人魔大戦後SS               『ナイトミュージアム』 「冒険者としていい加減に学習した方がいいと思うな」  昼だというのに薄暗い。そんな森の中で女性の冒険者はひとりごち、黒髪の少女は頷い た。そして二人の後ろにいた長身の眼鏡をかけた若い女性は申し訳なさそうに顔を伏せた。                 † † † †  森の中にいた三人は冒険者と呼ばれる何でも屋である。ペット探し、溝さらい、ベビー シッター、家の掃除エトセトラエトセトラ……。魔物退治なんてものの依頼はほぼ無い。 ただ、そういった小さな仕事を積み重ね、信用を得、そしてようやく一人前の冒険者にな っていくのだ。  で、彼女たちはその信用を得ている冒険者パーティーである。にも係わらず仕事が無く、 常宿としているウォンベリエの自室でごろごろしている時だった。  眼鏡をかけた女性――ビスカ=テンリョウが寝ぼけ眼で百回目の「暇だ……」を呟いた 時、ドアが大きく開いて女性が飛び込んできた。 「仕事仕事!」  女性は左右違いのブーツを履き、バトルアックスを担いでいた。名をリーニィ=エン フォースという。もう出発の準備は完璧なのだろう。ただ、普通と違っていたのは、彼女 は無色だったのだ。先述のブーツだけでなく衣服、髪、肌、果ては何らかの金属で出来て いるはずの斧まで。全てに色がついていない。神が気まぐれで作った人間の典型である。  ――と、そんなことを考えながらビスカは体を起こす。ぐしぐしと目をこすりながら リーニィに目をやると、いつものように笑っていた。 「ビスカ、あんた相変わらずすごい寝相ね。おっきい胸がポロリしそうになってるわよ」  ビスカが胸元を確かめてみると確かに胸が見えそうなぐらい服がずれてしまっていた。 「うひゃひゃひゃひゃひゃッ!」  奇声を発して胸元を隠す。こういう時、パーティーが女だけでよかったと思う。  そういえば――と、同室の少女の姿を探すがどこにもいない。先ほどまで部屋で一緒に ごろごろしていたはずなのに。そう思いながらきょろきょろと部屋を見回していると「刀 子はここにいるわよ」とリーニィが言う。黒髪の少女夢宮刀子はいつの間にか寝巻きから 「せぇらぁ服」に着替え、彼女の得物「霧咲」を持ってリーニィの隣に立っていた。刀子 はビスカと違ってすぐに準備してえらいね。などと言いながらリーニィは刀子の頭を撫で たあとで、ビスカに早く着替えるよう促した。 「着替えながらでいいから聞いといて。今回の依頼人はポーニャンド王国からの依頼」 「あそこって人魔大戦で滅んだって聞いたんですけど」  服をもごもごと着込みながら聞いてみる。ポーニャンド王国は東を皇国、西をロンドニ アに挟まれ、北と南は魔物の巣窟の森に囲まれている国家だった。そんな国が人魔大戦で すぐに襲われるのは致し方ないように思える。大体、学校でも人魔大戦の初期に滅びたと 教えられた。 「私もそう思ってたんだけど、これ見てごらん」  リーニィの差出した便箋を見てみると、そこには王国連合の紋章と並んで猫の紋章が刻 印されていた。  王国連合を騙る事は罪である。ならばこれは―― 「本物、と言うことになりますね」  二人の間から刀子が頭を出してそう呟いた。きっと、早く出発したくてしょうがないの だろう。うずうずしている。 「分かりました。宿でぐずぐずしているよりもマシでしょう」  ビスカは立てかけてあった愛刀「七天抜刀」を手に取って、二人と共に部屋を出た。                 † † † †  で、今に至る。  刀子の提案で、ポーニャンド王国南方にある「静寂なる森」を通ってポーニャンド王国 入りをしようとしていたのだが……。 「そりゃ人魔大戦前の地図じゃ迷うわなぁ」  リーニィは頭を押さえながら呟いた。  説明するまでも無い。