左の手にはイグニファイ。欠けることも曲がることもない、 聖騎士の証たるオリハルコンの剣。  右の手には名もなきロングソード。戦うと誓った日から、決 して折れることのない信念の剣。  二剣を構える。重みを確かめるように、しっかりと握りこん で。剣の重みが腕にかかり、腕の重みが肩にかかる。ただ構え ているだけで体力が削られていく。剣の重みによって。剣に乗 せた心の重みによって。  何故ならば。  今、カイル=F=セイラムの前にいる敵は。  黄金色の鎧に身をまとった――最強の聖騎士なのだから。 ■   カイルのディシプリン 第二十四話 DEEN'S DISIPLIN    ■ 「どうしてこう……僕には運がないのでしょうね」  自重するように笑ってカイルはつぶやいた。笑うしかなかっ た。まさか、生きているうちにそう何度も伝説級の相手と戦う ことになるとは思いもしなかった。笑ってしまいたくなるほど に、運がない。運命に嫌がらせを受けているとしか思えない。 主に、知り合いの魔物生態学者のせいだろうなとカイルは心の 中で検討をつける。  ――あの人と知り合って以降、僕の人生には試練ばかりだ。 思うに、あの人には厄介ごととか騒動をひきつける性質がある のではないか。その上に何よりも厄介なことに、あの人自身が それを自覚していて自ら首を突っ込んでいくのだ。結局それで 一緒に巻き込まれて、その因果がこんな後にまで糸をひいてく るのだ――  そこまで考えてカイルはため息を吐いた。現実逃避をしてい ても仕方がない。何よりも、彼とともに剣を振るうことを選ん だのは、カイル自身なのだから。 「――――」  気合をひきしめ、もう一度、前を見る。蜃気楼とか見間違い とか妄想とか幻覚だったらよいな、と心のそこから願ったが、 消えることも動くこともなく、黄金色の聖騎士はそこにいた。  ロリ=ぺド。  勇者ガチ=ぺドのパーティ。最強の聖騎士。即死クラスの魔 法ですらはじく黄金色の全身鎧に身をまとい、黄金色の大剣で いかなる敵をも一刀両断にする正義の使者。暁のトランギドー ルの騎士。正義の聖騎士。  あの巨大な体躯の中に、小さな少女がいるなど誰も想像にす らしないだろう。カイルとて、実際に見るまでは信じられなか った。実際、カイルにも、例の魔物生態学者にも――どこまで がロリ=ぺドで、どこからが暁のトランギドールの騎士なのか 判別がつかなかった。鎧が本体なのか。少女が本質なのか。二 人あわせて「黄金鎧の聖騎士」なのか。いつから生きているの かすらわからない、人の手には負えない存在。理解することす らかなわない存在。  わかることは、ただひとつ。  今は――明確な『敵』として、眼前に立っているということ だ。  いつかのように。 「……対峙するのは、これで三度目かな」  一度目は、酒場で。あれはただの小競り合いだった。  二度目は乱戦。お祭り騒ぎのような乱闘の中に、黄金鎧の巨 体が海をさいて現れて。  三度目は――少女である、ロリ=ぺドと。  すべてを出し切って、戦った。 「戦果だけ見ると二引き分け一勝利で優勢なんだけどなあ…… 」  軽口をたたくカイルの頬を、つう、と一筋冷や汗が流れ落ち る。無論、彼は知っている。二回の引き分けは、実質的には見 逃されたような引き分けと、ただ単純に勝負が流れただけで― ―唯一の勝利すらも、さまざまな要因が重なって勝てたに過ぎ ない。  本質的には、  彼女の方が、存在として自分よりも強いことを、カイルは知 っている。 「そもそも思い出せばあれ、二対一だったしなあ……」  今はこの場にいない、銀色の髪をした戦士のことを思い浮か べる。彼女は、無事に逃げ切れたのだろうか。何やら裏側で進 行している事件に、やっぱり巻き込まれているそうだが――こ れもハロウドさんののろいに違いない。  カイルは嘆息し、わずかに剣先を下げる。