名前を呼ばれました。  遠くから、呼び寄せるように。  近くへと、呼び寄せるように。  力強く、名前を呼ばれました。  男の人の声でした。  兄様のものとも違う。  魔道師のものとも違う。  力強くて――でも優しくて。  嘘なんて微塵も混じらない、  迷いなんて欠片も入らない、  どこか懐かしくて、  どこか寂しくて。  それでも――何よりも。  優しい声が、必死に、私の名前を叫んでいました。  私は、  その声に応えるように、  意識が――― ■   カイルのディシプリン 第二十五話  Loli's DISIPLIN    ■  名前を呼ばれた気がした。  細く消え入りそうな声で。耳を傾けていなければ聞きそびれ そうな、今にも空気に溶けてなくなりそうな淡い声で――それ でも確かに。  カイルと、呼び返された気がした。 「――ロリ=ペド!」  もう一度彼女の名前を叫ぶ。先よりも強く、先よりも意思を こめて。黄金色の鎧の中に封じ込められている彼女に届かせる ために、声を張り上げる。  ディーンはいった。彼女には眠ってもらっていると。  今の『黄金鎧の聖騎士』は、その存在だけが動いているに過 ぎない。正義という行動原理のもとに、歯車で動く人形のよう に自動でカイルを攻撃してきている。自身の正義を確かめるた めに。カイルの正義を確かめるために。  ――ふざけるな。  カイルはそう思う。勝てばいい、敵を倒せばいいだなんて― ―そんな正義があってたまるものか。あったとしても、それは カイル=F=セイラムの正義では決してない。必死で勝つこと だけを考えていたカイルは、過去にもう死んでいるのだから。  勝つのではなく。  負けないこと。  それこそが――カイルが選んだ道なのだから。  だから、負けられない。無機質に襲ってくるだけの黄金鎧の 聖騎士に。たとえ圧倒的な実力差があるとしても――勝つこと ができないとしても、負けることだけは選べない。  だから、カイルは少女の名を叫ぶ。ディーンによって作られ たこの戦いを無効化するために。ロリ=ペドの意識が失われて いるというのならば、彼女の意識を取り戻させればいい。その 具体的な方法がわからない以上、カイルにできるのは、もっと も原始的な方法だけだ。  黄金鎧に一撃を加えて――中にいるロリ=ペドを呼び起こす 。  かつて、  南の果ての海で、ハロウド=グドバイがそうしたように。  カイルもまた、少女の名を叫ぶ。万感の思いを言葉にこめて 。全力を一瞬についやして黄金鎧に一撃を加え、全心を言葉に たくして名を叫ぶ。一万語を尽くすよりも、たった一言に、心 のすべてをこめて。  ロリ=ペド、と。  その声に、  応える声が。 「カ――、イル、」  今度は、はっきりと聞こえた。聞き間違いではなかった。変 わらぬぐらいに小さな声で、それでもはっきりと。  ロリ=ペドは、カイルの名を口にした。  ――意識が戻った!  カイルの口元に喜びが浮かぶ。声が届いたことが、そして声 が返ってきたことがうれしくて仕方がなかった。  だからだろう。  その、喜びという、わずかな隙に。  黄金の剣が、閃いた。 「、―――――、――――――――、?」  死ななかったのは、偶然だった。  否――偶然のように本能が動いた。意識しての動きではない 。何百回、何千回、何万回と繰り返してきた動作。敵の斬撃に あわせて剣を振るい剣を巻き取る技、巻風。意識の外からの斬 撃に、カイルは無意識のうちに剣を振るっていた。  無意識のうちに。  自覚のない技で――防げるほど、彼女の技は拙くはない。  吹き飛んだ。防御に繰り出したイグニファイごと、振り下ろ したままだった名もないロングソードごと、カイルの体が後ろ へと吹き飛ぶ。防いだはずの斬撃は衝撃までは防ぎきれず、剣 ごしに両腕がびりびりと震える。姿勢を制御することもできな かった。黒い鎧が宙を飛び――『内壁』に叩きつけられる。  岩石を築いて作られた塀が、たたきつけられた一点――カイ ルの体を中心に、円状に砕けた。轟音と共に、砕けた岩が地へ と落ちる。半ば城壁に埋め込まれたまま、カイルは倒れること すらできない。  