† 幼年期の終り †  聞き覚えのある爆発音でリンネは気絶から目覚めた。意識が覚醒するよりも早く、その爆発 音が何なのか頭の中で思考をめぐらせる。幾度か空気中で火を打ち鳴らした後に大爆発を起こ す人間火砲。演習中に暴発して危うく事故になりかけたこともある。あの音は、そう、何より も火力を尊ぶクラスメイト、リノア=メリオラの火砲魔術――  そこまで考えて、ようやく意識が完全に覚醒した。  無意識におきようとして体が痛んだ。ずきり、と動かそうとした部分に痛みが走る。 「痛ぅ……」  呟くものの、痛みは消えなかった。柔らかくはなったものの、鈍痛が間接部分に走っている 。あちこちがすりむいているのが分かる。今、自分がどうなっているのか確認しようとして、 リンネは首だけを起こした。それだけの動作で首筋が酷く痛む。  酷い有様だった。  学園支給の制服も、裏マーケットで購買して以来密かに気に入っていたマントもぼろぼろに なっていた。所々やぶけ、すすけている。全身に飾りつけたリング――輪環魔術に使用する 『輪』だ――だけが、欠けることなく耀いていた。  どうしてこんなことになっているんだろう、と思う。まだ思考が追いつかない。気絶から醒 めた頭が考えることを拒否している。破れた服の隙間から見える自分のヘソを凝視した。ヘソ を丸出しというのは女の子としては少し恥かしい。  ヘソを隠そうと右腕を動かそうとして――ぬるりと異様な感触。  本能が忌避をうちならすが間に合わなかった。リンネは、深く考えずに、つぃ、と地面につ いた右手を見る。  誰かの右手があった。  レンガに押し潰されたナニカから――右腕だけが、はみ出ていた。  レンガの下から漏れる赤いナニカがじわりと広がり、はみでた右腕と、地面につけていたリ ンネの右手を赤く染めていた。  それが何なのか、理解するよりも早く。 「き――――」  リンネは悲鳴をあげようとして。 「――リンネ!」  あげかけた口を、横からふさがれた。 「――!?」  余計にパニックに拍車がかかった。横から伸びてきた手に口と体を抑えられて、リンネはわ けもわからずに暴れ出す。叫びながら走り出そうとするリンネの体を、その誰かは横から必死 に押さえつけた。 「落ち着け、リンネ、ボクだ、アスケイだ!」  押さえつけてくる誰かが、耳元で必死に――けれど小声で――叫んだ。言葉を聞きながらも 、なおもリンネは暴れ続け、暴れるリンネに「落ち着け!」と言いながらアスケイは抑え続け る。  落ち着いたのか――あるいは暴れるのに疲れたのか――リンネはやがて動きを止め、ようや く、瞳に冷静さが戻ってくる。それを確認して、アスケイはリンネを抑えていた手を離した。  自分を抑えていた誰かを、リンネは見る。赤と青の縦縞の服。サーコートの左腕にはまって いるのは、級長としての印。眼鏡の奥にある真っ直ぐな瞳と、手にもつ波打つ剣フランベルジ ュには見覚えがあった。  いつも真面目で、面倒みがいい級長。学術都市の仲間。 「ア……スケイ?」 「そうだ。アスケイ=キリドだ」  真っ直ぐにリンネの瞳を見つめたままアスケイが言う。その声に、いつもの覇気にかげりが 見えたのはリンネの気のせいではないのだろう。こめかみから一筋、線上に血が垂れている。 よく見てみれば、アスケイの姿もまた散々たる有様だった。  どうしたの、と問おうとした。  問えなかったのは――再びちっ、ちっ、ちっ、と火種が弾ける音がしたからだ。 「リノア――?」  顔を上げる。リノア=メリオラは、確かにそこにいた。傷だらけの姿で。付かれきった体を 巨大な魔道書に預けるようにして。それでも、不屈に燃える瞳で前を睨みつけて――魔法を唱 え続けていた。  ――ニ連続。  その意味を、リノアの友人であるリンネは知っていた。常識外れの魔力を持ち、火力を尊ぶ 魔法使い見習い。けれど見習いの彼女は、一回ごとに自身の魔力に耐え切れずに疲弊する―― 「リノア! あんた――!」  止める間もなかった。  