掌編 守り人 始祖の島、という場所がある。 大戦の終結後に突然発見された、始祖と呼ばれる原生生物達が生息する、失われたはずの存在が残る場所。 彼は、数十年ぶりにその島を訪れていた。 豊かに生い茂る緑の間から差す陽光が心地良く、危険性も以前と比べて遥かに低くなっていた。 その変わり様に多少の戸惑いを感じながら、彼は中心へと歩いていく。 一部の者達しか、たどり着くことの出来ない場所。 それはかつてこの島を駆け回り、苦難を共にした者達。 かつての仲間の、その一人が生涯を終えた場所。 そこには先客がいた。 紙よりも白い純白の翼を背に持ったその姿は、一見すれば天使のように見える。 だが、大きく伸びた二本の角と悪魔の尻尾が、それは違うことを示している。 青い鎧を身に付けたその存在は、純白の髪を風に遊ばせながら、何かを待っているようだった。 「レオン……?」 思わず男が呟き、近づこうと一歩を踏み出した時だ、 「おひさしぶりです、エオスさん」 振り向く事もせずに、その存在は男に向けて言葉を紡いだ。 声は高く澄み、その存在が女性であることを示す。 男は、その声に聞き覚えがあった。幾分か大人びているが、面影はある。 「ああ、久しぶりだな。ルビィ」 男は記憶の中から彼女の姿を思い起こし、名前を呼び―応えるように、彼女は振り返った。 赤い瞳が、此方を見つめる。その視線に敵意や警戒の色は無い。 あるのは懐かしい友人に会えた時の温かさと、若干の寂しさだけだ。 「そうか、あいつは逝ったか……」 彼女がエルダーデーモンとしての姿を取り戻したということは、既に彼はこの世界にはいないのだろう。 「一ヶ月ほど前に、満足した表情で旅立っていきました」 「……すまない」 この島で偶然に出会った、似ているようで似ていない男。 大戦の折にはもう一人と組み、共に戦い抜いた戦友。 青の鎧と炎剣を携え、陽炎を纏う白髪赤眼の剣士、陽炎のレオン。 親友とも呼べる男の最後を看取ることができなかった。 「レオンは言ってた『きっと、いつかどこかで回り逢えるだろう。挨拶はその時で良い』って」 「そうだな……。きっと、いつかどこかで回り逢えるだろう」 その場に落ちる僅かな沈黙。 「満足した表情、か……」 意図してかどうかは解からないが、男は独り言のように呟いて沈黙を破っていた。 「うん、とても幸せだった」 彼女がそれに答え、沈黙は完全に消える。 「どうしてそう―いや、そうだったな。あいつの魂を受け入れたんだ、僅かでも記憶や心情を読み取れて当然か」 「ううん、これは私の推測。それに魂を受け入れても、記憶や心情までは知ることはできない。 それは―それは本人だけにしかわからない、特別なものだから」 その言葉を聞き、男がしばし黙り込む。おそらくは頭の中で何を言うべきか考えているのだろう。 数分の間をおいて、男の声はまた現れた。 「そうか……。詳しく聞きてぇな、どんな感じだったよ。お前と二人、この島を守りながら生きていた、あいつは」 彼女もまた、男の言葉に対しての返事を考えるべく合間をおき、やがて喋り出す。 「笑顔が、増えてた―それにね、どこか楽しそうにしてたの。だから、きっと幸せだった。少なくとも、私はそう思う。 外からこの島にしかいない魔物や動植物達を狙って、心無い人達が沢山やって来て、追い払うために剣を振るう事は何度もあった。 殺伐とした雰囲気だってそう。……でもね、それでもレオンは楽しそうで、嬉しそうだったよ。 私の手を引いて、色々な所に連れて行ってくれた。その時の私は、本当に近くのものくらいしか見えなかったけど、でも、ぼんやりとしか見えない風景でも、綺麗だと思った。 そんな場所に、数え切れないほど連れて行ってくれた。明るくて、優しい声を聞かせてくれた。 だからきっと、幸せだったと思う」 一気に言い終えて、彼女は「は、疲れた」と一息ついて、笑う。 ぽつりぽつりと言葉が続けば会話、一体誰がそう決めたのかはわからないが、合間に僅かな沈黙を挟みながらも、二人の会話は続く。 「その鎧は」 唐突に男が呟いた言葉を遮り、彼女が言う。 「そう、レオンの鎧―極寒の青」 彼女が身に付けている青い鎧は、かつてレオンが身につけていた鎧である『極寒の青』だ。 「灼熱の赤も、ここにある」 そう言って彼女が突き出した手の中には、鞘に収まった剣がある。 「刃も、僅かすら欠けてない……秘める焔も、あの時のまま、変わらない」 言葉と同時に抜けば、半ばが赤熱化した赤銅色の刀身が露になる。 剣に触れた大気を、刀身が内包する熱が焼き、僅かな焦げ臭さを漂わせる。 そして、身に纏うのは陽炎。灼熱の赤が敵を切り裂く為に放出する熱気が、持ち主の周囲に陽炎を昇らせる。 「私が、レオンから受け継いだ、もう一つの物」 「待て。……一つ聞きたい」 だが、その質問を男が言う事はなかった。何を聞きたいのか察知した彼女が、男より先に口を開いたからだ。 「視力は……魔力で、正確に言えば遠見の魔術で補ってるの」 だから、と言葉を続け、彼女は言う。 「今は、色々な世界が見える。あの日レオンが見せてくれた綺麗な世界も、今まで見えなかった綺麗じゃない世界も、よく見える。 自分の周囲に何があるのかも、ね」 そこまで言い切ってから、彼女はにっこりと微笑んで見せた。 それだけで男は悟る、彼女は戦友と同じ道を辿るのだ、と。 だからこその極寒の青であり灼熱の赤なのだろう。 彼女が祈りを捧げれば、その鎧と剣は眠っていた彼女の魔力に呼応して本来の力を解き放つ。 その力を、彼女は躊躇う事無く振るうだろう。 この島に在る命を守る為に。 「それを、自分の手で守る―そう、決めたんだな」 彼女はうん、と頷いて、僅かに微笑む。 「この島に残るレオンの生きた証を守りながら―生きていくよ」 「一人でか?」 彼女は首を横に振り、綺麗に笑った。 いつか誰かが言ったこと。 私が死んだら、その体は土に還る。 土の中で腐り落ちて、栄養になって廻っていく。 そうしていつか花が咲くから。 貴方の隣で綺麗に咲くから。 一人じゃない。 男は来た道を引き返していた。 戦友の墓前に立ち、胸中で様々な言葉を紡いで、男の用事は終わった。 けれど、ここにはまた、足を運びに来るだろう。 日常の中にある、他愛もない事を報告しに、土産の一つでも携えて。 「―彼は木々の中に生きている、私の中に生きている、だから一人じゃない―か」 最後に彼女のいった言葉を思い返しながら、男は道を戻る。 途中に白い花を見つけ、口元に笑みをたたえながら。 ―了。