生きていることが、信じられなかった。  一撃を受けた瞬間に――死んだと、そう思った。 「――、―」  何だ、と言おうとした。けれど、カイルの口から漏れたのは 、ひゅう、というかすれた息の音だけだった。たたきつけられ た衝撃で息ができない。声が出せない。酸素が出せない。  混乱する頭を押さえつけて必死で状況を把握しようとする。 吐血はない。肋骨がおれ臓器が傷つかなかったのは、たぶん鎧 のお陰だ。それがなければ死んでいる。外傷はない――衝撃で 一時的に呼吸ができなくなっているだけだ。四肢に力が入らな い。衝撃が抜けるまでは、動くことすらできない。  けれど、  生きている。  死線を渡りかけたけれど――死んでは、いない。 「…………」  唯一動く眼球を動かし、カイルは正面を見た。  彼女は。  変わらぬ位置に、立っていた。動けないカイルに追撃をしよ うともしない。黄金色の大剣を振りぬいた姿勢のまま固まって いた。あの剣での一撃をまともに受けたのだ、と理解した瞬間 、背筋に冷たいものが走る。  同時に、理解する。  自覚して防御したのでなかったから、吹き飛ばされたように 。  彼女の一撃もまた――自覚してのものではなかったのだろう 。半ば反射的な、無意識による一撃だったに違いない。そうで なければ、今頃剣と鎧ごと両断されているはずだ。  それだけのことをなしえる力は、彼女にはあるから。 「……問題は、だ……」  最初に呼吸が戻った。息を吸い、はきながら言葉を出す。自 身に言い聞かせるように。そうしなければ、意識が刈り取られ てしまいそうだった。  問題は。  カイルは考える。果たしてあれが、どちらなのか。  少女なのか。  騎士なのか。  どちらが無意識のうちに攻撃をしたのか、考える。ロリ=ペ ドの意識は戻っているのか、それとも黄金色の聖騎士が動きを 取り戻しただけなのか。  まだ、動けない。  動くのは――相手の方が、早い。  黄金色の鎧が動く。振りぬいた剣を、ゆっくりと、ゆっくり とおろした。手から離しはしない。剣先を地面につけるように おろして、仁王立ちになる。地面に落ちた兜を拾おうとはしな い。首無し騎士のように、佇んでいる。  その、鎧の中から。 「――カイル、様」  彼女の、声がした。  低くうなるような聖騎士の無機質な声ではない。しばらくの 間ともに旅をして、聞きなれた少女の声。けれども少女の声に は――感情が感じられなかった。  聖騎士のように、無機質に。  絶対的な意思で――感情を殺して。  ロリ=ペドは、カイルの名を呼んだ。 「……ロリ、ペド――」  カイルもまた少女の名を呼ぶ。同時に、体が崩れた。壁から 身が離れ、地面に両膝をつく。両足に感覚が戻り――けれど感 覚が戻ると同時に、自分の足が震えていることに気付く。立ち 上がることができない。  黄金色の鎧を、カイルは見上げる。  騎士に兜はない。それでも、彼女と目があったような気がし た。 「戦ってください――カイル様」  鎧の中から、少女の声がカイルの名を繰り返す。  戦ってください、と。  その声と、共に。 「―――ッ、くぁ!」  本能的な危機を感じてカイルは右に転がった。跳ぶ、ことは できなかった。両足にまだ力は入らない。全身を放り投げるよ うにして芋虫のように転がるので精一杯だった。受身を取るこ ともできずに、地面に体をたたきつける自爆のような回避。  それでも、避けなければ。  言葉と共に――言葉の届く速度で踏み込んできたロリ=ペド の、地面を切り裂きながら振り上げるような一撃の餌食になっ ていただろうから。  風圧がほほをなでていく。黄金色の剣に切り裂かれた土砂が 、風に混じってカイルをたたいていく。城壁に一条の線が走る 。  二撃目は――こない。  振り上げた姿勢のまま、ロリ=ペドは再び動かない。カイル は足に力を入れて転がるのをとめた。両手からは、まだ剣が離 れていない。  剣を杖のように使って、体を起こす。完全に立ち上がること はできずに、膝立ちになって、ロリ=ペドと向き直った。  ロリ=ペドは、カイルを見ていない。剣を振りかぶった姿勢 のまま、鎧は、正面の城壁を見つめている。  