その動きにも、ロ リ=ぺドは乗ってこない。カイルの背ほどもある巨大な黄金剣 を背負ったままに、微動だにしなかった。微塵も揺るがない。 殺意ですらない、明確な『死』の気配だけが、その全身が吐き 出されている。  飛び込むことができない。  足を踏み入れれば――死ぬ。そのイメージしかわいてこない 。あの剣の間合いに入った瞬間、自身の体が両断される姿をカ イルはありありと思い浮かべることができた。黄金の剣は、別 段特殊な能力を持っているわけではない。光を放つことも、の ろいをかけることもできない。  ただ、速く、硬く、重く、鋭く。  強い。  それだけだ。  カイルの剣と――同じように。 「つまりは……正面きっての、実力勝負」  そこに不確定要素が入る余地はない。小細工など触れるkと すらかなわない。  強いほうが勝つ。  純粋な――闘争。  ――勝てるだろうか。  カイルは自身に問いかける。かつての聖騎士、黒い旋風、カ イル=F=セイラム。今は罪をかぶせられて、指名手配の裏切 り者。数少ない味方は、それぞれの敵と、それぞれの試練と戦 っていて。  此処にいるのは、カイルと、ロリ=ぺドだけだ。  町から火の手があがっているのが見える。銀龍団による混乱 は順調に進んでいる。誰もが自身のことで手一杯で、ほかのこ とに目を向ける余裕がない。崩れた門、燃える町、混乱にあふ れた首都。黒幕はすでに姿を消した。彼もまた、彼の試練に立 ち向かうために。  残されたのは、二人だけ。  黄金の鎧と、黒い鎧が向かいあう。  入り込むものは、何もない。  純粋な戦争。  純粋な闘争。  純粋な戦い。  けれど。  けれど―― 「けど――違う。こんな戦いは、違う」  カイルは、思うのだ。  彼には戦う理由がある。ロリ=ペドを打破し、その先に向か った黒幕――長い腕のディーンを止めなければならない。この 町を守るために。彼がつかえた姫君を守るために。そして何よ りも、彼自身のために。  カイル自身のための戦い。カイル自身のための試練。  戦うことに異議はなく。  戦うことに意義はあり。  絶対に負けられないと、カイルは思う。  それでも――違うのだ。  この戦いは、違う。  命をかける戦いには、誇りをかける戦いには――純粋さが足 りない。  何故ならば。  今、カイル=F=セイラムの前にいる敵は。 「こんなのは――違う」  黄金色の聖騎士であって――ロリ=ペドではないからだ。  あなたの正義とは何ですかと問いかけてきた少女ではない。 私の正義がわからないのですと悩んだ、剣を振る理由について 迷った弱い少女でも、初めて服を買ってもらって幸せそうに笑 った女の子でも、『兄』のために剣を振るった騎士でも、『正 義』のために剣を振るった聖騎士でもない。  ただの、剣だ。  ただの、暴力だ。  迷うことを止めて、迷うことを捨てて。  自ら誓いと共に戦いへと足を踏み入れたのではなく――ただ 戦いの中に逃げただけに、過ぎない。  そんな、相手に。 「……負けられない、よね」  剣先が――さらに沈む。地に触れるぎりぎりまで剣が下がり 、体もそれにあわせるようにしてかがんだ。剣を持つ黄金色の 聖騎士の手がわずかに動く。二人の間に充満していた殺気が莫 大なまでに膨れ上がる。  それを正面から受けて、カイルはひるまない。ひるむことを 、自身に許さない。  ――絶対に負けられない。  誓いのように、カイルは思う。  自分のためではなく。  ロリ=ペドという少女のために――黄金鎧の聖騎士に負ける ことはできないと、カイルは思うのだ。  決着をつけるのならば。  誇りと共に剣を振るう相手がいるとすれば、それは――あの 少女に他ならない。こんな、ただ強いだけの、ただ最強なだけ の黄金鎧に、負けるわけにはいかないのだ。  勝てなくてもいい。  