誰かに呼ばれた気がして、目がさめた。 ■   カイルのディシプリン 最終話T ファーライトにて   ■ 「…………」  意外なほどに、あっさりと瞼は開いた。嘔吐感も眩暈もない。安眠からさめた朝のように、 心地いい目覚めだった。こんなに気持ちよく起きれたのは久しぶりで、前がいつだったのか思 い出すことはできなかった。少なくとも、戦場や野外で警戒しながら寝てるときに、こんな安 眠を味わうことはなかったはずだ。  一切の警戒を必要としない、  母親の胸の中で眠るかのような、  安眠。  今度こそ――  その眠りから覚めて、カイルはまっさきに、思う。  ――今度こそ、死んだかと思った。  それもそうだ、と自分の思考を頭の中で肯定する。死んだとしてもおかしくはない、むしろ 死ななかったことが不思議なくらいの事件だったはずだ。“もどき”とはいえ、事象龍との遭 遇、そして戦闘――戦闘とは呼べないような一方的な抗いだったけれど、命をかけて立ち向か ったのは確かだ。  ここ数年、不思議なほどに悪運があがっている気がする。  ひどい目にあう確率があがっている、の間違いかもしれないが。 「絶対それ、僕のせいじゃないよな……」  頭の中で原因になりそうな幾人かの顔を思い浮かべながら、カイルはゆっくりと体を起こし 、  起こそうとして、止めた。  自分に抱きつくようにして眠る――一人の少女を視界の端に捕らえて、カイルの動きが止ま る。 「…………」  一瞬、呼吸がとまって。  それからゆっくりと、状況を確認するべく視線を這わせた。黒い鎧は身にまとっている。そ れだけ確認すれば、とりあえずは死ぬことはない。二本の剣は壁に立てかけてある。見た限り 、誰かが綺麗に整備してくれたのか、この連戦での汚れはすっかり消え去っていた。  次いで自分が寝ているのがベッドということに気づく。部屋と同じく見慣れたもので、王宮 内にある聖騎士の控え室だ。さすがに北領と比べて部屋はしっかりとしたつくりだが、その印 象を覆すほどに、部屋の中は殺風景だった。  仕方が無い。  この部屋の主は――数年前に死んだことになっているのだから。それでも埃なく綺麗にして あることに、カイルは軽い感動を覚える。何ひとつ物がないとしても、いつ還ってきても良い といわれているようだった。  そして。  ベッドに横になるカイルに、覆いかぶさるようにして。  黄金色の髪をもつ、少女がいた。  ベッドの脇の椅子に腰掛け、上半身をまるごとベッドに放り投げている。組んだ手を枕代わ りにして、カイルを守るように、眠りについていた。穏やかな寝息が規則正しく聞こえてくる 。白い毛布の上に、輝く水のように髪が広がっていた。  身にまとうのは、カイルが買い与えた服。実際にはそれほど経過してはいないのに、あのと きから――何年も経過したように思えてしまう。  それだけに、色々なことがあったということで。  それでも、今。  少女は、  ロリ=ぺドは、すぐそばで、安らかに寝入っていた。 「……良かった」  真っ先に、その言葉が口を割って出た。  どうして此処にいるのかとか、  あれから何があったのかとか、  そんな疑問をすべておいて――その言葉が、自然と出てきた。自分は最後までやりとげたの だと、そして、彼女が無事に此処にいることが、良かったと心のそこから思えたから。  そうして、  自然に、カイル=F=セイラムの手が伸びる。眠るロリ=ぺドの頭へと。長い指が髪に触れ 、頭をなでるように手が、 「淫行は禁止だぞロリコン騎士」  その言葉で――手が止まった。 「――――」  ぎぎぎ、と。  音がしそうなほどの不自然さでカイルは声がしたほうを向く。右でも左でも正面でも下でも なく、声は真上からした。  見る。  上下さかさまになった視界の中、ジュバ=リマインダスが平然と天井に立っていた。重力を 無視するかのように、逆さ向きになっている。短い髪だけが重力にしたがって逆さに垂れてい た、それさえなければ、まるでそこが地面であるのが当然のように見えた。  