カイルを見ないままに、ロリ=ペドは言う。 「教えてください――正義とは、何なのでしょう」  応える声は、  カイルではなく―― 『正義――此処』  セイギトハココニアリ、と。  置き去りにされていた鎧兜が、言葉を出した。『声』ではな い。空気を震わせての意思伝達ではない。カイルの頭に、ロリ =ペドの頭に、直接話しかけるような言葉。  黄金色の聖騎士の声。  ――これは、まさか――  確信を抱く。その声に―――声とともに放たれる、圧倒的な 気配にカイルは覚えがあった。それだけで人を殺せそうな重圧 。人間とは違う、神格すらある存在感。  黄金色の聖騎士。  龍の騎士。  正義の事象。  事象龍。  暁の―――――――――――――――― 「……、!」  思考が無理やりに中断される。三度目の一撃。体をひねりな がら、何の前触れもなくロリ=ペドが横なぎの斬撃を放ってく る。それでも、今度は反応できた。はじめから攻撃を警戒して いたカイルは、思い切り膝を伸ばして後ろへと下がる。  バックステップして距離をとり――かがむことなく、立つ。 イグニファイを地面につきたて、杖のようにして身を支える。 手足はまだ衝撃から立ち直っていないが、どうにか立つことだ けはできた。  ――立つだけだ。  とてもではないが、戦えるほどは回復していない。  もっとも――  ――彼女もまた、戦えるような状況じゃない。  横凪ぎの一撃を放ったロリ=ペドは、自身の剣速に耐え切れ ずに片膝をついていた。完全に、力に振り回されている。意思 と力が離合している。ちぐはぐで、あやふやで。  見ているほうが、危なっかしく感じるほどに。  今のロリ=ペドは――不安定だった。 「彼がいる此処に正義があるのか――正義があるから、此処に いるのか」  鎧の中から、声は続く。  無感動で、無機質で。  どこか、 「私には―――――――――――本当に、わからないのです」  泣き出しそうな――少女の、声。  応えるように、声が頭の中で響く。  龍の声が。  正義の声が。 『正義――唯々――此処――所在――』  セイギハタダココニアリ。  正義の実在を、龍は叫ぶ。  彼こそが正義なのだから。  けれども、ロリ=ペドは、その声を聞いていない。その声に 答えない。  事象の騎士は――不安定に、ゆれている。  まるで、  まるで、それは。  人間のように。 「ジュバ=リマインダスは――彼の正義を持っていました」  言葉と斬撃はともにくる。吐き出される彼女の言葉は、その まま動きになる。胸を裂くような、言葉にすることのできない 張り裂けてしまいそうな感情が、斬撃に乗って跳んでくる。  右下から左上へと切り上げる一撃。今度は逃げない。その場 に立ったまま、カイルは二剣で攻撃を受け流す。受けた手にし びれが走り、剣を取り落としそうになる。  爪が肉に食い込むほどに、強く剣を握り締めた。  落とすわけには、いかない。  今――負けるわけには、いかない。  彼女は悲鳴のように――問いかけてきているのだから。  カイルに対して。  助けを求めるように。 「長い腕のディーンもまた――彼の正義を持っていました」  振り上げられた剣がまったく同じ軌道で戻ってくる。剣をふ る暇はない。上体を思い切って前へと放り込む。後頭部の後ろ を斬撃が通り過ぎていく感触。  そうだろうか、とカイルは思う。  そうだろうな、とカイルは思う。  長い腕のディーンは、今となっては完全な敵だけれど――そ れでも彼は、彼の信念のもとに動いていた。彼は、彼なりの正 義のもとに動いていた。それは絶対的なものでもないし、すべ ての人間が望んだことでもなければ、反論の余地がない完璧な ものでもない。  それでも、揺るぎのないものだ。  善へと向かうゆるぎない意思が正義だというのならば。  ディーンは正しく、正義だった。その手法が、その思想が、 決定的にカイルには受け入れることのできないという、それだ けだ。  正義で、敵。  悪で味方よりは――わかりやすい。 「私は――暁のトランギドールの、騎士です。正義の――騎士 です。正義のために、正義として、兄様と共に――戦い続けて きました」  後ろから前へと斬撃がくる。