――今なら、わかるような気がした。  ハロウド=グドバイは言っていた――たとえ王国を追放されたとしても、君は騎士であり、 死ぬまで騎士であり続けるだろうと。それが君なのだと、彼は言っていた。その言葉の意味を、 カイルは今更のように理解する。  そうだ。  死んだことも、追放されたことも、関係ないのだ。  ――僕は、僕だ。  守りたいものがあると誓った。守りたい人があると思った。好きなものを、好きな人を、好 きな人たちを、この大好きな世界を守りたいと思った。だからあの日に、遠い過去の日に―― 騎士になることを誓ったのだ。  ――僕は、騎士だ。  だから、今。  すべてのしがらみを捨てて。  カイル=F=セイラムは、守るために剣を振る―――― ■   カイルのディシプリン 第二十七話  KYLE's DISIPLIN    ■ 「双剣、」  右の手には黒い剣イグニファイ、左の手には名もなき古きロングソード。二本の剣を交差す るように構えたままにカイルは駆ける。とまらない。誰にもとめることはできない。一歩でト ップスピードに乗り、文字通りに一陣の黒い風となって駆け抜ける。  行く手には、黄金色の触手と、  それに守られるようにして存在する、黄金色の球体。  あの中に――ロリ=ぺドがいる。  この国を守るために。そして、何よりも彼女自身を救うために、カイルは駆ける。  けれど。 「巻、」  風、と。技を出すことはできなかった。とっさに出しかけた技を無理やりにやめて、受身も 考えずに地面に倒れるように伏せる。  その真上を、  ――死の感触が、流れていった。  ぱん、と空気が押しつぶされる音が耳元で聞こえ、わずかに送れて衝撃波が来る。黄金色の 触手が、空気を切り裂く速度で迫ってきたのだ。カイルでなければ、よけることもできずにつ ぶされていたに違いない――それほどまでに、速く、重い。  太さが人間ほどもありそうな触手は、何の予備動作もなく『伸び』、数瞬までカイルがいた 位置を貫いたのだ。  殺気すら、感じなかった。  カイルが近づいてきたから、自動的に攻撃してきたかのような――無機質な感覚。 「っ、!」  そのことを悟った瞬間、カイルは地面に倒れたままで高速で転がった。起き上がる暇も余裕 もない。  相手が自動的に攻撃してくるというのなら、  今もなお、カイルは『暁のトランギドール』の攻撃半径にいるはずで――  ばん、と。  地面が、破裂した。  先の触手とはまた別の触手が、空高くから一直線に振り下ろされたのだ。空気が砕け、接触 した瞬間に地面が爆ぜた。長い長い触手の形に地面が消滅し、押しつぶされた土砂が勢いよく 舞い上がる。  カイルと共に。 「なんて――むちゃくちゃな!」  中空で器用に体勢をかえながら、カイルは苦々しくつぶやいた。つい先までは地面にいたの に――今では城門よりも高くへと吹き飛ばされてしまった。地面が、そしてトランギドールが はるか下に見える。  鳥になった気分だった。  勿論、カイルは鳥ではない。魔法も技術もないカイルは、当然のように、  堕ちる。 「う、うぁ」  悲鳴をあげる暇は――なかった。  空中ですら、そこはまだ、暁のトランギドールの間合いだったのから。 「双剣――巻風っ!」  何もない空間で体を前へと放り投げ、空中で無理やりに姿勢を変える。重心が変わったこと により落下の向きが変わり、  真下から、槍のように突き出される黄金の触手。  それをぎりぎりで交わし、動の部分に斬戟を叩き込む。あの鎧のような硬さを想像していた が、触手は予想外に柔らかかった。弾力のある感触。剣は中ほどまで刺さり、けれど切り落と すことはできなかった。  体をもう半回転させ、伸びきった触手の上に着地する。やはり柔らかく、  どくん、と。  脈動しているように、感じた。 「…………、」  その鼓動を感じながら、カイルは剣を抜くために力をこめる。触手の上を走ってたどれば、 本体である『球体』のもとに届く。どうにかして、たどり着かなければならない。そう思って 力を要れ、  抜けない。 「……え?」  もう一度力を入れるが、抜けない。中ほどまで食い込んだイグニファイもロングソードも、 ぎっちりと触手に食い込まれて抜くことができない。まるで筋肉でしめとられているかのよう に、びくりともしなかった。  まずい、と思う暇もなく。  三本目と四本目の触手が、左右から同時に襲い掛かってきた。  かすっただけでもつぶされそうな勢いで、左右から黄金色の触手がしなりながら振りぬかれ ようとしているのを、カイルは明瞭と見た、その間にも脳は動き続ける。避けなければ死ぬ。 けれども、剣はいまだ抜けない。否、たとえ抜けたとしても、アレを受けることはカイルには できない――  死ぬ、と。  わずかに、そう思って。  死ぬわけにはいかないと、カイルの心は、強く否定した。 「双剣――」  一瞬にも満たない時間の中でカイルは動いた。両の手に力を入れる。このまま触手を切り落 とし、返す刀で両方の触手を受け流す。  できるとは思わなかった。  たとえできなくても――やらなければならない。  こめた力を、すべて刀に注ぎ、  その瞬間に。 「     大     切     斬     !!     」  聞き覚えのある声と共に――光が、疾った。  まばゆいばかりの光は、力をもって駆け抜ける。カイルがたつ黄金色の触手を、その飛ぶ光 は一撃で切り落とす。重力に引かれて足場が落ち、カイルがあわててしゃがむと同時に頭の上 を二本の触手が左右へと流れていく。  切り落とされた触手は落ち、カイルはこめた力を、 「――怒槌っ!!」  一気に――解き放つ。  中ほどまで食い込んだ剣が、本体から分たれて力を失った触手をさらに分断する。振りぬい た二本の剣が触手を切り刻み、足場が地面に落ちるよりも先にカイルは跳んだ。  向かう先は、城下街と王宮をわける『内壁』。  そして、そこには。  