人魔大戦後SS               『天国は待ってくれる』  王立魔法研究所の所長――それが俺の持つ肩書きだ。  実際のところ俺がなにかをしたから所長になったのではない。俺がガトー=フラシュル の子孫で、ご先祖様と同じような結界術を使えるからこの地位を与えられたのだ。  皇国の機能の一つでしかない俺。  所内の研究に係わる事もなければ係わらせてもくれない。  仕事は副所長がより分けた書類に許可印と不許可印をぺたぺた押す。ただそれだけ。  今日も、そんな意味のない時間が過ぎていく。  それは嫌で嫌で仕方がないけれど、俺が冒険者になって様々な苦難を乗り越えて日々の 糧を得るなんてことも想像できない。  だから、こんな退屈な毎日ではあるけれど辞めない。辞められない。  判子押しが粗方終わった所で伸びをして椅子の背もたれに体重を預ける。  ぎし、と音がした。  自然と目は天井に向かう。  最近出来たばかりの新しい研究所。学院にいた時のように穴が開いたり染みがあったり 誰かの名前の落書きがあったりはしない。綺麗なことはいいことだ。でも今の俺にとって それは寂しさを感じさせるもの以外のなにものでもない。 「ガストのやつは何やってるかね……」  学院時代の悪友、ハロウド=ガスト=グドバイのことを思い出す。  彼が本を書くために退学してからは一回も会っていない。  食に関しては事欠かないだろうから餓死はしないとして、血の気の多いやつだったから そこらで喧嘩して死んでるんじゃないかと思う。 「……はぁ」  嘆息して、ガストがそんなことで死ぬタマじゃないことを思い出した。  そして、何気なく部屋の窓から外を見た。俺が守る街。否、守らなければいけない街、 復興しつつある皇都の街並みがそこには広がっていた。  皇都の東端にある王立魔法研究所は皇都の様子を全てを見渡すことが出来る。右手にあ る皇帝の居城から順に、中央通り、南門と大きな道や主たる設備は大体完成している。そ こにこれから店が並んだり民家が並んだりするのだろう。西端の方はもう深夜を回ってい るのに未だに明るい。そういえばあそこには売春宿と飲み屋が軒を連ね、ゴロツキが練り 歩いてていたなと思い出し、新しい街でもそうなるのかと感心した。  目をどんどんと移していく。  研究所のすぐ近くにある行きつけの菓子屋「ゴードン」とか、本屋の「乱月」、不思議 な雑貨屋「絃魔館」、昼間は露店で賑やかな中央通りも今はひっそりとしている。 「――ん」  そして、どこかから移してきたという時計塔に目をやった時、俺はなにかを見つけた。 「なんだありゃ……」  時計塔の上――確か立ち入り禁止だった――で誰かがなにかをしている。  その動きにはある一定のリズムがあり、どうも踊っているみたいだった。  それは、誰もいないのに誰かと手を取り合ってワルツを踊っていた。  俺は何故か目が離せずそれを最後まで見ていた。どれだけ見ていただろうか。その人影 は、踊るのをぴたりとやめて俺のほうを向いた。  きっとあれは俺が見えていない。ただ、仮想の観客に振り返ったのだろう。そして、両 手でスカートをつまむような動作をして礼をした。  それきり、見えなくなった。                 † † † † 「あぁ、見ましたか」  判子押しのすんだ書類を渡すとき、副所長に昨日のことを告げるとそう言われた。 「前々から評判だったんですよ。月が綺麗な夜にあの時計塔で出るっていうのは」  そう言って幽霊のように手をぶらーんと垂らして副所長はにやにやと笑う。  どうでもいいが俺はこの副所長が苦手だ。いつもにやにやと笑っており、一見人のよさ そうな人物に見えるが、心の奥底では何を考えているのか分からない。  正直怖い。  もともと皇国の人間だったのかそれともこの研究所を作るときに募集された人物なのか は分からない。ただ、魔法についての知識はかなりのようで俺の結界術についても相当な 知識を持っているようだ。そして、本来ほとんどの人が知るはずのない結界「ワンダフル ワールド」のことも知っていた。相当に怪しい人である。  と、それは置いておいて、話を聞く限りでは月の綺麗な日になるといつもあの時計塔で 幽霊が踊っているのが目撃されるらしい。今の皇都は人魔大戦で焼け野原になった跡にも う一度作られた。不死者が出ないように厳重に浄化されたと聞いたはずだが……。 「教会はやること杜撰ですからね。所長もあまり信用しないほうが良いですよ。神様は助 けやてくれません」  俺がそう言うとにやにやと笑いながらそう答える副所長。