RPG レミッキ=プス=クスキアルボSS        - けものみち -          前編 「お前だけ、帰れ!!」 「...わぅ...」   洞窟の中に、ガルドさんの声が響く。   頬が湿っぽいのは、洞窟のじめじめした空気の所為?   それとも、涙?   私は、それを確かめる為に、手で顔をぬぐった。   人間と違って犬人の私の手は毛が沢山生えている。   そんな手ででは、確かめようが無かった。   なんだか、それすらも悲しくなってきて、涙を流した。 「わぅー、じゃねえだろ。  お前のお陰でこちとら迷惑してんだ。  さっさと、帰れ」 「そうだ。あんな余計な事を二度も三度もやられちゃこっちは命が幾つあっても足らねぇんだよ」   ガルドさん達の声が私の胸に突き刺さる。   確かに、そうだ。   彼のいう事は正しい。   私は何の役にも立たなくて、みんなに迷惑をかけてばかりで...。   さっきも、しなくていい事をしちゃって...。   早く、早く謝らなきゃ、みんなに謝らなきゃ...。   でも、私の顎はがくがくと震えて、喋る事が叶わない。 「わぅ〜〜...」 「おいっ!!」   私が俯いていると、突然肩に衝撃が走り、身体が揺れた。   ガルドさんは、無理やりに、私の顔を起こさせた。   頭の中は真っ白で...どうすればいいのか何も思いつかない。   ただ、ガルドさんの釣り上がった目を見て、震える事しか出来なかった。   その次の瞬間、どん、と音がしてガルドさんの身体が離れて、影が目の前を遮った。   ドリーだった。 「あんたねぇ!これ以上、レミの涙量を増やしたらただじゃおかないよ!!」   彼女はドリー...ドリー・ドロレッツ。   私が冒険者として始めて依頼を受けた時に、一緒に来てくれて、仲良くなって、それ以来いつも一緒にパーティーを組んでいる友達。   彼女はアルマジロ獣人で、ほぼ全身が硬い皮膚に覆われているから鎧を着ていない。   二本の短剣を武器にしていて、鎧を着てない事もあって、とても動きが早い。   時には神経毒を短剣に塗って、戦う事もある。   私なんかが、足元にも及ばないくらい強い。   それだけじゃなくて、ドリーは、いつも私を助けてくれて、とても優しくしてくれる。 「...ふん。あんたは別にいいんだよ。こっちの犬っころが――」 「ほう、覚悟できてるんだね。  大体、あんた達、こんな非合法の依頼を手伝ってやってんのに文句言える立場だと思ってんの?」   そう、今回の依頼は、裏の仕事だった。   でも、そんな依頼を受ける事になったには訳があって―― 「そっちこそ、そんなヘボい奴を連れてるからこんな仕事しかなかっただけだろうが!  補助と回復魔法が少しでも使えるっていうからOKしたのによ、いつもおどおどしてていらねえ事ばかりしやがって」   ガルドさんが、ドリーの肩越しに私を睨んだ。   私は、怖くて、身をすくめた。   そう、そんな非合法な依頼を受ける事になった原因はすべて私にあった。   冒険者としては優秀なドリー独りなら、どんな依頼でもあったのだろうけれど...   ダメな私がいるから、パーティーから断られてしまう。   だから、請け負う人が少ない、人手不足の非合法の依頼しか、受けられなかった。   私はドリーにいつも、迷惑ばかりかけている...。   わぅ...。 「いいわ。あんた達とこれ以上問答するのなんて馬鹿馬鹿しい。  抜けさせて貰うわ。  行くよ、レミ」     そう言うと、ドリーは、元来た道へ引き返し始めた。   どうしたらいいかと、ガルドさん達を見ると、怖い顔で、ドリーの背中を睨んでいる。   私は、「駄犬」「所詮獣人か」という罵倒を背中に浴びながら、必死に小さくなっていくドリーの背中を追った。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   私達は、沢山の魔物に囲まれていた。   魔物の咆哮、荒ぶる鼻息に恐怖していた。   私は、どうしていいかわからず、どうする事もできず、ガルドさんや、ドリー達が戦っている傍でただ、おろおろ、としていた。 