■ 第15話 Farr Right AND IMPERIAL  ■  一日が過ぎて――ファーライト西部首都、セライトは奇妙なほどの静けさに包まれていた。  西部首都といっても元々そう賑やかなものではない。中央に比べれば都市自体の大きさもそ うないし、何か観光になるようなものがあるわけでもない。どころか、すぐ隣にあるリアス高 山のせいで民間人が寄り付きがたいイメージがあった。ファーライト西部の交通中心点という には西端すぎる。  結果、リライトは純然たる砦として発展してきた。すぐ西にあるリアス高原から散発的に降 りてくる魔物と対抗するために。そして――その向こうからやってくるかもしれない、皇国に 対抗するために。  もっとも。  その警戒はあくまでも机上の空論に過ぎず、実際に皇国が大軍で攻めてくるのならば、北部 か南部を大きく経由するしかない――だからこそ、堅牢な砦とは真逆に、リライトを守る警備 兵や騎士は無意識下で緩んでいた。  そういったことを、皇国第三軍団軍団長であるエレム=P=エルンドラードは、同じく第十 軍団の軍団長であるクラウド=ヘイズにかみくだいて説明した。 「……わずか三百名で成功したのにも、そういう背景があるのだ」 「成る程。姉御の話はタメになりますね」  ほうほうと、演出過剰なくらいにクラウドが頷いた。劇団員が舞台の上でやるような仕草に 溌剌と通る声だが、別に意識をしてやっているわけではない。クラウド=ヘイズという男は、 元よりこういった性格なのだ。実際年齢は百八十歳ほどクラウドの方が上にも関わらず、並ん で歩くとエレムの方が年上に見えてしまうのは、彼女が15歳という年齢に似合わないほどに 落ち着き払っているせいだけではないだろう。 「その――姉御というのはどうにかならないものか? 私と貴公は同じ軍団長なのだ。敬語も 本来は必要ない」 「いえいえ!」  ざ、と肩膝をつき、跪くようにしてから、 「このクラウド=ヘイズ、ジェイドの兄貴から大命受けてこの国に参じた次第、三軍を司る姉 御に敬意を払うのは当然のことでありましょう。姉御こそ、気安くクラウドとお呼びくださっ て構わんのです」 「…………」  北部と西部の方言が微妙に入り混じった敬語に、エレムは頭に鈍い幻痛を憶えてしまう。  クラウド=ヘイズは、二百年も生きているれっきとした魔人だ。魔同盟のジェイドから勅命 を受け――それと同時に、皇国の皇帝へと入れ込んで――人間社会に協力している、数少ない 魔人の一人でもある。  魔人だというのにそこらの人間よりは礼儀正しい。順序を重んじるのは魔同盟という背景が あるからなのかもしれないが、本人の謹厳実直で義に厚く、熱血な性格と合わさってなんとも いえない扱いづらさがあった。  もっとも――とエレムは心の中で思う。扱いずらさでいうのならば自分も同じようなものだ し、そもそも皇国の軍団長を務める十二名は、誰も彼もが一癖もニ癖もあるものだ。全員がず らりと並べば、クラウドの奇矯さは十二分の一に霞んでしまうだろう。 「しかしながら姉御の見事な統率があればこそです。三百が一の槍と化して砦になだれ込む様、 見事でありました!」 「貴公こそ、鮮やかな侵入であった――正直な所、砦落としだけならば貴公一人いれば足る気 もするぞ」 「いやいや、この未熟者の身ではこれが精一杯であります。しかしながら姉御――確かに三百 という数はおかしいですぜ」 「――貴公もそう思ったか」  頷き、エレムはぐるりと視界をめぐらせた。  セライトの中央から砦街は、巨大な台形に見えた。山側には道なりに城壁が続いており、フ ァーライト側にいくにつれて狭くなっていく。出入りの関係上ファーライト側の出口も広くは あるが、それでも山側ほどでもない。砦ということもあり、四方は城壁で囲まれており、高地 から見れば堀や塹壕があるのも見える。  ここから北西部、南西部、そして中央へと、三本の道が伸びているのだ。  その道を見ながら、クラウドは言う。 「この砦を落とすだけなら、確かに俺と姉御だけで十分かもしれやせんが……そのまま皇国中 央に攻め込むってのは、三百ばかしじゃ無理でしょう。あっちにゃあ聖騎士の旦那方もいる」 「聖騎士か――わが国にもいたな」  皇国に席を置く聖騎士を――それも、攻め込んでいるファーライトから離反してきた聖騎士 を――頭の中でエレムは思い出す。