まるでヒロイック・サーガに出てくる主役のように堂々と、剣を振りぬいたままの姿勢で勇 ましく笑っている一人の男が――  その男の名を、カイルは叫ぶ。 「――ジュバさん!」  名を呼ばれ、ジュバは剣を持たない左の親指を立てて自分を指し、 「俺、参上!」  うれしそうに、そういったのだった。  言葉に答えるように、くるりと姿勢を整えてカイルは内壁に着地する。わずかに遅れて、下 の地面へと黄金色の触手が落ち大きな音を立てた。すぐさま警戒するが、『内壁』は射程外な のか、触手が襲ってくる気配はなかった。  そして――  横に降り立ったカイルを見て、東国騎士団騎士団長、ジュバ=リマインダスは、不敵に笑っ た。 「どうやら見せ場には間に合ったみたいだな――やっぱり俺がいないとしまるものもしまらな いな」 「いや……決してそんなことはないんですけど。今回、ジュバさん部外者ですよね」 「おいおい何言ってんだカイル、ここまで付き合った俺を今更部外者扱いはないだろう」  勿論、目的があってのことだがね――嘯くように、ジュバはそう付け足した。  そのことはカイルにもわかっているので、ただ黙って、ため息と共に肩をすくめるだけだっ た。いくらジュバが戦闘狂に近い人間だからといって、何の理由もなく他国の戦にここまで手 伝うわけはない。彼の行動の裏には、東国や皇国、王国などの地理関係を含めた情勢や―― 『今後』のことを見通しての行動も含まれているのだ。  それがわかっていたとしても。  今は――彼が味方であることが、有難かった。 「私もいるわよぉ」  と。  城壁の下から、上にいる二人に向けて声がかけられる。聞き覚えのあるオカマ声に、カイル は恐る恐る下を向き、  想像通りの人物が、そこにいた。  疲労満面といった様子で城壁に背を預け――それでもどこか妖艶な笑顔を浮かべて、カイル を見上げている聖騎士ユルゲル。彼――あるいは彼女――はカイルと目があった瞬間、「はぁ い」と手を振った。 「ユルゲル……」 「なんとか、生きてるわよ」  ぎりぎりだけどね。そう付け加えて、ユルゲルは愛嬌をこめてウィンクをした。見たところ 怪我はなく、異常に疲労しているだけに見えた。 「どうして二人が……」  カイルのもっともな問いに、ジュバは一言で答えた。 「訊くな」 「…………」 「いいから訊くな」  強い口調で言い捨てるジュバに対し、城壁の下からくすくす笑いが響く。ジュバがいやそう に顔をしかめ、 「ちょっときいてよカイルー。この人ったら二対一で龍将軍に挑んだくせに最後あしらわれて 逃げられてるのよぉ」 「だから言うんじゃねえカマ騎士!」 「俺は男だ!」 「口調を適当に変えんじゃねえよ!?」 「……だいたい、何があったのかはわかった……」  あんまりわかってはいなかったが、これ以上コントのようなやり取りを見ている暇はなかっ た。  龍将軍――12剣聖の一人にして、『十二軍団』どころか国家にすら忠誠を誓うことなく 『皇帝』ただ一人に力を貸す、龍の騎士すら打破する男、龍将軍ナチ。  アレがきていたのか、と思うと同時に、カイルの背にぞっとするものが走る。もしもうわさ がすべて本当ならば――そしてその上で、殲滅する気で相手がきていたのならば、全員でかか らなければ倒せないほど強力な相手のはずだ。  それが――向こうから退いた? 「此れが出てきたからなんだろうな。撤退の時間――ってことか」  カイルの疑問に答えるように、ジュバはあご先で暁のトランギドールを指しながら答えた。 今回ナチは長い腕のディーンに協力するような形できているはずだ。彼の目的が終わったのな らば、いつまでも敵地にいる必要はない――そういうことなのだろう。  それは、つまり。  今回は――どこまでもディーンの手の平の上だということになる。  ここでロリ=ペドを止めることができなければ、それこそ、ディーンの思うがままなのだろ う。 「まあ――次は殺すけどな」  飄々とジュバは嘯く。果たしてその言葉は、ディーンに向けられたものなのか、龍将軍ナチ へと向けられたものなのか。  あるいは、すべてへと向けられたものなのか。  カイルにはわからない。ただはっきりしているのは、彼はその言葉の通りに戦うのだろうと いうことだけだった。  それが、彼の試練なのだろうから。 「……それで、どうします? アレを止めようと思うんですけど」  東の果てで龍と戦ってきたジュバのことだ、何か策があるかもしれない。  そう思っての、問いだった。  けれど。  帰ってきた答えは、カイルの予想を大きく外れるものだった。  ・・・・・  ・・・・ 「決まってる――俺が往く」  そういって。  ジュバは再び、長き剣クレイモアを振り上げたのだった。 「……え、」  その行為に、カイルは驚愕を露にする。  ジュバの斬撃は触手を切り落とすことはできたが――切り落とすことしか出来なかった。い くらきり飛ばしても、再び元に戻ってしまうのなら何の意味もない。普通の生命体ならば限界 もあるのだろうが、  アレぶそんなものがあるようには、とてもじゃないが見えなかった。  いくら斬っても、いくらでも再生する。単純攻撃が通じるような相手では、決してなかった。  それが、わかっているだろうに。  ジュバ=リマインダスは―― 「だからこそ、面白い」  そう、不適に笑って。  右手でクレイモアを握りなおす。長大なそれを片手でくるりと振り回し、剣先をぴたりと、 暁のトランギドールへと向けた。  宣戦布告を、するかのように。  そして、彼はいう。 「ちょうどいい機会だ。ララバイの話を聴いたときから、試したくて仕方がなかったんだ」 「……ジュバさん? まさかとは思いますけど、一体何を考えて、」  カイルの言葉をさえぎるように。  東国騎士団団長、ジュバ=リマインダスは―― 「一度でいいから――神を斬ってみたかった」  不遜な笑みを浮かべて、全てに挑むかのようにそう言ったのだった。 「そんな……無茶な、」 「俺はいつだって無茶だ!」 