「ちくしょう、また増えてんじゃねえのか!?」   洞窟の中だ。   魔物の声は反響し、さらに仲間が集まる。   既に足元にはいくらかの魔物の死体があった。   光を失った魔物の目は、生きている魔物の目よりも、ずっと怖かった。   私達を、世界を憎むかのような、目。   私は、それが増えるたびに、身体の震えが増していく気がした。   でも、何か役にたたなきゃいけない。   そう思って、恐る恐るドリーの方を見ていた。   素早い動きで、右、左、と綺麗に避けながら、短剣で魔物を斬りつけていく。   私も、ドリーみたいに、素早く動けたら...。   ドリーみたいに、怖い魔物に恐れず立ち向かう心が持てたら...。   ドリーみたいに、強くなれたら...。   そんな事を考えながら、じっと見ていた時だった。 『グォォッ!!』   ドリーの後ろから、また一匹の魔物が現れ、彼女に襲い掛かった。   危ない――!   私は思うと同時に、フレイルを持ち上げてその魔物の方へ駆け出した。   思い切り、振り下ろす。   そして、咄嗟に、目を閉じた。   フレイルは、がちぃん、と甲高い音を弾かせた。   恐る恐る目をあけると、フレイルは洞窟の床を叩いていた。   外れた――!   当然の事だ。   目を閉じたまま、相手にあたるわけがなかった。 『グゥォァッ!!』   魔物は、わざわざ目の前で大きな音を立てた間抜けな私の方に振り返り、大きな爪が生えた手を振り上げていた。   避けなきゃ――   でも、足が震えて、動かない。   死んじゃうぅっ―― 「レミッ!」   ドリーが、私に腕を振り下ろさんとしている魔物の股下をくぐり、私の方へ飛び込んだ。   そして、私を抱きかかえ、床を転がった。   ぶうん、と魔物の腕は空を切る。   ドリーは私を床に下ろすと、その魔物と相対する。 「うぉ!?なんだぁっ!!」   ドリーがさっき相手をしていた魔物達が、ガルドさん達へと獲物を切り替えて、襲い掛かっていた。   自分たちが相手をしていた魔物達だけでも手一杯だったガルドさん達は、危機に陥った。   私の所為で――!   ドリーはそれに気付くと、短剣を構えて魔物に斬りかかった。   魔物がドリーに腕を振り下ろす。   それを身軽に避け、魔物の懐にもぐりこむ。   そして、左手の短剣で魔物の振り下ろした腕を切り裂き、右手の短剣を胸に突き刺す。 『グォ...ゥゥ...』   魔物は痙攣を起こし始め、仰向けに倒れた。   その身体を飛び越えて、ドリーはガルドさん達に混ざって魔物を倒し始める。   それから十数分後――魔物は、全部ガルドさん達やドリーが、倒してしまった。 「つ...糞、一時はどうなるかと思ったぞ...!」   ガルドさんが、血が流れる右腕を押さえた。   酷い怪我だ―― 「イテェ...おい、犬っ!早く治せ!」   ガルドさんが、私に向かって叫ぶ。   私は、その声に驚いて、身体をびく、と振るわせた。   早く、治してあげなくちゃ――   皆が、私を睨んでいる。   それが怖くて、恐る恐る、ガルドさんに近づく。 「早くしろよ!」 「ご、ごめんなわぅ〜っ」   震える足をもつれさせながら、ガルドさんの傍に近寄る。   強い怒りの視線を浴びながら、傷口に手を添えて、呪文を唱え始める。 「"泉より、生命は沸き立つ"...」   唱えると、傷口が光を放ち、徐々に綴じていく。   そして光が消え、洞窟に闇が戻る。   私は、ガルドさんの機嫌を伺うために、恐る恐る顔を見上げた。   歯を食いしばり、眉をしかめ、鋭い視線で私を睨んでいた。 「わぅ...」   恐怖の余り、尻餅を着く。   やっぱり、怒ってる...でも、怒られても仕方が無い...。   私が、がたがたと震えていると、やがてガルドさんは口を開いた。 「お前だけ、帰れ!!」   そして私とドリーは、ガルドさん達と別れる事になった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   ドリーは、洞窟の奥に向かってずんずん歩いていく。   