『ずっとともだち』  昔のことは恥ずかしいもので、特に人に話しにくいものはある。  その中でも特に恥ずかしいのはあいつとの出会いだ。 「ごめん……なさい」  あいつの第一声はこれで、とにかく印象は最悪だった。  おどおどしてるしひょろひょろしてるし当時のあいつは背が低かった。  今の俺も大概だがそれよりも低かったといえばそれはもう相当なものだと分かるだろう。  一番俺をイライラさせたのはその態度だった。  いつも人の顔を窺って少し動いただけでびくっとする。  クラスが同じなだけでそんなにイライラしていたのに同室なんかになってしまったのだ から俺の心労も分かってくれるだろう。  しょうも無いことはよく覚えている。  牛に糞をかけられて泣いたこととか。  親がいないのをからかわれていじめられたこととか。  皇七郎博士に手を引かれて始めてウォンベリエの門をくぐったこととか。  その中でも特によく覚えていることがある。 「あ?」  そいつの第一声はそれで、とにかく印象は最悪だった。  目つきは悪いし口も悪いしすぐに殴ってくる。  当時はあぁ、やな奴と同室になったもんだと毎晩枕に顔を押し付けて泣いていた。  それで、皇七郎博士が村に来てここに連れてきた時のようにまた誰かが俺をここから連 れ出してくれることを祈っていた。  自分で何とかするなんて考えたことも無かった。  急に仲良くなったわけではない。  なにかきっかけがあったんだ。 「おい」  いつものように泣いていると、二段ベッドの上から声をかけられる。  また殴られるのかと思って泣くのをやめる。  彼はめそめそするなと言うけれど涙は溢れてくるのだから仕方が無い。 「おい、聞いてんのかよ」  彼はもう一度話しかけてくる。  正直もう放っておいて欲しかった。  泣くのはやめたんだからさっさと寝て欲しかった。 「ちっ」  舌打ちをした後ぎしぎしと何かがきしむ音がして、彼が上のベッドから逆さまに顔を出し た。 「お前、ここに来て二年目だろ。もう泣くの止めろよ。いい加減鬱陶しいんだよ」 「君こそ……もう放っておいてくれよ」  ボクは布団を被った。  真っ暗闇。  何も無い。  何も無ければ誰もボクをいじめない。  何も僕を苛まない。  だからボクは夜が好きで、昼が嫌いだった。 「あーっ!」  そう叫んで彼が布団を引っぺがす。  びっくりして彼を見ると、顔を真っ赤にして怒っていた。 「今日という今日はもう我慢できねぇ」 「え、え、なに、うわっ」  彼はボクを俵担ぎして、窓を開ける。  結構な高さの宿舎、起こっている彼。これから何が起こるのか分かってしまった。 「や、やめ――」 「うるせぇ!」  ふっという浮遊感。  ボクは宿舎の窓から投げ出された――訳ではなかった。  彼がボクを担いだまま外に飛び出したのだ。 「いぃぃぃやっふぅぅぅぅぅう!」 「うわあああぁぁぁぁぁぁ」  彼の歓声とボクの絶叫の入り混じった声が宿舎の四階からぐんぐん下に降りていく。  ボクらは夜の闇の中に吸い込まれていく。  とても怖かった。  終わりの無い暗闇は今まで体験した何よりも怖かった。  そして彼とボクは暗闇なんかじゃなくってそのまま池にとびこんだ。 「ハハハハハッ、つめてぇなぁ」  池の中で彼は笑う。  ボクはがちがちと震えていた。怖さから。  いや、違う。  確かに怖かった。  でもそれとは違うなにか溢れてくる様なものが僕の胸にはあった。 「おい、お前」  彼がボクを呼ぶ。ボクが振り向くと同時に彼はボクをぶん殴った。  それも思い切り。  ボクは殴られた勢いでまた池に突っ込む。 「殴られるのと飛び降りるのどっちが怖かった」  そんなことは言われるまでも無い。  だからボクは彼を思い切り殴り返した。 「飛び降りる方が怖いに決まってるだろ!」 「いい調子じゃねぇか、殴られたら殴り返せよ――なっ」  そう言いながらまた殴ってくる。  そっちが殴ったから殴り返したのにそれじゃ不公平じゃないか。 「殴り殴られじゃ終わらないだろ、この馬鹿!」  だから、また殴り返した。  人に殴られるのは怖い。  人を殴るのは怖い。  でも、今日ボクが初めて感じた暗闇への怖さよりも全然怖くなかった。 「なぁ、この学校は生徒の自主性を重んじてうんだかんだとある訳だが。喧嘩に関しては 別物だってこと知ってたかな」  そしてボクたちは理事長室で正座をしていた。  滅多にない理事長室送りを経験した生徒はこの学園でほとんどいないという。 「まぁまぁ、いいじゃないですか。若い子なんですから喧嘩の一つや二つしますって」 「モーゼスは黙っとき。私は青春てやつが一番嫌いなんだ」  モーゼスさんの助け舟もエデンス先生の一言でばっさり切り捨てられ、それからは苦笑 するだけだった。 「ガスト、あんたは豪快なのはいいんだけど慎重さが足りないねぇ。それからガレット、 あんたは冷静が行き過ぎてビビりになってるのがいけないねぇ。お互いそれが治ればと思 って同室にしたんだけど……。どうする。嫌なら他の子に替えるわよ」  そしてボクたちは答えた。 「……喧嘩、負けた」 「お前もよっわいなぁ」 「仕方ねーじゃん。向こう三人でこっちボクだけなんだから」 「数の暴力ってやつだな。よっしゃ俺も行くからぶちのめすぞ」     ボクたちはともだちになった。