■ 第二十一話 DISCIPLINE  ■  実のところ、外壁を破るのはそう難しくない。戦時中ならば魔道士が総がかりで壁に障壁を 張り、敵の魔法や遠距離攻撃を防ぐ。それは守城戦の基本だが――常時そんなことをしていた らあっという間に国庫がつきてしまう。何よりも普段は城門は開かれているのだから、結界を はったら一般人まで出入りができなくなってしまう。そういった理由から外壁は常日頃はただ の石壁でしかなく、であるからこそクラウド=ヘイズらの奇襲を受けた場合などには、正常な 『城壁』としては活躍しないことになる。先にクラウドが侵入してから攻勢をかけた理由もそ の辺りにある。  それに比べて――広い王都の中央部、王宮を囲む内壁はそもそもからして役割が違う。人的 ではなく、機構として防衛魔術が組み込まれている。唯一の『穴』が城壁であるが、その城壁 すらも普段は閉ざされている上に門番が存在する。王家や貴族がいるそこには、奇襲だろうが 正攻法だろうが入りえないのだ。  そこにはもちろん、最終時には王都そのものを戦場にしてまで王宮、ひいては王家を守る ――というよりはそこに集う貴族を――守るという意図が存在する。国の象徴が倒れてしまえ ば、そこにあるのはただの人の集まりに過ぎない。国家というものを成り立たせるためには、 王族という象徴が必要なのだ。  当然のことながら。 「…………」  駆けるカイルの先。王宮を守る城門は閉ざされている。奇襲――あるいは内乱――が起こっ ている今、その門が開いているはずもないので、逆に安心できた。もしそこが開いているとし たら、それはすでに侵入者がいるという意味にほかならない。  城壁を前にしてカイルは考える。さて、どうするか、と。  力ずくで突破――という方法を考え、すぐに破棄する。あの日、ディーンにつれられたとき には城門の中にまで入っていたから、ある種後からづくが可能だったのだ。今のような臨戦態 勢の壁を越えれはしないだろうし、越えたりすれば、今度こそ騒動の種になる。  ディーンは、間違いなくその隙をつくだろう。  逆に――門が閉まっている安心して帰る、というわけにもいかない。なぜならば、敵はディ ーンであり、すでに城壁の中にいる可能性が高いからだ。しまりきった城壁の中での内乱―― それは、ことが終わるまで誰も気づかないということだ。  とまる理由は、何ひとつとしてない。  妥協案があるとすれば、 「……騎士団用の――」  カイルはひとりごち、急激に進路を変える。まっすぐに城門へ向かうのではなく、城壁に沿 うようにして右へ。  向かう先は、知る人しか知らない隠し通路だ。  かつてのクローゼンシール王国にあったように、ファーライト王都にも隠し通路は存在する。 一つは王宮内から、町の外へと通じる道。これは王族しか知らない、カイルですら知らない緊 急用の避難通路だ。その性質は、敵から逃げるよりもむしろ、革命がおきたときを想定して創 られている。カイルですら『そういうものがある』という程度にしか知らず、普通の騎士や貴 族ならば存在すら知らないだろう。  そしてもう一つは、『内壁』内から城下町へと通じる、騎士団出立用の隠し通路だ。これは 各騎士団長なら知っている道で、城門を閉じたまま城下街へと出ることのできる、所謂抜け道 だった。城門前に敵が詰め寄っているときに側面をつけるように――とのために創られた道。  逆に言えば、そこからなら城内に入れるということだ。  城門を馬鹿正直突破するよりは、少しは成功率が高いだろう。そう思いながら、カイルは城 壁に沿って、進路を右へと曲げたのだ。  城壁が視界の左側に変わる。  そしてカイルが再び走りだそうと、するよりも早く。 「――――――――――――――――――正義――執行――――――――――――――――」  そんな、言葉が――聞こえた、気がした。  「――――ッ!」  全身を貫く悪寒に跳ね飛ばされるようにしてカイルは振り向く。もはや予感でも直感でもな かった。明確な確信を持って、カイルは振り向く。そう、確信だ。覚えがあった。この威圧感 に。世界の終わりを踏みにじるかのような、圧倒的な威圧感に。  圧倒的な――正義の気配に。  振り向く。  振り向いた先には。  ――黄金色の流星が、城門へと降り注ぐ姿があった。 「っ…………」  呆気に取られた。今見た光景が信じられなかった。ほぼ水平に飛び込んできた黄金色の何か が、言葉どおりに光のような速さで城門へと突き刺さったのだ。