元がつくとはいえ聖騎士だった彼らは今ごろ何をしている のだろうか。軍団長などの要職についているため、いきなり投獄されることはないと思うが ――なにしろここから中央は遠すぎる。情報が入ってくるとしても、まだ先の話だろう。 「もはや隠密に動く必要がなくなった以上、三日もすれば補給や増援がくるだろうが――何せ この山道、大規模支援は望めまいな」 「でしょう? まさか砦落としてそれで終わりってんじゃ――」  言いかけたクラウド=ヘイズの言葉を。 「その通りだ、クラウド=ヘイズ殿」  途中で遮り、エレムは肯定した。 「……姉御、どういうことで?」  当然のごとく、クラウドがいぶかしむ。この度の遠征は、主にクラウド直轄の『裂攻軍団』 で攻勢されている。  が、それに反して、総指揮を取っているのはエレムの方だった。エレムと数名の騎士が表に 立って指示を送り、クラウドとその配下である剣士、魔術師、暗殺者など強襲や奇襲を得意と するものが動いた――というのが今回の砦落としだ。  総指揮はエレム、副としてクラウド。  故に――作戦の全ては、エレムにしか伝えられていない。  その理由を、口にこそ出さないもののエレムは気付いている。一つは、直情的なクラウドに 話した場合、情報が重大であるこの戦が失敗する可能性があること。そしてもう一つは――エ レムとしては認め難い理由ではあるが――『エレム=P=エルンドラード』という立場だ。  元が神につかえる教皇であり、神のお告げを聞き軍団長となり、潔癖精錬たる騎士。そうし た風評を、この作戦を考案した男は利用したのだろうとエレムは思う。  他の誰がやるよりも、エレムが乗り込んだときが最も民衆に受け入れられやすく、同時にエ レム=P=エルンドラードならば民衆を無用に傷つけることはない。  ――誰だか知らぬが、小賢しい知恵の回ることだ。  わかっていながらもその通りにしか動けないエレムは内心で毒づき、けれどそれを顔に出す ことはなく、 「この砦の死守が――少なくとも数日間の死守が――我々の使命だ」 「……どういうことで?」  本気でわからないのだろう。クラウドは体ごと首を斜めにひねる。  無理もない、とエレムも思う。その作戦を聞いたとき、エレムでさえ馬鹿げていると思った ほどだ。  作戦自体が、ではない。作戦自体は理に適っている。  そんな作戦を立案した男が――常軌を逸したほどに馬鹿げていると思っただけだ。  どこから説明しようかと悩み、結局、エレムは一から話をすることにした。 「――我が国の目的が、この大陸の統一にあることは貴公も知っているな?」  無言でクラウドが頷く。 「立場上、全世界に対して宣戦布告をし、ケイヴなどとは現在も交戦中だ。だが、大陸西部の 大半を平定して以来、しばらく平和が続いた。なぜだか分かるか?」 「俺の考えが正しいとは限りませんが――地形、でしょう」 「そうだ」  エレムは頷き、 「南北はその気候ゆえに攻めあぐね、西はパシティナ大砂漠により西国やロンドニアと隔絶、 東にいたっては魔の山脈が立ちふさがる――これ以上統一できぬところまで皇国はきていたの だ」 「どこか一方に集中すれば、他の方から手痛い反撃を食らう、と」 「そうだ。ゆえに攻めあぐね、一次的な平和が訪れていた。が――」  が。  皇国中央で授かった命令書を、そしてその計画をエレムは思い出す。膠着状態だった世界が、 ゆっくりと動き出した理由を。 「半年前――南で大事件が起きた」  南。  南海事件と呼ばれるそれを詳しく知るものはまだいない。あの学者、ハロウド=グドバイや、 このファーライトの元騎士、それに最凶の勇者や騎士、さらには事象龍までもが関わってきた という噂があるが――話が大事過ぎてどこまでが噂話か知れたものではない。事象龍が二体も 現れたという話もあるが、そんなものはもう神話の領域である。  だが、事実として――南国で島が沈み、その事件に関わっていたと思しき東国は南に関する 権限を失い、南国諸国で根付いていた宗教――蒼海教団もまた、力を失った。  一時的とはいえ、南の無力化。  そして―― 「西国が――王国連合を裏切り、皇国についた」  西の、無為化。 「――!? 姉御、それは、」 「最重要機密だ。