「それは自慢して言うことじゃありませんよ! いくら貴方でも、無理ですよ――見たでしょ う、今の。斬っても再生するんじゃ、無茶に突っ込んでも、」 「俺はいつだって無理だ!」 「それは何かおかしいですよ!?」  もはや文脈が何かおかしいが、意気揚々としたジュバはとまらない。剣先が自然に、触手の 動きにあわせてなだらかに上下する。タイミングを計るかのように。  笑みが深くなる。   獰猛な獣の笑みに。  捕食しかかる、一瞬前の顔。  ――東国の鬼は、戦場で笑う。  クレセント=ララバイしかり。  ジュバ=リマインダスしかり。  死ぬしかないような無茶で無謀な戦場で、彼らは笑いながら圧倒的なはずの敵を、紙くずの ように蹴散らしていく――そんな噂とともに、大陸東部では『東国騎士団』が恐怖の代名詞で あることを、カイルはいまさらながらに思い出す。  ジュバ=リマインダス。  今更ながらに、カイルは実感する。  彼は、あの東国騎士団の、団長なのだと。 「安心しなカイル。蜥蜴退治は東国の本分なんだよ」 「……それは、知ってますけど」  知っている。東部に広がる荒野には竜――主に知性を持たず、獰猛なもの――が多くすむ。 その土地を切り開いて国を広げたのは、彼ら東国騎士団だ。   人と。  魔物と。  両方と戦いつづける、戦うことをやめない、新興国家東国。  戦うことで生まれた国は、戦いをやめたときに滅ぶ――そう体現するかのごとく、ジュバは 戦い続ける。 「それにな」  わずかに。  ほんの一瞬だけ、ジュバの顔から、笑みが消えた。  真顔になり、  暁のトランギドールではなく、  遠い、何かを思い見るようにして、ジュバは言った。 「俺は思うんだよ――いったい今の俺は、何処まで出来るのか、とな」 「…………」  その言葉に含まれた意味をカイルは知らない。ジュバの覚悟を、カイルは知らない。守るこ とではなく、戦うことを、戦い続けることを選んだ男の覚悟を、カイルにはわからない。  十二剣聖との戦いには、生き残ることができた。  ならば、十二賢者となら?  ならば、魔同盟となら?  ならば、勇者となら?  ――ならば、事象龍となら?  戦い続ける男は――いつか必ず、戦うべきときがある。今回、ナチと手をあわせたように。 最強を冠するものと、最悪を冠するものと、戦い続ける限りは、戦うときがやってくる。  ソレが、どんなものであれ。  敵として前に立ちふさがるのならば――ジュバ=リマインダスは、斬らなければならないの だ。  命を賭して。  ならばこそ、今、引くわけにはいかなかった。  絶対に、引くわけには、いかないのだ。  その覚悟の意味を、カイルはわからない。  けれども。  覚悟の重みを、カイルは知っている。 「なりそこないなら、腕試しにはちょうどいい――ですか」 「まあな」  嘯くようにジュバは言う。その顔には、再び笑みが戻っている。その笑みを見ながらに、カ イルは言った。 「気をつけて」  笑いながら、ジュバは答える。 「安心しろ。俺は腹上死以外は認めない男だ」 「それはそれで最悪ですね!」  カイルの突込みを背に。  ジュバは、ひときわ笑みを強くして。 「全ては東国のために――――東国騎士団長、ジュバ=リマインダス――――仕る!」  叫びと共に、ジュバは塀を蹴って跳んだ。勢いに耐え切れずに踏み抜かれた壁が砕け、矢の ような速度でジュバの体は一直線に暁のトランギドールへと飛んで行く。右手に持つクレイモ アを正面に構え、一直線に、貫くように飛び、  正面から打ち下ろされた触手に跳ね飛ばされた。 「…………」  一瞬の攻防に呆然とするカイルの前で、一瞬を越えないままに攻防は終わった。弾き飛ばさ れたジュバが跳ぶ勢いをそのまま逆さにし、逆回しにしたかのようにこちらへと跳び戻る。人 間にどうにかできるような速度でもない。跳ね飛ばされた勢いのまま、ジュバは吹き飛ばされ、  轟音と共に、城壁に突き刺さった。  冗談のように、城壁に人型に穴が開いていた。 「…………」 「…………」  穴を見下ろすカイルと、穴を見あげるユルゲルが、そろって沈黙する。  ……。  …………。  ――壮絶な出オチだった。  うねうねと蠢く触手はジュバを弾き飛ばしたことで満足したのか、それ以上は襲ってこよう とはしなかった。砕けた破片ががらがらと音を立てて崩れ、土煙が風に流されて消えていく。  わずかな沈黙。  なんともいいようのない、気まずい雰囲気が流れ、 「あー……死ぬかと思った」  がらがらと瓦礫を押し分けて、ジュバ=リマインダスが、人型の穴の中から出てきた。 「あ、生きてた」  思わず、カイルは言ってしまう。てっきり、死んだと思っていた。  というか、普通は死ぬ。  穴から飛び出たジュバはユルゲルの隣に降り立ち、深呼吸をするように大きく伸びをした。 こんな目にあっても右手のクレイモアは手放していない。銀の鎧は背面がへこんでいたが、致 命傷があるようには見えなかった。 「なんでお前無事なんだ……?」  本気で不思議そうにユルゲルが言う。若干引いていた。  その問いに、けれどジュバは何事でもないように飄々と答えた。 「受身を取らなかったら死んでたな」 「そういう問題なのか……?」 「東国――つーか、これは極東か――の技術をなめるなよ。まあ、受身ができても、俺じゃな きゃ……死んでるな」 「…………」  お前以外にあんな風に突っ込んでいく奴がいるはずないだろ、と突っ込みたいのをユルゲル は堪える。突っ込みを入れる気力もなかった。 「……気、すみましたか?」 「ああすんだ。今の俺じゃまだ無理だな、無茶なことしたもんだ」 「だから無茶ってはじめから言ったじゃないですか……」 「今はまだ、さ」  飄々と言ってのけるジュバの顔は、けれど冗談を言っているような見えなかった。今は無理 でも、いつかは必ず手を届かせてみせる――その顔は、言葉を必要とせずにそう告げていた。  けっして満足せず。  どこまでも高みを目指すかのような、人にしては不遜すぎるその発言。  けれども、カイルは思う。  