■  第十九話 The Deamonarm AND Anothe slash  ■  ソィル=L=ジェノバのすべてを知る者はいない。  長い付き合いであるカイルですらそうだった。口数が少なく、どこか距離を置いたような彼 のことを詳しくするものは少ない。彼が距離を置いているのではなく、ただの恥ずかしがりや で、子供が好きだと知っている者はごくまれだ。  そして、それ以前の問題として。  ソィルという聖騎士を知るものが、そもそも少なすぎるのだ。  黒い旋風とも違う。  灰の演舞とも違う。  不動なる緑柱とも違う。  二つ名を持たない、聖騎士。その知名度は、誰の記憶にも鮮やかな「裏切られた騎士」カイ ルや、今日もファーライトの空を飛び回るユメとは比べられるはずもない。  仕方がないことではある。  ソィル=L=ジェノバとは、こと鎮圧によって聖騎士と認定された騎士であり。  その作戦において――悪魔つきとなり、聖騎士を剥奪されたのだから。  聖騎士となり、二つ名を授かるよりも早くにファーライトを去った不遇の騎士。  それこそが、ソィルなのだから。  彼には彼の試練がある。彼にしか歩めない、彼のための試練が。ほかの誰に背負ってもらう こともできない、困難なディシプリンが彼を待っている。  けれど、今は違う。  今、彼は。  ただ、友と国のために―――― 「カイル!」  前を疾走するカイルの名を、ソィルは思わずに叫んでいた。速度が早すぎて、駆けるという よりも、地をすべるようにして飛んでいるように見える。逃げようとする民衆がたちまちに後 ろに流れていく。彼らには黒い風が通りすぎていったようにしか見えなかっただろう。  触れれば肌の切れそうな速度。それでも、誰一人に触れることなく駆けていくのは、カイル にこそできる芸当なのだろう。カイルほど速度に主をおいていないソィルは、かろうじてつい ていける程度だった。  彼の戦は、カイルの戦とは多少異なる。特に、悪魔つきとなってからはそれが顕著だった。  それでもなお、必死についていくのは――カイルをとめなければならないという思いがあっ たからだ。 「カイル!」  もう一度、叫んだ。  それでもカイルの足は止まらない。黒き鎧姿が、少しずつ、少しずつ、引き離されていく。 このまま内壁に到達するまで止まらないのだろう。  ――それはだめだ。  ソィルは、だからこそとめるのだ。今、カイルが怒っている。彼が本当に怒っている姿など 、ソィルですらそうそう見たことはない。温厚、というよりどこか平和主義者なところがある 彼は、他人に対して怒りを示すことがない。戦が終われば友人になれるとすら信じているふし があった。  だからこそ、危ういのだ。  怒りは力となる。それも、爆発的な力に。それが有用であることは間違いない。  けれど、普段怒りなれていない人間が怒れば、そこには隙が生まれる。特に、この現状を仕 組んだような人間ならば――その怒りにつけこむくらいのことは平気でするだろう。いや、最 初から怒りを計算に組み込んでいることも考えられる。  ソィルとて、怒りがないわけではないのだ。火の手があがる首都を見て、怒りがわかぬはず もない。けれども、普段いからぬ男が自分以上に怒っている。その事実が、ソィルの思考を冷 静なものに抑えていた。  カイルはとまらない。一直線に、内壁の向こう、王宮目指して、駆けていく。  三度目の呼びかけを、今よりも強く、叫ぼうとした。 「カ――」  イル、という言葉を発するよりも早く。  カイルの姿が、掻き消えた。 「――!?」  忽然と消えたカイルの姿に、言葉の端が驚愕に変わった。まさか自分にも見えないほどに加 速したのか、そう思った瞬間に、正面ではなく真横から音がした。  ――横の壁に穴があき、崩れ、何かが室内に飛び込む音が。  崩壊音にソィルはあわてて足を止めた。勢いがついていたせいで、カイルを見失った場所を 通り過ぎてしまう。  地面に足を踏ん張り、摩擦系力を押さえ込んで停止し振り返る。左手には路地、右手には穴 のあいた壁。  察した。  左手――先ほどまでは右手だった場所――の路地から飛び出てきた何者かが、カイルへと突 進をかけたのだ。  カイルがよけきれないほどの速度で。  怒りによって意識が前にのみ集中していた上に、横からの不意打ちとはいえ、信じられない 出来事だった。只者の行為とは思えない。  あせりとともに、ソィルは開いた穴へと飛び込み、  悪魔が、いた。  