■   カイルのディシプリン3 外伝   ■       ―― 騎士、還る。――  そして夜が明ける。  地平の果てからゆっくりと太陽が昇ってくる。嘘のように静かだった夜が逃げていく。太陽 の光に消されるように、セライト城を囲んでいた松明の炎が消されていく光景が、ファーライ ト王国、細部騎士副団長つきの少年――もっとも、その副団長は昨日の闘いで死んでしまった が――ディアッド=ローデスには、なぜか幻想的に見えた。  夜が終わる。  朝が訪れる。  けれどもそれは――決して、平和を意味するものではない。 「………………」  松明の炎が消えると同時に、がちゃがちゃと、金物がぶつかりあう音がする。城から少し距 離を取ったところで待機していた西部騎士団が、戦いの用意を始めたのだ。  戦の音。  ユメ=U=ユメが昨晩、クラウド=ヘイズと共に城下へと突入したとき――西部騎士団はそ れを機と見て後部へとひいた。隊列を立て直す必要があった。もしも敵がクラウド=ヘイズだ けならば、ユメに続く形で強行していたかもしれない。けれどもユメが突き破った城壁は櫓で なければ乗り越えれないほどに高く、敵にはまだ神童』エレム=P=エルンドラードがいたのだ から。  同時に、夜が近いことも災いした。城下街ならばともかく、城壁の『外』において、夜の危 険度は昼間とは比べ物にはならない。ましてや、此処はあの魔の山脈のすぐ傍なのだ。夜に戦 を行い、その戦のにおいにつられて降りてきてはならないものが下山する可能性もなくはない ないのだ。  もっとも、皇国がどう動くかわからない以上、夜を通して警戒活動は続けられていたが―― 予想に反して、皇国の動きはまったくといっていいほどなかった。  占領された城は、不気味なほどに沈黙を保っていた。  聖騎士ユメ=U=ユメがどうなったのか――誰にも、わからなかった。  それでも、いつまでもただ包囲しているだけにもいかない。もう数日もまてば中央からの援 軍と合流できるのかもしれないが、同時に敵の援軍がくるかもしれない。『中』にいるはずの ユメと挟撃するような形で一気に攻め込むのが良作だと、西部騎士団は判断した。  そして――恐らくは、ユメ=U=ユメも、同じように思っていたのだろう。   西部騎士団が準備を整えようとした、その先で。  ディアッド=ローデスが、昇る太陽と消える松明を見た、その瞬間に。  ――爆発音と共に、一陣の光が空へと昇った。      †   †   †  かつて戦いで両手両脚を失ったユメ=U=ユメは、その義肢を蒸気機関によって補われてい る。機構の中に組みこまれた、それ自体が発熱する特殊な鉱石――一説には、この石には晶妖 精が宿っていると噂されている――の熱エネルギーをそのまま運動エネルギーに変えて動かす という、とある賢人による狂気の代物である。仕様するたびに熱と光を内側から漏らし、両手 両脚から煙を吐き出す姿は、竜のようだと敵から恐れられている。  噴射怪奇と共に、踊るように戦う『灰の演舞』。  灰の竜。  けれども、その日、竜の相手は人ではなく。  敵は――悪魔である。 「朝から元気だなァ――――ッ!」  叫ぶクラウド=ヘイズの声が空気の振動で震えて聞こえる。遠く遠くへと煙がたなびいてい く。垂直にたたき上げた噴射怪奇が、空気の振動に震えそうになるのを必至で堪える。造られ た両脚にとって初速は即ち最高速。剣を打ち付けた三秒には、ユメとクラウドは既に地上から 遠く遠く離れていた。  ――空へ。  陽が昇ると同時の――一撃だった。クラウド=ヘイズ自体は、驚くべきことに臆すことも隠 れることもなく、一晩中城の中央に立っていた。いつでも闘いを受けるぞ、と言いたげに。  そんなわけにはいかなかった。  よりにもよって西領で、夜に戦うわけにはいかない。何よりも、昨日の打ち合いで既にユメ は悟っていた。あのクラウド=ヘイズは尋常なる相手ではなく、同じく尋常でない自分自身と 真っ向からぶつかれば、城の中の被害がどこまでも広がりかねないことに。  夜を通して、彼女は動いた。  