父は英雄だった 誰にも負けず 誰をも愛し 誰をも救う英雄だった あの日までは ■オレキャラスレRPG/SS 次なる英雄■ 黒い波が押し寄せる。 何千、何万という悪意が轟音を伴って進む。 圧倒的な数の前にヒンメル騎士団は防戦を強いられていた。 それでも耐え続けることが出来たのは、そこに英雄がいたからだ。 押し寄せる魔王の軍勢を押し返し、敵を討たんと攻め続けた。 数の暴力を実力で覆し、攻めに転じる。 しかしその時、騎士団に異変が起きた。 騎士達が突然、同士討ちを始めたのだ。 再度、攻守は逆転した。 勇者がいた。 そして眼前に魔王がいる。 やるべきことは一つだ。 魔王の軍勢が割れた。 阻む者は次々と打ち倒され、無人の野を行くように勇者は進む。 数刻の後、魔王は勇者に倒された。 「………。」 そうだ。あの時倒されたはずなのだ。 父を失ったあの戦いで、全て終わったはずなのだ。 しかし幾世は憶えている。 あの戦いの最中、ヒンメルの街で暴れていた暴徒たちの笑顔を。 ヒンメル城へ向けて人の少ない路地を選び、幾世は進んでゆく。 甘い香りが鼻を突く。 まるでお花畑の中を歩いているような、濃密な香りがあたりに立ち込めている。 「………。」 覆面をするように布を巻きつける。 そのままだと鼻がどうにかなりそうなほどに、濃密な甘い香りが漂っている。 「………。」 見回りの人狼を倒し、壁を蹴って城壁の上に登る。 人のいない場所を狙って、幾世は城に潜入した。 父を失った後、幾世は母とヒンメルを出た。 英雄の痕跡は一つ、また一つと消えて行く。 それが幾世達には耐えられなかった。 母娘二人が放浪の末にたどり着いた場所は、父の仲間だった女性の家だった。 僻地の村に住む二刀斧の女戦士、彼女には幾世と年齢の近い娘がいる。 朗らかで明るい娘だった。 内気な幾世とは正反対の娘だった。 名は更葉。更葉=ニードレスベンチといった。 更葉は幾世をいろいろな場所へ連れて行った。 丘の上の大木、山すその洞穴、森の先に広がる花畑、澄んだ水を湛えた湖。 更葉はいつだってそばにいた。 二人は手をとって野山を走り回った。更葉はよく転んでいたけれど…。 更葉はいつだって笑顔をくれた。 大木から落ちそうになった時、洞穴の中で迷子になった時、森の中で日が暮れた時、湖で溺れそうになった時。 手を差し出せば「助けてくれてありがとう」と笑顔を返してくれた。 幾世は更葉のことが大好きになった。 言葉では上手く表せないけれど、更葉のためならなんだって出来る…そんな気持ち。 いつか、更葉と二人で暮らせたら…いいな。 「そう、それが貴女の望みなのね。」 視界がぐらりと傾く。 頭がボーっとする。 集中力が削ぎ落とされ、考えたくも無いことが頭に浮んでは消える。 城の廊下で幾世は片膝をついた。 目の前には法衣姿の女性が優しい微笑を浮かべている。 「もっと聞かせて、あなたの望みを。」 法衣姿の女性はゆっくりと歩み寄る。 しかし、幾世は飛び退り武器を構えた。 「………。」 左手に持ったナイフには血の雫がまとわり付いている。 自身のふとももにナイフを突き刺し、無理やり意識を引き戻した。 「………。」 「怖がらなくてもいいのですよ。私が貴女の望みを叶えてあげますから。」 まるで何の警戒もしていないかのように、女性は幾世へ近づいてくる。 それに伴って甘い香りが一層強くなり、幾世の思考力を奪おうと押し寄せる。 口を布で覆った程度では、もはや遮りきれない。 「………!」 素早く左手で印を切り、魔法を構築する。 『――風よ遮れ』 風の精霊が奔り、幾世を中心に風が吹き荒れ、甘い香りが打ち消される。 「何を怯えているのですか?」 女性は風の中、微動だにせず幾世を見つめている。 幾世はようやく真正面に彼女を見据えることが出来た。 整った顔立ち、長い綺麗な金髪。それに不釣合いな暗くよどんだ瞳だけが彼女の異常性を物語っている。 「………『女教皇』」 幾世が初めて口を開いた。 「はい。自己紹介が遅れて申し訳ありません。魔同盟『女教皇』アンジエラと申します。」 法衣姿の女性、魔王アンジエラはゆっくりと一礼した。