RPG レミッキ=プス=クスキアルボSS        - けものみち -          後編   ず、ず―― 「......?」   私は、異様な雰囲気に私は、目を覚ました。 「.........」   ふとコノピさんの方に目を向けると、立って、洞窟の奥を見つめていた。  ず、ずずずず――   洞窟全体が、揺れている。   その揺れが、洞窟内でさらに反響し、無数の生き物が行進しているような印象を与える。   一体、何が起こっているのだろう――   私が辺りを見回していると、ドリーが、目を覚ました。 「ん...?」   ドリーは身体を起こすと、眠気を覚ますように、頭を振ってから、立ち上がった。   私も、それに合わせて立ち上がる。 「このぴー...一体、何が起きてるの?」   ドリーが、コノピさんに問いかける。   コノピさんが、頭を振った。 「...わかんないにゃ...とにかく、ここに危険が迫っているのは確かニャ。  さっさとガルド=クリフトを見つけて、ここを出るニャ」   そう言うと、コノピさんは、洞窟の奥へ歩き始めた。   私達も、それに続く。   洞窟内に響き渡る地響きは、止まる事無く、私の不安を掻き立てる。   震える足を押さえ、つまづきながら必死に、コノピさんの後を追う。   少し走ると、また大きな通路に出る。   さらに奥へと、走り続ける。   それから少しして、コノピさんが一度立ち止まった後、何かを見つけたように、急いで何かに駆け寄った。   ドリーも、それに続いて駆け出す。   私は、見なくても、それが何かわかってしまった。   血の匂い。臓腑の漏らす異臭。   かといって、魔物の物とは違う―― 「...ドリー、もしかしてこれが、ガルドかニャ?」   ドリーが、息を呑む音が聞こえた。   私は、見たくなかった。   目をつぶって、背ける。   でも、身体が震えて、止まらない。 「...見事なまでに...潰れてるけど、確かにこれはガルド達だと思うわ。  うっ...死体見るのはいいけど、数時間前まで会話してた相手のを見るのはちょっときついね...」   ドリーは、そう言って私に近づくと、抱きしめて、背中を撫でてくれた。   少しだけ、震えが引く。   死ぬのは、きっと痛いのだと思う。   殺されるのは、もっと、痛いに違いないんだと思う。   私は、その痛みを目の当たりにするのが怖くて仕方がなかった。 「...大丈夫、レミ。あたしがいるし、このぴーもいるから、大丈夫」   その言葉は、私の中に浸透し、私の震えを止めた。   そうだ。   この、力強くて、優しい二人がいれば、きっと大丈夫。   私は、ドリーを見上げて、もう大丈夫、と頷いた。   その時、ガルドさん達の遺体を調べていたコノピさんが、手に何かを持って、私達の方へ振り返った。 「......運良く、と言っていいのかわからないがニャ、地図はどうやら無事らしいニャ...」   手に持っていたのは、地図らしかった。   コノピさんは、それを広げて、にらめっこを始める。 「...そういえば、地鳴り、止んでるねぇ」   そういえば、いつの間にか聞こえなくなっていた。   いつからだろう?   私達が、この洞窟に出たあたりだった気がする。   コノピさんが不意に、地図から顔を上げ、叫んだ。 「危ニャいッ!!」   そう叫んで、コノピさんが、私とドリーに体当たりをした。   私達三人はもつれ合いながら、転がる。  ど ッ が ぁ あ あ ん !   洞窟の壁が壊れ、破片を撒き散らし、私達がさっきまで立っていた場所には――   巨大。   巨大な身体。   鬼の身体に、竜の頭と鳥の頭、四本の腕、蠍の脚部を持ち、背中からは大きな翼。   背中から無数に伸びる触手。それ以上に、身体のいたる所から奇妙に腕や手が生えていた。   すべての見るものを、殺さんとする、禍々しい気を放つ、なんとも形容する事ができない存在――キメラ。 『ギギイィィァアアアアアアアッッ!!』 「きゃあーっ!」 「わぅーっ!」   声、いや、音が、音波が私達の耳を、鼓膜を裂く様に、身体を吹き飛ばすように、洞窟に響き渡る。   その声は、悲鳴にも似ていた。 「お前達、逃げるニャ!!!」 「このぴーは!?」 「...コレと遭遇した場合、殲滅する――  それが、もう一つの私の仕事ニャ!早く行くニャ!!」   そう言って、コノピさんは地図をドリーに押し付けると、魔物に向かって剣を抜き、踊りかかる。   キメラの動きは、巨躯には不釣合いな程、素早く、激しかった。   洞窟一杯の身体を、無数の脚で動かし、前後左右に動く。   その度に、洞窟が大きく揺れた。   ただ、大きく、力強いだけではなかった。   コノピさんがいくら体を切り裂いても、見る見る内に、傷口が閉じる。   すさまじい、再生力。 「く...確かに、あたしらじゃ歯が立たない。  むしろ、このぴーに迷惑をかけるかもしれないね...。  行くよ、レミ!」 「わぅ!」   ドリーが走り出し、私もその後をつける。   しかし、その逃避行は、容易く、遮られた。  ずずずずどどどどどど――   キメラは走り出す、そして、身体を切りつけているコノピさんを無視するように、私達のほうへ突き進み、拳を振り上げた。 「危ないっ――!」   ドリーが、私を抱えてしゃがみこむ。  ど、がぁああああん!  がらがらがらがらぁぁぁ!   天井から、振り落ちる、洞窟の石や、岩の雨。   キメラの巨腕は、天井に突き刺さっていた。   そして―― 「逃げ道が、塞がれた――!?」   洞窟の道が塞がれ、通路は、キメラの背後に残されるのみとなった。   キメラは、私とドリーを殺すためではなく、逃がさない為に、拳を放ったんだ――   気付いても、いや、気付かなくても、このキメラと遭遇してしまってからでは、遅かった。 『グィィィ...!』   キメラは、逃げ道を失った私達を見て、笑っていた――少なくとも、私にはそう見えた。   私達が、逃げ道を塞がれ、往生しているとコノピさんが、キメラの身体から離れ、すと足元に降り立った。 「...とりあえず、お前達は出来るだけ下がっておくニャ!」   そう言い遺すと、コノピさんは、宙高く舞い、キメラの鬼の顔の前で、大きく息を吸い込むと、口から煙を出して、吹き付けた。   そして落下しながら、呪文を唱え始める。 「"麻煙は魂を揺さぶる"」   唱え終えると同時に、コノピさんは着地する。   すると、キメラは、よろめき始めた。   まるで、その巨躯が重い、と呻くように、上半身を左右に揺らす。   それに合わせて、踊るように、六本の脚を、ずだだだだ、ずだだだだ、と動した。   キメラは、その酔いに抵抗するように、腕、尻尾を振り回す。   その度に、洞窟内がさらに大きく、揺れる。   振り回す腕を避け、時には蹴り、洞窟内を飛び跳ねながら、布の剣でキメラを切り裂いていく。   キメラはそれを払いのけるように、さらに激しく腕を振り回しながら、徐々に後退していった。   