ビスカの渡した地図は人魔大戦以前のものだったのである。現在 の地形は人魔大戦前と変わらないのであるが、この「静寂の森」はあの人魔大戦を経て土 地と生態系が変わってしまった場所であった。  人魔大戦期、ポーニャンド王国は四方からの侵略に耐えかね、少しでも進軍を遅らせる 為に土地の改変を企んだ。そしてそれはとある副作用を伴って成功した。その副作用とは ――ほぼ無音になること。それによってこの森は肉食の動物や魔物にとってはとても生き 辛く、人魔大戦以前は「唸りの森」と恐れられた魔物の巣窟も今となっては草食動物と大 人しい魔物しか存在しなくなってしまったのだった。  そんな森の中で太陽も見えなければ、地図も使い物にならない状況に陥った。さてどう しようかと思った時―― 「リーニィさん、後ろ!」  ビスカの声でとっさに横に飛び退く。すると、直前までいた場所に布が走った。 「!?」  三人はすぐに動けるように態勢を整える。すると、ぽふぽふという音と共に森の奥から 猫が現れた。それも二足歩行の猫が。 「ニャニャニャ、見事な身のこなしですニャ」  猫は笑いながらこちらに近付いてくる。ぽふぽふという音は肉球で拍手をする音だった。 「ようこそいらっしゃいましたニャ。聞いていた時間よりもずいぶん遅かったので迎えに 参りましたニャ」  緑の布を身体に巻きつけたその猫はビスカたちに近寄り、恭しく礼をした。 「ポーニャンド王国第八王女、コノピ=スクゥ=ピニャストと申しますニャ。以後よろし くお願いしますニャ」  そう言った後顔を上げてにこっと笑った。ポーニャンドは猫人で構成されているのは知 っていたが三人とも実際に目にするのは始めてである。その、猫でありながら人の理性を 宿している瞳にビスカは吸い込まれそうになってしまった。 「よろしくお願いします。私はリーニィ=エンフォースです。で、こっちの子が――」 「夢宮刀子です」  ぺこりと会釈するとコノピは笑ってお願いしますニャと返した。それを見て刀子は美猫 さんだ……などと思う。 「で、こっちがビスカ=テンリョウなんだけど……魂抜けてるね。おーい」  リーニィが目の前で手を振るが、反応が無い。 「……」  「ビスカさんどうかしましたか?」  刀子に声をかけられてようやく意識を取り戻す。  言えない。言える訳が無い。  相手は仮にも一国の王女である。その王女を――もふもふしたいなどとは。 「なんでもないよ。大丈夫」 「ニャ? お加減よろしくないですかニャ?」  そう言ってコノピがビスカを覗き込む。もふもふの身体が近くにある。あぁ、触りたい 触りたい触りたい触りたい触りたい触りたい触りたい触りたい。 「が、我慢できまっせーん!」 「な、何するニャ!」  (中略)  数十分後ビスカは思うさまもふりを堪能し、妙に血色がよくなっている反面、コノピは 着崩された布鎧「トカニーナ」を整えながらぐったりとした口調で一言。 「気は済みましたかニャ」 「えぇ、勿論!」  とてもいい笑顔でそう答えた。 「ニャ……、とりあえず森から抜けましょうかニャ」  ぐったりした口調のままそう言ってコノピは歩き始め、ビスカ達は後を追うようについ ていく。 「えぇと、依頼の内容はあとで言いますニャ。その前にポーニャンドに入る時の注意点を 申しますニャ。ポーニャンドは独自の言語を使いますニャ。私は皇国語を聞き取れますが、 国民は聞き取れないですニャ。だから語尾にニャをつける事を忘れないことですニャ。猫 人は語尾にニャをつけるだけで簡単に聞き取ってくれますニャ」  それを聞いてリーニィとビスカは大きな声で分かりましたニャと答えるが、刀子は何も 言わない。顔を赤くして恥ずかしがっている。 「刀子ちゃん分かったニャ?」  リーニィが肘で刀子をつつく。 「わかりました……ニャ」  赤い顔をさらに真っ赤にして、俯いたまま刀子は答えた。 