リノア=メリオラは、口端を吊り上げると同時に、最後のワン・ワードを唱えた。 『――炎よ、貫く槍となれ』  はじけていた火種が、リノアの前、一点に集中し――圧縮し――縮小し――点にまで縮まる と同時に、  弾けた。  視界が焼ききれるような火線が一直線に伸びる。リノアの背よりも高く太い炎の矢が、城壁 から真っ直ぐに打ち出される。リンネはその先を視線だけで追った。人どころか、建造物すら をも溶かしていく炎の槍は――  城壁を打ち壊そうと槌を振り上げた、巨大なゴーレムに風穴を開けた。  槍は消えなかった。中心に穴があいたゴーレムが倒れ、その向こうにいる魔物たちが槍で溶 けていく。  溶けていくというのに――その後ろからは、次々と、新たな魔物が現れてくる。無限に、無 限に、無限に。高台の上にある学園めがけて押し寄せてくる――  ――思い出した。  ようやく、意識が追いついた。気絶から完全に醒めたリンネは注意深く立ち上がり、学園か ら眺める学術都市を見下ろした。  そこに、いつもの景色はない。  そこには――戦場があった。  魔同盟に導かれた大軍が、学術都市を攻め落とそうとしているのだ。  学徒総動員となっている時点で、状況は言うまでも無く最悪だった。魔人による第一波にか ろうじて耐えたとはいえ、学術都市防衛戦線はすでに最終線まで退いている。『都市部』は魔 物に陥落し、生き残りが学園で篭城戦を繰り広げているさなかだった。  一部の戦闘系教師が前線に出て攻撃に周り、残った理論系教師や生徒が学園で防衛する―― そうなるまで追いつめられていた。  生徒は三人で一組を作り――リノアとアスケイ、それにリンネ――学園城壁での防衛に駆り 出されていた。まだ未熟な生徒を駆りださなければ持ちこたえられないような、泥沼の戦闘。  とはいえ、反撃の策がはゼロではない。そのために教師は攻勢に回っているし、生徒たちは 泣き、漏らし、悲鳴をあげながらも戦闘に加担している。  そうしなければ、死ぬからだ。  対人間用の政治戦闘とは違う――拠点壊滅をもくろんだ、皆殺しの戦。  魔物による襲撃。  魔法による砲撃を受けて一部の建物が崩壊し気絶していたのだ――そこまで思い出して、リ ンネの背にぞっとするものが走った。気絶していたのは、恐らく一瞬きりだろう。けれど、ほ んの少しだけ立ち居地が隣ならば――その一瞬から目覚めることなく、自身も死んでいたのだ 。  これが――戦争なのだ。 「リノア=メリオラ! 君は少し休め、そのままだと倒れるぞ!」  魔道書に体をあずけ、今にも気絶しそうな顔色をしているリノアにアスケイが駆け寄る。そ れでもリノアは魔道書から手を離そうとしない。 「これ、で……大きいの、潰した、から……、しばらくは、」 「分かったから休め! リンネ、リノア=メリオラを奥へ――」  魔道書ごとリノアの体をアスケイは引っ張り、二人の体が城壁から離れ、 「――ィェァアアアァアア!」  離れたそこへと、体の腐りかけた兵士が叫びながら飛び上がってきた。魔同盟が十三、黒骸 王アグニデスの作り出す死せる兵士。塀に梯子を立てかけ、城壁ごえを試みてきたのだ。兵士 は刃の欠けた剣を手に、背を向けてリノアとアスケイへと襲い掛かり、  リノアをつかんでいたはずのアスケイが、剣が振り下ろされるよりも早く身を翻していた。 「――疾ッ!」  翻すと同時に決着はついていた。腰だめに構えたフランベルジェを、身を回しながら振り回 し斜めに両断する。極東に伝わる抜刀術の変化形。アスケイのフランベルジェの柄が『日本刀 』と呼ばれるホツマの拵えになっていることをリンネは思い出す。  飛び掛ってきた死骸兵が両断され、腐り落ちた肺腑がアスケイに降りかかる。それを拭おう ともかわそうともせずに、アスケイは前へと出た。  梯子が掛かったということは――次から次へと敵が来る。  アスケイが駆けると同時に、二体の死骸兵が中空へと飛び上がった。兵を乗り越え、アスケ イすらをも飛び越えようとする死骸兵。  