勝たなくてもいい。  負けられない。  彼女のために。  騎士はいつだって――誰かのために、剣を振るうのだから。 「剣は魂と共に――」  誇りの言葉はなく。 「カイル=F=セイラム――参る!」  今再び、黄金と黒が戦場で交差する。      †   †   †  すべての戦いを、彼は知覚していた。 「…………」  辺りをくるりと見回して、長い腕のディーンは大きく息をつ いた。辺りにはもう誰もいない。ディーンのほかには、生きて いるものはなにもない。ただ足元に、幾人分かの死体が転がる のみだ。いくら首都中が混乱しているとはいえ、流石に『姫君 』の元へといたる道には騎士が残っていた。  久しぶりの戦いに吹き出る汗を、ディーンはぬぐおうともし なかった。息をすって、吐く。呼吸をどうにか整える。むせか えるかのような血のにおいは気にならず、むしろ自分が戦場に いることを思い出させてくれる。  彼らは強かった――ディーンは足元に転がる死体たちを一瞥 して思う。さすがに首都にいるだけはあって、それぞれがよく 鍛え上げられた騎士だった。  けれど、強すぎるわけではなかった。  人間の範疇を超えるほどに、強いわけではなかった。  勝機はそこにあった――というよりも、ディーンが自らの腕 で作り出したものだった。此処を攻める上でもっとも厄介なの は、自身がどうあがいても勝つことのできない者たちの存在― ―とりわけファーライトが多く保有する聖騎士の存在――だ。 彼らの存在は、計画の上で無視するわけにはいかなかった。  そのための、皇国侵攻だ。  ダガは皇国で動けない。裏切りの騎士も同様だ。高軌道を誇 るユメは、その移動速度がゆえに西へと飛ぶ。不運な聖騎士は 雪が解けるまで北から戻ることはない。そしてカイル、ソィル 、ジュバを抑えるための西国であり、12剣聖であり、銀龍団 だ。彼らが今、それぞれの試練を迎えていることを、高ぶった ディーンの第六感は感じ取っていた。  戦いが始まっている。  勝てるとは思っていない。  負けなければ、それでいいのだ。自身の目的を果たすまでの わずかな時間を作り出せれば、それでいい。黄金鎧の聖騎士の 参戦は予定外だったが――それすらも問題ではない。人間同士 の戦である以上、あの勇者が絡んでくることはない。 「そう――俺は、人間だ」  自身の右腕をみあって、ディーンは一人つぶやいた。その右 腕は――彼の言葉とは裏腹に、決して人間のものには見えなか った。存在としては、ソィルのそれに近いのかもしれない。彼 の右腕が、解放されて悪魔の腕と入れ替わるように――ディー ンの右腕は、自身の肉と血が魔物のそれへと変質していた。常 人の数倍は右腕が長い。  二つ名を体で表すように。  長い腕のディーン。情報を扱うことにたけた、『手の長い』 という一般的に知られているイメージと――決して人に知られ ることのない、彼の切り札としての、『右腕』。 「俺は、人間だ」  もう一度、つぶやく。  誰かに言い聞かせるかのように。  自分に言い聞かせるかのように。  そうして、騎士たちを殺したその腕で、『塔』の扉をこじ開 けた。この非常事態だというのに、閂はかかっていない。呆気 にとられるほどにあっさりと、上へと続く螺旋階段があらわれ る。  この上に――姫君がいる。  謎に包まれた、ファーライトの『姫君』が。  迷うことなく、ディーンは螺旋階段を上りはじめる。ここま できて迷う必要はない。とまる必要もない。すべてはこのため なのだから。  皇国に味方するのも、  ファーライトを滅ぼすのも、  未来の手ごまに対して試練を与えるのも、  すべて――二次的な目的に過ぎない。目的ではあっても、本 質ではない。  すべては、このためだ。  誰をもの目をそらし――ファーライトの『姫君』と逢う。そ のために、わざわざディーンはこの国へときたのだから。