「それから、ポーニャンド語を理解するにはこれをつけてくださいニャ」  コノピが差し出したのは猫耳の飾りがついたカチューシャだった。 「これさえつければ大丈夫ですニャ」  恥ずかしさのあまり刀子は意識を失った。                 † † † † 「うぅ……」  刀子が目を覚ますとそこはすでに森の中ではなかった。  壁がある。天井がある。そして、自分は柔らかいベッドの上に寝ている。  窓からは斜陽が差し込み、それで目を覚ましたんだなと理解した。 「ニャ、丁度よかったですニャ」  刀子が目を覚ましたのを確認してコノピが微笑する。  それを見て思い出したかのように刀子は自らの頭の上に手をやると、 「にゃーん」 「にゃーん」  笑いながらビスカとリーニィが猫の鳴き真似をする。自分の頭の上にあったのはふさふ さとした猫耳飾り。  しかも―― 「――取れない」  先ほどコノピが取り出した時はただのカチューシャであった。そのはずなのに取れない。 力任せにぐいぐい引っ張ってみると痛みを感じた。耳飾りと髪の毛の間に境が無い。それ どころかカチューシャが無い。それはまるで元から刀子の頭に生えているようだった。  そして刀子はリーニィがにやにやと笑っているのに気付いてようやく理解した。魔法で 取れないようにしているんだ。と。 「申し訳ありませんニャ。それがあったほうが国内で行動するには楽だと思いましてニャ」  心底申し訳なさそうに言うコノピのお陰で刀子は少し救われた気がした。 「まぁ、それはいいとして今から丁度依頼の概要についてお話しようとしていた所だった んですニャ」  それで、先ほどの丁度よかった――か。  刀子はそう納得し、ビスカとリーニィも居住まいを正す。いつもふざけていてもこうい う時だけは真剣だ。尤も――三人の着けた猫耳飾りがその真剣さを削いではいるのだが。 「えぇと、今回の依頼はポーニャンド王国からの正式な依頼となりますニャ。そのため報 酬はどうぞ期待して下さいニャ」  報酬――という言葉が出た瞬間三人の目の色が変わった。その反応を見てコノピはやは り報酬の話を先にしておいてよかったと思う。冒険者は金で動く生き物である。中には自 らの信念で動く人間もいるようだが、この三人は金さえ払えばある程度の事まではしてく れそうだとコノピは睨んでいた。結果、その通りだったわけで。 「報酬が気になるようですニャ。では先にそちらの話をしておきますニャ。最低でもこち らとしては皇国金貨でこのぐらい出そうと思ってますニャ」  ピッと三本指を立てる。  ビスカ達はそれを見て三十だと理解した。  しかし、聞けばコノピが出した単位は一でも十でもない。百だ。コノピは――ポーニャ ンド王国はこの仕事に皇国金貨三百枚を出すと言ってきているのだ。 「それが最低報酬。それに加えて追加報酬も考えていますニャ」  ――と、そこまで話した所でリーニィが手を上げる。それを見とめてコノピはリーニィ さん。と、学校の先生が生徒を指すように指名した。 「まぁ、国が相手だから結構な報酬になるとは思ってたけどニャ。私らからすれば破格の 金額だニャ。あんたらは私達に何をさせるつもりなんだニャ」  コノピはリーニィの意見も尤もだという顔をして話し始める。 「現在この国は人魔大戦に期に蹂躙された国土を復興しようとしておりますニャ。そして 昨年城下町とその周辺の土地はほぼ完璧に修復されましたニャ」 「――ほぼ?」  三人が異口同音に返した。きっと三人同時にコノピの言った「ほぼ」という単語につい て疑問を持ったからであろう。 「そうですニャ。ほぼ――ですニャ」 「修復が完成していないのは皆さん方が通ってきたあの『静寂の森』ですニャ。アレは人 為的に改変された土地ですニャ。