私以外には誰も知らない。貴公には教えておく必要があると、私が判断した」  エレムが人差し指を口元に当てると、クラウドはごくりと生唾を飲み込んだ。それがどれ程 重要な意味を持つのか、戦場に身をおくクラウドならば知っている。  西国。  大陸の西端を支配する大国の一つ。もう一つの大国、ロンドニアとは砂漠を挟んでにらみ合 っている。  西に一時的に緊張平和が訪れているのは、西国、皇国、ロンドニアで三すくみをやっている からに他ならない。もし皇国が大陸東部へと本格的に乗り出せば、まず間違いなく西国とロン ドニアは一時的に手をくんで皇国へと攻めてくる――というのが、戦術学者たちの見地だった。 ロンドニアは『鉄と血』と仇名されるほどの戦闘国家であるし、宗教国家である西国には迂闊 に手を出したら焼けどではすまなくなる。何よりもあの砂漠のせいで、誰もが攻めあぐねてい た。  いたのだが―― 「西国の中で変化が起こりつつあるらしい。私と同じく神託を聞いた『聖女』が台頭してきた と――」 「……クリス=アルク」  クラウドの言葉に秘められた、微妙な違和感にエレムは気付くことなく、「そうだ」と頷い た。 「それだけとは思わんが――ともかく、秘密裏に祖国は西と手を組んだ。北はもう少し暖かく なるまでは動けない。東の果て、東国騎士団もまた、団長と副団長が不在がために身動きが取 れない。そして――」  そして。  最大の理由として、あの長い腕の男による―― 「ファーライトへの隠し道が判明した、とのことだ」  北と南と西の無力化。東へ通じる道。  そこまでそろったからこそ、皇国はついに動いたのだった。軍団長を二人も導入し、わずか 三百人の兵士を使い――敵が攻められたことを知るよりも早く砦を落とした。  少数精鋭による奇襲。  それが、先日までの戦だった。  クラウドはしきりに頷き、それからふと、エレムの顔を見上げ、 「そこまでは分かったんすけど――姉御、それからは?」  西をおさえ。  北をおさえ。  南をおさえ。  東へと攻め込んできた。  そこまではいい。そこまではクラウドにも理解できる。  だが――そこから先が得心がいかない。東へ攻め込むことができた。三百名で砦を落とすこ とができた。しかし、このままでは間違いなく反撃にあう。東へと通じる道は険しく、大規模 補給や援軍を受けることができず、事実上この砦で孤立していることになる。  もうしばらくもすれば――ファーライト側は軍を編成して反撃に出るだろう。北西、南西、 中央。恐らくはその三箇所から兵が合流し、こちらの十倍以上の数をもって砦の奪還に挑むに 違いない。  いくらクラウドが魔人とはいえ――その軍隊を前に砦を守護できるとは思わなかった。もと より精鋭少数による砦落としに向いていても、こういった防衛に向いているはずもない。それ こそ、もって数日といったところだろう。  だというのに――皇国上層部は何を考えているのか。  その問いに、エレムは答える。 「言ったとおりだ。我々はこの砦を死守し――ファーライトの軍勢をひきつける」 「ひきつける――騎士の戦争じゃあ、ないですね」  クラウドの瞳が理解にひかる。エレムは「むしろ傭兵の戦い方だな」と頷いた。  そして、エレム=P=エンルドラードは、ファーライト侵攻の目的を口にした。 「我々が軍をひきつけ、その隙に首都でファーライトの支えたる『姫君』を暗殺する。そのた めに――すでにファーライト王都へと、精鋭が潜入しているそうだ」         †   †   †  実を言えば、取りえる道はいくつかあった。  まず一つ――ジュバ=リマインダスのいうように、このままファーライト王国を離れること。 聖騎士詐称の問題があるものの、中央部では『カイルの死』についてのきちんとした情報があ る。情勢が落ち着けば、まず指名手配は形骸化するだろう。そのままファーライトに戻らず、 大陸西部で一生を暮らせばいい。傭兵すらも辞めて、あの学者の助手にでもなれば世界と関わ ることなく生きていけるだろう。  あるいは本当に、戦いを止めてしまってもよかった。いや――それならば、あの、味方に殺 されて蘇ったあの日に――戦うことを止めてしまってもよかったのだ。蘇ることなく、そこで 人生を終えてもよかった。