私はそれを必死に追いかける。   もしかしたら、ドリーは怒ってるのかもしれない...。   私が余計な事をしたせいでガルドさん達と別れる事になってしまったから。   ドジな自分が、嫌だ。 「ドリー......」   肩を怒らせて歩くドリーに、声をかけた。 「どうしたの、レミ?」   思い出したように、ドリーが振り返る。   どうやら、怒っていないみたいだ。   それを見て私は、ほ、とした。 「こんなことになっちゃって...ごめんなわぅ...」   上目遣いでそう言うと、ドリーは私の前に立って、頭を撫でてくれた。   私は、ドリーに撫でられるのが、好きだ。   ドリーは撫でながら、にこ、と口元を綻ばせた。 「レミが謝る事なんて何もない。  いつも震えてるあなたが、迷わず私を助けに走ってくれた事はとっても嬉しかった。  ちょっと危なかったけどね...。  目を瞑って武器を振るうのは、危ないから気をつけなさいよ?  一歩間違えると、自分を傷つけてしまうから」   私は、頭を振って頷いた。   そう言い終えると、ドリーは拳を握って、歯を食いしばらせた。 「それにしても、あいつらむっかつくーっ!  あっちからパーティー組んで仕事しようとか言ってきたくせに!  報酬少なめだったけどもう少し安全そうな仕事は沢山あったのに、金額に目が眩んでこんな仕事選ぶし。  なんかやらしー目であたしの事見るしさ。  あぁ、もうちょっと何か言ってやればよかった」   私達獣人は、人間と違って衣服を着る習慣が無い人は珍しくない。   でも勿論、冒険者とか、戦士、騎士の人は鎧は身に着けている。   ドリーはアルマジロ獣人で、皮膚が硬い部分が多いから、鎧も身に着けていないけれど。   でも身体のライン自体は普通の人間に近い。   だから、人間にとっては、彼女は本当に裸同然に見えているのかもしれない。   ああ...だから、ドリーを変な目でみる人が多いんだ...。   私は、それに今気がついた。   気付いてしまって、凄く嫌な気分になった。 「大体、何が"疾風の"ガルドよ。二つ名をわざわざ名乗るほどの手錬でもないくせに!  聞いたこっちは失笑のドリーだったっての!」 「ふふふ」   疾風に、失笑。   ドリーは、ギャグも面白い。   私は自然と、声を出して笑っていた。 「今の笑う所でもないし!」 「え...ギャグじゃないわぅ?」 「う〜ん。わかんない。ははは...」   ドリーはそう言って、頭をかいた。   ギャグじゃなかったんだ...。   勘違いして笑ってしまった事が、凄く恥ずかしくて、私は手で顔を隠した。   ドリーはそれを知ってか、さらに私の頭を撫でた。   その心地よさが、私の気分を落ち着かせる。 「それにしても...道に迷った気がするわ...。  ていうか、勢いで歩いてきちゃったけど、マッピングはあいつらがしてたんだよね...。  帰れるかねぇ、こっから」   一応、仕事を受けた時に地図を受け取りはしたけれど、かなり古いもので、不完全な物だった。   結局、役に立たなくて、自分たちでマッピングをする事になったのだけれど...。   ガルドさん達の仲間の一人に、マッピングを得意とする人がいたので、してもらう事になったので、私達は一切、地図に値する物を持っていない。   しかも、この洞窟は薄暗いし、どこもかしこも似たような風景が続いていた。   この洞窟は、元は蟻の魔物が作った物だ、と聞いた。   ある魔術師が、表に出せない研究をするために、蟻を全部退治して、ここに住んでいた。今はその魔術師も死んで、魔物が巣食っている。   表に出せない研究というのは、合成獣...キメラの研究。   私は詳しく知らないけれど、命を作り変える事は、してはいけない事になっている。   でも、詳しくなくても、それが恐ろしい事で、してはいけない事だというのは、私にもわかった。   私達がここに来た理由は、そのキメラにある。   沢山の、さらには強い力を持つ生物同士を合成する時には、莫大な魔力が必要するという。   