人魔大戦期には邪魔だった魔物の大群も、この平和な時 代にとっては重要な抑止力になりますニャ。まぁ、我々の檻になりもするんですが、基本 的にここの国民は城下町でニャンニャンしてるだけですからニャ。だから、その魔法を解 きたいんですニャ。それさえ解ければポーニャンド王国復興は完了しますニャ」  少々興奮気味のままコノピは言葉を切った。  今の話で概要は分かった。しかし、また一つ疑問が浮かぶ。さっきからぽこぽこ疑問が 浮かびすぎるので、ビスカは自分が馬鹿なんじゃないだろうかと思ってしまった。  そう言えば確かに罷璃先輩には馬鹿だ馬鹿だと言われ続けてたし――と、そうではない。 馬鹿に馬鹿呼ばわりされていたことはそれなりにショックな自体ではあるが、ここで利口 ぶって、依頼の不明な点を不明なままにしてはいけない。そう学校で習った。 「えぇと、コノピさん。なんでそれ私たちに依頼するんですかニャ。魔法の解除はどちら かというと苦手な方なんですがニャ……」  思い切って聞いてみる。すると、コノピはここから先が本題だと言わんばかりの口調で 話を再開する。 「実はその魔法をかけたのはこの王国の宰相ですニャ。彼は王宮にいない間博物館を根城 にしていて、その魔法の構築式が書かれたメモもそこにあるとされていますニャ。で、そ の博物館なんですが――」  コノピは一回そこで言葉を切って、手を前に出してだらんと下に垂らし、おどろおどろ しい声で一言。 「――出るんですニャ」  呟いた。  心底肝が冷えた。あとで三人はそう語った。それほどコノピの話し方は堂に入っていた。 ビビリ症なビスカは正直この依頼受けたくないなぁと思うぐらいに。 「と――言っても出るのは普通の魔物ですニャ。ゴーストとかそういうものでもニャいの で思い切り殴っていただければいいかと思いますニャ」  そう言ってコノピは笑った。ビスカもリーニィも安堵の笑みを浮かべた。しかし――刀 子だけは笑っていなかった。さりとてさきほどの話で怯えている訳でもない。刀子はコノ ピをじっと見つめて、何かを考えていた。  その突き刺さるような視線に気付かないほどコノピは鈍感ではない。刀子を見返して、 どうしたんですかニャと尋ねた。 「いえ……、私の記憶に間違いがなければコノピさんは人魔大戦を生き抜いた唯一の聖騎 士――『麻の幽』ですよね…………ニャ。あなたが聖騎士ならば私たち冒険者に依頼する までもなくそんな魔物はご自分で倒せるんじゃないですか……ニャ? それに、貴方に倒 せなかった魔物を私たちが倒せる道理がないと思うのですが……ニャ」  ところどころ顔を赤らめながら刀子がそう返す。刀子の記憶が正しければ、コノピ=ス クゥ=ピニャストは王国連合の定める十二の聖騎士に人魔大戦勃発期から名を連ねていた はずである。猫人の寿命は長い。未だにその人魔大戦を生き抜いた本人が生きていても不 思議ではないのだが――そうだとすれば解せない。何故聖騎士たる彼女が自らその魔物を 討伐しない。いや、できないのか。そして、第八王女であるはずの彼女が何故客分をこの ような――言い方は悪いが――ボロ宿で迎えるのだろうか。  それらの刀子の問いにいささかも慌てず、コノピはゆっくりと頷いて答えた。 「そうですニャ。私は聖騎士が八位――『麻の幽』ですニャ。それから、二つの質問は一 つに繋がってますニャ。二つ目の質問に答えますとニャ、このような宿で概要を話す理由 はといいますと、秘密裏に事を進めたいからですニャ。このポーニャンド王国にはなかな かに腕の長い男がいましてニャ。王宮の中で話すとこの作戦がばれてしまいますニャ。で、 一つ目の質問の答えになるんですがニャ。今まで幾度となく魔物の討伐を試みたんですが、 その腕の長い男は何故か討伐前にこちらの編成を全て熟知してましてニャ……」  そこから先は言わずもがなである。  