聖騎 士以外には会うことの許されない彼女に会うために。ファーラ イトの最大国家秘密と逢うために。  自身の推測を確かめるために。  彼は階段を登る。  かつん、かつん、かつん。足を動かすたびに、螺旋階段に硬 い靴音が反響する。ずる、ずる、ずる。登るたびに、ひきずっ た右腕がこすれた音をたてる。螺旋階段はせまくて、彼の長い 腕を振るうには窮屈すぎた。人一人が上り下りする程度の広さ しかない。ここで戦うことなど考慮されていない。  この先には、敵はいない。  敵どころか、『姫君』以外には誰もいないのだろう。すべて を拒む雰囲気が塔にはあった。敵はすべて、塔の外で倒してき たに違いない。 「俺が……初めてだろうな」  く、とディーンは笑う。聖騎士以外で、この『塔』を登った のは。『敵』として、塔を登ったのは。  かまうことなく、足をすすめる。  上を、上を、目指し続ける。  かつん、かつん、かつん。  ずる、ずる、ずる。  塔にはひとつとして窓がない。今、どの辺りまで登ったのか は想像することしかできず、けれど単調な螺旋階段のリズムが 想像することすら拒んでいる。永遠に階段を登っているような 錯覚すら覚えてしまう。どんなに登っても、何処にもたどり着 けないように思えた。  それでも、ディーンは足を止めない。  彼の目的のために、歩み続ける。  かつん、かつん、かつん。  ずる、ずる、ずる。  永遠に続くかのように思われた道は、  けれど、  当然のように。  意外なことに。  やがて、  たどり着く。  最上階へと。  目的へと。 「たどり着いてみると――呆気のないものだな」  扉を前に、長い腕のディーンは一人ごちた。  扉。  扉しかなかった。窓も何もない塔の一番上には、突き当たり に扉があるきりで、それ以外には何もなかった。迷いようもな い。この扉の向こうに、『姫君』がいる。  とうとう――たどり着いたのだ。 「ゴールへとたどり着いたというよりは……スタート地点にた どり着いた気分だな」  とうとう、ではなく。  ようやく、なのだとディーンは思う。すべては、ここからな のだ。すべてはこれからはじまる。まだ何ひとつとして始まっ ていない。  ――否。  思い浮かんだ思考を、ディーンはすぐさまに否定する。もし も、彼の考えていることが正しければ。彼の確認したいことが 、正しいのならば。  始まるのではない。  終わりですらいない。  終わってなど、いないのだ。あの日からずっと、続いている のだ――ずっと、ずっと。終わることなく、続き続けている。  誰も気づいていないという、ただそれだけのことだ。  そして今、ディーンは、その続きへと足を踏み入れる。 「――――」  覚悟を決める必要はなかった。  覚悟など――とうの昔に、できている。  ノックもなく、  躊躇もなく。  長い腕のディーンは、  扉を、開けた。  音はしなかった。無音のまま、扉は奥へと開いた。暗い螺旋 階段に慣れていた瞳がまぶしさに細まる。部屋の奥には大きな ――この国中を見渡せるかのように大きな――窓があり、そこ から入り込む光が部屋の中をやさしく照らしていた。奥だけで はない。魔法によるものなのか、外から見た姿と、中から見た 姿は違う。大窓は奥だけではなく、四方についている。この部 屋の中からは、すべてを見渡すことができた。  扉を閉めて、中に入ると――その扉さえも窓になる。  くるりと、ディーンは一回転した。首都の中央にある塔から は、首都のすべてが見渡すことができる。黒い疾風と黄金色の 騎士が戦っているのが、そこから良く見えた。目で追う切れな いほどの速度。黒い線と黄金の光が交差しては離れていくよう にしか見えない。  確認するのをあきらめ、ディーンは死線を部屋の内へと戻る 。