RPG的世界観SS    ――――カイルのディシプリン――――        KYLE'S DISCIPLINE        最終話・DISCIPLINE 「お久し振り、というべきですか? それともお元気でした、とでも? あるいは――二度と 会いたくなかったと?」  そう言って男は、何がおかしかったのか、にやにやとした張り付いた笑みを浮かべた。少し も楽しそうではない。人を嘲うためだけの笑み。笑っていないのに――哂っている。にやにや と、にやにやと、にやにやと。  ロリ=ペドは何も言わない。ただ黙って、男を見据える。行為自体はカイルに対して行った ものとかわりがない。そこに含まれている意味は、正反対だったが。  ロリ=ペドは哂っていない。きつく、鋭く、男を睨みつけている。  龍を殺せそうな視線を正面から受けてなお――男は、笑みを消さなかった。 「ボクとしては貴方が帰ってきてくれて嬉しいのですよ。貴方は勇者殿にとって必要なモノで すから。ボクとしては貴方に帰ってきて欲しくなかったのですよ。貴方は勇者殿にとって必要 な人ではないのだから」  男は笑みをやめない。ロリ=ペドは笑わない。それでも、視線は交差し続ける。  唐突な再会だった。  始めからロリ=ペドがくることを知っていたかのように、荒野に点在する岩の上に、彼は腰 掛けていたのだ。ファーライトが見えなくなるほどまで歩いた場所で。辺りには、どこまでも 続く大地といくつもの切り立ったいわばしか存在しない。  その一番高い所に座って、男はロリ=ペドを待っていた。  黒い髪。黒い服。黒いマント。物語に出てくる、『悪い魔法使い』をそのまま体現したよう なその姿。消すことのないにやにや笑いは、彼のトレードマーク――誰が想像しよう、その男 が、勇者の仲間などと。  男は。  大魔道師ヘイ=ストは、高みからロリ=ペドを見下して、笑った。 「意志のない人形であればよかった。ただの一振りの剣であればよかった。それだけでよかっ たというのに――」  そこでヘイ=ストは、口元に手をやった。抑え着れない笑みを隠すように。事実、彼の口元 はきりりと、三日月状につりあがっていた。 「一体全体、果たして何が貴方を変えてしまったのでしょうね――黄金色の聖騎士サン?」 「貴方は――」  ゆっくりと、区切るようにして、ロリ=ペドが言う。 「空の城にいくのではなかったのですか」 「いやいや、いやいやいや。ボクらの親愛なる仲間の新たな旅立ちなのですよ。ボクがこない わけがないでしょう。いやはや――おめでとうございます」 「そうですか――有難うございます」 「いえいえ。どういたしまして」  ほがらかにヘイ=ストが言ったとき、ロリ=ペドの手には既に黄金色の大剣が握られていた。 抜いたのではない。抜かされたのだ。話をしながらも、場に急速に満ちていく殺意と悪意に ――剣を抜かずにはいられなかったのだ。  ジュバやカイルの戦気とは違う。ディーンの覚悟のある気配とも違う。ただどこまでも底の ない、濃縮された――呪いの如き悪意。その全てが、向かい合うにやにや笑いの大魔道師から 放たれたものだった。  悪意と、  殺意。  その両方を受けても、ロリ=ペドは微動だにしない。同じように――剣の先を向けられても、 ヘイ=ストの態度は変わらなかった。おどけるように肩をすくめ、 「どうしたのですか、そんな物騒なものを手にして。怪我でもしたら大変ですよ?」 「腹の探り合いのような真似は――私は不得手です」 「へぇ、奇遇ですね。ボクもですよ」 「用がないのならば――行っても構いませんか?」 「ああいえ、もう一つだけ、用件はあるのですよ」  言って。  ヘイ=ストは、にやにや笑いを浮かべたままに手をあげて。 「貴方を――――――――――――――――――――――――殺そうかと思いまして」  その手を、振り下ろした。  