その莫大な魔力を補う為に、キメラの核となる生物に"賢者の石"という絶大な魔力を秘めた石を埋め込むらしい。   ここの洞窟には、その魔術師が作り上げたキメラが今でも住んでいる。   そのキメラはかなりの数の魔物を合成したキメラで、間違いなく賢者の石が使われているという。   賢者の石はとても貴重な物で、入手が困難な物だから、とりあえず現状で所持しているとわかっているキメラを退治して、入手してきてほしい、という依頼だった。   どうして、この依頼が裏の仕事かと言うと、理由が二つある。   賢者の石は絶大な魔力を秘めているから、一歩間違えると大変な惨事になるらしい。   だから、使うには住んでいる土地の、政府等の許可がいる。   この仕事の依頼主さんは、許可を持っていない、もしくは貰える立場にいない、というのが一つ。   もう一つは、この洞窟とキメラの調査、討伐に人が入った事があったけれど、誰も出てこなかった。   だから、この洞窟は危険地区として、入る事が禁じられていた。   この依頼を受けるという事は、良くない事に力を貸す、という事だから、私はあまり受けたくなかった。   ドリーも、嫌がっていたのだけれど、ガルドさんが勝手に依頼を受けてしまっていた。   一度受けた依頼を蹴ると、次の依頼を受けづらくなるので、せざるを得なくなってしまった。   でも、私は、今から帰れる、と思うと少しほ、としていた。   ...あ...。   でも、帰り道がわからなくて迷っていたんだ...。 「仕方ない。とりあえず、あいつらもう一度探して、地図だけ見せてもらおっか...」   ドリーが、溜め息混じりに呟く。 「わぅ...」   私も、頷いた。   二人で、暗い洞窟の中を、黙々と歩く。   ガルドさんたちと別れたところへ歩いている...つもりではあるけれど、本当にこの方向であっているのかは、よくわからなかった。   洞窟の中はとても薄暗くて、湿っている。   ぴちょ、ぴちょんと定期的に水滴の落ちる音が響く。   神聖な雰囲気を持つと同時に、どことなく恐ろしい雰囲気を持っていた。   そんな場所を歩きながら、私は考えていた。   魔術師さんは、どんな思いでここへやってきて、何を考えて、キメラを造ったのだろう?   そもそも、キメラを造る人は、どうしてキメラを作る必要があるのだろう?   私には、幾ら考えても答えが思い浮かばなかった。   生き物とは、その生き物だからこそ、美しというのに。   鳥は鳥だから、美しい。   馬は馬だから、美しい。   その鳥と馬を合わせたら...?   それは、一体何になるのだろう。   少なくとも、鳥でもなく、馬でもない。   鳥を無理矢理、又は馬を無理矢理合成された馬、もしくは鳥は、どんな気分なのだろう?   馬のように早く駆ける事ができて、鳥のように飛べる。   今まで持てなかった力を、持つ。   それは、本人にとって嬉しい事なのだろうか?   私には、よくわからない。   ふと、一つの考えが頭に過ぎった。   力のない私も、キメラになれば強い力を手に入れる事ができるのだろうか?   ...でもそれは...幸せな事なのだろうか...。   お母さんは、いつも優柔不断な私に、自信を持たせるために、冒険に出なさい、と言った。   幸せはあっちからはやってこない、自分で掴まなければいけない。   幸せを掴む力をつけてきなさい、と。   幸せって、なんだろう?   私の両親は、大陸で北方に位置する犬人の国、フィンワンドで宿屋を営んでいる。   昔は二人とも冒険者をしていて、ある冒険をきっかけに知り合い、結婚したのだという。   二人を見ていると、言葉では言い表せないけれど、幸せとはこういうものだ、と思う。   でもやっぱり、なんだか、よくわからない。   私も冒険を続けていれば、自信を持てるようになって、お父さんみたいに素敵な男の人と出会って、結婚して、幸せになれるのだろうか?   やっぱり、今の私にはよくわからない。   私の小さな頭では難しい疑問に、耳から煙が噴出しそうになった時、不意に、ドリーが立ち止まった。 