ある程度後退しきると、ふらふらとよろめきながらも、酔いに慣れてきたのか、がむしゃらにではなく、的確にコノピさんを腕で狙い始める。   しかし、動きの素早いコノピさんを捕まえる事は、できない。   でも、コノピさんが優勢、とは言いづらかった。   キメラは、何度切り裂かれても、再生を繰り返す。   終わりが、なかった。   不意に――コノピさんが飛び乗ろうとしたキメラ腕が動き、足場を無くしたコノピさんは、落下し始めた。   その小さな身体を叩き潰すかのように、キメラの腕が、コノピさんを襲う――   危ない――そう、言いかけた時だった。   コノピさんの身体に纏っていた布が、しゅるる、と動き、彼女をキメラの腕から守るように収束し、腕を受け止めた。   しかし、当然ながら――受け止めはしても、キメラの力を止めたわけではなく、コノピさんの身体は弾き飛ばされ、私達の背後の壁に身体を叩きつけられた。 「けふぅっ――」   コノピさんの身体は、洞窟の壁に一瞬張り付き、落下し、地で跳ねた。 「このぴーッ...!」 「わぅ...!」   私とドリーは、急いでコノピさんに駆け寄った。 「かふっ...とんだ失態ニャ」   コノピさんは、血を口から吐きながら、ふらりと、立ち上がった。   この特殊な鎧が身を守ったとは言え――今の衝撃で、酷い怪我をしている筈だというのに。   なんて、力強い人なんだろう――   私はその強靭な精神に畏敬の念を抱いていた。   どう頑張っても、この人のようにはなれない、そう感じた。   でも――   近づくことは、きっと、できる。   勇ましく戦う彼女の姿に、私は勇気付けられていた。   私も強く生きる、その為にも、今、この場を切り抜けなければいけない。   でも、どう頑張っても、あのキメラに私は太刀打ちできない。   なら、今、できる事をしなきゃ。   私は、ふらふらの身体で、キメラに立ち向かおうとするコノピさんに、手をかざす。 「"泉より、生命は沸き立つ"...!!」   コノピさんの全身が、輝く。   私の持つ、ありたけの力を、コノピさんに注ぎ込む。   輝きが治まると、コノピさんは仏頂面を私に向けた。 「...ありがとニャ。さて...これ以上アレと踊らされるのはごめんだニャ...」   彼女はそう言うと、腰にぶら下げた鞄から、小さな袋から小さい粒――何かの種のような物を口に幾つか含んだ。   そうしている間にも、キメラは私達の方へ、洞窟を揺らしながら近づいてくる。   コノピさんは、顔をキメラの方へ向け、鋭い眼光で睨みつけると、洞窟内を跳ね回りながら、近づいていく。   洞窟の壁を蹴り、一気に懐へ飛び込む。   それを察知したキメラが、まさにコノピさんが飛び込まんとする場所へ一つ目の右腕を振るうが――   コノピさんは上体を反らして宙がえりし、失速して魔物の腕に飛び乗る。   そして、布の剣をキメラの腕に向けると、先端の布の刃が少しぐね、と動き、次の瞬間、蛇のようにキメラの腕に襲い掛かり、肉を削いだ。   その抉れた場所に、コノピさんは、何かを――恐らく、さっき口に含んでいた何かの種を――吹き付けた。   キメラの腕はみるみる内に再生し、その何かの種ごと、肉の内に取り込んでしまった。   さらに、コノピさんをキメラの一つ目の左腕が襲う。   またコノピさんは宙がえりしてそれを避けると、また布の剣で腕の肉を削ぎ、何かを吹き付ける。   さらに、コノピさんをキメラの二つ目の右腕が襲う。   それを横に回転しながら避け、目の前を通り過ぎるキメラの腕を、手で思い切り弾いて自分の身体を飛ばし、回転しながらキメラの懐に潜り込んだ。   そのままキメラの胸元を布の剣で、抉りながら落下していき、最後に、ぺ、と音を立てて口の内包物を全てキメラの抉れた胸元に吐きつけ、手で印を組んだ。 「"麻種(ましゅ)は彼(か)を食らいて育(はぐ)み大地へ縫いつける"」   コノピさんが唱えると同時、種を吹き付けたキメラの両腕、胸から植物が飛び出して洞窟内に溢れ、キメラに絡みつき――文字通り、地へ縫い付けた。 『ギギィィーーァアアアアーーッ』   キメラが苦しそうに呻き、僅かに動く足をどたどたを動かす。   恐らくあの植物は、キメラの身体の中にまで食い込んでいるのだろう。   とても――痛くて、苦しいはずだ。   コノピさんは、跳んでキメラとの距離をとると、私達の方を振り返った。 「...ケリをつけるにゃ」 「え...確かにあいつは動けなくなったけど...」 「あの身体を維持している賢者の石を取り出せば、キメラの肉体は崩壊するニャ」 「でも、あれだけの速度で再生するのに、どうやって取り出すの?」 「...私に任せておくにゃ。  それより...お前達、ねこじゃらしなんて...持ってないよニャ?」 「え?こんな時にねこじゃらしなんて...何に?」   あ、そうだ。   洞窟に来る途中に、私は、可愛く揺れていたねこじゃらしを摘んで、鞄にしまっていた。   私はそれを思い出して、鞄からねこじゃらしを取り出した。 「持ってますわぅ」   私がねこじゃらしを持っていたのが意外だったらしく、コノピさんは一度目を大きくして、嫌そうに横目でねこじゃらしを見た。 「...もし、私がお前達に襲い掛かったら、そいつを私に使うにゃ」   どうして――   問いかける間も無く、コノピさんは鞄に手を突っ込むと、ドングリに似た形をした、緑色の実――マタタビ――を取り出して、口に放り込んだ。   そして、がちり、とそれを噛んだ。   すると、見る見る内に――目が血走り、瞳孔が真っ赤に染まり、茶色い毛並みを植物が食らっていくかのように、緑色の文様が、全身を覆ってゆく。   その緑の文様が剣を持つ右腕に到達すると同時、布の刃が右腕を包み込み、緑色の大きな爪を容作った。   そして、毛を逆立て――― 「―――――――――――――――!!!!!」 「くぅっ!」 「わぅーっ!」   咆哮。   それはまるで、鋭い矢のような、音。   それが、鼓膜を突き刺さった。   コノピさんはキメラを見据えると一直線に疾走する――   そして、緑の右腕を振り上げ、キメラの胴を大きく抉った。   右手、左手、右手、左手―――   目にも止まらない速さで動かし、キメラの巨躯をえぐり、体内に侵攻してゆく。 『ギギィィーーイイイーーーッ!!!』   キメラが激しく蠢き、自らを縛る植物を揺らす。   その負荷に耐え切れなくなり、植物は徐々に千切れ、ほどけてゆく。 「危ないよ――あのまま、あいつが完全に自由になってしまったら!」   ドリーが叫んだ。   どうやら、あの植物の種は、キメラを養分として、育っている。   だから、キメラの力をある程度抑えていた。   あの植物が全て解け、キメラが完全に自由になってしまった場合――コノピさんは、キメラの体内に取り込まれてしまう――   しかし、私達の心配を余所に、コノピさんは血飛沫を上げながら、どんどん突き進んでゆく。   まるで、血の嵐だった。   それに抗うようにキメラは激しく動き回る。   血の嵐。   