皇国。  大陸中央部のど真ん中に位置し、人間世界で覇を称える大国である。  砂漠という天然の境界のせいでロンドニアにはさほど関係の無い事だが、中央部では圧 倒的な皇国とそれに抗するように多くの王国が参加する王国連合が存在し、常に緊張状態 にあるというのが専らの情勢であった。  そして皇国にはその各々独立した十二の軍団がある。  空帝軍団。  攻速軍団。  神記軍団。  死鋼軍団。  悪壊軍団。  瞬閃軍団。  賢聖軍団。  怒轟軍団。  超獣軍団。  裂攻軍団。  闇哭軍団。  刀魂軍団。  その中の四、死鋼軍団は2256年時点で最大動員兵数約一千である。無論外に出るもので はないが、皇国の軍務契約書の一つにはそう記されている。正確には判らずとも、周囲も マベリアの言のように大よそには知っているだろう。  それは『騎士』を主力とする各地の人間王国軍であればそうおかしな数ではない。その 制度上、一国の出せる兵力などたかが知れている。数百人規模程度の戦争もままある事だ し、一千人とは結構な数ではないか。むしろウィーザーが雑多な歩兵のみとはいえすぐさ ま四百も用意出来た事が特異なのである。  だが死鋼軍団は動員兵数だけならば圧倒的である皇国の主力十二軍だ。それらは特に正 面からあたる攻速・悪壊・怒轟・超獣・裂攻・刀魂あたりになると一万近いかそれを越え る。  少ない。死鋼軍団はどう考えても一個の軍団と呼ぶには少なすぎる。  そんな軍団を率いながらブラックバーン=アームという男は十二の軍団長の中で最も俸 給が高い。飛び抜けて高い。  その軍団は別に飛び抜けて強くも、重要でもないが、だがブラックバーンが法外な金を 受け取っていても他の将軍の誰もが文句を言わない。  何故なら第四軍にかかる費用はほぼブラックバーン=アームの給のみだからである。  死鋼軍団に兵はない。  生きた、兵は。             before "ZERO" take-07                 鋼の覆い            How the West Was Won - PartI  最初に気付いたのはティーダ=ロウギュストだった。ウィーザーにフラティン城の留守 を頼まれた男である。  彼はウスタという移動型民族の一人ある。アウスタン……東からやってきた人々という 意味だ。と言っても極東ではない。現在、東国と破天帝国が向かい合っている東方大平原 のあたりから来たのである。  元々彼らは大平原の周辺を駆け回っていた遊牧民族だったのだが、何百年いや四桁にか かるようなスパンで破天帝国が徐々にその領地を拡大するに及び、西へと押し出されてし まった。  特異なのは、彼らが中央や西部大陸の定住社会に全く同化しなかった事だ。  彼等は遊牧民族であった時となんら変わらなかった。無論もう牧畜は不可能だから旅芸 人のような事をするのが多い。音楽は特に盛んで、彼らから各地へもたらされた新しい楽 器も数多い。また占い――特に星を見る事に長け、薬剤にも精通している。これらは全て その移動生活ゆえである。そんな彼らだが、いやだからこそ胡散臭い目で見られる事が多 い。行事の際に彼らが居れば演奏を頼んだりはしても、やはり基本的に地元住民は彼らを 蔑視した。  生活のカタチが違いすぎるのだ。価値観も。  そういう意味ではこのティーダという男は特殊な人物なのかもしれない。まあウスタの 集団に脛に傷持つ者が出たり入ったりする事も良くあるので、珍妙というほどではないの だが。  とにかく、ここは防衛用の城砦で周りは傭兵や荒くれ者が多いお陰かそれほどでもない にしろ、やはり彼は浮いた存在だった。彼個人がやたら寡黙で何を考えているのか判らな いというのも大きいだろう。故に、数日前一人の城兵が語ったように将軍たちにスカウト されてここに居るらしいというぐらいの事しか周囲は知らなかった。  そんなわけだから、彼が声を上げても、聞いた人間は誰の声か一瞬分からなかった。 「キルツ!」  普段の寡黙さとは逆に、その声は城中に響いた。  駐屯兵の殆ど全員がキョロキョロと周囲を見渡す。  一番驚いたのは呼ばれた本人である。 (……あ?)  