ロリ=ペドの脇を抜けるように してカイルは体をいれかえ、イグニファイを斜めにして黄金剣 を上へと流す。手と足に力が戻ってくる。肺が活動を再開する 。  戦える。  まだ、戦える。  いつかのように。  ――暁のトランギドール。   正義の象徴。多くの騎士団の象徴として掲げられているのは 、その事象龍が『正義』を体現した存在だからに他ならない。 本来はあいまいであやふやで、決して定義できない、形のない ものであるはずの正義。  そして事象龍とは、形のないはずのモノたちが、形を持って 存在したものなのだ。  ゆるぎない意思の象徴。  正義の象徴。  普遍的な概念と――絶対的な概念。両者を備えた、正義の龍 。  ――鏡みたいだ。  カイルは、思う。あの魔物生態学者たちの友人として、そし て聖騎士として、カイルは事象龍という存在に対する機会が幾 度となくあった。あるときは文献で、あるときは伝承で。ある ときは――間近で、その降臨を、目撃した。  そして、今、思う。  鏡のようだ、と。絶対的な正義――それは決して、『答え』 ではない。正義とは何か、という、答えではない。  問いなのだ。  暁のトランギドールは――向かい合ったものに、問いかけて きているのだ。『正義とは何か』と。正義は其処にあるのかと 。それと対峙したものは、自身の中にある正義にいやおうなく 目を向けさせられる。それは誰もが持っていながら――ひとつ として同じものはない。  正義は此処にはないと、正義に対して目を背けてしまう者を ――暁のトランギドールの騎士は、容赦なく切り捨てる。  逆に。  ゆるぎない意思を持って、瞳をそらすことなく、これこそが 正義だとトランギドールと向かい合って言える者に対して、事 象龍は決して一方的な断罪を行わない。  南の果てで、カイルの剣によって退いたように。 「長い――長い、長い間――戦い続けてきました。正義として 。けれども―――」  ジュバ=リマインダスは正義を見せた。  長い腕のディーンは正義を行っている。  けれども。  けれども、少女は。  暁のトランギドールと、もっとも近くにいる彼女は。  カイルに敗北したことによって。  初めての敗北によって――  ・・・・・・ ・・・・  自身の正義を、見失った。  少女は、揺らいでいる。  少女は――彷徨っている。 「教えてください、カイル様―――――」  剣が――止まった。 「…………」  すかさずに後ろにとんで距離をとる。が、ロリ=ペドはカイ ルを追おうとはしなかった。どころか、手にしていた剣が、  手から、離れた。  黄金色の剣が、自重だけで地面を切り裂いて、半ばまで地に 埋まる。ロリ=ペドは剣を拾おうとはしない。  黄金色の鎧は、カイルと向き合ったまま、動かない。  動くことなく。  感情をこめることなく。  意思をこめることなく。  ぽつりと、  もらすように、  こぼすように、  鎧の中の少女は、      まるで泣くように、  まるで叫ぶように、  静かに、  カイルへと、問いかけた。   「私の正義は―――――――――――――――何処にあるので しょう…………?」      ・・  そして、それが起こった。  半年前の――再現のように。      †   †   † 「二千年前に、皇国を作り上げた『13人』の一人――『始ま りの聖騎士』と」  その言葉を発する瞬間、長い腕のディーンは自身の死を覚悟 していた。それが命がけの言葉であることをいやというほどに 自覚していた。  相手はファーライトの象徴たる『姫君』であり、  彼の想像が正しければ――この大陸で最も古い、最強の騎士 なのだから。その力がどれほど衰えているのかはわからないが ――単純な戦闘能力などもはや残ってはいないのかもしれない が――それでもまっとうに戦う気になどなれなかった。  想像。  否――自身の頭に浮かんだ言葉をディーンは否定する。それ は想像ではない。決して想像なんかではない。世界中に散らば る情報を統一し、その中から陽炎のように浮かび上がってきた かすかな真実の欠片。  そこへ、ようやく長い腕の先が触れたのだ。  