「あれ...?行き止まりだ...」   彼女の言う通り、道は途絶えていた。 「戻ろっか...」   ドリーが、半ば疲れたように、溜め息をつく。   その時、音が、足音が、聞こえた。   そしてそれは、近づいてくる。 「ドリー...!」 「どうしたの、レミ...?」 『グロォォォッ』   魔物だった。   魔物が、私達の方へ、歩みを進めていた。 「く...後ろが行き止まりじゃあ、逃げる事もできないね。  一匹くらいなら――」   どし、どどし、どし、どし。   足音が増える。どんどん増える。   そして、近づいてくる。 「...わぅ...」 「一匹じゃない、か...。  まぁ、なんとかするよ」   不安がる私の心配を取り去るように、彼女は、私に向かって笑みを見せた。   そして、短剣を構えて、向かい来る魔物に向かって疾走し、飛び込んだ。   魔物が腕を振り上げるが、振り下ろすより先に、短剣が魔物の首を切り裂く。   ドリーは魔物の身体を駆け上がっって宙返りし、落下する勢いを利用して次の魔物の胸の斜め上から短剣を突き刺した。   両足で魔物の身体を蹴って短剣を引き抜き、華麗に宙で後ろに回転し、着地する。   着地したと同時にまた次の魔物へ。   でも、そうしている間にも、魔物はどんどん数を増す。   着々と、ドリーは魔物を倒していくが、数は、一向に減らない。   見る見るうちに、ドリーの向こう側は魔物で埋め尽くされた。 『グルォッ!!』 「きゃあっ!」   ドリーが目の前の魔物に切りかかった時、横から現れた魔物に殴り飛ばされた。   彼女の身体は宙に浮いて、私の元まで跳んできた。   そして、どう、と音を立ててドリーは背中から叩きつけられる。 「ドリーっ...!」 「ははは...結構、きついわ...」   ドリーは、半身を起こして、辛そうに呻いた。   彼女は、それでなくても、さっき魔物と戦った事で、疲れている。   それなのにまた、こんな数の魔物を相手にするのは...無理だった。   このまま私達は、死ぬのかも、しれない。   間抜けな、私が死んでしまうのは...死ぬのは、とても怖いけれど、別に良かった。   ただ、大切な、優しくて、力強いドリーが死んでしまうのが、とても哀しかった。   ドリーが、死んでしまう。   そんなのは、嫌だ。   その一つの事が、力ない私に、少しの勇気を与えた。   私は、フレイルを握り締めた。 「ドリーは...私が守るわぅ...!」 「へ?レミっ!?」 「わぅぅぅ〜っ!」   私は、フレイルを振り上げて魔物に向かって走り、思い切り振り下ろす。   どす、という音が聞こえた。   当たった――!   微かな喜び、それさえも束の間の出来事でしかなかった。   魔物を見上げると、私のフレイルを片腕で軽々と受け止めていた。   そして、右腕を、振り上げる。   振り下ろす。   大きな毛むくじゃらの腕に、歪に伸びた黒い爪。   それが、私に近づいてくる。   だめだ、やっぱり、私の力なんかじゃ――  ひゅう、ぶしゅう   一瞬の出来事だった。   視界に黒い塊が過ぎり、魔物の胸が裂け、血をたくさん吹き出させて、仰向けに倒れた。   黒い塊は、止まらない。   洞窟の壁、床、天井を飛び回り、魔物の死体の山を気付いていく。   よく見ると、黒い塊は、猫人の女性のようだった。   身体には布を巻き、手には、奇妙な武器を持っていた。   その武器は、時には剣のように魔物を切り裂き、時には、蛇のように蠢いて、魔物に食らいつく。   私とドリーは、呆気にとられて、その様を見ていた。   凄まじい血の旋風、魔物達のうめき声は、瞬く間に止まり、その場には魔物達の遺骸の血と内臓が放つ異臭と、水滴が奏でる静けさのみが残った。   猫人の女性は、私達の方に振り返ると、魔物の遺骸の向こうから跳び、華麗に宙で舞って、私達の前に着地した。 「お前達...事情は後で聞くにゃ。  ここにいてはまた、血の匂いに引き寄せられて魔物がやってくるにゃ。  ついて来いにゃ!」   