それこそが、ジュバ=リマインダスにとっての試練なのだと。  そうするから、彼は彼なのだ。 「……まあ、わかりきっていたことですけど」 「なんかいったかカイル」 「いいえなんでも」 「コントはいいが――どうするつもりかしらカイルぅ?」 「巻き舌で呼ばないでくださいよユルゲルさん……」  ジュバの落下地点にまで近寄ってきたユルゲルから、若干距離をとりながらカイルは言った 。同じ国家につかえる聖騎士ではあるが、まったく確執がないわけではない――もっともこの 場合はろくでもない理由でだが。  カイルの不遇は、いまに始まったことではないとだけ記しておく。 「それで、どうすんだよ。俺はもう無理だぞー。限界。すっげえ疲れた」  二人のやりとりをやる気なさげに見ながら、ジュバは足の先で奥を指した。その先にいるト ランギドールもどきは、いまだに動きをとめようとしていない。積極的に攻撃してはこないが ――うねうねうねうねうねと触手を動かし続けている。  何かを求めるかのように。  その一本一本が、ジュバでさえ弾き飛ばされるような威力を持っている。もしもあれが積極 的に意思をもって動き出せば、被害がどれほどまでに広がるか想像すらできない。  否。  最悪は、そうではない。  もしも――もしも、とカイルは思うのだ。  もしも、あの南の果てのときのように。  暴走するトランギドールにひきよせられるように、ほかの事象龍が現れでもしたら。  街どころではない。下手をすれば――大陸に穴が開く。ファーライトそのものが根こそぎ消 滅することだってありえるのだ。  それだけは、防がなければならない。  少しでも早く、アレを止めなければならない。 「……どうやって?」 「説得してみるとかどうだ。東にはDOGEZAという素敵な技がなだ」 「餌付けなんてどうかしら。餌はカイルで」 「二人ともよくもまあろくでもないことを思いつきますね!」  常のごとくすかさず突っ込みをいれるが、二人にまったくこらえた様子はなかった。僕の周 りにはこんな人ばっかりだよなあ、とぶつぶつカイルは聞こえるようにつぶやくが、それを聞 いてすらいない。 「だいたい、いっつもこういうときに考えるのはハロウドさんだから……」 「つまりお前はバカなんだな」 「剣ばっかり振っててデリカシーがないから……」 「言いたい放題いってくれてますね!?」 「当たり前だ。俺だからな」 「久しぶりに会ったから、ね」 「…………」  楽しそうに言うユルゲルとジュバに、カイルははぁ、とため息を返す。ため息くらいしか出 なかった。  ――とにかく。  もう一度、カイルは考えを整理する。  事象龍トランギドールを止めなければならない。  止めることができるのは、おそらくロリ=ペドだけだ。  そのロリ=ペドは、あの黄金の球体の中に取り込まれている。  だから、そこまでたどり着いて、彼女を救い出さなくてはならない―― 「……結局、いつもどおりですね」 「だろうよ」言って、ジュバはクレイモアを杖がわりにして立ち上がる。「お前不器用なんだ から、剣を振るう以外のことができるかよ。いつも通り――正面から突っ込めばいいんだ」 「…………?」  言葉の意図がわからず、首をかしげるカイルに対して。  不遜に笑ったままに――持っていたクレイモアを、ジュバは再び構えた。カイルにではなく、 ユルゲルにでもなく、その長い剣先を、  暁のトランギドールへと、向けた。  そうして。  笑いながら、彼は言う。           ・・・・・・・・・ 「次はお前の番だって言ってんだよ。安心しろ――道は俺が作ってやる」 「……限界じゃなかったんですか」 「限界を超えるのがいい男の条件なんだよ」 「…………」 「もっとも、正真正銘これが最後の一発だ。技放ったら俺たぶん寝るぞ」  その言葉は。  カイルに対しての全面的な信頼なのだと――カイルは理解する。戦場で生きるジュバが、余 力まで含めて、すべてを出すといっているのだ。もしもカイルがその気になれば――そんなこ とをしないとわかっていても――力なく眠りについたジュバを殺すことができるだろう。そし てジュバは、戦い続ける東国の騎士団長であるジュバは、常にそういったものへの警戒を怠っ ていないだろうに。  すべてを、カイルにかけて。  任せると、ジュバは言っているのだ。  責任と、  覚悟と。  それを十分に感じながら、 「……はい」  迷うことなく、カイルはうなずいた。  信頼には、  信頼で応えなくてはならない。 「ならば僕も――すべてをかけます」  言って。  カイルは、黒い剣を捨てた。聖騎士になったときより授かったイグニファイを、地面に突き 刺す。怪訝そうな顔をするユルゲルとカイルの前で、  鎧を、脱いだ。  眠るときでさえ脱ぐことのない黒き鎧を、カイルは脱ぎ、地面に置く、胸当て一つ、ひざあ て一つ身に着けない。簡素な服と、右手に握る名もなきロングソード。それが、今のカイルの すべてだった。  その行為の意味を、ジュバはわからない。   鎧を脱いでパワーアップするのか――その程度にしか考えていない。その思考は正しい。確 かに、剣を一本に戻し、鎧すらをも脱ぎ捨てたカイルは、誰よりも何よりも速く戦場を駆ける だろう。今のままの速度ではだめだから。もっと速くなくては彼女に届かないから。だから、 カイルは鎧を脱いだ。  けれども、それは。  ほかでもないカイル=F=セイラムにとっては、命をともなった、最後の手段―― 「僕の魂は、今はこの鎧に『定着』しています。その代償に、長時間離れると死ぬので……も し無事に戻ってきたら、この鎧を身につけてください。僕もジュバさんと同じで、全部を出し 切って、ぶっ倒れて帰ってくると思いますから」  ジュバに。  そしてユルゲルに、カイルは告げる。  自身の秘密を。  信頼とともに。  そうしなければ助けられないから――そうするだけなのだと、そう言い切った。  その言葉に、ジュバは。  「いいねぇ、こういうの。