想像などでは――決して、ない。 「二千数百年前、13人の手によって皇国は生まれ――ひとり が死んで12人になった。子供でも知っている、ごく古い古い 昔話です」  はやる心臓を押さえながら、ディーンは言葉を続けた。今自 分が死んでいないということは、発言を許されているというこ とにほかならない。この日を想像して幾度となく練習したとお りに、ディーンは話し続ける。 「けれども――その知名度とは逆に、それ以外の話はまったく といっていいほどに伝わっていない。たとえば――12人がそ の後どうなったのか」  薄いヴェールの向こうで――  かすかに、気配が揺らぐ。  ――思い出しているのだろうか。  想像することもできないほどに、遠く古い過去のことを。  かまわずに、ディーンは続ける。過去を探る言葉を。 「かろうじて――御伽噺のように、情報は残っていましたよ、 皇国の中央部に、埃に埋もれるように。  一人は皇国の皇となり、  一人はその妻となった。  二人は国を栄えさせた。  魔道師はその知識を残すべく学院を、  弓兵は弓兵の国を、  騎士は騎士の国を、  聖者は聖者の国を、  それぞれが作るべく、大陸の四方へ消えていった。  もっとも――勇者を含む残りの六人については、何も残され てはいませんでしたが」  ディーンは語る。自身が皇国に近づくことで得た情報を。価 値のない情報と見られ、中央書院の奥底で眠りについていた古 い文献を。意図的に学会から無視されている話を。  確証をもって。 『姫君』は応えない。  何も言わない。  だから、ディーンは語り続ける。 「その昔に何があったのかは知らないが、貴方は皇国を離れ、 この地に国を作り上げた。騎士の国家、ファーライトを。そう して騎士を子に譲り、『姫君』となって、国を守った。象徴と して。暁のトランギドールがゆるぎない正義の象徴であるよう に――貴方自身がかけることのない騎士の象徴として、国に残 った」  朗々と続くディーンの言葉に。  薄いヴェールの向こうから、  ようやく――声が。 『姫君』の声が、返ってきた。 「貴方の言ノ葉が真実ならば」  少女の声。  二千年生きているとは思えないほどに、若く高い少女の声だ った。  百年を変わらぬままに生きる、ロリ=ペドのように。 「私は、二千年を生きているということになります」 「言葉の通りだ」  ディーンがすぐさまにうなずく。ほかの人間が聞けば、荒唐 無稽と笑われかねない言葉を、ディーンは真顔で肯定する。  彼の意思に、揺らぎはない。 『姫君』も、また。  声を荒げることなく――問いを重ねる。  ディーンを試すように。 「どうしてだと――貴方は思うのです」  その、問いに。  ディーンはむしろ、あっさりといえるほどに、淡々と応えた 。  答えにならない答えで、応えた。 「実を言えば――そちらはどうでもいい。俺の目的は、後では なく、前にあるのだから」 「…………?」  その返事は、『姫君』にとっても予想外だったのだろう。ヴ ェールの向こうで、疑問の気配がある。人影が首をかしげたの が見える。  その反応に、ディーンは満足げな顔をした。話が一方的に進 むのは彼の好みではない。相手が二千歳であろうとも――自身 の情報によって鼻をあかせるのならば、それにこしたことはな い。  そもそも、  彼は、礼儀は払っていても――敬意を払っていない。  彼にとって、『13人』は。  ――逃亡者なのだから。 「誰も知らない。伝承にすら残っていない。疑問にすら抱かな い――根本的な疑問に対する答えは出ない」  彼は感情を言葉に出さない。  薄く笑った表情は仮面のように。  ことこの場にいたっても高揚することなく、  いつものように、  ディーンは、その長い腕の中にある情報を、口にした。 「彼ら十三人は、いったいどこから来て皇国を作り上げたのか ?」  気配が――固まった。  それが何よりも雄弁な答えとなった。ディーンは確信する。 自身の仮説が正しいことを。この疑問にたどり着いたのは間違 いではなかったのだと。  命をかけた計画は――もうとめられないことを、ディーンは 知る。 