頑丈に作られた門も、三重に かけた魔法の、空気抵抗も圧力すらも何もかもを無視して、それは王宮の中へと突き進んだ。 門は今の十倍の厚さだったところで、今の百倍の魔法をかけていたところで、ソレを止めるこ とはできなかったのだろう。  地面につきたったソレは、たった今壊した城門を気にすることもなく、悠然と立ち上がった 。黄金色の兜。黄金色の全身鎧。手につかむ長剣もまた金の輝きを放っている。肩に乗った男 が小さく見えるほどに、その痩躯は巨大だった。  気配に覚えがあり。  姿に見覚えがあった。  それは、黄金色の聖騎士。  人類最強の勇者を守る――黄金の守護者。 『少女』ではない、あの日、あの南海で対峙した――ロリ=ペドが、其処にいた。  けれども――今は。  それよりも。どうしてその姿であるのかという疑問よりも。  その黄金色の肩にしがみつく、一人の男に、カイルの意識は向けられていた。その姿は見間 違うはうもない、左右で色が異なる、奇妙な鎧を身につけた男。  黄金鎧と共にある男の名を、カイルは、気づけば叫んでいた。 「ディィィィィイイイイイイイイイイイイイインッ!」  叫び――カイルはかける。全力をもって。全速をもって。一秒とかからない。壊れた城壁を 一蹴りで飛び越え、その瞬間には既に両の手には剣。黒い剣と白い剣、二剣がディーンの首に 届くまでに一秒丁度。  一秒の間に、ディーンはロリ=ペドの肩から降り。  ロリ=ペドが剣を振うのには、一秒の十分の一も必要としなかった。  きぃん、と澄んだ衝突音が響く。カイルの二剣を、ロリ=ペドはただの一剣で防いでいた。 黄金色の剣が、盾のようにディーンを守る。触れたところから、圧壊しそうな力が伝わってく る。防いだのはロリ=ペドのはずなのに、カイルのほうが押されてしまいそうになる。 「双剣――巻風!」  二剣が閃く。防いだ大剣を巻き込むように左右から回転し、黄金剣を地面に叩きつける。そ の勢いでカイルは空中で前へと周り、剣を地面に突き刺しながら上段から踵を落とす。ロリ= ペドはわずかに身をそらして避け、足を振り下ろした勢いでカイルはさらに回り剣が跳ね上が り、 「正義――此処――」  左拳が閃いた。黒い剣と白い剣を黄金の拳がまとめて薙ぎ払い、  薙ぎ払ったそこに、もうカイルはいない。 「――双剣落華!」  着地と同時に身を沈め、下から拳の付け根を狙うようにして切り上げる。手首の鎧間接部分 に二剣が食い込み、  ――斬れない。 「な――――」  圧力があった。常ならば武器を持つ手を切り落とすはずの技は、純然たるロリ=ペドの力に よって押さえ込まれていた。拳を前へと突き出したまま、力は下へと落とされる。カイルが逆 に潰されまいと堪える必要があった。  ここまでで、二秒。  二秒の間に三合を打ち合い、カイルとロリ=ペドはようやく膠着した。遅れて圧力となった 風が外へと吹く。二人を中心に、砂埃が渦となった。  完全に拮抗して――微塵も動かない。  その二人を眺めて、感嘆したようにジュバは言う。 「また速くなったな、カイル――『黒き旋風』の名は、伊達ではなかったな」 「あんたが……あんたがそれを言うかぁ――!」  激昂し、カイルは吼えるが、ロリ=ペドの手は払えない。どころか、流すことすらできない 。単純に力を落としているのではなく、カイルの次の行動を防ぐように巧妙に抑えてられてい る。  カイルの言葉に表情を変えることもなく、そらとぼけたようにディーンは続けた。 「いや、凄いといえばこの騎士もだな。見たかカイル、この鎧は魔法を完全に無効化するらし い。あの結界がなきも如くだ」  ディーンもカイルも知らないことだが――ロリ=ペド、黄金鎧の聖騎士はかつてデッド・バ ッド・エンドという即死の魔眼を持つ魔物と平然と向かい合った経歴がある。正義の概念を司 る事象龍、暁のトランギドールの騎士である以上、魔なるものへの抗体は異常に強い。  だからこそ。  黄金鎧の聖騎士を倒したくば。  己が信じる正義で。  己が信ずる剣技で、倒さねばならない。  それが――あの、南海での顛末だったのだ。  それが、今。  ファーライトの中央で、再び行われている―― 「あんた……この子にいったい何をした!」  剣を握る手に力を込めながらカイルは叫んだ。怒りではない。憎しみでもない。憤りで、カ イルは叫ぶ。ロリ=ペド。黄金色の髪の毛を持つ少女。  ――正義が知りたい。  迷う少女は、そう言っていた。