その体を。 「『始まりと終わりは繋がっている』――『発花ニ輪』!」  二つの円環が吹き飛ばした。  空中ではよけようもなかったのだろう。兵士の胴体へと輪は辺り、同時に小規模な爆発が巻 き起こる。衝撃で二体の兵士は後ろへと吹き飛ばされ――遠き地面へと落ちていく。 「助力感謝するぞ!!」  振り返ることなくアスケイが叫び、そのまま一直線に塀へと向かい――そこにたてかけられ ていた梯子を切り飛ばし、蹴り飛ばした。  ぐらり、と。  長い長い長い梯子が、そこにまたがっていた兵士たちごと反対側へと倒れていく。下で順番 まちをしていた魔物たちが慌てて逃げ出し、逃げ遅れた魔物が梯子と味方に潰されていく。  それでも、敵の数は減らない。  後から後から、津波のように押し寄せてくる―――― 「……く、」  その光景を目の当たりにしたせいか。  それとも純粋に――体力が限界に近いのか、アスケイの膝が折れた。  無理もないのだ。いくら学園で有数の魔力を持つ生徒だといっても――あくまでも生徒でし かないのだ。傭兵などとは違い、常に戦場に身を置いているわけではない。実習で命をかける ことはあっても、命をつねに駆け続ける戦場というものは未経験なのだ。  加えて、絶望的なまでの敵の数。倒しても倒しても次が出てくるというのは、体力よりも先 に気力を削っていく。  もうだめだ、もう諦めよう――心の奥からにじみ出てくる弱みを止められるはずもない。  それでも。  それでも―― 「ダメだなんて――そんなわけがあるか」  地面にフランベルジェをつきたて、杖のようにしてアスケイは身を起こす。意志を宿る瞳で 、万の軍勢を睨みつける。  敵が万をこえようが、  自身が学生だろうが、  そんなものは――諦める理由にはならない。 「そうね、アスケイ。その通りだわ」  立とうとするアスケイの左肩を、横からリンネが支えた。倒れかけたアスケイの体がよりそ うようにして背をあげる。  人という字のように。  少女は、少年の体を支えた。  懐から幾つもの輪をリンネは取り出す。輪環魔術。輪がある限り、戦う術が尽きたわけでは ない。まだ全てを出し切っていないのに、諦めるには早すぎる。 「みんな……がんばってるし、ね――」  アスケイの左側を支えるようにして、リノアが身を起こす。支えるつもりが、自身が倒れそ うになり――倒れそうになった体を、アスケイが逆に支える。  これで、三人。  三人は、今にも倒れそうな体で――けれど倒れることなく、互いを支えあった。  三つの瞳はゆるがない。揺るぐことなく、迫りくる魔物たちの軍勢を睨みつけていた。意思 の力は、心の強さ。魔物に対して一歩もひくことなく、三人の生徒は立ち向かう。  その、肩を。 「諦めない限り何とかなるもんさ――それが人間ってもんだろう?」  三人まとめて、力強く後ろから抱きかかえられた。 「――先生!?」  聞き覚えのある――それ以上に暖かく、力ある老女の声に、三人はいっせいに振り返る。そ こにいたのは、他の誰でもない、ウォンペリエの教師にして世界最高峰の魔法使い、二十四時 の魔法使いの一人―― 「エデンス先生!」 「――待たせたね、あんたたち」  力強く笑って、“最良の賢者”エル=エデンスは三人の前へと出た。その後ろには、へとへ とにつかれきったクラスメイト、マルメ・カイオの姿があった。  ――召還が、間に合ったんだ。  三人の心に安殿の炎が灯る。マルメ・カイオは「召還士」としてありあまる才能を持ちなが らも、引きこもり趣味に没頭する少年だった。それが、この危機に瀕して初めて自分から歩み 寄ってきた。  自分も協力させて欲しい、と。  かくして――『エル=エデンスの召還』という切り札は実現の目を見た。正直なところ、成 功するかどうか五分以下の賭けだったのだ。  全魔力を使いつくしたのか、マルメ・カイオが、安心したような笑みを浮かべたままその場 に崩れ落ちた。エデンスが振り返ることなく「休ませておいてやりな」と声をかける。 