内部に残された人間たちをまとめ――戦えぬものは可能な限り逃げるように。戦えるものは 気を見て外と合流するように。どこまで可能かはわからなかったが、聖騎士の名と、皇国勢の 数が――不可思議なほどに――少ないのが幸いした。  そして。  夜明けと共に、ユメ=U=ユメは真っ向からクラウド=ヘイズへと勝負を挑み、一撃目で空 へと飛んだのだった。 「答えはイエスです、ミスター・ヘイズ。貴方こと、夜を徹して疲れたのでは?」  言いながら、噴射怪奇を引き、両足をわずかに前へと出して方向を切り替える。クラウド= ヘイズの体が離れ、距離を取ってユメは浮く。普通の相手ならば、これで終わりだ。飛ぶ手段 を持たない敵は一直線に落下し、地面という武器に叩きつけられて粉々になる。  が―― 「生憎と俺には兄貴譲りの根性がある! 三日三晩戦ったところで剣に衰えはない!」  言って、ヘイズは右手に持ったウィップブレイドをユメへと突きつける。同時に、斜めに交 差するようにして、左手に持ったガンブレイドも構える。伸びる剣と、放つ剣。両の剣の切っ 先の照準をユメへと揃え、ヘイズは笑う。  その背には――紅き翼。  下半身も、人のそれではなく獣のそれに似たものとなっている。皇国十二軍団の一軍団長に して魔同盟小アルカナが『金貨の騎士』。魔族とダークエルフのハーフ――それが、クラウド =ヘイズだった。並みの人間どころか、そもそも人間ではない。彼にとっては、蒸気機関を借 りずとも浮くことなど朝飯前なのだろう。  もっとも、ヘイズがこの高さから落ちたところで本当に死ぬとは、ユメには思えなかったが 。 「それは安心しました、ミスター・ヘイズ。不名誉な勝利は、私の望むものではありません」 「それは俺も同じこと――だっ!」  両の手が同時に動く。ガンブレイドが三発の弾丸を放ち、その弾丸を取り囲むようにしてガ ンウィップが回転しながら伸びる。直線と曲線の同時攻撃。その攻撃を、 「噴射怪奇――」  言葉と共に大剣『噴射怪奇』が凄まじい量の煙を吐き出しながら振りぬかれ、ユメの体が空 中でくるりと回る。飛行軌道が無理矢理に変えられ、弾丸と剣の間をくぐりぬけるように避わ し、再び半回転しながら遠心力と共に『噴射怪奇』をヘイズへと叩きつける。  そこにはもう、ヘイズはいない。  空中でさらにヘイズは上へと飛び上がり、ガンブレイドの二撃目を、 「――――旋風――」  ・・・ ・・・・・・・  さらに、軌道が変わった。  噴射怪奇を支える両手が煙を吐き、斬撃の途中でユメの動きが変わる。横薙ぎの一撃が縦薙 ぎの一撃へ。下から上へと振り上げられた一撃は、完全に不意を撃つ形でヘイズへと迫る。 「お、お、おぉ!?」  その一撃を――むしろ不意をうたれたことを喜ぶかのようにヘイズは笑いながら受けた。射 撃体勢に入っていたガンブレイドで噴射怪奇を打ち、わずかに変わった軌跡に這わせるように してガンウィップの刀身を斜めに添える。奇剣によって大剣は向きをそらされ斜めに流れてい く。空薬莢が地へと遠ざかり、 「――三ノ段!」  ヘイズの笑み目掛けて、ユメは煙と共に蹴りを打ち下ろした。  初めから、逸らされることを予測した斬撃だった。空中で体勢が崩れ、体が斜めに傾ぎ―― その勢いに、左足の蒸気機構を上乗せした。加速をつけての、上から打ち下ろすような蹴り。長 い銀髪が円を描き、造られた足が凄まじい威力でヘイズの肩を叩く。  ひとたまりもなかった。  クラウド=ヘイズは体勢を崩し、真っ逆さまに、 「……やるな!」  まっ逆さまに――楽しそうに笑いながら、落下した。  一瞬の後、爆音。  頭から城に叩き落され、すさまじい破砕音が早朝に響く。建物が崩れたことによる煙が昇り 、しかしすぐにユメの煙と混ざり合って風に流されていく。  その光景を見ながら――ユメは大きく息を吐いた。高度がゆっくりと落ちていく。無表情で 、けれど呼吸は微かに乱れていた。  当たり前だ、常人ならばその勢いで自らを殺しかねない蒸気機関を、都合五つも身につけて いるのだ。