瞬間――一度に多くの事態が起き、そして終った。ヘイ=ストが手を振り下ろす、その動き にあわせたように虚空から現れた光の矢が空を裂いてとび、そのときにはもうロリ=ペドは其 処にはいない。移動の衝撃に耐え切れずに地面が爆発し、轟音と共に土砂が立ち昇り、ロリ= ペドの姿は何処にもなく、 『――光よ!』  ヘイ=ストの――範囲魔法が、炸裂した。  魔法を行使するためには――それが強力なものであればあるほど――長い呪文を必要とする。 それは、術者の意志と世界をつなげるために必要な言語変換に他ならない。呪文を唱え、意志 を魔力に変換し、奇跡を起こす。  その全てを無視するのが、ヘイ=ストの使う神代言語だった。  始めから世界と繋がった言葉。  ワン・ワードで奇跡を起こす、魔道師の最高形。  手加減は――一切なかった。  ヘイ=ストの言葉と共に、空気中に存在する光分子、その全てが剣と変わった。光の届かな い場所など世界にはない。空気中に突如として出現した無限の光剣は、世界の全てを貫いてい く。  けれど――そこに、黄金色の少女の姿はなかった。  剣は空を貫くばかりで、赤い血が吹き飛ぶことはない。 「……ふぅん」  ヘイ=ストが、退屈そうに呟いた。その言葉にあわせて、剣は元の光へと戻る。世界は一瞬 の激動を終えて静寂を取り戻し、どこを見るともなしに――ヘイ=ストは言った。 「失ったものを取り戻すなんて――羨ましいと、そうは想いませんか」  ヘイ=ストが、片手を上げ。  ――雷が落ちた。  雲ひとつない快晴の空から地面に向かって、一直線に雷が落ちた。ヘイ=ストの呪文ではな い。彼はまだ何もしていない。巨大な雷は地面に突き刺さり、光よりも濃い黄金が世界を塗り 潰していく。  直撃を受けた大地は爆発し――そこには、何事もなかったかのように。  黄金色の全身鎧が、仁王立ちしていた。  巨大な体躯。光よりも雷よりもなお鮮やかな黄金色の全身鎧。手にした剣もまた黄金。全身 を覆い隠す鎧からは、彼女の顔は見得ない。それでも――ヘイ=ストには、彼女が自身の意志 をもって、こちらを見ていることを確信する。  ――気に入らなかった。  それが、気に入らない。意志を持ってみていることが、気に喰わない。 「…………」  あげた手を、マントの中に差し込む。そこから取り出したのは、砂時計を模した杖だ。彼に しては珍しく、武器を持つ。  アレが本気を取り戻しているのならば、こちらも全力でかからなければならない。それこそ、 本当に殺す気でやらなければ勝てはしない。どうせ――アレは、死ぬようなものではないのだ。  その思考を、すべて、声にした。 「貴方の全てを――打破してあげましょう」  杖を構え。  そこに正義はありますか。 「其処――正義――所在?」  ロリ=ペドと、ヘイ=ストの声が重なって聞こえ、  その瞬間には――ヘイ=ストの目の雨には、既に剣を振りかぶる黄金鎧の姿。  ――速い!  内心でヘイ=ストは驚愕する。わかってはいたことだが、あらためて実感せざるをえない。 距離など何一つとして意味をなさない。迷いのなくなった彼女の動きは速すぎる。時間の杖を 手にしているというのに、それでもかろうじてその姿が視認できる程度だ。  見た目は鈍重な全身鎧だというのに、その熾烈さは雷そのものだった。どうやってでも、そ の斬撃を受け止めることはできないだろう。かわすことなど、考えすらできない。  だから。 「正義! 正義ですか!」  嬉々として、左手を剣の前へと差し出した。  ロリ=ペドの身に一瞬動揺が走り、それでもそのままに彼女は剣を振り下ろした。黄金剣は 何の抵抗もなく、ヘイ=ストの左腕を縦方向に両断する。剣は振りぬかれ、一拍遅れて血が吹 き出し、 「魔道師にとって――血液とは呪いであり、媒介なのですよ」  噴き出た血が。