奇襲はいきなりやるからこそ奇襲であって、奇襲があることを事前に知られてしまえば 簡単に返り討ちにあってしまう。話によるとそれがどうも四回続いたらしい。それでは当 たり前のごとく兵の士気は下がる。そして国内で編成した隊での奇襲が無意味だというこ とにも気付く。そこで考えたのは、冒険者を招聘し、入国一日で片をつけてしまおうとい う作戦だった。 「その男の腕は長いですが、かのディーンほどではありませんニャ。もし、情報が行くと すれば早くても明日の朝になりますニャ。それまでに決着を――」  つける。  コノピの目はそう語っていた。  それを見てビスカ達は頭を寄せる。  この猫人を本当に信じていいのか――と。  彼女の話を要約すれば、魔物の手引きをしている者が王宮の中にいる。というわけであ る。そしてその手引きをしている人間がどれほどいるのかはビスカ達よそ者――しかも今 日入国したばかりのものには分からない。分からないまま事を構え、結果、国を敵に回す のは三人にとって好ましくない。好ましくないどころか絶対に避けなければならない。し かし、報酬が最低でも皇国金貨三百枚というのは惜しい。  そこでようやく皇国金貨三百枚の価値に気が付いた。  これは、たとえ国を敵に回してもこの依頼を受けてもいいという覚悟を考えての報酬な のだろう。ならば、コノピはこの国を自らのものにしようとしているのだろうか。  それは――分からない。  それは考えても答えの出る問題ではない。今ビスカ達に求められていることは唯一つ。 決断することだけだ。この依頼を受けるか否かを。 「分かった。その依頼受けてやる。私たちが考えている通りならあんたはここまで聞いた 私たちを帰すわけが無い。なら――せいぜい稼いでやるさ」  語尾に「ニャ」をつけるのも忘れてリーニィはそう答えた。  ちらりとビスカと刀子を見ると、二人はまるでリーニィがそう答えるのを元から分かっ ていたかのような顔をした。  その様子を見てリーニィは安心し、コノピを見つめ返す。常人なら倒れてしまいかねな いほどの重圧をもって。  そしてコノピはそれに気圧されることなくにこりと笑って返した。 「いいお返事がいただけて嬉しいですニャ」  陽は落ちた。  夜が――始まる。                 † † † †  深夜――極東の言葉を借りて言えば草木も眠る丑三つ時――に四人はポーニャンド王国 北東部にある博物館前に集まっていた。  ――入りたくないなぁ。  集まりながら、ビスカはそう思った。  決して夕方のコノピのエセ怪談が怖くなってしまったのではない。博物館の外にいても 漏れる殺気が嫌だったのだ。混じりけのない殺意は確固たる意思。 「さて、そろそろ突入ですニャ。皆さん方は気負わずいつもどおりにやってもらえれば大 丈夫ですニャ」  ビスカの強ばりを知ってか知らずかコノピは明るくそう言った。 「それから――」  コノピは口からフーっと煙を吐いた。それは口から吐き出された量よりも明らかに多く なり、小さな雲のようになった。  それがなんなのかすぐに分かったのは刀子だけであった。  聖騎士『麻の幽』の由縁――麻の煙。 「突入の際にはこの気配を遮断する煙を纏ってもらいますニャ。砂埃を巻き上げますので それと同時に突入すればより成功しやすくなると思いますニャ。ただ――」  そう、この麻の煙は魔が強い。それこそ耐性のない人間が吸えば気が触れてしまうほど に。だから、この煙を纏っている間は息を止めなければいけない。そういった説明をした あと、コノピは背負っていた布剣『ミジャク』を取り出し命令した。 『爆ぜろ』  主からの命を受けたミジャクは戒めを解かれたかのように動き出す。布の巻きつけられ た中央部は独楽のように回転する。はじめはゆっくりと、そしてその回転は加速してゆき、 最高速に達した時点で布が解き放たれる。  