それを追うように、どんどんキメラを縛っていた植物が解けて行く――!   そして、血の嵐を、埋めるように、コノピさんを飲み込むように、傷口が塞がってゆく――!   私は、ただ、祈る。   力ない私は、ただ、祈り続ける。   その祈りを掻き消すように――植物は散り、コノピさんの姿は、消えた。 「このぴーッ!!」   そんな――あのコノピさんが死んでしまうなんて――!   絶望が私を覆い尽くそうとした、瞬間。 『ギ、ギ、ギギィーーーアァーーーッ!!!』   キメラは身体中を掻き毟り――   じゅう、じゅうと煙を発しながら、縮んでゆく。   そして、一気に膨らみ――  ばぁ―――ん   破裂した。   肉片が洞窟内に飛び散り、私達の方にも、飛んで来た。 「きゃ――」 「わぅ――」   私は、咄嗟に目を閉じる。   恐る恐る目を開けると―― 「............」   キメラの遺骸の中心で、キメラの血で塗れながら、コノピさんは佇んでいた。   口には、石のようなものを咥えている。   そして、ゆるり、と爛と輝く赤眼で、私達を見た。 「このぴー...やった――」 「――――――――――!!!!!」   威嚇するように、コノピさんは、私達に向かって吼え、緑の右手を振り上げ一直線に私達に襲い掛かる――   私達に目掛けて、矢のように向かってくる。   私は、驚きと恐怖のあまりに、尻餅をつき、咄嗟に――手に握っていた、ねこじゃらしを突き出した。   コノピさんは私の目の前で急停止し、風が私にびゅう、と吹き付けた。   動きを止めたコノピさんは、徐々に顔を綻ばせ、口に銜えていた赤い綺麗な石――賢者の石――を、落とした。   仕舞には、地面に寝転がり、猫が「遊んでくれ」と促すように、空を手で掻いた。 「にゃにゃんにゃん...」   それが余りにも可愛くて、私は、ねこじゃらしでコノピさんの鼻を撫でる。   コノピさんはねこじゃらしと戯れるように、手で猫じゃらしを何度も掻く。   楽しくなってきて、調子に乗ってそれを続けていると、呻くように、コノピさんが、漏らした。 「もう...いいにゃん...」   私は、コノピさんの制止、はと我に帰り、ねこじゃらしを鞄にしまい込んだ   コノピさんは、はぁ、と溜め息をつくと立ち上がり、賢者の石を拾って鞄にしまい、布の剣を腰にぶらさげた。   そして、少し恨めしそうにこちらを見た。 「...この事は、決して誰にも言うニャ...」 「は、はいわぅ...」 「ぷ...はいよ〜」   ドリーが吹き出しながら、頷いた。   確かに、ずっと仏頂面のコノピさんが、ねこじゃらし一本であれだけ可愛い猫さんに変身するのは、ちょっとおかしかった。 「...ちょっと地図を貸すニャ」   コノピさんがそう言って手を出す。   私は、渡された地図を、その手の上に置いた。   コノピさんは、地図を睨みながら、顎を撫でた。 「...どうやら、ガルド=クリフトは最深部――魔術師の研究室まで辿り着いてたみたいだニャ...。  ちょっと用事があるから、行くニャ」   そう言うと、コノピさんは、地図を見ながら歩き始めた。   地図がないと帰り道がわからないし、元々コノピさんと一緒に洞窟の外にでるつもりをしていた私達は、その後について歩く。   ついさっきまで、キメラが暴れていた事で騒がしく揺れていた洞窟内は、打って変って、しんとしていた。   キメラの遺骸――というより破片が飛び散った場所を通り過ぎ、洞窟の奥へと進む。   十数分歩くと、無数に置かれた古びた本、机、見たこともないような器具が沢山積まれているのが見えてきた。   そこへ近づくと、奥は行き止まりになっていた。   そこは、遠めから見たとおり、ただ無造作に本や紙、机、器具、なんとも形容し難い容をした生き物の遺骸があり、研究室、と呼べるのかわからない状態の場所になっていた。   コノピさんは、その机の上や、本の山を漁り、中を大まかに調べ始めた。   この研究室に、魔術師さんは、何を思い、何故キメラを作ったのだろうか。   こんな孤独な場所で。   その疑問が、ふとぶり返した。   考えてもわからない事は、わかっていた。   ただ、何か、キメラを作る事、もしくはそれをする事によって得られる事に強い執着心を持っていたのは確かだと思う。   でも、それだけの執念を持ってその魔術師さんは、死んだ。   この中のどこかで。   だとすると――その魔術師さんの亡霊は、この辺りをうろついているのじゃないだろうか?   そんな考えが過ぎり、私は無意識に、置かれていた本に手を伸ばした手を引っ込めた。 「大丈夫だよレミ、本が噛んだりしないって」   そういって、ドリーがからからと笑った。   不意にばたん、と音がして、そちらに目をやる。   コノピさんが、分厚い本を閉じた音だった。   その本をカバンにしまい、他にも見繕ったらしい分厚い本を胸に何冊か抱えると、私達の方へ歩いてきて、言った。 「ちょっと、量が多いから持つニャ」 「こんなの、何に使うの?」   ドリーが、疑問符を浮かべながら本を受け取り、鞄にしまう。   残った一冊をドリーから受け取り、私も鞄にしまった。 「お前達...この後、どこかに行く予定でもあるニャ?」 「んー、別にないよ。なんと言っても流れ流れて世界を歩く冒険者だしね。  それがどうしたの?」 「お前達、ちょっと長くなるけどニャ、付き合うニャ」 「別にいいけど...どこ行くの?」 「ウォンベリエにゃ。この本と石を届けに行かなきゃいけないニャ。  手伝い分の賃金や旅中の経費は当然、私が持つニャ」 「ウォンベリエかぁ、あたしはいいよ。  ちょっと久しぶりに会いたい人もいるしね。  レミはどう?」   そういえば、以前に聞いた事があった。   ドリーは昔、ウォンベリエに居た事があるって。   詳しくは話を聞いたことはないのだけれど。   私は、ウォンベリエという町に言った事がない。   学問と呼べる全ての物を追求する場所、と聞いた事があるだけだ。   興味があったし、行ってみたかった。   私は、ドリーの問いかけに、頷く。 「じゃあ、決まりニャ。  助かるニャ」 「いいっていいって。  危ない所を助けてもらったし、恩返しだよ」 「わぅわぅ」   私も、コノピさんを見て頷いた。   するとコノピさんは、照れた様に頭を掻くと、少し、微笑んだ――ように、見えた。   そして、歩きだす。   数時間洞窟内を歩き、洞窟を出た。   不幸中の幸いだったのは、キメラが私達を逃がさない為に閉じた穴の先は行き止まりで、外に出る道は別にあった事だった。   そとは、夜明けだった。   少し寒いくらいの爽やかな風と朝日が、私達を迎えてくれた。 「ん〜〜...生き返る〜!当分は、洞窟探検はいいや!」   そう言ってドリーは手を組んで背を伸ばした。   私も、ちょっと久しぶりに吸う、洞窟の外の空気をおなかいっぱいに吸い込んで、吐き出した。   コノピさんはと言うと、パイプを銜えて、煙を吐き出していた。   相変わらず、あの酷い匂いのする煙だった。 