鎧に付着した血が。振りぬいた剣についた血が――同時に、爆発した。 「…………ッ!」  付着した血液による魔力爆発。ゼロ距離での一撃に、黄金の巨体が宙へ浮く。それでも、そ の鎧姿に傷一つないのは驚嘆に値した。  そして――そんなことは、ヘイ=ストにとっては予測済みだった。 「正義! 正義! なんと素敵な言葉なのでしょう!」  既に治っている左腕で杖をつかむ。両の手で時間の杖を構え、未だ宙空にいるロリ=ペドへ とその先を向け、すかさず神代言語で叫ぶ。 『世界は歪んでいる!』  ワン・ワードではなく。  言葉の連なりによる、呪文。言葉の長さは、そのままに呪文の強さへと変わる。それは、神 代言語でもかわらない。  世界が――歪んだ。  ロリ=ペドを中心に、空間が一箇所へと凝縮していく。光すら歪み集う。黄金鎧の姿が、ま たたくまに小さく縮んでいく。空中でできることなど何もない、  ――はず、だった。  歪みが頂点に達そうかという瞬間、黄金色の光が、一直線に伸びた――ように見えた。  それが斬撃なのだとヘイ=ストが気付いたときには、歪んだ世界は斜めに切り落とされてい た。走った光の線を中心に――世界がズレる。その中心にいるのは、剣を振り切った姿の黄金 鎧。  世界を切る、一撃。 「成る程」着地したロリ=ペドを、にやにやと笑ったままに見て、ヘイ=ストは深く頷いた。 「化物と、そう呼ぶに相応しいと、そう想いませんか?」  答えの言葉はなかった。返事の代わりに、ロリ=ペドは剣を構え直す。訊く耳はもたないと、 その切っ先が告げていた。  それでも――それでも。  ヘイ=ストは、笑みを消さない。にやにやと、にやにやにやと、黄金鎧をあざわらっている。 「そんな成りで人間を名乗ろうだなんておこがましいとは想いませんか?  そんな為りで人間として生きようなんておぞましいとは想いませんか?  ねぇ――――――――――――――――――――――――――妹サン?」 『ならば』  再び、声が重なった。無機質な声と、少女の声。二重に混ざり合いながら、声は言う。 『貴方は――人間ですか?』  答を。  ヘイ=ストは、返さなかった。笑ったままに、杖の先をロリ=ペドへと向け、 「――矢よ」  ごく普通の言葉で、吐き捨てるように、魔法を放った。  誰にでも理解できる言葉で、誰にでも出来る威力の魔法を。指先から出たのは一本の光の矢 だった。輝きは薄く、小さなそれは、人の走る程の速さで飛来し――ロリ=ペドに突き刺さる。  彼女は、よけすらしなかった。微塵も動くことなく、光の矢は鎧の表面に衝突した瞬間に霧 散した。その程度の攻撃は、黄金鎧にとっては何もしていないのと同じだった。 『…………』  攻撃の意図がわからず沈黙するロリ=ペドに対し、ヘイ=ストは笑みを浮かべたまま、  呪いの様に、言葉を吐いた。 「それもまた、人間の力ですよ。貴方は執行する力で、人間かどうかを決めるのですか?」 『…………』 「ボクは誰よりも強い勇者殿を――誰よりも人間らしいと思っていますよ」 「兄様は――――」  ・・・・・・・・・ 「それを踏まえた上で」  ロリ=ペドの言葉を遮って。言葉と共に、ヘイ=ストは手にもった杖を手の中でくるりと回 した。そして、その柄尻を地面へと突き刺す。構図は始めから変わらない。ヘイ=ストが上。 ロリ=ペドが下。彼は彼女を見下ろしたままに、にやにやと笑った。 「貴方はどうなのでしょうね――黄金鎧の聖騎士サン?」 「私は――」  黄金鎧は。  その鎧兜に覆われた顔を、ヘイ=ストへと向けて。 「――それを、捜し求めます」  はっきりと。  迷うことなく、それを口にした。  ――よろしい、と。  そう、ヘイ=ストが笑った気がした。けれど、実際には逆だった。ずっと彼が浮かべていた にやにや笑いが、その時初めて、消えた。