俺はこういうのが大好きだぜ」  にやりと、うれしそうに笑った。 「小さい頃な、俺はヒロイック・サーガの主人公に憧れてたんだよ。悪いドラゴンに挑む勇者 のパーティ。とらわれのお姫様を救うために。バカみたいに単純で、痛快無比な物語だ」  笑いながら。  冗談のように。  うれしそうに、ジュバは言う。 「俺は主人公じゃねえし、お前は勇者って柄じゃねえが――やってやろうじゃねえか」 「……骨くらいは拾ってあげるから安心しなさいな」  付け加えるように、ユルゲルが言う。その口元には、かすかに笑みが浮かんでいる。母親が 、やんちゃな子供たちを見て「どうしようもないわね」と笑うような――そんな笑みだ。  その笑みに、後のすべてを任せていいとカイルは思う。  後は――やるだけだ。  すべてを出して。  試練を、乗り越える。 「――はい!」  カイルは、力づよく頷いて。  そうして。  カイル=F=セイラムは。  聖騎士としてでもなく、傭兵としてでもなく。ただ一振りの剣を持つ騎士として、カイルと いう人間として―だアッシュカイルは己の象徴たる古き名もなきロングソードを空へと掲げ、 ファーライトの国中に届かせんとばかりに叫ぶ。 「『剣は己の 信念の元に』――カイル=F=セイラム、参るッ!」  叫び、駆ける。  ジュバにもユルゲルにも、駆けたようには見えなかっただろう。文字通りに、姿が消えたよ うにしか見えなかったに――否、姿が消えるところすら見えなかったに違いない。目にも留ま らぬ速度すら超えた、目にも映らぬほどの速さ。黒い風は、黒い光となって、一直線に駆け抜 ける。  黄金色の龍めがけて。  その向こうにいる。  それでも――それでも、届かない。  その光すらもを、暁の光はさえぎろうとする。触手という触手が、すべての触手がいっせい にカイルへと伸びる。『彼』を本体まで届かせてはいけないと、理性を失った龍は本能で知っ ている。あの剣は、あの心は、間違いなく、『彼女』に届くのだろうから。  だから、とめるべく動き、 「遠からんものは耳にきけ、近くによって見てもみろ! これ、これがァ! ――東国騎士団 騎士団長! ジュバ=リマインダスのすべてだと知れ!」  叫びとともに。  カイルが駆け出したのとまったくに同時に――触手が動き出すよりも早く。  ジュバ=リマインダスが、動いた。  普段は片手で振舞う長き剣クレイモア。それを、両腕で両側から包み込むようにもち、ぐい ――と思い切り振りかぶり。  弓でも放つかのように。  槍投げのように――のその剣を。 「   月   穿   !!  」  全力で、放り投げた。  カイルが黒い光ならば――手から離れたクレイモアは白き光だった。加速度と威力に耐え切 れずに、手から離れた瞬間にクレイモアは分子崩壊する。後に残るのは、純粋な威力となった 白き光が――剣の形を持つ白き光が一直線に跳び、  穴を、開ける。  カイルへとせまりつつあった触手たち、その全てに、白き光は穴を開けた。致命傷には程遠 い。されど、人が一人通り抜けるには十分すぎる穴を、白光は貫き通す。  その穴を、  ――黒い光が、駆ける。  もはや技もなく、叫びもなく。ただ一振りの剣となって、カイルは駆ける。何も見えていな い。何も聞こえない。自身の速度に振り回されそうになる。意識が消え跳びそうになる。それ でも右手は剣を離すことなく、足が止まることもなく、黄金を乗り越えてついに本体へと、  その、本体から。  新しく生えた触手が、間近に迫ったカイルの胴体を貫通し、  ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・  貫かれたカイルの姿が、幻のように消えた。  ――多重分身。  そのときにはもうカイルは剣を振り上げている。黄金色の球体、光すら超える速度でその真 後ろに出現したカイルは、触手を貫いたばかりの無防備な黄金色の球体めがけ、  すべてを、  すべてをこめて、  剣を、振り下ろした。  その瞬間。  古き名もなき剣は、暁のトランギドールを切り裂き。  まったくの同時に、切れた裂け目から出てきた黄金色の手に、剣を振りぬいたばかりのカイ ルは体をつかまれて、  音もなく。  カイル=F=セイラムは――  ――『内』へと、飲み込まれた。    †   †   † 「静かになりましたね」  ファーライト王国の中央、王宮の更に中央にある『塔』に、二人の男女がいる。  男の名は長い腕のディーン。世界の平和を望む者。英雄へと臨む者。  女の名は、誰もが忘れるほど遠い昔に捨てていた。今はただ――『姫君』とだけ、呼ばれて いる。  言葉を発したのは、ディーンのほうだった。塔の内側からは不思議と外が見え――そこでは 、先まで猛威を振るっていた触手が、うそのように穏やかになっていた。  消えてはいない。  暁のトランギドールの慣れそこないは、今もそこにある。ただ、動きという動きをなくし、 静かにそこに在るだけだった。カイルがあの中へと飛び込んだ――あるいは取り込まれた瞬間 から――トランギドールは、動きをとめている。  中で何が起きているのかは、誰にもわからない。  推測するしかない。  ただ――ディーンには、わかるような気がした。  どのみち、決着のときは、すぐそこまできているのだと。  もはや、自身がすることは一つとして残っていないのだと、彼は知っていた。  引き上げ時――だった。 「最後まで――」緞帳の向こう、姿の隠れた姫君が言葉を吐く。「見ていきはしないのですか 」  踵を返しかけた足を止めることなく、ディーンは答える。 「それなりに、あいつのことは信頼していますからね。それに――」  かすかに。  かすかに笑って。 「これくらいの試練を乗り越えてもらわなくては、この先の戦力にはならない」 「…………」 「そうとも、あいつはもっと強くなる。でなければ――人は、勝てない」  それは。  もはや姫君への言葉ではなく、彼自身へと独り言に過ぎなかった。