『完全な真空』  それはこの世の果てに立っていた。  空も地も海もないそこ。  真白なそこで、真白な青年は立っていた。 「事象の龍は彼方へ消えた。永久の停滞も、永遠の円環もない。反逆のシステムは一度は 捨てられ、拾い上げた皇七郎とか言う学者もまた果てた。そして勇者というシステムも消 えて勇者は真に人間の勇者になった……」  瞼を閉じ、呟く。それは風に千切れて飛んでいく。 「破天帝国残れども兵の多くと、そしてイツォルの身体を失い、もはやそこにあるのはた だ少し大きいだけの魔物の帝国……」  そう続ける青年はまるで歌っている。 「人類王も死に、世界にはもう何もない。無意味に巨大すぎる力の流れは、何もない」  そこで青年顔を上げた。 「そうだな。魔同盟とて無いも同然だ。修復を待つイツォルと、我輩と、そしてお前だけ しか居らんしな」  青年のはるか前に現れたのは金の髪の男だった。  彼は疲れたように笑った。 「皮肉なものだ。魔同盟を作った時も三人だったからな。初代世界が掲げ、皇帝が乗り、 我輩の力で作ったこのシステムは」  遠いが、声だけは何故か届いた。  そこに普段の明るさはない。ただただ疲れきったように吐く。  目を伏せたまま青年が答えた。 「そして今は『世界』の代わりに『愚者』が居るわけです、か」  男は頷く事さえしなかった。 「……よく此処が分かりましたね」  何もない地平に二人。  口だけ微笑む青年を男は真っ直ぐ見た。 「隠者の真羅万象(トゥルーススクエア)があるからな」  その言葉は一つの切欠だった。  そして暴露でもある。 「嗚呼……そうでしたね。全部あるんでしたか」  青年は――しかしただ頷くだけだ。  その前には男を中心に廻る奇妙な映像。二十二に別れ、それぞれが別々の紋章化された 図案を持っている。  ただし一つだけは、真っ黒だった。 「ノーナンバー『愚者』以外はな」  言って、男は踏み出す。 「愚神――」  曖昧に笑う。愚者を前にして愚神と発する己に。 「天に在りて、世は全て事もなし……」  更に苦笑を深くして、男は大きく息を吸った。   イミテーション スクエア 「愚 神 礼 賛」  二十一の印章がその身へと沈み、一の漆黒が霞と消える。  それを見て青年はまだ笑む。 「それが魔同盟の結実ですか」 「そうだ!枠を作る事で全ての中から属性として分化させ、割り振られ具現化するそれら の力を我輩が集めなおす」  青年とは対照的に、もはや男は相手を睨み付けていた。 「目標たるものすらその枠に納める事で抑え込み、そして二十一の秘奥にて無のそれを討 つためにですか」 「ああ、そうだ!お前のそれをナッシングスクエアとして引き摺り出し、世が全て事もな く進むがために……な」  最後、消え入りそうな掠れた声で言って、男は両手を上げた。 「離間鎖錠(クローズドスクエア)!黒点侵蝕(グロウリースクエア)!」  声と共に真白な地平が割れる。  圧縮されていく空間。そしてそれは男を中心に漆黒へと染まって行く。  そして闇が出来た。 「閉じ込め、吸い上げる……何か意味が?」 「だだっ広いよりはやりやすいであろうが」  変化にも気を留めず青年はゆっくり十字剣を構えた。 「……まあ貴方の全てを以って来る気ならたとえ僅かでも吸い取る意味はある……が、私 も長引かせる気はありま」  “せん”と言う前に斬撃が虚空を走った。刹那の内に生まれた幾重もの衝撃波。それが 闇の中で男へと突き進む。  それを男は全て避けた。  いや、拡散して放たれた衝撃波の位置に最初から居なくなっていた。 「チッ、占星観測(アドバンススクエア)か!」  言う間も放たれつづける斬撃波。だが男は全てその射線に存在しない。未来を、視てい るように。 「だが貴方本体の動きで――ッ!」  青年の言う通り、男が青年に近づけば近づくほど衝撃波もまた男より近くを過ぎるよう になっていった。 「ぉぉぉぉぉおおおおおおおッ!」  咆哮と共に吹き荒ぶ衝撃波が、そして遂に男を飲み込む。  男は、いや男の姿はそこで霧のように消えた。 (――!)  巻き起こる風の向こうのそれを青年は見逃しはしなかった。 (しまった、月明星稀(ルナティックスクエア)の幻像……)  青年が横へ視線を流せば、別方向から迫る男は直撃地点より大分前まで来ている。 「だが回避出来ま――」 「射程圏内だッ!皇帝ッ!