その男は、惑うことなき悪魔だった。たとえ人の形をしていても、それを人間だと断定する ものは一人としていなかっただろう。血走った、理性のない瞳。開いた口からは泡が漏れ、右 手にもったグラディウスをカイルへと押し付けている。  きりつけられるのだけは防いだのだろう、カイルは二刀で、そのグラディウスをとどめてい た。速度の入り込まない、純然たる力比べ。  わずかに――カイルが、押されていた。  力ではなく、気配に。  悪魔のような男は。  ダリス=グラディウスは、後ろから入ってきたソィルに意識すら向けずに、咆哮のように叫 ぶ。 「カァァァァアアアイイイイイルゥゥゥゥゥッ!!」  怒りと。  憎しみと。  何よりも――狂気をはらんだ、咆哮だった。 「な……ダリス?」  間近で声をぶつけられてカイルがわずかにひるむ。あるいは、襲ってきた悪魔が、彼にとっ ては顔見知りだったからなのかもしれない。   かつてのファーライト兵士にして。  聖騎士にあこがれ。  賢者龍団にて剣を交えた男。  ダリス=グラディウスは、狂ったようにカイルへと剣をたたきつけた。そのまま抑えていた 方が効果的だっただろうに、そんな理など知らぬとばかりに、幾度となく剣をたたきつける。 斬撃とすらいえない。力任せに、文字通りに「たたきつける」だけの剣。  即座にカイルに切り倒されないのは――その構えも技もないただの暴力が、圧倒的な能力を 備えていたからだ。かつてのダリスからは信じられないほどに、早く、重く。  強い。  そんな攻撃が、剣術の理とは違う、本能のようなめちゃくちゃな軌道で襲ってくるのだ。二 剣をもってすらふせぐのがやっとだった。旗から見れば完全にいなしているように見える。そ れは正解だ。ただし、いなす以上の行為には移れない――  そして、ダリスの狂攻はとまらない。 「この――裏切り者が! 裏切りの騎士が!」  狂ったように叫びながらダリスはグラディウスを振るう手を止めない。叫ぶたびに口から飛 び出す粟唾が、カイルの鎧にかかる。今にもかみかかりそうなほどに、全身で突撃を繰り返す 。カイルの剣にはじかれ、着地と同時に前へととび、体ごときりかかる。一撃のたびに威力が 増していく。  かつて仲間だった相手に――不可解な言葉とともに切りかかられ、カイルは混乱する。それ でも、二剣をたくみにあやつりながら、 「裏切り者だって!? それはあいつだろう!」  あいつ。その言葉に、言外に長い腕のディーンのことを含めてカイルは叫ぶ。とっさに出て きた「あいつ」を、ダリスは理解しようがなかった。知りえなかった以上に――今の彼に、正 常な判断能力などありはしなかった。  獣は、本能のままに戦うだけのモノである。 「お前が! お前が、お前が言うのか!」  彷徨は高鳴り、斬戟は加速していく。上となく下となく。右となく左となく。殴りつけるダ リスの腕こそが折れかねない角度と勢いで、グラディウスがカイルへと迫る。  状況だけいうのならば――カイルの方が不利だった。  カイルの目的が内壁の向こうへとかけつけなけねばならないのに対し、ダリスの目的とは、 裏切り者であるカイルを倒すことなのだから。  目的が異なる時点で、時間をひきねばせばひきのばされるほど、カイルが不利になっていく 。  おそらくは――ダリスはそのことに気づいていないのだろう。今、この都市で何が起こって いるのか、把握すらしていないのだろう。  彼はただ、自分が守るべきだった町が火の海へと沈み――自分が信じていた騎士が、自分た ちの守るべきものだった姫へと剣を向けた。それだけが、彼の中の真実だった。  そう吹き込んだ者が、いるのだから。  それはカイルにもわかっていた。わかっていないのは、当事者であるダリスだけだ。間違い なく、ディーンの手によって――ダリスはカイルへと向かってきているのだ。  彼のすべてを裏切った騎士を倒すために。  それがわかっているからこそ、カイルはうかつに手を出すことができない。ダリスもまた国 を憂うものには他ならないからだ。障害であっても、決して敵ではない。  ――それでも、倒すしかないのか。  今のダリスは、手加減をして倒したり、一方的に置き去りにできる強さではない。二度だけ 見たことがある。ダリス流剣術を使う、勤勉な兵士である彼ではない。彼の中に潜む悪魔に身 をのっとられた、獣のような強さ。  自身が獣になることで――ダリスは、その強さを使っている。