笑いもなく、怒りもなく。嘆きもなく悲しみもなく、 全ての表情がぬけ落ちた――彼の素顔を、ロリ=ペドを向けて。 『――空の光は地へ堕ちる――』  感情を感じさせない声で、最後の呪文を口にした。 「――――!!」  その瞬間。  本能のままにロリ=ペドは剣を振った。逃げることも間に合わず、防ぐことも敵わない。迎 撃しなければ確実にやられるのだと、百年の闘争経験が告げていた。振り切ろうとした黄金剣。 それが、 「……ッ!!」  振り切ることができずに――硬い音を立てて。  空から降り注ぐ流星に弾かれた。  信じがたいのは星すらをも操るヘイ=ストではなくロリ=ペドの力。巨体の倍以上ある流星 が、斬撃よりも速く堕ちてくるのを――視認より速く剣を振い、弾き飛ばすなど、彼女以外に はできないだろう。  ――ましてや。 「…………、!!」  一つ目の流星を弾いた彼女の目に見えたのは――地を目指して堕ちてくる、幾つもの光。  ――空をひっくり返したような光景だった。  当然のように手を止めるわけにはいかない。強引に剣を振わされる――星の光が地を襲う。 ニ発目、身体が衝撃に揺るぎ、星は斜めに弾かれる。堕ちた岩石が岩盤を空高く捲り上げる、 その砂と土を蒸発させながら流星は続く。三発目、下から上へと剣を振う。流星は水面で弾か れる石のように後ろへと流れる。四発目、上から下に切り落とす。真正面に弾かれた流星は大 地に長々と後をつけた。剣は弾かれ――弾かれた勢いのままに身体ごと一回転し、五発目をす くいあげるように斬り捨てた。  ――衝撃。  五発目を弾くと共に、手に痺れがきた。五発目の星はわずかな角度をつけて真上へと飛び、 長い時間をかけて地に落ちてめりこんだ。  それで――星は、終わりだった。  ・・  星は。 『――地は只空を目指す』  呪文は、未だ終ってはいなかった。ワン・ワードでもワン・センテンスでもない。真の意味 でも、言葉の連なりたる呪文。歌のようにそれは続く。 『――地は天すらも覆い隠す』  歌に答えるように――大地が隆起する。ファーライトの城よりも巨大な土の柱が、点を目掛 けて伸びていく。留まることを知らない柱は、その影だけで大地から光を奪う。  ロリ=ペドは、動かなかった。  かわすことも、防ぐこともしなかった。それが無意味だったというわけではない。もしもロ リ=ペドの足許の大地が隆起すれば、いくら彼女とてその質量分の衝撃を受けるだろう。  けれど――大地の柱は、ロリ=ペドを中心に、遠く離れた場所に無意味に生まれ出ていた。 その数は五。いつつの影が――太陽の位置とは関係なく、中心にいるロリ=ペドへと伸びてい ることに、彼女は気付かなかった。  きづくよりも、早く。 『世界はキミを認めない』  呪文の歌が、唱え終わる。  変化は、劇的で、急速だった。 「此れは――」  黄金鎧が驚愕の声をあげる。声を上げることしかできない。口以外には、何も動かない。三 種三重にはりめぐらされた結界に囚われて――黄金鎧といえど、その動きを止められた。  ――一番中心には血の呪い。金の鎧についた、赤い五亡星。  ――中心には星の光。地面に突き刺さった流星が逆五亡を描く。  ――最外周には大地の柱。柱は中心へと五亡星の影を伸ばす。   大小性質様々な、三種三重の結界。それは、人ならざる技ではない。むしろ真逆の―― 「――人間の技。理論はボクの先輩のものですよ――まぁ、彼のモノではなく、ボクのアレン ジが入っていますが」  言うヘイ=ストの顔には、いつものにやにや笑いが浮かんでいた。さすがにこれだけの結界 を単独で維持するのは無茶があるのか、肌の表面が細かく痙攣している。それでも、ロリ=ペ ドを嘲うかのようににやにやと笑ったまま、動くことのできない彼女を見下ろしている。  