絶対号令(ドミニオンスクエア)ァァァ!」  剣を上げた青年がそこでピタリ止まる。  男は走った。走りながらまた叫ぶ。 「世界(コンプリート)ォッ!完成(スクエア)ッ!」  まだ青年は動かない。 「天(ダム)!上(ネイション)!天(スク)!下(エア)!」  停滞と疾駆。それが六秒続き。 「――いッ!」  そして青年の剣が振り下ろされた。  だがそれは巻き起こると同時に爆ぜる。 「ぐ……ッ!」  自らの衝撃波を喰らいよろめく青年。その間隙に男はまだ叫ぶ。 「極大呪文(アルティメットスクエア)……」  駆けて、叫ぶ。 「三鬼一体(スリーセルフ)、鉄風雷火(コンバット)、正義執行(マーシレス)」  闇の中、男の前に男と同じく駆ける影が浮かぶ。そしてその中から無数鋼の切っ先が、 出でると共に雷を纏った。 「スクエァァァァァァァァァァアアアッッ」  雷速で飛ぶ黒き鋼。  放った男の視界さえ覆う乱打乱打乱打乱打。 「…………………………!!!」  声は声にならない。  ただ青年はそれを斬り討つ。  斬撃が斬撃が斬撃が斬って落とす。  全て落としたその先で。 「暗黒舞踏(デッドマンズスクエア)……!」  魔が溢れた。  死んでいった魔同盟の者達。  剣の魔人、聖杯の魔人、杖の魔人、金貨の魔人。  魔術師。女教皇。女帝。法皇。恋人。戦車。剛毅。隠者。運命輪。正義。刑死者。死神。 節制。塔。星。月。太陽。審判。世界。  全てが溢れ。突き進む。  かつてそうだったように。  それぞれが何か大きな流れに向かって行ったように。  そして青年はそれを迎えた。  それを、全て斬って捨てた。  かつて黄金のガチ=ペドが、いや黄金の勇者全てがそうしてきたように、並み居る眼前 の敵を何もかも統べて全く切り伏せた。  だが男はもはや青年から目と鼻の先まで迫っている。 「こちらとて近くなれば……」  剣の軌跡が十字を描き、巨大な光となって放射された。 「はァッ」 「黄金回転(ゴールデンスクエア)!!」  顎を開いた光撃へ男は手をかざす。  すると光はその掌の前で逆さに帰った。  近距離での反射攻撃。放った当の青年ですら避けられない。 「くぉおおッ!」  青年の視界が途切れた。 「反転制御(コントロールスクエア)ーーーーッ!」  もはや相手の位置分からずとも、声に青年が身を捻る。かすった十字剣の切っ先が“死 んだ”。  晴れた視界の中、男を正面に認めて青年は折れた剣を袈裟に斬り上げた。  両断されるそれは確かに肉の感触がある 「貰っ……」  言いかけて青年は止まった。 (違う、これはっ――)  青年の背後から手伸びる。 「――これはっ、一心同体(トゥギャザースクエア)のドッペルゲンガーっ」 「触れたぞ、楽園幻想(ファンタジースクエア)……ッ!」  振り返りかけていた青年が、その手が触れると共にあらぬ方向を見た。 「ぐ、う、お、女教皇の……精神……っ、支配……っ」  己に触れている男が見えぬのか、青年は虚空を剣で斬る。 「これで…………」  そのうちに男は右腕で青年の背を掴んだ。 「最終審議(ジャッジメントスクエア)ァァァアアア……ッッ!」  掴んだ手から白い炎が渦巻く。それは白い青年を一瞬で包んで燃える。  あらぬ方向へ顔を向ける青年は獣のように唸り身体をひねるが、男はその手を固く固く 握った。 「が、あ、あがっ、ぐうぉおおおぁぁああああッ!」  闇の中で二人煌々と輝く。 「燃えろッ、このまま、魂まで燃えて消えよッ『愚者』ッ!」 「うあぁがあああぁぁぁぁ!!」  男は押し込まんとするほど強く腕を押し付ける。絶対に逃がさぬと。  だが青年は声を失うより早く男の顔を捉えた。 「そこか……!」 「ぐ……っ」  振り下ろされる剣を、男は左腕で受ける。  と、青年の左腕もが血を噴いた。 「人身御供(サクリファイススクエア)……………っっ」 「お、お、ぐ、ああっ!」  炎に巻かれながら青年はひたすら斬った。殴った。斬った。殴った。殴った。斬った。 殴った。殴った。殴った。殴った。殴った。  その度に青年もまた斬られ、殴られ。  そして倒れていない。  勇者の攻撃でなお男は倒れない。 「燃え尽きろぉぉおおおおおおおお」 「こんなものでぇぇぇえええええッッ」  膝で腹を打つ。額で額を打つ。ひるんだ男の指を掴み、千切り、青年はその顔面を拳で 打った。  男は吹っ飛ばされ闇に転がる。  