ファーライト内乱――そ れすら踏み台ですらなく、ただの試練の一つとしか捉えない男は、  立ち止まらない。  立ち止まることはない。  彼の試練を――歩き続ける。 「それでは『姫君』――この国が滅びるときに、またお会いしましょう」  言って。  長い腕のディーンは大きな窓に手をかけた。つい先刻までは誰もいなかったはずの其処には 、何もないはずの中空に龍将軍ナチが立っている。けっして無傷とはいえないものの、その顔 から余裕の笑みが消えてはいない。ナチは緞帳の向こうの『姫君』を見遣り、 「始まりの騎士――できることならば手合わせを願いたいところだが」  こちらも本調子ではい故に――又の機会に。  うれしそうにそう言って、窓の内へと手を伸ばし、ディーンを抱きかかえる。  そうして、  窓を閉めることなく――空を飛ぶかのように跳躍し、龍将軍ナチと、長い腕のディーンは瞬 く間に消えていった。ファーライトでの戦は既に終わっているのだと、彼らの潔さは告げてい た。  そうして――  誰もいなくなった部屋で、誰も見ることはない、彼女だけの部屋で。  姫君はそっと、帳から、外へと出る。  ゆっくりと、ゆっくりと歩き、開いたままの窓から外を見る。視線の先には、いまだ動くこ とのない黄金色の球体。その中に――騎士がいる。彼女が剣を授けた聖騎士が。だれよりも一 途で一生懸命な、黒い聖騎士が。 「長い腕もまだ、真実へはたどり着いてはいない――」  彼のことを思いながら、誰にも聞かれない独り言を、少女はつぶやく。 「カイル=F=セイラム――信じています。貴方が真に試練に打ち勝つことを――」  ――たとえ果てに、新たな試練が待つとしても。  言葉は誰に届くこともなく、風にとけるようにしてファーライトの空に消えていく。城下町 の混乱は収まりつつあり、誰もが、終わりを予感する。  彼が、  彼女が、  誰もが見守る中、黄金色の球体は、ゆっくりと――         †   †   †            アナタは強い人だから、と誰かが言った。 「…………」            それは生き方であり生き様である、と誰かが言っていた。 「……………………」            そうして、誰かが。 「………………………………」            どうしてアナタは戦うのですかと、問うていた―――― 「……ぁ、」  目が、覚めた。  暗転していたカイルの意識が急激に浮上する。視界が真っ暗になっていることに混乱し、す ぐに瞼を閉じたままだということに気付く。寝ていたのか、気絶していたのか、そんなことす らわからない。いったいどれほどの時間意識が消えていたのか。一瞬なのか。永遠なのか。わ からないままに、カイルは深く考えずに、漠然としたまま瞼を、   開けた。 「――なにこれ」  ・・・・・・  黄金があった。  いや――それは正確ではないのだろう。黄金があるのではなく、黄金しかなかったのだから 。先まで見ていたはずの、見慣れていたはずのファーライトの景色はない。空に光はなく―― そもそも空がなく。地すらもない。四方の全てが黄金色の光に包まれていて、自分が立ってい る感覚すらなかった。 「落ちたり……しないよね、これ」  あまりにも不安定な感覚に、カイルは爪先で、つん、つん、と自分が立っている場所をつつ いてみる。何一つとして感触はない。それでも、そこに『立っている』という。感覚がないだ けで落ち続けているのかもしれないが、どのみち回りの風景にも体感にも変化がないので気に するほどでもなかった。  わけのわからない感覚。  わけのわからない世界。  何一つとして、わからないが―― 「でも、これ……」  そのわからなさに、カイルは、覚えがあった。  記憶ではない。記録ではない。もっと深いところ、もっと根本的なところで、カイルは此処 を知っている――否。  此れを知っている。  この感覚を、カイル=F=セイラムは、かつて味わっている。 「…………!!」  そのことに気付いた瞬間。 「げ、ぐ、ああああああッ!」  耐え切れなかった。カイルは何もない空間に膝を折り、胸を掻き毟るようにして吐瀉物を吐 き散らした。堪えることなどできなかった。体をくの字にまげて、苦しそうに喘ぎながら、体 の中にあるものを全て吐き出す。吐いても吐いても嘔吐感は消えず、胃液のきつい臭いが鼻を つく。  そのにおいのほうが、まだしもましだった。  吐いたものはすべて黄金の中へと消えていく――それでも気分はよくならない。吐くものが なくなり、胃液を吐きながら、カイルは自身の胸を必至で押さえつける。逃げ出したくなる衝 動と泣き出したくなる衝動が同時に襲い掛かり、そのたびに大きくむせた。  思い出した。  思い出した。  思い出してしまった。  思い出して、しまったのだ。  ――自分が死んだときのことを。  誰もが一度は経験し、そして一度しか経験することのない――人生の終幕である死。その死 を、カイル=F=セイラムはかつて味わっている。裏切りによって死亡した騎士。そして、冥 王の情けによって蘇った騎士。黒い鎧に魂を定着され、不完全に蘇った騎士。  聖騎士、カイル=F=セイラム。  とある特殊な魔王でもない限り――自身の死の感覚に、耐え切れるはずもなかった。それが 二度目だからこそ、カイルははっきりと思い出してしまった。一度目の死を。自身の死を。  死ぬという感覚を。  己が真っ当な人間でないことを――カイルは思い出す。  それでも、カイルは。 「………………ふぅ」  すべてを吐き終えて――立ち上がる。吐瀉し、嗚咽を吐き、涙を零し。  それから、立ち上がった。  右の手には名もなきロングソード。黒い鎧も、黒い剣も今のカイルは身に纏っていない。自 身の証明であるかのように、カイルはしっかりと、ロングソードを握りしめる。自身が剣をさ さげた、故国の姫君より授かった剣。信念の形。騎士の証。  その剣を掲げて――カイルは、立つ。  二本の脚で、しっかりと。 