きっと昔なにかあったのだろ う。 「で、昨日のでたまっている書類は全部ですので今日は仕事がありません。非番ってやつ ですね。街に繰り出すなり自分の趣味に費やすなりして遊んでくださ……あぁ、すみませ ん、すっかり忘れてました。今一人面会希望の人がいらっしゃいましたが。どうしましょ うか。帰らせることも出来ますが」 「あー帰ってもら……、いや、やっぱいいや。ここ連れてきて」  どうせ暇だし。  何の用事かは知らないけれど、少しは暇つぶしになるだろう。  分かりましたと副所長が言って所長室から出て行くのを見送った。  ふわふわと文章にもならないことを数分考えていた。すると、ドアがノックされる。  どーぞと答えるとドアが開き―― 「は?」  大きな鎧が入ってきた。  たしか、身分の高い人が着ける全身鎧だったと思う。それがガチャガチャ音を立てなが らこの部屋に入ってきたのだ。 「あぅ、す、すみません……」  大きなそれに見合わない声が中から聞こえてくる。中身は女性のようだ。 「冒険者をしているアヴァンテイル=マローラといいますあの、ちょっと事情がありまし て甲冑は脱げないんです。ごめんなさい……」 「構いませんよ。王立魔法研究所所長のガレット=フラシュルです。で、なんで私のとこ ろに?」  おそらくその事情関連のことであろうが。一応聞いてみる。 「えぇと、所長さんは色々な魔導具について研究しているとか」 「そうですけど」  といっても、ご先祖様の残した文献をあさってそれ通りの実験をしたりだとか、実際に 使ってみたりとかで大したことはしていない。 「えぇと……、その中で人型のガーゴイルってありましたか?」 「人型のガーゴイルですか」  今までご先祖様の遺産を見た限りではそういったものはなかった。しかし、たしか管理 品目録にはそのようなものが載っていたような気がしないでもない。  まぁ、どちらにしろすぐに答えれるような状況ではない。 「今すぐにはお答えできませんね。少し時間がかかりますがそれでもよければ確認します が、どうしますか?」  俺がそう言うと彼女はえっとと呟いて、数秒後にお願いしますと言った。 「では、二、三日後にまたこちらに来てもらっても構いませんかね? ただ、あまり期待 はしないで下さいね」 「あ、はい。わかりました」  そう言って、少し四方山の話をして彼女は部屋から出て行った。  結局最後まで甲冑は脱がなかった。                 † † † †  日中はアヴァンテイルさんが言っていた人型のガーゴイルを探す作業で丸々潰れてしま った。しかも一日潰しても管理品目録全てに目を通すことは出来なかった。  休憩を挟んで夕食後も軽く目録に目を通していたが一向に見つかる気配はない。  結局、目録の三巻目に目を通し終わった時点でやる気は全て無くなってしまった。  で、今何をしているのかというと。 「高ぇ……」  昨日幽霊を見たのと同じ時間。俺は時計塔の屋上、その端っこに座っていた。 「それに寒ぃ……」  よく考えるとクラウドシェイカーがこの地を去って久しい。今は秋も半ばを過ぎた頃な のだ。一ヶ月ほど前までの熱帯夜がまるでなかったかのように冷たい風が俺に吹き付ける。 「白衣とマフラーじゃ駄目だったか」  そう呟いたとき、魔力が辺りから集まってくるのを感じた。  濃密になった魔力は人を形作り、女性になった。  格好があまりに薄着で寒いんじゃないかと思ったが、アストラル体は暑さ寒さを感じな かったことを思い出す。そしてそれは周囲をきょろきょろ見回したあとで、 「隠れてないで出てきたらどうです?」  と言った。  おそらくそれは俺に向けた言葉であろう。敵意のこもった言葉ではなく、単純に誘って いるような感じ。まぁ何かあっても結界を使えばいいかと思って立ち上がり、女性のもと へ向かった。 「隠れてるつもりはなかったんですけどね」  遠くて見えなかった女性の顔も近づくにつれて月明かりでようやく見えてくる。 「……ッ!」  向こうもこちらが見えたのだろう。驚いた顔をした。 「はじめまして、ガレットと言います」  フラシュル姓も自分の身分も明かさなかった。相手は霊体なのだから肩書きなんてあっ てないようなものだろう。 「え。あ、はじめ……まして」  何処かで聞いた声である。しかもごく最近。でも、顔に見覚えもないので誰かと勘違い している可能性は否めない。というか、アストラル体の友達なんていないし。 「特に用事は無いんですけどね。昨日もここで踊ってましたよね」  俺がそう言うと彼女は顔を真っ赤にして俯いた後小さな声で見てたんですか。