ヘイ=ストの手による複合結界は、彼女ですら破ることができなかった。黄金鎧は、動くど ころか剣を振うことすらできない。動こうとするたびに、その箇所に金と赤と黒の光が走る。 爆発するように生まれる光は、動きを全て押さえ込む。  三重結界は――完璧に彼女をとらえていた。  超常の技ではなく。  人の手による、人の限界に挑んだ技で――事象の騎士を、捕縛する。  動く事の出来ない彼女を見下ろし、笑ったままにヘイ=ストは。 「これもまた、人間の力ですよ。貴方には――それができますかね?」  ヒトの可能性を見せてみろと、問いかけるように、そう言った。  ロリ=ペドは。  彼女の回りで多発していた光が消えた。それは、彼女が一切の動きを止めたということだっ た。奇妙なほどの静寂が、一瞬場を占める。  そうして、彼女は。 「私の正義は――此処に在る」  その意志を――初めて、言葉にした。  ――同時に。  赤と黒と金の光が、一斉に輝きだした。先までの静寂さが嘘であったかのように、三つの五 亡星が、全て光を放ち――それだけでは留まらなかった。光は止まることなく、どこまでも輝 きを増していく。そして、加速度的に光は変わっていく。  赤の光は金の光へ。  黒の光は金の光へ。  金の光は――黄金へと。  全ての輝きが、黄金色の光に塗り潰されていく。  黄金。  その色が示すのはただ一つ。暁の龍、正義の執行者、事象龍トランギドール。正義の龍の黄 金の輝きが――世界を満たしていく。  輝きは増していく。  五亡星だけではない。ロリ=ペドの身体を包んでいた黄金色の巨大鎧、それそのものが光を 放ちながら、光の中に溶けていく。黄金の光へと混ざり合っていく。  世界が、黄金に変わっていく。 「…………ハハ、」  その様を見ながら、ヘイ=ストは笑った。心の底から楽しそうに。心の奥からいやそうに。  にやにや笑いで――意図的に、笑い声をあげた。  その笑い声すらも光に包まれていく。光はどこまでも拡散し、増殖し――そして、縮小する。  何の前触れもなく。始めからそう決まっていたかのような自然さで、光は完全に反転した。 爆発的に広がっていた光が、瞬く間に圧縮されていく。  一点――ただ一点、その中心にいる、ロリ=ペドへと向かって。  黄金鎧の聖騎士ではない。光の集まるそこにたっているのは、黄金色の髪の毛を持つ小さな 少女。黄金鎧の聖騎士ではなく――少女、ロリ=ペドへと、光は集まっていく。  そして、光が形を造る。  意志の形を。  再び集った光は、黄金色の鎧を形作る――ただしそれは巨大な全身鎧ではない。暁のトラン ギドールを体現する威圧的な姿ではない。  より彼女の姿にあうように。  より速く彼女が動けるように。  より彼女の意志を表すために。  鎧は小さく、鋭く、彼女の身体を守っていく。先鋭化した――黄金鎧。長い金の髪が風もな く扇状に広がり、瞼がゆっくりと開き、黄金色の瞳が世界を見据える。  光が、完全に消えた。  兜に隠されることのない彼女の顔は――実直に、ヘイ=ストを見据えていた。視線は定まっ ている。どこにも、迷いはない。意志のこもった、黄金色の瞳で。覚悟の決まった、その顔で。  ロリ=ペドと、ヘイ=ストの視線が、からみ合う。 「……それが、貴方の意志ですか?」  地面に突き刺さった杖を、再びヘイ=ストが手にした。手の中で回し、砂時計の先をロリ= ペドへと向ける。  時が戻ったかのように。  赤と黒と金の光が、再びロリ=ペドの身を包む。結界を破られる前へと時間が戻ったかのよ うに――三重結界が再び彼女を束縛する。新たな鎧に身を包んだロリ=ペドを、それでも押し 留めるために。  けれど、それは。 「正義執行――――」  ロリ=ペドにとって、何ひとつ意味をなさなかった。  飛び散る光に構うことなく、無理矢理に黄金色の剣を振り上げる。