忍者のようだった。  忍者というか、変態のようだった。  というか、変態そのものだった。  天井に立つジュバは、ベッドにいるカイルを見上げて――あるいは見下ろして――繰り返し 言う。 「繰り返す、淫行は禁止されている、ただちに淫行をやめるんだ」 「…………」  どっと――忘れていた疲れが襲ってきた。本来感じる必要のない疲れまで感じてしまうのは 、無事にすべてが終わった反動なのだろう。そうだと思いたい。カイルはあきらめの混ざった ため息を吐き、 「常日頃から淫行している人に言われたくないですよ……」 「俺のは淫行じゃない」ジュバは断言する、「愛だ」 「…………」  はぁ、ともう一度ため息。  もうなんでもいいですけど静かにしてください――それだけ言って、カイルはとまりかけた 手をゆっくりと動かす。眠るロリ=ペドの頭を、そっと頭蓋にそって撫でる。疲れているのか 、安心しているのか。安らかな表情は変わらず、起きる気配もなかった。 「まるで番犬のようだったぞ」  すた、と。  足音もなく床に降り立ち、ベッドをはさんでロリ=ペドの反対側にジュバはたった。壁に背 をあずけ、気楽そうに脚を交差させる。口端には薄く笑みが浮かんでいた。 「お前が眠ってた三日間、少しも離れやしねえ。うらやましい。死ね。そういうポジションは 俺のもののはずだ」 「本音が漏れてますよ本音が……」  最悪な本音だった。  慣れているので気にすらならないが。 「三日も眠ってたんですか?」  その事実に、特に驚きはしなかった。連戦の激しさや、自分の体調と目覚めたときの心地よ さを考えれば、まだ休み足りないといっても良かった。それでも三日ですんだのは、それこそ 慣れているからなのだろう。  とはいえ。  三日もあれば――あらかたのことに決着をつけるには十分な時間だった。自分が寝ている間 に、今回の事件の後始末は既に済んでいるだろうとカイルは悟る。  終わったのだ――  実感は、なかった。  何が終わったのかすら、わからなかった。  否、  まだ始まってすらいないのかもしれないと、そう思った。 「正確には三日と半分ほど――あと半日起きるのが遅かったら、俺と逢わずにすんだのにな」 「……そうなんですか?」  おうよ、とジュバはうなずき、 「騎士団長がいつまでも国をあけとくわけにもいかねぇからな。ユリアはお供つけて先に返し たし、ララバイも無事だったとはいえ――問題は山積みで、すべてはまだまだこれからだから な」  言うジュバの顔に、薄笑いは消えていない。それでも、その態度はいつもよりも深刻で、そ の笑みは戦のように物騒だった。  戦の気配を、ジュバ=リマインダスは感じ取っている。  これまでの小競り合いとは違う、  すべてを巻き込むような、大きな戦。 「そう……でしょうね」 「皇国の連中は国へ帰った。ご丁寧に、西領を占領していた奴らも、一人残らず引き連れてな 。賢龍団も気づいたら消えて――アイツの行方は完全に消えた」  アイツ。  それが誰なのか、言われるまでもなくカイルにはわかっていた。魔王でもはない、勇者でも ない、どこまでも人間な、彼。  彼は、どこまでも人間だった。  そして――人間として、いけるところまで、いくのだろう。  人間であるがゆえに。 「…………」 「しけた顔するな馬鹿。だいたいお前、本当に事の重要度わかってんのか?」 「わかってますよ、そりゃ。これでも一応、元聖騎士ですし」  ん、とカイルの言葉にジュバは不可解そうな顔をしたが、気にすることなくカイルは言葉を 続ける。 「今までは魔の山脈があったからこそ東西の均衡がとれていたんですから――これからは、ま た変わってくるでしょう」  そう。  もちろん、カイルにはわかっている。ファーライト王国の騎士として、大陸東の西端に位置 し、大陸を東西にわける魔の山脈に隣接する国家に仕えた人間として、その重要度は理解して いる。  この大陸で、誰かが戦争をしたいとする――たとえば、大陸統一を堂々と公言し、常に戦争 を行う皇国のように――その場合、どうするか。  