今のダリスは、「ダリス=グ ラディウス」とも悪魔ともつかない、中途半端な存在であった。  だからこそ危うく、だからこそ強い。  ――やるしか、  覚悟を決めかね、 「貴様が――貴様が、死ねばよかったんだ!」  そんな。  カイルの内側を深く削る言葉に、動きが止まる。グラディウスを受けるために振るおうとし た剣が、わずかな一瞬だけ、止まる。  その一瞬に、獣の本能が目敏く気づいた。下から振り上げようとしていたグラディウスが、 無理やりに軌道を変えて外に跳ね、すくうように上から戻る。半円を描いて戻るグラディウス は、カイルの二剣と軌道が混じらない。  剣の隙間を縫うような一撃が、 「――『解法せよ』!」  止まった。  外側からカイルめがけて抜き込もうとしたグラディウスが止まった。カイルは何をしていな い。剣を振るうべく動いていたダリスの手。その腕が、悪魔の腕につかまれている。  悪魔のような手、ではない。  悪魔の手、だった。  それ以外に見れるはずもなかった。何せ、その腕は実体がないのだ。二次元的な黒い影が絡 み合って、かろうじて人の腕のような形をしているようにしか見えない。のっぺりと質感がな いくせに、無限に続くような黒い色をしている。  夜よりも暗く、闇よりも深いところにすむ、悪魔の腕。  人のそれよりも長い。平面構成されているバネのように、空白を絡めた腕は常人の四倍以上 の長さを埋めていた。  すなわち。  ソィル=L=ジェノバは、立ち居地を少しと変えることなく――悪魔のそれと代わった腕で 、ダリスの凶行を阻止したのだった。 「ソィル……」  今まさに振り下ろされようとしていたグラディウスではなく、カイルの視線は黒き悪魔の腕 に注がれていた。変わったのは腕だけではない。ソィルの右頬の紋様が、まがまがしく広がっ ている。悪魔の呪いが、全身に侵食してくかのように。黄色と黒の紋様は、それ自体が光を― ―蒼い、命と神経の電気をそのまま外に出したような雷が、腕へ纏わりついていた。  最後に。  彼の右目が変わる。  黄色の眼球と、黒の縦長い瞳に。  悪魔のような、その姿。  鍵となる、いまでは失われた古い言葉とともに、己のうちに憑いた悪魔を「解放」する、ソ ィルの異常なる戦い。  聖騎士を失う原因にして、失って得た力。  悪魔の、力。  けれど――片方だけ残された、人間の左目は、ごまかしようのないほどに理知の光をたたえ ていた。  本能ではなく。 「カイル。使い古された言葉を、言わせてもらう」  理性によって、ソィルは言葉をつむぐ。 「ここは俺に任せて――お前は往け」  返答は、行動だった。  口元にかすかな笑みを浮かべ、カイルは黒き風となって外へと飛び出した。ためらいも返事 もない。ソィル=L=ジェノバへの絶対なる信頼が、カイルの背を突き動かした。その身に怒 りはある。怒りは消えはしない。  けれども怒りに身を任せることなく。  己のなすべきことを。己のなしたいことを。それだけを思い、カイルはかける。振り返らな い。後ろからダリスに攻撃されると考えもしない。  その信頼に、ソィルは答えた。 「カイルゥゥゥァァアア!」  叫びながら無理やりに飛び掛ろうとしたダリスの体を。 「イヤヤヤヤァアアアアアアアアアアアアアッッッッハアアアアアアアアアア!!」  それを超える高笑いとともに、ソィルが弾き飛ばした。  先の再現だった。ダリスに突き飛ばされてカイルの体が壁に穴をあけたように、ソィルの一 撃によってダリスの体が吹き飛び、反対側の壁に穴を開けた。  一本横の道へとダリスが吹き飛び、反対側の壁にぶつかってとまる。それでもダリスは立ち 上がり、去るカイルを追いかけようと顔をあげ、  目の前に、悪魔のようなソィルの姿。  そして――先の笑い声は、ソィルのものではなかった。 『ケケケケケケケケ! なんだよなんだよなんだよおおおおおおおお! てめぇは同類じゃね ええか! あーっはっはっはっは! こんなところでお仲間にあうなんてえええええええええ ! 最っ高にばかげてるぜくそやろう!』  悪魔は。  ソィルの中にいる悪魔は、口半分だけを借りてダリスを嘲った。腕に封じられていた悪魔は 、『解法』されソィルの右半身そのものになっている。呪法によって封じられた悪魔が放たれ 、今、ソィルの肉を借りて世界へと還る。  笑って笑って、笑った上で笑って笑い転げて、笑い上げて笑い下げて、笑いまわって笑い戻 ったあともう一度笑って、飽きなくなるほど笑ってから――  悪魔は、右腕を振った。  