そう言うと、魔物の遺骸を飛び越えながら、奥へと進んでいく。 「ついて来いって...どこに行くのさ...!」   私達は、突然、目の前で起こった出来事に、鼓動が強く打つのが収まらないまま、ただ、猫人の女性の後を追った。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   数分走った所で、少しだけ背が低い通路(とはいえ、私がどれだけ高く跳んでも天井に手が着きそうにない)に入ると、猫人の女性は、走る速度を徐々に遅め、歩き始めた。   その後を、ただ黙ってついて歩く。   この人は、何者だろう?   私達のような冒険者だろうか?   でも、依頼が二重に交わされる事はない。   じゃあ、別の依頼主に頼まれてやってきたのだろうか。   でもあれだけの力を持ちながら、こんな危険な仕事を? 「...ここらへんでいいかニャ...」   そう言うと、猫人の女性は、立ち止まった。 「違うとは思うけどニャ、お前達のどちらかがガルド=クリフトかニャ?」   ガルド=クリフト。   ガルドさんの名前だ。   でも、どうしてこの人はその名前を知っているのだろう? 「どうしてその名前を!?まぁ、あたしらは違うんだけどね」 「ガルド=クリフトを知ってるニャ?」 「あたし達はそのガルドとパーティーを組んでここまで来てたんだけど...。  色々あって別れて、帰る所だよ」 「にゃ...」   猫人の女性は、一言そう漏らすと、親指で顎を撫でた。   何か考えているらしい。 「それより、あんたこそ何者?」   考える仕草のまま、猫人の女性は目だけをこちらに向けた。 「...コノピ。お前達の名前は何にゃ?」 「あたしが、ドリー。こっちは、レミッキ。レミだよ。  どうして、ガルドの事を知ってるの?知り合い?」   コノピさんは、少し虚空を見上げると、顔をこちらに向けた。 「いいニャ、全く知らないニャ。  禁止区域に入った愚か者がいると聞いて、止めに来たニャ。  まぁ、それだけじゃないがニャ...」 「止めに来た...って事は、ここらへんの管理人に頼まれて?」 「違うニャ。それに近いけどニャ...。  それより、ガルド=クリフトの居場所はわからないニャ?」 「実は洞窟内のマッピングをガルド達に任せててさ、帰り道がわからなかったんだよ。  だから、探してた所なんだけど...見つからなくて」 「...という事は、お前達も迷ってるニャ?」   お前達も...つまり、コノピさんも迷っていたようだった。 「...このぴーも迷ってんの?」 「違うニャ。ちょっと散策してるだけニャ。  コノピーって何にゃ...」   コノピさんが、眉を顰めて、ドリーを睨む。   ドリーは、愛称を考えるのが得意だ。   私をレミ、と名付けたのも、ドリーだった。 「あんたの愛称よ。かわいくない?」   ドリーが、歯を見せて笑う。   コノピさんは、はぁ、と大きな溜め息をついた。 「まぁ、そんな事はどうでもいいニャ...お前達は、さっさと帰るニャ」 「だから、帰れないんだってば...それにしても、疲れたわ...」   そう言って、ドリーが腰を地面におろす。   それを見ると、コノピさんも、腰を降ろした。   私もつられて、足元に座り込む。   地面は、ひんやりして冷たかった。   コノピさんは、座って一息つくと、鞄の中をがさがさと漁って、パイプを取り出して、くわえる。   そして、また鞄をごそごそいわせて一捻りの草を取り出して、パイプの先に詰め、マッチで火を起こす。   火をパイプの先に近づけ、すう、と音が聞こえるくらい大きく吸い込み、吐き出した。   コノピさんの吐いた煙は、辺りに、かいだ事のない、妙な匂いを充満させた。   鼻につく、変な匂いだった。 「うわ、臭っ...!何よ、これ...」 「我慢するニャ..."麻煙(まえん)は魔を鎮め、背ける"...」   コノピさんが唱えると、煙が空気中に浸透するように、散って行った。   気のせいかもしれないけれど、何かに覆われ、守られている感じがした。 「...これで、大方の魔物は寄ってこないニャ...。  