一番手っ取り早いのは、今回のような、単騎による短時間での決戦だ。  勇者、大魔道師、聖騎士、剣聖、十二軍団、二十四時、その他たった一人で一軍に比例する 存在。そういう存在を抱えている国ならば、ソレを送りこむことで大きな戦果をあげることが できる――少なくとも、理論上は。  もっともその理論にはいくつもの大きな穴がある。  ひとつ、その『単騎』では、相手方の土地を占領することができない。そうである以上、い ずれ全軍勢で総攻撃を受ける危機がある。  ひとつ、相手国にも同じような『存在』がいた場合、決着は容易につくものではない。そし て、自身が国をあけている間に、第三国の決戦存在が自国に攻め込んでくるかもしれない――  他にもいくつも理由があって、そういう存在は簡単には動くわけにはいかない。  ならば、大軍を持って動く――これも事実上不可能に近い。もっとも大在の『軍』を抱える のは皇国だが、此処も簡単に軍を動かすことはできない。周りをすべて敵国に囲まれている上 に、東側に攻め込んでくるためには、魔の山脈を北か南へ大きく迂回しなければならないのだ 。そして事実上、北周りの道は使うことができない。  南回りの道しかない以上、動かしてしまえば行軍中で妨害にあうのはほぼ確実といえる。  だからこそ長らく膠着状態が続き、小競り合い程度で済んでいるのだ。  が。  今回、皇国は――否、長い腕のディーンは、自らが動くことで、証明してしまったのだ。  第三の道、魔の山脈を通って東側に進軍することができるのだと――派手に西領を襲うこと で、彼らは大陸中へと触れ回った。  そうなってしまえば、前提は崩れ去る。  世界は大きく、激しく動き出すこととなる―――― 「が、まあ今日明日のことじゃないだろうがな。人数が多くなりゃなるほど面倒になるから ――本格的に動き出すまでは、数年はかかるだろうな」  もっとも、その間にも陰謀や小競り合いは続くだろうがな、と、そうジュバは言葉をくくっ た。  それは正にジュバの言うとおりなので、特に言うべきことはなかった。  大陸中がどう動きだすのか。  そして、『魔同盟』は――  すべては、これからだった。 「今は、ゆっくり休みたい気分ですよ……」 「まあ、同感だ。いくら俺でも、さすがに疲れた」 「……あなたでも疲れるんですね……」 「あたぼうよ。クレイモアも壊しちまったしな……ああ、ガーデニアに叱られるんだろうなあ ……帰りたくねえなあ……」 「できればさっさと帰ってください」  まさか三日半も国に帰らなかったのはそれが原因か――一瞬そういぶかしむが、さすがにそ んなことはないだろう。  ないと、思いたい。  ありそうでいやだった。  現実逃避するかのように、カイルはロリ=ペドの頭を撫でる。触れている方の手が心地よい 。月並みな感慨だけれども、こうして眠っているには、ただの幼い少女にしか見えなかった。  龍の騎士。  正義に苦悩する、黄金色の聖騎士。  ――今だけは。  カイルは、思う。  ――今だけは、安らかでいてほしい。その苦悩とは、きっと、一生つきあっていかなければ ならないのだから。  やさしく、カイルは頭を撫でる。心地よさそうに、ロリ=ペドがわずかに身じろぎし、 「ミスター・ジュバ。カイル卿の容態は――」  ノックの音もなく。扉を開くと同時に飛び込んできた声に、カイルは平穏が手の届かない遠 くへ去っていったことを悟った。 「…………」 「…………」  窒息してしまいそうなほどに重苦しい沈黙が、一瞬で部屋の中に満ちた。扉を開けたユメ=U =ユメは、無事に目をさましたカイルの姿を見てわずかに頬を紅く染め、その次の瞬間に彼が ロリ=ペドを撫でているところを視認してその顔のままに硬直した。  硬直したのはカイルも同じで、いきなり入ってきたユメに対し何を言うこともできず、いま さら手をどけることもできずにロリ=ペドの頭を撫で続けることしかできなかった。  