振り上げ振り下ろす。  それを防いだのは半ばから折れた先ほどの剣であり、手甲に包まれた腕であった。  刀を取り落とさんばかりの激しい衝撃。上体を逸らした相手より、未だ己が早かろう。そう信じ刃を上らせる。  しかし敵もさる物か。如何な奇跡かそれとも魔技か、明らかに不利であるにも関わらず、片腕以って迫る刀を打ち落とす。  新たな剣を両手で構え、折られた剣は投げ捨てて、隙有らばこそ勝利在り、老を弾くと一気呵成に攻め上げる。  風の様に剣を操り、狂う剣風を潜り避けてく弟子を追う。  男が思うはもう一つ。もし離れたなら電光石火に突き掛り、心の臓腑を抉って止めよう。  脳裏に有るはそればかり。他には一つもありはしない。  どのようだろうが、武人は武人。戦の歓喜に奮え立つ。  けれども老にとっては堪らない。  悟った事は技量の不足。技比べでは勝ち目は無い。例えそれが勇者とて、かくなる師よりはましだろう。  流石は我が師。我が敵よ。けれど、己も負けはせぬ。  そう奮起して剣を振る。逃げていたなら勝つに足らない。  ならば死中に活ありと、大地を蹴って組みかかる。  ぎり、と音を立てたのは刃金の軋み。鍔迫り合わせ、体を居れ、押さえつけ首を筋を切って離すとばかりに手を伸ばす。  しかし弟子の浅はかさ、この技を己に教えしは眼前の師ではなかったか。  老いた体躯とも思えぬ筋が膨れ上がり、しかしそれをも凌ぐかはたまた伍する鎧の膂力が圧迫する。  果てなく続く鍔の迫り、押され引かれて東奔西走。  矢張り人の身の悲しさか。圧され膝を付いたのは老冒険者であった。  ぎり、ぎりぎりぎり。  言葉など無い。そこに言葉を発する余裕など一欠けらとてあろう筈が無い。  故に残った物は鋼の軋みと筋の悲鳴ぐらいであった。  僅かでも身じろぎしようものなら、その瞬間に首が飛ぶ。  理解できる事はそれだけで十分であった。  瞬間、鋭い異音が空気に混じる。  膝を付き、刀を掲げた老人が圧する剣を受け流し、受流し様に抜き出した一本の短剣を突き立てていた。  それは膝の関節、鎧の最も薄い部分を全力を込めて打ち抜き筋を裂く、乾坤一擲の一撃であった。  ──奇しくも、それが嘗て師が伝えなかった技の一つとは知る由も無く。  師はがくり前のめりに倒れこみ、弟子の刀がその胸甲を打ち抜いていた。  ──そうして、『大戦』末期のとある砦における、師弟の戦は幕を閉じた。