呼ばれたキルツはその時見張り台の上に居た。混乱しているうちに下から誰かが上がっ てくる音がして、彼は梯子を見下ろした。 「……隊長?」 「何か見えないか」  上がってきたティーダはただそれだけ言うと、自分で周囲を見回し始める。 「……いや、特には」  それを横目で見るキルツは、ぼうっとしているのもバツが悪いのでティーダと同じよう に周囲へ目を凝らした。とはいえ、いきなり来たティーダが気になって言うほど真面目に 見れてはいなかったが。  キルツとしてはティーダと特に親しいというつもりはない。むしろ直接名乗った事があ るのかすら疑わしかった。それはこの城砦に居る人間全てに言える事だ。 「悪いがステイスとローウにすぐ門を完全に閉めろと伝えてきてくれ。見張りは上がって 構わない」  辺りを見ながらボソボソとティーダが続けた。  曖昧に頷いて、キルツは見張り台を降りる。 (と、言われても、何でステイスとローウ……って)  とりあえず門の前に来て、キルツは目を見開いた。門の前に立っているのはティーダが 言ったステイスとローウだったからである。  キルツは他人の当番など覚えていない。 「…………………」 「……お?どうしたー?」  しばらく立ち尽くす。そのうち、背の低い丸顔の男がキルツに気付いて声を上げた。そ れでキルツはふと我に返る。 「ローウ。隊長が門を閉めろと言ってる。すぐにだと」 「はぁ?アイツが?なんで?」  ローウは怪訝そうな表情をした。そこにはちょっとした侮蔑も見える。キルツはそうで もなかったが、彼をあまり好まない者も居るのだ。 「俺が知るかよ……とりあえず上がっていいって」 「ふーん。まあもう陽が落ちるし、そうだな。おいステイス。閉めようぜ」 「あーーーい」  開閉の仕掛けを弄り始めた二人に背を向けてキルツが見張り台に戻ろうとした時、甲高 い音が響いた。 「――!?」  鐘の音である。見張り台についている釣鐘だ。  音は長く一度、短く二度。  それの意味するところは――――敵襲。  キルツは素早く反転し、ローウが引こうとしていた巨大なレバーを蹴り、壁を蹴って、 城壁内側の二階へ手をかけた。  背後でローウが文句を垂れる声がしたが気にもしない。駆け上がり、首を伸ばして外を 見る。  キルツの視線の先で地面が動いていた。 「バカな……」  無論、地面が動いていると驚いたわけではない。キルツの眼はその正体を見ている。  骨である。  いつか死んだその残骸が泥や草をまとって歩いていた。中には鎧や兜をつけたままのも のもある。  数はざっと見ても五十では済まないだろう。 「一体……」  とはいえ、モンスターの襲撃というのは恒常的に存在する出来事だ。そう考えるとキル ツの驚きようは行きすぎという感がないでもないではないか。  だが骸骨たちは真っ直ぐ並んでいた。  無念の魂が悶え暴れる事はあっても、それがこの数で、統制された行動をとるなどと言 う事はありえないのである。  明らかにそれは一つの部隊であった。そこには知能による明確な制御操作がある事を示 している。 (ネクロマンサーだ………………居る)  魂と肉を操る屍霊術師。彼らの介入は明白だった。敵意を以ってこの城砦は攻撃を受け んとしている。今まさに。 (…………に、して、も)  滑車の廻る音を聞きながら、キルツは眼を細めた。 「ヤバい、内側のやつを落とせ!」 「え、え、ま、待てって!」  吼えぬ骸は静かだったが、その動きは怒濤であった。速い。速すぎる。金属や骨のぶつ かる音の混じった疾走音がキルツの耳に届いた。  キルツは後ろへひらりと飛んだ。壁の上から見るまでもない、地面に着地し前向けば、 もうそこに迫ってくる塊がある。  その前で、格子状の金属扉が落ちた。  真っ直ぐ突撃してきた骸骨たちはおしくら饅頭をしながらそのまま扉でぶつかって来る。 「ひいっ」  流石に大型の魔獣でもあるまいし、扉は破れなかったが。跳び散った泥にステイスが小 さく叫んだ。 「……外側も閉めろよローウ」 「わ、わかってる……!」  キルツに言われて、ローウはレバーを引いてから大きいハンドルを緩めた。横目で金属 の扉を何度も揺らす骸骨たちを見るその顔はやや青い。  