いくら彼女が聖騎士であるとはいえ、連続で使用して反動がないはずがない。  否、  それでも連続で使えるからこその――聖騎士なのか。  ともあれ、ユメ=U=ユメは、高度を落としながらも、息を整えながらその構えを崩そうと しない。『噴射怪奇』を下段に構え、小刻みに両脚の噴射を繰り返しながら落下速度を調整す る。  自信があった。  あの程度で、あの男が死ぬはずがないという――暗い自信が、確信があった。  そして、ユメの心中を体現するように。 「強いな――女! いや、聖騎士! ユメ=U=ユメ!」  ガレキと煙を断ち割るようにして――何事もなかったかのように、クラウド=ヘイズが飛び 出してくる。城のぎりぎり外れ、城下街との境目の辺りに落下したのを見て、ユメは内心で安 堵する。あの辺りには何もない。空から見た限りでは、『外』は動き出し、中でも避難が始ま っている。  あとは。 「――だがぁ!」  この男を、倒すだけだ。 「なんでしょうか――ミスター・ヘイズ」  答えながらも、ユメは両腕に力を込める。彼我の距離差はまだあるが、この二人にとっては 意味はない。ユメもヘイズも、特殊な能力ではなく純粋な力押しの闘いだ――勝負は激しく、 僅かな間で決着がつくことをユメは確信している。  気をぬくわけにはいかない。  一瞬に全てを込めて。  全神経を、剣に込める。  そして――クラウド=ヘイズは、そんなユメにとって、驚愕を通り越して呆れるしかない行 為に出た。    「此処で俺が負けたとあっては――兄貴に面目ねぇんだよぉぉぉぉおおお!」  叫びと共に。  ヘイズは駆けた。空へ、ユメへではなく、真横――城があるほうへ。予想外の行動にユメが 眉を顰める間もなく、クラウド=ヘイズは。  ・・・・・・ ・・・・・・・  城の門塔へと、手を突っ込んだ。 「…………、」  は、とも、え、ともつかない息が、ユメの口から漏れる。門塔――城の四隅につけられた円 柱型の建造物で、おもに外敵への警戒のための見張り台として使われる。直径は人の身長ほど しかないほど長い建造物だが――それでも、少なくとも。 「うぉおおおおおおおおッ!」  持ち上げられることを意図して造られた建造物では――決して、ありえない。  猛る声と共に、クラウド=ヘイズは門塔を根元から抱きかかえるように持ち上げ、その巨大 な建造物を、唖然とするユメに向かって、 「一丁――派手にいかせてもらうぜッ!」  弓槍のように、投擲した。  超大な質量を持つ物体が、それ自体を武器として高速で迫る。三角錐の如き尖端が、ユメを 串刺しにせんとばかりに高速で宙を切って迫り、 「――――、!」  ぎりぎりで、かわす。  両脚の噴射怪奇を放ちまわりこむようにして建造物をよける。避け場が無限にあるはずの空 中、それでも逃げる方向を選べず、そこにしか逃げられなかったのは、クラウド=ヘイズの攻 撃が予想外であり――逃げ場を選べないほどに高速で投擲されたからだ。  そこにしか、逃げられなかった。  そして、そのそこしかないという一点を、クラウド=ヘイズは読んでいた。 「隙が――出来たぜッ!」  隙があるのではなく。  隙を作ったのだと――そう叫びながら、門塔の陰に隠れるようにして飛翔したクラウド=ヘ イズが、その蒼色の足でユメを、垂直に蹴り上げた。  めしり、と。  胸当てに、蒼の蹄が食い込む。人のものではない足が、人のものではありえない速度で上昇 した勢いをそのまま攻撃にかえる。衝撃にユメの動きが止まる。そうしてヘイズは、あいたも う一つの足で、 「もう一丁ぉ!」  横凪ぎに――ユメの身体を、蹴り飛ばした。  嗚咽を漏らすことすら、許されなかった。  風を裂きながら放たれた一撃は、障害物のない空中でユメの身体をどこまでも吹き飛ばす。 風を切り、しかし重力は下向きになるために斜め下へとユメの身体が落ちていく。衝撃に翻弄 され、くるくると回りながら。くるくると回りながら、先のヘイズのように地面へと叩きつけ られる。ガレキが崩れ、灰色の煙が濛々と立ち昇る。  そして、ヘイズは。  ユメ=U=ユメを、軽んじては、いなかった。 