「それ、美味しいの?」 「...美味い、美味くない、じゃないニャ。  癖みたいな物だニャ...」   そう言って、朝焼けを覆うように、煙を吐き出した。   酷い匂いだけども、朝日に照らされて透ける煙の色は、綺麗だった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   その後、洞窟から一番近い街まで歩き、宿屋で身体を休めた。   当然のように、コノピさんが、お金を払ってくれ、その宿屋で一番いい部屋を取ってくれた。   私達冒険者はあまりお金を沢山持つ事がないし、野宿も多い。   それに宿屋に泊まる時は一番低価格の部屋に泊まる。   だから、初めて泊まる綺麗な部屋に、私とドリーは大はしゃぎした。   でもその横で当然と、コノピさんは煙をぷかぷかと浮かせていた。   どうやら、コノピさんはお金持ちらしいけれども――何者なのだろう、という疑問が増した。   次の日、馬を二頭買い、ウォンベリエへ向かった。   当然、歩いて行く物だと思っていた私もドリーも、驚いた。   だって、馬を買うならば、私達が着いていく必要もないからだ。   私とドリーは、「実はついてきて欲しいのじゃないか」と考えて、あえて黙って着いていく事にしたのだった。   私は馬が扱えないので、ドリーの前に座って二人で乗り、コノピさんがもう一頭に一人で乗る事になった。   出立してから二週間ほどして、ウォンベリエに到着した。   その間、街の宿屋に泊まる事もあったし、野宿の事もあった。   コノピさんは、道中で、ぽつり、ぽつりと話をしてくれた。   主に、彼女の故郷、ポーニャンドの事だった。   ポーニャンドは、国民がほぼ猫人で、みんながのほほんと、暮らしている土地らしい。   いい国なんですね、と褒めると、コノピさんは「そうかニャ...」と言って照れた。   ウォンベリエは、予想していたよりも大きな都市だった。   小さな国くらいの広さ、そして住民が住んでいるように思えた。   馬に揺られながら、街の中を歩く。   とても賑やかな街で、さまざまな人種がいた。   中には、私と同じ犬人もいる。   きっと、学問の前に、差別も偏見もないのだろう、と私は思った。   ウォンベリエは、いわゆる、宿屋や店や家がある町に囲まれ、中心に部署ごとに別れて研究施設や、学校が建っている。   研究施設のある場所へ私達はコノピさんの後ろについて、歩く。   途中で一度、私達は衛兵と思わしき人に止められたけれど、コノピさんが何かの紋章を見せると、急にその衛兵は下手に出て、私達を通した。   あの紋章は、一体何だったのだろう?   そして、衛兵を萎縮させる程の立場である、コノピさんは何者なのだろう?   その疑問は、その後すぐに解かれた。   私達は馬を馬小屋にくくり、研究塔のある部屋へ向かった。   どうやら、ウォンベリエに住んでいる研究者の個室が並んでいる場所らしかった。   コノピさんは、ある一室――ネームプレートには、ディセッタ=リンゲンバーグと書かれている――の扉を、ノックした。 「はいは〜い」   中からは、落ち着いた雰囲気の女性の声が聞こえ、扉が開いた。   扉から出てきたのは、私より少し背が低い――栗鼠科の亜人の女性だった。   年ははっきりとはわからないけれど、三十代から四十代に見えた。 「あら、ドリーじゃない。お久しぶり」 「へへへ、久しぶり、ディー」   ディーとは、この栗鼠人の女性――ディセッタさんの愛称らしかった。   二人の様子から、どうやら、ドリーと知り合い、それもかなり親しい間柄だという事が伺えた。 「なんニャ、知り合いかニャ?」   ディセッタさんは、気付いたようにコノピさんに目をやると、冗談めかした顔で恭しく、コノピさんに頭を下げると、こう言った。 「これはこれは聖騎士様。相変わらずお仕事がお早いですね」 「わざとらしいニャ...」 「せ、聖騎士ぃーっ!?」     ドリーが、叫んだ。   聖騎士。   ディセッタさんが言った言葉に私達は、驚きの余りに、頭が真っ白になった。   特別な地位にいる人なのだとは思っていたけれど...まさか、聖騎士だったなんて―― 「あんまし大きな声で言うニャ!」 「だ、だってこのぴー、あんた言わなかったじゃない、自分が聖騎士だなんて!」   ドリーが、驚きの余りに顎をかくかくと動かしながら、コノピさんを指差した。 「聖騎士、という立場はわざわざ見せびらかす物じゃないニャ...。  必要な時意外は、言う必要がないニャ。  ディセッタ=リンゲンバーグ、いらない事は言うもんじゃないニャ...」   そう言って、コノピさんはディセッタさんを横目で睨んだ。   そうか、と気がついた。   衛兵に見せた物は、聖騎士の称号だったのだ。   あのキメラとの戦いで見せた力量も、聖騎士だから、と考えれば納得が行く。 「はいはい、ごめんなさいね。  あら、あなたはどなた?」   ディセッタさんが、私を見て言った。 「私は、レミッキ=プス=クスキアルボですわぅ」 「あたしの親友さ。今、一緒に冒険してる」 「へ〜え、そうなの...。  よろしくね、私は、ディセッタ=リンゲンバーグ」 「よろしくお願いしますわぅ」   私は、ディセッタさんに差し出された手を握り、頭を下げた。   すると、ディセッタさんはにこ、と微笑んだ。 「いい子。  ドリー、あなたは良いお友達に恵まれたみたいね」 「へへ〜」   ドリーが、自分の事のように照れ、頭を掻いた。   私も、とても嬉しくて、恥ずかしかった。 「...これが、例の物にゃ」   そんな私達を余所に、コノピさんが鞄の中から賢者の石を取り出して、ディセッタさんに渡した。   微笑んでいたディセッタさんの顔が、一気に真面目な顔になるのがわかった。 「...助かるわ。玄関先で立ち話というのも何だし...とりあえず、奥に入ってもらえるかしら?」   ディセッタさんが部屋の中に入り、奥へ進んでいく。   私達も、それに続いた。   部屋の中は、個室としてはかなり広く、ディセッタさんの背丈に合わせて背が低く広い机や、様々な実験器具が置かれていて、研究室としても機能しているらしかった。   さすが研究者というのか、かなりの蔵書量だった。   しかし、机に広げられた数冊の本以外は全て、綺麗に本棚に収められていた。   ディセッタさんの几帳面な性格が表れていた。 「あと、他の物は手に入った?」   ディセッタさんが、私達に振り返って言った。 「あ、そーだ」   ドリーが、鞄の中から、コノピさんから受け取った古ぼけた本を取り出し、机の上に置く。   私とコノピさんも、鞄の中から本を取り出して、机の上に置いた。 「あら、あなた達もコノピと洞窟に行ったの?  流石に荷物持ちの依頼を受けて一緒に来たとは思えないし」 「うん。依頼の関係で色々あってねぇ〜、たはは」   ドリーは、少しばつが悪そうに頭を掻く。   ディセッタさんは、それを見ると微笑んだ。 