光は黄金を止めることが できない。ロリ=ペドは、振り上げた剣を。    カミナ ツルギ 「――神鳴ル剣!」  光の速度で、振り下ろした。  ――果たして、もしもこの時傍からこの戦いを見ているものがいるとすれば、その者の目に はどのように見えただろうか。光が爆発し、凝縮し――再び爆発する光景が。  ただし、三度目の光は、ただの光ではなかった。三重の結界も、空気すらを貫く黄金の雷。 音をこえた衝撃が空気を震わせ、その一瞬で見渡す限りのすべてを黄金色へと染めた。  ひとたまりもなかった。  離れたところにいたヘイ=ストも、その空間ごと雷に飲み込まれた。全てを焼き尽くし消滅 させる光は、容赦も微塵もなく世界を黄金色に塗り潰す。  音すら――消えた。  結界など欠片も残らなかった。三百六十度、すべての空間を黄金色の雷が根こそぎに制圧す る。振り切った剣から放たれたトランギドールの雷に、消せないものなど何もなかった。  何もない、はずだった。 「――――ハハ」  雷の中から、乾いた笑い声が漏れる。  ロリ=ペドが、人類の最強としての一つの頂点ならば。 「――――ははははは!」  彼もまた。  人類の最悪としての――最果てである。  雷は消えない。それは自然のモノではない。暁のトランギドールの発現たる雷は、その正義 を執行するまで消えはしない。常ならば、敵を打ち消し消えるはずの雷は、いつまでもそこに 在り続ける。  それは――つまり。 「――――」  今度こそ、真におッ利ペドは驚愕で言葉を失う。まさか、ここまでだとは彼女をしても思って いなかった。彼は、彼女たちとは違う。ロリ=ペドやガチ=ペドとはイキモノとしての在り方 そのものが違う。彼は、特異ではあってもあくまでも人間であるはずなのに。  人間である彼は。  世界を滅ぼす雷の中にいて、なお。 「ははははは! それが貴方の選択ですか! これが! これが貴方の辿り着いた答えですか!」  にやにや笑いを――消していなかった。  雷に包まれた空間の中で笑うヘイ=ストの姿をロリ=ペドは視認する。彼は笑っていた。雷 は彼の身体を焼き、崩し、滅ぼそうとしている。それなのに――彼は倒れそうな身体を杖で支 え、崩れる端から治り治りながら崩れていく体を起こし、ロリ=ペドを見据えて――ヘイ=ス トは笑い続けていた。  死に面していることが、楽しくて仕方がないかのように。  ――それとも。  驚愕の中で、ロリ=ペドは思う。彼が特別ではないのだろうか。あの黒い聖騎士がそうであ ったように、事象の騎士も何も関係なく、真に人間の可能性とは―――― 「キレイな光ですね、コレ――だからこそ、汚してしまいたくなる」  言って。  ヘイ=ストはその黒く焦げた両手から杖を離した。身体が傾ぐ、それでも倒れない。先のロ リ=ペドのように、身体を動かすたびに雷が発光する。  構わずに、無理矢理に。ヘイ=ストは、両の手を力なくつきあげる。何もない虚空を――否、 そこにある雷を、掴み取るように手を伸ばして。 「魔道師に飛び技は迂闊ですよ――ロリ=ペド」  彼女の名前を、口にしながら。  両手の指を、強く握り締めた。  黄金の光が――その指先から黒へと変わる。水滴に血を混ぜるような変化だった。ヘイ=ス トに捕まれた雷の柱が、捕まれた箇所から彼の魔力によって黒く染まっていく。純粋な黒では ない。赤黒さをどこまでも突き詰めたような、歪な黒。手から迸る魔力に両手が黒く輝き―― 正義の光を、そのままに侵蝕していく。  黄金が黒へ。  人間に出来ないことはないのだと、彼はにやにやと笑う。それはさながら、ロリ=ペドが行 ったことの焼き直しだった。黒く染まりながら光は一点へと集中していく。世界を染めるほど の輝きは必要ない。必要なのはアレを貫く力。光はヘイ=ストの手元へと圧縮されていく。  