ドスンと音がして外側の木と鉄で出来た頑丈な扉が閉まる。前にしか進まない骸骨達は 二つの扉に挟まれ身動きがとれなくなった。城砦のどこにでもある仕掛けである。正門か ら入ってこようとする敵を閉じ込めてしまう。 「さて……」  扉の間に入ったのは十数体がいいところなので、恐らく残りは外にあぶれている筈であ る。カタカタ身を揺らす骸骨を見ながらキルツは眼を細める。 「つ、つーかさー反則だよな。なんで骸骨のくせにこんな速いんだよ。めちゃくちゃダッ シュしてたぜコイツら」 「全くぁらヴぇっ」  その瞬間、キルツは愚痴っぽく零すステイスを背に身を翻したところだった。鐘がなっ たのだから皆こちらに来るだろうし、ティーダの指示も仰がねばならなかったからだ。  だが後ろでローウの返事が、肉の音に潰れた。 「――は」  ステイスの驚きは声にならなかった。その眼前でローウは顔面から股まで縦に赤い一線 を刻み込んでいる。  ローウの前には、錆びてボロボロの剣を手にした骸骨が。  ぼとぼとかちゃかちゃと三つほど何かが地面を叩いた。  振り返るキルツの視界には、立ち上がる骸が数にして四。 「なぁ……っ」  すぐさま殴りかかってきた屍の拳をキルツは横に躱す。その視界の隅に突き飛ばされて いるステイスが映った。  そして上から落ちてきた何かが地面を叩くところが。 「う、え、だ、と、ぉおおおッ!?」  ローウを斬った剣持ちの骸骨が斬りかかってるその腕を払いながら、キルツは叫んだ。  声の向こうで五体目の骸が立ち上がる。  上から落ちてきたその骸が。 (バカ、な――)  『剣持ち』の脇をすり抜けて、力を失ってぐらりと揺れて倒れていくローウへとキルツ は寄った。その腰から剣をすばやく抜き取ると振り向きざまに『剣持ち』の追撃を受け止 める。 「うわ、うわ、やめろよ、うわぁぁぁああああ」  叫ぶステイスは転んだところを数体の骸に群がられていたが、キルツは一瞥だけして無 視した。横から迫ってきた屍の頭を殴り飛ばすと、『剣持ち』に向かって踏み込む。  屍から振り下ろされた剣はさほどの力が篭っていなかった。キルツは自らの剣先側に左 の掌をあて、斜めの角度で上からの剣を受け流すと、そのまま左手を離して剣を振りぬい た。『剣持ち』の首が飛ぶ。  その横を抜けて、キルツは振り向く。後ろをとった形。切り替えした剣を両手で掴むと、 『剣持ち』の腰目掛けて思いきり横に薙いだ。  腰の上で真っ二つだ。  キルツがその下側を蹴り飛ばすと、骸は地べたでじたばたと暴れるだけになった。流石 に身体がバラバラになれば立てないだろう。 (にしても、まさか――)  この屍や骸骨が何者か――つまりネクロマンサー的な存在によって統制されているとキ ルツは見た。見たが、まさか城壁までよじ登ってくるとは思わないではないか。 (流石に跳んできたわけじゃないか……なら全部来る筈だし。骸自体が梯子代わりにでも なっているのか)  人間ではそう上手く出来るものではあるまいが、パーツとして操られているだけの骸な らば無理でもないだろう。  相手は人間だっただろうが人間ではないのだから。  考える間もキルツは『剣持ち』の持っていたボロボロの剣を拾い、襲いかかってくる骸 の腕の骨を断っていた。コイツらはあまり骨太ではないらしい。また、走る速度は普通に 大人並とはいえ、さすがに格闘戦の動きまで人間並ではなかった。  とはいえ今キルツが『剣持ち』を止めるために背骨から破壊したように、腕程度斬り落 としたところで骸が止まってくれる様子はない。目の前の敵を蹴っ飛ばしながらキルツは 横を見た。 「げ……っ」  見ればステイスが立ち上がっている。  半分ほどなくなった顔面のままで。 (おい、おいおいおいおい、今も術対象を増やしてるっていうのか!)  吸血鬼だかではあるまいし、殺してそいつまでゾンビだのになる理屈はない。となれば、 どこかに居るであろう統制者が今生まれた死体まで制御下に置いたという事。 (一体何人術師が居るってんだ……)  キルツはローウを横目で見る。無論、立ち上がっているそれをである。  二人を加えて七人ほど。  鈍いと共に、また一体。 