見晴らしのいい部屋の中央には、ひとつだけ、見晴らすこと のできないものがある。  天蓋つきのベッドが、中央には鎮座していた。ベッドは真円 で、薄くかかったヴェールが内側を隠していた。それでも―― その向こうに、小さな人影が見える。 『姫君』が、そこにいる。  その人影に向かって、ディーンは肩ひざをついた。頭をたれ て、剣を前にかかげる。  敬意を示すかのように。  ディーンは、深く、深くうつむいて言う。 「お初にお目にかかります、ファーライトの『姫君』よ――私 の名はディーン。姓はもとよりなく、『長い腕』の字で呼ばれ ています」  丁寧に。  丁寧にディーンは名をなのる。慇懃無礼さは其処にはない。 12剣聖に対してさえ見せなかった、芯からの礼儀がそこには ある。  人影は答えない。  ヴェールの向こうは、沈黙を保っている。ディーンを受け入 れも、拒みもしない。  返事が返ってこないことを確かめるように、しばらくの時間 ディーンは待ってから、  言葉を、続ける。 「それとも」  部屋の中にいるのは、二人だけだ。  長い腕のディーンと、  『姫君』と。  二人以外には、誰もいない。  二人の会話を聞くものはいない。二人の言葉は、世界に対し て秘を守っている。  沈黙を満たす部屋の中、ディーンは、言う。 「本当の称号で呼ぶべきでしょうか?」  かすかに――  かすかに、気配がかわる。ヴェールの向こうで、気配が変わ る。『姫君』の気配が。  それは、  高貴さでも、  推敲さでもなく。  ある種の人間が慣れしたしんだ、  カイルが、ソィルが、ユメが、彼らが、彼女たちが持ちえる ――  戦さの気配。  その気配を敏感に感じとりながら、ディーンは顔をあげた。 その顔に浮かんでいるのは、かすかな笑みだ。ようやくここま できた――そういいたげに、ディーンの顔には、満足げな笑み が浮かんでいる。  そして、ディーンは。  問いかけるのではなく。 「二千年前に、皇国を作り上げた『13人』の一人――『始ま りの聖騎士』と」  確信と共に、世界の秘密を告げた。      †   †   † 「双剣――開門ッ!」  胸の前で交差した剣が左右へと開く。敵の防御を弾き飛ばす ファーライト流二刀剣術。けれど黄金の剣はたじろがない。振 った二剣のほうが逆にはじかれ、カイルは後ろへとたたらを踏 み、 「――正義――」  微塵も間をあけることなく、黄金色の剣が振り下ろされた。  雷のような一撃。出と入りが一瞬の間に凝縮された破壊的な 一閃。剣は空を裂き、それでもとまることなく地面へとたたき つけられ――地面を裂き砕いた。剣圧で風が巻き起こり、地面 に長く長く長く長い皹が入る。  けれどもそこに、すでにカイルはいない。たたらを踏むと同 時に右へと飛び、剣の一撃を避けている。強力な一撃も当たら なければ意味がない。剣を振り下ろしたロリ=ペドの左半身へ とカイルは飛び込む。二剣は再び交差するように胸の前でそろ えられている。  攻撃が終わったあとの隙。  そんなものは―― 「――執行!」  ロリ=ペドには、存在しない。  斬撃行為とはまったくの無関係の動きを左腕が見せた。鎧に 覆われた丸太のごとき左腕が、事前動作なく左へと振られる。 バックハンドの一撃。人間の頭蓋骨をつぶせそうな一撃が風を 押しつぶしながらカイルへと迫る。ぱん、と何かが砕けるよう な音がする、音よりも速く拳が迫る、致命的なタイミング。  致命的なタイミングは、致命傷へは至らない。  旋風のように、黒がひらめく。 「双剣――巻風ッ!」  二剣が、腕へと絡みつく。  風が、巻きつく。  強力な一撃をカイルは正面からは受け止めない。二本の剣で 抱きかかえるように、ひねりながら後ろへと受け流す。ぎぎぎ ぎぎぎぎぎと剣と鎧が高速でふれあい甲高い音をたてる。ロリ =ペドの腕が伸びきり、  カイルの体だが、吹き飛ばされる。 