■   カイルのデイシィプリン 最終章2 皇国にて   ■ 「安心するがいい――君の御姫様には手を出していない」  偶然といえば偶然だった。  皇国首都に帰還したのはエレムとクラウド=ヘイズのほうが速かった。物理的に距離が近か ったというのもあるし、撤退する時間が彼よりも早かったというのもある。なにより、彼と龍 将軍はファーライト騎士団との正面衝突をさけるために南回りの道で帰還したから、彼が返っ てくるなりゼファー=ローデスにバスタードソードを突きつけられているその修羅場に偶然遭 遇することだって、あり得るのだろう。  それでも――後になって考えるたびに、エレムは思う。彼はあえて、わざと自身とヘイズの 進路先で、ゼファー=ローデスと諍いを起こしたのではないかと。その時のことを思い出すた びに、そう思わずにはいられないのだ―― 「…………」  ゼファー=ローデスは、その言葉を聞いても、眉一つ動かさなかった。  皇国首都。  大陸の西に居を構え、大陸中に影響力を持つ巨大国家――皇国。その中央、一般人ならば脚 を踏み入れることすらできない城内での出来事だった。廊下の両側は吹き抜けになっていて、 冬の近づくどこか冷たい風が吹き込んでいた。それでも、城内の――ましてや、用がなければ 誰も近づきようのない、十二軍団に割り当てられた区画――には、誰の姿もなく、吹き抜けた 庭には人の姿がありはしない。  その廊下の中程で、ゼファー=ローデスは、剣を向けていた。  彼。  ――長い腕のディーンへと。  黒塗りの片手半剣の切っ先を首筋へと当てられても、ディーンは笑みを崩してはいなかった 。十二軍団が第十一軍団、『闇哭軍団』の軍団長、ゼファー=ローデスの腕ならば、瞬きする 間もなく首を切り落とすことができるとしっていても、ディーンの表情は変わらない。  彼は知っている。  たとえその腕があったとしても、彼が危害を加えてこないことを知っている。そう、彼の姫 君へと、彼が失った姫君へと手を出さない限りは。  初めから――こうなることは、予測していた。  ゼファー=ローデスとは、元ファーライト王国の聖騎士なのだから。  だからこそ、ディーンは笑っている。予測の通りに、事態が動くことに。 「――――」  剣を突きつけたまま、ゼファーは何も言わない。城内にもかかわらず漆黒の鎧兜を身につけ たその姿は誰かを連想させるが、兜に覆い隠され、その表情を伺うことはできない。  切っ先だけが、彼の鋭さを象徴していた。   そして――  かつ、と。  何の前ぶれもなく、ゼファー=ローデスは踵を返した。突きつけていたはずの剣は、いつの 間にか鞘に収められている。石作りの床に快活に足音を鳴らしながら、ゼファー=ローデスは 、一言を発することもなく去っていく。  柱の陰で身を寄せ合うようにして隠れていた、エレムとヘイズの反対側の方へと去っていき ――やがて、足音は消えた。  あわせるように、長い腕のディーンはため息を吐いて。 「……隠れる必要はなかったと思いますよ?」  隠れる二人に対して、やけに丁寧な言葉と共に笑みを向けて――ディーンはそういった。  隠れる必要はない。  その言葉の通り、ゼファー=ローデスは、二人がそこにいることに気付いていただろう。気 付いていたとしても、ゼファーは気にするような人間ではないし――隠れたのだって、一応の お約束のようなものだった。通りかかったなり、いきなり剣を突きつけているシーンに出会え ば、思わず隠れてしまうのも無理はない。 「すまない……立ち聞きをしてしまった」  どこか照れたような顔をしながら、エレムは柱の陰から出る。一方のクラウド=ヘイズはと いえば―― 「…………、」  とくに何を言うこともなく、石柱に背を預けたまま、ディーンを眇めるように見た。  エレムに対する態度とは違う。  敵であったユメに対する態度とも――また、違う。  敵よりも油断にならない味方を見る目で、ヘイズは、ディーンを見遣る。 「いや、気にする必要はありません。とくに、どうということはない話ですから」 「それにしては――物騒だったな?」  ほがらかに言うディーンに対し、突き刺すような声でヘイズは言う。  戦意ではない。  敵意を、隠す気のない言葉。  それでも尚、ディーンの態度は揺るがない。そうされることに慣れているとでも言わんばか りに笑い、「彼なりのコミュニケーションなのですよ、きっと」と嘯いた。  その言葉は嘘ではない。個性豊かな十二軍団の中においても、ゼファー=ローデスは尖って いる。第十一軍団が、少数精鋭で皇国の汚い仕事を一手に引き受ける始末番というのもあるが ――それ以上に、ローデスの存在そのものが、異端なのだ。  否。  軍団長において――異端でないものが、果たしているのかどうか。  ふん、と鼻を鳴らし、ヘイズは視線を足許へと落とした。  ――軍団長は異端だ。己とて魔族なのだから。ならば、この男は? ただの人間にしか過ぎ ず、軍団長ではなく、それどころか皇国の人間ですらないこの男は、果たして――  その思考を遮るようにして、ディーンは言う。  最後まで、笑ったままに。 「それではこれで。――ああ、この度はお疲れ様でした」  そう言って、ディーンもまた、踵を返す。かつん、かつん、かつん、かつん――ゼファー= ローデスが消えたのとは逆、二人が先ほど来た方向へと、ディーンは去っていく。  その果てには――皇帝がいる。  この王国の、頂点に立つ男が。 「…………いけすかない奴」  ぼそりと。  その後ろ姿が消えるのを確認して、ヘイズはそれでも小声でぼやいた。眉がいやそうに八の 字に曲がっている。  それを見て、エレムは肩をすくめた。ヘイズの隣、並ぶようにして柱に背をあずけ、 「言うな、クラウド=ヘイズ。アレとて、今は仲間だ」 「しかし姉御、皇帝直々の命令でなけりゃ――兄貴からの頼まれごとでなけりゃ――あんな男 ――」  言いかけた言葉を遮って、エレムは素早く言う。 「口は噤んだほうがいい。どこで誰が聞いていて――誰に伝わるかわからないからな」 「…………」  言葉の通りに――ヘイズは口を噤む。  そう。  たとえ皇国の中とはいえ――皇国の中だからこそ――どこで誰が聞いているのかわからない 。  そしてその情報が、どういう風にして、あの男へと伝わるかわからないのだから。  情報。  不可思議なほどに情報を重要視し、そして事実、運用する男。  ――皇帝は何を考えておられるのだ?  エレムは頭に浮かんだその疑問を、消し去ることができないままに、けれど言葉に出さぬま まに、頭の片隅にほうり置く。  そう。  ここは皇国。大陸最大の国家にして、陰謀渦巻く中心なのだから。誰が敵で誰が味方かなど 、彼女にすらわかりえず―― 「難儀なことだな、本当に」  どこかの誰かのように、エレムは疲れたようにため息を吐いた。 ■   カイルのデイシィプリン 最終章2 皇国にて  ...END   ■