それが、何故今、成ることのできないはずの黄金鎧姿で、デ ィーンと共にいるのか――判らない。  何も、わからない。  ディーンは、『長い腕の』ディーンは、その右腕をひらひらと振りながら答えた。 「何もしていないさ。彼女は、彼女の試練に立ち向かうだけで――俺にできるのは、助言だけ だ」  言って、ディーンはその右手を、腰へと伸ばす。そこにさげられている剣を――すらりと引 き抜いた。刀身が、黄金鎧の光を反射して輝く。 「正義を知りたければ、カイル=F=セイラムと、再び戦えばいい、と。答えは戦いの中にし かないと」 「それが、どうして! どうしてこの姿になる!」  ディーンの言葉には、半分納得できて、半分は理解もできなかった。再び戦えばいい、とい う言葉はわからなくもない。あの負けがただの偶然だったのか、それとも真に『違う正義』に よって負けたのか。はっきりさせるには、戦いなおすのが一番だ。  けれど、今まではそうならず――ディーンの登場と共に、唐突にこうなった。 『見捨てられた』はずのロリ=ペドが、黄金鎧に身を包んで。口から出る声は彼女のものとは 思えない、人のものとは思えないいつかの声だった。短く、呪い文のような言葉。  ただ、『正義』と、彼女は言う。  黄金鎧の聖騎士。  その姿を眇め、ディーンは、吐き出すように言った。  ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 「心を持った少女のままでは、お前と戦うことができないからだよ」 「…………」  どういうことなのか――わからなかった。  そのことが表情に出ていたのだろう。ディーンはカイルを見て、それから、ため息を吐いた。  馬鹿にするようなため息でも、つかれたようなため息でもない。むしろ、好意さえ感じられ る仕草。 「矢張り、お前は鈍いな」  だが、それがお前の好いところでもある――そう言って、ディーンは言葉を続けた。 「彼女は逃げるように眠りについた。宿主の意識が失われれば――龍が、表に出てくる。それ が『龍の騎士』というシステムだ。長い長い戦いに少女は耐え切れず、代わりに龍の意識が表 へ出ていた。それが『黄金色の聖騎士』だ――幾ら俺とはいえ、ここまで調べるのには時間が 要ったぞ。なにせ、御伽噺の領域だ」  自嘲するようにディーンは笑った。  カイルは笑わない。ただ、脳裏で思い返す。黄金色の聖騎士。勇者。  ハロウド=グドバイは何といっていたか。  ただただ、戦いつづけてきた彼ら。  戦うためだけに生きていた彼女ら。  逃げることが許されなかった兄と。  兄を見捨てることができなかった妹。  その在り方は、一体―――――― 「だが、まあ俺ですら全ての情報を知り得るわけでもない」  カイルの思考を遮るが如く、ディーンが言う。 「だからこそ――不確かな情報を、確めるために此処にきたのだからな」  言って。  ディーンはちらりと、視線を肩越しに送った。王都の中央にある塔へと。  そこにいるのは――『姫君』だ。カイル=F=セイラムが剣を捧げた、ファーライトの姫君 がそこにいる。 「ディーン……ッ!」 「猛るな、カイル。俺はな、別に彼女を殺しにきたんじゃない――ただ、話を聞きにきただけ さ」  言って、ディーンは踵を返した。カイルや聖騎士の決着など、もはや眼中にはないといいた げに。片手に剣を引き下げて、ディーンは歩き出す。王宮の中央を目指して。 『姫君』を目指して。  その背に、カイルは叫ぶ。 「待て、ディィィイイイン!!」  叫び、動く。地面すれすれにまで身をひき、こう着状態から抜け出す。そのまま、ロリ=ペ ドの横をすりぬけるようにして、前へと出ようとした。  出られない。 「…………ッ!」  隙がない。剣を大きく構えたロリ=ペドに隙があるはずもなかった。ただの障害物として無 視しようとすれば、たちまちのうちに一刀両断にされるだろう。全力を出し尽くしてもまだ足 りないような相手。無視して進めるはずもない。城門よりも厄介な門番。  少女の面影は、何もない。  ただ、『正義』だけが、そこにある。 「お前の相手は、そこの黄金色の聖騎士だ」  その圧力を感じながら、振り返ることなくディーンは言う。決して、自身の手をくだそうと はしない。自身の目的を語ろうとはしない。全てを黄金色の聖騎士に任せ、ディーンは行こう とする。  感情のままに、カイルは、叫んだ。 「そうまでして――そうまでして、僕を殺したいか! 僕が邪魔か! 