「くそっ」  そして、キルツは身を翻して走り出した。動きが良くないとはいえ斬ろうが殴ろうがろ くにダメージとしない相手に八対一など冗談にもならない。  門前のひらけた場所を離れ中へと走っていく。フラティン城はかなり大きな城だから広 い。少し走ったところでやっと中庭や倉庫へ行く左道と見張り台がある前方との分帰地点 についた。  そこでキルツはぐるりと視線を廻し……ふと立ち止まった。  後ろを振り返って追いかけてくる骸を見ながら、見張り台のある方へと数歩歩いていく。  それをキルツは真っ直ぐ見ている。  それに骸は真っ直ぐ迫る。  キルツと骸。彼我の距離は数歩分となったところで骸たちは跳びかかった。キルツが叫 び声を上げる。 「撃てぇっ!」  そして骸たちは、その身を横合いから雨に打たれた。  矢の、雨にだ。  跳び散る骨の中、キルツは倒れ込むように後ろに跳び退った。 「すまん」  そして、キルツに上から声が降った。黒い髪をバンダナでとめ束ねた男はティーダ=ロ ウギュストである。 「ストックを引っ張り出すのに時間がかかった」  倒れこんだキルツが見やると矢を受けた骸たちが悲鳴のように音を立てて溶けて行く。 「……敬虔で良かったな」  魔物にしろこのような魔の力で動くものにしろ、聖水には弱い。無論それは敬虔さ故に 効果を発揮するわけではなく、単に魔法的な効果によるものではある。だが、この手の簡 易な聖水はこめられた力がそのうち散ってしまう。だから何かあったときの為に聖水を用 意していたのはいいが、ちゃんと定期的に新しくしなかった為に使う段になって役に立た なかったなどという事も少なくない。  フラティン城は規模の事もあってちゃんとした礼拝堂が備え付けられており、お付の神 父もちゃんと居る。これ以上に敬虔な事はないではないか。 「城門の方も聖水を持たせて寄越した」  ティーダの言葉を聞きながら、キルツは立ち上がって周囲を見回した。  大体今ここに駐留している兵は三十人である。ここに居るのが自分をあわせて八人、城 門に半分ほど行って、五人ほどが走り回って雑用を片付けているのだろう。死んだ二人を 合わせて全部だ。 「うえ……これローウかよ…………」  誰かが零した言葉を聞いて、キルツはふと我に返る。 「あ、そうだ。隊長……」  キルツが振り向くと、ティーダはその場に膝をついて矢を番えていた。  他の城兵はボウガンだが、彼が使うのは弓だ。元遊牧民族であり狩猟にも長ける彼らし いだろう。弩と違って弓は長く用いていなければ使いこなせるものではないし、その上彼 の弓はやたらと大きく引くのも大変そうな代物だったが。  そうは言えど破壊力の効率はボウガンが上だ。弓の長所は練達してこそ発揮される。  鏃を聖水に塗らしたとおぼしき矢で、見る間に三射。  狙い撃ちだというのに、わずか三十秒少しの出来事だった。  キルツはそれを目で追ったが、暗くて良く判らない。ただ城門の方へ飛んでいったなと いう、どうしようもなく明白な事のみしか。 「片付いたのか?」 「……少し危なかったので援護した。で、何だ?」  夜の闇の向こうを目で射抜いたままにティーダは立ち上がった。  視線を戻したキルツが口を開く。 「いや、どうも状況が並じゃない。アンタも気付いたかもしれないが殺された端から死兵 化してやがる」 「動きもやたらいい……屍霊術を使う者が居るとして結構な数が居るのでは……そういう 事か?」 「ああ」  二人は――しごく落ち着いていた。  周りの城兵達はアンデッドの呪縛から逃れ本当の骸に返ったローウやステイスを見て少 なからず動揺している。  その中で、二人の周りだけが空白で……静かだった。  そして静けさの正体は緊張だ。 「うわっグロッ」 「これはひどい……」  対照的に、口々に零す周囲の城兵達はじょじょに安堵を覚えはじめていた。目の前の敵 を倒し、奇襲も防いだと言う事でどこか気持ちが一段落ついたのだ。  ティーダが無言で歩き出そうとする。 「俺が行こう」  それをキルツが止めた。見張り台へと小走りで走っていく。  彼が見張り台を昇り終えた頃には、城壁の上に並んでいる灯と火種兼用の焚き火の器に 次々と火がつけられていた。  