「はっはぁ! これで――終わりだぁッ!」  蹴り上げた勢いで上昇したヘイズは、ようやく上昇が止まりつつあった門塔を空中で抱きし めるようにしてつかむ。巨大すぎるそれを、空中で向きを変える。上向きだった尖塔を、下へ と、地面へと落ちたユメへと向けて。  ――一気に、落下した。  自由落下よりなお早い、重力と加速度を加えた、正真正銘の留めの一撃だった。まともに食 らえば、肉片すら残らずに潰されるだろう。  ・・・・・・・・・・・  まともに食らうのならば。 「答えはイエスです、ミスター・ヘイズ。これで終わりなのです」  言葉と共に。  地面に立つユメ=U=ユメが、『噴射怪奇』を担いだ。  両の手足からは灰色の煙が立ち昇っている。地面に直撃する瞬間、噴射怪奇を発動させて限 りなく衝撃を殺したのか――ヘイズがそう視認する間もなく。 「噴射怪奇、『多段怪』」  両の足が、炎を吹いた。 「…………、面白ェ!」  地上から空へと星が昇るかのような光景にヘイズが声をあげ、その声が消えるよりも早くユ メ=U=ユメと接敵する。速度は互角、けれど圧倒的な質量。空中でユメの剣先と門塔が触れ、  轟音と、  火花が散り、  その瞬間に、もう一度、両手の蒸気機関が火を吐いた。 「多段――!?」  手だけではなく、手が握る『噴射怪奇』そのものも煙を吐いて爆発的に加速する。一度だけ ではない。二度、三度、四度、加速するたびに剣の先が門塔へとめり込んでいく。落ちていく はずの門塔が、ユメに押されるようにして逆に空へと昇っていく。  多段怪。  問答無用の、連続噴射―― 「う、うおおおおおおおお!!」  気付いたときには、既に遅かった。クラウド=ヘイズが右手のウィップブレイドを振るうよ りも早く、左手のガンブレイドを撃つよりも早く。 「ファーライト流剣術――逆怒槌」  ユメ=U=ユメの噴射怪奇が、門塔を真っ二つに両断した。  そのままに振り切られた大剣が、クラウド=ヘイズに吸い込まれるように振り下ろされる。 三つの加速を合わせた一撃は、ガンブレイドとウィップブレイドを交差したところで防ぎきれ るものではなかった。壮絶な衝突音の後、逆回しのように、クラウド=ヘイズの身体が地上に 落ちていき、  白煙も、  破砕音もなく。  衝撃音と共に――その身体が、地面へと、埋まった。  それきり、動かない。  大の字で地面にはまったまま、クラウド=ヘイズはぴくりとも動かない。  そうして、それは―― 「……ぁ、はぁ……」  ユメもまた、同じだった。多段怪。全力よりも酷いものを無理矢理引き出すかの如き闘い。 息を荒く、ユメはゆっくりと地面に飛び立つ。これ以上宙にい続けることはできなかった。で きることなら、倒れてしまいたかった。けれどユメは、噴射怪奇を地面に突き立てるようにし て立つ。倒れるのを、拒む。  なぜならば。 「見事なものだな――ユメ嬢」  敵は、一人ではないのだから。  かん、かん、と奇妙な拍手音が響く。鉄鋼をつけた状態での拍手。鉄と鉄をうちならす、戦 場での賛美。  声と拍手の主は、その白く輝く鎧に汚れ一つなく、そこに立っていた。  皇国十二軍団、第三軍団『神記軍団』軍団長―― 「エレム=P=エルンドラード……」 「如何にも」  答え、エレムは拍手をやめる。剣は構えていない。街中でただ出会ったかのように、そこに 立っている。  ――馬は?  最初にユメが感じた違和感は、それだった。彼女はそこに立っている。騎乗することなく、 地面の上に立っているのだ。エレム=P=エルンドラードは、愛馬セフィロートと対で語られる ことが多い。その彼女が、ただ立っているということに、違和感を憶えた。  それが、呼び水だった。 「…………、」  ユメは、ゆっくりと、視線をはわせた。敵を前にして視線を外すという危険行為を犯してま で、辺りをすべて見渡す。無論エレムに対する警戒はしたままだったが――エレムはその行為 を、とくになんという風もなく見遣るだけだった。  セライトを一瞥したユメに対し、エレムは頷き、そして言う。 