解き放たれた布は風を起こし、暴風となった。暴風は四人の足元の砂をさらい、砂埃を 巻き上げ、博物館のドアを叩き、吹き飛ばす。  ビスカは開いた口がふさがらなかった。  聖騎士は実力で任命されるものではないのは知っていた。しかし、今目の前で起きてい る状況は普通の冒険者であればほぼ目にする機会はない。刀子も暴風を起こすことは可能 である。しかし、それには入念な準備と時間をかけた詠唱が必要となる。それをコノピは ワンワードで済ませたのだ。  次元が違う。  この一言に尽きる。  そのコノピが勝てないものに自分たちが加勢しただけで勝てるのだろうか。  分からない。分からないなら――やるしかない。  ビスカは腹を括った。そう決意したとき、麻の煙を吹き付けられた。  先ほどから空きっぱなしの口を慌てて閉める。見るとリーニィもビスカもすでに煙の中 だった。  トントントン  刀子が靴で地面を叩く。事前に決めておいた合図。  トントントン――トンッ!  七つ目の地面を叩く音が聞こえた時、四人は一斉に走り出す。十数段の階段を一段抜か しに飛び越えて、開け放たれたドアから博物館に飛び込んだ。  入ってすぐの博物館ロビーは物凄い量の砂埃が舞っていた。そして、そこに魔物はいた。 奇襲に備えるでもなく、油断していたわけでもない。まるで、謁見に来る者を待つ王のよ うに、黒い体毛を持つ獅子はそこに佇んでいた。  陸の王者――シュバルツ=レーヴェ。  ビスカは頭の中の魔物生態事典を開く。  シュバルツ=レーヴェは魔法の詠唱をし、自らに身体能力向上の魔法をかけることでワ イヴァーンなど竜種ですら捕食することがある。しかし、その獰猛な外見、能力からは想 像も出来ないような高い知能を持ち、魔力を媒介としての意思疎通を可能とする。また、 彼らは人間に対して友好的である。  魔物生態事典にはそう書いてあった。それなのに―― 「グオオオオォォォォォ!」  今ビスカの目の前にいるそれは友好的でもなければ理性もない。ただ侵入者を排除する 為だけの生き物だった。  そして、コノピの煙の効果が切れ、ビスカ、リーニィ、刀子の姿があらわになる。三人 が同時に現れ、シュバルツ=レーヴェはどれに狙いをつけるべきか一瞬迷った。  それを見逃さず、ビスカは腰に提げた七天抜刀を抜刀して大きく床に叩きつける。  ガキン――と大きな音を立てて大理石の床が割れ、シュバルツ=レーヴェはビスカに狙 いを定め、その巨体からは想像できないような素早さで飛び掛る。  ビスカとの間にあった相当な距離を一瞬にして縮め―― 『湧きあがれ――壁』  リーニィの出した物理結界『壁』に頭から激突した。 「グゥ――」  短く唸り声を上げて怯むシュバルツ=レーヴェ。その一瞬のうちに刀子が駆け、霧咲を 振るい切り刻む。  ――勝った。  ビスカはそう思った。  しかし、終わってはいなかった。ビスカの目の前にある壁にガンと叩きつける音がする。 シュバルツ=レーヴェは動かないはずなのにその音はガン、ガン、ガンと連続する。見る と、リーニィが血相を変えてこちらに走ってくる。ビスカはおかしいなと思い壁の横に回 りこんだ。  そこでは、刀子が――この三人の中で一番強かったはずの彼女が――シュバルツ=レー ヴェに頭を押さえつけられ、何度も何度も叩きつけられていたのだ。  ビスカは何故彼女がこんなことになっているのか全く理解できなていなかった。しかし 壁の向こう側にいたリーニィは全てを見ていた。  シュバルツ=レーヴェが壁に激突したあと、刀子は霧咲を抜き、文字通りシュバルツ= レーヴェを切り裂いた。――リーニィもそう思った。しかし、その次の瞬間シュバルツ=                テレポート レーヴェはそこにいなかった。