と言った。 「相手もいないのに、ワルツなんて踊ってて……、馬鹿みたいだと思いましたよね」 「そうですね」  思わず、正直に答えてしまった。  彼女は頬を膨らませ、涙目で俺のほうを睨んでいた。 「……」  やばい、相当怒ってる。目が怖いぞ。 「……」  彼女は俺に近づいてくる。 「……」  やばい、呪われる――。  そう思って身構える。が、俺の予想と反して彼女は手を差し出してきた。 「は?」  呆けた声でそれに答えると、 「なら、貴方が相手になってくださいよ。今日一日だけで良いですから」  膨れたままの顔でそう言った。 「ちょ、俺ダンスなんか――」 「王立魔法研究所の所長なんだから踊れない訳無いでしょう」  俺がいつ所長だって言ったのか分からない。でも彼女が俺の手を握り――魔力由来のア ストラル体である彼女はどうも俺に触れるらしい――無理やりダンスを始めた時にはその ことを考える余裕はなくなってしまった。  1、2、3、1、2、3  心の中で拍を数え、必死で足を動かす。  学生のころ皇七郎博士に習っといて良かったと心底思う。  1、2、3、1、2、3  若干余裕が出てきた頃、顔を上げると彼女も同じタイミングで顔を上げた。  月と星に包まれて、静寂の中でワルツを踊る。  どれだけ踊ったか分からない。  彼女が無理やり締めて踊りは終わった。 「……ありがとうございました」  手を離して、彼女は礼を言う。 「もう、これでいい気がします。私は、これで還ろうと思います」 「帰る?」 「えぇ、還ります。最後に貴方と踊れてよかった」  そこで、ようやく彼女のかえるは俺の考えていたかえると違うことに気がついた。 「なんでですか?」  こういうことは本来聞かないで還らせた方がいいのだろう。でも、聞いてしまったのは 学院の頃のあの事件を思い出したからだと思う。 「だって、もうこの世にとどまっていても意味は無いんですから。頼りにしていた事だっ て、あまり期待をするなと言われました。だから、還るんです。きっと閻魔様がもう還っ てこいって言ってるんでしょうね」  彼女は俯いた。 「ずっと前から考えていました。普通の生活に戻りたいって。でも最近は違うんです。な んであの時にちゃんと死ななかったのかなって。あの時に素直に死んでいれば今こんなに 頑張らなくてすんだのにって。そう、思うようになったんです。沢山頑張ったんです。本 当はしたくないことだってしました。でも、もう疲れちゃったんです」  服をぎゅっと握り、彼女は下唇を噛んだ。  悔しがっているような、今にも泣いてしまいそうな顔。  同情心は湧かなかった。ただ、イライラした。  こいつは何を言っているんだろう。  頑張った?  そんなものは自分で言う言葉じゃねぇ。何言ってやがる。 「ふざけんなよ」 「え……?」  高ぶっていた感情は、言葉であふれ出た。 「なんだよそれ。何が頑張っただよ。何にも変わってないんだろ。じゃあそれ頑張って ねぇよ。頑張りきれてねぇよ。頑張れば何かが絶対に変わるに決まってるだろ。頑張って 変わらないことなんかあるかよ。現状に満足してねぇならそれから抜け出すようにしろよ。 それが出来ないならその現状で何か面白いこと見つけてみろよ。愚痴なんか言ってても何 もかわらねぇよ。頑張ったかなんてのは自分が決めるもんじゃねぇ、傍から見てる誰かが 決めるもんだ。限界まで頑張れよ。頑張りきれよ」  この言葉は、他の誰にでもない俺への言葉だ。  自分への言葉を、罵倒とともに浴びせられる彼女は気の毒だ。でもそれは抑えられない。 「そんなに還りたいなら還してやるよ」 「え……?」 『囲え――涼』  回復用の結界を展開する。 「魔力で出来たアストラル体ならよりでかい魔力で包めば消えちまうよな。この結界はそ ういうもんだ。ゆっくり、お前を還してやるよ」  俺は胡坐をかいて座り込む。尻が少し冷たい。 「……」  彼女は何も言わない。でも明らかに戸惑っている。 「何現状に甘んじてるんだよ。抜け出そうぜ。利用できるものは利用しようぜ。寂しいな ら誰か呼ぼうぜ。簡単なことじゃないか」 「でも……ッ!」  ようやく口を開いた。足元がぼろぼろと崩れ始めている。 「でも、私には頼れる人はいません。信頼できる人はいません。利用できる人だって…… いません」 「じゃあ俺頼ればいいじゃねぇか。俺は公僕だ。皇都の人間全員に仕える義務がある。幽 体でもお前は皇都にいるんだろ? じゃあ俺が協力してやるよ。何がしたいのかしらねぇ けど手伝ってやるよ」  現に、今日だって見ず知らずの冒険者のせいで非番がつぶれたし。 