炎は、消えた。 「生乃勝利(オーヴァードスクエア)ですか……」 「我輩では本来のフォースオブウィルほど長持ちせんからな。まあアレだけ死なないで居 れれば上出来、だ、った、が…………な……」  事象魔王に事象魔王の力は効き難い。だとしても、あれだけの時間を以って焼き尽くす 事叶わない。  肩で息をする男。それはただ人間的に見せるフリではないだろう。そんな余裕あるはず が無かった。  それを見る青年が、不意に穏やかに口を開いた。 「ねえ」  男はそのまま見ている。 「人間達とは凄いものだと思いませんか。いや人間だけではないか。意志を持つ者達…… といいいますかね。その集まり。その力は侮れない、その意志の集合として居た筈の事象 存在さえ要らぬと巣立てるのだから……」  魂を燃やす火によって身体に焼きついた罅だらけの顔で、青年は淡々と続ける。 「絶望的な世界の中で、皆……本当に、『皆』よく足掻き、未来を切り拓いてきました。 可能性を掴んできました……」  「ねぇ」ともう一度言って青年は息を吸う。 「貴方もそうでしょう。まがりなりにも『勇者』相手に『魔王』がよくもまあここまで出 来るものだ」  そこまで言って、青年が目を見開く。  どす黒い、闇色の眼を。  全て飲み込む暗黒のクレバスを。  そしてその中に赤く光二つの瞳が男を射抜いた。 「だからこの『愚者』がッ!可能性を統べる者が滅ぼすのですよ!この大戦を生き抜いた その『無限の可能性』こそが!」  怒号の最後は、凍えるほど冷えて闇のように冥かった。 「……彼らの最後の敵だ」  そして『大魔王』フィリア=ペドはその言刃を抜く。 「滅びこそ我が悦び……死にゆく者こそ美しい」   アイン ソフ アウル 「無 限 光 廃」  光が、在った。  何も見えない、極限の光。  いやもしやそれは白いだけの闇だったのか。  その光輝の中に、高貴なる悪魔アドルファスは融けて消えた。  ただ一人立つ青年は顔を上げる。  消し飛んだ空白。世界の果て。  そこから滅亡は今一歩を踏み出した。    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  幕が降りた。  その前へにょきりと桃色の触手が伸びる。 「と、言うわけで第六位『完全な真空』でしたーーっ」  その声と共におーとかわーとかいう喚声が巻き起こり、パチパチと拍手が聞こえる。 「俺様今すっげー目だってなかった?マジほら見てよさっきの全員出て来るところだって ほらリプレイは?リプレイ?え?リプレイだって、ほらちょっとうわああぁぁぁ」  画面にかじりついていた金の鎧が触手でもってひっぺがされる。  というわけでいつものピンク色の触手とピンク色の頭が壇上に上がった。  夜智と那智だ。 「ギャラハーさんっお静かにしてくれないと追い出すよっ」 「っつうか一瞬映っただけじゃんアンタ。数十人の一人で」  ケッと吐き捨て、那智が姉を小突く。 「んじゃほら解説解説」 「えっとねー、大戦の後半も後半だねっ。最初にフィリアさんが言ってたみたいに殆どの 戦いは終わっちゃって大きな思惑も無くなって、それで人と魔が争ったり仲良くしたりす るイーブンな関係……になる為の最後の戦い」 「ラスボスになりそうな人ってのは結構居るけど、そのうちの一つの可能性ってわけね… …最終決戦か。ま、まあ心躍るものがないでもないかもね」  ほんのちょっとだけどね、と付け足す少女。  後ろの方で台詞で済まされた紫眼の男や金髪の怖い顔の男や龍みたいなカッコの娘など がブーイングしているが気にも留めていない。  なお、もう出演した大魔導師は横でニヤニヤ笑っている。 「……うん、にしても」 「にしても?」  うねうねと触手が蠢いてその瞳を隠す。 「……フィリアさんもカッコいいかも」 「またかよ」  はあ、と息一つ吐いて那智は視線を外す。  その先で今まで画面に映っていた金髪の男が手を振っている。 「わ、我輩は!?」 「そういうわけで、このシーンはクライマックスはクライマックスなんだけど人気キャラ の大半が舞台を降りちゃってるものねっ。そういうわけだからこの順位になっちゃったん だよー」 「そういう生々しい設定まで込みで作りこまなくていいから」  瞳だけで笑う夜智。  またも溜息を吐く那智。 「いや我輩は!!?」 「「では続いて第五位!」」