『移し身』である。  一部の魔物が使役する上位の魔法を使い、シュバルツ=レーヴェは刀子の後ろに回りこ んで、背後から力の限り叩きつけたのだ。何度も。何度も。  刀子は気を失わなかった。否、失えなかった。自身がこのパーティーの最大火力だと分 かっていたから。  幸い、今が夜という事もあって身体能力は向上している。なんとかして、この連打から 避けなければ――。  刀子がそう考えた時、攻撃の手が止んだ。  霞む目で見ると、ビスカとリーニィが同時に後ろ足に打撃を加えていた。  今が好機だとばかりに力を振り絞り飛び退き―― 「うざってぇ……」  ぽつりと呟いた。  遠く離れているビスカとリーニィはそれが聞こえない。目の前にいる野獣の攻撃を捌く ので精一杯だ。しかしまだ耐えられる。刀子はそう判断した。 『方位は丑寅、鬼の門。頭師亞気が作り、放魔(ほつま)の四肢を吸いし奈落――』  一言一言丁寧に詠唱する。  これは神の力を借りる言葉。神に捧げる言の葉。 『土の御霊、水の御霊、木の御霊、火の御霊、金の御霊。五行の御霊に鬼の力――』  祝詞――と呼ばれる極東独自の魔法言語。  ようやくビスカが刀子の異変に気付く。刀子が使おうとしている魔法の内容は分からな い。しかし、背中に薄ら寒いものを感じた。 「――ッ! 刀子ちゃん!」  刀子を見ないまま声をかける。しかし、返事はない。ビスカは怖くなり、シュバルツ= レーヴェの足を大きく弾いて体勢を崩させ、リーニィに近付く。 「リーニィさん、足元に壁出して!」 「え、え?」 「いいから!」  ビスカの剣幕に押され、言われるまま足元に壁を出す。  足元が盛り上がり、その勢いにのってビスカとリーニィは思い切りジャンプする。次の 瞬間、リーニィの出した壁はシュバルツ=レーヴェに破壊される。  ――間一髪だ。ビスカはそう思いながら一階全てを見渡せる二階廊下に着地した。ちょ うどその時、刀子は最終節を唱える。ただひたすらに神々しく。 『奈落よ――開け』  唱え終わると同時にバガン。と音がして刀子の周囲を除いたロビー部分の床が――消滅 した。  二階部にいた二人はその様子が良く分かった。底が見えない深い深い何か。そこにシュ バルツ=レーヴェは落ちていった。  数秒後、その穴は閉まり、最初と同じように大理石の床に戻っていた。  二階部にいる二人に血まみれのまま刀子は笑いかけ――ぶっ倒れた。                 † † † † 「魔法は解いちゃいやニャ!」 「ほら、王子もこう言ってることだしニャ。それに困ることはなかろーニャ」 「そうですニャ。それに重装猫騎士団もありますしニャ」 「なりませんニャ、防衛上あそこには魔物がいてもらって方が何かと楽チンなんですニャ」   ロビーの中央で猫人四人の問答が繰り広げられる。  一人はポーニャンド王国第八王女コノピ=スクゥ=ピニャスト。  一人はポーニャンド王国国王ニャモビト=ピニャスト。  一人はポーニャンド王国重装猫騎士団元騎士団長ニャルグランド=ニャンス。  最後の一人は―― 「いやだニャ! いやだニャ!」  ポーニャンド王国第一王子ニャルル=ピニャストだった。  先ほどのシュバルツ=レーヴェはこの三人の召喚によるものであり、コノピが戦闘に参 加しなかったのはこの三人を捕らえる為だったのだ。  召喚魔法は使用者に契約を破棄させることが手っ取り早い。ビスカ達はそのための足止 めに使われたのだ。  気分が悪いといえば気分が悪い。刀子に至っては死にかけている。皇国金貨三百枚以上 はふんだくってやる。三人――正確に言えば刀子はぶっ倒れているので二人である――は そう考えていた。 「王子、ではお聞きしますニャ。何故そこまで魔法を解くのを嫌がるのですかニャ」  落ち着いた声でコノピはニャルルに尋ねる。  