「本当……ですか?」  そう言った彼女はもう胸元まで崩れてきている。思っていたよりも崩壊が早い。 「あぁ、本当だ。で、どうするんだよ。本当に還っていいのか?」 「……だ」  ぼそりと呟いた。 「え?」  もう一度聞き返す。 「いや……です」 「聞こえねぇ」 「いやです! 私はまだ、還りたくない!」  大きくそう言った。 「知ってるよ」  分かりきっていた答えを聞いて結界を解除する。そこら中に四散した彼女の魔力が戻っ てくる。 「俺は、俺のために生きれない。でも、これからは少しでも俺の人生を面白くするために 生きていきたい」 「なら私は自分のために生きられない貴方を利用させてもらいます」  そして、俺ら二人は笑って別れた。  時計塔を出て、研究所の裏口から自室に戻る。  その自室への途中、誰かが廊下で立っていた。 「おやおや、所長じゃないですか。こんな夜遅くにどちらにお出かけですかな」  にやにや笑いの副所長だ。 「別に、関係ないだろう。あぁ、それと所長特別費。あれ少し引き出しておいてくれるか な」 「おや、どういう風の吹き回しですか。今まで使うのを死ぬほど嫌がっていたのに」  少し驚いた顔をしていた。こいつの笑い顔以外を初めてみた気がする。 「別に。やりたいことが出来ただけさ」 「それは重畳。では明日にでも」  そんな会話をして、その日は布団に入った。                 † † † †  扉をノックする音がする。  目録に目を通しながらどーぞと言うとガチャガチャと音がしてアヴァンテイルさんが入 ってくる。そういえば今日来てくれって言ったな。 「あの……」 「申し訳ないんですけど、人型のガーゴイルは見つかりませんでしたね。一応他の文献と か調べてみましたが、やっぱり人型ガーゴイルについてはなんとも」 「そうでしたか……」  沈んだ声で彼女はそう答える。 「えぇと。それでですね」  てっきり帰るものだと思っていたら彼女はおもむろに兜の面の部分を上げた。 「一昨日振りです」  そこにあったのは、多少美化されているものの大理石で出来た一昨日のあの幽霊と同じ 顔だった。 「――は?」 「えぇと、どうもアヴァンテイル=マローラは私です」  口も動かさず瞬きもせず声がするのは一種ホラーだ。 「私自体はこの鎧に宿っているんです。で、それを私の姿に似せた全身像に移し替えられ ないかなって思ったんです。でもそれじゃ動けないじゃないですか。でも人型のガーゴイ ルがあるならそういう風に全身像作ってもらえば良いと思ったわけで」  大胆というかなんというか……。 「ガレットさん。あれですよ。人型のガーゴイルが無かったらガレットさんが作れば良い んじゃないですか」 「は?」 「だって、利用できるものは利用しろって言ったじゃないですか」  そして、大理石の顔が微かに動いて笑った。  なるほど、人型ガーゴイルも夢ではないようだ。                 † † † † 「それで、今みたいにわがまま放題になった訳な」 「わがまま放題とな!」  と、そんなちょっと前の話を酒を飲みながらガストと話していた。もちろん場所は所長 室だ。どうにも酒を飲みながらだと恥ずかしい話をしてしまう。 「わがまま放題じゃねぇか。で、それ五年前の話だろ。結局そいつはどうしたんだよ」 「あー、それがな……」  バンと大きな音を立てて扉が開いたかと思うとガチャガチャ音を立てて甲冑が入ってく る。 「今月分の魔法銀です。いつになったら出来るんですか。もう五年ですよ、五年!」 「と、まぁこんな感じで未だに甲冑住まい」  魔法銀を受け取りながらガンガンとアヴァンテイルを蹴る。 「何蹴ってんですか!」 「うっせぇ。ガチャガチャ煩いんだよ。胸が足りなくて良いなら作っても良いぞ」 「話で聞いていたのと大分印象が違うんだが……」  それはそうだ。どうにも奴は猫をかぶっていたらしい。親しくなるにつれて段々と本性 が現れてきたようで、がさつになっていった。というか、女の傭兵なんざこんなもんだろ う。 「む、胸が足りないのか。てか、そこの少年に色々バラしましたね」 「いいじゃねぇか。恥ずかしいのはてめぇだけじゃねぇんだから。で、どうする。洗濯板 でいいなら作れるぞ。もっとも鋳造とか魔力の練りこみとかでまだまだ時間かかるけどな」 「……そうですか。じゃあまだ我慢することにしましょう」  残念そうにしてとぼとぼと扉に向かって出て行った。 「おい、落ち込んでたみたいだけど良いのかよ」 「大丈夫だろ」  まだ時間は沢山あるのだから。                 おわり