事象龍の力に、ヒトの力を上乗せする。今ヘイ=ストが行っているのは、それに他ならなか った。  それは、同時に。  これから先のロリ=ペドのあり方を――教えているかのようだった。 「貴方はもう――一振りの剣ではいられない。ただの正義ではあれない。血に汚れ苦しみ惑い 迷い汚れて這い闘う――人間となるのですよ?」  ボクのように。  ボクらのように。  ともすれば暴走してしまいそうな光を押さえ込みながら――それでも笑いながら、嘲いなが ら、ヘイ=ストは問いかける。彼の言う、“汚れる世界”を嘲うようなにやにや笑いは、どこ までも濃くなってく。  ロリ=ペドは、笑わなかった。  彼女は笑うことなく――ヘイ=ストを見つめた。そこには、敵意も殺意もない。ただ――覚 悟だけが、そこにはあった。  その覚悟を。  切っ先にのせて、へロリ=ペドは大剣を構えた。身を低く、掴み手を引いて。切っ先を前に する、突撃の――真っ向勝負の構え。  よける気配は微塵もなかった。 「それでも」  黄金鎧の声ではなく。  彼女の声で、彼女の意志で。  ロリ=ペドは、言った。 「私は――私の意志で、戦い続けると決めたのです」  迷いのない、その言葉に。  ヘイ=ストのにやにや笑いが、深く満足そうなものに変わる。その笑みは一瞬だけだったけ れど、確かにロリ=ペドには見えた。笑うヘイ=ストの手には黒き光のやり。黄金の雷を黒く 凝縮した、実態のない破壊の塊。  その槍を。 『キミに幸あれ!』  呪いの言葉と共に――ヘイ=ストは解き放った。  手の中から放たれた瞬間、黒き光の槍は肥大化しながら直進する。進路上にあるものを根こ そぎ消し去りながら、一直線に飛来する。  ロリ=ペドもまた、止まってはいなかった。槍が解き放たれた瞬間、彼女の方から槍めがけ て同時に駆けた――前へと。  真っ向勝負。  一秒の時間もかからずに、黒き光と黄金の剣が、正面から――激突した。自身の身体よりも 巨大になった黒き槍へと、ロリ=ペドは思い切り大剣できりつける。  きぃん、と。  何かの砕ける――音がして。  砕けたのは、両方だった。黒き槍は黒き欠片へ。黄金の剣は黄金の欠片へ。砕けた欠片は混 ざり合いながら、空間へと溶けていく。  そして、  ――王に従う剣の群れ。  ロリ=ペドの手には、既に二本の黄金剣が。  ――空間転移。  その背後には、虚空より現れたヘイ=ストの姿。  どちらも――一撃で勝負が決まるとは思っていなかった。ヘイ=ストはロリ=ペドが確実に 黒き槍を破壊するだろうと確信していたし、ロリ=ペドはヘイ=ストがそこで諦めないと確信 していた。奇妙な形での信頼。  だから、動きは同時だった。  振り向きながら黄金剣を振り切るのと、百年の時を無効化すべく時間の杖が突き出されるの は、まったくの同時だった。曲線と直線。  わずかばかりに――彼の方が速かった。一直線に突き出された杖の先が、振り向いたロリ= ペドの胸へと突き刺さり、  ・・・・・・・・・  その姿が掻き消えた。  手ごたえは――ありはしなかった。 「――ハ、」  ヘイ=ストの口から笑いがでた。意識したものではない。真に乾いた、どうしようもない笑 み。  ヘイ=ストは、その技を知っていた。かつて、若き騎士からその技をその身で受けたことが あった。雷よりも速く疾け、時空が歪むほどの速度での光速移動斬撃。騎士の技としての一つ の頂点。速さに認識がおいつけず、その姿が多重に見えてしまうことから、その技はこう呼ば れている。  ファーライト流―― 「――多重残影ッ!」  その試練の中で得た全てを剣に乗せて――ロリ=ペドが、技を放った。  振り向く時間などなかった。杖を突き出した姿勢のまま、ヘイ=ストは――真後ろに剣を振 いながら出現したロリ=ペドの斬撃をその身に受け、  闇に堕ちるように、意識が消滅した。      †   †   †  意識が反転した。 「………………、」  暗闇から急浮上した意識をヘイ=ストは無理矢理に掴んだ。擬似的な死から再生することは よくあったが、無理矢理に奪われた意識を取り戻すのは久し振りの感覚だった。気持ち悪くは あったが、生きることの気持ち悪さに較べれば意識するほどのものでもなかった。  目を覚まし、起き上がる。 「よう、悪役」  起き上がった瞬間に、目があった。 「…………」  言葉を投げかけてきたのは、どこか黄金色の少女にも似た――一人の男だった。どこにでも いそうな衣装に身を包み、軽い笑みを浮かべて。瞳だけが笑うことなく、真っ直ぐにヘイ=ス トを見ていた。その視線の強さに、最後に対峙したロリ=ペドの瞳を思い出してしまう。  溜め息を吐きたい気分を抑えて、ヘイ=ストは答えた。 「酷いですよねえ。ボクなんて凄く正義のミカタだと思うんですけれど。そう想いませんか?  勇者殿」  にやにや笑いは――うまく浮かべれたかどうかは、自信がなかった。  それでも、答えるように勇者殿――ガチ=ペドはにやりと笑い返し、 「お前が正義のミカタなら、オレの出番なんざありはしないだろうよ」 「いやいや、いやいやいや勇者殿。正義ほどやっかいなものはないものですよ――」  そう言って、ヘイ=ストは今度こそ自覚して笑みを浮かべた。その笑みを見て、ガチ=ペド は楽しそうに笑う。  どうして彼がここにいるのか、問おうかと思ったがやめた。どうせろくな答えは帰ってこな いだろうし、特に期待しているわけでもない。彼が自分を殺す気ならとっくにしているだろう し――止める気なら、もっとはやくに介入しているはずだ。  そのどちらも、彼がするとはヘイ=ストには思えなかったが。  だが――彼が此処にいるのは、確率は低いものの、予想の範囲内だった。  だから、言った。自嘲げに、笑みを浮かべて。 「ボクは負けてしまったようですね」 「超ダセェ」  一切容赦なかった。 「…………」 「みっともねえ。負け犬。なんでお前負けてんだ」 「なんでと申しましても」  ヘイ=ストは肩を竦め、 「彼女の強さは本物でしたよ。殺す気でやったのに――殺されすらしませんでした」 「いい悪役っぷりだったぜ。ああ、アイツから伝言だ。『斬っても死にそうにないですから意 識を刈り取る方を選びました』、だってさ。言ってさっさといっちまいやがった。馬鹿にされ てるぞオマエ。頭殴られて気絶してる姿はマヌケだったぞ」 「……褒められてると、そう取りましょう」  釈然としないものはあったが、そう答えた。確かに――死んでしまえば復元がかかる体であ る以上、ロリ=ペドのとった方法は最上だったのだろう。その手段ですら、あの時の彼女でな ければ行うことはできなかっただろうが。 「ンで」  そのヘイ=ストを笑いながら、ガチ=ペドは言う。 「ホンキで負けたのか?」 「――――――――――――――――――――――――――――――さて、どうでしょう?」  長い沈黙を挟んで。  にやにや笑いと共に、ヘイ=ストは言った。その笑みを受けて、ガチ=ペドも笑う。彼はそ れ以上問おうとはしなかったし、ヘイ=ストも何も言わなかった。  二人の男は、笑い会う。何もなくなってしまった荒野で、笑みを交し合う。三人から一人が 欠けて、二人きりで笑っている。  ただそれだけの話だ。  仲間の一人が新たな試練に挑もうという、その旅立ちを送り届ける、世界のどこにでもあり ふれた、一つの物語。  別れと――再開。  そしてまた、  彼女は、  彼は、  彼らは、  たとえその道が一度離れたとしても、いずれまたその道が交差することを信じて。  そしてまた、冒険が始まる。                          KYLE'S DISCIPLINE ... Fin.