「貴方は、」  硬直した声で、『姫君』が言う。声がこわばっているのが、 はっきりとわかった。  仕方のないことだ、とディーンは思う。 『姫君』にしてみれば――それは決して、誰にも知られること のない、知られてはならないことなのだろうから。 「それを、知るというのですか?」 「仮説ならば。そして今、確信を持った」 「――――」 「貴方たちは――貴方たちは13人は――」  黙りこむ『姫君』に対して。  長い腕のディーンは、かすかな優越心と共に。  誰も知らない、古い古い真実を、口にした。     セカイ 「この大陸の外から来た。事象龍の住まう神の大陸へと」  ――大陸。  中央に魔の山脈を、西に砂漠を、東に荒野を。皇国を、ファ ーライトを、西国を、東国を、極東を、ロンドニアを、南国諸 国を、人と魔と龍が住まうこの大陸。  大陸に、名はない。  誰もがただ『大陸』とだけ呼んでいる。大陸の周りには海が ある。海はやがて奈落の其処へとどこまでも落下するとうわさ されているが――実際に確かめたものは、一人としていない。  大陸の外へと出て、戻ったものは零に等しい。  海を越えられないのではなく。  二十と一の同盟が、人が外へと出ることを許さない。  けれど。 『外』があることは証明されている。空から訪れるフォーリア ンのように。存在するはずのない技術が転がっているように。  この大陸の外には――それがほかの大陸なのか、ほかの世界 なのかはわからずとも――必ず、『何か』があるのだ。  ディーンは幾億もの情報の中から、その仮説を導き出した。 ほかにも大陸はあるのだと。そして、かつて13人はそこから きたのだと。  ならば。  ならば―― 「ならば俺の目的はひとつだ。この大陸から、この世界の『外 』へと出る。そう――大陸を囲むように存在する、二十一から なる魔王の同盟を打ち破り、『外』へと。魔物にあふれる世界 から、民衆を『外』へと連れ出す。そうして俺は―――――― ――」  もはや覇気を隠すこともなく。  不遜のように、  傲慢のように。  さながら、  勇者のように。  長い腕のディーンは、彼の――揺るぐことない、正義を口に した。 「――――――――――――――――――真に英雄となる」        †   †   †  それは、正しく半年前の再現だった。南の果て、南海事件と 呼ばれた島がひとつ消滅した事件の再現だった。当事者以外に は誰も知ることのない――最後の戦いの、再現だった。  今、カイルの見る前で。  ファーライトの中央で。  暁の龍が蘇る。 「……最悪だ」  ため息と共にはき出た言葉には、悲しいくらいに力がこもっ ていなかった。口にした自分のほうが泣きたくなるくらいに絶 望的な言葉。悪運もここにきわまれり、とはこういうことをさ すのだろう。  まさか――生涯で二度も、事象龍と向き合う羽目になるとは 思わなかった。 「……なんか三回目とか四回目とかあるような気がするなあ… …」  ため息交じりの言葉は、はっきりといえば現実逃避である。 目の前で起こりつつある出来事から、できることならば目をそ らしたいという悲しい主張がこぼれでていた。厳密に言えば『 一度目』は彼が覚えていない昔に体験しているのだが、覚えて いない以上彼にとってこれは二度目の遭遇である。が、何度目 だろうが遭遇したくないことにかわりはなかった。  啓示を受けるならばともかく――敵として向かいあう相手と して、これほど絶望感をあおる相手はほかにいない。  できることならば、戦いたくなかった。  それでも、そんな願望とは関係なく。  彼の前で、事態は進行する。 『正義――正義――正義――此処――正義――此処――所在― ―』  輪唱するように、頭の中で声が響く。正義、正義、正義は此 処に在り。脳を破壊するかのごとく、意思を侵食するかのよう に、正義という言葉が世界を満たしていく。  イグニファイとロングソードを地面に突き刺し、気を抜けば 塗りつぶされてしまいそうな意識をカイルは必死でこらえた。 ため息を吐くのは余裕からではない。そうすることで、いつも の自分を必死で保とうとしていた。