「じゃあ早速、賢者の石を調べてみましょうか」   そう言うとディセッタさんは、小さな望遠鏡のような眼鏡を右目につけ、賢者の石を覗き込んだ。 「ん〜...これは、かなり強力な魔力を秘めてる賢者の石ね...。  賢者の石の中でも上の上...キメラを作り上げた魔術師さんは、どうやってこんなものを手に入れたかしら」   ディセッタさんが、顎に手を当てて、考え込む。   しばらくして、ディセッタさんは思い出したように、私達が持ってきた本に目をやった。 「まぁ、それを読めば何かわかるでしょう」   そう言ってディセッタさんは、私達が持ってきた本のページをぱらぱらとめくり一冊目、二冊目、と目を通していく。   そして四冊目で、手をぴたりと止めた。 「...これがどうやら、魔術師の日記らしいわね...」   呟くと、ディセッタさんは、目を小刻みに上下させながら、一ページ、一ページと読み進めていく。 「名前は......ガウルン=イット――――   皇暦2113年4月14日     私の名は、ガウルン=イット。    学術都市の魔物生物学教授並びに研究員である。    主に――希少生物・生物社会における、弱小生物の研究を行っている。    絶滅の危機に瀕する彼らを、如何にして救うべきであるか、それに日々頭を悩ませている。    美しき、か弱き彼らを、無分別かつ粗暴な冒険者どもや、力在る種族は狩り続け、彼らは今も尚、数を減らしているのだ。    私は彼らを、如何にして救うべきか、救えるのだろうか?   皇暦2113年5月16日     キメラ研究をしている友人からある話を、小耳に挟んだ。    鼠と昆虫を掛け合わせたキメラが、彼の犬を食い殺した、と言うのだ。    彼の犬は、黒くぎらついた目をしていて、人に良くほえる凶暴な犬だった。    それを、たかだか鼠と虫のキメラに食い殺されたとは、どういう事だろう。    仮に鼠と昆虫が彼の犬を襲ったとして、あの犬は瞬時に食い殺すに違いない。    昆虫を合成された鼠、もしくは鼠を合成された昆虫には何が起こったのだろうか?    キメラ学は、研究が開始されたばかりであり、友人本人にも、何故小さな鼠が力を得たのかは不明だと言う。    弱きものが力を、得る。    もし、そんな方法があるならば――か弱き彼らを救う手立てになるだろう。    彼らを狩る他の生物から己で身を守る事ができるのだから。    私は、彼に力を貸す事にした。   皇暦2113年5月19日     友人の犬を食い殺した鼠と昆虫のキメラが、死んだ。    エサを与えるためにケージを覗いていると、突然もがき苦しみ出した。    そして、一瞬縮み、次の瞬間には破裂。    何故だろう?    異種同士が一つの生物として身体を維持する為に、なんらかの負荷がキメラに掛かっていたのではないだろうか。    まだまだ、未開拓の分野故、わからない事は多い。   皇暦2113年5月25日     二匹目のキメラの製作に成功。    とりあえずはまた、鼠と昆虫のキメラを製作。    このキメラも、あのキメラのようにまた四散する運命にあるのだろうか?   皇暦2113年5月28日     やはり、キメラは四散した。    キメラの身体を維持し続ける為には、何かが足りないのだ。   皇暦2113年6月28日     少々、研究が低迷し始めた。    様々な小動物同士を合成したり等、色々手を尽くすが、結果は同じ。    ただ、作って、破裂の繰り返しだ。    一番長く持った物で、五日間。    何か策を講じなければ成らない。   皇暦2113年7月1日     ふと、思い立ち――魔石を、合成の核にする鼠に埋め込み、昆虫と合成してみた。    キメラは、魔術によって、合成される。    つまり、魔力によって肉体を維持しているのだ。    肉体の崩壊の原因は、魔力が体内から減少、ゼロになった時に起こるのではないか。    もしそうだとすれば、ほとんど魔力を持たない鼠や昆虫が、すぐに崩壊してしまうのには合点がいく。    ならば、魔石を埋め込めば、命を長引かせる事が可能だろう、と考えたからだ。    魔石を合成したキメラは、心なしか、今までのキメラ達より、生き生きとしている風に見える。    さて、今回は何日間持ってくれるのだろうか...   皇暦2113年7月14日     私は、キメラの研究に没頭するあまり、自分の研究をおざなりにし過ぎていた。    論文を提出しなければならない事すら、すっかり忘れていたのだ。    友人に、暫く手伝えないと言い、自分の研究に取り組み始めたが...    あの魔石を埋め込んだキメラは、どうなっているだろう?    それが気がかりで、研究はあまり捗らなかった。    しかし、論文を提出しないわけにはいかない。    半ば無理矢理書き上げ、提出し、逸る気持ちを抑えつつ、友人の研究室へ向かう。    研究室に入ると友人は興奮した様子で、私に報告した。    まだあのキメラはピンピンしている、と。    あの魔石を埋め込んだキメラを作った日から、二週間。    今までの最長五日間と比べると――倍以上。    しかも、まだ元気だという。    とりあえずは、成功――と言わざるを得ないだろう。    私と友人は手を取り合い、研究室ではしゃぎまわった。    その晩は、二人でささやかに祝杯を挙げた。    そして、この私達の研究に大いに貢献した鼠のキメラに、アルジャーノン、と名づけた。   皇暦2113年7月23日     アルジャーノンは、まだ健康そのもの。    崩壊の片鱗も見せない。    この実験によって証明されたのは、キメラは、合成された身体を維持するためには、魔力を要する、という事だ。    ならばは、魔力を元々持つ生物――魔物であれば、魔石がなくとも、身体を維持する事ができるはず――。    それを友人に提案した所、大賛成だった。    しかし、問題は、何が起こるかわからない、という事だ。    動物と動物を掛け合わせて出来た生物ならば、少々逸脱した力を持ったところで、私達の手で殺す事ができる。    魔物同士のキメラであれば、どうなるのか、わからない。   皇暦2113年7月30日     魔物と、動物とのキメラを製作。    魔物同士の合成は危険すぎる、と踏んだからだ。    当然、核とする魔物も、下位に属する大人しい種族を選んだ。    合成後、キメラは元々の種族からは考えが及びもつかない程に、獰猛になった。    魔力を有する物の、魔法が扱える種族ではないはずだというのに、下位の魔法を使い、暴れる。    ケージは、数分もすればガラクタとなった。    魔防御の呪印を埋め込んだ特殊なケージを用意、その中にいれて調査をする。    もし、魔物同士であれば、どうなっていたのだろうか、と考えると少し恐ろしい。    この魔物と動物のキメラは、何日生きるのだろうか?    アルジャーノンの体調は、良好。   皇暦2113年8月13日     魔物と動物のキメラは、体調は良好ながらにも、凶暴。    