五本の爪痕が地面に刻まれる。地をがりがりと削りながら、黒き爪がダリスへと迫る。 『ここがオマエの地獄になるぜ……!』  腕を振いながら、悪魔が言う。  身体の反動を利用しない、腕のみの力での高速斬撃。ファーライトの剣は左手に握られたま まだ。武器がなくとも、爪そのものが、纏う輝きが、十分な殺傷能力を持っている。  それを―― 「ここが、ここがぁぁぁああ! 地獄でなくて! なんだってんだよおおおおおお!」  悲鳴のように叫びながら、ダリスがグラディウスの腹で強引に殴り飛ばした。剣の腹で叩か れ、爪が力の方向がそれる。路地のさらに向こうにあった家に、爪が突き刺さった。 「町が! 国が! こんなことが――あってたまるか! よりにもよって――元聖騎士がやる ことか!」   それを隙と見たのか、あるいは何も考えていなかったのか。  ダリスは前へと飛び、 「……生憎、地獄は満員だ」  すぐ目の前に、ソィルがいた。 「――――!」  ダリスが飛ぶよりも早く、右腕の動きにあわせるようにして前へと跳んだのだ。ダリスがグ ラディウスを振っているその真っ只中に、である。下手をすれば、爪ごと斬られかねない滅茶 苦茶な突撃。  それこそが、ソィルの戦い方だ。  悪魔の腕によって力を得たのではない。悪魔を手に入れてしまうほどに、ぎりぎりの死地に まで躊躇うことなく踏み込んでいく――死と隣り合わせの戦い。カイルよりも、どの聖騎士よ りも死に近い戦。己の命を、安全を確保しない、理性を以って死に挑む戦い。  だからこそ――ソィルは今、ここにいる。 「……ッ」  短い呼吸音。息を吐きながら、ソイルの左腕が閃く。グラディウスを振りかぶったばかりの ダリスに避けられる攻撃ではない。剣の柄が腹部へと吸い込まれ、  ダリスが、背後へと跳んだ。  飛ばされた、ではない。自らの意志で、でもない。ダリスの中にいる何者かが、無理矢理に ――攻撃を食らっていたほうが、まだマシだったくらいに無理矢理に――身体を後ろへと飛ば したのだ。痛みを嫌うのではなく、敵に攻撃されることのみを嫌悪するような無茶苦茶な回避。  受身も取れずにダリスは壁へとぶつかる。その口から、ダリスの嗚咽とともに、 『不様だな。オレにかわれよ』  彼のものではない――ダリスの悪魔の、声が響く。 「オマエも――黙れッ!」  吐き捨て、ダリスは無理矢理に立ち上がる。内から外へと出ようとする悪魔を押さえ込むか のように、左腕で頭を掻き毟る。  その様を見て。 「お前も悪魔憑きか」  ソィルの眉根がわずかに動く。  同時に――剣を、構えた。  名もなきファーライトの剣を、『爪』と交差するようにして構える。  ソィルの表情をを、ダリスは意に介さなかった。深く身を沈め、今にも飛び掛らんばかりの 姿勢となる。  敵を倒したいダリスの悪魔と――こいつを倒さねば、カイルのもとへとたどり着けないとい う、ダリスの利害が一致したのだ。  獣のように構えるダリスに、わずかとも怯むことなく、ソィルは言う。  彼なりの――元聖騎士として、同じ国を愛するものに対する、親愛の言葉を。 「先輩として――お前に、悪魔憑きの戦い方をおしえてやる」       †   †   †  ソィルがダリスと戦い始め、カイルが王宮へとあと僅かに迫ったときと、時を前後して―― そこから少し離れた、ファーライト王都東区画。  北区への道と、南区への道と、王宮へと続く道が交わりあう、比較的大きな広間のような場 所がそこにある。普段ならば露店などが広がっているそこには、人の影は少ない。避難民たち は、すでに外壁近くまで誘導されている。あるいは、逃げ遅れてまだ家や避難所から出れずに いる。  だから――その三人組に注目したものは、ほとんどいなかった。  三人の男がいる。  一人。  黒いローブを今投げ捨て、赤銅色の鎧を晒した龍将軍。  一人。  長い手をだらんと下げた、痩躯の聖騎士。  一人。  兜の下で疲れ切った声をあげた騎士団長。  全員、手は柄にある。 「――――」 「――――」 「――――」  そして――王都ファーライトの三叉路は、最悪の領域と化した。 ■ 第十九話 The Deamonarm AND Anothe slash ... 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