そして、それと共に城壁上の兵士から悲鳴があがりはじめる。 「…………クソが……」  目を見開き思わず零すキルツに、ティーダの声が飛ぶ。 「キルツ!」 「クソったれ!ああ、やべえ、やべえぜこれは……!完全に囲まれてる!」  にわかに地面に立つ兵たちがざわつきはじめる。  それを下に見ながら、キルツはぐるり城外を見渡した。 「百・二百じゃ済まねぇぞ……なんだこれは、なんだこれはッ!」  その言の通り、城外には蠢くものがずらり並んでいた。一部は城壁上の灯を受けてその 顔を晒している。崩れるものも無い、骨の顔を。 「全部アンデッドだ、全部だッ!一体どうなってんだッ!?どれだけ術者が居やがるって んだッ!いつのまにこんな数を……これは」  襲撃から予想を立てつつあるキルツもティーダも、魔に属するドルイドのような存在が 現れて城を襲ったとしか思っていない。フラティン城はまさにそういう、魔物の侵攻を抑 えるべくして名将ウィーザーを配するのだから。  だからその男は暗闇に居た。  その魔力容積に太刀打ち出来る『人間』は規格外のガトー=フラシュルのみ、上級の魔 族ですら比肩しうるのは一部という超キャパシティのネクロマンサー。  ただ一人の生きた兵。ブラックバーン・ザ・デスメタルは呟く。  暗黒の闇の中で。  輝く双子の月の下で。 「……凱歌を歌え。あとはただ、戴冠のみを待つ……ダークトライアンフ」  惚けるキルツはその変化に目を細めた。  何か、何かが屍達の間を流れている……気がする。  そしてその力の流動はやがて固着していくように屍を包む。それは土や草といった物質 と、そして空気中のマナと混ざり合い、魔力による不自然な物質を作り上げていく。  それは鋼ではないが、鋼に近い何かだ。  キルツの眼の前で骸骨だったものは骸骨の騎士となる。 「マジかよ……」  一斉に死騎士が剣を掲げた。  死鋼軍団の展開が今ここに完了したのである。    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  攻城戦。  それは現在のような制度の下ならば、陸上における交戦形態の片翼を担うものであると 言っていい。もう片翼は小規模な野戦……ようはただの小競り合いである。  さて城なり防衛機構を備えた都市なりが守りに入った場合、それを陥とすのはそう簡単 な事ではない。高い壁を基本とし数々の防御機構に道具が揃えられており、魔法による遠 距離攻撃に対しても、それ用に魔法結界なりが敷いてあるわけだ。それを前に苦心して進 もうという所に防御兵達が石だ矢だ火だ湯だ油だ糞尿だと来るのだから当然だろう。  だがブラックバーンは知っている。この城に残る戦力が少なく、かつ周囲の援軍がすぐ には来れない事を。何故なら皇国がそうなるように策動したのだから。  守るティーダらは知らない。一体何が攻めてきているのかすら。何故なら常識的に考え てこんなクリティカルなタイミングで他国が攻めてこれるわけがないのだから。  大体兵が全てアンデッドの時点で魔族が来たと思うのが人間のサガというものだ。  まさかと思った傭兵も居ただろう。しかしそれはありえないという前提と恐慌の中に流 れて消える。  そうする間に462体VS28人の、小競り合いにして攻城戦が始まった。  死騎士は全方位から同時に突撃してくる。  それらは同胞の身を台に、次々と城壁をよじ登る。包囲封鎖も開城交渉もなければ攻城 兵器……いや梯子一つない。ひたすらの強攻突撃。  だが人の居ない此処ではあちこちからのそれを追い払う事すら一苦労である。聖水を手 に城壁上を走り回っていた兵がいたのが幸いだったが、それも十数人だ。しかもしっかり したそこそこの規模な城であるのが災いした。全周囲をカバーできない。  おまけにフラティン城は分類するなら山城であったため堀がないのだ。その地形を利用 して相手が接近しきる前に出来るだけ妨害してしまうのが基本である。日が落ちてから突 然間近で沸いて出られてはどうしようもない。  臨時の守備隊長であるティーダはと言うと、いくらかを連れて手近の防御塔の上に出て いた。中央の天守塔まで行っている暇はない。その場ですぐさま周囲へと射撃を始める。 