魔防御の呪印を施したケージも度重なる魔法を受け、壊れた。    これで、三つ目のケージだ。    結構、値が張る代物なだけに、痛手だ。    もう少し調査をした後、処分する事にした。    それにしても、もうすぐ、彼の研究発表がある。    キメラの研究はウォンベリエではまだ異端扱いで、本格的な研究が行えない。    他の研究者や教授達は、そんな異端研究を行う私達を奇異の目で見る。    力なき者に力を与える。    この素晴らしい研究の成果に、奴らはさぞ驚く事になるはずだ。    キメラの研究が本格化すれば、私の研究とも織り交ぜ、絶滅危惧種の補完の力にする事ができる。    アルジャーノンの体調は良好。だが、時折寂しげに、鳴く。    何が彼を哀しませているのか、今の私には到底理解できない。    彼は、力を手に入れたというのに。   皇暦2113年8月25日     研究発表は、悲惨な結果に終った。    生命に手を加える等という神を侮辱する事が許されて良いのか。    凶暴になり、手をつけられなくなる様な生き物に利用価値があるのか。    何が起こるかわからない実験、それ自体が危険。    批判はそれだけでは止まらない。    そもそも――何故、このような研究を認めたのかが不明である。    研究は本格化どころか、永久停止の宣告を受けた。    私は、悔しさに歯を食いしばった。    もう少しで、力なき者が救われる所だったというのに。      私達が研究室に戻ると、研究に終止符を打つように――    アルジャーノンが息絶えていた。   皇暦2113年8月26日     私と友人は研究停止の通告に打ちひしがれながら、キメラ研究室の片付けの手伝いをしていた。    すると、彼は思い立ったように、言った。    最後に――魔物同士の合成を行ってみよう、と。    昔からキメラの研究の許可を求め続け、ようやくこぎ付けたが、凄惨な結果に終ってしまった、彼の最後の欲求。    そして、自らの研究を認めなかった者たちへの復讐か。    しかしそれは、危険過ぎた。    だが、彼と供に悩み、泣いた私は、彼を止めようとは思わなかった。    むしろ、賛同した。    中級クラスの別種の魔物同士を捕まえ、合成を行う。    しかし最初は、合成そのものができなかった。    何が足りないのか、と悩んだ末に出た答えは、我々の魔力不足。    合成対象が力を有していればいるほど、魔力が必要になる。    そこで、魔石を核にする方の魔物に幾つか埋め込み、合成を行った。    キメラ、まさしくキメラ!!    力を持つキメラであった!    しかし、その力は強大過ぎ――    研究室、否、研究塔を半壊させた。    私達では到底、手に負えない魔物だった。    友人は、キメラに殺された。    逃げ出せたのは、私だけだった。    すぐさま、教授や魔法学の教師達、剣術指南の教師などが集まり――キメラを殲滅した。    その後、当然と言えば当然――私は、教授・研究者の立場を剥奪、研究の過失等の罪で、逮捕される事となった。    しかし、悔いはない。    どうせ、私の願いは叶わない。    か弱い力なき生物達は、滅んでゆく。    悔いがあるとすれば、彼らを助けられない事くらいだろうか。   皇暦2113年9月3日     私は、ふと気配を感じて目を覚ました。    見ると、枕元に、黒いマントを羽織った人物が立っていた。    事情徴収か、もしくは刑罰の言い渡しだろうか、と思ったが、扉は閉まっている。    なら、ここに立っている人物は、何者だろうか?    私の不安を見透かすように、その人物は笑みを浮かべた。    その人物は、透けるほど肌が白く、細い顎、艶やかな唇を持っていた。    それ以外の部位は、マントで隠れていて、見えない。    女に見えるが、男かもしれない。    そして何より、全身から発せられる霊気から、強大な魔力を持つ者である事が、ひしひしと伝わってくる。    「誰だ、お前は」    私は震えながら、問うた。    「私が誰か、それはつまらない質問だ。    ただ、力在る者。そしてお前は、力無き力を求める者」    男のような、女であるような、か細くもあり、力強い声が、私の頭の中で響いた。    そう、そうだ。    私は、力無き者だ。    力が無きという結果が、私をここまで連れてきたのだ。    あのか弱い生物達と同じく、私も力無き者だったのだ。    「力が、欲しいか」    "力在る者"が、私に問う。    私は、迷う事無く、力を望んだ。    「ならば、受け取れ――」    すると、"力在る者"は懐から拳小程の石を取り出し、私に差し出した――ように、見えた。    "力在る者"の手は私の手をすり抜け、私の胸にずぶり、と埋まった。    咄嗟に激痛を予期し、身を引こうとした。    しかし、痛みはなかった。    "力在る者"が私の体から手を抜くと、その石が私の胸から顔を覗かせていた。    そして、腹の底から湧き上がる、強大な、力。    自身が活き活きとしていくのがわかる。    「一体、この石は――」    「"賢者の石"」    魔術師・魔導研究者誰もが憧れ求めるが、お目にかかる事すらない、代物。    無限の魔力を秘める、賢者の石。    まさか、私の胸で輝くこれがそうだとは――    そして、それをあさりと私に植え付けた、"力在る者"の正体は、何だ?    「くくく。しかし、まだ足りないのではないか、"力無き者"」    そう言い、"力在る者"は、手を翳した。    そして、何かを呼び出す――    閃光を放ち、私の目の前に現れた者、それは、エルダーデーモンだった。    しかし、死んだように眠っている。    「融合せよ。本当の力とはその程度のものではないのだから」    私は少しだけ躊躇った。    自らを、キメラにする――    しかし、それによって、さらに、力を得る事ができる。    それは、確かだった。    私は、エルダーデーモンに手をかざし、友人から教わった合成の呪文を唱えた。    一瞬、視野が輝き、暗転、そしてまた光の中に飛び込んだ。    これこそ、力を得る、という事か――    私はそう感じながら、意識を失った。   皇暦2113年9月5日     私は、牢番の声に起こされた。    食事を取っていないので、様子を見にきたという。    あの日から、眠ったままだったのか。    そういえば――と、辺りを見回すと"力在る者"は消えていた。    私が身体を起こし、別に不調というわけではない事を伝えようとした。    牢番達は、小さく悲鳴を上げ――私、いや、私の背中に視線を向けた。    何事かと、振り向くと、そこには何も無い。    何も無いが――翼が、黒く、大きく、力強い翼が視野に入った。    私の背中から生えているらしかった。    そうだ、エルダーデーモンと融合を果たしたのだ。    