第三者であるはずのジュバ=リマインダスが動くことができなかったのは、東国でさんざん 慣れ親しんでいる修羅場の空気にパブロフの犬のように硬直しただけに過ぎない。  ロリ=ペドだけが、変わらずに寝ていた。  頭を撫でられ続けている限り、ずっと起きないのかもしれなかった。  最初に口を開いたのは、硬直したままのユメだった。顔の筋肉をまったく動かすことなく、 動くこともなく、そのままの姿勢で、 「――カイル卿」  亡霊のように、ぼそりとカイルの名を呼んだ。 「やぁ、ユメ……無事、だったんだね」  どうにか、それだけ答えることができた。ユメが西領へと戦うために飛んだのは知っていた ――だが、それから先は何一つ聞くことなく三日間の眠りについていたのだから、彼女が王宮 に戻ってきていることすら知らなかった。  当然といえば、当然の言葉であったと思う。  しかしその言葉に、ユメは無表情を作るとともに、凍りつくように冷たく、感情をまったく 感じさせない声ではっきりと言った。 「残念です。同僚から性犯罪者を出すとは」 「性犯罪者!? 誰が!? 僕が!?」  突っ込まずにはいられなかった。今までの平穏を無視してカイルは声を荒げる。けれどユメ はやはり表情を動かすことなく、 「答えはイエスです、カイル卿。さもなければ思想犯です。そんな幼い少女に少女に手を出す とは、騎士の恥と知りなさい」 「手ぇ出してなんてないよ! 撫でてるだけだって、ほら、健全健全! そうでしょうジュバ さん!?」  話をふる相手が悪かった。ジュバはカイルを見て、ユメを見て、それからロリ=ペドを見て 、 「お前は最低な男だカイル。もう一度死んだほうが俺――じゃない、世界のためだ」 「本当にろくなこといわないなあんた!」 「わ――」  漫才のようなやり取りを交わすカイルとジュバに対し。  ユメは顔を伏せ、その長い髪で表情を隠したまま、誰に言うでもなく、小さな、けれどその 場にいる全員の言葉を止めるには十分な大きさの声で。  私には手を出さなかったのに。  当時五歳、現十五歳のユメ=U=ユメは、ぼそりと告げた。 「…………」 「…………」 「…………」  三者三様、完全に固まって。 「剣は信念の元に――!」  完全にてんぱったユメ=U=ユメは、無表情のままに暴走した。がちり、と両手両足の義躯が 音を立て、狭い部屋の中が一瞬で蒸気の煙に満ち、たったその姿勢のままにユメが高速で飛ん だ。『噴射怪奇』――蒸気機関製の大剣がクラウド=ヘイズとの戦で整備中でなければ被害は とんでもないことになっていただろう。  生身で煙を噴出しながらユメは跳び、  誰にとっても不幸だったのは、その場にいた人間が全員が全員、そのユメの突発的行動に対 処できる能力の持ち主だったことだろう。 「ユメっ!?――『解放せよ』!」  ユメの後ろにいたソィル=L=ジェノバが『右腕』を伸ばし、 「俺を巻き込むな馬鹿!」  ジュバ=リマインダスが隣にたてかけてあったイグニファイを腹面でたたくように振るい、 「わ、わ、わ――!」  カイルがロリ=ペドをかばうように抱きかかえるのは、まったくの同時だった。  破壊力は部屋の中央――カイルの真上で炸裂し、一人を除いてその場にいたすべての人間に ダメージを与えたのだった。 「…………?」  頭を撫でられた手がなくなったことでようやくロリ=ペドが目覚めたとき、灰まみれになっ たカイルと天井に突き刺さるジュバと壁にユメ型にあいた穴と右手をかかえて床を転がるソィ ルを見て首をかしげたのは、無理もないことだった。  誰も状況を説明してくれる人がいないので、ロリ=ペドは無言のまま、ベッドに倒れふすカ イルの頭をそっと、恐る恐る手を伸ばして撫でる。幸せそうに撫でながら、ロリ=ペドはふと 視線を感じて顔を上げる。  壁の向こう。  開いた穴の向こうに、どこかで見たことのなるような、長く髪を伸ばした学者と目が逢った ――― ■   カイルのディシプリン 最終話T ファーライトにて  ... END   ■