蘇ったからといって、戦うこともなかった。南部あたりの気候が良 いところで田でも耕せばよかった。聖騎士を捨て、祖国を捨てて、ただの傭兵になった。その まま戦うことを止めても――おかしくなかったなかったのか。  ――それでもなぜ戦い続けてきたのか。  その問いを、カイル=F=セイラムは心の奥底でずっと考え続けてきた。表面にこそ出さな いものの、常に自身に疑問を持っていた。  どうして僕は此処にいるのだろう、と。  十年前。クローゼンシール王国の滅亡に際した時、カイルはただの騎士だった。ただの騎士 で――騎士は剣を振い守るのが当然だと思っていた。  守れなかった。  剣を振ったはずなのに――敵の記憶すらなく、カイルは敗北した。  思い返せば、強くなろうと思ったのは、この時からなのかもしれない。ただの騎士ではなく、 全てを守れるような聖騎士になろうと思ったのは――この日があったからなのかもしれない。  リストリカ=クローゼンシールとの長い別れ。  守るべき国を失い、代わりに偽りの永遠を与えられた少女の別れ。  戦った。  戦い続けた。  数年のうちに聖騎士の塔に挑んだのは――立ち止まることに我慢がならなかったからだ。  もう一度、記憶にもないあの『誰か』と戦ったときに、今度こそは敗北しないように。  守れるように。  強くなった。  強くなったつもりだった。  力だけは増えて。  脚だけは早くなって。  周りを見る余裕がなくなって。  ――味方に殺されて。  刺された感触をいまでもはっきりと憶えている。敵から斬られたことも刺されたことも一度 や二度ではないというのに、その傷だけははっきりと体が覚えている。  心が憶えている。  そして――一度目の死。深く深く深く暗く沈んでいくようなあの感覚。そこから先は、明瞭 とは覚えていない。『誰か』にあったような気がする。その誰かに押し戻されて――  カイル=F=セイラムは、蘇った。  生者ではなく。  死者として。  黒い鎧に魂を定着されて蘇った。鎧を長い間外していると死んでしまうのは、魂と離れた肉 体はただの肉でしかなく腐敗していくからだ。ゆっくりと朽ちていく体を魂が支えている。  普通の、人間のように。  鎧を手放せないことを除けば――人間として、カイルは蘇った。  思う。  鎧に魂を定着させたのは、『誰か』の意志ではなく。  自分の意志だったのではないかと、カイルは思うのだ。戦うことを止めたくないと願ってい た自分が、その魂を鎧へと縛り付けたのではないか――そんな風に思ってしまう。  事実、ここにくるまで、カイルは剣も鎧も手放していない。  黒き剣、イグニファイ。  白き名もなきロングソード。  二剣を、振い続けてきた。 「何を――考えているのですか?」  声がして、カイルは思考を切り上げた。顔をあげたそこにいるのは、金の髪をなびかせたロ リ=ペドだ。彼女が着ている服が、自分の買い与えたものだと気付くのにはしばらく時間がか かった。服よりも――背負う、巨大な黄金の剣へと目が行ってしまったからだ。  ベッドに腰掛けるカイルからだと、小さなロリ=ペドと視線の高さがほぼ同じになってしま う。真っ直ぐに見つめてくる金の瞳から、カイルは視線をそらさなかった。 「色々と思い出していたよ。二十五年しか生きていないのに――色んなことがあったなあって」  主にあの学者と知り合った辺りから、人生が加速しているような気がする。このままいくと、 あと数年のうちにはなにかとんでもないことに巻き込まれてしまうような気がする。  だがそれは、『また別のお話』だ。  これは、誰かに巻き込まれての戦いではない。  自分のための――自分で選び取る、戦いなのだから。 「君はどうだった? 何歳か、なんて聞かないけど」 「私は――」  自身の人生について問われて。  ロリ=ペドは言葉に詰まった。恐らくは、カイルの何倍もの人生をあゆんできたはずの少女 。自分などよりもずっとずっと色々なことがあったのだろうとカイルは思う。  違った。  ロリ=ペドは顔を失せ、ぽつりと、涙を零すように答えた。 「ずっと――兄様の後ろを歩いていました」 「…………」  その言葉に込められた重みを想像する。彼女が一体何年生きているのか――どういう存在な のか、学者から受けた説明や、彼女自身の言葉から想像できる。  