「デッシュ!矢!」 「あいあいあいあい今持ってきやしたぁぁぁあ」  ティーダが呼んだ男はエプロンをしていた。この城で平時の台所を預かっていた男であ る。この城にもそういう人間が何人かは居た。彼らとて自分の武装を持っていないだけで 一人の成人だから道具を運ぶなりボウガンを巻くなりは出来る。  たとえば先に述べたような神父などもそうである。まあ神父はそれなりの力を持ってい るから、既に前へと出されていた。  相手はアンデッド。ならばこれほど頼りになる存在もない。  城にお付の神父を置くのは生活的な事もあるがそのように実利もあるのだった。  当の神父は魔力伝導の高い銀製の燭台を振りまわし、魔力を発散する事でアンデッド達 を突き落としている真っ最中だ。  後ろに避難した城兵が叫ぶ。 「う、うおお、無能神父バリアぁぁぁあ」 「君も戦わんかぁ!」  髭も剃っていない中年神父が後ろをガシガシ蹴った。  緊急時だというのに不謹慎にもふざけている、というのではない。いやふざけてはいる ようだが、結局彼らのような人間はいつ死ぬんだか判らない人生だから、それは仕事中に 軽口を叩くのとそう変わらないのだ。死ぬ時は死ぬ。高貴な人だろうと変わらぬのだから、 雇われ兵だのにとっては死など近すぎる。  そんなものは海岸線のジェラード・グミより気安く近づいてくるのだ。  例えば、そう、今神父の向いていない方から死騎士がよじ登ってきたように。そして城 兵はそれに気付いていなかったりするように。  死騎士は声など出さない。だから戦吼もなく剣が振り下ろされる。  それをボロボロのブロードソードが受けた。 「――うえ!?」  響いた金属音に兵が振りかえる。  彼の眼に映ったのは、いつのまにか現れた仲間が死騎士を蹴り落としたところだった。 「あ、キル、ツ」 「神父ぐらい守れよ」  言うが速いか神父の横をすり抜けてキルツは城壁の向こうへと走っていく。丁度登って 来た死騎士を斬り落としつつも駆け続ける。 「流石だなキルツ君は」  見送る神父がそう言うほどには、キルツは強かった。  二剣のまま死騎士が三体も登って来ているところへ突っ込んでいく。  一番手近の騎士へボロボロの剣を投げつける。それは振り上げる手に直撃し、死騎士は 剣を飛ばされてしまう。痛みがないからそのまま振り抜くものの、剣がないのでキルツに 当たるものがない。  スカった死騎士を踏み台に駆け上がり、キルツは空中で死騎士の剣を掴みとる。  そのまま落下しての超大振り。後ろにいた別の死騎士を一刀両断。 「――ッ!」  だがそれでは止まらない。  両の剣を頭の上で交差させる。上段から振ってきた斬撃がそれで止まった。 「ぐ……」  キルツは三体目を見上げると、左右を跳ね上げて相手の剣を押し戻した。よろめいた死 騎士の剣持つ右手めがけ、柄頭で左右から殴りつける。両側から挟まれて右手の骨はバラ バラに砕けた。  そうして起き上がりざまに二剣を鎧の継ぎ目へ押し込むと、剣ごと城壁外へ突き落とす。 「っは………」  たった今顔を出した四体目の死騎士を蹴っ飛ばしながら、先ほど三体目が落とした剣を 取る。  今しがた踏み台にした死騎士が殴りかかって来るのをひょいと避け、下に薙いで死騎士 の足を止め、そのままタックルで突き飛ばす。 「はぁ……は……」  息吐くキルツが城壁の下を覗くと、梯子がわりにへばりつく死騎士たちが見えた。  しかめた顔を上げる。と、持つ剣が煙を吐いているのにキルツは気付く。  魔法によって死騎士を強化するために魔力で出来た剣。ゆえにキルツが奪い死騎士を離 れたので形を崩しはじめているのだ。  剣と死騎士の梯子を交互に見て、キルツは下へ剣を投げた。  結構な勢いで剣に殴られた死騎士がバランスを崩して落ちていく。当然下のも巻き添え だ。しばらくの時間稼ぎにはなっただろう。 「はっ……ははは、はは…………!」  それを見下ろしながらキルツは笑っていた。  いつも睨むように鋭い瞳が、爛々と輝き笑っていた。  この男はようは、戦闘バカなのだ。  神父や周りが強いと知る程に、キルツは暇があれば剣を振っているタイプだった。  