流れ出る汗は、疲労ではな く純然な冷や汗である。  正義。  正義が――迷走し、暴走している。  今、カイルの目の前で起きている光景は、そう表現するのが 最も正しかった。  かつて南の果てで、暁のトランギドールが地上に降臨した。 ロリ=ペドの黄金色の鎧に封印――あるいは鎧そのものとなっ ていた――事象龍・暁のトランギドールが、同じく事象龍・蒼 のインペランサの降臨にひかれるようにして姿を取り戻した。 黄金の体を持ち、雷とともに姿をなす暁の龍、正義の事象龍暁 のトランギドール。  けれど――今は、決定的に違った。  龍の姿を成していないのだ。  黄金色の鎧が肥大化して姿をなしていく点は変わらない。け れども、騎士たるロリ=ペドの迷いを、そのまま鏡に映したか のように――龍の姿が暴走している。  揺らぎなき正義の姿を形どれない。  それでも肥大化は止まらない。黄金色の鎧は、まるで巨大な 肉塊が膨れ上がり続けるような、異様な姿を見せていた。龍と しての壮大さなどどこにもない。邪悪とすらいえるような、見 るだけで嫌悪感を抱かずにはいられない――黄金色の肉塊。  それが、今の暁のトランギドールだった。  かろうじて龍の形を成そうとしているが――そのたびに肉が 崩れて、崩れた肉が異常増殖する。暴走はとまらない。迷走は とまらない。城壁を越すほどの大きさに、黄金色の肉塊は膨れ 上がる。人よりも太い触手が幾本も幾本も分裂し増殖し崩れな がら生えていく。  異形。  神よりは――悪魔に近い。悪魔ですら、ここまで劣悪ではな いだろう。  迷いが。  心の迷いが――正義を形作らない。 「……逃げたいなあ」  言葉に嘘はない。できることならば、今すぐ回れ右をしてこ の場から逃げ去ってしまいたかった。この巨大かつ凶悪な物体 と戦うことなど想像もしたくなかった。第一、事象龍そのもの を相手に戦えるような人外さ――あの勇者が持つような――は 、カイルは持ち合わせていない。  勝てるはずがない。  できることなら、逃げたかった。   できることなら。 「…でも、できないんだよな――それだけは」  逃げることだけは――できない。  カイルは見てしまった。黄金色の鎧が膨れ上がる一瞬に。  その中に閉ざされていた――ロリ=ペドの姿を。  彼女は、カイルを見ていた。泣くこともできずに、意識を失 う寸前で、それでも、カイルを見ていた。  貴方の正義は何ですか、と彼女は言った。  私の正義は何処ですか、と彼女は言った。  彼女の瞳は――  助けを求めているように、カイルには見えた。  正義は。  正義とは何かを、黄金色の瞳は問うていた。  ならばこそ。  勝てなくとも。  逃げるわけには、いかない。  負けるわけには、いかない。 「君の正義が何かは、僕には教えることはできない」  言葉と共に。  ――覚悟を、決めた。  右の手を持ち上げる。右手に握り締めるのは黒い剣。聖騎士 としての証。欠けることも曲がることもない、オリハルコンの 剣。  イグニファイ。  その剣先を――巨大な龍へと、カイルは向ける。 「それは――きっと、自分で見つけるものだから」  左の手が動く。  左手に握り締めるのは白い剣。戦うと誓った日から、決して 折れることのない信念の剣。『姫君』から授かった、彼が戦う 、彼の正義の証。  名もなきロングソード。  その剣先を――イグニファイと重ね合わせる。  二剣を、構えて。  カイル=F=セイラムは、暴走する暁のトランギドールと対 峙した。 「僕にできるのは――僕の正義を見せることだけだ」  それはかつてのように。  揺らぐこともなく、  折れることもない、  信念の戦いを見せて、ロリ=ペドを退けた、南の果てでの戦 いのように。  戦うだけだ。  自身の正義は何かと問うたロリ=ペドに――その身をもって 、応えるだけだ。  命をかけてでも。 「剣は信念のもとに――命は故郷の姫君とともに」  黒い旋風、聖騎士カイル=F=セイラムは、二剣を構えて。 「僕の正義にかけて――君を助けてみせる」  黒い旋風が、疾け出した。 ■   カイルのディシプリン 第二十五話  Loli's DISIPLIN  ... END  ■