「察しの通り――我らの役目は、すでに終わった」 「…………」  視線が、エレムに留まる。  そこに立つエレムと、埋まるヘイズ。  それ以外には――誰もいなかった。数少ないとはいえ、百人単位でいたはずの皇国の人間が ――一人として、残っていなかった。否、知ってはいたのかもしれない。気付いていなかった だけで、空から地上を一瞥したときに、知ってはいたのかもしれない――地上に皇国の人間が 見あたらないことに。クラウド=ヘイズがそこにいて、戦っているという事実に気をとられて いただけで。  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  皇国軍がすでに撤退を開始していたことに。 「あの男との約束の期限は過ぎた――西部へとファーライト中央騎士団を呼び寄せ、聖騎士ユ メ=U=ユメを足止めする――確かに、果たさせてもらった」  あの男が誰なのか、ユメにはわからない。それでも、それ以外のことはわかる。  西部で騒ぎを起こし、中央に在住する騎士団を西へと引っ張り出し、その隙に中央で目的を 果たす――考えなかったわけではなかった。その可能性があっても、西へと出張らないわけに はなかった。もっとも高速で西へと向かえるのは、聖騎士の中でユメだけなのだから。中央を カイルやソィルにまかせ、騎士団に先んじるようにして西部へと跳んだ。  相手の思惑通りに。  そして、それが相手の思惑通りである以上――もはや、今すぐ西部へと戻っても間に合わな いはずだ。どんなに全速で戻った所で、すでに全ては終わっているに違いない。だからこそ、 エレムは正直に種を明かしたのだろうから。  ならば。  後自分に出来ることは、一つだけだと、ユメは思う。 「ならば」  言って。  地面に突き立てていた『噴射怪奇』の切っ先を――ユメは、エレムへと向けた。 「せめて、貴方がたを打破します、エレム卿」  その言葉に――  エレムは、慈母のような薄い笑みを浮かべて。 「それこそ、私の台詞だと言う奴だよ、ユメ嬢」  白く波打つ剣を――引き抜いた。  機構にまみれたユメの大剣と対照的な、飾り一つない輝くばかりに白き剣。それを斜めに構 えて、エレムは軽く両脚を広げた。ユメのような飛び込む構えではない。待ち受けるかの如き 、受けの構え。それでも、そこから放たれる戦意は劣るはずもない。  まごうことなき戦意をあらわにして、エレムは薄く、優雅に笑う。 「軍団長が聖騎士を打破したという事実を作ること――それこそが、もう一つの目的なのだか ら」  それは。  今回の戦ではなく。  次の戦までを見据えた――言葉だった。  情報という剣を重要視する一人の男が、ヘイズとエレムに与えた役割。必ず飛んでくるであ ろう聖騎士を、打破すること。敵陣で、聖騎士よりも軍団長のほうが優れているのだと証明す ること。  それこそが、彼ら二人に与えられた目的。  ――是非もない、とエレムは思う。  姑息な手ならばともかく。  敵と一対一の決闘ならば、拒む理由がない。懸念があるとすれば、ヘイズとの闘いでユメが 疲れているということだが。          ・・・・・・・・・・・・ 「その目的が達することはありません、エレム嬢。貴方の敵は私なのですから」  宣言するように言って。  ユメは身を深く沈めた。先の今にも倒れそうな雰囲気は微塵も残っていない。今にも爆発し そうな戦意だけがどこまでも高まっていく。疲れなど、今のユメには何一つとして意味をなさ ないだろう。  内側にあるものを、すべて出し切ろうとしている。  ――一合で、決着はつくな。  そう、心の中で覚悟を決めて。 「――さあ、来るがいい、聖騎士ユメ=U=ユメ」  エレム=P=エルンドラードはいい、 「行きます――『神童』エレム=P=エルンドラード」  ユメ=U=ユメは答え。  噴射怪奇が、煙を吐いた。  ユメにとって間合いは意味をなさない。両脚の噴射怪奇が最後の焔を吐く。距離は一瞬で詰 まる。遠巻きに円を囲みつつも、闘いに巻き込まれるために加勢に入れなかった西部騎士団た ちの前で、最後の勝負が始まる。