普通の傭兵や、ここに居るような私兵・駐留兵は生き抜く為に武器を振るうし、生き抜 く為の訓練はする。  戦争なら終わるまで生き延びる事が大事だ。魔物が襲ってきたら殺されぬよう迎撃し相 手が諦めてくれるのがいい。  大体下っ端の人間は剣術だのなんだのとか学ぶ余裕がない。剣や他の武器の教本などは あるが、そういうのは上の人間のものだ。  だがたまにそうでない者がいる。  それは元からそうだったのか、それとも戦場で生き抜くうちに自然とそうなったのかは 知らないが、より倒す為に、より殺す為に、より強く、より速く。  小競り合いや魔物という害獣との戦いに終始するこの時代。戦う者と武装した兵とは必 ずしもイコールではない。  キルツは前者だ。  聖騎士だの剣聖だのと言った存在。または戦場でもって猛々しい二ツ名やあだ名で呼ば れるような存在。勝つ為に戦う存在。  それは例えばディーンのようにただ戦場が生活の場である者とは違う。  だからキルツは、そいつらは、『兵』ではなく『戦士』なのだ。 「ははは、はははははっ」  無手のままキルツは次の敵へと城壁を迅った。  幸い死騎士たちは剣ぐらいは使えるようだが弓を射るまではしなかったので、現状はた だの突き落としあいになっていた。向こうは聖水でも浴びれば一発で無力化するのだから 分は悪くない。恐らく新しい死者はまだ出ていないだろう  何より死騎士は死にづらい代わりに人間に比べると動きがぎこちなくて弱い。  キルツは向かってくる見え見えの斬撃を躱し、腕を極めると即折った。  戦う上で、フレームが人間であるというのも城兵側からして一つ助かる要素だ。人体を 相手どるなら普段からの感覚でそれなりに戦う事が出来る。ひるんだり負傷で動きが落ち たりしないというのを忘れると大変な事になるが。  完全に本体から外れてしまえばその部分は動かない。キルツは死騎士にのしかかりなが ら手から剣をむしりとると、死騎士の首元から鎧の向こうへと斜めに剣を突き立てた。  逆側の手が破壊されているので簡単には抜けないだろう。  立ち上がるキルツは近くの仲間へと声をかける。 「コイツだ。今のウチに聖水を」  慌てて聖水を取り出す仲間を背に、キルツは立ち止まって外を見た。城壁の上の灯もそ う遠くは照らしてくれない。あとは闇が広がるのみだ。 (…………クソっ、術者が一人も見えんな……)  そうしていると闇を睨むキルツの後ろで仲間が声を上げる。 「おう、すげェぜあっち。ほら見ろ、燃えてやがるぜうはははは」  言われてキルツは視線を戻す。その先では火のついた死騎士が梯子を崩してぼとぼと落 ちていくところだった。  油でもぶっかけて火種を投げつけたのだろう。聖水程ではないが火もアンデッド類には 効果的だ。火葬されては再生もかなわない。  周囲より明るいそれを見ながら、キルツはおや、と目を細めた。 「………おい」  だがその視線は、その疑問は、もう既に火達磨になってのたうちまわっている死騎士に 向けられてはいない。  その周り、別の場所にいる死騎士をキルツは指した。 「……撤退してないか」  言われて、バンバン手を叩いて笑っていたソイツが笑いを止めた。  いつの間にか梯子を作っている死騎士はいない。 「これは……」 「や、やったんじゃね?じゃね?」  身を乗り出した仲間を見ながら、キルツは憂鬱そうに零す。 「バカ言うなよ……やっと本番が来ちまったんだぜ……」  向こう、一つの防御塔の上では、同じようにティーダが顔を歪めていた。    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  どれぐらいたったのだろうか。そろそろ日ぐらいは変わったのではないだろうか。いや 変わっていて欲しい。  城内の者は皆そう思っていた。  城壁の上から外を見る兵達。だが暗黒はずっと暗黒のままだ。何一つ変わらない。  だが見張りは怠れない。  とはいえ、あの死騎士たちが夜を何ともせず……いやむしろ夜にこそ力を発揮してくる だろうとなれば、この広いフラティン城を守るには休む余裕などなかった。隊長のティー ダすら見張りに参加しているのである。  