答えろ、ディーン!」 「…………」  足が――止まった。 『姫君』のところへと向かっていた足が、機械仕掛けのように止まった。揃った足は動き出す 気配を見せない。  ディーンは振り返らない。  振り返らないままに、彼は言った。 「お前を殺したいかって? そんなわけがあるか」  そして。 『長い腕の』ディーンは。  誰にも語ることのなかった、彼の真意を――振り向くことなく、告げた。  ・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・ ・・・・・・・・ ・・・・・ 「お前には死んでもらっては困るんだ。勿論、あの騎士団長にも、聖騎士にも」  言葉は。  呪詛のように、カイルの中へと滑り込んできた。今度は、カイルが動きを止める番だった。 ロリ=ペドへと切りかかる気も、ディーンへと詰め寄ることさえ忘れた。理解できなかった言 葉に、呆けたように言葉を返す。 「どういう――意味だ」  カイルのといに、ディーンは、ただの一言で切り捨てるように答えた。 「試練だ」  ――試練。  頭の中でその言葉を反芻する。試練。  立ち向かうべき、困難。  ディーンは続ける。言葉に感情はない。淡々と、告げるように、彼は言う。 「全ては試練だ、カイル。カイル=F=セイラム。ジュバ=リマインダス。クレセント=ララ バイ。聖騎士たちに、傭兵たち――全てに俺は試練を与えた。試練に打ち克って、強くなって もらうために」 「…………」 「カイル。皇国の目的は、世界を統一することだ。そのために俺は、この長い手を『彼』に貸 した。国家という国家を解体し、人類を統一する」  国家統一。  皇国の皇帝が掲げている指針。東国。北国。南国。西国。王国。連合。すべての人類国家を 、あるべき形に戻すという、壮大にして妄大なる野望にして野心。  それは、カイルも知っている。皇国を知るものならば、誰でも知っている。  そして、ディーンは。  その誰もが――思いもしないことを、口にした。  試練の、真意を。 「その上で――皇国には滅んでもらう。お前たちの手によって」 「――――――」  今度こそ――完全に、思考が硬直した。  ただ一人、ディーンだけが、常のように言葉を続ける。 「統一の過程で恨みをかう皇国は滅びなければならない。皇国は世界を統一し、通貨と言語を 普及させ、東西南北への交通を整備し、一時的な平和を得る。その後、『救世軍』でも何でも いい、平和と打倒皇国を掲げる団体が皇国首脳部のみを滅ぼし――統一された人類を、そのま まそっくり支配下におく。そのときに矢面に立つのが、お前であり、ジュバ=リマインダスで あり、俺が目をつけている者たちだ。彼らには、彼女らには――英雄になる資格と、素質があ る」  信じられない言葉を。  信じさせることもなく、ディーンは語る。  誇大妄想のような言葉を。  実現させるために、ディーンは、動いている。  これも。  このファーライト内乱すらも――そのための第一歩でしかないのだ。ファーライトの内乱を 起こして、何が目的なのだとカイルはいぶかしんでいた。  違うのだ。  これは目的ではない。ただの過程でしかないのだ。彼にとっての目的のために、手段として ファーライトを滅ぼうとしているのだ。  理解できなかった。  それでも、理解するために、カイルは問う。 「お前は――どうするんだ、ディーン……、いや、そもそも――その後で、どうするつもりな んだ!?」  その後。  人類を統一して、それからどうするのか。  ディーンの、目的は。  万感の思いを込めて、カイルは問う。  ディーンは。  笑って。  ひどく歪な――酷く愉悦に満ちた笑みを浮かべて、カイルに、答えた。 「英雄になるさ。真の意味での、英雄に」  答えになっていない答を返して、今度こそディーンは歩き出す。それを合図にしたかのよう に、ロリ=ペドが剣を構えた。彼女は、彼女の試練のために。カイル=F=セイラムを打ち破 り、正義をたてるために。ロリ=ペドは戦おうとする。  ディーンは歩む。彼の目的のために。彼の正義のために。彼の試練のために。真実を知るた めに、『長い腕の』ディーンは、『姫君』のもとへとゆく。  最後に、その背が語った。                     ディシプリン 「期待しているぞ、カイル。お前が、お前の 困難な試練 に打ち勝つことを」  別れの言葉だった。 ■ 第二十一話 DISCIPLINE ... END ■