想像できるだけだ。  実感などできるはずもない。そんなものになってしまった存在など、カイルは過分にして知 らない。  ――龍の騎士など。  黄金色の――聖騎士。  勇者の仲間。  ロリ=ペド。  立場が――違いすぎるのだ。立ち居地が違いすぎる。本来ならばこうして向かい合って話す ことなどできる相手ではない。戦場で刃を交えることすらあり得ない、そういう存在なのだ。  そして、そういう存在であることをロリ=ペドは強いられている。  個人の意志よりも。  その『立場』が――存在を縛っている。 「兄様に従っていれば、それで良かったんです。兄様と――龍の囁く声に従って、私は戦って いました」  最強の勇者、ガチ=ペドを守るために。  暁のトランギドールの叫ぶ『正義』のもとに。  ロリ=ペドは戦ってきた。 「――でも」  でも。  けれど。  それが――変わった。  他の誰でもない。 「……分からなく、なってしまいました」  カイル=F=セイラムの手で、決着がついたあの南海事件から――ロリ=ペドは変わってし まったのだ。  剣を振うのに躊躇いが出た。  何よりも――『正義』がわからなくなった。暁のトランギドールの声が聞こえなくなり、象 徴たる黄金鎧をまとうことすらできない。  ここにいるのは、騎士ではないのだと改めて実感する。  今、目の前にいるのは、ただの少女であるロリ=ペドなのだ。 「ずっと……悩んでました。他の誰でもない、私の正義について……」  囁く声に力はない。その弱さこそが、ロリ=ペドの悩みを象徴するかのように。  途切れ途切れの言葉を、けれど、カイルは真摯に聞き届ける。それが、ロリ=ペドにとって 大切な言葉であると分かっているからだ。  耳を傾けるカイルを、ロリ=ペドは見つめた。  金の瞳が、揺らいでいる。  揺らぐがままに、ロリ=ペドは言う。 「貴方は――私を倒しました」 「…………」  思い出す。そのときのことを。  半年前の南海事件を。  事象龍が暴れる中――一人の友人と、独りの少女のために、ロリ=ペドと戦い――最後には 打ち勝った、自分でも信じられないあの戦を。  最後の戦で、ロリ=ペドは、全力を出し――その上で、カイルに破れた。  もう一度やっても勝てないだろう、とカイルは思う。アレは奇跡のようなものだ。絶対に負 けられないからこそ勝った。そんな矛盾した、言葉遊びのようなものだった。  そのことを瞳から察したのだろうか。ロリ=ペドは、静かに首を横に振った。  それは違う、と。  貴方は――きっと勝つだろう、と。幾度でも、幾百回でも、幾万回でも――それが勝たねば ならない戦いならば、きっと勝つのだろうと。  金の瞳が告げている。  二の句が告げずにいるカイルに対し、ロリ=ペドは。 「貴方の正義は、何ですか? 貴方は――貴方はなぜ、戦うのですか?」  いつかした問いを――もう一度、繰り返した。  ロリ=ペドは視線をそらさない。答を誤魔化すことを、その瞳は許さない。  何よりも。  カイル自身が――その問いにごまかすことを、許さなかった。   自分がなぜ戦っているのか。  考えなかったといえば、嘘になる。  考えない時などなかった。ずっと、ずっと考えていた。一度死に、生まれたあとも――考え 続けていた。  それを言葉にする機会は、一度としてなかった。漠然として生まれていた答えに対して、 『本当にそれでいいのだろうか』という疑問があった。  けれど。  生まれ祖国が攻め落とされてる――この状況で。  自身も認める黄金色の騎士から問われている――この状況で。  カイルは、初めて。  自分の胸のうちを、言葉に出した。 「……ハロウドさんは、僕が傭兵になった後も、『君は騎士だよ』って言ってた。その理由が、 なんとなく分かる気がする」 「…………?」  ロリ=ペドがわずかに眉根をよせた。ハロウドのことを知らないのかもしれないし、カイル が何を言いたいのかわからないのかもしれない。  構うことなく、カイルは言葉を続ける。 「騎士だから守るんじゃなくて――守りたいものがあるから、騎士なんだ。僕は、僕の育った 国が好きで、僕の友人たちが好きで――あの一人きりの御姫様が好きなんだ」  姫様。  