「ッ……!」  直撃をくらったわけではない。  腕を伸ばしきった後、わずかに遅れて――衝撃波がきた。拳 の初速が音速をこえ、空気の壁を突き破った反動が噴出したの だ。何も食らっていないのに、カイルの体が後ろへと流れる。 同じだけの反動を食らっているのに、ロリ=ペドは二本の足を 地面に縫いつけたままみじろがない。  戦いが始まってから、ロリ=ペドは一歩として動いていない 。どっしりと構えたまま、その場で剣を振るっている。  カイルとは対象的な、  あの時の、少女とは対照的な、  黄金鎧の聖騎士の、戦い。 「力では、完全に負けてるか……」  空中で後転し、足から着地してカイルはさらに間を取る。剣 五つ分の距離。これだけとってもまだ近い。どこまでが間合い かといえば、おそらくはこの首都すべてがロリ=ペドの即死半 径内。逃げ切れるはずもなく、逃げるつもりもない。それでも 、どこにいようと相手の間合いの中というのは精神をがりがり と削っていく。  一瞬でも気を抜けば、  その瞬間に、死が訪れる。  極限での戦い――けれど、まだ。  まだ、極限には遠い。  こんなものではない。  カイルの戦いは、こんなものではなく。  ――彼女の強さは、こんなものではなかった。  さらにバックステップし、間合いをとる。剣七本分。片足で 地をけって後ろに飛び、あと少しで崩れた門へと足が触れると いうところまで下がり、 「――なら、これでっ!」  着地と同時に――前へととんだ。姿が一瞬消えた、そうとし か見えない急加速。剣八本分の距離がはじめからなかったかの ように消滅し、剣の間合いよりもさらに内、肌が触れそうなほ どなほど近くにカイルは入り込む。零距離射程。  速度をいかした攻撃。  その、速さを。 「正義――此処――」  ロリ=ペドは、とらえていた。零距離にはりついたカイルの 二本の足の間から、真上へと剣が切りあがる。振り下ろした剣 が、完全なタイミングをとらえて振りあがる。下から上へと、 両断するために。  その、速さを。 「――多重分身、」  カイルは――さらに、超える。  幻のように、内にあったカイルの姿が掻き消えた。黄金の剣 はむなしく空を切る。風圧だけが嵐を巻き起こすが、その前に は誰もいない。  声は、真後ろから聞こえた。  高速移動による分身。かつてジュバに対して行ったように。 一部の極東者が使える奥義を、騎士の手で再現するカイルの切 り札。彼自身、まだ使いこなすことのできない奥義。  土壇場において、極めた――のではない。  たとえ意思のない、ただの『黄金色の聖騎士』でも。  すべてを出し切らなくてはならないほどに、  強い。 「――単剣怒槌ッ!」 「正義、」  多重分身によって後ろに周りながら飛込み、回転しながら全 体重をこめてカイルが剣を振り下ろすのと――剣を振り上げた 勢いで、そのまま剣を一回転させ、真後ろへとロリ=ペドが剣 を振り下ろすのは、まったくの同時だった。  きぃん、と。  剣がぶつかりあい澄んだ音を立てる。速度の速さに伴うよう に音は高い。耳鳴りがしそうなほどの高音が爆発し、二人の間 でぶつかった空気が破裂する。  カイルのイグニファイと、  ロリ=ペドの黄金剣は、  ともに、はじかれる。  そして、 「単剣――逆風」  二本目が、ひらめいた。  一本目を懇親の力をこめて振り下ろし――はじかれることま で計算にいれ、はじかれた勢いで、反対の手でもったなもなき ロングソードが下から振り上げられる。意識と意思の死角から の一撃。白い光が、斜めに振りあがる。  とめるどころか、  気づくことすら不可能な、完璧な一撃。  けれど。 「正義、此処――所在!」  完璧では――まだ足りない。  雄たけびのようなうなりをあげながら、ロリ=ペドの握った 左拳が再びひらめく。剣の振り上げる軌道にあわせるように打 ち下ろされる。