「全部吐いたら……すこしは、すっきりした」  その言葉は、無論嘘だ。  気分は変わらず最悪だった。視界が揺らぐ。まともにたっているのも辛く、気を緩めれば意 識が刈り取られそうになる。そうでなくとも、この異界に長くいれば保たないことは、カイル 自身にもわかっていた。  それでも。  それでも、戦う目的がある限り――戦う理由がここにある以上。  カイル=F=セイラムは幾度でも立ち上がるのだと――他でもない、剣を持つカイル自身が 立っていた。  だから、カイルは立つ。  これまでもそうしてきたように。  これからもそうしていくように。  剣を握って、歩き出す。 「さて……どうしよう」  他に誰もいないことがわかっていながらも、なんとなく寂しいので声に出しながらカイルは 考える。  見渡す限り黄金の世界。黄金以外には何もなく、何処までも続いているように見える。  此処はどこか、と考えて。 「……『中』、かな」  すぐに、思い至った。記憶に残る限り、最後に見た光景は、あの崩れたトランギドールに斬 りかかって――切断した瞬間に、何かに意識を引っ張られた。  ならば。  暁のトランギドールの『中』へと取り込まれたと考えるべきなのだろう。黄金は、トランギ ドールの色だ。その心象風景が、世界が、黄金色だとしても不思議はない。 「インペランサだと海なのかな……あの巫女は、海を見たのかな……」  懐かしいことを思い出しながら、考える。あの巫女は、蒼のインペランサにささげられた巫 女は、インペランサの海を見ていたのかもしれない。  なら。  ロリ=ペドは――この黄金を、見ているのだろうか。  この黄金色の世界を、ずっと、ずっとずっと、見続けて来たのだろうか。  ならば――龍の騎士とは。 「…………それは僕の考えることじゃないかな」  意識を切り替える。考察や論証は、学者のすることだ。  カイルは、学者ではない。  彼の、やるべきことは。 「ロリ=ペドを――探さないと」  ここが黄金の世界だというのなら。  このどこかに彼女がいるのだと――わけもなく、カイルは確信する。暁のトランギドールに 守られるようにして眠っていた彼女。彼女の意識は、この広い世界の何処かにある。彼女を起 こすことさえできれば、外の暁のトランギドールも意志によって鎧に戻すことができるはずだ 。  そこまで、考えて。 「……探すの、此処から?」  くるりと。  すべてを、見渡してみた。上を見ても黄金、左を見ても黄金、右を見ても黄金、下を見ても 黄金。そして黄金色の世界は――果てしなく何処までも続いている。  ――――。  ため息が出た。  パシティナ砂海に落ちた涙を探すようなものだった。 「……それでも」  やらずには――いられない。  カイルは覚悟を決め、歩き出す。探すしかなかった。あてがない以上、見つかるまで探し続 けるしかなかった。  歩き、  歩き、  歩きつづける。 「鎧脱いでるから……時間かかったら死ぬのかな……でも外と時間の流れが同じだとも限らな いし……」  不思議と、疲れはない。いつまでもどこまでも歩き続けられるような気がする。それとも、 本当は歩いてなどいないで、ずっと同じ場所にいるだけなのだろうか。回りの風景に変化は何 一つなく、不安は消えることなく心の片隅にあった。  歩みはとめない。  歩きつづける。 「百年くらい歩いたら見つかるかな……」  言いながら、思い出す。友人であるハロウド=グドバイは言っていた。アレらは百年以上は 生きていると。  勇者。  龍の騎士。  ガチ=ペドと――ロリ=ペド。  彼らはいったいどんな気分なのだろう、とカイルは考える。長くを生き、戦い続けている彼 ら。たとえその性質が外道であったとしても――ガチ=ペドはどうしようもなく勇者だった。 彼の傍にたたずむ黄金色の聖騎士は騎士たちの伝説でもあった。  その中身が少女だとは、知らなかった。  彼の妹だとも。あんなに小さな、女の子だなんて――知らなかった。  誰一人として、知らなかった。  ……どういう気分なのだろう。  そう、考えて。 「案外……僕らと変わりないのかな……」  そう、思った。  カイル=F=セイラムは、その剣を故国にささげ、戦い続けてきた。  それと同じように。  ロリ=ペドは、その剣を兄へとささげて――戦い続けただけなのではないだろうか。  それこそが騎士なのだと、誰かが言っていた。  ならば。 「問題は……その理由かな……」  ロリ=ペドはいっていた。戦う理由がわからないと。正義がわからないと。  彼女は――本当に、わからないのだ。  どうして兄に剣を捧げているのか――その根本的なものが、抜け落ちている。 「…………」  かつて何があったのか、カイルは知らない。いったい何があって、彼が勇者に成り、彼女が 龍の騎士になったのか、カイルは知らない。そこには想像することもできないような、何かが あったはずなのだ。その結果、彼は勇者となり、彼女は騎士となった。  そうして、戦い続けた。  それでよかったのだ。戦い続ける限り、勝ち続けるかぎりは、何一つとして問題はなかった のだ。勝てば、正しいと証明される。負けなければ、その正義は間違っていないのだと思うこ とができる。  けれど。  ロリ=ペドは――負けてしまった。南の果てで、とある聖騎士に。  だからこそ、彼女の正義は、揺らいでしまった。彼女は自分自身と向き合わなくてはならな くなった。自身の正義を、探す必要ができた。  その結果が――これだ。 「…………。よくよく考えてみれば、今僕がここにいるのって、ひょっとして因果応報なんじ ゃ……」  立ち止まり、はぁ、とため息を一つ吐いて。  カイルは再び歩き始める。歩き、歩き、歩きつづける。  始めたものは、  終わらせなくてはならない。  それが自分の手で引き起こしたものならば。  たとえ、答を出すのは彼女自身以外にありえないとしても。  その手伝いくらいはしても――罰はあたらないだろう。 