少しだけ眠ったら、そのガルドとやらをさっさと見つけて、お前達は帰るといいニャ」 「寝てる間なんてないよ。さっさとガルド達を見つけて、帰りたいし」 「その身体でかにゃ?お前はかなり、疲労してるにゃ。  ...そんな状態で魔物の群れと遭遇したら、死ぬ事になるニャ」   そう言うと、コノピさんは壁に身体をもたれさせて、また煙をもくもくと吐き出し始める。 「...ありがとう、このぴー。  でもさ、あんた何者なの?  あれだけの数の魔物を...」 「......言う必要のない事ニャ...」   そう言って、煙を吹かせる。   それにしても、酷い匂いのする煙だった。   ドリーは、コノピの返答に顔を少しむっとさせる。 「それにしても、あんたはまだ若くてちさいのに妙な仕事をさせられて、大変ねぇ」   私や、コノピさんのような獣の血が濃い獣人は、他の種族の人からして、外見を見ただけでは年齢が分かり辛いらしい。   コノピさんが私達より結構年上なのが、私にはわかっていた。   でも、ドリーはコノピさんと私達の年齢があまり離れていると思わなかったらしい。   ちなみに私は16歳、ドリーも確かそれくらいだ。 「...小娘に、若いとか言われたくないニャ」 「へ??じゃあ、あんたは何歳なのよ?」 「......26歳ニャ」   溜め息をつくと、コノピさんは答えた。 「えぇーっ、年上!?  ...それは失礼したわ、ごめんね」   ドリーは、苦笑いを作り、頭をかいた。 「そうだ、どうしてガルドの名前を知ってたの?  さっきのじゃ答えになってないんだけど」   私も、気になっていた事だった。 「...私は、犯罪を取り締まる立場にある者...とだけは言っておくニャ。  ある違法な仕事を依頼した人間を捕まえた時に、出てきた請負人の名前がガルド=クリフトだった、というだけの事ニャ」 「犯罪を取り締まる立場...特務騎士か何か?まさか、聖騎士じゃないだろうし...。  それにしても、依頼主が捕まっちゃったなら、どのみち報酬は貰えないんだね。  まぁ、途中破棄した後だから、いいんだけど...。  はぁ〜、ここ来て損した」   コノピさんが、何か言いたげに一度だけドリーの方を見て、また前を向き、煙を吐き出した。 「そういや、もしかしてあたし達、捕まえるの?」   私は、びく、と身体を振るわせた。   そうだった。   私達は、犯罪に加担していた。   このまま捕まっちゃうのだろうか...?   嫌だな...。 「心配するニャ。末端まで捕まえたりはしないニャ。  犯罪者なんて山ほどいるのに、片っ端から捕まえてたら牢が足りなくなるニャ。  依頼主と、違法の依頼とわかって請け負った主犯格...ガルド=クリフトを捕まえて終わりニャ。  そのガルド=クリフトも、軽い警告を受けて終わりニャ...。  それより、早く眠るニャ。  結局の所、長いすべき場所ではないからニャ...後一時間程で出立するニャ」   そう言い、またコノピさんは煙を吐いた。   ドリーはそれを聞くと、嬉しそうに一度笑ってから、寝転がった。   コノピさんは少しぶっきらぼうな喋り方をするけれど、優しい人なんだ、という事がわかったからだろう。   それがわかって、私も安堵の溜め息をついた。   コノピさんが本当に怖い人なら、捕まっていたのかもしれない。   でも、今は、ドリーの体調が一番気になっていた。   私は立ち上がると、ドリーの頭元まで歩き、正座をして、ドリーの顔を覗き込んだ。 「ドリー...」 「ん?どしたの、レミ」 「膝枕わぅ...」 「ん、ありがとうねっ」   ドリーはそういって笑うと、頭を起こして身体をずらし、私の膝の上に頭を乗せた。   その頭を、私は撫でる。 「ん〜...気持ちいいよ...」   ドリーが、至福の表情で、呟いた。   私が彼女に頭を撫でてもらう事が好きなように、ドリーも、私の膝枕で、頭を撫でられるのが好きだった。   ドリーに私がしてあげる事ができる事の一つだった。   次第に寝息を立て始めたドリーに釣られ、私も意識を失っていった。 ―――後編へ続く