ふつ、ふつと、何か衝動が湧き上がるのを感じた。    恨み、憎しみ。    私達の研究を認めなかった、奴ら。    牢番に恨みがあったわけではない。    だが、ちょっとした腹いせ、と手のひらを向け、初級の火炎呪文を唱える。    瞬間。    爆発音が響き、牢ごと、牢番達は吹き飛んだ。    私は自身の力に、呆気に取られた。    騒ぎを聞きつけ、沢山の牢番達が、流れ込む。    力がある事を証明してやろう。    私は、呪文を唱え、牢番達ごと牢を破壊した。    ついでに――教授達も殺してやろうか、と考えたが、彼らにはすべき事がある。    私達の研究が正しかったと、力を得る事の素晴らしさを認める、という仕事が。    私は牢をとび立った。   皇暦2113年10月13日     私はあの後、世界各地を飛び回り、強力な魔物と自身を融合させた。    力が、満ち溢れて行く。    しかし、まだまだ、足りない。    そして、自分の身をもってわかった事を、書き残さなければならない。    だが、融合を繰り返し、歪になったこの身体では、街に研究室を構えて研究をする、などという事ができない。    しかし、ある時、蟻の魔物が築いた巨大な洞窟を発見した。    ここならば、誰にも邪魔をされずに研究に没頭できそうだった。    邪魔な蟻を駆逐し、研究室を作り上げた。    実験器具や書物は、偶然近くにあった違法にキメラの研究を行ってた研究所から奪い取った。    待っていろ、私は、必ず研究を奴らに認めさせる。    この世を去った友人に対して、呟いた。   皇暦2113年11月21日     研究論文は、進み、まとまっていく。    しかし、力が足りない。    この程度では、あいつらは私を認めないだろう。    だから私は、さらに魔物との融合を繰り返す。    今日で、六十五匹目のキメラと融合した。   皇暦2114年2月10日     八十三匹目と融合。    もう少し、もう少し力を   皇暦211...------     九十匹目    もうすこし   皇暦------     きゅうじゅうきゅうひき目    なにかが むなしい    そうかんじた    アルジャーノンが見せた    あのものがなしげな ひとみ    それは これだったのかもしれない    ちからをえても    えたからといってなんだというのだ    ただ わたしがわたしであり    ちからなきいきものが ちからなくあるように    "it(それ)"が"it(そう)"あるように    ただ "it(そのように)"あればよいだけだったのだ    かよわきものがほろぶ    ほんとうは それすらも うつくしいことだったのだ    しかし    いまさら それがわかったということでなんになるのだろう    こんなからで    もうひきかえせない    もう とめることはできない   こ-----     ひゃく   ―――これで、おしまい」   母親が子供に物語を語り終えるように、優しくそう言うと、ディセッタさんは、日記をぱたん、と閉じた。   その音が耳の中で反響して、鳴り終えると同時に、私の目から封を切ったように涙があふれ出した。   弱きものを守る為に、力を求めて、力に溺れてしまった。   なんとも皮肉な事なんだろう。   私は、自分が一時でもキメラになれば強くなのれるのだろうか、と考えた事が如何に愚かで、恥ずべき事なのかを知った。   キメラとは、哀しい生き物だ。   ガウルンさんは、最後に、それに気がついた。   でも、力を持ちすぎた彼は自らを殺す事もできなかった。   最後に、死を、誰かに殺してもらう事を、望んだんだと思う。   もし、そうだとするなら、彼の魂は、救われたのだろう。   コノピさんの手によって。 「ディーは、どうしてキメラの資料が必要なの?  キメラ研究でも始めるの?」   ドリーは、少し不安げな声で、ディセッタさんに問う。 「そうね、キメラの研究を始める、と言っても間違いじゃないわ」   そう、静かに答えた。 「どうしてさ、こんな、恐ろしい事なのに...!」   ドリーの言葉に、ディセッタさんは首を横に振った。 「違うの。キメラを作る研究ではなくて、元に戻す研究をするため。  ガウルン氏の日記にあったように、キメラとなった事によって鼠が獰猛な犬をも殺す力を得る事がある。  つまりね、キメラの有する力は、掛け合わせた生物同士の力の足し算ではなくて、掛け算、時には乗算になる。  禁止されているにも関わらず、今もまだ強力なキメラを作り出している人は沢山居る。  魔物同士の事もあれば、人間と魔物を合成する人もいる。  他の生物同士を融合すると、本当に何が起こるかわからないの。  鼠と昆虫を組み合わせただけ、当人はそのつもりでも、強力な力を持つ生き物になってしまう事があるように。  自然界の法則から逸脱した事を行うと、何が起こるかわからない。  そういった物に対抗する為に、元に戻す研究を始めたのよ。  正確に言うと、キメラを元に戻す為の術式を生み出す為の研究なんだけれど」   キメラの分解――そんな事が、本当にできるのだろうか?   合わせる事ができたなら、別つ事も出来る、はず。   でも、それが容易な事ではない、果てし無く困難な事柄である事は、知識のない私にもわかった。   もし、そんな事が簡単にできるなら、ガウルンさんは、自分を元に戻したはずだ。 「そんな事、できるの?」   ディセッタさんは、ドリーの問いに、手のひらを振った。   そして溜め息をつく。 「まぁ、始まったばかりだから検討もつかないけれど。  融合する事ができるなら分割する事もできるはず、という言葉遊びのような物が生み出した研究だから。  それに、本来、分解する研究をするなら、融合させる研究・実験をしなければならないけれど――  知っての通り、キメラの製造は、禁固。  各地で捕まえられたキメラや、違法にキメラの研究をしている人間から差し押さえた資料を基に、分割の実験のみを行う事しかできない。  ただ野菜をきざんでサラダにした場合は、少し手間をかければ全て別つ事ができる。  でも、野菜を摩り下ろして作ったスープを、元の野菜に戻すのなんて、果てし無い作業になるわ。  数人の教授が賛同したから、この研究が始まったけれど、始めた傍から座礁に乗っている研究なの。  そんな研究必要あるのか、と反対する教授も多いし...。  元々、私は嫌われ者だからって事もあるのだけれど。  しかも、本業――魔法発生学の方の研究もあるから、片手間でしかする事ができないのだけれどね。  そんな酷い状態。  でも――」 「でも?」   ディセッタさんは、ドリーの目を真っ直ぐ見据えて、言った。 「誰かが、やらなきゃね」   そう言って、微笑んだ。   誰かが、やらなきゃいけない。   自分がやらなければ、誰がやるのか。   ディセッタさんが言わんとする事は、そういう事だ。   彼女はとても偉大な、人だ。   そして、誰にも揺るがす事のできない、信念という強い、とても強い力を持っている。   