問題は一度死騎士を撃退したという安堵が疲れとなって押し寄せ、睡魔の強力な味方と なっている事だ。  これがキルツの言う本番であった。  籠城である。  あの数の死騎士を、ほぼ被害なしで追い返した事は間違いなく文句なしの大勝だ。先ほ どの戦闘で死騎士の数はかなり減ったのではないだろうか。  だが彼らは夜だろうとお構いなしな上に、消滅によって数を減らせど疲労などない。残 存した兵力はそのまま完全に次へ持ち越されるのだ。防御側としてはたまったものではな かった。  むしろあのまま強攻を続けてくれればどんどん敵を減らす事も出来ただろう。だからこ そキルツにしろティーダにしろ、他のそこそこ聡い人間は気付いた。  これは拙い。  疲れ知らずのアンデッド兵に夜通し断続的に攻められては、ごく少数のこちらは食料だ 水だと言う前に疲労で崩壊してしまう。 「……ジリ貧だな。ジリってどころじゃない早さになりそうだが」  城外を見ながらそう言ったのはキルツだった。  横に居るティーダが振りかえりもせず口を開く。 「ああ……拙いかもしれない」 「王都には?」 「緊急の連絡は入れたが。あの手の魔符は一方通行だからな……」 「この際城主が負けててもいいから勝負ついてる事を祈りたいな。それなら援軍だって来 るかもしれない」  凶嵐らの乱入の影響もありもう既に王都が奪還されているという事実を、この城に居る 者らはまだ知らない。  そしてフラティン城から王都への連絡はともかく、昼の間に来ていた王都からの連絡を ブラックバーンの網が捻り潰していたと言う事も知らない。  そして、知らない。  包囲し、封鎖し、断続的に攻め、弱らせ、降伏を迫る……そんな気が相手にはないとい う事を、キルツもティーダも他の城兵達も知らない。  たった今までは。  そして、一番最初にその振動に気付いたのはやはりティーダだった。 「何か来る……?」 「……は?何かって…………」  遠くを見渡すキルツも、そのうちに気付いた。 「地鳴り……?」  下から響くようなそれは、地震ともまた違った。まあそもそもロンドニアの人間は地震 などあまり経験がないのだが。 「お、おい、おいなんだなんだこれ」 「う、うわああああ、た、助けて!神様(ヴァーミリオン)でもトランギドールでもいいか らさあぁぁぁ!」  皆うろたえて口々に叫ぶ。  口に登る名は事象龍の名だ。ようはそれぞれ何かを司る多神教の神だが、うち創造神の 面を持つヴァーミリオンは現在一神教的絶対神として広まっている。トランギドールは正 義という属性故にこと戦人に人気がある。  確かにヴァーミリオンの火があれば暗闇を照らしてくれるし、そもそもその火なら全て を薙ぎ払ってくれるに違いない。トランギドールの雷とて同じ事だ。  だが現れたのは創造と終焉を包む朱の事象龍でも、正義を放つ黄金の事象龍でもない。  しかしそれは竜ではあった。 「な…………」  地響きを大きくしながら、城からも見えるところまで来たそれは確かにドラゴンだった。  砂海にはライノサラスが居て、彼らはシャルヴィルトを追いかけた通り竜を食う。  無論、普段主食としているのは別の、ラーヴァクリムゾンと言う火竜の一種である。  このラーヴァクリムゾンというのが大体成人男性四人分から五人分の体長を持っていて、 普段なら翼で飛び、火を吐く。  普段なら。  翼を含めてその全身が腐り落ち、その身に鎧を纏っていたりしなければ、だ。  今フラティン城の眼の前に現れた『それ』のようになっていなければ、だ。  それは、およそ千を操る屍霊術師が五百足らずしか使わなかった理由だ。無論城の者達 の知る所ではない。  闇の奥でブラックバーンは呟く。 「砂漠が近いから…………食い残しが簡単に手に入る……」  黒く光る鋼を抉れ落ちた肉の変わりに纏ったそれが、目玉のない顔で城へ向いた。  その竜はもう咆哮する事はない。  だからか誰かが代わりに叫んだ。 「ど、ドラゴンゾンビィィィィィィイイイッ!?」  城の者は相手が皇国将軍ブラックバーン=アームだとは知らない。  だが今一つ知った。  この敵は、戦いを長引かせる気など微塵も、ない。                                    後編へ続く