「あとは――あたしがやるさ」  そして、彼女は。 「二時の賢者、エル=エデンス! あたしを殺したきゃ、事象龍でも連れてくることさね!」  ――幾千の魔物の前へと、一人で躍り出た。  大きく右腕を振り上げながら、老体に鞭をうつかの勢いで――そのまま城壁から飛び出す。 その下には何もない。魔物たちが坩堝とひしめき、地面すらない。遠くの丘まで黒く黒く黒く 魔物で染まっている。  地獄のような、その光景に。  エル=エデンスは、笑みと共に落ちていく。  その笑みが―― 「――地獄にゃあまだ遠い!」  ――若返る。  右手に魔力が集まると同時に、老婆でしかなかったはずのエル=エデンスの姿が、かつて、 最盛期のころのように若返る。全力の魔術執行による一時的な肉体偏移。歳を経ても、その全 世界へと挑むかのような笑みだけは変わらない。  笑ったまま。  若きエル=エデンスは、地面へと己の拳を叩きつけ――  ――爆発した魔力が、地平の彼方までを白く染めた。      †   †   † 「というわけで、第九位『たった一つの冴えたやり方』」と!」 「第八位、『幼年期の終り』をお送りしました」  ハイテンションの夜智(姉)と、ローテンションの那智(妹)による声が会場に響き渡り、 頭上の照明が光を取り戻した。スクリーンに熱中していた招待客たちは、その光で回想録が終 わったことに気付く。逆に言うのならば、そうなるまで彼らはスクリーンの中に熱中していた ことになる。  無理もない。上映された『記憶』は、誰の心にも色褪せずに残っているものなのだ。かつて 当事者だったものがいる。当事者だったものの子がいる。当事者となる前に亡くなったものが いる。一つの時代を、皆で見ているのだ。心魅かれぬほうがおかしいのだろう。 「それじゃあ、恒例の解説コーナーっ! まず第九位は――」 「『龍の騎士』の『月追いの騎士』の因縁の決着、よね」 「そうね那智ちゃん。ロボ=ジェヴォーダンさんと、ウォル=ピットベッカーさんの長い戦い の決着!」  わー、と一部で歓声。黒尽くめのスナフキンのような男が、観衆の目をよけるようにして隅 になっているのが、壇上にいる夜智と那智からはよく見えた。 「この二人は……運命係数の揺れ幅が小さいから、どんな道を歩んでもこうなるの」 「那智ちゃん、それって『お前の運命は決まっているっ!』っていうやつかしら」 「…………。まあ、そんなところね」  那智はため息を吐いて肩を落とし、 「互いに因縁がからみ合ってるから、他人の運命や世界の流れと関係なく、『討ち取られる』 ことが決定している――まあこのさきは姉さんには分かりづらい話なんだけれど……」 「宿命の対決、ということねっ!」 「……………………。それでいいわよ、もう」  どこかの騎士のようにため息を吐く那智を無視して、夜智は軽快に笑い、 「次の第八位は――これは『学術都市陥落』?」 「そうね。学術都市ウォンペリエは、人間同士の戦争が始まっても静観していたんだけど―― 魔人が『将来の敵を消しておく』という理由で攻めてきたの」 「悪の芽はつんでおく、というやつねっ!」 「どっちが悪かは分からないけれど……そもそも、本当の目的は学術都市の地下図書館に眠る 本にあったんだけれど――」 「あったんだけれど?」  夜智の疑問に、那智は肩を竦めて、 「それはまた、別のお話」 「もうっ!」 「はいはい――『幼年期の終わり』は、学生総動員されているから、ウォンペリエ戦争の末期 、ね」 「学生たちが協力して戦ったり、ヒーローのように現れるエデンス先生の格好よさに票が集ま りましたっ!」  わー、と歓声――が送られてた先にいるのは、樽ごと酒を飲んでいるエル=エデンスの姿だ った。すでに足元には空の樽が転がっているのに、酔った様子は微塵もない。どころか、何人 かの生徒が代わりに酔い潰れていた。 「…………」 「…………」  見なかったふりにしよう、と双子は心の中で相槌をうつ。 「それでは、続いて第七位――――」