彼女なら、必ずやりとげる。   私は、そう確信した。 「あ、そういえばさ、このぴーとディーはなんで知り合いなの?」   ドリーが、話を切り替えた。   私も少し、気になっていた。 「研究者と言うのはね、冒険者でもあるのよ。  探求する、求める。  求める物の容は違えど、やっている事は同じ。  私があなたと出会う前、私も冒険にはよく行っていたの。  直接見て確かめないとわからない事も多いから。  ある冒険中に、知り合ったの。  それがきっかけ」   コノピさんは、明後日の方向を見ながら、鼻を掻いた。   その時の事を思い出しているのかもしれない。 「...ずいぶん前の事ニャ...。  そういうお前達は、どういう知り合いニャ?」 「えっとね、あたし、捨て子なんだよね、実は」   ドリーが、頬を指先で撫でながら言った。   初めて聞いた事だった。 「あなたと別れた後にね、拾ったの。  私もあの頃は少しは若かったとは言え、元々結婚するつもりも子供を貰う気もなかったのだけれど、平原の木の下で泣いているこの子を見つけて、育てる事にしたの。  他の誰かが拾うかもしれないし、とも思ったんだけどね、白状すると。  でも、今見捨てたら一生後悔する、と思ったから拾って、ウォンベリエに戻ったの。  こんな小さな身体だしね、子供を背負って冒険なんて無理だから。  それに、丁度、魔物発生学の論文も書きあがりかけてたから。  あの頃のあなたは、とっても小さくて可愛かったわ。  なんせ、私より小さかったんだから。  まぁ、今でも十分可愛いけれどね、うふふ」   ディセッタさんは、そう言って、笑った。   暖かい、笑顔だった。   この人が、ドリーのお母さん。   ドリーが心優しくて、強い心を持っているのは、母親譲りなんだ、と私は確信した。 「はぁ〜、やめてよ、なんだかむず痒くなるわ。  ん〜、それより、久しぶりに街中を見て周ろうかな。  美味しい喫茶店があるんだ、みんなで一緒に行かない?」   ドリーは恥ずかしげに頭を掻きながら、話を反らした。 「ごめんなさいね、私はまだやらなきゃいけない事があるから...。  また次来た時は、ご一緒しましょう」   ディセッタさんが、残念気に言った。 「私も遠慮しておくニャ。  王国連合政府に早く報告に行かなければいけないからニャ...」   コノピさんが、面倒くさそうに呟く。   ディセッタさんにしても、コノピさんにしても、一緒にお茶できないのが残念だった。 「そっかぁ、じゃあレミ、行こっか」 「わぅ!」   私は、勢いよく頷いた。 「それじゃあ、ディー、またねー」 「失礼するニャ」   ドリーとコノピさんは、別れを告げると、ディセッタさんの研究室から出て行った。   ディセッタさんは、それに手を振って答える。 「それではまたですわぅ」   ドリーがまたね、と言ったなら、私も、また会う事になるのは間違いなかったので、そう言った。 「またいらっしゃい。  次はちゃんとお持て成しさせて貰うわ」   そういって、ディセッタさんが微笑んだ。   私は深々と頭をさげ、研究室を出た。   次に会う時の、ディセッタさんの持て成しを、楽しみにしながら。   研究塔から出て、喫茶店に向かっている時、後ろから私達を追いかけてくる人が居た。 「ドリー、ドリー=ドロレッツ!」 「んあれ?キーニー?」   私達は、後ろを振り返る。   どうやら、ドリーの知り合いらしき、男の子だった。 「帰って来てたんだな、それなら教えてくれよ...」   ぜぇぜぇと、キーニーさんは、肩で息をした。 「いやぁ、ちょっとディー...ディセッタ教授の所に用事があってさ、ちょっと行ってたんだよね」   ドリーが、少しばつが悪そうに頭を掻く。   その様子から見て、どうやらドリーはキーニーさんの事が苦手らしかった。 「そうか...でもどうして、突然居なくなっちまったんだ?」 「えっとね、逸る気持ちを抑えきれず、と言うかー...。  冒険ってね、人から教わる事じゃないでしょう?  いやまぁ、ここで教わる事はまだ沢山あったんだけど。  勉強に勤しむより、本当に冒険の真っ只中に突っ込んでどんな物か知りたかった、というのが本心」   ドリーの答えを聞いて、キーニーさんは、肩を一度落とした。 「そんな所なんだろうとは思ってたけど...。  いや、そんな事はいいんだ。  俺、あの時の答え、まだ待ってるんだ」   キーニーさんは、真剣な目で、ドリーを見つめる。   あの時の答え――それは、恐らく恋愛絡みの事なのだろう、と察しがついた。   私はそれがわかり、何故か腹が立った。 「......あたし、そういうの、あまり興味ないんだ。ごめんね」 「そう言うと思ったよ。  でも、俺がここを卒業したら、一緒に冒険しないか?  別に、その、そういうのじゃなくて」   キーニーさんが、何かを否定するように、手を振る。   ドリーは、それを見ると、ふん、と鼻で息をして、こう言った。 「いやぁ、それも申し訳ないけど遠慮しとくよ。  あたしには、立派な相棒がいるからね」   立派な、相棒。   私は、誇らしかった。 「もしかして、そこの...」   キーニーさんは、頼りない、と言いたげな視線を、私に向けた。   私が冒険に出て得た力。   それはドリーという、大切な、とても大切な友達。   ドリーは私の事が好きで、私もドリーの事が好き。   その関係。   とりあえず、今、私が誇れるものは、それだった。   私は、キーニーさんに向かって大きく息を吸い込み―― 「わぅ!!」   思い切り、吼えてやった。   キーニーさんは、私の突然の行動に、驚いて尻餅をついた。   少し、いい気味だった。   それを見て、ドリーは大笑いし、キーニーさんは大きな溜め息をつくと、それでも、待つよ、と言って私達の前から立ち去った。   ちょっと可哀想な事をした気がして、罪悪感が私に残り、嫌な気分になった。   それを察したのか、ドリーは、私の頭を撫でる。   それがとても、心地よかった。   私が、学んだ事は、ドリーとの関係が力だ、という事の他に、もう一つある。   冒険とは獣道だと言う事。   細い、細い、獣道。   道無き、道。   その道なき道を、私達は歩く。   それは冒険でもあり、生きる、という事だ。   むしろ――   生きる、という事が冒険そのものだ。   それはどこかで聞いた事のある言葉だけれど、確かにそうだ、と私は確信した。   そして、狭き道を切り開き、大きな道にする。   それが力。   それは特別な事ではなくて、生きる、という力。   迷いながら、苦しみながら、笑いながら、泣きながら、生きる。   だから、力は求めなくても、そこにある。   私達はそれに気づけなくて、それを求める。   幸せ、というのはそれに気づく、という事なのかもしれない。   私は、そう思った。 「レミ、行くよー」 「わぅ!」   私は、生きるために、また、冒険に出る。   動物達が、獣道を歩くように。 ――――終わり