しかし、ニャルルは嗚咽を漏らすばかりでそれに答えられニャい。 「コノピ、王子がこわがっとるニャ。もうちょっと優しく――」 「お父様は黙っててくださいニャ」  そう言ってニャモビトを睨みつけ黙らせた。  そして、もう一度、先ほどよりも心なしか優しくニャルルに尋ねる。  なんだかんだ言ってコノピも優しいな。とビスカは心の中で笑う。 「王子、貴方は将来この国を引っ張らねばならぬのですニャ。自らの意思で、自らの口で 物を言わねばならないのですニャ」  言われて、何か思うところがあったのか、ニャルルはぼそぼそと呟いた。 「え、すみませんニャ。聞こえませんでしたニャ」  勿論嘘である。コノピは大きな声を出さねば意味が無いと暗に言っているのだ。  また呟くがまだ小さい。ニャルルはコノピを見つめるがコノピは首を振る。聞こえませ んよ――と。 「あの魔法は――じいがかけたから。じいが僕を守る為に自分の命を使ってあの魔法をか けたから。だから、消して欲しくないんだ」  涙をぽろぽろと流しながら、搾り出すような声でニャルルはそう言った。  そして、コノピは困ってしまった。  正直な所、臆病な王子のことである。国の周りに魔物が増えるのが怖いから魔法を解く のを嫌がっているのだとコノピは思っていた。  ここまでしっかり答えを返されるとどうにも解きにくくなってしまう。  悩んで、悩んで、悩んで――、 「私にいい考えがあります……ニャ」  たった今目を覚ました刀子が口を挟んだ。                 † † † † 「うん、うん、そうだな。そうすれば大丈夫だと思う。うん。あ、ちょっと待て、もう少 しこっちに顔見せなさい。うん、そうだよ。そう。今度新しいセーラー服作っておくから。 うん。はいはい、大丈夫だよこっちは。ん、分かった。じゃあな」  チーンとベルのなるような音がして赤い髪の男は会話をやめた。  水晶球による遠隔地との音声通信を使っていたのだ。 「何、今誰?」  寝転がってエロ本を読んでいる少年が男に話しかける。男はサングラスのブリッジを指 で押し上げながら答える。 「夢宮刀子。術者の命を使って地形を変えられる魔法はないかって聞いてきたからさ」 「なんだよ刀子ちゃんなら俺とも話させろよ」  少年は口を尖らせて男に文句を言う。 「なんだ、刀子は胸ないぞ。胸のダメなんじゃなかったっけか」 「ばか、刀子ちゃんはビギィと違ってまだ成長する可能性があるだろ。俺が成長させるん だよ」  わきわきと指をいやらしく動かせる少年。それを見て男はため息を吐く。 「膾切りにされてもしらねーぞ」 「刀子ちゃんにだったらされてもいいぜ。俺は。っと、冗談はともかく、そんな魔法ある のかよ」  冗談には聞こえなかったぞ――と男は思う。というか、冗談なはずがない。この少年は いつでも本気なのだ。よい意味でも悪い意味でも。 「まぁ、あることはある。そう言ったらその術者を生きたまま魔法を解く方法はないかっ て聞かれてな。危うく俺が出張らなきゃいけないとこだったぜ。幸い近くに魔導目録ちゃ んと読んでる子がいてその子に解き方は全部教えといたよ」 「良かったな。副所長に外出許可貰わずにすんで」 「ホントだよ。こないだの事件の後俺ただのモルモットみたいに扱われたんだぜ」  男の答えに少年は答えずハハハと乾いた笑いを返した。 「まぁ、今回の仕事終わったらこっち来るように言っておいたし、会いたかったら会える だろ」 「んー、そだな。冒険はこないだの事件で当分お休みしたいぜ」  読んでいたエロ本を投げ捨て、寝返りを打って少年は大の字になる。  天井を見つめ、照明がまるで目玉焼きのように見えた 「なぁ、腹減ってないか」 「あぁ、減った」 「よし、なんか作るか」 「俺も手伝う」  そう言って二人は部屋から出て行った。                 おわり