「でも……肝心の彼女は……何処だろう」  ロングソードをくるりと回しながら、カイルは考える。  歩き、  歩き、   歩いた。  けれど風景に変化はなく、どこまでも黄金は続き、彼女はいない。  ロリ=ペドは、何処にもいない。  何処かには――いるはずなのに。 「………………」  歩きながら、もう一度、状況を整理する。  ロリ=ペドを見つけなければならない  ――何のために?  暁のトランギドールを止めるために。アレを止めることは、彼女にしかできない。  ――どうやって?  はた、と。  歩き続けていた足が、止まった。 「……どうやって?」  そのことに、ようやく思い至る。  たとえ彼女を見つけたとして、  果たして、何をすればいいのか。  果たして、何を言えばいいのか。  自分の正義がわからないといっていた彼女に、その果てに暴走するように切りかかってきた 彼女に。  ロリ=ペドに対して、かける言葉を、はたしてカイル=F=セイラムは持ちえるのか。 「……そんなの」  自問するような思考に。  言葉に出して、  カイルは、応えた。 「そんなの――あるわけがないじゃないか」  はっきりと、そういった。  ――あるわけがない。  そう、あるわけがないのだ。そんなものがあるはずがない。かける言葉など、彼女の正義が 何かなど、言える言葉があるはずがない。そのことを、カイルは思い出す。この短くも激しい 、自分自身の試練<ディシプリン>の中で――カイルは思い出す。  そんなものが、あるはずがないと。  それは。  それだけは――  ――己自身で、見つけなければいけないものなのだから。 「ああ……そうか」  そのことに思い至った瞬間、ロリ=ペドがこの広く果てない世界のどこにいるのか、わかっ た気がした。  はじめから、答えは出ていたのだ。  どこかにいるのではない。  何処にでもいるのだ。   ここは暁のトランギドールの中で――同時に、ロリ=ペドの中なのだから。  彼女は何処にでもいる。  ただ、カイルから隠れているだけだ。  すべてから、逃げるように、隠れているだけだ。  ――柄じゃないけど。  カイルは、ふと、冗談めかして思う。  ――お姫様を起こすのは、王子様の役目なのかな。  自分は王子ではないことをカイルは知っている。彼は騎士だ。剣をささげ、守るために生き るものだ。  小さくて弱い彼女を、守ってやりたいと思う。  けれど――結局は、すべてを決めるのは彼女自身なのだ。カイルにできることは、それを手 伝うことしかできない。  試練は、自らだけのものなのだから。 「ねえ……ロリ=ペドさん」  足を止め。  黄金の世界に言い聞かせるように、黄金のすべてを見据えるように、どこか遠くをはっきり と見つめて、カイルは言う。 「君は正義が何かって、僕に訊いた……」  言葉とともに、右手に握る古いロングソードを握りなおす。低く低く斬戟の構え。はじめか ら答えは出ていた。カイル=F=セイラムはこの世界を知ってる。死後の世界を知っている。 それは彼が、一度死に、よみがえった存在だから。  黒い鎧に魂を定着させて蘇った存在だからだ。  そして今。  カイルは、黒き鎧をつけていない。鎧は――外へと置いてきている。  彼の魂は、ここにはない。  彼の中身は、空っぽで。  だからこそ。  彼女はきっと――其処にいる。  だからこそ。  カイルは――彼女に、言う。                          ディシプリン 「それに答えなんてないんだ。自分の正義を探すのが――試練なんだと、僕は思うよ」  つらくもくるしく。  けわしく困難な。  けれど、決して逃れることのできない、  立ち向かうべき、  ――試練。  カイル=F=セイラムが立ち向かってきたように。  ジュバ=リマインダスが立ち向かってきたように。  長い腕のディーンが立ち向かっていくように。  彼女も、また。  自身の試練へと――挑まなくてはならない。  カイルと同じように。  彼と同じように。  彼らと同じように。  だから、カイルは。  覚悟を、決めて。 「もう一度、その試練に挑もう――大丈夫、君がまた、辛くなったら、」  言葉とともに――剣を、振るった。  龍の外皮さえも切り落とす斬撃は、狙いたがわずにカイル自身を切り裂いた。  服が切り落ち、  身体が、裂け。  けれど、血は流れない。痛みすらなかった。赤い液体の代わりにこぼれでたのは、黄金すら もかすんでしまうかのような光。  黄金の輝き。  太陽のごとき輝きが、カイルの断面から漏れ出して黄金の世界を満たしていく。すべてが光 にかき消されていく。意識が、声が、音が、視界が、世界が、光につつまれていく。  その中で、カイルは見た。  光とともに零れ落ちた、黄金色の髪を持つ少女が――すぐ前にいることに。  彼女は。  ロリ=ペドは、不安そうな顔で、カイルを見ていた。それは黄金色の聖騎士でも勇者の妹で もなく、小さくか弱い、ただの少女に見えた。不安げな顔で、今にも泣き出しそうな顔でカイ ルを間近から見つめていた。  その頬に――カイルは、そっと手を添えた。剣を持たない左の手で、ロリ=ペドの頬をそっ と撫ぜる。感触はなかった。けれど、彼女の表情が、少しだけ和らぐ。  それが、うれしくて。  カイルは、かすかに微笑を浮かべて、  ――僕でよければ、助けにいくから。  言葉にかさなるようにして光が強まり、何もかもが光に消えていくなか、かすかに見えたよ うな気がした。  黄金色の少女が、こくりとうなずき。涙を流しながらも、微笑んでいる姿が――――――― ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――         †   †   †  そうして、黄金の龍は消え。  ファーライト内乱と呼ばれた戦は。  多くのものにとっての試練は――終わりを告げたのだった。 ■   カイルのディシプリン 第二十七話  KYLE's DISIPLIN   ... END  ■