エレムは構えたまま動かない。動かないままに、口だけが動 く。 「ユメ嬢――貴方は私よりも強い。速く、硬く、重く――けれども、貴方は私を打破すること はできない。なぜならば、」  言葉がいい終わるよりも早く距離がゼロに。剣の間合いに這入る一瞬前に、両手が握った柄 を捻る。上段に構えた噴射怪奇が焔を吐き、雷の如き速度で上から下へと打ち下ろされ、  打ち下ろされた剣を。  エレムは、動くことなく―― 「私の目標は――私などよりも遥かに強き、最凶の勇者なのだから」  剣一本で、『噴射怪奇』を受け流した。 「――――、!」  衝撃がそのままに下に流れる。打ち下ろした噴射怪奇が地面を切り裂く。わずかに切っ先で 触れるだけで、エレムは完全にユメの剣を受け流す。手の先がかすかに動いたようにしか見え なかった。打ち下ろされるタイミングと速度を完全に見切られていたのだと、地面をさく感触 と共にユメは悟る。 「さらば、ユメ嬢」  言葉と共に、視界の端でエレムの剣が閃く。白き剣は白き焔を湛えていた。剣先から放たれ る焔が脈打ち、孤を描くようにして地面に倒れかけたユメへと伸び、  ――頭に浮かんだのは。  白き焔の向こうに。  ――懐かしき、カイル=F=セイラムの、 「……、旋風ッ!」  地面をなおも切り裂き続ける『噴射怪奇』を、ユメは最後の最後で手放した。左手で地面を 叩くようにして蒸気器官を動かす。地面が抉れ、左手の骨が折れた感覚が伝わるよりも早く衝 撃で身体が回転する。髪の毛を数本焔が持ち去っていく。旋風のように回転する視界の中で、 エレムの顔が驚愕に染まるのを見た。  両脚の噴射はもはや動かず、左手は折れ。  最後に残った右拳を強く握り、地面すれすれで回転しながら、そのままの勢いを裏拳で叩き つけるように、ユメは最後の噴射を―― 「――姉御ッ!!」  たたきつけた瞬間、エレムの姿が、掻き消えた。  衝撃がそのまま宙をきり、ユメの身体が地面で二回転、三回転、四回転しようやく止まる。 自分自身の力で全身を地面に叩きつけられ、起き上がることすらできない。仰向けになったお かげで、かろうじて見ることができた。  クラウド=ヘイズに抱きかかえられるようにして、空を飛ぶエレムの姿を。  ――ああ。  ユメは悟る。どうしてエレムが馬に乗っていなかったのかを。最後に残った二人が、四面楚 歌の状況でどうやって逃げ出す気だったのかを。  二人だけだからこそ――こうやって撤退するつもりだったのか。  空を飛ぶ二人を追えるのは、ユメしかおらず――もはや、追うだけの力は、残っていなかっ た。 「大丈夫ですか姉御!?」  全身土まみれになったヘイズが空中で素っ頓狂な声をあげる。汚れてはいるが、死んではい ない。流石は魔族、あれくらいでは倒すことはできないらしい。それでも飛行が安定していな いのは、それなりにダメージがあるからなのだろう。 「……撤退時だな、――」  抱きかかえられ、空からユメを見下ろしながら、エレムは言う。  その瞳は、真っ直ぐに、ユメを見下ろしている。  彼女もまた、満身創痍で。  その瞳が告げてくる――次は決着だと。  勝負が途切れたのを境に、環を囲むようにしていた西部騎士団が一斉にユメに駆け寄る。同 時に、地上から弓矢が一斉に放たれる。これ以上長居しても、決着をつけるのは不可能だと悟 ったのだろう。  それ以上何を言うこともなく。  振り返ることもなく、ヘイズが一気に上空へと飛び立つ。二人の姿が、西へと消えていく。  魔の山へと。  その向こうにある――皇国へと。 「…………、」  彼方へと消えていく二人を見ながら、ユメは固く固く歯を噛みしめる。勝負は途絶えた。引 き分け、なのだろう。勝負としては、引き分けなのだろう。  けれど。  彼女にとっては――そうは、思えなかったから。  此処に引っ張り出された時点で、彼女は既に、負けていたのだから。  固く固く歯を食い縛ったまま、ユメは空を見上げる。  カイルもこの空の下で同じように戦っているのだろうかと――そう、思った。 (了)