ファーライト王国において、権謀算術の中においてただ一人孤立している人物。薄いヴェー ルの向こうに隠された姿を見たものはほとんどいない。カイルとて、聖騎士として剣を授かっ たときに一度あったきりだ。  それでも。  ただの一人でこの国を支えてきた人物。  守りたい、と思う。  難しい理屈はなにもない。自分が生まれ育った国が好きだから。古い物語に出てくるように、 龍から姫を守る騎士になりたいと、小さいころに思った自分がいるから。 「好きだから、守りたいって思う。守れるだけの力を、鍛えてきたから。守るための力がある から。守らなかったら――いつかきっと、後悔する」  リストリカ=クローゼンシールのときのように。  守りたいものを、守れなかったときのように。  それを二度と繰り返したくなくて――強くなろうと、決めたのだ。  自分の意志で、行く道を選べるように。 「戦うべき力がある。だから守りたい。『正義』なんて考えたことはないけど……僕が戦うの は、やっぱりそういう理由なんだと思う。だから――」  だから。  万感の思いを込めて、カイルは告げる。 「だから僕は――聖騎士、カイル=F=セイラムだ」  傭兵ではなく。  自ら――騎士を、名乗った。  その心と共に。  口にするだけで実感と力が湧いてくる気がする。これこそが自分なのだと、散々迷った分だ け深く感じられる。思えば――長い長い回り道をしてきた。その回り道こそが、必要なものだ ったのだと、今ならば分かる。  戦った数だけ、出会った人がいて。  敵も。  味方も。  多くの人にであって――少しだけ、成長できたと思う。  これからも、それを続けていきたい。大切なものを守りながら。  決意は、その思いにつきた。 「収まるべきところに収まった――って感じだな」  唐突にかけられた声に、カイルは驚かなかった。相手は気配を隠そうとしてはいなかったし ――今の自分ならば、城中の全ての気配を感じ取ることさえできるような気がした。  振り返る。開いた扉に背を預けるようにして、ジュバ=リマインダスが立っていた。白銀の 鎧にクレイモア。後ろには東国騎士団員と思しき人物が荷物を抱えている。  完全武装で、そこに立っていた。  けれど物騒な佇まいとは異なり、その顔は笑っている。とてもとても、嬉しそうに。子の成 長を喜ぶ親のように、ジュバは笑っていた。 「だがまあ、お前らしいっちゃらしいさ。それでいいんじゃねぇのか」 「そう――でしょうか」 「俺からしてみりゃ何を今更って気もするが――そこそこ上等さ」  言って、ジュバは室内に踏み込む。あわせるようにしてカイルは立ちあがり、カイルとロリ =ペドの二人を眺める位置でジュバは立ち止まる。  不敵な笑いを消さぬままに、ジュバが言う。  「準備できたかよ、主役」  剣を握りしめ、カイルは答える。 「できましたよ、脇役さん」  うわナマイキなこと言いやがるのなお前――そう言ってジュバは楽しそうな顔をした。つら れてカイルも笑ってしまう。  今から向かう先は、戦場だ。恐らくは圧倒的に不利な、味方に敵と思われる戦いだ。味方の 奥に潜んでいる敵を倒すための、孤独な戦いだ。生半可なものではなく、死すらをも覚悟しな ければならない。  それでも――自然と笑みはこぼれてくる。  笑って、男たちは死地へと挑む。 「俺は俺の女のために。お前はお前の守りたいモノのために。いこうぜ――黒き旋風」 「行きましょうか――騎士団長」  ジュバが踵を返し、扉の向こうへと歩み出る。カイルもその後に続き、  続きかけた脚を止めて、振り向いた。  ――迷子のように立ち尽くす、ロリ=ペドがそこにいる。 「君は――どうする」  ロリ=ペドへと、手を差し伸べて、カイルは言う。 「一緒に、くるかい? ここから先は、僕らの、個人的な戦いだけど」  ――君まで巻き込むことはない。  そういう意味を込めて、カイルは言う。相手が自分よりも強い存在だとは分かっていても、 見る姿は少女のそれだ。どうしても遠慮をしてしまう。  ロリ=ペドは、即答しなかった。  じっと、カイルの強き瞳を見据えて。  悩んだ末に、首を縦に振った。 「――貴方の正義を、見届けさせてください」  そして、反撃が始まる。 ■ 第15話 Farr Right AND IMPERIAL .....END ■