カイルは知っている。あの拳が、生半可な剣な ど簡単に砕きえることを。黄金色の剣だけではない、その存在 そのものが、武器なのだ。  だから。  それに対抗したければ。  同じように――すべてを、出すしかない。  すべてを。 「――っ!」  剣と、  拳が、  触れ合い―― 「……っ!?」  黄金色の鎧から、はっきりと動揺がつたわった。渾身の勢い で振り下ろされた拳は、あっさりと剣をはじいたからだ――抵 抗をまったく感じることなく。剣はカイルの手を軸に観点し、 半回転したころで手から離れて真上へと飛ぶ。一方の拳は勢い を殺すことなく地面へとたたきつけられる。とまらない。とま れない。その勢いがゆえにとまることができない。拳が地面へ と叩きつけられ、すさまじい破壊音と共に地面が陥没し、 「無剣――首落」  手刀が、疾った。  ロリ=ペドの体すべてが武器だというのならば、カイルの速 度こそも武器。武器を手放したところでそれは変わらない。音 速をこえる一撃。音の破壊音と共に振るわれた手は、痛みを感 じる間もなく首を落とす。全身鎧でもそれはかわらない。全身 を鎧が守っていても、兜と鎧の間は、稼動上ほかの場所よりも 装甲が薄くなくては体を動かすことができない。  その場所を、針を縫うような正確さで、カイルの手刀は通り 過ぎる。黄金色の鎧が、はじめて――裂ける。  それだけでは、足りない。  黄金鎧の聖騎士を倒すには、まだ、足りない。  そして――カイルは、とまらない。  今のカイルは、とまることをしらない。 「単剣、落華――」  イグニファイがひらめく。下から沿えるように、ロリ=ぺド の首へとぶつかる。鎧の中に剣が食い込む感触、  手放した名もなきロングソードが、遠ざかるよりも速くカイ ルはつかみ直し、 「――怒槌!」  再び、振り下ろされる。  三挙動は、摂理をこえて同時に行われた。多重分身を起こす ほどの速さを攻撃にそそぎこむ。手刀が印をつけたところへと 、下からイグニファイが、上から名もなきロングソードが振り 込まれる。上下から高速で剣が叩き込まれ、  首が――跳んだ。  黄金色の兜が――その鎧から、切り離されて、宙を舞った。  そして、  その中には、  なにもなかった。  首から上には何もなく、首から下にもなかった。吹き出るべ く血も、転がるべき生首もない。鎧の中には、まるで粘質を得 た空気のように――黄金色のなにかが詰まっていた。  黄金。  暁のトランギドールの、色。  それが、黄金鎧の中を、みっちりと満たしていた。 「――――」  驚きはしない。それを予想してこその一撃だった。考えてみ れば当たり前のことで、ロリ=ペドの体と黄金鎧の聖騎士の体 は大きさが違いすぎる。ロリ=ペドの体では、物理的に黄金鎧 を動かすことができないのだ。  ならば。  動かしているのは、物理ではない。  物理以上の――何かだ。鎧そのものが意思を――否、正義を もって、動いている。真に『黄金鎧の聖騎士』を打破したけれ ば、鎧をすべて消滅させなければならない。  そんなことは、カイルにはできない。  それは――事象龍を消滅させることに等しいからだ。そんな 神域の業を、カイルはもち得ない。  勝つことは、はじめからできない。  倒すことは、はじめから適わない。  だから。  カイルにできることは、一つだけだ。  ――負けない。  負けないこと。  だから、カイルは叫ぶ。兜を切り落とされたことによって、 見えるようになった断面へと。鎧の向こう、黄金色の何かに包 まれるようにして眠る、黄金色の少女へと。  声が届くように。  渾身の力と、すべての思いをこめて。  カイルは、少女を。 「――ロリ=ペド!」  その名を、呼んだ。 ■ カイルのディシプリン 第二十四話 DEEN'S DISIPLIN   ... END ■